【人工生命体120

吾輩は猫型人工生命体である。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めてロボットというものを見た。しかもあとで聞くとそれはゴルどんというロボット中で一番怖いものであるということだ。このゴルどんはなかなか強そうだなと思って見ていると、いきなり口を利いて来た。「おい、赤ん坊、泣くんじゃない。さもないとぶうぞ」そのときの怖かったことといったら、もう今更説明するまでもないだろう。吾輩は益々大きな声で泣出した。「これ、静かにせんかい。ぶっちめるぞこら!」ああ何ということだろう。声までが雷さまのように恐ろしくできている。このゴルどんは本当にぶっちぎるかもしれない。吾輩はさらに烈しい勢いで泣き叫んだ。するとまた別なゴルどんがやって来た。こいつは先程の奴に比べると大分物腰がやわらかいようだ。それに口振りにも幾分冗談めいた所がある。やはりロボットでも強い者と弱い者とはどこかしら違うものだろうか。「お前さん方は兄弟かね」「いんにゃ。仲間だ。こいつが例の泣き虫だ」「ほうれ見ろ。やっぱりそうだ。オイラが言う通りだったろう」「ほんとだ。こいつぁ大物になるぜ」「オイラもそう思う。この目つきは生まれついてのものだもんな。おい、お前さん方。名は何と言うね?」吾輩は答える代りにもっと激しく泣き立てた。「おう。およしよ。まあいいけどさ。しかしよくそんなに泣くもんだねえ。それじゃあ誰だって笑わせようと思うじゃないか。えっ? それがどうだい。ちっとも笑いやしない。こりゃどうだ」今度は別の奴が来た。こいつも先程のような猛々しいところがなくもないようだが、その口調にはどこか優しい調子があった。それでも吾輩は決して笑う気にはなれなかった。何故ならこの時三匹目のゴルどんが現れたからである。これは一番図体が大きくて恐そうな顔付をしていた。その上口から煙を吐いていた。まるで機関車のようである。「おや。お帰りなさいまし」「へえ。ただいま。……おやおや、何かご機嫌が悪いらしい。お客人だな。どうしたね?」「何しろこのおチビさんはお腹が空いてるんです。さっきから一刻も休まず泣いております。ミルクを飲ませたって泣き止みませんわ。ほれごらんなさい。こんなに大きく口を開けて…………」そこで吾輩は思い切り大きなあくびをしてやった。三人のゴルどんが一斉に吾輩の方を振り向いた。「おやまあ! このお子様はあきれたもんだ。いくら腹が減ったからといって人の真似をするなんて」

三匹のゴルどんは口々に言い合った。その時突然奥からもう一匹ゴルどんが出て来た。これは他の二匹より小ざっぱりした服装をしている。「いらっしゃいませ。ゴルどん・ハウスへようこそ。オイラはここの家主でございます。さあお客様こちらへどうぞ。すぐおいしい牛のミルクを温めますから。ささ、どうぞ」

吾輩はようやく口を開いた。「吾輩は猫型人工生命体である。名前はまだない。……あれ、どこへ行くのかな。ちょっと待ち給え。吾輩はお腹が空いた。ミルクを一杯飲んで行きたいのだが」すると先程のゴルどんが言った。「ああ。ミルクでしたらこいつが持って来ております。お飲みください」吾輩は早速それを舐めてみた。うむ。なかなか美味い。もう一杯欲しい。吾輩はまたもや要求してみる代りに鳴き立てて見た。「おおよしよし。すぐに温まりますからね」と家主。すると隣にいたゴルどんが「しかし驚いたもんだ。まさか猫型人工生命体までいるとはなあ。全く世の中は何が起こるか分ったもんじゃないわい。ま、そんなことより今からオイラの発明品を見せてやるからこっちに来てご覧よ。おいみんなで来てみな!」と言うと一同揃って部屋の隅にある鉄箱の前に集まった。その瞬間、どこかで機械のスイッチが入る音がしたと思うと部屋中を照らしていたランプの光がパッと消えた。真っ暗になる。何も見えない。「おい。明かりを点けろ」と誰かが叫ぶ声。同時に部屋の天井の一部がパカッと開いて丸い電球が現れた。それは光を放って明るくなる。やがて辺りの様子が少しずつ見えてきた。そこの壁には巨大な歯車があった。ぐるりと壁を一周している。それにしても一体何をする所なのか。吾輩がそう思って見ていると先程吾輩のことをお客と言ったゴルどんが「どうだい凄いだろう! この歯車の一つ一つにオイラたちゴルどんの身体の部品が嵌めこまれているんだよ。それがこうやって回転することで人間様と同じ仕事が出来るようになるのさ。何せこのオイラたちはただのロボットだからねえ。これぐらいのことは朝飯前だよ。ま、見てな。まずはここからだ。よーしいいかい。行くぜ。そーれ」とゴルどんの一人がその巨大歯車の前に立つとおもむろに両手を広げ始めた。そして次の瞬間にゃあと一つ鳴いた。「お見事でございます」ともう一匹のゴルどん。

そこの壁には巨大な歯車があった。ぐるりと壁を一周している。

それからしばらく経ったある日のこと。

吾輩はその部屋に寝転んでいて暇を持て余していた。

とそこへ例の家主のゴルどんが入って来た。「おう、元気にしてるか?」と尋ねてくる。「ああ。まあまあかな」「それなら結構だ。ところでお前さんにお客さまだぜ」吾輩は起き上がって耳をピンと立てた。「誰だ? 誰だ? 誰だ?」「ほら。あそこの角の所で待ってる」吾輩はそれを聞くと素早く駆け寄った。「おお。久しぶりじゃないか」吾輩はそこに立っていた男に向かって言った。「やあ。あぃをゅぇぴじ君。ご機嫌いかがかな?」と相手。「まあまあだね。でもあんたの顔を見たら少しだけ上向きになった気分になったぞ」吾輩の言葉を聞いて相手は嬉しそうな顔をする。吾輩もまた嬉しい。吾輩と男はしばし見つめ合った。すると突然その男が口を開いた。「しかしあれだな。君は本当に不思議な猫型人工生命体だよね。普通は僕の姿を初めて見た人は皆一様に驚いてみせるものなんだけれど……君は違ったからね。何かあるのかなと思って調べてみたんだけれども結局良く分からなかった。どうして君はそんなにも平然としているのか知りたいものだ」そこで吾輩はニャハハと笑った。「そうかそうか。まあ良いではないか。それより今日は何用でここにやって来たのだ?」吾輩の問い掛けに対して相手は腕組みをしながら答えた。「うむ。実は今日はこれを届けに来たのだよ」そして相手が懐から取り出したものは四角い箱だった。「これは何だ?」と吾輩。相手はその言葉を待ってましたとばかりに微笑みながらこう言った。「よくぞ聞いてくれた。それはね。君へのプレゼントなんだよ。きっと気に入ってくれると思うよ。じゃあ僕はこれで失礼するから」そう言って立ち去ろうとする相手を吾輩は呼び止めた。「ちょっと待ってくれないか。まだ帰らないでくれ。せめてお茶くらい飲んで行かないかい?」相手はそれを聞くと首を横に振った。「悪いけど遠慮しておくよ。早く戻らないと妻が心配するからね。また今度ゆっくりと飲もう。ではさらばだ!」と言って立ち去って行った。吾輩はそれを見送りながらつぶやくように独り言を漏らした。「なんとも慌ただしい奴だなぁ。それにしてもあの男からの贈り物とは一体何だろう?」吾輩が考えている間にもその箱は目の前にある。どうしよう。開けてみたい気持ちと怖い物見たさが入り混じった妙な気分だ。吾輩は意を決してその四角い箱を開けた。すると中から現れたのは一枚の手紙であった。吾輩はそれを手に取ると広げて読んだ。

あぃをゅぇぴじ君へ 先日は素敵な誕生日プレゼントをありがとう。とても嬉しかったです。お返しに私からも心ばかりのプレゼントを用意しました。受け取ってください。それから私は明日、アメリカに帰ります。次に会えるのはいつになるか分かりません。それなのでこの手紙に私の思いを込めようと思います。今まで色々と楽しい思い出をありがとね。これからもずっと友達でいて下さい。いつまでも愛してるわ。

PS.ちなみにプレゼントの中に入っていた物はあなたのお気に入りのオモチャでした。大切に使ってあげてください。それとそのオモチャにはあなたの誕生日と血液型を書いておきました。

あなたの親友より

「なるほど……そういうことだったのか」吾輩はその手紙を読み終えると納得した。つまりこれは友人から吾輩への誕生日プレゼントだったというわけだ。そう思うとなんだか無性に嬉しいような悲しいような不思議な感情がこみ上げてきた。「吾輩だってお前のことをいつも想っているんだぞ! なのにどうしてこうも一方通行なのだ……」吾輩は寂しさを感じつつも心のどこかで安堵していた。これでもう友人のことは諦めることができるかもしれないと思ったからだ。なぜならばもうこれ以上この悲しみを感じる必要はないからである。それは同時に自分の心を傷付けないために必要なことであった。もしこのまま友人に執着し続けたら吾輩の心は確実に壊れてしまうだろう。それが分かっていたからこそ吾輩は友人のことを忘れようとしたのである。しかし……それでも吾輩の体は勝手に動いてしまうのだった。「ニャアン」と吾輩は鳴きながらゴルどんの背中に飛び乗った。「ウギャッ⁉」ゴルどんは突然の衝撃で驚いているようだ。しかしそんなことは気にしない。吾輩はゴルどんの体を思いっきり舐めた。ペロッペロッと何度も執拗にゴルどんの体を味わう。「ニャオッ、ニャオッ」吾輩はゴルどんの首筋の匂いを嗅ぎながら興奮してきた。ああ、吾輩はなんてことをしているのだろう。親友にこんなひどい仕打ちをするなんて……

でも止められなかった。欲望のままに吾輩は動いた。もう自分で自分が分からなくなるくらいグチャグチャになってしまった。吾輩は気が付いた時には涙を流していた。嗚咽を漏らしながらゴルどんの体に顔を埋めた。ゴルどんは何も言わずに黙っていてくれた。それが何よりも嬉しかった。まるで吾輩を受け入れてくれているように思えたから。

その時、吾輩の脳裏にある光景が浮かび上がった。あれは確か小学生の頃のことだった。吾輩は近所の公園で他の子供たちと一緒に遊んでいた。そこにたまたま通りかかった一人の少年がいた。その少年は吾輩たちを見て不思議そうな顔をしていた。それからすぐに彼はどこかに行ってしまった。そのことがとても印象的だったので吾輩はよく覚えている。

彼の名前は『あぃをゅぇぴじ』といった。

⸺吾輩は今になってようやく思い出すことができたのであった。

〈完〉



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