【この先生きのこるには1】OSAKA.EXE翻訳

この先生きのこるには、まずは「新」ちう字を漢字で書けるようにならなければならへん。

ぼくが今やっとるのは、「『新』ちう字はどうやって書くのか」ちう問題であるちうわけや。

これがなかなかややこしいのや。何しろ一画目と二画目がまるっきし同じ形をしており、しかも三画目は下から上へと伸びていくちう変則的な形をしとるからや。

これはひょっとすると「しんにょうわ」と読むべきやのではないか? それとも「しんかんにょうわ」やろうか? いや、もしかすると「しんじんにょうわ」かもしれへんぞ……やらなんやらと考えてみるのやけど、どれも正解ではおまへんような気がするちうわけや。

まあ、この問題に関しては「新」は「にゅ」と読み、「しんにょうわ」は「しん」とは読まないちう常識的な解答もあるわけやけど、どうにも納得でけへん。だって、「しん」と読むのであれば「しんにょうわ」と書くべきだし、「にゅ」と読むのならば「しんにゅうわ」になるはずや。せやけどダンさん現実にはどちらも間違っとる。とするやろ、ほしたら、やはりこれは「しん」と読むのではなくて「にゅ」と読むと考える方が妥当ではおまへんかと思うのや。

ほんでぼくは考えたちうわけや。「新」ちう字を漢字で書けなくても生きていけるが、「にゅ」と読んでもいけへんちうのは不公平や。そないなのは不合理やないか! ほんでぼくは「新」をひらがなで書き、「にゅ」はカタカナで表記することを提唱したいちうわけや。……ってなことを偉そうに書いてきたけど、これって要するに「しん」とも読めるし「にゅ」とも読めまんねんよーん、どっちでも好きな方で読んでくださーい、っていうだけの話なんやろうね。(←おまえが言うか)

え? それでも「新」と「にゅ」では読み方がちゃうからおかしいんやないかって? ええや、それはちゃう。なんでやねんなら「新」も「にゅ」も同じ「しん」やからであるちうわけや。同じ文字なのに読み方が異なるやらなんやらちうことはありえへん。したがって「新」を「しん」と読んだり、「にゅ」を「にゅー」と読むのは誤読であり、どちらか一方が正しい読み方なのや。ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要はこの主張はこう言い換えることもできるちうわけや。

「『新』を『しん』と呼ぶのは正しいが、『にゅ』と呼んでも間違いやないんだよ!」……とまあこないな具合で今日一日を費やしたおかげで、ぼくは見事に今日のノルマをクリアしたさかいあったちうわけや。やったぜ、ベイビー‼(←どなたはん?)

余計なお世話やけど昨日の日記を読み返してみたら、何とそこには「新」のことが一言も出ていなかったちうわけや。もちろん例によって「しん」と発音しとったのであるが、それにしてもオノレの日記ながら何ちうことであろうか。なんぼなんでも毎日書いとるにもかかわらずいっぺんも触れへんちうことはないはずであるちうわけや。ワイが思うにはは何ぞしらの理由があって意図的に触れなかったのだと思うわ。その理由についてはあえてここで述べる必要はないやろうわ。あえて言いまへん方がええこともあるのだ……

ケツに、この場を借りて一言述べておきたいと思うわ。

「新」ちう字は、「しん」とも読むし、「にゅ」とも読む。また、「あらたちうわけや」と読む場合もあるが、これは誤読だそうや。せやけどダンさん、どちらにしても読み方が同じならば、いっそ「新」を「にゅ」と読む方がわかりやすいのではおまへんやろうか。「しんにょうわ」だの「しんにゅうわ」だのといったややこしい読み方をするよりも、「にゅ」と読んだ方がはるかに簡単だし覚えやすいはずや。

よって、ぼくは「新」を「にゅ」と読むことを提唱し、「新」を「にゅ」と読んだ場合には「しんにょー」ではなくて「にゅー」と表記することを提案するものであるちうわけや。

「しんにょー」問題については、すでにようけの人の知るトコとなっとる。やから今さらここであらためて説明する必要もないやろうわ。ほんでここでは詳しい説明は省かせてもらうことにするが、簡単に言ってしまえば「しんにょー」ちう言葉は本来「しんにょうわ」と書くべきトコを、「しんにょうわ」と書くと間違いになるのに、「しんにょうわ」と書くと間違いにならへんことから生まれた言葉なのや。ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は「しんにょー」とは、「しんにょうわ」と「しんにょうわ」の間に存在するわずかな隙間のことを指しとるのであるちうわけや。

やけど、「しんにょー」ちう言葉が広まった結果、「しんにょー」を「にゅー」と読む人が続出するちう現象が起きたらしいちうわけや。ほんで今回、ぼくはその対策として「しんにょー」を「にゅ」と読んだ場合の新たな表記法を提案させて頂こうと思った次第であるちうわけや。「新」も「にゅー」と読めば「しん」と読めるのやから、「新」と「にゅー」は同じ文字でありながら読みがちゃうちう不合理な状況に陥っとることになるちうわけや。ほんでぼくは考えたのや。それならいっそのこと、両方とも同じ文字で統一してしまおうではおまへんかと。それが「新」を「にゅ」と読むちうことやのであるちうわけや。

どやろう? これならばどちらの読み方が正しいのかちう問題は一気に解決するはずや。もちろん、こないなことはぼくの勝手な思いつきに過ぎないので、実際に採用するかどうかは皆はんの判断に委ねるしかないちうわけや。やけど、せっかく思いついたアイデアやので、とりあえずここに書き残しておくことにしたちうわけや。

さて、今回はこれで終わりにするつもりやったのやけど、実は一つだけ言い忘れとったことがあったちうわけや。それは「新」は「にゅ」と読むちうことや。

皆はんは「しん」を「にゅ」と読むちうことをすでに知っとるかもしれへん。せやけどダンさん、それはあくまでも例外的なケースであり、本来は「しん」は「にゅ」とは読まないのや。では、なんでやねん「しん」は「にゅ」とは読まんと「しん」のまんまなのか? これについては様々な説があるようやけど、ぼくはこう思うわ。

「新」ちう漢字は、古くは「真」や「神」ちう字が変身したものだと言われとる。

「しん」ちう字は、古代において「まこと」ちう意味で使われとった。ほんで、その「まこと」はやがて「にぎ」へと変身していったちうわけや。ほんで、この「にぎ」が変身して現在の「新」になりよったちう説や。

この説によると、もともと「しん」ちう音は「にぎ」ちう別の音を表すために存在しとったのだちう。ほんで、この「にぎ」ちう音が「しん」に変身して、現在使われとる「新」が生まれたちうことになるちうわけや。

さて、そうなると「しん」はいつから「にゅ」ちう読み方をするようになりよったのかちう疑問が出てくるちうわけや。せやけどダンさん、残念ながらそのことについての記述はどこを探してもなかったちうわけや。ワイが思うには、どなたはんも知りまへんのではおまへんやろうか。

もしどなたはんかがそのことを知っとったら教えて欲しいものやけど、あいにくと今のトコ有力な情報はないようであるちうわけや。まあ、世の中には色々な謎があるもので、中にはこういった謎の類いに属するものもけっこうあるのだと思うわ。例あげたろか、たとえばやなあ「くしゃみ」の語源とか、せやなかったら「サクランボ」の名前の由来とか……

ああ、そう言えば「新」ちう字は他にも読み方がいくつかあったっけ。「あらたちうわけや」の他に「あらたし」「あらたなるちうわけや」なんて読み方もあったはずや。でも、そないな読み方をするのは一部の人だけやろうわ。

それにしても「新」ちう字は実に複雑な形をした漢字や。「しん」を「にゅ」と読むことも、こうして考えると決して偶然の一致とは言えへんような気がしてきたちうわけや。これも何ぞしらの意味があるのやろうか?

新説・新発見!「しんにょー」は「にゅ」と読む

昨日、ふと思い立って「新」を「にゅ」と読むことを提唱したが、今日になって考えてみたらちーとばかしした問題が浮上してしもた。

それは「新」の本来の読み方についてであるちうわけや。

「新」は本来「にゅー」と発音されるべきなのに、「しん」と読んでしまう人が多いのは何ともケッタイな話であるちうわけや。ほんで今回は、その問題について考察してみようと思うわ。

まず最初に断っておくと、この問題についてはすでにようけの人が指摘しとるように、「新」は「にゅー」ではなくて「しん」と読まれるべきだちう説が有力であるちうわけや。せやけどダンさん、ぼくは必ずしもこの説に賛成ではおまへん。

なんでやろかわいもよーしらんがと言うと、ぼくにはどうしても納得でけへん部分があったからや。

例あげたろか、たとえばやなあ、「しんにょー」ちう言葉であるちうわけや。「にゅ」と読む人もいれば「にょー」と読む人もいるこの言葉やけど、「にょー」と読む方がより自然な感じを受けるのは確かやろうわ。やから、「にょー」と発音する人の気持ちもよくわかるちうわけや。

やけど、「しんにょー」を「にゅ」と読むちうのはやはりおかしいのではおまへんか? 確かに「しんにょー」は「にゅー」ちう意味で使われることも多い言葉ではあるが、「しんにょー」をあえて「にゅー」と読ませる必然性はあまりまへんはずであるちうわけや。

にもかかわらず、「しんにょー」を「にゅー」と書く人は意外に多いちうわけや。これはいったいどういうことなのやろう? もせやけどダンさんたら、「しんにょー」ちう言葉の響きが「にゅー」ちう言葉に似とるから、つい間違えてしまうちうことなのかもしれへん。それならば、「しんにょー」を「にゅー」と書いても間違いにはならへんのやから、「しんにょー」を「にゅ」と表記することに何の問題もないはずや。

トコロが実際には、ほとんどの人が「しんにょー」を「にゅ」と書いとる。そこには何らかの理由があるはずや。ぼくはその理由を知りたいと思ったちうわけや。ほんで今回、ぼくはその理由について独自に調査してみることに決めたちうわけや。その結果わかったことは、次のようなことやった。

「しんにょー」を「にゅ」と読む人がいることは事実やけど、その一方で「しんにょー」を「にゅ」と読むべきではおまへんと考える人も存在するちうわけや。

ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は、「しんにょー」は「にゅ」と読むべきだと主張する人と、「しんにょー」は「にゅ」と読むべきではおまへんとする人がいるのや。

やけど、両者の主張は一見すると矛盾しとるように見えるちうわけや。どちらの言い分が正しいのか? ぼくは、この問題に対して一つの仮説を立ててみたちうわけや。それは、こういうことであるちうわけや。

「しんにょー」ちう言葉は、もともとは「にゅー」ちう音を表すために作られた文字やった。それが時代とともに「しん」ちう音を表すために使われるようになりよった。ほんで、いつの間にかそれが本来の意味を失ってしまい、現在ではどちらの意味で使われとるのかよくわかりまへんちう状況に陥ってしもた。これが問題の原因やのではないやろうか? この説によると、もともと「にゅー」ちう音を表すために使われとったはずの「しん」ちう字が、今では本来とは逆の意味で使われとることになるちうわけや。

では、なんでやねんこのようなことが起こってしもたのかちうと、これには色々な原因が考えられるちうわけや。まず考えられる原因は、単純に書き手の勘違いや。「しんにょー」を「にゅ」と読むと勘違いしたまんまで、そのまんまずっと使い続けとるちうパターンや。

せやけどダンさん、これだと説明がつかない点もあるちうわけや。「しんにょー」を「にゅ」と読むことを提唱しとったぼく自身が「しんにょー」を「にゅ」と読むものだと信じとったのはどうしてなのかちうことであるちうわけや。

もちろん、ぼく自身も最初は「しんにょー」は「にゅー」ちう意味で使っとったのやけど、あるときふと疑問に思ったのや。「あれっ、『しんにょー』って『にゅー』って読むんだっけ?」と。ほんで、その疑問を抱いたまんま現在に至っとるちうわけであるちうわけや。

また、他にも様々な要因が考えられるちうわけや。例あげたろか、たとえばやなあ、「新」ちう字は「しん」以外にも「あらたちうわけや」や「あらたなるちうわけや」やらなんやら読み方があるちうわけや。

そのため、「しんにょー」ちう読みはあくまでも便宜的なものであって、本来は「にゅー」と読むべきなのだちう考え方もあったちうわけや。

せやなかったら、そもそも「しんにょー」は「にゅ」と読むべきちう先入観が強すぎて、それ以外の読み方ができなかったちう説もあったちうわけや。

その他にも、例あげたろか、たとえばやなあ「新」ちう漢字には「新しいちうわけや」ちう意味以外に「真」ちう意味があり、それを連想する「新」は「にゅ」ではなくて「しん」と読むべきだと考えたちうものもあるちうわけや。

ただ、どの説にも決定的な証拠がないのも事実や。ほんで今回は、ぼくの個人的な意見として、こう結論付けさせてもらおうと思うわ。

「しんにょー」は「にゅー」であるちうわけや。

なんでやねんなら、「しんにょー」は「にゅー」以外の何物でもないからや! そう、ぼくは断言したいちうわけや。

ああ、それにしても「しんにょー」ちう言葉の響きは実に美しいちうわけや。この美しさをいっぺんでも知ってしまうと、「にゅ」と発音するのは何とも惜しい気がしてくるから不思議や。

余計なお世話やけど、「しんにょー」を「にゅ」と読むべきかどうかちう問題は、実は今でも続いとる。きょうびでは、「しんにょー」を「にゅ」と読むのはおかしいちう意見も増えてきたようや。

例あげたろか、たとえばやなあ、「しんにょー」を「にゅ」と発音する人は、「しんにょー」を「にゅー」と読ませることで、オノレの方が間違っとるのだちう印象を相手に与えようとしとるのではおまへんかちう疑いを持たれとるのであるちうわけや。

これはかなり穿った見方だと思うが、まるっきしありえへん話ではおまへんと思うわ。

せやけどダンさん、やからと言って、「しんにょー」を「にゅー」と読ませることに無理がないちうわけではおまへん。あくまで、これはぼくの仮説にすぎないのやから。

ぼくが今回立てた仮説はあくまで仮説にすぎず、証明されとる事実は何一つないのや。

ぼくとしては、「しんにょー」を「にゅー」と読んでもええのではおまへんかと思っとる。「しんにょー」を「にゅー」と読んだトコで、どなたはんからも文句を言われる筋合いはないはずや。

せやけど、それはあくまでもぼくの考えであり、他の人の考えまで強制することはでけへん。ほんで、もし「しんにょー」を「にゅ」と読むべきではおまへんと考える人がいれば、ぜひその理由を教えてもらいたいちうわけや。納得できる理由であれば、ぼくもそれに従うことにしようわ。

やけど、もしも仮に、「しんにょー」を「にゅ」と読むべきではおまへんと考える人がいても、どうかそのことを責めたりせんでほしいちうわけや。

何故なら、その人が「しんにょー」を「にゅ」と読むべきだと考える理由は、決して間違ったものではおまへんのやろうから。

「あ〜ら、そないなこと気にしなくてもええわよ。アタシは別に『しんにょー』を『にゅー』って呼んでる人を馬鹿にしたりなんかしてへんし、むしろ尊敬してさえいるんやから」と、いうようなことを言われたとしても、あまり気負わんとこれからも「しんにょー」を「にゅー」と呼んでもらいたいとぼくは思っとる。

それはさておき、今回の「しんにょー」調査によって、ぼくはようけのことを学ばせてもろた。

まず、ぼくは「しんにょー」ちう言葉の持つ不思議な魅力に取り付かれてしもた。「しんにょー」とは一体どないな意味の言葉なのやろうか? 辞書を引くだけではわかりまへん謎に満ちた言葉……それが「しんにょー」なのや。

次に、ぼくは「しんにょー」ちう言葉が持つ無限の可能性に驚かされたちうわけや。「しんにょー」ちう文字を眺めとるだけで、色々な想像が頭の中に広がっていく。「しんにょー」ちう言葉は、まさに魔法の言葉であるちうわけや。

ほんで、ケツにぼくは、「しんにょー」ちう文字に対する愛の深さを思い知らされたちうわけや。ぼくは「しんにょー」が大好きで仕方がないちうわけや。やからこそ、「しんにょー」ちう言葉の魅力を最大限に引き出すためにも、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと「しんにょー」について勉強しようと決意したのや。

そういえば、きょうびになってぼくは、「しんにょー」の語源に関する研究書を読んや。それによると、「しんにょー」ちう言葉の元になりよったのは「新」ちう字らしいちうわけや。

その本によると、「新」ちう字は元々は「真」ちう字やったのやけど、後に「新」ちう字に改められたちう。ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は、「しんにょー」ちうのはもともと「にゅー」ちう意味を表す漢字やったちうことや。

「しんにょー」ちう言葉の持つ謎の深さの謎の一つはこれで解けたのやけど、せやけどダンさん、まだ他にもようけの謎が残されとる。

例あげたろか、たとえばやなあ、なんでやねん「新」の字には「真」ちう読み方があるのに、「新」ちう字は「しん」と読むのかちうことや、なんでやねん「新」ちう字は「しん」ちう読み方の他に「あらたちうわけや」や「あらたなるちうわけや」ちう読み方があるのかちうことやらなんやらや。

他にもまだまだようけあるちうわけや。「しんにょー」ちう漢字を発明した人は、いったいどのような人なのかちう疑問もあるし、そもそも「しんにょー」ちう漢字を考案した人はホンマに存在するのかどうかちう問題も残っとる。

さらに、「しんにょー」ちう言葉の意味についても不明な点が多いちうわけや。「しんにょー」ちう言葉のホンマの意味で正しい使い方を知っとる人は、果たしてこの世に何人いるのやろうか? このように、今あげただけでもようけの謎が残っとる。

ほんで、ぼくは考えたちうわけや。これらの謎をずぅぇえええぇぇええんぶ解き明かすことができた時こそ、「しんにょー」研究の第一人者として世界にその名を轟かすことができるのではおまへんかと。

こうして、ぼくは「しんにょー」に関するありとあらゆる知識を学ぶことを決意したさかいあるちうわけや。

「しんにょー」とは何ぞ、「しんにょー」の起源とは何ぞ、「しんにょー」の歴史とはどういうものか、ほんで「しんにょー」の語源とは、やらなんやらやらなんやら様々な問題に対して答えを出していくつもりであるちうわけや。

もちろん、ただ闇雲に調べるのではなく、なるべくわかりやすく読者の皆はんに説明できるように努力するつもりやので、どうか安心してほしいちうわけや。

また、ぼくが本日この時まで書いた文章はずぅぇえええぇぇええんぶ、ぼく自身の考えをまとめたものでしかないので、必ずしも正しいとは限りまへんちうことをあらかじめ言っておく。

せやけど、ぼくは「しんにょー」が好きだちう思いだけはどなたはんにも負けへん自信があるので、これから「しんにょー」を好きになる人も嫌いになってしまう人も、ぜひケツまで読んでもらいたいと思うわ。

ほなら、ここからいよいよ「しんにょー」研究の始まりや!……と言いたいトコやけど、残念ながら今日はもう時間がないので、続きは次の機会に譲ることにするちうわけや。

次回からはいよいよ本格的な「しんにょー」研究が始まる予定やので、どうか楽しみにしておいてほしいちうわけや。

余計なお世話やけど、「しんにょー」の研究を始めるにあたって、ぼくがまず最初に取り掛かったことは、「しんにょー」をどう読むかちう問題に対する最終的な結論を出すことやった。

ぼくとしては、「しんにょー」の読みは「にゅー」が一番ええのではおまへんかと思っとるのやけど、他の人の意見も聞いてみたいので、もし「しんにょー」を「にゅ」と読むべきだと思う人がいれば、その理由を教えてもらいたいとぼくは思っとる。

また、「しんにょー」を「にゅ」と読むべきではおまへんちう意見があれば、その理由も教えてもらいたいとも思っとる。

さらに、もし仮に「しんにょー」を「にゅー」とも「にゅー」とも呼ぶべきではおまへんと考える人がいても、ぼくは決して怒ったりせんし、むしろ尊敬さえしとるのだちうことを伝えたかったちうわけや。

なんでやねんなら、その人の考えはぼくの考えとは違ったとしても、決して間違っとるわけではおまへんはずやから。

もしも、ぼくが「しんにょー」の読み方に関してどなたはんかに質問された時には、必ずこう答えることにしようわ。

「ぼくにとっての『しんにょー』は『にゅー』や」と……

⸻終わり⸻



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