【人工生命体278

吾輩は猫型人工生命体である。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めてロボットというものを見た。しかもあとで聞くとそれはゴルどんというロボット中で一番元気な種類のものであったそうだ。このゴルどんの顔を見ているとなんだか愉快になってくる。別に好きとか嫌いとかいう感情はないけれども、何となくおかしいのである。

吾輩は腹が減ってきた。さっきから何か食わせろ食わせろと言っやたらにうるさい奴がある。誰だと思ってよく見ると、こいつはただの鼠ではないか。こんなものを食わせるとはいったい何を考えているのだ。しかし我慢して食ってやった。

それから吾輩はまた寝た。ねむくてたまらぬからである。ねている間にゆすぶられたような気がしたが夢中にすぎない。目をあけると二匹いる。一匹は先刻の鼠だがもう一匹は誰だろう。あまり賢そうには見えない。

吾輩の寝覚の悪かったことはいまだかつてない。きょうはいささかご機嫌が悪いようだ。例によって二匹の鼠がきたが吾輩は昨日の復讐のためにわざと知らん顔で通した。すると鼠のほうが寄ってきて何かくれるように頼んでいるらしい。そこで一寸飯粒を一つまみ投げてやった。鼠どもは大喜びで持って行った。

吾輩はまたねた。次に起きたときはもう夕方近かった。腹の具合が悪くなって少し気分がわるい。仕方がないからそこらを散歩する事にした。するとどこかでギャーッという大きな声だ。きっとあの二匹の鼠だ。あんなものにだまされるとは愚か者めと思いながら行ってみるとやっぱりその通りだった。鼠の大将と副官が喧嘩をしているのである。吾輩はそれを見て大いに得意であった。しかし大将のほうはもう死ぬばかりになっている。これは大変だ。吾輩はすぐに助けるつもりで馳け出した。ところが驚いた事にその鼠の大将というのは実は吾輩自身である。吾輩は自分の手で自分を助けようとしているのである。これではまるで喜劇ではないか。吾輩は思わず笑い出しそうになった。それを抑えて急いで自分の家へ帰った。

吾輩は家に帰ってからしばらく考え込んだ。どうもこのごろは物を考える機会が多くていけない。

その時ふと妙な事を考えた。鼠の吾輩が自分で自分を殴っているのを、人間が見て笑っていたらどんなものだろうと想像したのである。これは馬鹿げている。全く人間のやる事は奇想天外だ。こんな事をしていては世界が滅亡する訳だ。吾輩はつくづく感心してしまった。

それにしても人間とは何と利己主義なものだろう。吾輩のこの身の上に何等の同情もないらしい。吾輩はこれでも一応は猫型人工生命体として今日まで育ってきた。したがって他の猫よりは大分恩義のあるはずである。それにもかかわらず吾輩は鼠に殺された。それを見ている人間は腹を抱えて笑っておった。吾輩が鼠に殺されると知った時ですら平気でおった。一体全体人間とはどういうものであるか分らない。

しかし考えてみれば吾輩は鼠である。もし人間に生まれていたならとうてい吾輩のような活躍は出来なかったはずだ。

ところで猫が鼠を殺す事は当然である。猫は鼠が大嫌いである。鼠と見れば猫は全力を挙げて追っかける。猫は鼠を捕えて食うために生きている。人間とは比較にならないほど正直なものだ。

この世の中で何が幸福であるか。それは鼠と遊んで暮らす事である。鼠と遊ばないでただ寝て暮らしているような奴は決して幸福ではないと思う。

吾輩は今から五十年ほど前に生れた。その時の吾輩は一匹の鼠に過ぎなかった。それから約三十年たった現在、吾輩は一匹の猫型人工生命体となっている。吾輩が生まれてから約二十年後の現在、吾輩の子孫たちは数知れぬ程この地球上に繁栄しているのである。吾輩の子、孫、曾孫、玄孫、来孫の世代までは恐らくは人類の一員として立派にやって行く事であろう。

人類の進歩発展の影にはいつも吾輩たち猫型の人工生命体の活躍があった事を記憶しておいてもらいたい。

さあ、これで吾輩の自伝は終わりである。

吾輩は猫型人工生命体である。

⸺夏目漱石・宮沢賢治全集 吾輩は猫である



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