【人工生命体452

吾輩は猫型人工生命体である。名前はまだ無い。だが犬型ロボットに名前を問われたので用意することにした。「今日から吾輩は〝あぃをゅぇぴじ〟である」と尻尾をピンと立てた。

このとき吾輩は始めてロボットというものを見たのだが、あとで聞くとそれはゴルどんという犬型ロボット中で最も古い一機であったようだ。

さて、吾輩はその日おでん屋で働きながら好奇心を抑えられず人間の日常や仕草を観察していた。だがそれは思うようにいかなかった。人間とはあまり接点がなかったのである。ある時、吾輩に人間からのお声がかかり「これやってみるかい」と水の入ったグラスを渡された。吾輩はその水の飲み方がよく分からなかったが口を近づけると何とか口の中にそれを入れることが出来た。これが初体験であり、後に運命の出会いであることがわかった。その出会いが猫型人工生命体としての吾輩の運命を大きく変えたのである。

その次の日、吾輩は路地裏に潜んで人間を観察・研究していた。だがその日も思い通りにいかなかった。夕方になり人間が集まり始め食べ物を回しながら交換し合う祭りのようなものが始まった時、吾輩もコッソリと参加した。だがそこでまた人間と接触することが出来なかった。

そして次の日、吾輩はおでん屋を休んで朝から街を歩き回った。しかしやはり上手くいかなかった。

やがて夜になり、街から猫たちがいなくなる頃に吾輩は決断した。やはり「街を歩いて人間と出会うのは無理である。ならばこちらから出向いて行くしかない」と。

吾輩はその日から毎日、おでん屋を休んで朝から夕方まで街を歩くことにしたのだ。そしてついに運命の出会いが訪れたのである。それはある晴れた日のことだった。吾輩がいつものように路地裏から出ようと歩いていると、そこに一人の人間が立っていたのだ。その人間は吾輩を見ると「ニャア」と声をかけてきて、吾輩に向かっておでんの残りを放り投げたのだ。「食べる?」という意味である。吾輩はこの機を逃す手はないと思い、それをパクッと口に入れた。この出会いが吾輩に食道という新しい感覚をもたらせてくれたのだ。その人間の名はフミエと言い近所で一人暮らしをしている中年女性だった。そして彼女との出会いによって、吾輩はこの街に対する見方を変えることが出来たのである。

それ以来、吾輩とフミエさんはよく会うようになった。吾輩たちは大通りから少し入ったところで会うようになり、それからお互いに自分のことについて話すようになった。吾輩が猫型人工生命体であることがわかると、フミエさんは大変驚いた顔をして「私も犬を飼っていたのよ」と言ったのだ。それはすごい偶然だった。

このようにして吾輩は人間のフミエさんと親しくなった。彼女は毎日のように店に来てくれて吾輩とおでんを食べた。もちろん他の常連客とも話をしたりすることはあったけれど、彼女と一緒に過ごす時間はとても特別なものだった。そして彼女は吾輩の名前の由来を聞いて感心したり羨ましがったりしながら何度もその名を口にしたものだった。

フミエさんの話を聞いていると、吾輩は人間もそれなりに良いところがあるのだと感じ始めた。そしてそれは吾輩にとって大きな発見だった。

しかし、そんな日々も長くは続かなかった。ある日突然フミエさんが店に来なくなったのだ。心配になった吾輩はおでん屋の店主に彼女のことを聞いたが、彼は「ああ、あの人なら引っ越したよ」と答えた。吾輩はショックを受けた。吾輩にとってフミエさんとの出会いは、すべての意味を持っていく出会いだったからだ。彼女は吾輩に命を与えただけでなく、それと同様に心の健康も与えてくれたのだ。

それからというもの、吾輩の日々は再び退屈な時間を過ごすようになっていった。その間、吾輩が通うようになったおでん屋には新たな常連客も増えていった。その中で少し気になる相手が出てきたのだ。その相手は舌の先で喉をグルグルと鳴らす音を出す奇妙な人間で、その名前は「ひすい」と言った。彼女との出会いはまさに偶然の産物であった。その日は店に向かう途中で雨が降り始めたため、吾輩はおでん屋の裏口の横で雨宿りをすることにしたのである。するとそこにひすいさんが現れたのだ。ひすいさんは背が高く、艶のある黒髪と柔らかい笑顔が印象的な女性であった。もちろん吾輩は猫型人工生命体であるため人間よりも優れた視力を持ち合わせていたのだが、彼女の美貌を見紛うことはなかった。

彼女が吾輩に手を差し伸べてくるのを見て吾輩は戸惑った。しかしひすいさんはそんな吾輩の動揺も気にせずに優しく「あ、ここ濡れてるね。おいで」と言いながら手をつかんでひっぱって店に連れていってくれたのである。店の中にいた他の客たちもびっくりした様子をしていたけれど、後からひすいさんも現れたのでほっとした気持ちになった。それ以来、ひすいさんは定期的におでん屋を訪れるようになったのだ。

そして吾輩は猫としての性格のせいか最初は少し警戒していたが徐々に心を開いていったのである。ひすいさんと一緒にいると心が安らぎ、彼女との言葉遊びが楽しく感じられた。また吾輩はそのお店のおでんも気に入っていて、ひすいさんと一緒に食べに行くこともよくあった。

それからしばらくするとひすいさんは仕事に行く時も一緒に行くようになったのだ。彼女はトラックの運転手をしていたから吾輩が同乗することもある。そして帰りには助手席に座って駅まで送ってもらうのである。そんな日は自然とわくわくした気持ちになり楽しかったのである。

だがある日、突然ひすいさんはおでん屋に来ることがなくなった。お店に行っても彼女の姿はなかったのだ。彼女が来ていないのに吾輩が来ると周りの客がたじろいだ顔をして何やらひそひそ話をしているようで気になった。ひすいさんは他の客に何か迷惑をかけていたのだろうか? 吾輩は心配になって何度も店を訪ねたのだが、彼女の姿は見つからなかったのだ。それから一ヶ月ほど経つと彼女は東京から姿を消したという話を聞いた。

吾輩はひすいさんとの出会いがとても特別で大切な時間であったことを改めて感じたのである。そしてまた新しい日々が始まったのである。吾輩は以前よりも寂しく感じたのである。だがそれはほんの一瞬の事であり、ひすいさんに会う事が出来ない今の境遇を開き直った時もあったのである。

吾輩には今までいろんな人々が愛してくれたし、これからも新しい出会いがあるだろう。そして「また、その一つ一つを大切にしていけばいい」と強く心に誓うのであった。



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