【人工生命体34

吾輩は猫型人工生命体である。名前はまだ無い。

どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めてロボットというものを見た。しかもあとで聞くとそれはゴルどんというロボット中で一番の智慧者だという事であった。このゴルどんがいろいろ聞いて来たけれど何を言っているのか少しもわからなかった。ただどうやら自分はそのゴルどんと一緒に生まれたようだということは何となくわかった。とにかくこうして吾輩は生まれて来たのだ。そしてここにいるのだ。何だかとても幸福なような気がする。しかしなぜだろう。何か大切なことを忘れているような気がしてならない。いったい自分の本当の親は何をしているのだろうと吾輩は考えた。もしやもう死んでしまったのではないかしらん。そうだとするといささか悲しいことである。何しろまだ何もしていないからだ。けれどもよく考えてみると自分は何もできなかったはずである。生まれる前から今までずっとこのゴルどんと一緒に暮していたのだから。とすればやはり今の自分が本当の親に違いない。そう思って自分をじっくり眺めてみた。なるほど、なかなか可愛い子ではないか。これはいい子ができたものだと思った。しかしその時ふとある事に気がついた。自分は一体いつまで生きるつもりなのか。いつかは死ぬ時が来るはずだ。その時自分はどうするつもりだろうか。まさかこのままゴルどんと二人っきりで暮らすわけにも行くまい。第一ここはどこなのだ。見渡す限り何も無い所だ。これではまるで箱庭の世界ではないか。そうだ。きっとどこかに出口があるにちがいない。早く出よう。そして自由になろう。さっそく外に出た。

外へ出るとそこは雪国だった。いやそんなはずはない。確かに外の風景は雪景色だが空は青く晴れわたっている。どう見ても春らしい。吾輩はゴルどんに尋ねた。「ゴルどん。ここって冬じゃないよねえ」「うん。今は春だよ」なんということだ。吾輩は自分の生まれた季節すら忘れていたとは。「じゃあ夏とか秋はどこに行けばあるんだろうねえ」「わからないよ」

空が青く晴れわたった雪景色の雪国

まあいい。今度調べることにしよう。それよりもまず食料を手に入れなければならない。吾輩たちは食べ物を探しに出かけた。しばらくすると大きな家があった。窓から覗くと中では人間が大勢働いていた。吾輩は窓を叩いて中の人間を呼んだ。返事がない。もう一度叩くとようやく中から男が一人出てきた。吾輩はこの男に聞いた。「ごめんください。食べ物を分けて下さいませんか」男は困った顔をして言った。「申し訳ないがうちは貧乏でね。君たちに分けてあげられる物は一つもないんだよ」吾輩は怒った。「馬鹿にするんじゃないよ。あんたが金持ちかどうか知らないけど吾輩だって食べものさえあればこんな所にいつまでもいるもんかい」ところが男は平然としてこう答えた。「君は猫なのに言葉を話すことができるのか。珍しいなあ」吾輩はびっくりした。「あなたには吾輩の言ってることが理解できないんですか」「当たり前じゃないか。猫の言葉なんてわかる奴がいるかね」吾輩はあわててゴルどんを振り返ったがゴルどんは黙って首を横に振っていた。

仕方が無いから吾輩はその家の玄関の前に座り込んだ。「おい。そこの猫。お前さん何やってんの?」と男が訊く。「腹が減ってるんでお恵みを待ってるんですよ」と吾輩が答えると男は吾輩を見下ろして笑った。「なんだ。乞食か。それなら他所へ行きな。ここには猫なんかのためには一銭も置いていないぜ」吾輩は怒り心頭に発した。何という失礼な男だろう。しかし考えてみれば当然かもしれない。この家は金持ちだ。貧しい吾輩たちが施しを求めるなどということは思いもつかないことだろう。吾輩は立ち上がってその男の足を引っ掻いた。男は悲鳴を上げて転げまわった。吾輩は急いでその場を離れた。

それからまたしばらく歩いていると今度は道端に女の人がうずくまっていた。「どうしましたか? 病気ですか?」吾輩が尋ねるとその女は顔を上げた。「いいえ。違うの。私はただここで座っているだけなのよ」吾輩は考えた。この人はいったい何を考えているのだろうか。「何か心配ごとでもあるのでしょうか」と吾輩は聞いてみた。その女は寂しそうに微笑んだ。「そうね。あなたに話しても始まらないでしょうけれど……実は私、今度の日曜日に結婚するの。でも、それが不安でならないのよ」吾輩は何と答えたらよいか分からなかった。そこでゴルどんに相談してみた。ゴルどんはしばらく考えていたがやがて口を開いた。「ねえ。奥様。それはきっとあなたの勘違いですよ」「どういう意味かしら」と女は不思議そうな顔をする。ゴルどんは説明を始めた。「あなたはご主人と結婚するんじゃなくて、誰か他の人とご夫婦になるつもりなんじゃないですかね」「ああ! そういうことなの。それは確かにそうだわ。ありがとう。おかげで気が楽になったわ」と女は笑顔を見せた。そして「じゃあね」と言って去っていった。

吾輩たちはその後も食べ物を求めて歩き続けた。やがて町外れまで来た。そこには大きな建物があって中にたくさんの人がいた。みんな忙しく働いているようだ。吾輩はその中の一人の人間に声をかけた。「すみません。食べ物を分けていただけないでしょうか」人間は少し考え込んでいたようだったが、しばらくして答えてくれた。「申し訳ありません。当方では猫にやれるような物は持ち合わせていないのです」吾輩はむっとした。何という失敬な奴だろう。だが、考えてみればそれも無理はない。猫にやる物があるとすれば魚くらいのものであろう。だが吾輩は猫ではない。「吾輩は猫ではありません。猫型人工生命体です」と抗議した。「えっ⁉ 猫じゃないのかい」人間は驚いた様子だった。「どうしてそんなことが言い切れるのかね」と吾輩は言った。「猫の言葉が分かるわけでもないのになぜ猫でないと言い切れるのか教えて欲しいものだ」すると人間は答えた。「猫語なんてものは聞いたことがないからだよ。それに猫ならこんなところでじっとしているはずがないじゃないか」吾輩は感心した。「なるほど。なかなか賢明だ」吾輩は褒めてやった。「それで何を食べたいんだい」と人間が尋ねた。「魚だ。新鮮な魚の刺身が良い。あとは煮干しとか鰹節とかも欲しいところだ」吾輩の要求を聞いて人間は困り果ててしまったらしい。「さすがにそれは用意できないね。残念だけど諦めてくれないか」と頭を下げられた。吾輩は仕方なくその場を後にすることにした。

再び街へ戻ろうとして吾輩は振り返った。「待てよ。お前さんは魚屋を知らないか?」人間は首を横に振った。「魚なら市場にあるんじゃないかい」吾輩はそれを聞き流して走り出した。市場というのはこの建物の中にあったのだ。吾輩は市場の中へと飛び込んだ。吾輩の姿を見て人々は逃げ惑った。しかし吾輩はかまわずに進んで行った。市場の奥の方には店があった。その店の前の台の上には大量の魚が置かれていた。「ここにあったか」吾輩はその店の前に座り込んで、じっくりと吟味を開始した。「どれを貰おうかな」吾輩は迷ってしまった。「うーん。どれもこれもうまそうだぞ」

結局、吾輩は一番高い物を注文することにした。「これをくれ」吾輩は人間の店主に向かってそう告げた。「へい。まいどあり」と人間の声が返ってきた。吾輩はそれを受け取って背中のリュックサックの中に放り込むと、意気揚々と家路についた。

その途中のことだった。後ろから追いかけてくる足音が聞こえてきた。振り向くと男が一人いた。男は吾輩の前まで来ると立ち止まった。「ちょっといいですか」と男の声が響いてきた。「何の用か?」と吾輩は尋ねてみた。男はポケットの中から紙を取り出した。「このメモを見てきました」と男は言った。「ふむ。なんと書いてあるんだ?」と吾輩は尋ねた。「猫の好物と言えば猫まんまだろう。それを作れる料理人を探している。腕の良い料理人はいるだろうか」吾輩はしばらく考えた後で答えた。「それならば知り合いがいるかもしれない」と吾輩は答えた。男は嬉しそうな顔をした。「本当ですか。ぜひ紹介していただけませんか」と男に言われて吾輩は少し困ってしまった。「ただなぁ。そいつは人間だからな」と言うと男は少し考えて「猫まんまってどんな料理なんでしょう」と言った。吾輩は説明を試みた。「猫にとってのご馳走みたいなものだろうな。ご飯に猫の好きな物を入れて作るものだ。鰹節とか煮干しとか」と吾輩は言った。「なるほど」と男は呟いて考え込んでいた。やがて男は顔を上げて口を開いた。「分かりました。それじゃあよろしくお願いします」と言って去って行こうとした。吾輩は慌てて呼び止めた。「おい。どこへ行くつもりなんだ」と尋ねると男は答えた。「とりあえずはあなたの言う通りにしてみようと思います」そして吾輩に背を向けると歩き去っていった。

吾輩は家に戻ると早速、台所に向かった。そこには先程の人間が待っていた。「お待たせしました」と吾輩は言って調理に取り掛かった。まずは鍋を用意する。その中に水を入れる。次に鰹節を入れた。煮干しも入れた。そこに醤油と砂糖を加えて味を整えていく。最後に溶いた卵を回し入れると完成だ。吾輩はそれを皿の上に乗せるとテーブルの上に運んだ。それから椅子に座って食べ始めた。「うん。なかなか美味いな」と言いながら吾輩は完食してしまった。満足したところで吾輩は再び外へ出た。

その途中で吾輩は一人の老人と出会った。「やあ。こんにちは」と挨拶してきたので吾輩も返事をした。「ああ。どうも」すると老人は吾輩のことをまじまじと見つめてきた。「ところであなたはどうしてそんなに汚れているんですか? まるで何年も洗っていないみたいですけど」吾輩は自分の体を見下ろして確認してみた。確かに汚かった。「実は旅をしていたものでな」と吾輩は嘘を吐いた。「なるほど。旅人だったわけですね」と老人は納得してくれたようだ。「そういうことだ」と吾輩は適当に誤魔化した。

その後、老人とは別れた。しばらくしてから再び吾輩は外に出た。ちょうどその時、背後から足音が聞こえてきたので振り返ってみると、さっきの男がいた。「あの、すみません」と男が言ってきた。「何の用だ?」と吾輩が尋ねると男は言った。「猫まんまを食べさせていただきたいのですが」と。「ふむ。分かった」と吾輩は答えると家に戻った。そして完成した料理を運んでいった。「これは素晴らしい!」と男は感動した様子を見せた。それから男は料理を平らげてしまった。「ありがとうございます」と男は頭を下げた。「礼には及ばんよ」と吾輩は答えた。男は立ち去る前にもう一度、吾輩の方を向いてきた。「そう言えばまだ名前を聞いていませんでしたね」と尋ねられたので吾輩は答えた。「吾輩の名前はあぃをゅぇぴじだ」「えっと……どういう意味ですか?」男は不思議そうな顔をしていたので吾輩は答えた。「『あ』は猫の鳴き声で、『ぃ』は犬の鳴き声で、「ゅぇ」は湯気のことだと覚えてくれればいい」男は理解できたのか「なるほど」と答えた後に去って行った。

猫まんま

吾輩は家に戻ってくると早速、食事の準備を始めた。今回は猫用の缶詰を使った。中身は猫の好物であるマグロだ。それを皿の上に乗せて持っていくと、ゴルどんは尻尾を回転させていた。「うぉっ! こりゃ豪勢だなぁ」と嬉しそうに呟いていた。吾輩は席に着くと早速食べ始めた。ゴルどんも食べ始めていた。しばらく無心になって食べ続けていたのだが、突然ゴルどんは箸を置いてしまった。「あー。もう食えないぜ」と言うとそのまま寝転んでしまった。「どうしたんだ?」と吾輩は尋ねた。するとゴルどんは答えた。「腹一杯になってきたら眠くなったんだよ」と。なるほど。よく分からないがロボットにも色々とあるらしい。

吾輩はその後も食事を続けて満腹になった。だがゴルどんはまだ眠っていた。吾輩は暇だったので外に出ることに決めた。そこで散歩をしていると先程の男に出会った。「おお。また会いましたね」と話しかけられてしまった。吾輩は無視するのも悪いと思って「そうだな」と答えることにした。「ところでどうしてそんなに汚れているんですか?」と聞かれたので吾輩は正直に話した。「旅をしていたからだ」と答えると「それは大変ですね」と言われた。だがそれ以上は聞いてくることはなかった。

吾輩は再び家に戻ると食事の用意をすることにした。今度は肉じゃがを作ろうと思う。まず牛肉を用意する。次にジャガイモを用意して調理を始める。途中で包丁を使っている時に前足が滑って危うく指を切りそうになった。危なかった。幸い、すぐに治ったので怪我をすることはなく、無事に料理が完成した。吾輩は皿に盛り付けると、ゴルどんを呼びに行った。「おう。飯かい? いい匂いだぜ」とゴルどんはすぐにやってきた。だがゴルどんの前には吾輩の分の食器しか置いていなかった。「あれ? オイラの分はないのかい?」と聞かれたので吾輩は答えた。「すまない。今作っているところだ」と。するとゴルどんは尻尾をくるりと回転させた後で「分かったぜ」と言った。そして吾輩の分まで用意してくれた。ありがたいことである。「それでは頂こう」と吾輩達は食事を開始した。相変わらず美味かった。

食事が終わった後はゴルどんと共に風呂に入った。風呂場でゴルどんは「この体は便利だけど不便でもあるぜ」と言っていた。「なぜだ?」と吾輩が尋ねるとゴルどんは答えた。「だってさ、人間みたいに手があるけど、物を掴むことができないから洗うことなんてできないだろ」とのことだった。確かにそうである。しかし吾輩はゴルどんに言った。「いや、できるぞ」と。ゴルどんは驚いていた。「本当なのか⁉」と。吾輩は答えた。「ああ。ほれ」と言って泡のついたタオルでゴルどんの体を擦り始めた。ゴルどんは驚いた様子だった。「おぉっ! 本当にできているぜ!」と叫んでいた。その後は二人で楽しく洗いっこをした。

それからしばらくして、吾輩は寝床に行くことにした。ゴルどんも一緒に行くというので一緒に向かった。布団の中に入るとゴルどんは「うぅん……眠いなぁ」と呟いていた。吾輩も眠たくなってきたので眠ることにしようと思った。その時である。突然家の扉が開いたのだ。入ってきたのは女性であった。その女性はこちらを見て言う。「あぁっ! こんなところに居たんですか!」とその声はとても怒っていた。吾輩は慌てて答える。「なんだ貴様は」と。すると女は答える。「私はあなたを探していたんですよ」と。なんだろうと思いながら吾輩は質問する。「吾輩を探していたというのか?」と。すると女は答えた。「そうです」と。吾輩はその女の服装に目を向けた。和服と呼ばれる服を着ていたのだ。だが吾輩の記憶にはないものだったので尋ねた。「お前は何者なのだ?」と。すると女は答えた。「私は黒猫です」と。吾輩はそれを聞いて納得した。なるほど、だから黒猫と名乗ったのかと。

その後、吾輩はゴルどんの方を見た。ゴルどんは「あぁ……また来たよ……」と言いながら耳を伏せさせていた。どうやらこの黒猫の女はこの家の住人らしい。吾輩はゴルどんに聞いた。「知り合いか?」と。するとゴルどんは答えた。「知り合いじゃないんだけどな……。まぁ、いつも来るんだよ。迷惑だよ全く」と。そして黒猫のほうに視線を向けると「おい、頼むから出て行ってくれないか?」と言った。だが、黒猫は答えた。「嫌ですよ。今日はここに泊めてもらうつもりで来ましたからね」と。それを聞いたゴルどんは尻尾をくるりと回転させると「帰れ」と言った。だが黒猫はそれを無視していた。そんなやりとりを見ていた吾輩は二人に提案してみた。「ならば三人で寝ればいいのではないか?」と。それを聞くと二人は顔を見合わせていたが、すぐにゴルどんが「それもそうだな」と答えた。そして吾輩達は三人で仲良く眠りについた。

次の日になった。吾輩は目覚めた後でゴルどんと一緒に家を出た。「じゃあ、行ってきますぜ」と言うので吾輩は「ああ、気をつけてな」と返事をする。それからしばらく歩いていると後ろから声をかけられた。振り返るとそこには黒猫の姿があった。「おはようございます」と挨拶をしてきた。吾輩は「ああ」と答えて再び歩き出す。そのまま歩いていくと大きな建物が見えてきた。そこは学校というところだった。そこに辿り着くと、中に入る。それから授業を受けたり、給食を食べたり、体育をしたり、勉強したり、昼寝をしたりした。

それから数日が経過した後のことである。吾輩はゴルどんと会話をしていた。その時、ゴルどんが言った。「あの人、最近よく見かけるけど何やってるんだろうな」と。吾輩は答える。「さぁ、吾輩にはわからないが」と。ゴルどんは続けて言う。「もしかしたら、何か悪さを企んでいるんじゃねぇかな」と。吾輩は答える。「もしそうなら吾輩達が何とかせねばならなくなるぞ」と。

それからさらに数日後のこと、吾輩はゴルどんと共に家に帰ることにした。道中、吾輩はゴルどんに話しかけた。「なぁ、ゴルどん」「なんだい? 兄貴」とゴルどんが答える。吾輩は言う。「お前はどうして学校に通わないのだ?」と。ゴルどんは答える。「俺っちは学校になんか行きたくないんでさ」と。吾輩はそれを聞いて尋ねる。「何故だ?」と。するとゴルどんは答えた。「だって、行ったって楽しくないし」と。吾輩は続けて質問する。「それはなぜだ?」と。それに対してゴルどんはこう答えた。「だって、友達がいないし、それに……」とそこで言葉を止めると、俯いて黙ってしまった。その様子から吾輩はゴルどんの気持ちを察することができた。「寂しいのだろう?」吾輩はゴルどんに向かってそう問いかけた。するとゴルどんは少し驚いたような表情を見せた後に「……うん」と答えた。吾輩はそのゴルどんの様子を見て思ったことを素直に伝えることにした。「大丈夫だ。吾輩がいるではないか」と。それを聞いたゴルどんは再び驚くと「……ありがとう」と言って尻尾をくるりと回転させた。

(終)

(了)



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