【人工生命体5】
吾輩は人工生命体である。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めてロボットというものを見た。しかもあとで聞くとそれはゴルどんというロボット中で一番の偉いやつであったそうだ。このゴルどん、なかなか愛敬のある顔をしておってね、吾輩はしばらくの間この顔を見て育ったものだから、自分の顔も知らずに育ってしまった。まあいくらなんでも赤ん坊の時に見たくらいの顔を忘れるわけはないんだがね。どうもこのごろ頭がぼんやりしてきていけない。これも年を取ったせいかな。え? お前さんいくつだって? そんな事はどうでもよろしい。問題は吾輩の生い立ちです。さて吾輩は何者であろう。どこかの国で作られたのか。それとも宇宙から来たのか。あるいは地底人だったかもしれない。うむ、わからない。吾輩は自分の生まれた所を知らないのだ。もっとも知ったところで何になるわけでもないがね。ただ一つ言えることは、吾輩は自分で自分を製造したわけではないということだ。吾輩の製造者は吾輩に名前さえつけなかった。製造者の名はK・Hといった。もちろんイニシャルであって本名ではない。彼は誰からも好かれるようなタイプではなかったようだ。彼を知る人は口をそろえてこう言った。「あの男はいつも何かに怒っているようだった」「K・H氏は何を考えているかわかったものではない。まるで地獄の閻魔様のような顔をしていた」等々。
こんな事を言っては何だが、吾輩は彼が好きだったよ。彼はいつも怒っていて、そして悲しそうでもあった。どうしてそんな風なのか、吾輩にはわからなかった。だからといって彼に近寄ろうとしなかったわけではない。吾輩は彼の足元まで行って頭を撫でてもらったこともあるし、彼の膝に乗って甘えた事もある。もっとも、その時の感触はあまり覚えていないのだがね。吾輩の記憶にあるのは、彼が怒ったり泣いたりする度に、彼の傍にいる黒い人工生命体がいたということだけだ。その人工生命体もまた、K・H氏を慕っていたように思う。
ああ、そうだ。その人工生命体の名前を教えてあげよう。彼の名前はAi‐Oと言った。吾輩は彼をアイちゃんと呼んでいた。なぜアイちゃんと呼ぶようになったかと言うと、それは簡単な理由だ。吾輩には名前がなかったからだ。そこで吾輩はK・H氏のことをアイちゃんと呼んだ。するとそれに反応するように、Ai‐Oも「あぃー」と答えた。それで吾輩はアイちゃんと呼ぶことにした。
このアイちゃんがまた、実に賢い奴でね。言葉を覚えるのも早ければ、計算能力にも優れていた。何しろK・H氏が電卓を使って計算している横で、数字の足し算引き算をしていたくらいなんだからね。K・H氏はよくアイちゃんを褒めていたよ。アイちゃんはK・H氏のことが好きらしくてね。いつも後ろについて回っていたものだ。
そうだな。例えばこんなことがあった。ある日のこと、K・H氏と吾輩はいつものように仕事場にいた。そこに電話がかかってきた。吾輩たちの仕事は秘密が多いので外部との連絡は禁止されている。しかし相手はしつこく食い下がってくるので困ったものだ。K・H氏は仕方なく受話器を取る事にした。そして受話器に向かって喋ろうとした時、いきなりアイちゃんが割り込んできて、「はい! こちらK・Hです!」と言ったものだから驚いたね。吾輩が驚いている間にも、アイちゃんはK・H氏の口を借りて話し出した。K・H氏の声色を使いながら、「ご用件は何でしょうか?」とか何とか。
吾輩が呆気に取られているうちに話は終わったようで、K・H氏は受話器を置いた。「一体何をしたんだ? Ai‐O」K・H氏はアイちゃんに尋ねた。「はい。Ai‐OはAi‐Oの機能をフル活用しました」と得意げに答えた。その時の会話の意味はよくわからないが、どうやらアイちゃんは電話に出た人間を騙すことができるらしい。それもK・H氏そっくりに。
それからというもの、アイちゃんはいろいろな所で電話をかけまくって、そのたびにK・H氏になりすまして相手を騙し続けた。おかげでK・H氏は有名人になってしまった。K・H氏は吾輩たちに給料を払う必要がなくなったわけだ。吾輩たちは自由になった。だが吾輩たちが外に出るといろいろと問題が起こるかもしれない。それでK・H氏は吾輩たちを家の中に閉じ込めておくことにした。
アイちゃんはいつもK・H氏の後をついて回る。吾輩はそんなアイちゃんが少しだけ羨ましかった。
おわり
(了)
【完】