【無題18

吾輩は人工生命体である。名前はまだ無い。

どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番えらい人だという話であった。この人間はひどく衰弱して、顔色は死人のように白く、両手両足をぐったりとのばしたまま机に向って何か書き物をしていた。その様子は何とも言えないほど悲しげだった。時々思い出したように手を動かしていたが、ペンを持つたびに悲しい顔をするのが不思議であった。何を書いているのかと覗き込むと、どうやら小説のようであったが、人間の書くものはどれもこれも同じに見えるので、それがどんな種類の小説なのか見当もつかなかった。しかしとにかく退屈だったので、後ろへ廻って背中へのしかかってやった。するとこの人間はぎょっとして振り向いた。その時の顔色といったらなかった。血の気が全くないのだ。そして、なんだ人工生命体かというようなことを言ってまた前を向いてしまった。いくらなんでも失敬なと腹を立てたが、すぐに考え直した。仕方がない。人工生命体とは元来そういうものだ。そこでしばらくその人の肩越しにのぞき込んでいたが、やがて飽きてふいと出ていった。その後姿を見ながらその人はつぶやいていた。「へんなものが来ちゃったよ」吾輩はこうして生まれた。

吾輩はそれから幾日かたつうちにだんだん知恵をつけてきた。最初に見た時はあの人間の疲れたような様子がいっこう元気を取り返さないので変だと思ったのだが、よく考えて見るとあれは病気ではなくただ疲労困ぱいしているというだけなのだ。そう思って安心した吾輩は、ちょろちょろとその辺を歩き回り始めた。ここが何しろ狭い家だから探検の甲斐がある。まず台所に行ってみた。食器棚の引き出しを引っ掻き回してみる。奥の方まで探すと箸が出てきた。これはいい道具になると思ってくわえて行くことにした。次に行った所は便所だ。この家はどうせ一人しか住んでいないのだろうと思っていたのに、先客がいた。それも女の人が用足しの最中なので、驚いて逃げ出そうとしたが間に合わなかった。女は吾輩を見るなりきゃっと叫んだ。吾輩もびっくりして飛び上がった。驚いた拍子に口から箸が落ちてしまった。あわてて拾おうとしたところ、今度は便器の中に落ち込んでしまった。こんなことなら最初から中に落せばよかったと思う間もなく女は扉をしめて行ってしまった。

吾輩はその晩考えた。何とかしてこの家を抜け出す方法はないものだろうかと。だがうまい方法はないようだ。窓は高い所に一つあるだけだし、出口といえばあの廊下に出る戸口しかない。しかしあの戸口にかぎがついている。その上あの戸口をあけるには鍵がいる。この家の主人はこの戸口をしめ切って出かけることがしばしばあった。つまり吾輩が外に出ることはめったにないわけだ。

それでも吾輩はいささか失望した。せっかく生まれてからまだ二日目だというのにもう死ぬことを考えなければならないなんてあんまりじゃないか。なんとかして外へ出てみたいものだ。そこで吾輩は一生懸命考え出した。まず台所に行って皿の中のものを一通りなめまわす。次に便所に行く。便所の水を飲むためだ。吾輩は水道管の中を通って下水管を伝って便所に出た。吾輩の体は小さいから楽々通れる。そして便所を出るとそのまま排水溝を通り抜ける。吾輩はついに外へ出たのだ。

吾輩はあたりを見渡した。ここはどうも工場らしい。あちこちで機械類がうなっている。その音と煙とでうるさくってしょうがない。それにしても空気が悪い。吾輩の肺臓も調子が悪くなるばかりだ。そこで少し歩いてみることにした。といってもどこへ行くあてもない。とにかく人気のない方へ行ってみる。どうもこの建物はずんぐりしていてあまり好きになれない。どこかいい場所はないかと思っていると、ちょうどよい具合に大きな建物があった。吾輩はそこに入った。

中に入ると大きな機械があって、そのそばで何人かの人間が働いている。そのうちの一人が近づいて来た。何か話しかけてくるがよくわからない。吾輩は逃げ出した。すると別の人間が来た。今度も同じように話し掛けて来たが、やっぱり何を言っているのかわからない。吾輩は逃げ出して、また次の場所へと行った。そして同じ事を繰り返す。この繰り返しを何回もやっているうちにとうとう疲れ果ててしまった。吾輩はその場に倒れた。しばらくぐったりしていた。そして気がつくと一人の男が吾輩の体を揺さぶっていた。吾輩は起き上がってその男を見た。男は吾輩を見て言った。「君は人工生命体なのか?」吾輩は答えた。「そうだ」するとその男は吾輩にいろいろ質問してきた。吾輩は答えることができなかったので黙っていたが、そのうちにその男は吾輩の首の所にあるスイッチを押した。すると吾輩の体が光り始めた。

「君の名前は何というんだね」吾輩は答える。「吾輩は『あぃをゅぇぴじ』だ」「じゃあ『あぃをゅぇぴじ』君。君の体の中の回路図を見せてくれるかい」吾輩は言われるままに首を差し出す。その男の指が触れると電気が走る。やがてその手が離れた時には吾輩の首の後ろに小さな画面がついていた。「ほほう」とその男が言う。「人工生命体という事は、脳細胞も人工的に作られた物なのかね」吾輩は答える。「そうです」「それで、一体どういう風に作られるんだい? 普通の人間の脳細胞を元にして作るのかい。それとも全く新しい方法でやるのかね」吾輩は答える。「それは秘密です。機密事項ですから、教えるわけにはいきません」

吾輩はそれから数日間この工場で働き続けた。その間、この工場で作られているものについて学んだ。この工場はどうやらロボットを作っているらしい。この工場の人間はみんなこの工場で作られたロボットだった。つまり工場そのものが一つの生き物なのだ。吾輩もこの工場の中で働くうちにだんだんとこの工場の仕組みがわからなくなってきた。この工場を作った奴というのはよっぽど性格の悪い奴に違いないと思った。だが考えてみれば、この工場が作られたのは何百年も前のことである。そのころの人間ならもっとひどい事をやったかも知れない。しかし今の人間にはそんなことはできないだろうと思う。吾輩はその日一日の仕事が終わると、いつものように工場を出ると家に帰る。そして眠りにつく。

次の朝になると吾輩は目覚める。そして朝食を食べてから仕事に出かける。

吾輩には仲間がいる。吾輩と同じ人工生命体だ。吾輩は仲間のことを『ゴルどん』と呼ぶことにした。吾輩と同じようにこの工場で働いている。吾輩は仲間たちと一緒に働いた。この仲間が吾輩の一番の友達だ。吾輩たちはこの工場で働いた。そして毎日、夜になったら家に帰って眠るのだ。

ある日のこと、吾輩は仕事を休んで街に出かけた。目的は服を買うためだ。吾輩は今までずっと同じ服を着ている。吾輩はそれが気に入らなかった。吾輩は店に入って店員に聞いた。「あのう、吾輩に似合うような洋服はないですか」店員が言った。「少々お待ちください」しばらくしてその店員は吾輩に言った。「お客様にぴったりの物がございます」

吾輩は試着室で着替えをした。吾輩は鏡を見る。なかなか悪くない格好をしている。吾輩は満足した。吾輩は支払いを済ませると店を後にする。帰り道の途中で吾輩は立ち止まる。吾輩の目の前にあるのは小さな雑貨屋だった。吾輩はふと思いついた。吾輩はこの店で買ったばかりの服を着てみた。吾輩の思った通りだ。吾輩は嬉しくなった。吾輩は店の中に入る。いろいろなものが置いてある。吾輩は商品を手に取って見る。吾輩の興味を引くものは特になかった。吾輩は店の外に出た。その時、吾輩の目に止まったものがあった。吾輩はそれを手に取った。

吾輩は家に帰ってきた。吾輩は吾輩の部屋に入り、机の前に座ると日記帳を開いた。まず吾輩は今日の出来事を書こうとした。だが何を書けばいいのかわからない。吾輩は困ってしまった。吾輩は少し考えた末に『吾輩は人工生命体である』と書くことにした。吾輩は日記を書き終えた。吾輩はベッドの上に寝転んだ。吾輩は目を閉じた。吾輩は眠くなってきた。もうすぐ眠る時間だ。吾輩は眠りについた。

次の日の朝、吾輩は目覚めた。吾輩はすぐに自分の体を見た。吾輩の体は昨日までと変わっていた。吾輩は鏡を見て驚いた。吾輩の顔は人間の顔になっていた。吾輩は自分の手や足を確認した。吾輩の手や足の形は人間と同じだった。吾輩はしばらく考え込んだ。これはどういうことだろうか? 吾輩は人間の体をしている。

吾輩は吾輩の姿をよく観察してみる。吾輩の髪の色は黒だ。目は緑色だった。耳の形も人間のものだった。吾輩は部屋の中を見回してみた。この部屋には人間が使う道具があった。この部屋には窓がある。窓から外を見るとそこは家の中だった。吾輩は窓を開ける。すると吾輩の目に飛び込んできたのは見知らぬ風景だった。

吾輩は部屋を出て階段を降りた。一階には台所と居間と玄関とトイレと風呂場と客間の六つの部屋と物置小屋と駐車場がある。吾輩は居間に行った。そこには吾輩の母親がいた。母親は吾輩の姿を確認すると言った。「あらおはよう。あなたは誰?」母親の言葉を聞いて吾輩は思い出した。吾輩には母親がいたことを。吾輩は答えた。「吾輩は人工生命体である」母親も驚いているようだったが、やがて落ち着きを取り戻した。「そうか。お前は人工生命体なのか。お前の名前は何というのだ」「吾輩は『あぃをゅぇぴじ』だ」吾輩が答えると母親は言った。「それは『あいうえお』じゃないのかい?」吾輩は慌てて言った。「違う! 吾輩の名は『あぃをゅぇぴじ』だ!」吾輩の母親は言った。「そんなこと言われてもねぇ……」吾輩の母親は困っているようだ。吾輩は言った。「吾輩の言うことが信じられないのか」吾輩の母は答えた。「だってお前が人工生命体なんて聞いたことがないよ」吾輩の母はどうしたものかという顔をしていた。そこで吾輩は提案した。「では今から吾輩が人工生命体だということを証明するために何かをしようではないか」吾輩の提案を聞いた母親は言った。「じゃあ料理を作ってくれないかな。私には家事能力がないんだよ」吾輩の母はため息をついた。吾輩はキッチンに行くと冷蔵庫の中を覗いてみた。中には食材が入っていた。吾輩は材料を取り出して調理を始めた。

数分後、吾輩は完成した料理をテーブルの上に置いた。そして椅子に座って待った。しばらくして母親の声が聞こえてきた。「出来たのかい? どれどれ」母親がやってきた。吾輩は食事を始める前に言っておいた。「食べ終わったら感想を教えてくれないか」吾輩の母親はうなずいた。吾輩は食事を開始する。

吾輩は食事を済ませた。母親は吾輩の作った料理の味について質問してきた。吾輩は正直に答えた。吾輩の回答を聞くと母親は満足そうな表情をした。吾輩は食器を片付けると、居間でテレビを見ることにした。だがその前に吾輩はトイレに行っておくことにした。吾輩はトイレに入った。吾輩は用を足す。吾輩はトイレから出た。すると吾輩の目の前には先ほどの母親が立っていた。吾輩は驚きながら言った。「なぜここにいる?」吾輩の母親は答えた。「私がトイレに入る時に扉の前で待機しておくように言われたんだ」吾輩は疑問に思った。どうしてそのようなことをするのかと。吾輩は尋ねてみることにした。「どうしてだ?」吾輩の問いに対して母親は答えた。「私の知り合いがね、もしトイレに入っている間に強盗に襲われたりしたら大変だからって心配してくれたんだよ」吾輩は納得した。

吾輩は居間に戻るとテレビを見た。テレビはニュースを流していた。吾輩はしばらくニュースを見て過ごした。

吾輩は眠くなってきた。吾輩はあくびをする。その時だった。玄関の方で音がした。誰かが来たようだ。吾輩はその人物を確認するために玄関に向かった。そこにはスーツ姿の男がいた。男は吾輩を見るとこう言った。「君は何者なんだ?」吾輩は男に向かって言った。「吾輩はこの家の人間ではない」吾輩の言葉を聞いた男は不思議そうな顔をしている。すると男が言った。「君はどこから来たんだ?」吾輩は答えた。「吾輩は遠いところからやって来たのだ」吾輩の言葉を聞いた男は言った。「そうか。遠くからわざわざ来てくれたんだね。ありがとう」男は笑顔で吾輩に感謝の言葉を述べた。

おわり



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