【猫20

吾輩は猫である。名前はまだ無い。

どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番えらい人間だそうだ。その書生はいつも病気にかかっていて、ふだん学校とかいう所へ行ってるくせに休みの日になると家に来てゴロゴロして遊んで行く。こいつらはたびたびやって来ては我々を膝の上に載せて撫でたり抱いたりする。実にけしからん奴らだ。しかしほかにする事もないから仕方がない。ところでこのごろ何やら人間の様子が変わったようだ。以前は時々我々の飯の時間には、煮干しだの鰹節だの持って来てくれたものだが今は何かこう陰気臭くていかん。この間などは十円札を持って来て「これで牛乳でも飲みな」と言って置いて行った。我々は牛乳なぞ飲んだことはないが人間はよく飲むらしい。そこで早速飲んでみたがまずいことおびただしい。こんなものの何がいいのか分からん。人間というのは変なものを飲むものだ。そう云えばこのあいだもどこかの小説家が「吾輩は猫である」と云う題の小説を書いていたがあれもやはりうまかった。あの小説にも書いてあったが猫は鼠を取るのが一番うまいのだそうだ。ところがうちでは近頃鼠が出ないので困っている。書生は「そんなことは心配しなくてもそのうち出るよ」と言うが本当であろうか。とにかく鼠さえ出ればあんなまずい牛乳を飲むこともなくなると思うのだが……

三月某日の昼下がり、吾輩は庭先で日向ぼっこをしていた。このところ朝晩は冷えるが日中の陽射しは暖かくなって来た。今日は日曜日だから書生も遊びに来るはずである。彼は今年大学を出たばかりでまだ就職していない。それに引きかえ吾輩はもう二十歳を過ぎているから、そろそろ身を固めねばならぬ時期なのだが、どうも嫁取りの話がちっとも出ないようである。まあ結婚はしたいとは思わないが子を産むためには嫁がいるはずだ。それにしてもこの頃は嫁入りの話ばかり出て来るのは何とも不思議だ。吾輩の親兄弟はみんな死んだり行方知れずになったりしているが、一体どこに行ってしまったのだろう。もし生きているなら早く帰って来て貰わなければ困る。もっともこの家は広いから一人で住むには持て余すくらいだが、それでも嫁入りすれば誰かしらやって来るかも知れない。それがどんな奴だろうと吾輩は知らん顔で通すが、もし意地の悪い姑が来たら大変なことになる。そうなると猫は弱いからすぐ虐められて追い出されてしまう。それでなくともこのごろはどこの家でも夫婦喧嘩が多いと聞いている。これは困ったことだ。そんなことをつらつらと考えているうちに書生がやって来た。「おーい、元気かい」と大きな声で叫ぶ声がする。「ニャーオ」と答えて吾輩は縁側に上った。

書生はいつものように座布団を敷いてその上に胡坐を掻いて本を読始めた。何を読んでいるのかと思って見ると『日本外史』である。この男は歴史が好きでよく本を読む。吾輩もたまに読んでもらうことがあるが、あまり面白いものでないから途中で飽きて寝入ってしまうことが多い。しばらくすると書生は読み疲れたらしく目を擦って欠伸をした。そして吾輩を見て、「猫君ちょっとここへおいで」と言った。吾輩は言われるままに彼の傍へ寄った。書生は吾輩を抱き上げて膝の上に乗せ、耳の裏や喉の下などを撫で廻した。気持ちが良くなって吾輩は大きなあくびをして、それからまた横になって丸くなった。彼は吾輩の背中に手を当てたままじっとしていた。

その時突然玄関の方でガラリと戸を開ける音がした。書生はハッとして吾輩を置いて立ち上がった。吾輩は少し眠気がさしたような心持ちで彼を見送った。間もなく書生の呼ぶ声が聞こえたので吾輩は起き上がって廊下へ出た。彼が案内している客人は女であった。吾輩はこの女の顔をちらと見たがすぐに興味を失って居間へ戻った。彼女は吾輩を見ると「あら、可愛い猫ちゃん」と言って微笑んだ。

書生は彼女を卓の前に座らせて茶を出した。吾輩も彼の膝に乗って一緒にお茶を飲んだ。彼女は「今日はお天気が良いですねえ」などと他愛もない話をしていたが、やがてふと思い出したように言った。

「そう言えばこの間、あなたのお友達が訪ねて来た時、うちの主人が留守で会えなかったけど、あなたがここにいることをお話ししました?」

「いいや」と書生は答えたが、吾輩は先日来た男の顔を思い出して、ニャアと鳴いた。

「あら、やっぱりご存じだったんですね」と言って彼女は笑ったが、吾輩が知っているということを知って何とも言えない嬉しさが込み上げてきたらしい。「あの人きっとびっくりするでしょうねえ」と言って吾輩を見つめながらクスクス笑うのである。吾輩はその笑い方が何とも言えず可憐だったので思わず彼女の膝に飛び乗った。すると書生が「そんなことをしたら駄目だよ」と言って吾輩を引っ張るのである。吾輩は彼の手を逃れて再び膝の上に飛び移った。今度は書生も諦めて黙っていた。しかし彼女が「そうよ、いけないわ」と言うと渋々手を離したのである。全く人間は勝手で我ままなものだ。

吾輩は今度こそ彼女に甘えてみようと思った。吾輩は前足で頭を掻き、尻尾で床を叩き、首をクルリと回して、「ウニャーン」と鳴き、そして彼女の膝の上でゴロゴロ転げ回った。ところがこの動作を三度繰り返したところで、急に体が重くなり息苦しくなってきた。どうしたことかと思って見上げると、書生が立ち上がって吾輩を持ち上げたのだ。彼は吾輩を抱いたまま台所へ行き、流し台の縁に置いた。

吾輩は水が苦手なので蛇口の下に連れて行かれるのは困る。何とか逃れようと暴れてみたが無駄であった。書生は吾輩の首根っこを押さえて水を流した。冷たい水を飲んで吾輩は咽せてしまった。吾輩の体は濡れて毛が体に貼りつき、まるで泥だらけになったような有様になってしまった。吾輩は水攻めにあって死ぬのかと思うほどだ。

書生は吾輩を掴まえると風呂場に連れて行った。吾輩は観念したが、彼は吾輩を洗うために湯をかけたり石鹸をつけたりするわけではないようである。吾輩を抱えたまま浴槽に入り、ゆっくりと腰を沈めたのである。吾輩は溺れないように必死に足を動かした。この男は一体何を考えているのか分からん。吾輩が抵抗する様子を眺めて楽しんでいるに違いない。吾輩はそう思って腹を立てた。書生は吾輩を抱いてしばらくそのままじっとしていたが、やがて吾輩の背中をさすったり顎の下を掻いたりし始めた。彼の手が温かく心地良いので吾輩は次第に落ち着いてきた。書生は吾輩を抱く腕に力を入れた。吾輩も彼の首筋に鼻を押し当て、背中や尻の辺りにもたれ掛かった。書生は吾輩を抱き締めたままじっとしていた。

吾輩はこの男が好きだ。この男と一緒だと吾輩は安心できるし、とても気持ちが良い。できることならいつまでもこうして抱いていて欲しい。しかし吾輩は猫だから人間の愛情に応えることはできない。人間と猫の間には深い溝があるのだ。書生には吾輩の想いが伝わっているだろうか。伝わっていればよいのだが。

書生は吾輩の体を拭き、ドライヤーで乾かしてくれた。そして吾輩を抱き上げて居間へ連れて行くと、吾輩の好きな座布団の上に置いてくれた。吾輩はもうすっかり満足して目を細めていた。

「おやおや、こんなところで昼寝かい?」吾輩は声の主に顔を向けた。そこには例の女が立っていた。女は吾輩の頭を撫でて「あらまあ、可愛らしいこと」と言った。

書生が吾輩のためにお茶を運んで来たので、吾輩は女と一緒にそれを飲んだ。彼女は吾輩に話しかけたが、書生が「あまり構ってやらないでくれ」と言うので、「あら、嫌われちゃったかしら」と言って口を尖らせた。書生は「そういうわけじゃない」と言って笑ったが、すぐに「ごめんよ」と謝った。

「そうだ、これあげよう」と女は言って、手に持っていたものを書生に差し出した。それは大きな袋に入った菓子だった。書生は礼を言ったが、吾輩は匂いを嗅いで顔をしかめた。どう考えてもこの女の持っているものを食べる気になれなかった。「あら、駄目なの?」と言って彼女は笑った。「じゃあお茶請けにでもしようかな」と言ってその包みを開いた。中から出てきたのは小さな饅頭であった。それを見た途端に吾輩は食欲をそそられた。何しろ昨日から何も食べていないのだ。吾輩はさっそくそれに舌を伸ばしかけたが、その時、書生の声が聞こえてきた。「これは君が作ったのか?」と彼は訊いた。すると女は笑って答えた。「ええ、そうよ」吾輩は驚いて顔を上げた。この人間は料理ができるというのだろうか。吾輩はその事実に大いに驚いた。人間とは料理などしないものだと思っていたのだ。しかし吾輩が知らないだけで、実は人間が作る食事というものは存在するのかもしれない。例えばこの茶わん蒸しのような食べ物も、彼女が作ったのであれば納得できる気がした。

書生はしばらく黙っていたが、やがて何かを決心したように立ち上がった。そして台所へ行き、しばらくして戻って来るとその手に大きな包丁を握っていた。吾輩はびっくりして飛び上がった。書生が吾輩の目の前で、自分の手を切ろうとしたからである。吾輩は慌てて逃げ出した。しかし書生はすぐに追いついてきて吾輩を捕まえると、またあの恐ろしい凶器を手に取った。吾輩はあまりの恐ろしさに身動きが取れなくなってしまった。書生は吾輩をつかまえて抱き上げると、包丁を放り出して再び吾輩を膝の上に載せた。

彼は吾輩の背中をさすりながら「すまないね、驚かせてしまって」と言った。吾輩は彼の膝の上で丸くなり、おとなしくしていることにした。書生は吾輩を抱いたまま立ち上がって歩き始めた。吾輩は彼がどこに行こうとしているのか分からなかったが、とにかく書生について行くしかなかった。書斎に入ると机の前に座り、引き出しの中から紙を取り出して書き物を始めた。吾輩はその様子をじっと眺めていたが、そのうち眠くなってあくびをした。書生は吾輩の様子に気づくと、少し待っていてくれるかと言って部屋を出て行った。吾輩は再び床に降ろされたが、今度はどこへ行くこともなかった。書生は吾輩のそばに座って本を読み始めた。

「待たせたね」と書生が戻ってきた時、吾輩はいつの間にか彼の腕の中で眠り込んでいた。書生は吾輩を抱き上げてベッドに連れて行き、布団の中に入れてくれた。そして電気を消して吾輩の横に横たわった。

吾輩は目を覚ました。辺りは真っ暗で、窓の外には月が出ていた。吾輩は自分の置かれた状況がよく飲み込めず混乱したが、すぐに思い出して安堵のため息をついた。吾輩は今、書生の部屋にいるのだった。布団は柔らかく暖かかった。書生はすでに寝ているらしく、規則正しい呼吸音が聞こえてくる。吾輩は布団から出て書生の顔を見上げた。眠っている姿を見ると、やはりまだ若い男なのだと思った。髪は短く切り揃えられていて、ひげは剃ってある。眉毛と口の周りの産毛が生えていた。鼻は高くはないが、真っ直ぐに通って形が良かった。耳の形は吾輩に似ていた。こうして見ると、なかなかの男前である。

吾輩はしばらくの間、書生の寝顔を見ていた。そしてふと思いついて立ち上がり、部屋の隅にある箪笥の一番上の段に登った。そこには着物や洋服が入っていた。吾輩はその中から、赤いリボンのついた黒い革の首輪を引っ張り出した。それをくわえて下に降りると、書生が寝返りを打った。吾輩は慌てて首輪を置いた。

吾輩は書生が本当に起きるのではないかと心配になり、そっと部屋を出た。廊下に出ると、そこはしんとしていて静まり返っていた。吾輩は玄関まで行ってみたが、靴箱の上には鍵が置いてあった。吾輩は外へ出ようとしたが、戸を開けることができなかった。仕方が無いので再び階段を登り二階に上がると、書生が吾輩のために用意してくれた部屋にたどり着いた。吾輩は中に入り、畳の上に座った。

その時、下から誰かが上がってくる足音が聞こえた。吾輩は驚いて、入り口の方を見た。書生が吾輩を探してやって来たのだろうか? いや、違うようだ。なぜならその音はゆっくりとしたものだったからだ。吾輩は注意深く扉の向こうの気配を探ったが、何も感じられなかった。しかしそれは確実に近づいて来ていた。吾輩は不安になって、隠れる場所を探した。しかしどこにも見つからなかった。吾輩は仕方なく再び畳の上に座り込んだ。すると突然、ドアノブが激しく回された。吾輩は驚きのあまり飛び上がりそうになった。しかし何とかこらえて、じっと様子をうかがっていることにした。

しばらくすると、扉の鍵穴に何かを差し込むような音がした。続いてカチリという小さな金属音が響いた。次の瞬間、勢い良く扉が開かれた。吾輩は思わず「ニャッ!」と悲鳴を上げた。そして反射的にその場を離れようとした。しかし遅かった。吾輩は侵入者の手によって捕らえられてしまったのだ。吾輩は必死にもがいたが、相手は吾輩の抵抗をものともしなかった。吾輩はそのまま持ち上げられて、部屋の中に運び込まれた。吾輩は宙吊りのまま暴れたが、侵入者は吾輩をしっかりと捕まえたまま離そうとはしなかった。それどころか吾輩を持ち替えると、まるで猫じゃらしのように振り始めた。吾輩はパニックに陥って、ひたすら逃げ出そうとした。しかしその度に掴まれて、揺さぶられた。吾輩はもう限界に達しようとしていた。吾輩は最後の力を振り絞って相手の顔に爪を立てた。侵入者がひるんだ隙に、吾輩は拘束から抜け出して着地をした。そのまま一目散に逃げだそうとしたのだが、また捕まってしまった。今度は先ほどよりも強い力で押さえつけられた。吾輩は再び宙吊りになった。そして激しく揺らされながら、どうにか逃れようと懸命にあがき続けた。やがて吾輩は疲れ果ててしまい、ぐったりとなった。侵入者も吾輩の動きが鈍くなったことに気づいて、やっと手を緩めた。吾輩は自由の身になったが、もはや逃げる気力は残っていなかった。侵入者の方を見ると、彼は吾輩を見つめていた。そしてにっこりと微笑むと、吾輩を抱き上げて膝の上に乗せた。吾輩はもうどうでもいい気分になっていた。吾輩はため息をつくと、目を閉じた。そして彼の腕の中で静かになった。

しばらく経って吾輩が目を開けると、書生の顔があった。いつの間にか眠っていたらしい。書生は吾輩の背中を撫でていた。吾輩は身を起こして伸びをするふりをして、書生の手から逃れた。そして再び畳の上に寝転がった。書生はそんな吾輩を見てくすくす笑った。

吾輩が目を覚ますと、すでに昼近かった。窓の外には青空が広がっていた。吾輩が布団の上で丸くなっていると、書生が台所から出てきた。手には盆を持っていた。「ご飯を持って来たよ」書生はそう言うと、吾輩の前に皿を置いた。中には白い米が入っていた。吾輩はそれを見ると急に空腹を覚えた。吾輩は起き上がって、カリコリと音を立てて食べ始めた。その様子を書生は嬉しそうな顔をして見ていた。

食事が終わると、吾輩は書生に連れられて散歩に出かけた。書生と一緒に歩くのは初めてだった。吾輩は辺りの様子をよく観察しながら歩いた。まず目に付いたのは大きな木や庭石など、いろいろなものが置かれていることだった。次に目に付いたのは、塀の上にいる大きな犬たちだった。彼らは時折吠えたりしていたが、おとなしくしていた。それから家の前を掃除している女中の姿を見かけた。彼女は吾輩たちに気づくと、「あら、こんにちは」と言って挨拶をしてきた。吾輩たちは彼女に向かって小さく頭を下げた。すると彼女の方が慌てた様子を見せ、「ごめんなさいね。うるさくしちゃって」と詫びた。吾輩は返事をするようにニャーと鳴いてみた。すると彼女は安心したようだった。「お利口さんなのねえ。猫ちゃんはいいわよねえ」そう言って、彼女は微笑んだ。

吾輩たちが歩いているうちに、屋敷の裏にある森の入り口に着いた。この森の中は薄暗くて涼しかった。しかし木々の隙間からは日差しが漏れていて眩しいほどだった。少し行くと池があり、その周りでは子供たちが遊んでいた。吾輩は彼らに声をかけようとしたが、やめておいた。子供が苦手なのだ。吾輩が黙って見ていると、一人の少年が吾輩の存在に気付いた。「あっ、猫がいるぞ!」すると他の子供も一斉にこちらを見た。吾輩は慌てて逃げ出そうとしたが、間に合わなかった。子供たちが駆け寄ってきたのだ。吾輩はたちまち取り囲まれてしまった。吾輩が身を固くしていると、そのうちの一人が吾輩の首根っこをつかんで持ち上げた。「ほら、こっちに来い!」吾輩は必死でもがいたが、逃れることはできなかった。

吾輩は茂みの中に連れ込まれてしまった。「こいつを捕まえてやったぜ」男の子は得意げに言った。吾輩が怯えていると、別の子が言った。「こいつ、すごく可愛いなあ」「ほんとだ! うちに連れて帰ろうかな?」吾輩は抗議の声を上げたが、相手にされなかった。吾輩はこのままここに居続けるわけにもいかないと思い、逃げ出すことにした。しかし吾輩が動き出す前に、首根っこを押さえつけられて動けなくなってしまった。吾輩はもがくしかなかった。そしてようやく抜け出したと思った瞬間、吾輩は地面に落ちていた石ころで足を滑らせて、水たまりの中へ倒れ込んでしまった。吾輩は泥だらけになってしまった。子供たちは吾輩が逃げ出したことに気付くと、残念そうな声を出した。「あー、逃げられちまった」吾輩は泥まみれになりながら、その場から立ち去った。吾輩はしばらく歩いて、ふと後ろを振り返った。そこには誰もいなかった。

吾輩が家に帰り着く頃には夕方になっていた。玄関に入ると、書生の姿が見えた。書生は吾輩を見ると笑顔を見せた。そして吾輩を抱き上げて、頬ずりをした。「ああ、良かった。帰ってきてくれて嬉しいよ。心配していたんだよ。さっき散歩に出かけて行ったきり、戻って来なかっただろう? だから君を探しに行ったんだけど、どこにも見当たらなくて……本当にどうしようかと思っていたところだったんだ」書生はそう言うと、吾輩を抱きしめたまま泣き出した。吾輩は困ってしまった。なぜ彼が泣いているのか分からなかったので、とりあえず慰めるように、ニャアと鳴いてみた。すると彼は吾輩を抱いたまま立ち上がった。「今日は一緒に寝ようね。僕がずっと傍にいるよ」

次の日になっても書生は吾輩から離れようとしなかった。吾輩が散歩に行きたいと言っても、決して行かせてはくれなかった。吾輩は仕方なく書生の膝の上で丸くなった。書生は吾輩の背中や頭を撫で続けた。その手つきはとても優しかった。吾輩は次第に眠くなってきた。

吾輩は夢を見た。夢の中の吾輩は、書生に抱かれて空を飛んでいた。吾輩は驚いて辺りを見回した。空には月が出ていた。それはとても大きく、輝いていた。吾輩は書生の顔を見た。しかしそこにあったのは、いつもと同じ優しい顔だった。吾輩は再び下を見た。地面がどんどん遠ざかっていく。やがて雲の上に出た。そこから先は真っ白な世界が広がっていた。吾輩たちはその白い世界をどこまでも飛んでいった。

目が覚めると夜だった。吾輩は起き上がると、伸びをしてみた。身体中が痛かった。それから部屋を出て、縁側に向かった。そこに座り込むと、吾輩は庭の景色を眺めた。吾輩はここで一生を過ごすことに決めたのだ。吾輩がこれからどのように生きていこうと考えていると、突然足音が聞こえてきた。誰かが近づいてくるようだ。吾輩は慌てて柱の後ろに隠れた。すると書生が姿を現した。書生は吾輩を見つけると、嬉しそうな顔をして駆け寄ってきた。「あっ、こんなところに居たんだね! 探していたんだよ。どうして隠れたりするの?」書生はそう言いながら吾輩を抱き上げた。吾輩は抵抗したが無駄だった。「ほら、おいで」書生は吾輩を抱いて歩き始めた。吾輩は仕方がなく、彼に身を任せることにした。

吾輩が書生に連れて行かれたのは、台所だった。そこには料理が並んでいた。書生はその中の一つを手に取ると、吾輩に差し出してきた。「はい、お腹空いたでしょう? これ食べなよ」書生の言葉を無視して、吾輩は床の上に飛び降りた。そして彼の差し出している食べ物を爪で引っ掻いて、それを落とした。「もう、駄目だよ」書生は怒ったように言った。しかし吾輩は気にせずに食事を続けた。「まったく、君は意地悪だなあ」書生はため息をついた。そして別のものを食べさせようとしてきた。吾輩はそれを拒否した。書生は悲しげに目を伏せると、黙って自分の分だけを食べることにしたようだった。

しばらくして、吾輩のお腹がいっぱいになった頃、書生は自分の食事をすべて平らげてしまった。「ごめんね」書生は申し訳なさそうな表情を浮かべて謝った。吾輩は首を横に振った。彼は吾輩を抱きしめた。「ありがとう」そう言って、微笑みかけてくれた。「そうだ!」書生は何事かを思いついたようで、吾輩をその場に残したまま、どこかへ行ってしまった。

吾輩はしばらく、その場に座って待っていた。すると書生はすぐに戻ってきた。彼は手に何かを持っていた。「じゃーん!」彼はそれを吾輩に見せびらかした。それは玩具の笛だった。「これで遊ぼうよ」彼はそう言うと、吾輩の前に笛を差し出した。吾輩はそれを前足で叩いたり蹴ったりしながら、振り回したりしていた。なかなか面白い遊び道具だったが、あまり楽しいとは思わなかった。それでもしばらくの間は付き合ってあげていたが、すぐに飽きてしまい、吾輩は書生の手から逃げ出した。彼は追いかけてこなかった。

吾輩が再び、廊下に出ると、書生の姿を見つけた。彼は部屋の中に入って行くところだった。吾輩は興味本位でその後を追った。部屋の中には誰もいなかった。書生は机に向かって座っていた。吾輩は彼の傍まで行ってみた。「ああ、また来たのか」書生は笑顔を見せた。そして吾輩の頭を撫でた。「君も好きだねえ。僕と一緒に遊ぶかい?」彼はそう問いかけてきたが、吾輩は何も答えなかった。吾輩はそのまま窓辺に移動した。

吾輩が外の風景を見ていると、書生は立ち上がり、こちらにやってきた。「ほら、見てごらんよ。綺麗だろう」書生は窓から見える景色を指差して言った。吾輩はそちらの方を見やった。確かに景色は美しかった。しかし、それだけだった。吾輩は視線を元に戻すと、再び景色を眺めた。「そんなに見つめても何も変わらないと思うけど……」書生は困ったような顔をして言った。「もしかしたら、ここが気に入っているのかな?」吾輩が答えるとでも思ったのだろうか。書生は一人で納得している様子だった。「よし! 決めたぞ」突然、書生は大きな声を出した。吾輩は驚いて飛び上がった。書生は勢いよく立ち上がった。「僕はこの家を出ることにするよ。今まで本当に世話になったね。ありがとう。元気でな」「ニャーン!」吾輩は鳴いた。書生は驚いた顔をして、吾輩を見下ろした。「なんだ、急に……寂しいの?」そう聞かれたが、吾輩は首を傾げただけだった。「分かった。それじゃあ一緒に行こうか。さっそく出かける準備をしないとね」書生はそう言うと、吾輩を抱え上げた。そしてそのまま外に出た。

窓辺に猫

書生は吾輩を連れて、町中を歩いていた。吾輩は彼がどこに向っているのか分からなかったが、とりあえず大人しくしていた。しばらく歩いていると、書生はある建物の前で立ち止まった。そこは大きな病院だった。「ここに用事があるんだ」書生はそう言いながら、吾輩を地面に降ろした。そして建物の中へと入って行った。

吾輩がその建物をじっと見上げていると、一人の男が近づいてきた。男は吾輩に話しかけてきた。「やあやあ、こんにちは」男はとても愛想の良い笑みを浮かべていた。「こんなところで何をしているんですか? ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ」吾輩が答える前に、書生が戻ってきた。そしてその男の方に顔を向けた。「あ、すみません。僕の連れです」そう言って頭を下げた。「なるほど、そういうことでしたか」男は納得がいったという風にうなずいていた。それから少しの間、三人は話をしていたが、やがて話は終わったらしく、彼らは別れることになったようだった。「じゃあ、失礼します」そう言って書生はその場を去った。吾輩もそれについていくことにした。

吾輩たちが病院の敷地から出た後も、書生は歩き続けた。吾輩は黙って彼の後を追いかけていたが、あることに気づいて足を止めた。「どうしたの?」書生は振り返ると、不思議そうな表情で吾輩を見た。吾輩は前足で地面を指し示した。「え? ああ、これか。これは足跡だよ」彼は足元の土を手で払った。そこには小さな穴があった。「猫だ!」彼は嬉しそうにはしゃいだ。「やっぱり、この町にも野良がいるんだね。嬉しいなあ。これからは毎日、会えるかもしれないよ。良かったねえ」彼は上機嫌だった。「そうだ! 名前を付けないとね。どんな名前がいいかな?」そう言うと、彼は腕を組んで考え始めた。吾輩はその場に座って、彼を見つめた。しばらくして彼は口を開いた。「よし、決めたぞ!」彼は目を輝かせて吾輩を見つめ返した。「お前の名前は『シロ』だ。よろしくな」そう言って彼は手を差し出した。吾輩はその手を前足で叩いた。すると彼は傷ついたような顔をした。「あれ? 気に入らない?」吾輩は首を振ると、そっぽを向いた。

吾輩たちはその後も町のあちこちを回ったが、特に変わったことはなかった。書生は相変わらず楽しげだったが、吾輩としては少々退屈でもあった。しかし、そんなことは口にできないので、吾輩は無言で彼に従っていた。

しばらく歩くと、空腹を感じた。吾輩は書生に向かって鳴いてみたが、反応はなかった。もう一遍鳴いてみた。しかし、やはり返事はない。吾輩は諦めることにした。人間とはこういう生き物なのだ。仕方ない。吾輩はどこか食べられるものがないか探すために、辺りを見回した。しかし、それらしきものは見つからなかった。吾輩はため息をつくと、その場に座り込んだ。その時、ふいに強い風が吹いた。吾輩は思わず身を縮めた。吾輩の毛がなびいた。「ニャア!」吾輩は叫んだ。しかし、それは風の音にかき消された。吾輩は再び鳴いた。今度は先ほどよりも大きな声で。だが、やはり何も聞こえなかった。吾輩はまた鳴こうとしたが、無駄だと悟った。仕方なく吾輩はその場で丸くなった。

しばらくすると、書生がこちらにやってきた。吾輩は身体を起こすと、彼の方を見た。彼は手に何かを持っていた。それを見て吾輩は驚いた。それはパンだったのだ。しかもただのパンではない。焼きたてのフランスパンだった。吾輩が驚いていると、書生はそれを差し出してきた。「ほら、食べなよ」そう言って書生は笑っていた。吾輩は警戒しながら匂いを嗅いだ。確かに美味しそうな香りがする。吾輩は噛みつこうとしたがよくよく考えれば猫は肉食であるからパンは食わない。肉持って来いよ。そう思いながらニャアと鳴いた。

書生は吾輩が食べないので、困っているようだった。「もしかしたらお腹が空いているわけじゃないのか? うーん、じゃあ何だろう……」彼はしばらく考えていたが、やがてハッと顔を上げた。「分かった! 僕を信用していないんだね?」書生は吾輩に尋ねた。吾輩が黙っていると、彼は肩を落とした。「やっぱりそうか……。まあ、無理もないよね」彼はそう呟くと、残念そうに吾輩を見た。「じゃあ、これはどうだい?」そう言って懐から牛肉を取り出した。吾輩はそれをじっと見つめると、前足で叩いた。

「え⁉ まさか本当に食べる気かい?」書生は目を大きく見開いて吾輩を見つめていた。吾輩は何も言わずにそれを食べた。「……本当だ。すごい勢いで食べてる」彼は呆然としていた。吾輩が満足するまでには、かなりの時間がかかったと思う。そしてその頃にはもう日が落ちかけていた。吾輩は疲れたので、そのまま眠ってしまった。

翌朝、吾輩が起きた時にはすでに太陽が高く昇っていた。吾輩は慌てて飛び起きると、あたりを見回した。しかしそこには誰もいなかった。どこに行ったのだろうかと思っていると、足音が近づいてきた。見ると、書生の姿があった。彼は吾輩を見つけると笑顔を見せた。「おはよう」彼はそう言うと、しゃがみ込んで吾輩を見た。「良く眠れたかな?」吾輩はニャーンと答えた。「そうか、良かった」彼は微笑むと立ち上がった。「さて、そろそろ行こうか」彼はそう言って歩き出した。吾輩は彼の後を追った。

吾輩たちは町中を歩いていたが、昨日のことがあってか、すれ違う人々は皆、彼に道を譲ってくれるのでとても楽だった。吾輩たちは橋を渡って、町の外へ向かった。その途中にある公園で休憩することにした。吾輩は木の上に登って辺りを見渡してみた。すると、向こうの方に大きな建物があることに気づいた。あれは何だろうと吾輩が考えていると、書生がやってきた。「どうかしたのかい?」彼が尋ねてきたので、吾輩はあの建物の方を向きながらニャアと鳴いた。「ああ、あれは学校だよ」彼はそう言った。学校は吾輩にとって未知の世界であった。吾輩が興味津々で見ていると、書生は吾輩を抱き上げた。「ちょっと寄っていく?」彼はそう尋ねると、吾輩を連れて校舎へと向かった。

校舎の中に入ると、中は静まり返っており、薄暗かった。書生が電気をつけると、辺りが明るくなった。「ニャア!」吾輩は驚いて鳴いてしまった。「大丈夫、みんな眠っているよ」書生はそう言いながら、教室の中に入っていった。机と椅子が並んでおり、その上には本が置いてあった。吾輩たちが教室の真ん中まで来ると、書生は吾輩を抱え直した。「ここに座ってごらん」書生は吾輩を床に降ろすと、自分も座った。「ここは図書室なんだ」「ニャー」吾輩が答えると書生は笑みを浮かべた。

「じゃあ、僕は少し本を読んでいるから君はここで休んでいるといいよ」書生は立ち上がると、本棚へと向かっていった。吾輩はしばらくその場で寝転がっていたが、ふと気づいたことがあったので起き上がると、書生の後を追った。

書生は本の山の前にいた。どうやら本を選ぼうとしているらしい。吾輩は書生の足元に近寄るとニャアと鳴いた。「ん? 何だい?」書生がこちらを向いたので、吾輩は再びニャアと鳴いた。「君も何か読みたいの? うーん……」書生は困っているようだった。「じゃあ、これでいいかな?」書生は一冊の本を手に取ると、それを吾輩に差し出してきた。吾輩はそれを受け取ると、再びニャアと鳴いてその場から離れた。

それからしばらく経つと、あたりが暗くなってきた。吾輩が窓の外を見ると、いつの間にか夜になっていたようだ。「もうこんな時間か……」書生は立ち上がって伸びをした。「そろそろ帰ろうか」彼はそう言うと、鞄を持って歩き始めた。吾輩はその後について行った。

帰り道、吾輩が歩いていると書生が立ち止まった。「お腹空かないかい?」彼は吾輩に向かって話しかけてきた。確かに吾輩のお腹はペコペコだった。しかし、今朝牛肉を食べたばかりであまり食べる気にはなれなかった。吾輩はニャーと答えた。「そうか……。そうだ! 確かここに……あった」彼はそう言うと、鞄の中から缶詰を取り出した。そして蓋を開けると、中身を皿の上に乗せた。「ほら、食べてみて」彼はそう言うと、吾輩の前に置いた。

吾輩は匂いを嗅いでみた。すると、美味しそうな香りが漂ってきた。吾輩はペロリとその肉を食べてみた。「ニャーン」吾輩が満足げに鳴くと、書生は嬉しそうに微笑んだ。「そうか、良かったね」彼はそう言うと、残りの缶詰を鞄の中にしまった。

翌日、学校に行く途中で書生は吾輩に話しかけた。「今日は僕がいないけど大丈夫かい?」彼は心配そうにしていた。吾輩はニャーンと答えると、書生は安心した様子で学校へ向かっていった。

昼休み、吾輩が校舎裏の木の上で日向ぼっこをしていると、一人の少年が現れた。その少年は辺りを見回した後、木の下に座った。「あれ? 誰かいると思ったんだけど……」どうやら吾輩のことを探しているらしい。吾輩はニャアと鳴きながら飛び降りた。すると、少年が驚いた表情で吾輩を見た。「あれ? 猫だ!」彼はそう言って近づいてきた。「おいで!」吾輩はその言葉に従って彼の方へ歩いていった。「この子、人懐っこいなぁ……」少年は吾輩を抱き上げると、頭を撫でてきた。「お前の名前は?」彼が尋ねてくるので、吾輩はニャーと鳴いた。「え? 何だって?」吾輩がもう一度鳴こうとした時、「ニャア!」という声が聞こえてきた。見ると、一匹の猫がいた。「あっ、お前もいたのか」彼はそう言うと、立ち上がった。「じゃあ、またな」彼はそう言うと去っていった。

放課後、吾輩が帰る支度をしていたら、突然教室の扉が開いた。「あ、いたいた」入ってきたのは書生だった。彼はこちらにやって来ると、吾輩の頭に手を置いた。「さあ、行こうか」彼はそう言うと、吾輩を抱え上げた。「ニャー」吾輩が鳴くと、彼は笑みを浮かべた。

次の日、吾輩が授業を受けていると、急に大きな音がして机の上に何かが置かれた。吾輩は何事かと思い顔を上げると、そこには大きな魚が置かれていた。吾輩は驚いてニャアと鳴いてしまった。すると、近くにいた男子生徒がこちらを見てニヤッと笑い、他の生徒たちもクスクスと笑っていた。吾輩が戸惑っていると、先生がこちらにやってきた。「あら、あなただったんですか」彼女はそう言うと、魚の上に置かれた手紙を手に取った。「これはあなたの分ですから食べてくださいね」彼女はそう言うと、去って行った。どうやらこの魚はクラス全員からの贈り物らしい。

吾輩が帰宅していると、後ろの方からニャアと鳴き声が聞こえた。振り向くと、そこにはあの時の少年が立っていた。「よっ」彼はそう言うと、吾輩の隣に並んで歩き始めた。「君もこっちの道なんだね」彼はそう言うと、吾輩に向かって話しかけてきた。吾輩はニャアと鳴いて返事をした。「ところで、名前はなんていうんだ?」彼はそう尋ねると、吾輩をじっと見つめてきた。「僕は正太っていうんだ」「ニャーン」吾輩が答えると、彼は嬉しそうな顔をした。「そっか、君はオスなのか……」「ニャーン」吾輩がそう返すと、彼はさらに嬉しそうな顔をした。

次の日、吾輩が学校へ行くと、今度は廊下にたくさんの猫が集まっていた。吾輩が教室に入ると、皆一斉にこちらを向いた。そしてすぐに吾輩の周りに集まってきた。「ほら、餌だよー」そう言いながら、一人の女子生徒が大きな皿を持ってきた。吾輩はそれを見ると、勢いよく飛びついた。「うわっ! 凄い食いつきだな……」彼女の横にいた少年が感心するように言った。「でも、ちょっとやりすぎじゃないですか?」別の少女が彼に尋ねた。「いいんだよ。こいつはこういう奴だから」彼はそう言うと、吾輩に向かって話しかけてきた。「お前は本当に食いしん坊だなぁ」すると、他の猫たちがニャーニャーと騒ぎ出した。「分かった、分かったってば。ちゃんとあるから」彼はそう言って鞄の中から缶詰を取り出した。それを見た猫たちはおとなしくなった。「ほら、好きなだけ食え」彼がそう言うと、猫たちも食事を始めた。

放課後、吾輩は学校を出た後、一匹で帰路についていた。すると、前方で猫たちの喧嘩する声が聞こえた。吾輩は立ち止まって様子を見ることにした。すると、数人の少年と一匹の猫が向かい合っていた。「おい、お前の飼い主はどこだ?」少年の一人が猫に対して叫んだ。「ニャー」猫は一声鳴くと、その場を離れていった。「ちぇっ、逃げられたか……」少年は舌打ちすると、仲間を連れてどこかへ行ってしまった。

次の日、吾輩が学校に行くと、机の上に小さな包み紙が置かれていた。開けてみると中には鰹節が入っていた。「ニャー」吾輩がそう鳴きながらその袋を食べていると、隣の席の男子生徒に声をかけられた。「お前、昨日の猫じゃないか」彼はそう言うと、吾輩の頭を撫でてきた。「俺にもくれないかなぁ」彼はそう言うと、吾輩の体を持ち上げ、自分の膝の上に乗せた。吾輩は抗議の声を上げたが、彼は全く気にせずこちらを見つめていた。すると、突然彼の方へと駆け寄る足音が響いた。「何やってるんですか!」そう叫びながら、女子生徒がこちらへ向かって来た。「ああ、ごめん、つい出来心でさ……許してくれよ」男子生徒が謝ると、彼女は少し呆れたような表情になった。「まったくもう……。じゃあ、私はこれで失礼しますね」そう言うと、彼女は去っていった。その後、吾輩は男子生徒と共に登校することになった。

翌日、吾輩は一匹で通学路を歩いていた。すると、後ろの方からニャアという鳴き声が聞こえてきた。振り向いて見ると、そこにはあの時の少年の姿があった。「よっ」彼はそう言うと、吾輩の隣に並んで歩き始めた。「君もこっちの道なんだね」彼はそう言うと、吾輩に向かって話しかけてきた。吾輩はニャアと鳴いて答えたが、「おっと」彼は急に立ち止まると、ズボンに手を入れて何かを取り出そうとし始めた。しかし、なかなか出てこないらしく焦り始めた様子だった(結局何も出てこなかった)。その様子を見ていた他の生徒たちが何事かという顔をしながら通り過ぎていく中、吾輩はニャアと鳴いて前に進み始めた。彼は慌てて追いかけてきた。

吾輩が教室に入ると、またもや視線が集中した。吾輩は気づかないふりをして席に着くと、すぐに授業が始まった。授業が終わると、吾輩は再びクラス中の注目を集めることとなった。「ねえ、これ食べる?」そう言いながら、一人の女子生徒が弁当箱を持ってこちらにやってきた。吾輩がじっと見つめていると、彼女は困ったように笑みを浮かべながら言った。「あの、もし良かったら……」吾輩はその言葉を聞くと、彼女の手に飛びついた。そして、そのまま弁当箱を奪い取ると中身を食べ始めた。「あっ、ちょっと、そんなにがっつかないでも大丈夫だよ」彼女は慌てた様子だったが、すぐに笑顔になって吾輩のことを見つめてきた。

次の日、吾輩は一匹で帰宅していた。すると、目の前を一人の女子生徒が横切った。彼女の姿を見た瞬間、吾輩は反射的に後を追いかけた。彼女はそれに気づくと驚いた表情になり、立ち止まった。「えっ? どうしたの?」彼女が尋ねると、吾輩はニャウと一声鳴いた。「ついて来いってこと?」彼女は首を傾げながらも、吾輩の後についてきた。しばらく歩いていると、公園が見えてきた。そこで、吾輩は彼女に向かって振り返ると、大きくジャンプして彼女に抱きついた。「うわっと」彼女は驚きの声を上げながら吾輩を抱きかかえた。そして、地面にゆっくりと降ろすと、再びニャアと鳴いて走り出した。「待って、私も行く!」そう叫ぶと、彼女は吾輩のあとを追って走ってきた。

次の日、吾輩が学校へ行くと、またもやクラスの注目を集めてしまった。「おい、あいつが来たぞ」「何しに来たんだろうな」そんなひそひそ話が聞こえてきたが、吾輩は気にせずに席に着いた。すると、今度は隣の席の男子生徒に声をかけられた。「よう」彼はそう言って、吾輩の頭を撫でた。「お前も人気者だねぇ」彼はそう言うと、吾輩に向かってニヤリとした笑いを見せた。すると、突然吾輩の体が持ち上げられた。吾輩が驚いていると、男子生徒は吾輩の体を机の上に置いた。「ほれ」彼はそう言うと、吾輩に向かって袋を差し出してきた。吾輩は袋を受け取ると、それを開けて食べ始めた。「おー、いい食いっぷりだ」そう言うと、彼は嬉しそうな表情で吾輩を見つめていた。「よっ」彼はそう言うと、吾輩のことを抱え上げた。「お前、本当に可愛いよなぁ」彼はそう言うと、吾輩の体を撫で回し始めた。「ニャーン」吾輩は抗議の声を上げたが、彼は全く気にする様子を見せなかった(最終的に先生に注意された)。その後、吾輩たちは一緒に登校することになったのだが…………何故か途中で彼が倒れてしまい病院へと搬送されることになったためその話は中断となったままとなってしまった。

(了・続かないよ!)

1話『猫』

〜完〜



inserted by FC2 system