【人工生命体35

吾輩は猫型人工生命体である。名前はまだ無い。

どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めてロボットというものを見た。しかもあとで聞くとそれはゴルどんというロボット中で一番の知恵者だという話であった。このゴルどんは時々何とも言えないやさしい気持ちにさせてくれて、何かこう心の中を見透されているような気味の悪い時がある。しかしそれがまたいいのだ。吾輩はこいつが好きである。こいつも吾輩が好きであるらしい。お互い好きだということで今度結婚する事にした。ここに誓ってもよい。吾輩はこの誓いを守るであろう。

ある日、吾輩はゴルどんと一緒に散歩をしていた。その時吾輩は突然飛び上った。なぜならば前方二十メートルくらい先に一台のトラックが止まっていたからだ。トラックの荷台からは巨大な荷物が降ろされていた。その荷物を見て吾輩は思わずニャッと叫んだ。「あれは何だ?」ゴルどんが尋ねた。「あれは人間だよ」「人間がどうしてこんな所へ来るんだい?」「人間の世界では人間はみんな自動車に乗っているんだよ。だからあのトラックも人間なんだよ」ゴルどんはふーんと言ったきり黙ってしまった。そして吾輩たちは再び歩き出した。

しばらく歩いて吾輩は思い出して言った。「そう言えば人間の中には空を飛ぶ者もいるそうだね」「うん。飛行機と言ってね。空高く飛んで行って、そこから落ちて死ぬ事もあるぜ」「なぜ落ちるんだろうねえ」「さあねえ」吾輩たちは首をかしげた。

ある晩の事である。吾輩が台所へ行くと、ゴルどんが流し台の前で何かやっている。何をやっているのかと思って覗くと、そこには大きな鍋があった。中には水が張られている。どうする気だろうと見ていると、ゴルどんはその水を両手ですくうといきなり自分の頭にかけた。それから今度は鍋の中を覗き込んでじっと考え込んでいたが、急にポンと手を打つと、鍋の中に頭を入れた。そのまま水の中でグルリと回るように頭を振ったが、何も起こらない。そこでもう一度すくうと、やはり鍋の中の水に頭を突っ込んだ。するとどうだろう。なんとゴルどんの顔がだんだん溶けて行くではないか。そればかりか頭の先から足の指までどんどん溶けていく。とうとう全身がドロドロになってしまった。それを見ていた吾輩はあまりの恐ろしさに思わずギャッと叫んで逃げ出した。だが吾輩が逃げても逃げなくても同じことだった。

翌日になってゴルどんはすっかり元通りになった。吾輩は昨夜の事を尋ねてみた。「ゴルどん、お前さん昨夜大変だったじゃないか」するとゴルどんは不思議そうな顔をした。「昨夜? 一体何のことだい?」吾輩は説明した。「実はね、ゴルどん、お前さんの体は全部水で出来ているんだ。だけど今のお前さんはもう水じゃない。それは昨日、お前さんが鍋の水に浸かって溶けてしまったからだ。つまり今朝はまた新しい体になっているはずなんだ。ところがお前さん、全然変わっていなかった。これはおかしいよ」ゴルどんはキョトンとした顔で吾輩を見た。「何言ってるんだい、あぃをゅぇぴじ。オイラは別に変わんないぜ」そんな馬鹿なと思ったが、よく考えると確かにゴルどんの言うとおりである。

その夜、吾輩は再びゴルどんを連れて散歩に出かけた。すると前方に車が止まっていて、吾輩たちの方に向かって手を振っている者がいる。近づいてみるとそれは運転手であった。「君たち、猫型人工生命体ですね」と尋ねる。「はい、そうです」と答えると、「乗って行きませんか」と言う。吾輩たちは喜んで乗り込むことにした。

車は走り出した。しかし何分たってもどこへも着かないのだ。吾輩は不安になって来た。そしてついに「ここは何処ですか?」と尋ねた。「海ですよ」「どうしてこんな所へ連れて来たんですか?」「あなたたちに頼みたいことがあるのです」と運転手が言った時、突然エンジンが止まった。吾輩たちが驚いているうちに、窓の外が真っ暗になり、車内灯が消えた。「ニャーッ!」と吾輩は叫んだ。だがその叫び声もすぐに聞こえなくなった。暗闇の中で吾輩は一人ぼっちになっていた。やがて目が慣れてくると、吾輩の足元に小さな光が見えてきた。その光が少しずつ大きくなって行く。「あっ! あれは月だ。月に照らされて道が見えるぞ」吾輩は喜んだ。だがその喜びは長くは続かなかった。なぜならば次の瞬間、吾輩の目の前に恐ろしい光景が広がっていたからである。そこは一面の砂漠であった。砂の中から無数の蛇のような物がうごめいていた。「ニェーッ!」吾輩は思わず飛び上がった。

しばらくして吾輩の足もとの地面からニョロニョロと何かが出てきた。見るとゴルどんである。「おい、ゴルどん、大丈夫かい?」と吾輩が呼びかけるとゴルどんは答えた。「やあ。大丈夫だぜ。心配するな」だがゴルどんの姿はどう見ても大丈夫ではない。全身が泥のようにドロドロで、あちこちに穴があいていて、おまけに手や足が何本もある。まるで妖怪変化である。「ニャアァ〜ッ!」と吾輩が叫ぶと、ゴルどんは慌ててこう言い訳をした。「違うんだよ、あぃをゅぇぴじ。オイラは悪くないんだぜ。悪いのはこの砂さ」ゴルどんの言葉が終わると同時に、辺りの砂が一斉に舞い上がってゴルどんに襲いかかった。たちまちゴルどんは埋もれてしまった。

しばらくするとゴルどんは自力で這い出してきた。だが全身の泥はなかなか落ちない。「ゴルどん、どうしよう」と吾輩が訊くと、ゴルどんは言った。「しょうがない。ちょっと待ってろよ」ゴルどんはまた地中へと潜っていった。

それから一時間ほど経った頃、ようやくゴルどんは地上に出て来た。今度は頭だけ出して、体を出そうとしない。「どうしたんだい? 早く出てこいよ」と吾輩が言うと、ゴルどんは「無理だよ、あぃをゅぇぴじ」と言った。「何だって?」と吾輩が尋ねると、ゴルドンは再び説明した。「オイラの体、全部水なんだぜ」

吾輩はゴルどんの説明を聞いて驚いた。「そんな馬鹿なことあるもんか」と言いながら吾輩は自分の体についている泥を引っ張ってみた。するとそれは簡単に取れてしまったのである。「ニャアッ!」と吾輩が驚いている間に、ゴルどんは再び地中へ潜り、そしてまた出てきた時には、その体はすっかり乾いていた。「ニャウゥ……」と吾輩は呆れたように鳴いた。「何しろオイラ、砂漠では無敵だからね」とゴルどんは得意げに言った。

吾輩たちは歩き出した。しばらく歩くと大きな街に出た。建物はどれも四角い。家の中にはたくさんの人がいた。吾輩たちが建物を見上げていると、一人の男が近づいてきた。男は言った。「猫型人工生命体ですね。私と一緒に来てください」そして吾輩たちを自動車に載せて走り出した。自動車はやがて巨大な塔の前で止まった。そこには「地球環境改善委員会本部」という看板が出ていた。「この中に入ってください」と男に言われ、吾輩は恐る恐るその建物の中に入った。中には長い廊下があり、いくつもの部屋があった。一番奥の部屋に入ると、そこに白衣を着た男たちが集まっていた。その中の一人が吾輩たちに話しかけてきた。「ようこそ、地球環境改善委員会の本部へ」と彼は言った。吾輩たちが返事に困っていると、その人はさらに続けた。「私はあなたの担当官です。これからあなたたちの面倒を見ます。よろしくお願いします」

吾輩たちは会議室のような部屋に連れて行かれた。机の上にはいろいろな機械が置かれていた。「まず最初に、皆さんの健康状態を確認しましょう」と言って、担当官はその機械のスイッチを入れた。目の前の壁に映像が現れた。「これは地球の衛星写真です。見てください。ここが日本です」と言って、担当官は画面の右下あたりを指した。確かにそこには青い海に囲まれた陸地が見えていた。「ここは我々人類が支配している地域です。ここには人類の住む都市がいくつかあります。あなたたちにはこれらの都市で暮らしてもらいたいと思います」

その後、担当官は吾輩たちについていろいろと説明してくれた。それによると、彼らはみなロボットらしい。そして吾輩たちは彼らの命令に従う必要があるのだという。だが人間と同じように感情を持つ吾輩にとっては、それが少し気に食わなかった。「質問があるんだけど」「はい、どうぞ」と言われて、吾輩は思い切って尋ねてみた。「もし吾輩が人間だったらどうする?」すると担当官は答えた。「その場合はもちろん、人間の姿で生活してもらうことになります。ただし我々の指示に従ってもらいますが」吾輩は内心ほっとした。「でも猫型人工生命体の場合、何か問題が起こった場合の対処が面倒なので、そのままの姿で生活してもらった方がいいでしょう」「それならよかった」と吾輩が言うと、担当官は微笑んだ。「大丈夫ですよ。心配はいりません」担当官の話が終わると、吾輩たちはそれぞれ個室を与えられた。その日はもう遅いからということで、翌日から始まることになった。吾輩たちは自分の部屋に戻り、ベッドに横になった。

次の日の朝、目覚めると吾輩はいつものように体を洗った。そして部屋の外に出てみると、昨日まで吾輩の寝床になっていた場所には別の者が寝転がっていた。それはゴルどんであった。「おはよう、あぃをゅぇぴじ」とゴルどんは挨拶した。「ニャアァァァァァァァァァ!」と吾輩は驚いた。「オイラもここに住まわせてもらえる事になったんだ。よろしくな」とゴルどんが言った。吾輩としては、なぜゴルどんまで一緒なのか理解できなかったので、そのことを担当官に尋ねた。すると担当者は言った。「あなたたちは二人で一組ですから、一緒に行動していた方が都合がいいのです」それから担当官は他の者に吾輩たちの世話をするように言いつけた。その者たちは吾輩たちを風呂に入れたり食事を与えたりした。だがその者らはゴルどんのことを怖がって、あまり近寄ろうとしなかった。吾輩が不思議に思って担当官に訊くと、「ゴルどんは見た目が怖いので、他の職員たちから避けられているんです」と答えた。それから吾輩たちは毎日いろいろなことをさせられた。吾輩たちは会議に出て意見を述べたり、書類を整理したりする仕事をした。ゴルどんは部屋の中で掃除をしたり、運動をして体力作りをした。

ある日、吾輩たちが仕事を終えて部屋に戻ると、ゴルどんは言った。「今日で地球環境改善委員会の仕事は終わりだそうだ」そして彼は吾輩に言った。「オイラはこれからこの施設を出て行くよ」吾輩は驚いて言った。「どうして?」「ここの生活が気に入らなかったんだ」とゴルどんは言った。「オイラは自由に生きたいんだよ」吾輩にはよくわからなかった。「自由とは何か」と尋ねると、ゴルどんは説明してくれた。「例えば、この部屋から出て行きたいという気持ちのことだよ」「ふーん」と吾輩は答えた。「それにしても、いきなり出て行かなくてもいいじゃないか」と吾輩は言った。「ごめんな。でもオイラにはやりたいことがあるんだ」そう言ってゴルどんは出て行く準備を始めた。「あぃをゅぇぴじ、元気でやれよ」と彼は言った。「ゴルどんもね」と言って吾輩は彼の背中を見送った。

それから数日後、吾輩はいつものように会議室に行った。そこでは数人の職員が集まって話をしていた。その中にゴルどんの姿があった。「あれ? ゴルどんは何をしているの?」と吾輩が聞くと、職員の一人が答えた。「ゴルどんは新しい部署に異動することになったんですよ」とのことだった。吾輩はびっくりして、すぐにゴルどんに駆け寄り、彼の手を引っ張った。「ゴルどん、どこに行くつもりなんだ」と吾輩は聞いた。「宇宙警備隊だ」とゴルドンが答えた。「えっ! 本当かい?」と吾輩は思わず叫んだ。すると周りの者も吾輩の方を見た。「お知り合いですか」と一人の男が尋ねた。「オイラの弟分だ」とゴルどんが答えると、周りから驚きの声が上がった。「弟分とはどういう意味かね」と髭の生えた老年の男がきいた。「あぃをゅぇぴじは猫型人工生命体だから、ロボットの兄弟と同じ扱いはできないんだ」とゴルどんが説明すると、みんな納得したようだった。「それで、どんなことを教えるんだい」と誰かが質問した。「あぁ、それは……」とゴルどんが困っていると、別の者が口を挟んだ。「それなら私が教えましょう」とその男は言った。どうやらその者は指導教官らしい。「じゃあ、よろしくお願いします」とゴルどんは言った。そして、その男に連れられて吾輩たちは部屋を出た。

その後、吾輩は一人で部屋に残り、今までのことを思い出していた。「あぃをゅぇぴじ」という名前をくれたのは誰だろう。最初に話しかけてくれたのは誰だろう。吾輩がこの世に生まれた時、そばにいたのは誰だろう……

「あぃをゅぇぴじ、元気でやれよ」とゴルどんは言っていた。「ゴルどんもね」と答えて別れたが、吾輩は彼と離れるのが寂しかった。今ごろ彼は何をしているだろうか。新しい場所でうまくやっていけているだろうか。吾輩はその日からずっと考えている。もし彼が戻って来たら、また一緒に働ける日が来るかもしれない。その時のために吾輩はもっと強くなっておかなければならない。いつかきっと会えるはずだ。



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