【人工生命体37

吾輩は猫型人工生命体である。名前はまだ無い。

どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めてロボットというものを見た。しかもあとで聞くとそれはゴルどんというロボット中で一番の智能だということだ。そのゴルどんに吾輩は拾われて育てられたのだ。このゴルどんというのが実に厄介なやつであった。第一印象は何ともいえずにいやな感じだった。まず大きさが猫の三倍はあるし、顔も何だかいかつくて、おまけに歯までむき出しにしてガチガチ鳴らすものだから、とても近寄り難かった。しかし、しばらく一緒にいるうちにだんだんと慣れてきた。それどころか、いつも吾輩のそばに居ていろいろ世話を焼くので、まるで母親のような存在になった。ただ一つ気に入らないことは、ゴルどんときたら自分の事を吾輩と同じ人工生命体だと思っているらしいことだ。

ある時、吾輩はゴルどんに連れられてどこかへ出かけた。そこは暗くて寒い所だったが、そのうちだんだん明るくなってきた。どうやらトンネルに入ったようだ。やがて明るい所に出たと思ったら、目の前に大きな建物が見えた。建物の入口ではたくさんの人が何か待っていた。

ゴルどんはその建物に入ると、まっすぐ受付に行き、「この子です」と言って吾輩を紹介した。「ほう、三毛ですか」「そうですよ。珍しいでしょう」受付の女は吾輩をまじまじと見ると、「ええ、なかなかいないですね」と言った。

それからゴルどんと一緒に部屋に入って、いろいろな検査を受けた。その結果、吾輩は正式に『あぃをゅぇぴじ』と名付けられた。吾輩は別に嬉しくもなかったのだが、なぜかゴルどんは喜んでいた。

こうして吾輩は『あぃをゅぇぴじ』となった。

その後、吾輩はゴルどんと共に色々な場所に連れて行ってもらった。そして、いつの間にかゴルどんとはすっかり仲良くなった。ゴルどんはいつも吾輩を肩に乗せてくれたり抱っこしてくれたりした。だから吾輩はゴルどんの事が大好きになった。

ある日、ゴルどんに連れられて、また知らない場所に行った。そこには大きな建物が建っていた。建物は白い壁に覆われていて、窓がいくつかあった。ゴルどんの話によるとこの建物は病院というところだという。ゴルどんは「病気とか怪我したらここに来ればいいんだぞ」と言っていた。

ゴルどんと別れてからしばらくすると、一人の人間がやってきた。人間の男は吾輩を見て言った。「こんにちは。猫ちゃん」人間は吾輩に近づいてきた。人間はとても背が高かった。それに髪の毛が長くて、まるで蛇みたいだった。その長い髪の間から二本の長い耳が突き出していた。よく見るとそれはウサギの耳だった。

「ねえ、君、迷子なの?」人間は吾輩の頭を撫でながら話しかけてきた。吾輩は首を横に振った。迷子ではないからだ。しかし、人間に説明するのは難しいので、とりあえず吾輩はニャアと鳴いた。

「ふーん。じゃあ、君のご主人様を探しているのかな? お家に帰る途中なの?」今度は縦に首を振る。

「そうなんだね。ところで君はどこから来たの?」吾輩は答える代わりに尻尾をくるっと回した。

「うーん、わからないのか。困ったなぁ。名前もわからないんじゃ……。そうだ!ちょっと待ってて!」人間はそういうと走ってどこかに行ってしまった。吾輩はその場で大人しく座っていることにした。しばらくして戻ってきた人間は吾輩に名刺を差し出した。

「僕の名刺だよ。これがあれば、どこへ行っても大丈夫だからね。いつでも遊びにおいで」

吾輩は礼を言うように頭を下げた。そして、人間の手に顔を擦り付けた。人間は吾輩を優しく抱きしめると頬ずりしてきた。その時、吾輩は何か良い匂いがするのを感じた。吾輩は思わずクンクンと鼻を動かした。その匂いは、今まで嗅いだ事の無いような不思議な香りだった。それは吾輩にとって初めての体験であった。

吾輩はこの人間ともっと一緒にいたいと思い始めた。しかし、残念なことに時間切れのようだ。吾輩の身体が少しずつ薄くなっていく。

吾輩はもう一度、感謝の気持ちを伝えるために人間に抱きついた。すると人間は吾輩を離すまいとして強く抱きしめてきた。

「ああ、行かないでくれよぉ。僕は君の名前をまだ聞いていないんだよ」

「ニャーオ」

吾輩の身体はもう消えそうになっていた。

「ニャーオ、ニャーオ……

吾輩は最後の力を振り絞って声を出した。

「何だい? なんて言っているんだい? お願いだ、もう少しだけここに居てくれよ……、あっ、消えた。行ってしまった」

吾輩はどこか遠くへと去って行った。

(了)



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