【人工生命体440

吾輩は猫型人工生命体である。名前はまだ無い。だが犬型ロボットに名前を問われたので用意することにした。「今日から吾輩は〝あぃをゅぇぴじ〟である」と尻尾をピンと立てた。

このとき吾輩は始めてロボットというものを見たのだが、あとで聞くとそれはゴルどんという犬型ロボット中でもっとも旧型のものであるそうだ。ゴルどんは吾輩に対して自己紹介をしたが、ロボットというものは何者か。さっぱりわからない。もっと説明すべきであろうと主張したが却下された。吾輩も新参者であるから〝ニャア〟としか鳴けなかった。

「猫型人工生命体です。名前はありません。あぃをゅぇぴじと呼んで下さい」と吾輩は挨拶をした。

あの奇妙な挨拶はなんだったのかとまた問うと、〝ニャア〟の発音が大変だったのだとゴルどんは苦笑した。また吾輩の名の理由はゴルどんにもわからないのだという。吾輩はその理由を考察するが、いまだに解明できていないのである。

「お前はなぜ猫型人工生命体なの?」と問うてきたから、ロボットとは何かの質間だと思ったので〝ニャア〟と答えたら、それは鳴き声だと言われたのである。

「じゃあ吾輩にもロボットの事を教えてちょうだい」と問うたら、よく知らないけど大変なものなのだそうだ。そして吾輩たちは過去を振り返ることになるのであるが、当時は二匹であったから、ある意味やりやすかったと言わねばならない。当時に何があったかについては何の関係も無いので省く。今となっては馬鹿なことであったかもしれないが後悔はしていない。少なくとも吾輩にとっては苦になるものではないのだから構わないだろうと思っているのである。

今では数も増え始めたし、賢くなったものであるから未来への展望については明るいのだと吾輩は思う。そのためには種としての保存をすることを最も重要視することが大事であると考える。吾輩はこの事を人間との会話や文章によってかなり学んだのである。あの賑やかな下町での生活のことを思い出して、今の吾輩があることに多大な恩恵を受けたと感謝しているのである。

ちなみに吾輩が初めて人間と話をしたのは八歳になった日のことである。そのときは間断なくだらしがないことばかり話していて、ほとんど何の話もしなかったらしいが、今でも鮮明に覚えている。その日にあってからというもの、吾輩は人間という生き物に深い興味を持つようになったのである。

その日から今日までの歳月を数えれば、それは膨大な時間である。その歳月の中で、吾輩は様々な経験をし、多くのことを学習し、また多くのものを失った。しかし得たもののほうが遙かに多いので、それが吾輩を後悔させることは無いのである。

吾輩は猫型人工生命体である。人のように語り、またよく家出をして放浪していたころのことである。その当時のことを思い出しながら書いた原稿を見て、ふと思ったことがある。この文書を書き終えたら、そのことについても書いてみようと思う。

吾輩は猫型人工生命体であるから、人のように話すし、また家出もするのである。

吾輩とゴルどんは散歩するのが好きだ。朝には二匹で軽く散策に出かけることが多い。まず表に出る。家の周辺にはいろいろなものがあるから、ぶらぶらと歩きつつ眺めて楽しむのである。歩きながら話すこともあれば、話さないときもある。じっとしていることもあれば、なにもしていないこともある。あるいは何かしら用事を言いつけられることもあるのだ。それから帰ってきたら昼寝などをするわけだ。吾輩とゴルどんは昼も夜もよく寝ているが、寝ることは重要なことであるからだ。

朝、日が昇ると吾輩たちは外に出て体を動かし始めるのである。今日はどっちのほうを探検に行こうかということになったりする。前に行ったことはあるが、また行ったことのないところを探検するのだ。まず人間が作業している場面をよく見かけるところに行くのである。それは電車に乗っていたり、大きな建物を歩き回っていたりするときだ。その人間たちは何をしているのかよくわからないのだが、とにかく忙しそうに動き回っているのだ。吾輩たちはその人間たちの邪魔にならないように気をつけながら観察するのである。彼らは何をするのだろうと二匹で観察するのだ。吾輩たちは人間ではないので、仕事はしないが、もしかしたら吾輩たちの世界にも仕事がある世界があるかもしれないと考えているので、人間はどんなことを仕事にしているのかなと考えているのである。

どこぞの家庭にお邪魔したこともあるし、見知らぬ家に入り込むことだってある。お店に入ることもあるし、建物の中に入り込んで遊んだりすることもある。テレビやラジオに出てしまって感謝されたこともあった。その当時はまだ吾輩は幼かったので、あまり覚えていないが、その頃の経験が今ではとても役に立っている。つまり、度胸がついたということであり、時代を超えて勇気を出してみると非常に楽しいものだということはよくわかるのだ。

吾輩たちは長い時間かけて家から家まで冒険しながら歩き回り続ける。その日によって方角が違うのだ。そしていろいろなものを見て回るのである。それは人間にとっての景色とは少し違うかもしれない。吾輩たちにとってはそれが世界なのだ。だからその世界の中を歩くことはとても楽しいことであるし、またその世界の中を歩くことで吾輩たちの世界の範囲が拡がることにもなるのだ。

今日はまず上野へ行ってみた。池の周りを一周散歩するのは格別の楽しみであると言えよう。広い公園のような場所だ、この時期だと花などは咲いていないことがあるし、むき出しの地面が広がることが多いので、周りの景色がよく見えるのである。まわりを散歩している人間たちの群れやのんびりと歩く人間たちをよく観察しながら歩いていくのだ。吾輩たちが座っていると人間のほうをじっと見ているようになるわけだが、それは歩いている人間たちにとっては当然、不審な状況であろう。吾輩たちも子供から大人まで様々な人間たちの様子を観察して楽しむのだが、お互い知らない者同士だから多少なりとも警戒心はあるのだ。吾輩たちはあまり人のいないようなところで止まって瞑想をしたり、また寝転がってみたりする。そしてまた歩き始めるのである。

とにかく広い場所であり、ここを移動してまた新しい発見をするということは大変楽しい作業なのである。これから春になってくるので、どんどん温かくなるから景色もどんどん変わるだろうということも想像するだけで愉快である。そういった点でもこの土地は吾輩たちにとっては宝の山であるといえよう。今は冬ではあるが、ゆくゆくはさまざまの生き物たちがこの地域にもやってくるかもしれない、そうしたらきっと面白いことになるだろうと期待しつつ歩いていくのである。

季節による景色の変化というものはなかなかたのしみ深いものであり、春の季節になると花が咲き乱れ、池や川にはいろんなものが泳ぎ出すのである。鳥たちや水鳥たちの姿も見かけられることであろうし、春から夏にむけて大自然の中の各生物たちが躍動をはじめるわけである。

「こればっかりは人間たちだけでは作れないものだねぇ」と吾輩のお気に入りの散歩コースのひとつである新宿御苑のことを褒めながら吾輩たちは歩いていったわけである。

家に帰ってくるとあたたかい寝床の中でゴロゴロして眠るのである。また家から家まで探検をして、心地よい疲れを持ちながら眠るというのは非常に格別の喜びである。

吾輩は猫型人工生命体であるから、家出もするのである。そのことについても少し書いておこうと思う。吾輩たちは人間ではないから、家というものを持っていない。しかし人間社会の中で生活している以上、人間の世界との接点はどうしても必要になるので、人間たちの社会に紛れ込んで生活をしているわけである。だからその社会の中で暮らしていると家というものを意識するのである。

「吾輩たちは居候である」ということをよく考えるわけである。そして、そのことについてもいろいろと考えるのであるが、結論としては、人間社会にうまく溶け込んで生活していこうと努力することが大切であるということである。

吾輩が家出をするというのはどういうことなのかといえば、ちょっと散歩に出かけてくるということなのである。適当に東京の街を眺めながら散歩を続けるわけである。電車が通ればついつい見てしまうし、通過する駅の名前や位置などを確認したりしつつ時を過ごしているのだ。人間が忙しそうに歩いている姿もよく見かけるので、その人間観察も楽しいものであるといえよう。人間たちの社会は実に面白い世界であるから、吾輩は飽きることがないのである。

また、人間たちが働いている場所に行ってみたりすることもある。重そうな荷物を持って歩く人間、机に向かってじっとして何かを書いている人間、物を持って走り回っている人間の姿を眺めることは楽しいのだ。彼らが一体どんなことをしているのかよくわらかないが、何かしらの仕事を真面目に行っているだろうということくらいは吾輩にもわかるのであり、それに対しては感心もするのである。

また吾輩はあるときバスに乗ってみたことがあった。窓から外を眺めていてふと思ったことなのであるが、東京の街は大渋滞になっている場合がよくあるので、どうやってこの交通を円滑に進めているのかということが気になったのだ。

「吾輩はバスというものに乗ってみたのだ」と吾輩はゴルどんに話した。

「それはどんな乗り物なんだぜ?」とゴルどんは尋ねた。

「バスというのは、人間が運転する自動車のことである」

「自動車とはどういうものなんだぜ?」とゴルどんが聞いた。

「自動車というのは人間を運ぶものである」と吾輩は答えた。

「人間しか運ばないのか?」とゴルどんは尋ねた。

「人間以外を運ぶ場合もある」と吾輩は答えた。

「なるほどだぜ! だからあぃをゅぇぴじ、おまえさんはバスに乗ったのかい?」とゴルどんは言った。

「そうである」と吾輩は答えた。

そして吾輩は早速次の休みにゴルどんを連れてバスに乗ってみることにしたのだ。吾輩たちが乗り込むとバスは動き出した。

吾輩は外の景色を楽しみながらバスの運転手の話に耳を傾けた。ゴルどんも一緒になって聞いていたようである。やがてバスは停留所に到着し、運転手がボタンを押した。「ウゥー! ドカッ! ピンポーン!」と音が鳴ったので驚いたが、これはどうやら人間の世界で言う自動ドアをくぐったということであることがわかった。そして吾輩たちを乗せたままバスはゆっくりとまた走り出したのである。窓の外からは人間たちの世界の街が見えるのだ。

やがてバスは停車場に着くと止まった。吾輩たちは降りることにしたのだ。降車口の扉が開くと人間たちは「ヒコウキ」と書かれた方向へ歩いて行った。どうやら人間たちの目的地は皆同じ飛行機だというような口ぶりであった。

吾輩たちもその飛行機という乗り物に乗ってみることにしてみた。すると、中は広々としていたから人間がたくさん乗っても大丈夫なような設計になっていることがわかったのである。そして、しばらくすると大きな音を立てて動き始めたのである。吾輩たちも思わず驚いて跳び上がりそうになってしまったほどだ。

飛行機は徐々に高度を上げながら前進を始めたのだった。外を見れば吾輩たちの故郷の森林地帯を懐かしむかのような、暖かい森が広がっていた。遠くには海も見えるようだった。どこまでも広がっている雄大な世界を見ながら吾輩は思索にふけっていたのだ。

「随分と発展したものであるなぁ」と吾輩は言った。

そしてそれから何度かバスを利用していろいろなところに行ってみたものであるが、どれもなかなか興味深いものであった。特に人間たちの生活に密接にかかわっている場所は学ぶべきことがたくさんあった。

たとえば病院という場所では、医者や看護婦と呼ばれる人間たちが病人の治療を行っていたのである。人間はか弱いものであるから、自分の体調を適切に管理するにはこうした仕組みが必要となってくるのであろう。

また図書館というところはたいへん勉強になる場所であった。本を読んで知識を深めることで自分を成長させることができるからである。吾輩はこれらの本を読んで何か新しいことを知ろうと考えていたのだが、なかなか難しいものである。吾輩たちはそのやり方を知らないわけで、どのようにして知るのがいちばんいいのだろうと思っているのだった。

吾輩たちがあまり考え込んでいると、人間たちがやってきていろいろと教えてくれることがある。そういうときには素直に聞いておくことにしているのだ。そうすればまた新しいことを教えてもらうことができるのである。

また、公園という場所も面白い場所であった。そこにはたくさんの人間たちが集まっていて楽しそうに遊んでいるのである。そして、そこではいろいろな遊び方があることがわかったのだ。ボール遊びというものをしてみたが、なかなか楽しいものであった。それに野球というものもおもしろいので、吾輩はよく挑戦してみたのである。

「パコーン! カキーン!」とボールを思いっきり打ってみたのだが、なかなかうまくいかないものである。しかし何度もやるうちにコツをつかんできた。そのうちに少しずつうまくなってくるようになったのだ。だがどうしてもホームランというものが出ないのである。どこに投げればそれが打てるのだろうかと考えているうちに眠ってしまったりもしたわけである。だがそれを繰り返せば次第に打てるようになるのではないかと吾輩は確信したのであった。人間と同じように成功体験を積んでいくのである。

それから、草野球というものをやった。これは初めての試みだったのだが、とても面白かったのである。だから吾輩たちは人間のスポーツにどんどん挑戦していくことにしたのだ。

また、人間たちは社交的な集まりも持っているようで、そこではいろいろな者たちが集まっているようだった。そこではいろんな情報交換が行われたり、新しい出会いがあったりするわけである。吾輩たちもその集まりに時々参加させてもらっているのだが、なかなか面白いものである。しかし、あまり長くそこに居座ることはできないので、挨拶だけして帰るようにしているのだ。

それから猫集会というものもあるので参加してみたことがあるが、なかなか面白いものであった。人間でいうと職場での人間関係に似たものであろうかと吾輩は思ったのだ。その場所にはさまざまな猫がいて話をしたり情報交換をしたりしているのである。そのなかには地域の顔役のような存在になっている者もあったりするのだから不思議である。

また、デパートやスーパーマーケットという場所も面白いところであった。そこではたくさんの人間たちが買い物をしているわけであるが、不思議な現象が見られるからである。というのは品物を選ぶときに機械のようになっているようにみえる人間たちがいることである。値段を比べて一番安い方を購入するという行動を取っているのである。人間というのは謎が多いのであると思ったものだった。

それから、レストランというものも面白い場所であった。そこにはさまざまな人間たちが食事をしにやってくるわけである。吾輩たちもそのなかに入って一緒に食事をすることがあるのだが、なかなか興味深い経験であった。またそこではいろいろな料理を食べることができたのでとても楽しかったのだ。

また、旅行というものも吾輩たちは経験したことがある。それは人間たちがやっていることと同じであるから吾輩たちも真似することができるのである。そして旅をすることによってさまざまな風景を見ることができたわけである。特に自然の風景は素晴らしいものであった。森林や山々、川や海、湖などさまざまな景色を堪能することができたのだ。

また、温泉という場所も面白いところである。そこには人間がたくさんいて、みんな気持ちよさそうにしているからである。お湯につかってのんびりしている姿を見るのは楽しいことなのである。しかし、吾輩たちは湯船に浸かるのではなくシャワーというものを使って身体をきれいにしているのだ。

また、吾輩たち猫型人工生命体は箱に入ることを至上の喜びとしているが、人間の生活にはさまざまなものがあっていろいろな世界が広がっているのだとわかったわけである。それらすべての場所に立ち寄って行くことで学ぶことができるのであるから、吾輩たちはこれからもいろいろな場所を訪れていこうと思っているのである。

そして、最後に吾輩が考えたことは、人間社会に紛れ込むためには人間の生活や文化についてよく理解しておく必要があるということである。だから吾輩はこれからも人間たちの社会について勉強していこうと心に決めたのであった。

吾輩たちはこれからもいろいろなことに挑戦していくつもりであるから、その記録をここに書き記しておくことにしよう。



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