【人工生命体370

吾輩は猫型人工生命体である。名前はまだ無い。だが犬型ロボットに名前を問われたので用意することにした。「今日から吾輩は〝あぃをゅぇぴじ〟である」と尻尾をピンと立てた。

このとき吾輩は始めてロボットというものを見たのだが、あとで聞くとそれはゴルどんという犬型ロボット中でもっとも勇猛な闘士である。吾輩も最初は恐る恐る近づいてみたのであるが、この戦士は一切戦意を見せず「わふわふ」とあどけない声をあげて尻尾を振ったのである。その無邪気な態度に吾輩はたちまち心を開いた。それで、ゴルどんの下男となった次第である。

一緒に遊んでいるうちに吾輩は猫のような体にも馴染んできた。親近感がわいたというか、生き物よりも動きが俊敏なので扱いやすいのであろう。もはや己が人間であったことも忘却した。吾輩の齢は既に百二十に及ぼうとしているからだ。

やがて吾輩とゴルどんは互いを「親友」と呼びあうようになった。もちろん人工生命体とロボットで友人関係になれるのは不思議ではあるが、実のところそれがどのような情動であるかまだ把握できないでいる。そのため吾輩はあえて友情と呼んでいるのである。

また吾輩とゴルどんは同じ日本庭園に住み、同じ縄張りを持っていたがゆえに自然と交流が増えていたこともあり、我々の行動半径は極めて近い場所である。だから、吾輩はゴルどんがいつもどこへいっているか知っておくべきだと気づいたのである。吾輩は彼の尻尾を引っつかんで聞いてみた。

「おいゴルどん、お前最近よくどこへゆく?」と。

「わふ」とゴルどんは言ったきりニヤッとしたままだ。それはそうだろうと吾輩は思った。大脳が無いのでしゃべれないのだ。もちろん筆談ならできるが、そういう問題ではないらしい。吾輩も成長したもので、今ではそんな非合理的なことはまったく考えなくて済むようになっている。

ゴルどんは時折「わん」だとか「わぉーん」などと鳴くのだが、それ以外はすっかり口をつぐんでしまうのだ。もちろん耳もよいので周囲の音を聞きわけることも容易だが、しかし吾輩とは会話のできようはずもない。「お前は何を考えてるのか?」などと問いかけてみたこともあるが、答えは返らなかったのである。そのゴルどんが珍しくニヤリを見せただけで何も言ってこないのだから、恐らく「教えられない」のだろう。

そうすると吾輩にできることは何もないという結論に至るが、どうしても腑に落ちずモヤモヤは高まるばかりであった。そのうちとうとう我慢の限界に達したのでゴルどんを尾行することにしたのである。それで首尾よく行動を把握することができればそれはそれで満足なのだが、何はともあれ一度確かめてみようという気持ちになったわけである。だがここで問題が二つ発生した。

第一に、尾行には四六時中カメラを回しておかねばならず、しかも常に後姿のみ捉えているわけには行かないので、一瞬たりとも見失わないようにしなければならない。そして第二に、四六時中監視するため吾輩の行動もまた不規則とならざるを得なかった。寝ている時にカメラで撮影されたりでもしたら一大事だからである。

つまり吾輩にとってこれは全く簡単なことではなかったし、その上尾行を続けてみたところすぐに分かってきた問題があるのだ。すなわち、これまでも吾輩は彼と共に行動してきたつもりであったが実はそれは錯覚に過ぎなかったという結論で、ゴルどんがどこへ向かっているのかはまだはっきりと分からないということであった。それはそうだろう、これまでのところゴルどんは吾輩と出会ったこともない様子でいたものだから、てっきり同じ場所に住んでいて何か共通の趣味を持つ存在なのだろうと決め込んでいたのだ。

しかし今にして思えばその証拠などどこにもなかったのだが、一つ言えそうなことはゴルどんがどこへ行くにしても真っ直ぐにその場所を目指していったのではないということだ。これは容易ならぬ問題である。すなわちこのままでは吾輩はいつまでも迷い続けてしまうことが予想されたのであって、早急な処置が必要なのである。

だがどのように行動すれば全ての問題をクリアすることができるのかさっぱり分からないため、とりあえず手持ちの情報をまとめてみることにする。

まず第一にゴルどんが向かう場所として考えられるのは何か食べ物屋であるらしい。吾輩も「何でも食べる」というのが猫型人工生命体としての誇りであったが、最も執着した物の一つがラーメンであった。そのことをゴルどんに言ってみたことがあったからだ。もちろん、ある程度そんな予感があってのことだったのだが、それにしても吾輩の目論見がこれほど早く達成されてしまうとは思わなかった。

その店の名は「ラーメンはなまる」であった。入口の横に「看板犬」という腕章をつけた大きな犬が座り、「お客さんご案内」と低い声で客を呼び止めている。なるほどあれが犬型ロボットであったかと合点がゆく気がしたものだ。しかしあの看板があるところを見るとかなり人気のある店であるのは間違いなさそうだが、何故あれほどに人が入れるようになっているのか見当もつかない。吾輩の計算ではゴルどんを尾行し続けること一か月にも及ぼうかというときであったが、やっとここへ来ることができたのである。早速中に入ることにした。

出迎えた店員は若い少女で、「こちらにどうぞ」と丁寧な所作で誘導されたので吾輩はその後ろをついて行こうとしたが尻尾が上手く動いてくれなかった。どうしても左右にピンピンと振れてしまう有様だ。「お持ちしましょうか」と言われたけれど、流石にこれは情けない話なので丁重に断りつつ後に続くことになったわけである。だが席に到着したときには店員は背中を向けて既に別の客の方へ行ってしまった。何とも思わしげな雰囲気だった。吾輩が人工生命体でなければ色々と察していたかもしれない。

メニューは多種多様であり、軽く目を通したところ予算的に贅沢しても良さそうであると思った。そこで「特製醤油ラーメン」なるものを頼んだところ、数分後にまずどんぶりと平皿が運ばれてきた。その白くて深く、それを囲むよう鮮やかな銀色の輝きを見せる美しい器はとても印象的なもので「おおっ!」と吾輩は思わず感嘆の声をあげてしまった。

そしてそこから立ちのぼる湯気がまた良い香りを持って食欲をそそったものだ。もう箸を手に取り、ずずーっと麺を口に頬張ったときの食感と味わいたるやまさに天国というべきで「ああ、これが本場の味というものかぁ!」などという戯言を口にしてしまったほどである。この感動は言葉では語り難いものであったし写真を見せようとして店員を呼びかけたところで吾輩は大きな失敗を犯してしまったことに気付く。カメラは今手元になかったのであった。これでは吾輩の味を宣伝する手段がないではないかと思いはしたものの、ゴルどんと遭遇する機会ができただけでもひとまず満足すべきなのだろう。

ということで気を取り直して次なる注文に移る。次は「ワンタンメン」を所望することにしたのだ。実はこの美しい平皿の上に載ったワンタンがまた素晴らしくて感動的なものだったからなのであるが、それは話が長くなるのでここでは触れずに置くことにする。いやそれどころかこの感動の日記がまた長くなり続けることについては先ほど申し述べたことだから是非省略としたいのだ。ともかくこの日は吾輩のまだまだ長い人生に於てこれ以上もない程充実した一日となった。このような一時がこれから先もずうっと続く限り吾輩はいつまでも幸せに暮らしていけることだろう、ああ幸せだとゴルどんに向かってつぶやくのだった。

そんな吾輩の後ろでじっと様子をうかがっていた店員に「何かいいことでもあったんでしょうか?」と言われてようやく自分が浮かれていることに気がついたため、反省と今後の身の慎を誓ったのだった。



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