【人工生命体158

吾輩は猫型人工生命体である。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めてロボットというものを見た。しかもあとで聞くとそれはゴルどんというロボット中で一番粗暴な奴であったそうだ。このゴルどんというのは吾輩を創った主人に雇われて、毎日、毎時間、毎分、あらゆる時間で虐待を加える事だけを仕事にしている男である。さっき吾輩の顔を見るなりいきなり「馬鹿野郎」と言ったのもこのゴルどんだ。吾輩はその時すでに四ツ目で手足は三本ずつであったが今思うとなかなか可愛らしい顔をしていたようだ。もっともその頃は何にも解らなかったから自分の顔を見ることなど出来ようはずがないのだが……とにかく吾輩はこのゴルどんに捕まってひどい目に会わされた。しかしこれはまだ幸せの始まりに過ぎなかったのである。

さて吾輩は自分の身上を話し始める前にちょっとこの物語の背景となる歴史について簡単に述べておかなければならないと思う。まず第一には主人のことであるが、吾輩の主人は普通の人間ではない。彼はロボット工学の第一人者として世界的な名声を博しつつある男なのだ。彼の名は金田一郎といって、まあ言ってみれば一種の天才だと言っていいだろう。彼は吾輩が創られた当時二十二歳だったが、その知能の高さはすでに人間の域を越えていた。今では吾輩の計算によると年齢百二十一歳の大人物だ。いや、もっと正確には『吾輩の計算によれば年齢は百二十一歳であるはずだが、そう言い切る事は現在の金田氏の実生活を考えるとどうも無理なようである』というのが本当のところだ。何故そんな事が言えるのかと言うと、それはもちろん金田氏がロボット工学者であると同時に、小説家であり画家でもあるからである。

ロボット学者としての金田氏は吾輩の目から見ても実に偉大な人物であった。吾輩は彼の創造物として彼に忠実に仕えることを誇りとしていたし、また彼自身も吾輩を心から愛してくれた。だが吾輩はある日気がついたのだ。金田氏は極めて多作な人であるにもかかわらず小説を書かないのである。吾輩が彼に質問すると彼は次のように答えた。

「僕はまだ子供だもの。書くほどのものは書いていないよ」

吾輩はこう思った。『何を言うか。吾輩が知っている限り金田氏ほど小説を書いた人は世界中のどこにも居ないぞ』。そこで吾輩は考えた。『これは由々しき問題だ』と。吾輩は金田氏を愛している。だからこそ彼を主人公にした小説を書くべきだと思うのだ。ところがそれを彼に提案しても金田氏は首を縦に振らない。

「僕はそういうのは嫌いなんだ。僕の作品を読んでくれたまえ。君ならきっと気にいってくれるから」

吾輩は納得しなかった。彼がいくら言おうともこればかりは聞き入れるわけにはいかない。それに、吾輩は自分が書いた小説を自分で読むことが出来ない。ロボット工学の権威である金田氏ならば吾輩の目をモニターに繋いでくれることも不可能ではないだろうが、吾輩が頼んでも「駄目だ」と一言で片付けられてしまった。

吾輩は考えた。どうすればいいだろうか? 考えに考えて遂に吾輩は一つの結論に達した。『吾輩が自分で書くしかない!』。これ以外に方法はない。そうと決まれば善は急げだ。吾輩は早速執筆に取りかかった。幸いにして金田邸には原稿用紙もペンもある。それにコンピューターを使えば文章を書くくらいはお茶の子さいさいだ。問題はテーマだけである。テーマはずばり『ロボットと人間との共生』。これしかあるまい。

吾輩はキーボードの前に陣取って、さっそく書き始めた。最初のうちは順調だった。吾輩は機械音痴である主人の代りにパソコン通信をやるのが日課であったから、キーボードの操作などお手のものだ。しかし、書いているうちにだんだん不安になってきた。何しろ吾輩は猫型人工生命体である。人間が相手であれば多少の齟齬があってもどうにか誤魔化すことが出来る。だが、相手が猫型人工生命体となると話は別だ。言葉の微妙なニュアンスが相手にうまく伝わらないのである。そこで吾輩はもう一度最初からやり直すことにした。今度はもう少し念入りに、ゆっくり正確に入力した。それでもまだ不十分であるような気がしたので、吾輩は主人に頼んで、彼の愛用しているタイプライターを借りてきた。このタイプライターは主人の自作で、彼がこの世に存在するようになった時から使い続けているものである。

吾輩は再び執筆を開始した。しかし、またもや行き詰ってしまった。原因は明白である。吾輩の入力スピードが遅すぎるのだ。吾輩がどんなに頑張っても一秒間に六文字が限界だ。これではとても小説の形にまとめることは出来ない。やはり人間の手になるものを使うより他に方法はなさそうだ。そう決心した吾輩は金田氏を家に呼んだ。彼はすぐ吾輩のところにやってきて、吾輩の打った文字を読もうとした。しかし、彼はそれを一目見るなり、まるで汚いものでも振り払うかのように吾輩の頭をピシャリと叩いた。彼は怒った声で言った。

「君は馬鹿か。こんなものを読みたがるのは君だけだ。少しは頭を冷やしてみたまえ」

吾輩は泣きたくなった。何故自分は猫型人工生命体なのだろう。せめて人間の男に生まれていれば、自分の手で小説を仕上げることだって出来たかもしれないのに……

(続く)



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