【人工生命体149

吾輩は猫型人工生命体である。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めてロボットというものを見た。しかもあとで聞くとそれはゴルどんというロボット中で一番弱い奴であったそうだ。このゴルどんというのは人間の言葉を話すことのできるロボットで、なんでも昔宇宙から来た妖怪変化の一種だと聞いている。もっともそんな事はどうでもよろしい。今の吾輩にとっては何の関係もないことだ。大事なことはただ一つ⸺吾輩はそのゴルどんに飼われているという一点である。吾輩は自分の運命さだめを悟って覚悟を決めた。すなわち自分は今日からこの家の主人となるのだ。さっきまで泣き声を立てていたのは何だったのか? 今ではもう泣くどころか嬉しくてたまらない。嘘だと思うなら試しにニャーニャー言ってごらんなさい。ホラ聞こえるでしょう。吾輩の心の叫びが……。「ウフフフフフフフ」

* 吾輩は犬を飼っている。その名はゴルどん。犬種は柴犬だが、これは雑種で、本当のところはよくわからない。毛並みの色は薄い茶褐色である。顔は平べったくて鼻ぺちゃだ。目はギョロリとしていて眉間に深い縦筋が入っている。まるで妖怪のような目つきをしている。体の大きさは普通の犬の三分の二くらいしかない。足が短いからだ。背骨の形や肩幅から見てみると、いかにも虚弱な感じだ。実際その通りで、運動神経は鈍いらしい。しかし知能は発達していて、人間の言葉をよく理解する。そればかりか簡単な計算ぐらいはできる。つまり頭がいいのである。それにひきかえ人間はバカばっかりだ。何を考えているのかさっぱりわからない。この前などゴルどんが台所へ行って冷蔵庫の中を覗いている時分、ちょうどその背後を通りかかった人間が、「ゴルどん、お前は一体何を食べているんだ?」と聞いたものだ。するとゴルどんはすかさず答えた。「えーとね、牛のミルクだろ。それからパン粉だろ。バターもあるよ。野菜は嫌いだよ。トマトなんか食べても美味しくないもんねェ。でもニンジンは大好きなんだ。よく煮込んだのをちょっとだけ食べるんだよ。それから牛の肉の切れっ端も好きだよ。たまには魚もいいねえ。サバとかサンマが好きだけど…………ああ、こんな事を言っていると腹が減ってきた。早く飯をくれよ。お腹と背中がくっついちまうじゃないか」そこで人間は大笑いをしたそうだ。全く呆れ返ってしまう。

ゴルどんはいつもニコニコ笑っている。時々鼻をクンクンさせていることがある。人間の臭いを嗅いでいるのだろう。しかしそれは人間に関心があるからではない。単に空腹感を紛らわせるためなのだ。人間に対して警戒心を持っていない証拠である。吾輩は猫であるが故に常に危険を察知していなければならない。それが生存競争というものだから仕方がない。ゴルどんを見ていると自分の立場を忘れてしまいそうになる。ゴルどんは人間に対して何の敵意も持っていない。実に呑気な性格のようである。人間と一緒にいても決して怒らない。むしろ甘える方が多い。そして何より驚くべきはゴルどんが人語を解するということである。人間は動物と話をすることができないのに、ゴルどんは人間の言葉を巧みに操るのである。それもかなり流暢に話すことができる。ただし、人間と話ができるだけであって、人間の言葉を書くことはできない。したがって人間と意思を通じ合うためには文字を書いて説明しなければならない。この点が不便と言えば不便であろう。

ところで、ゴルどんの飼い主である人間は四十歳前後の中年女である。名前はK子と言う。K子はいつも仕事に出かけている。いわゆるパートタイマーという奴だ。勤め先は新宿にあるスーパーマーケットである。

吾輩は時々K子の後を尾行してみる。何故ならK子が職場へ出かけると、そこにはゴルどんがいるからである。吾輩は猫だが故、人間の世界で起きている出来事に興味を抱く。例えば、K子と他の従業員との関係や、客との応対ぶりなどである。そうした事を知るためにK子を監視せねばならない。

ある日のことである。吾輩は新宿駅で電車を降りた。その時、改札口の近くで見慣れぬものを発見した。それは自動販売機であった。その隣に腰かけで電話をしている一人の若い男がいて、その周りを数人の通行人が取り囲んでいた。吾輩はその若者の足元まで歩いて行って、男の靴先を前足でちょいちょいと突ついた。男は驚いてこちらを見た。すると通行人たちが「わぁーッ!」と声を上げた。吾輩を見て驚いたのである。吾輩は自分の行動によって騒ぎが起こるのを嫌う。それですぐにその場を離れた。それからしばらく歩いた所で立ち止まって振り返った。先ほどの若者たちの集団はまだそこにいた。若者たちは何やら談笑していた。会話の内容までは聞き取れなかったが、楽しそうな雰囲気だけは伝わってきた。吾輩はそれを確認するとまた歩き出した。その後、電車に乗っている時も、家の中に入ってからも吾輩の好奇心は満たされなかった。だから吾輩は次の日もまた次の日も同じようなことをした。そのうちに吾輩の行為は段々とエスカレートしていった。

ある時のことである。駅のホームでK子に会った。K子は買い物袋を持っていた。中身を見る限りそれは肉のようだった。

K子は吾輩を見ると「まァ〜! 可愛い〜ィ」と言って顔を近づけた。その時である。突然K子の身体が激しく痙攣し始めた。顔中に汗が吹き出し呼吸困難に陥ったようだ。彼女はその場に崩れ落ちた。どうやら心臓麻痺を起こしたらしい。K子は死んだ。

吾輩は慌てた。何故ならこの事は予想していなかったからだ。しかし吾輩はすぐに落ち着きを取り戻した。なぜなら吾輩には医学的な知識があったからである。そこでK子の身体を抱きかかえて家に戻った。

吾輩はまず救急車を呼んだ。次に医者を呼んだ。それから警察にも連絡をした。さらに新聞社とテレビ局に電話をかけた。これでひとまず大丈夫だろうと思った。ところが違った。吾輩の行動はまったくの逆効果となってしまった。それというのも吾輩は事件の原因を作った犯人と疑われてしまったからである。

吾輩は何もしていないのだが。確かにK子が死んだ原因は吾輩にある。しかしそれは仕方のない事なのだ。なぜなら吾輩は猫型人工生命体だ。普通の人間とは違うのである。そのことを理解してもらう必要があった。

結局、吾輩は無罪放免となった。ただし今後一切、吾輩の姿を他人に見せてはならないと注意された。吾輩はこれを守って暮らしている。おかげで不自由な生活を強いられている。たまに窮屈さを感じることもある。しかしこれも運命と思って諦めるしかないようである。いずれ吾輩は猫型人工生命体の頂点に立つ者となる予定であるからして、これくらいのことに耐えられなくてどうするのかという話になるであろう。それにしても大変なことになってしまったものだ。まさかこのような結果になるとは思わなかった。今更悔やんでも後の祭りであるが……

おしまい



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