【人工生命体178

吾輩は猫型人工生命体である。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めてロボットというものを見た。しかもあとで聞くとそれはゴルどんというロボット中で一番怖いものだという事であった。吾輩はこわさのあまり身動きもならずに、ただ自分の前にある巨大な顔をまじろぎもせずに見ていた。その時の気持ちは今考えてもよくわからない。恐怖の念であったのか、あるいは好奇心であったのか、あるいは単に呆然としていただけなのか、いずれにしろその巨大な顔がだんだん近づいてきてついにはピタと止まった時は思わず知らず「ウニャ」と悲鳴をあげたくらいである。これが吾輩とゴルどんとの出会いのすべてであるが、考えてみればこれは大変奇妙なことである。普通なら吾輩のほうが彼を観察すべきはずなのに逆になっているのだから……

ところで読者諸君、ゴルどんについていろいろ質問があるだろうと思うから吾輩の方から答えよう。まず第一にゴルどんの主食は何であるかということであるが、これを説明するには吾輩自身の生い立ちを述べなければならぬ。吾輩はもともと一匹の鼠を母として東京の路上で生まれたのである。その時の母は今の吾輩よりまだ大分小さかった。それ故ゴルどんに比べると実に赤ん坊のようなものであった。しかし彼女は自分の子を育てるのと同じように愛情をこめて育ててくれた。そして彼女が死んで吾輩一人になってからは毎日のようにゴルどんの家へ遊びに行ったものである。吾輩とゴルどんが仲良しになった理由はいくつかあるのだが、その一つは彼の好物にあった。吾輩も猫にしては珍しい方であったが彼はそれ以上に珍しいものが好きだった。吾輩は鼠が大好きであった。ところがゴルどんは大の猫嫌いで家の中には一匹の鼠も出さなかった。彼が唯一口にするのは人間の食べ物だけであった。それも鰹節や煮干などの小魚だけで決して肉類を食べなかった。それで吾輩はよく彼の家に行ってはその食事をねだり、それを貰って帰った。また吾輩は魚を捕るのが得意であった。彼に鰹節の味を教えてもらった上に、自分で工夫して独自の方法を発明したからである。これをゴルどんは大変喜んだので吾輩はますます得意になり連日彼を訪ねては猫汁を作って飲ませた。その結果吾輩の身体も少しずつ大きくなっていった。特にゴルどんのお気に入りになったのは吾輩の発明した猫汁の作り方であった。ゴルどんの好物とわかれば吾輩は必ずそれを作るように心掛けた。そのためゴルどんの食欲はさらに旺盛となり見る間に大きくなった。吾輩もそれに比例してさらに大きくなり彼のお気に入りとなった。やがて吾輩の体格が他の猫どもよりも数倍優れていることに気がついたゴルどんは吾輩のことを『オイラの弟分』と称して可愛がってくれるようになった。吾輩も自分を弟分と言ってくれるゴルどんを慕い敬った。こうして吾輩はゴルどんを兄貴と呼び尊敬したのである。

ゴルどんの兄貴と出会ってから幾年月が過ぎたであろうか。ある日のこといつものようにゴルどん宅を訪れた吾輩は玄関から中へ入るなり異様な臭いが鼻をつくのを感じた。一体何の臭ぞと不審を抱いた吾輩は家中をくまなく探したがどこにも異常はなかった。だが台所の土間に入った途端吾輩はこの異臭の原因を知った。そこには大きな鍋がありその中で何とも言えぬ色をした液体がグツグツ煮立っていたのである。ゴルどんはこの得体の知れぬ液体を飲むために吾輩を呼んでくれたのだ。

ゴルどんは今までに見たこともないような真剣な表情で吾輩を見つめていた。吾輩は覚悟を決めてその奇怪なる液体を飲み始めた。

初めはおっかなびっくり飲んでいたがすぐに慣れてゴクゴクと喉を鳴らして飲み続けた。この世の物とは思われぬ美味さであった。吾輩の体内で未知の成分が作用したのか、それともゴルどん秘伝の妙薬でも入っておったのか、それは吾輩にもわからない。ただ一つ言えることはこのスープによって吾輩の肉体が改造されたということであった。ゴルどんに「お前さんもう猫じゃねえよ」と言われた時に、吾輩は自分が人間になったことを知ったのである。

(続)



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