吾輩は猫である(OSAKA.EXE翻訳)

夏目漱石

吾輩わがはいは猫であるちうわけや。名前はまだ無いちうわけや。

どこで生れたかとんと見当けんとうがつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いとった事だけは記憶しとる。吾輩はここで始めて人間ちうものを見たちうわけや。しかもあとで聞くとそれは書生ちう人間中で一番獰悪どうあくな種族やったそうや。この書生ちうのは時々うちらをつかまえてて食うちう話であるちうわけや。せやけどダンさんその当時は何ちう考もなかったから別段恐しいとも思わなかったちうわけや。ただ彼のてのひらに載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりであるちうわけや。掌の上でちびっと落ちついて書生の顔を見たのがなんちうか、ようみなはんいわはるとこの人間ちうものの見始みはじめであろうわ。この時妙なものだと思った感じが今でも残っとる。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶やかんや。その猫にもだいぶったがこないな片輪かたわにはいっぺんも出会でくわした事がないちうわけや。のみならず顔の真中があまりに突起しとる。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうとけむりを吹く。どうもせぽくて実に弱ったちうわけや。これが人間の飲む煙草モクちうものである事はようやっときょうび知ったちうわけや。

この書生の掌のうちでちーとの間はよい心持に坐っておったが、ちーとの間すると非常な速力で運転し始めたちうわけや。書生が動くのかオノレだけが動くのか分りまへんが無暗むやみに眼が廻るちうわけや。胸が悪くなるちうわけや。到底とうてい助かりまへんと思っとると、どさりと音がして眼から火が出たちうわけや。それまでは記憶しとるがあとは何の事やらなんぼ考え出そうとしても分りまへん。

ふと気が付いて見ると書生はおらへん。ようけおった兄弟が一ぴきも見えぬ。肝心かんじんの母親さえ姿を隠してしもた。その上いままでの所とは違って無暗むやみに明るいちうわけや。眼を明いていられぬくらいや。はてな何でも容子ようすがおかしいと、のそのそい出して見るとどエライ痛いちうわけや。吾輩はわらの上から急に笹原の中へ棄てられたさかいあるちうわけや。

ようやっとの思いで笹原を這い出すと向うに大きな池があるちうわけや。吾輩は池の前に坐ってどうしたらよかろうと考えて見たちうわけや。別にこれちう分別ふんべつも出ないちうわけや。ちーとの間して泣いたら書生がまた迎に来てくれるかと考え付いたちうわけや。ニャー、ニャーと試みにやって見たがどなたはんも来ないちうわけや。そのうち池の上をさらさらと風が渡って日が暮れかかるちうわけや。腹がどエライ減って攻めて来よった。泣きたくても声が出ないちうわけや。仕方がない、何でもよいから食物くいもののある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池を左翼ひだりに廻り始めたちうわけや。どうもどエライ苦しいちうわけや。そこを我慢して無理やりにって行くとようやっとの事で何となく人間臭い所へ出たちうわけや。ここへ這入はいったら、どうにかなると思って竹垣のくずれた穴から、とある邸内にもぐり込んや。縁は不思議なもので、もしこの竹垣が破れていなかったなら、吾輩はついに路傍ろぼう餓死がししたかも知れんのであるちうわけや。一樹の蔭とはよくったものや。この垣根の穴は今日こんにちに至るまで吾輩が隣家となりの三毛を訪問する時の通路になっとる。さてやしきへは忍び込んだもののこれから先どうしていか分りまへん。そのうちに暗くなる、腹は減る、寒さは寒し、雨が降って来るちう始末でもう一刻の猶予ゆうよが出来なくなりよった。仕方がないからとにかく明るくて暖かそうな方へ方へとあるいて行く。今から考えるとその時はすでに家の内に這入っておったのや。ここで吾輩はの書生以外の人間をもっかい見るべき機会に遭遇そうぐうしたさかいあるちうわけや。第一に逢ったのがおはんであるちうわけや。これは前の書生より一層乱暴な方で吾輩を見るや否やいきなり頸筋くびすじをつかんで表へほうり出したちうわけや。いやこれは駄目だと思ったから眼をねぶって運を天に任せとった。せやけどダンさんひもじいのと寒いのにはどうしても我慢が出来ん。吾輩はもっかいおはんのすきを見て台所へあがったちうわけや。すると間もなくまた投げ出されたちうわけや。吾輩は投げ出されては這い上り、這い上っては投げ出され、何でも同じ事を四五遍繰り返したのを記憶しとる。その時におはんと云う者はつくづくいやになりよった。この間おはんの三馬はんまぬすんでこの返報をしてやってから、やっと胸のつかえが下りたちうわけや。吾輩がケツにつまみ出されようとしたときに、このうちの主人が騒々しい何だとええながら出て攻めて来よった。下女は吾輩をぶら下げて主人の方へ向けてこの宿やどなしの小猫がなんぼ出しても出しても御台所おだいどころあがって来て困るんやちう。主人は鼻の下の黒い毛をひねりながら吾輩の顔をちーとの間ながめておったが、やがてそないなら内へ置いてやれといったまんま奥へ這入はいってしもた。主人はあまり口を聞かぬ人と見えたちうわけや。下女は口惜くやしそうに吾輩を台所へほうり出したちうわけや。かくして吾輩はついにこのうちをオノレの住家すみかめる事にしたさかいあるちうわけや。

吾輩の主人は滅多めったに吾輩と顔を合せる事がないちうわけや。職業は教師だそうや。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がないちうわけや。家のものはエライ勉強家だと思っとる。当人も勉強家であるかのごとく見せとる。せやけどダンさん実際はうちのものがいうような勤勉家ではおまへん。吾輩は時々忍び足に彼の書斎をのぞいて見るが、彼はよく昼寝ひるねをしとる事があるちうわけや。時々読みかけてある本の上によだれをたらしとる。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色たんこうしょくを帯びて弾力のない不活溌ふかっぱつな徴候をあらわしとる。その癖に大飯を食うわ。大飯を食ったあとでタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげるちうわけや。二三ページ読むと眠くなるちうわけや。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課であるちうわけや。吾輩は猫ながら時々考える事があるちうわけや。教師ちうものは実にらくなものや。人間と生れたら教師となるに限るちうわけや。こないなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来るたびに何とかかんとか不平を鳴らしとる。

吾輩がこの家へ住み込んだ当時は、主人以外のものにははなはだ不人望やった。どこへ行ってもね付けられて相手にしてくれ手がなかったちうわけや。いかに珍重されなかったかは、今日こんにちに至るまで名前さえつけてくれへんのでも分るちうわけや。吾輩は仕方がないから、出来得る限り吾輩を入れてくれた主人のそばにいる事をつとめたちうわけや。朝主人が新聞を読むときは必ず彼のひざの上に乗るちうわけや。彼が昼寝をするっちうときは必ずその背中せなかに乗るちうわけや。これはあながち主人が好きちう訳ではおまへんが別に構い手がなかったからやむを得んのであるちうわけや。その後いろいろ経験の上、朝は飯櫃めしびつの上、夜は炬燵こたつの上、天気のよい昼は椽側えんがわへ寝る事としたちうわけや。せやけどダンさん一番心持の好いのはってここのうちの小供の寝床へもぐり込んでいっしょにねる事であるちうわけや。この小供ちうのは五つと三つで夜になると二人が一つ床へはいって一間ひとまへ寝るちうわけや。吾輩はいつでも彼等の中間におのれをるべき余地を見出みいだしてどうにか、こうにか割り込むのであるが、運悪く小供の一人が眼をまっけどケツエライ事になるちうわけや。小供は⸺ことに小さい方がたちがわるい⸺猫が攻めて来よった猫が攻めて来よったといって夜中でも何でも大きな声で泣き出すのであるちうわけや。すると例の神経胃弱性の主人はかならず眼をさまして次の部屋から飛び出してくるちうわけや。現にせんだってやらなんやらは物指ものさしで尻ぺたをひどくたたかれたちうわけや。

吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は我儘ワガママなものだと断言せざるを得ないようになりよった。ことに吾輩が時々同衾どうきんする小供のごときに至っては言語同断ごんごどやんであるちうわけや。オノレの勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、ほうり出したり、へっついの中へ押し込んだりするちうわけや。しかも吾輩の方でちびっとでも手出しをしようものなら家内かない総がかりで追い廻して迫害を加えるちうわけや。この間もちーとばかし畳で爪をいだら細君がどエライおこってほんで容易に座敷へれへん。台所の板の間でひとふるえていても一向いっこう平気なものであるちうわけや。吾輩の尊敬する筋向すじむこうの白君やらなんやらは度毎たびごとに人間ほど不人情なものはないと言っておらるるちうわけや。白君は先日玉のような子猫を四疋まれたさかいあるちうわけや。トコロがそこのうちの書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて攻めて来よったそうや。白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族ねこぞくが親子の愛をまったくして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを剿滅そうめつせねばならぬといわれたちうわけや。一々もっともの議論と思うわ。また隣りの三毛みけ君やらなんやらは人間が所有権ちう事を解しておらへんといっておおいに憤慨しとる。元来うちら同族間では目刺めざしの頭でもぼらへそでも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっとる。もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えてなんぼいのものや。しかるに彼等人間はごうもこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は必ず彼等のために掠奪りゃくだつせらるるのであるちうわけや。彼等はその強力を頼んで正当に吾人が食い得べきものをうばってすましとる。白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っとる。吾輩は教師の家に住んでいるだけ、こないな事に関すると両君よりもむしろ楽天であるちうわけや。ただその日その日がどうにかこうにか送られればよいちうわけや。なんぼ人間だって、そういつまでも栄える事もあるまいちうわけや。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろうわ。

我儘ワガママで思い出したからちーとばかし吾輩の家の主人がこの我儘でシッパイした話をしようわ。元来この主人は何といって人にすぐれて出来る事もないが、何にでもよく手を出したがるちうわけや。俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、時によると弓にったり、うたいを習ったり、またあるときはヴァイオリンやらなんやらをブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心や。後架こうかの中で謡をうたって、近所で後架先生こうかせんせい渾名あだなをつけられとるにも関せず一向いっこう平気なもので、やはりこれはたいら宗盛むねもりにてそうろうを繰返しとる。みんながそら宗盛だと吹き出すくらいであるちうわけや。この主人がどういう考になりよったものか吾輩の住み込んでから一月ばかりのちのある月の月給日に、大きな包みをげてあわせやけどく帰って攻めて来よった。何を買って攻めて来よったのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンちう紙で今日から謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えたちうわけや。果して翌日から当分の間ちうものは毎日毎日書斎で昼寝もせんで絵ばかりかいとる。せやけどダンさんそのかき上げたものを見ると何をかいたものやらどなたはんにも鑑定がつかないちうわけや。当人もあまりうまくないと思ったものか、ある日その友人で美学とかをやっとる人が攻めて来よった時にしものような話をしとるのを聞いたちうわけや。

「どうもうまくかけへんものやね。人のを見ると何でもないようやけどみずから筆をとって見ると今更いまさらのようにむずかしく感ずるちうわけや」これは主人の述懐じゅっかいであるちうわけや。なるほどいつわりのない処や。彼の友は金縁の眼鏡越めがねごしに主人の顔を見ながら、「そう初めから上手にはかけへんさ、第一室内の想像ばかりでがかける訳のものではおまへん。むか以太利イタリーの大家アンドレア・デル・サルトが言った事があるちうわけや。画をかくなら何でも自然その物を写せ。天に星辰せいしんあり。地に露華ろかあり。飛ぶにとりあり。走るにけものあり。池に金魚あり。枯木こぼく寒鴉かんああり。自然はこれ一幅の大活画だいかつがなりと。どや君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」

「へえアンドレア・デル・サルトがそないな事をいった事があるかいちうわけや。ちっとも知らなかったちうわけや。なるほどこりゃもっともや。実にその通りや」と主人は無暗むやみに感心しとる。金縁の裏にはあざけるようなわらいが見えたちうわけや。

その翌日吾輩は例のごとく椽側えんがわに出て心持善く昼寝ひるねをしとったら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩のうしろで何ぞしきりにやっとる。ふと眼がめて何をしとるかと一分いちぶばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトをめ込んでいるちうわけや。吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかったちうわけや。彼は彼の友に揶揄やゆせられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのであるちうわけや。吾輩はすでに十分じゅうぶん寝たちうわけや。欠伸あくびがしたくてたまりまへん。せやけどダンさんせっかく主人が熱心に筆をっとるのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒しんぼうしておったちうわけや。彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩いろどっとる。吾輩は自白するちうわけや。吾輩は猫として決して上乗の出来ではおまへん。背とええ毛並とええ顔の造作とええあえて他の猫にまさるとは決して思っておらん。せやけどダンさんなんぼ不器量の吾輩でも、今吾輩の主人にえがき出されつつあるような妙な姿とは、どうしても思われへん。第一色がちゃう。吾輩は波斯産ペルシャはんの猫のごとく黄を含める淡灰色にうるしのごとき斑入ふいりの皮膚を有しとる。これだけはどなたはんが見ても疑うべからざる事実と思うわ。しかるに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色とびいろでもない、さればとてこれらを交ぜた色でもないちうわけや。ただ一種の色であるちうよりほかに評し方のない色であるちうわけや。その上不思議な事は眼がないちうわけや。もっともこれは寝とるトコを写生したのやから無理もないが眼らしい所さえ見えへんから盲猫めくらだか寝とる猫だか判然せんのであるちうわけや。吾輩は心中ひそかになんぼアンドレア・デル・サルトでもこれではしようがないと思ったちうわけや。せやけどダンさんその熱心には感服せざるを得ないちうわけや。なるべくなら動かんとおってやりたいと思ったが、さっきから小便が催うしとる。身内みうちの筋肉はむずむずするちうわけや。最早もはや一分も猶予ゆうよが出来ぬ仕儀しぎとなりよったから、やむをえず失敬して両足を前へ存分のして、首を低く押し出してあーあとだいなる欠伸をしたちうわけや。さてこうなって見ると、もうおとなしくしていても仕方がないちうわけや。どうせ主人の予定はわしたのやから、ついでに裏へ行って用をそうと思ってのそのそ這い出したちうわけや。すると主人は失望と怒りをき交ぜたような声をして、座敷の中から「この馬鹿野郎」と怒鳴どなったちうわけや。この主人は人をののしるときは必ず馬鹿野郎ちうのが癖であるちうわけや。ほかに悪口の言いようを知りまへんのやから仕方がないが、本日この時まで辛棒した人の気も知りまへんで、無暗むやみに馬鹿野郎よばわりは失敬だと思うわ。それも平生吾輩が彼の背中せなかへ乗る時にちびっとは好い顔でもするならこの漫罵まんばも甘んじて受けるが、こっちの便器…おっとちゃうわ、便利になる事は何一つ快くしてくれた事もないのに、小便に立ったのを馬鹿野郎とはひどいちうわけや。元来人間ちうものは自己の力量に慢じてみんな増長しとる。ちびっと人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するか分りまへん。

我儘ワガママもこのくらいなら我慢するが吾輩は人間の不徳についてこれよりも数倍悲しむべき報道を耳にした事があるちうわけや。

吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園ちゃえんがあるちうわけや。広くはないが瀟洒さっぱりとした心持ち好く日のあたる所や。うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折やらなんやらは、吾輩はいつでもここへ出て浩然こうぜんの気を養うのが例であるちうわけや。ある小春の穏かな日の二時頃やったが、吾輩は昼飯後ちゅうはんご快よく一睡したのち、運動かたがたこの茶園へとを運ばしたちうわけや。茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな猫が前後不覚に寝とる。彼は吾輩の近づくのも一向いっこう心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きないびきをして長々と体をよこたえて眠っとる。ひとの庭内に忍び入りたるものがかくまで平気にねむられるものかと、吾輩はひそかにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかったちうわけや。彼は純粋の黒猫であるちうわけや。わずかにを過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上にげかけて、きらきらする柔毛にこげの間より眼に見えぬ炎でもずるように思われたちうわけや。彼は猫中の大王とも云うべきほどの偉大なる体格を有しとる。吾輩の倍はたしかにあるちうわけや。吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立ちょりつして余念もなくながめとると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐ごとうの枝をかろく誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちたちうわけや。大王はかっとその真丸まんまるの眼を開いたちうわけや。今でも記憶しとる。その眼は人間の珍重する琥珀こはくちうものよりもはるかに美しく輝いとった。彼は身動きもせん。双眸そうぼうの奥から射るごとき光を吾輩の矮小わいしょうなるひたいの上にあつめて、御めえは一体何だと云ったちうわけや。大王にしては少々言葉がいやしいと思ったが何しろその声の底に犬をもしぐべき力がこもっとるので吾輩は少なからず恐れをいだいたちうわけや。せやけどダンさん挨拶あいさつをせんと険呑けんのんだと思ったから「吾輩は猫であるちうわけや。名前はまだないちうわけや」となるべく平気をよそおって冷然と答えたちうわけや。せやけどダンさんこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておったちうわけや。彼はおおい軽蔑けいべつせる調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。ぜんてえどこに住んでるんや」随分傍若無人ぼうやくぶじんであるちうわけや。「吾輩はここの教師のうちにいるのや」「どうせそないな事やろうと思ったちうわけや。いやにせてるやねえか」と大王だけに気焔きえんを吹きかけるちうわけや。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われへん。せやけどダンさんその膏切あぶらぎって肥満しとるトコを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しとるらしいちうわけや。吾輩は「そう云う君は一体どなたはんだいちうわけや」と聞かざるを得なかったちうわけや。「れあ車屋のくろよ」昂然こうぜんたるものや。車屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴猫であるちうわけや。せやけどダンさん車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまりどなたはんも交際せん。同盟敬遠主義のまとになっとる奴や。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すといっぺんに、一方では少々軽侮けいぶの念も生じたさかいあるちうわけや。吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかをためしてみようと思って左翼の問答をして見たちうわけや。

「一体車屋と教師とはどっちがえらいやろうわ」

「車屋の方が強いにきまっていらあな。御めえうちの主人を見ねえ、まるで骨と皮ばかりだぜ」

「君も車屋の猫だけに大分だいぶ強そうや。車屋にいると御馳走ごちそうが食えると見えるね」

なあおれなんざ、どこの国へ行ったって食い物に不自由はしねえつもりや。御めえなんかも茶畠ちゃばたけばかりぐるぐる廻っていねえで、ちっとおれあとへくっ付いて来て見ねえ。一と月とたたねえうちに見違えるように太れるぜ」

「追ってそう願う事にしようわ。せやけどダンさんうちは教師の方が車屋より大きいのに住んでいるように思われるちうわけや」

箆棒べらぼうめ、うちなんかなんぼ大きくたって腹のしになるもんか」

彼はおおい肝癪かんしゃくさわった様子で、寒竹かんちくをそいだような耳をしきりとぴく付かせてあららかに立ち去ったちうわけや。吾輩が車屋の黒と知己ちきになりよったのはこれからであるちうわけや。

その吾輩は度々たびたび黒と邂逅かいこうするちうわけや。邂逅するごとに彼は車屋相当の気焔きえんを吐く。先に吾輩が耳にしたちう不徳事件も実は黒から聞いたさかいあるちうわけや。

或る日例のごとく吾輩と黒は暖かい茶畠ちゃばたけの中で寝転ねころびながらいろいろ雑談をしとると、彼は毎日毎晩壱年中の自慢話じまんばなしをさも新しそうに繰り返したあとで、吾輩に向ってしものごとく質問したちうわけや。「御めえは本日この時までに鼠を何匹とった事があるちうわけや」智識は黒よりも余程発達しとるつもりやけど腕力と勇気とに至っては到底とうてい黒の比較にはならへんと覚悟はしとったものの、この問に接したる時は、さすがにきまりがくはなかったちうわけや。けれども事実は事実でいつわる訳には行かないから、吾輩は「実はとろうとろうと思ってまだりまへん」と答えたちうわけや。黒は彼の鼻の先からぴんと突張つっぱっとる長いひげをびりびりとふるわせてどエライ笑ったちうわけや。元来黒は自慢をするだけにどこぞ足りまへんトコロがあって、彼の気焔きえんを感心したように咽喉のどをころころ鳴らして謹聴していればはなはだぎょしやすい猫であるちうわけや。吾輩は彼と近付になってからすぐにこの呼吸を飲み込んやからこの場合にもなまじいおのれを弁護してまんねんまんねん形勢をわるくするのもである、いっその事彼にオノレの手柄話をしゃべらして御茶を濁すにくはないと思案をさだめたちうわけや。ほんでおとなしく「君やらなんやらは年が年であるから大分だいぶんとったろうわ」とそそのかして見たちうわけや。果然彼は墻壁しょうへき欠所けっしょ吶喊とっかんして攻めて来よった。「たんとでもねえが三四十はとったろうわ」とは得意気なる彼の答やった。彼はなお語をつづけて「鼠の百や二百は一人でいつでも引き受けるがいたちってえ奴は手に合わねえ。いっぺんいたちに向ってひどい目にったちうわけや」「へえなるほど」と相槌あいづちを打つ。黒は大きな眼をぱちつかせて云うわ。「去年の大掃除の時や。うちの亭主が石灰いしばいの袋を持ってえんの下へい込んだら御めえ大きないたちの野郎が面喰めんくらって飛び出したと思いねえ」「ふん」と感心して見せるちうわけや。「いたちってけども何鼠のちびっと大きいぐれえのものや。こん畜生ちきしょうって気で追っかけてとうとう泥溝どぶの中へ追い込んだと思いねえ」「うまくやったね」と喝采かっさいしてやるちうわけや。「トコロが御めえいざってえ段になると奴めケツさいごをこきゃがったちうわけや。くせえの臭くねえのってほんでってえものはいたちを見ると胸が悪くならあ」彼はここに至ってあたかも去年の臭気をいまなお感ずるごとく前足を揚げて鼻の頭を二三遍なで廻わしたちうわけや。吾輩も少々気の毒な感じがするちうわけや。ちっと景気を付けてやろうと思って「せやけどダンさん鼠なら君ににらまれては百年目やろうわ。君はあまり鼠をるのが名人で鼠ばかり食うものやからそないなに肥って色つやが善いのやろうわ」黒の御機嫌をとるためのこの質問は不思議にも反対の結果を呈出ていしゅつしたちうわけや。彼は喟然きぜんとして大息たいそくしていうわ。「かんげえるとつまらねえ。なんぼ稼いで鼠をとったって⸻てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがるちうわけや。交番やどなたはんがったか分らねえからそのたんびに五銭ずつくれるやねえか。うちの亭主なんかおれの御蔭でもう壱円五十銭くらいもうけていやがる癖に、ろくなものを食わせた事もありゃしねえ。おい人間てものあていい泥棒だぜ」さすが無学の黒もこのくらいの理窟りくつはわかると見えてすこぶるおこった容子ようすで背中の毛を逆立さかだてとる。吾輩は少々気味が悪くなりよったから善い加減にその場を胡魔化ごまかしてうちへ帰ったちうわけや。この時から吾輩は決して鼠をとるまいと決心したちうわけや。せやけどダンさん黒の子分になって鼠以外の御馳走をあさってあるく事もしなかったちうわけや。御馳走を食うよりも寝とった方が気楽でええ。教師のうちにいると猫も教師のような性質になると見えるちうわけや。要心せんと今に胃弱になるかも知れへん。

教師といえば吾輩の主人も近頃に至っては到底とうてい水彩画においてのぞみのない事を悟ったものと見えて十二月一日の日記にこないな事をかきつけたちうわけや。

○○と云う人に今日の会で始めて出逢であったちうわけや。あの人は大分だいぶ放蕩ほうとうをした人だと云うがなるほど通人つうじんらしい風采ふうさいをしとる。こう云うたちの人は女に好かれるものやから○○が放蕩をしたと云うよりも放蕩をするべく余儀なくせられたと云うのが適当であろうわ。あの人の妻君は芸者だそうだ、うらやましい事であるちうわけや。元来放蕩家を悪くいう人の大部分は放蕩をする資格のないものが多いちうわけや。また放蕩家をもって自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多いちうわけや。これらは余儀なくされへんのに無理に進んでやるのであるちうわけや。あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはないちうわけや。しかるにも関せず、オノレだけは通人だと思ってすましとる。料理屋の酒を飲んだり待合へ這入はいるから通人となり得るちう論が立つなら、吾輩も一廉ひとかどの水彩画家になり得る理窟りくつや。吾輩の水彩画のごときはかかない方がましであると同じように、愚昧ぐまいなる通人よりも山出しの大野暮おおやぼの方がはるかに上等や。

通人論つうじんろんはちーとばかし首肯しゅこうしかねるちうわけや。また芸者の妻君を羨しいやらなんやらちうトコは教師としては口にすべからざる愚劣の考であるが、自己の水彩画における批評眼だけはたしかなものや。主人はかくのごとく自知じちめいあるにも関せずその自惚心うぬぼれしんはなかなか抜けへん。中二日なかふつか置いて十二月四日の日記にこないな事を書いとる。

昨夜ゆうべは僕が水彩画をかいて到底物にならんと思って、そこらにほうって置いたのをどなたはんかが立派な額にして欄間らんまけてくれた夢を見たちうわけや。さて額になりよったトコを見ると我ながら急に上手になりよった。どエライ嬉しいちうわけや。これなら立派なものだとひとりで眺め暮らしとると、夜が明けて眼がめてやはり元の通り下手である事が朝日と共に明瞭になってしもた。

主人は夢のうちまで水彩画の未練を背負しょってあるいとると見えるちうわけや。これでは水彩画家は無論夫子ふうし所謂なんちうか、ようみなはんいわはるとこの通人にもなれへんたちや。

主人が水彩画を夢に見た翌日例の金縁眼鏡めがねの美学者が久し振りで主人を訪問したちうわけや。彼は座につくと劈頭へきとう第一に「はどうかね」と口を切ったちうわけや。主人は平気な顔をして「君の忠告に従って写生をつとめとるが、なるほど写生をすると本日この時まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変身やらなんやらがよく分るようや。西洋ではむかしから写生を主張した結果今日こんにちのように発達したものと思われるちうわけや。さすがアンドレア・デル・サルトや」と日記の事はおくびにも出さないで、またアンドレア・デル・サルトに感心するちうわけや。美学者は笑いながら「実は君、あれは出鱈目でたらめだよ」と頭をく。「何が」と主人はまだいつわられた事に気がつかないちうわけや。「何がって君のしきりに感服しとるアンドレア・デル・サルトさ。あれは僕のちーとばかし捏造ねつぞうした話や。君がそないなに真面目まじめに信じようとは思わなかったハハハハ」と大喜悦のていであるちうわけや。吾輩は椽側でこの対話を聞いて彼の今日の日記にはいかなる事がしるさるるであろうかとあらかじめ想像せざるを得なかったちうわけや。この美学者はこないなええ加減な事を吹き散らして人をかつぐのを唯一のたのしみにしとる男であるちうわけや。彼はアンドレア・デル・サルト事件が主人の情線じょうせんにいかなる響を伝えたかをごうも顧慮せざるもののごとく得意になってしものような事を饒舌しゃべったちうわけや。「いや時々冗談じょうだんを言うと人がに受けるのでおおい滑稽的こっけいてき美感を挑撥ちょうはつするのはおもろい。せんだってある学生にニコラス・ニックルベーがギボンに忠告して彼の一世の大著述なる仏国革命史を仏語で書くのをやめにして英文で出版させたと言ったら、その学生がまた馬鹿に記憶の善い男で、大日本帝国文学会の演説会で真面目に僕の話した通りを繰り返したのは滑稽やった。トコロがその時の傍聴者は約百名ばかりやったが、皆熱心にそれを傾聴しておったちうわけや。ほんでまだおもろい話があるちうわけや。せんだって或る文学者のいる席でハリソンの歴史小説セオファーノのはなしが出たから僕はあれは歴史小説のうち白眉はくびであるちうわけや。ことに女主人公が死ぬトコは鬼気きき人を襲うようだと評したら、僕の向うに坐っとる知らんと云った事のない先生が、そうそうあすこは実に名文だといったちうわけや。それで僕はこの男もやはり僕同様この小説を読んでおりまへんちう事を知ったちうわけや」神経胃弱性の主人は眼を丸くして問いかけたちうわけや。「そないな出鱈目でたらめをいってもし相手が読んでいたらどうするつもりや」あたかも人をあざむくのは差支さしつかえない、ただばけかわがあらわれた時は困るやないかと感じたもののごとくであるちうわけや。美学者はちびっとも動じないちうわけや。「なにそのときゃ別の本と間違えたとか何とか云うばかりさ」と云ってけらけら笑っとる。この美学者は金縁の眼鏡は掛けとるがその性質が車屋の黒に似たトコロがあるちうわけや。主人は黙って日の出を輪に吹いて吾輩にはそないな勇気はないと云わんばかりの顔をしとる。美学者はそれやからをかいても駄目だちう目付で「せやけどダンさん冗談じょうだんは冗談やけど画ちうものは実際ややこしいものだよ、レオナルド・ダ・ヴィンチは門下生に寺院の壁のしみを写せと教えた事があるそうや。なるほど雪隠せついんやらなんやらに這入はいって雨の漏る壁を余念なく眺めとると、なかなかうまい模様画が自然に出来とるぜ。君用心して写生して見給えきっとおもろいものが出来るから」「まただますのやろうわ」「いえこれだけはたしかだよ。実際奇警な語やないか、ダ・ヴィンチでもええそうな事だあね」「なるほど奇警には相違ないな」と主人は半分降参をしたちうわけや。せやけどダンさん彼はまだ雪隠で写生はせぬようや。

車屋の黒はそのびっこになりよった。彼の光沢ある毛は漸々だんだん色がめて抜けて来るちうわけや。吾輩が琥珀こはくよりも美しいと評した彼の眼には眼脂めやにが一杯たまっとる。ことに著るしく吾輩の用心をいたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなりよった事であるちうわけや。吾輩が例の茶園ちゃえんで彼に逢ったケツの日、どやと云って尋ねたら「いたちケツ屁さいごっぺ肴屋さかなや天秤棒てんびんぼうには懲々こりごりや」といったちうわけや。

赤松の間に二三段のこうを綴った紅葉こうようむかしの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁はなびらをこぼした紅白こうはく山茶花さざんかも残りなく落ち尽したちうわけや。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯こがらしの吹かない日はほとんどまれになってから吾輩の昼寝の時間もせばめられたような気がするちうわけや。

主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎へ立てこもるちうわけや。人が来ると、教師がいやだ厭だちう。水彩画も滅多にかかないちうわけや。タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしもた。小供は感心に休まないで幼稚園へかようわ。帰ると唱歌を歌って、まりをついて、時々吾輩を尻尾しっぽでぶら下げるちうわけや。

吾輩は御馳走ごちそうも食いまへんから別段ふとりもせんが、まずまず健康でびっこにもならんとその日その日を暮しとる。鼠は決して取りまへん。おはんはいまだにきらいであるちうわけや。名前はまだつけてくれへんが、欲をいっても際限がないから生涯しょうがいこの教師のうちで無名の猫で終るつもりや。

吾輩は新年来多少有名になりよったので、猫ながらちーとばかし鼻が高く感ぜらるるのはありがたいちうわけや。

元朝早々主人のもとへ一枚の絵端書えはがきが攻めて来よった。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑ふかみどりで塗って、その真中に一の動物が蹲踞うずくまっとるトコをパステルで書いてあるちうわけや。主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、たてから眺めたりして、うまい色だなちう。すでに一応感服したものやから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしとる。からだをじ向けたり、手を延ばして年寄が三世相はんぜそうを見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って攻めて来よったりして見とる。早くやめてくれへんとひざが揺れて険呑けんのんでたまりまへん。ようやっとの事で動揺があまりはげしくなくなりよったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのやろうとうわ。主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見えるちうわけや。そないな分らぬ絵端書かと思いながら、寝とった眼を上品になかば開いて、落ちつき払って見るとまぎれもない、オノレの肖像や。主人のようにアンドレア・デル・サルトをめ込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来とる。どなたはんが見たって猫に相違ないちうわけや。ちびっと眼識のあるものなら、猫のうちでもほかの猫やない吾輩である事が判然とわかるように立派にいてあるちうわけや。このくらい明瞭な事を分らんとかくまで苦心するかと思うと、ちびっと人間が気の毒になるちうわけや。出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたいちうわけや。吾輩であると云う事はよし分りまへんにしても、せめて猫であるちう事だけは分らしてやりたいちうわけや。せやけどダンさん人間ちうものは到底とうてい吾輩猫属ねこぞくの言語を解し得るくらいに天のめぐみに浴しておらん動物であるから、残念ながらそのまんまにしておいたちうわけや。

ちーとばかし読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞちうと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくないちうわけや。人間のかすから牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、オノレの無智に心付かんで高慢な顔をする教師やらなんやらにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともええ者やないちうわけや。なんぼ猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色やらなんやらはないようであるが、猫の社会に這入はいって見るとなかなか複雑なもので十人十色といろちう人間界のことばはそのまんまここにも応用が出来るのであるちうわけや。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんなちゃう。ひげの張り具合から耳の立ち按排あんばい尻尾しっぽの垂れ加減に至るまで同じものは一つもないちうわけや。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋すいぶすいかずくして千差万別と云っても差支えへんくらいであるちうわけや。そのように判然たる区別が存しとるにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見とるものやから、吾輩の性質は無論相貌そうぼうの末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒や。同類相求むとはむかしからあることばだそうやけどその通り、餅屋もちやは餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。なんぼ人間が発達したってこればかりは駄目であるちうわけや。いわんや実際をいうと彼等がみずから信じとるごとくえらくも何ともないのやからなおさらややこしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するちうが愛の第一義であるちうことすら分りまへん男なのやから仕方がないちうわけや。彼は性の悪い牡蠣かきのごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口をひらいた事がないちうわけや。それでオノレだけはすこぶる達観したような面構つらがまえをしとるのはちーとばかしおかしいちうわけや。達観せん証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのにちびっとも悟った様子もなく今年は征露の第二年目やから大方熊のやろうやらなんやらと気の知れぬことをいってすましとるのでもわかるちうわけや。

吾輩が主人のひざの上で眼をねむりながらかく考えとると、やがて下女が第二の絵端書えはがきを持って攻めて来よった。見ると活版で舶来の猫が四五ひきずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしとる。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫や猫やをおどっとる。その上に大日本帝国の墨で「吾輩は猫であるちうわけや」と黒々とかいて、右翼のわきに書を読むやおどるや猫の春一日はるひとひちう俳句さえしたためられてあるちうわけや。これは主人の旧門下生より攻めて来よったのでどなたはんが見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶うかつな主人はまだ悟りまへんと見えて不思議そうに首をひねって、はてな今年は猫の年かなと独言ひとりごとを言ったちうわけや。吾輩がこれほど有名になりよったのをだ気が着かんといると見えるちうわけや。

トコへ下女がまた第三の端書を持ってくるちうわけや。今度は絵端書ではおまへん。恭賀新年とかいて、かたわらに乍恐縮きょうしゅくながらかの猫へもよろしく御伝声ごでんせい奉願上候ねがいあげたてまつりそろとあるちうわけや。いかに迂遠うえんな主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやっと気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見たちうわけや。その眼付が本日この時までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われたちうわけや。本日この時まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新面目しんめんぼくを施こしたのも、まるっきし吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当やろうと考えるちうわけや。

おりから門の格子こうしがチリン、チリン、チリリリリンと鳴るちうわけや。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出るちうわけや。吾輩は肴屋さかなやの梅公がくる時のほかは出ない事にめとるのやから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておったちうわけや。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見るちうわけや。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしいちうわけや。人間もこのくらい偏屈へんくつになれば申し分はないちうわけや。そないなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無いちうわけや。いよいよ牡蠣の根性こんじょうをあらわしとる。ちーとの間すると下女が来て寒月かんげつはんがおいでになったんやちう。この寒月ちう男はやはり主人の旧門下生やったそうやけど、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっとるちうはなしであるちうわけや。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来るちうわけや。来るとオノレをおもっとる女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、すごいようなつやっぽいような文句ばかり並べては帰るちうわけや。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこないな話しをしに来るのからして合点がてんが行かぬが、あの牡蠣的かきてき主人がそないな談話を聞いて時々相槌あいづちを打つのはなおおもろい。

「ちーとの間御無沙汰をしたんや。実は去年の暮からおおいに活動しとるものやから、よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織のひもをひねくりながらなぞ見たような事をいうわ。「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿くろもめんの紋付羽織の袖口そでぐちを引張るちうわけや。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左翼右翼へ五分くらいずつはみ出しとる。「エヘヘヘちびっと違った方角で」と寒月君が笑うわ。見ると今日は前歯が一枚欠けとる。「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じたちうわけや。「ええ実はある所で椎茸しいたけを食いましてね」「何を食ったって?」「その、ちびっと椎茸を食ったんで。椎茸のかさを前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けたんやよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭じじいくさいね。俳句にはなるかも知れへんが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭をかろく叩く。「ああその猫が例のやか、なかなか肥ってるやおまへんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもおまへんね、立派なものや」と寒月君はおおいに吾輩をめるちうわけや。「近頃大分だいぶ大きくなりよったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐるちうわけや。賞められたのは得意であるが頭が少々痛いちうわけや。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでっしゃろ。ヴァイオリンが三ちょうとピヤノの伴奏でなかなか面白かったや。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものやね。二人は女でわいわいがその中へまじったんやが、オノレでも善くけたと思おったんや」「ふん、ほんでその女ちうのは何者かね」と主人はうらやましそうに問いかけるちうわけや。元来主人は平常枯木寒巌こぼくかんがんのような顔付はしとるものの実のトコは決して婦人に冷淡な方ではおまへん、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちーとばかしれるちうわけや。勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着れんちゃくするちう事が諷刺的ふうしてきに書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男であるちうわけや。そないな浮気な男が何故なんでやねん牡蠣的生涯を送っとるかと云うのは吾輩猫やらなんやらには到底とうてい分りまへん。或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性質たちやからだとも云うわ。どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのやから構いまへん。せやけどダンさん寒月君の女連おんなづれを羨ましに尋ねた事だけは事実であるちうわけや。寒月君は面白そうに口取くちとり蒲鉾かまぼこを箸で挟んで半分前歯で食い切ったちうわけや。吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫やった。「なに二人ともる所の令嬢や、御存じのかたやおまへん」と余所余所よそよそしい返事をするちうわけや。「ナール」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えとる。寒月君はもうい加減な時分だと思ったものか「どうも好い天気やな、御閑おひまならごいっしょに散歩でもしまひょか、旅順が落ちたさかい市中はエライ景気や」とうながして見るちうわけや。主人は旅順の陥落より女連おんなづれの身元を聞きたいと云う顔で、ちーとの間考え込んでいたがようやっと決心をしたものと見えて「それや出るとしようわ」と思い切って立つ。やはり黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念かたみとかいう二十年来着古きふるした結城紬ゆうきつむぎの綿入を着たまんまであるちうわけや。なんぼ結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまりまへん。所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見えるちうわけや。主人の服装には師走しわすも正月もないちうわけや。ふだん着も余所よそゆきもないちうわけや。出るときは懐手ふトコでをしてぶらりと出るちうわけや。ほかに着る物がないからか、有っても難儀やから着換えへんのか、吾輩には分らぬ。せやけどこれだけは失恋のためとも思われへん。

両人ふたりが出て行ったあとで、吾輩はちーとばかし失敬して寒月君の食い切った蒲鉾かまぼこの残りを頂戴ちょうだいしたちうわけや。吾輩もきょうびでは普通一般の猫ではおまへん。まず桃川如燕ももかわじょえん以後の猫か、グレーの金魚をぬすんだ猫くらいの資格は充分あると思うわ。車屋の黒やらなんやらはもとより眼中にないちうわけや。蒲鉾の一切ひときれくらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろうわ。それにこの人目を忍んで間食かんしょくをするちう癖は、なあんも吾等猫族に限った事ではおまへん。うちの御三おはんやらなんやらはよく細君の留守中に餅菓子やらなんやらを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬しとる。御三ばかりやない現に上品な仕付しつけを受けつつあると細君から吹聴ふいちょうせられとる小児ガキやらこの傾向があるちうわけや。四五日前のことやったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝とる間にむかい合うて食卓に着いたちうわけや。彼等は毎朝主人の食う麺麭パンの幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺さとうつぼたくの上に置かれてさじさえ添えてあったちうわけや。毎日毎晩壱年中のように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙ひとさじの砂糖をすくい出してオノレの皿の上へあけたちうわけや。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法でオノレの皿の上にあけたちうわけや。しばらく両人りょうにんにらみ合っとったが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えたちうわけや。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にしたちうわけや。すると姉がまた一杯すくったちうわけや。妹も負けんと一杯を附加したちうわけや。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとるちうわけや。見とるに一杯一杯一杯と重なって、ついには両人ふたりの皿には山盛の砂糖がうずたかくなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになりよったとき、主人が寝ぼけまなここすりながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしもた。こないなトコを見ると、人間は利己主義から割り出した公平ちう念は猫よりまさっとるかも知れぬが、智慧ちえはかえって猫より劣っとるようや。そないなに山盛にせんうちに早くめてしまえばええにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事やらなんやらは通じないのやから、気の毒ながら御櫃おはちの上から黙って見物しとった。

寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行あるいたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓にいたのは九時頃やった。例の御櫃の上から拝見しとると、主人はだまって雑煮ぞうにを食っとる。代えては食い、代えては食うわ。餅の切れは小さいが、何でも六切むきれ七切ななきれ食って、ケツの一切れを椀の中へ残して、もうよそうとはしを置いたちうわけや。他人がそないな我儘ワガママをすると、なかなか承知せんのであるが、主人の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中にただれた餅の死骸を見て平気やましとる。妻君が袋戸ふくろどの奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、主人は「それはかないから飲まん」ちう。「でもあんさん澱粉質でんぷんしつのものにはエライ功能があるそうやろから、召し上ったらええでっしゃろ」と飲ませたがるちうわけや。「澱粉やろうが何やろうが駄目だよ」と頑固がんこに出るちうわけや。「あんさんはホンマにきっぽいちうわけや」と細君が独言ひとりごとのようにいうわ。「厭きっぽいのやない薬が利かんのや」「それだってせんだってじゅうはエライによく利くよく利くとおっしゃって毎日毎日上ったやおまへんか」「こないだうちは利いたのだよ、きょうびは利かないのだよ」と対句ついくのような返事をするちうわけや。「そないなに飲んだりめたりしちゃ、なんぼ功能のある薬でも利く気遣きづかいはおまへん、もうちびっと辛防しんぼうがよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って直りまへんわねえ」とお盆を持って控えた御三おはんを顧みるちうわけや。「それはホンマのトコでおます。もうちびっと召し上ってご覧にならへんと、どエライい薬か悪い薬かわかるんやまいちうわけや」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。「何でもええ、飲まんのやから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙っていろ」「どうせ女やわ」と細君がタカジヤスターゼを主人の前へ突き付けて是非詰腹つめばらを切らせようとするちうわけや。主人は何にも云わず立って書斎へ這入はいるちうわけや。細君と御三は顔を見合せてにやにやと笑うわ。こないなときにあとからくっ付いて行ってひざの上へ乗ると、エライ目にわされるから、そっと庭から廻って書斎の椽側へあがって障子のすきからのぞいて見ると、主人はエピクテタスとか云う人の本をひらいて見ておったちうわけや。もしそれが平常毎日毎晩壱年中の通りわかるならちーとばかしえらいトコロがあるちうわけや。五六分するとその本をたたき付けるように机の上へほうり出す。大方そないな事やろうと思いながらなお用心しとると、今度は日記帳を出してしものような事を書きつけたちうわけや。

寒月と、根津、上野、いけはた、神田へんを散歩。池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着はるぎをきて羽根をついとった。衣装いしょうは美しいが顔はすこぶるまずいちうわけや。何となくうちの猫に似とった。

なあんも顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものや。吾輩だって喜多床きたどこへ行って顔さえってもらやあ、そないなに人間とちがったトコはありゃせん。人間はこう自惚うぬぼれとるから困るちうわけや。

宝丹ほうたんかどを曲るとまた一人芸者が攻めて来よった。これはせいのすらりとした撫肩なでがた恰好かっこうよく出来上った女で、着とる薄紫の衣服きものも素直に着こなされて上品に見えたちうわけや。白い歯を出して笑いながら「源ちゃん昨夕ゆうべは⸺つい忙がしかったもんやから」と云ったちうわけや。せやけどその声は旅鴉たびがらすのごとく皺枯しゃがれておったさかい、せっかくの風采ふうさいおおいに下落したように感ぜられたから、なんちうか、ようみなはんいわはるとこの源ちゃんなるもののいかなる人なるかを振り向いて見るも難儀になって、懐手ふトコでのまんま御成道おなりみちへ出たちうわけや。寒月は何となくそわそわしとるごとく見えたちうわけや。

人間の心理ほどし難いものはないちうわけや。この主人の今の心はおこっとるのだか、浮かれとるのだか、または哲人の遺書に一道いっぺんうの慰安を求めつつあるのか、ちっとも分りまへん。世の中を冷笑しとるのか、世の中へまじりたいのだか、くだらぬ事に肝癪かんしゃくを起しとるのか、物外ぶつがい超然ちょうぜんとしとるのだかさっぱり見当けんとうが付かぬ。猫やらなんやらはそこへ行くと単純なものや。食いたければ食い、寝たければ寝る、おこるときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記やらなんやらちう無用のものは決してつけへん。つける必要がないからであるちうわけや。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されへん自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れへんが、我等猫属ねこぞくに至ると行住坐臥ぎょうじゅうざが行屎送尿こうしそうにょうことごとく真正の日記であるから、別段そないな難儀な手数てかずをして、おのれの真面目しんめんもくを保存するには及ばぬと思うわ。日記をつけるひまがあるなら椽側に寝とるまでの事さ。

神田の某亭で晩餐ばんはんを食うわ。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合がエライええ。胃弱には晩酌が一番だと思うわ。タカジヤスターゼは無論いかん。どなたはんが何と云っても駄目や。どうしたってかないものは利かないのや。

無暗むやみにタカジヤスターゼを攻撃するちうわけや。独りで喧嘩をしとるようや。今朝の肝癪がちーとばかしここへ尾を出す。人間の日記の本色はこう云うへんに存するのかも知れへん。

せんだって○○は朝飯あさめしを廃すると胃がよくなると云うたから二三日にはんち朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はないちうわけや。△△は是非こうものてと忠告したちうわけや。彼の説によるとずぅぇえええぇぇええんぶ胃病の源因は漬物にあるちうわけや。漬物さえ断てば胃病の源をらす訳やから本復は疑なしちう論法やった。ほんで一週間ばかり香の物にはしを触れなかったが別段のげんも見えなかったから近頃はまた食い出したちうわけや。××に聞くとそれは按腹あんぷく揉療治もみりょうじに限るちうわけや。せやけど普通のではゆかぬ。皆川流みながわりゅうちう古流なみ方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来るちうわけや。安井息軒やすいそっけんもエライこの按摩術あんまじゅつを愛しとった。坂本竜馬さかもとりょうまのような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速上根岸かみねぎしまで出掛けてまして見たちうわけや。トコロが骨をまなければなおらぬとか、臓腑の位置をいっぺん顛倒てんとうせな根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷なみ方をやるちうわけや。後で身体が綿のようになって昏睡病こんすいびょうにかかったような心持ちがしたさかい、いっぺんで閉口してやめにしたちうわけや。A君は是非固形体を食うなちう。ほんで、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかったちうわけや。B氏は横膈膜おうかくまくで呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳やから試しにやって御覧ちう。これも多少やったが何となく腹中ふくちゅうが不安で困るちうわけや。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまうわ。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ。美学者の迷亭めいていがこのていを見て、産気はんけのついた男やあるまいしすがええと冷かしたからきょうびはしてしもた。C先生は蕎麦そばを食ったらよかろうと云うから、早速かけもりをかわるがわる食ったが、これは腹がくだるばかりで何等の功能もなかったちうわけや。余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがずぅぇえええぇぇええんぶ駄目であるちうわけや。ただ昨夜ゆうべ寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目ききめがあるちうわけや。これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしようわ。

これも決して長く続く事はあるまいちうわけや。主人の心は吾輩の眼球めだまのように間断なく変身しとる。何をやっても永持ながもちのせん男であるちうわけや。その上日記の上で胃病をこないなに心配しとる癖に、表向はおおいに痩我慢をするからおかしいちうわけや。せんだってその友人でなにがしちう学者が尋ねて来て、一種の見地から、ずぅぇえええぇぇええんぶの病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならへんと云う議論をしたちうわけや。大分だいぶ研究したものと見えて、条理が明晰めいせきで秩序が整然として立派な説やった。気の毒ながらうちの主人やらなんやらは到底これを反駁はんばくするほどの頭脳も学問もないのであるちうわけや。せやけどダンさんオノレが胃病で苦しんでいるさいやから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、「君の説はおもろいが、あのカーライルは胃弱やったぜ」とあたかもカーライルが胃弱やからオノレの胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をしたちうわけや。すると友人は「カーライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカーライルにはなれへんさ」とめ付けたさかい主人は黙然もくねんとしとった。かくのごとく虚栄心に富んでいるものの実際はやはり胃弱でない方がええと見えて、今夜から晩酌を始めるやらなんやらちうのはちーとばかし滑稽や。考えて見ると今朝雑煮ぞうにをあないなにようけ食ったのも昨夜ゆうべ寒月君と正宗をひっくり返した影響かも知れへん。吾輩もちーとばかし雑煮が食って見たくなりよった。

吾輩は猫ではあるが大抵のものは食うわ。車屋の黒のように横丁の肴屋さかなやまで遠征をする気力はないし、新道しんみち二絃琴にげんきんの師匠のとこ三毛みけのように贅沢ぜいたくは無論云える身分でないちうわけや。従って存外きらいは少ない方や。小供の食いこぼした麺麭パンも食うし、餅菓子のあんもなめるちうわけや。こうものはすこぶるまずいが経験のため沢庵たくあんを二切ばかりやった事があるちうわけや。食って見ると妙なもので、大抵のものは食えるちうわけや。あれはいやだ、これは嫌だと云うのは贅沢ぜいたくな我儘で到底教師のうちにいる猫やらなんやらの口にすべきトコでないちうわけや。主人の話しによると仏蘭西フランスにバルザックちう小説家があったそうや。この男が大の贅沢ぜいたく屋で⸺もっともこれは口の贅沢屋ではおまへん、小説家だけに文章の贅沢を尽したちう事であるちうわけや。バルザックが或る日オノレの書いとる小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけて見たが、どうしても気に入りまへん。トコへ友人が遊びに攻めて来よったのでいっしょに散歩に出掛けたちうわけや。友人はもとよりなんにも知らんと連れ出されたさかいあるが、バルザックはねてオノレの苦心しとる名を目付めつけようちう考えやから往来へ出るとなあんもせんで店先の看板ばかり見て歩行あるいとる。トコロがやはり気に入った名がないちうわけや。友人を連れて無暗むやみにあるく。友人は訳がわからんとくっ付いて行く。彼等はついに朝から晩まで巴理パリを探険したちうわけや。その帰りがけにバルザックはふとある裁縫屋の看板が目についたちうわけや。見るとその看板にマーカスちう名がかいてあるちうわけや。バルザックは手をって「これだこれだこれに限るちうわけや。マーカスは好い名やないか。マーカスの上へZちう頭文字をつける、すると申しぶんのない名が出来るちうわけや。Zでなくてはいかん。Z. Marcus は実にうまいちうわけや。どうもオノレで作った名はうまくつけたつもりでも何となく故意わざとらしいトコロがあって面白くないちうわけや。ようやっとの事で気に入った名が出攻めて来よった」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉しがったちうが、小説中の人間の名前をつけるに一日いちんち巴理パリを探険しなくてはならぬようでは随分手数てすうのかかる話や。贅沢もこのくらい出来れば結構なものやけど吾輩のように牡蠣的かきてき主人を持つ身の上ではどエライそないな気は出ないちうわけや。何でもええ、食えさえすれば、ちう気になるのも境遇のしからしむるトコであろうわ。やから今雑煮ぞうにが食いたくなりよったのも決して贅沢の結果ではおまへん、何でも食える時に食っておこうちう考から、主人の食いあました雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからであるちうわけや。……台所へ廻って見るちうわけや。

今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着こうちゃくしとる。白状するが餅ちうものは本日この時まで一ぺんも口に入れた事がないちうわけや。見るとうまそうにもあるし、またちびっとは気味きびがわるくもあるちうわけや。前足で上にかかっとる菜っ葉をき寄せるちうわけや。爪を見ると餅の上皮うわかわが引き掛ってねばねばするちうわけや。いで見ると釜の底の飯を御櫃おはちへ移す時のようなにおいがするちうわけや。食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。幸か不幸かどなたはんもおらへん。御三おはんは暮も春も同じような顔をして羽根をついとる。小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎はん」を歌っとる。食うとするやろ、ほしたら今や。もしこの機をはずすと来年までは餅ちうものの味を知らんと暮してしまわねばならぬ。吾輩はこの刹那せつなに猫ながら一の真理を感得したちうわけや。「得難き機会はずぅぇえええぇぇええんぶの動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実を云うとそないなに雑煮を食いたくはないのであるちうわけや。否椀底わんていの様子を熟視すればするほど気味きびが悪くなって、食うのが厭になりよったのであるちうわけや。この時もし御三でも勝手口を開けたなら、奥の小供の足音がウチへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜気おしげもなく椀を見棄てたろう、しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろうわ。トコロがどなたはんも来ない、なんぼ蹰躇ちゅうちょしていてもどなたはんも来ないちうわけや。早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持がするちうわけや。吾輩は椀の中をのぞき込みながら、早くどなたはんか来てくれればええと念じたちうわけや。やはりどなたはんも来てくれへん。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。ケツにからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角を一寸いっすんばかり食い込んや。このくらい力を込めて食い付いたのやから、大抵なものならみ切れる訳やけど、驚いたちうわけや! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けへん。もう一ぺん噛み直そうとすると動きがとれへん。餅は魔物だなとかんづいた時はすでに遅かったちうわけや。沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮あせるたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなるちうわけや。歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ないちうわけや。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れへん男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものや。この餅も主人と同じようにどうしても割り切れへん。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際方じんみらいざいかたのつくはあるまいと思われたちうわけや。この煩悶はんもんの際吾輩は覚えず第二の真理に逢着ほうちゃくしたちうわけや。「ずぅぇえええぇぇええんぶの動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっ付いとるのでごうも愉快を感じないちうわけや。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛いちうわけや。早く食い切って逃げないと御三おはんが来るちうわけや。小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へけ出して来るに相違ないちうわけや。煩悶のきょく尻尾しっぽをぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目であるちうわけや。考えて見ると耳と尻尾しっぽは餅と何等の関係もないちうわけや。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにしたちうわけや。ようやっとの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いたちうわけや。まず右翼の方をあげて口の周囲をで廻す。でたくらいで割り切れる訳のものではおまへん。今度は左翼ひだりの方をのばして口を中心として急劇に円をかくして見るちうわけや。そないなまじないで魔は落ちないちうわけや。辛防しんぼう肝心かんじんだと思って左翼右翼かわがわるに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っとる。ええ難儀だと両足をいっぺんに使うわ。すると不思議な事にこの時だけは後足あとあし二本で立つ事が出攻めて来よった。何だか猫でないような感じがするちうわけや。猫であろうが、あるまいがこうなりよった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしちう意気込みで無茶苦茶に顔中引っき廻す。前足の運動が猛烈やのでややともすると中心を失って倒れかかるちうわけや。倒れかかるたびに後足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、ウチと飛んで廻るちうわけや。我ながらよくこないなに器用にっていられたものだと思うわ。第三の真理が驀地ばくち現前げんぜんするちうわけや。「危きにのぞめば平常なしあたわざるトコのものをし能うわ。これ天祐てんゆうちう」さいわいに天祐をけたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っとると、何だか足音がして奥より人が来るような気合けわいであるちうわけや。ここで人に来られてはエライだと思って、いよいよ躍起やっきとなって台所をかけ廻るちうわけや。足音はだんだん近付いてくるちうわけや。ああ残念やけど天祐がちびっと足りまへん。とうとう小供に見付けられたちうわけや。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っとる」と大きな声をするちうわけや。この声を第一に聞きつけたのが御三であるちうわけや。羽根も羽子板も打ちって勝手から「あらまあ」と飛込んで来るちうわけや。細君は縮緬ちりめんの紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられるちうわけや。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といったちうわけや。おもろいおもろいと云うのは小供ばかりであるちうわけや。そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っとる。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱ったちうわけや。ようやっと笑いがやみそうになりよったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったさかい狂瀾きょうらん既倒きとうに何とかするちう勢でまたエライ笑われたちうわけや。人間の同情に乏しい実行も大分だいぶ見聞けんもんしたが、この時ほどうらめしく感じた事はなかったちうわけや。ついに天祐もどっかへ消えせて、在来の通りばいになって、眼を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口したちうわけや。さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとってやれ」と主人が御三に命ずるちうわけや。御三はもっともっともっともっともっともっともっともっともっと踊らせようやおまへんかちう眼付で細君を見るちうわけや。細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっとる。「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人はもっかい下女をかえりみるちうわけや。御三おはんは御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。寒月かんげつ君やないが前歯がみんな折れるかと思ったちうわけや。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯をなさけ容赦もなく引張るのやからたまりまへん。吾輩が「ずぅぇえええぇぇええんぶの安楽は困苦を通過せざるべからず」と云う第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人はすでに奥座敷へ這入はいってしまっておったちうわけや。

こないなシッパイをした時には内にいて御三なんぞに顔を見られるのも何となくばつが悪いちうわけや。いっその事気をえて新道の二絃琴にげんきんの御師匠はんのとこ三毛子みけこでも訪問しようと台所から裏へ出たちうわけや。三毛子はこの近辺で有名な美貌家びぼうかであるちうわけや。吾輩は猫には相違ないが物のなさけは一通り心得とる。うちで主人のにがい顔を見たり、御三の険突けんつくを食って気分がすぐれん時は必ずこの異性の朋友ほうゆうもとを訪問していろいろな話をするちうわけや。すると、いつのにか心が晴々せいせいして本日この時までの心配も苦労もなあんもかも忘れて、生れ変ったような心持になるちうわけや。女性の影響ちうものは実に莫大ばくだいなものや。杉垣の隙から、おるかなと思って見渡すと、三毛子は正月やから首輪の新しいのをして行儀よく椽側えんがわに坐っとる。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しいちうわけや。曲線の美を尽しとる。尻尾しっぽの曲がり加減、足の折り具合、物憂ものうげに耳をちょいちょい振る景色けしきやらなんやらも到底とうてい形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、ひんよくひかえとるものやから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、天鵞毛びろうどあざむくほどのなめらかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われるちうわけや。吾輩はちーとの間恍惚こうこつとしてながめとったが、やがて我に帰るといっぺんに、低い声で「三毛子はん三毛子はん」とええながら前足で招いたちうわけや。三毛子は「あら先生」と椽を下りるちうわけや。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴るちうわけや。おや正月になりよったら鈴までつけたな、どうもええだと感心しとるに、吾輩のそばに来て「あら先生、おめでとうわ」と尾を左翼ひだりへ振るちうわけや。吾等猫属ねこぞく間で御互に挨拶をするっちうときには尾を棒のごとく立てて、それを左翼りへぐるりと廻すのであるちうわけや。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりであるちうわけや。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師のうちにいるものやから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれるちうわけや。吾輩も先生と云われて満更まんざら悪い心持ちもせんから、はいはいと返事をしとる。「やあおめでとう、大層立派に御化粧が出来たんやね」「ええ去年の暮御師匠おししょうはんに買って頂いたの、いでっしゃろ」とちゃらちゃら鳴らして見せるちうわけや。「なるほど善いやな、吾輩やらなんやらは生れてから、そないな立派なものは見た事がないや」「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「ええでっしゃろ、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。「あんさんのうちの御師匠はんはエライあんさんを可愛がっとると見えまんねんね」と吾身に引きくらべてあん欣羨きんせんの意をらす。三毛子は無邪気なものである「ホンマよ、まるでオノレの小供のようよ」とあどけなく笑うわ。猫だって笑いまへんとは限りまへん。人間はオノレよりほかに笑えるものが無いように思っとるのは間違いであるちうわけや。吾輩が笑うのは鼻のあなを三角にして咽喉仏のどぼとけを震動させて笑うのやから人間にはわからぬはずであるちうわけや。「一体あんさんのとこの御主人は何やろか」「あら御主人だって、妙なのね。御師匠おししょうはんだわ。二絃琴にげんきんの御師匠はんよ」「それは吾輩も知っておるけどダンさんね。その御身分は何なんや。いずれむかしは立派な方なんでっしゃろな」「ええ」

君を待つの姫小松……………

障子の内で御師匠はんが二絃琴をき出す。「い声でっしゃろ」と三毛子は自慢するちうわけや。「いようやけど、吾輩にはよくわからん。全体何ちうものやか」「あれ? あれは何とかってものよ。御師匠はんはあれが大好きなの。……御師匠はんはあれで六十二よ。随分丈夫だわね」六十二で生きとるくらいやから丈夫と云わねばなるまいちうわけや。吾輩は「はあ」と返事をしたちうわけや。ちびっとが抜けたようやけど別に名答も出て来なかったから仕方がないちうわけや。「あれでも、もとは身分がエライ好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの」「へえ元は何やったんや」「何でも天璋院てんしょういん様の御祐筆ごゆうひつの妹の御嫁に行ったきのっかはんのおいの娘なんだって」「何やって?」「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁にいった……」「なるほど。ちびっと待ってくれへんかの。天璋院様の妹の御祐筆の……」「あらそうやないの、天璋院様の御祐筆の妹の……」「よろしい分ったんや天璋院様のでっしゃろ」「ええ」「御祐筆のでっしゃろ」「そうよ」「御嫁に行ったちうわけや」「妹の御嫁に行ったや」「そうそう間違ったちうわけや。妹の御嫁にった先きの」「御っかはんの甥の娘なんやとさ」「御っかはんの甥の娘なんやろか」「ええ。分ったでっしゃろ」「えええ。何だか混雑して要領を得ないや。つまるトコ天璋院様の何になるんやろか」「あんさんもよっぽど分りまへんのね。やから天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかはんの甥の娘なんだって、っきっから言ってるんやおまへんか」「それはすっかり分っとるんやけどアンタね」「それが分りさえすればええんでっしゃろ」「ええ」と仕方がないから降参をしたちうわけや。吾々は時とすると理詰の虚言うそかねばならぬ事があるちうわけや。

障子のうちで二絃琴のがぱったりやむと、御師匠はんの声で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子は嬉しそうに「あら御師匠はんが呼んでいらっしゃるから、わいあたし帰るわ、よくって?」わるいと云ったって仕方がないちうわけや。「それやまた遊びにいらっしゃいちうわけや」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけて行ったが急に戻って来て「あんさんエライ色が悪くってよ。どうかしやしなくって」と心配そうに問いかけるちうわけや。まさか雑煮ぞうにを食って踊りを踊ったとも云われへんから「何別段の事もおまへんが、ちびっと考え事をしたら頭痛がしてね。あんさんと話しでもしたら直るやろうと思って実は出掛けて攻めて来よったのやよ」「そうわ。御大事になさいまし。ほなさいなら」ちびっとは名残なごり惜し気に見えたちうわけや。これで雑煮の元気もさっぱりと回復したちうわけや。ええ心持になりよった。帰りに例の茶園ちゃえんを通り抜けようと思って霜柱しもばしらけかかったのを踏みつけながら建仁寺けんにんじくずれから顔を出すとまた車屋の黒が枯菊の上にを山にして欠伸あくびをしとる。近頃は黒を見て恐怖するような吾輩ではおまへんが、話しをされると難儀やから知らぬ顔をして行き過ぎようとしたちうわけや。黒の性質としてひとおのれを軽侮けいぶしたと認むるや否や決して黙っておらへん。「おい、名なしの権兵衛ごんべえ、近頃やおつう高く留ってるやあねえか。なんぼ教師の飯を食ったって、そないな高慢ちきならあするねえ。ひとつけ面白くもねえ」黒は吾輩の有名になりよったのを、まだ知らんと見えるちうわけや。説明してやりたいが到底とうてい分る奴ではおまへんから、まず一応の挨拶をして出来得る限り早く御免蒙ごめんこうむるにくはないと決心したちうわけや。「いや黒君おめでとうわ。不相変あいかわらず元気がええね」と尻尾しっぽを立てて左翼へくるりと廻わす。黒は尻尾を立てたぎり挨拶もせん。「何おめでてえ? 正月でおめでたけりゃ、御めえなんざあ年が年中おめでてえ方やろうわ。気をつけろい、このむこづらめ」吹い子の向うづらちう句は罵詈ばりの言語であるようやけど、吾輩には了解が出来なかったちうわけや。「ちーとばかしうかがうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」「へん、手めえが悪体あくたいをつかれてる癖に、そのわけを聞きゃ世話あねえ、やから正月野郎だって事よ」正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句であるちうわけや。参考のためちーとばかし聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬにまっとるから、めんむかったまんま無言で立っておったちうわけや。いささか手持無沙汰のていであるちうわけや。すると突然黒のうちのかみはんが大きな声を張り揚げて「おや棚へ上げて置いたしゃけがないちうわけや。エライや。またあの黒の畜生ちきしょうが取ったんだよ。ホンマに憎らしい猫だっちゃありゃあせん。今に帰って攻めて来よったら、どうするか見ていやがれ」と怒鳴どなるちうわけや。初春はつはる長閑のどかな空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代みよおおい俗了ぞくりょうしてしまうわ。黒は怒鳴るなら、怒鳴りたいだけ怒鳴っていろと云わぬばかりに横着な顔をして、四角なあごを前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をするちうわけや。本日この時までは黒との応対で気がつかなかったが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになって転がっとる。「君不相変あいかわらずやってるな」と本日この時までの行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈したちうわけや。黒はそのくらいな事ではなかなか機嫌を直さないちうわけや。「何がやってるでえ、この野郎。しゃけの一切や二切で相変らずたあ何や。人を見縊みくびった事をいうねえ。はばかりながら車屋の黒だあ」と腕まくりの代りに右翼の前足をかに肩のへんまでき上げたちうわけや。「君が黒君だと云う事は、始めから知ってるさ」「知ってるのに、相変らずやってるたあ何や。何だてえ事よ」と熱いのをしきりに吹き懸けるちうわけや。人間なら胸倉むなぐらをとられて小突き廻されるトコであるちうわけや。少々辟易へきえきして内心困った事になりよったなと思っとると、もっかい例の神はんの大声が聞えるちうわけや。「ちょいと西川はん、おい西川はんてば、用があるんだよこの人あ。牛肉を一きんすぐ持って来るんだよ。ええかい、分ったかい、牛肉の堅くないトコを一斤だよ」と牛肉注文の声が四隣しりん寂寞せきばくを破るちうわけや。「へん年に一遍牛肉をあつらえると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんやから始末に終えねえ阿魔あまや」と黒はあざけりながら四つ足を踏張ふんばるちうわけや。吾輩は挨拶のしようもないから黙って見とる。「一斤くらいやあ、承知が出来ねえんやけど、仕方がねえ、ええから取っときゃ、今に食ってやらあ」とオノレのためにあつらえたもののごとくいうわ。「今度はホンマの御馳走や。結構結構」と吾輩はなるべく彼を帰そうとするちうわけや。「御めっちの知った事やねえ。黙っていろ。うるせえや」と云いながら突然後足あとあし霜柱しもばしらくずれた奴を吾輩の頭へばさりとびせ掛けるちうわけや。吾輩が驚ろいて、からだの泥を払っとるに黒は垣根をくぐって、どこぞへ姿を隠したちうわけや。大方西川のぎゅうねらいに行ったものであろうわ。

うちへ帰ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑い声さえ陽気に聞えるちうわけや。はてなと明け放した椽側からあがって主人のそばへ寄って見ると見馴れぬ客が来とる。頭を奇麗に分けて、木綿もめんの紋付の羽織に小倉こくらはかまを着けて至極しごく真面目そうな書生体しょせいていの男であるちうわけや。主人の手あぶりの角を見ると春慶塗しゅんけいぬりの巻煙草まきモク入れと並んで越智東風君おちとうふうくんを紹介致そろ水島寒月ちう名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるちう事も知れたちうわけや。主客しゅかくの対話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美学者迷亭君の事に関しとるらしいちうわけや。

「それでおもろい趣向があるから是非いっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて云うわ。「何やろか、その西洋料理へ行って午飯ひるめしを食うのについて趣向があるちうのやか」と主人は茶をぎ足して客の前へ押しやるちうわけや。「さあ、その趣向ちうのが、その時はわいにも分らなかったんやけどアンタ、いずれあのかたの事やろから、何ぞおもろい種があるのやろうと思いまして……」「いっしょに行きたんやか、なるほど」「トコロが驚いたちうワケや」主人はそれ見たかと云わぬばかりに、ひざの上に乗った吾輩の頭をぽかとたたく。ちびっと痛いちうわけや。「また馬鹿な茶番見たような事なんでっしゃろ。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。「へへー。君何ぞ変ったものを食おうやないかとおっしゃるので」「何を食おったんや」「まず献立こんだてを見ながらいろいろ料理についての御話しがおました」「あつらえへん前にやろか」「ええ」「ほんで」「ほんで首をひねってボイの方を御覧になって、どうも変ったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気でかものロースか小牛のチャップやらなんやらは如何いかがやと云うと、先生は、そないな月並つきなみを食いにわざわざここまで来やせんとおっしゃるんで、ボイは月並ちう意味が分らんものやから妙な顔をして黙っておったんやよ」「そうでっしゃろ」「ほんでわいの方を御向きになって、君仏蘭西フランス英吉利イギリスへ行くと随分天明調てんめいちょう万葉調まんようちょうが食えるんやけど、大日本帝国やどこへ行ったって版でしたようで、どうも西洋料理へ這入はいる気がせんと云うような大気燄だいきえんで⸺全体あのかたは洋行なすった事があるちうワケやかな」「何迷亭が洋行なんかするもんやろか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんやけどアンタね。大方これから行くつもりのトコを、過去に見立てた洒落しゃれなんでっしゃろ」と主人はオノレながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑をするちうわけや。客はさまで感服した様子もないちうわけや。「そうやろか、わいはまたいつのに洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴しておったんや。それに見て攻めて来よったようになめくじのソップの御話やかえるのシチュの形容をなさるものやから」「そりゃどなたはんかに聞いたんでっしゃろ、うそをつく事はなかなか名人やろからね」「どうもそうのようで」と花瓶かびんの水仙を眺めるちうわけや。ちびっとく残念の気色けしきにも取られるちうわけや。「や趣向ちうのは、それなんやね」と主人が念を押す。「いえそれはほんの冒頭やので、本論はこれからなんやこれがホンマに」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞をはさむ。「ほんで、どエライなめくじや蛙は食おうっても食えやせんから、まあトチメンボーくらいなトコで負けとく事にしようやないか君と御相談なさるものやから、わいはつい何の気なしに、それがええでっしゃろ、といってしもたので」「へー、とちめんぼうは妙やな」「ええまるっきし妙なんやけど、先生があまり真面目だものやから、つい気がつきまへんやった」とあたかも主人に向って麁忽そこつびとるように見えるちうわけや。「ほんでどうしたんや」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。「ほんでボイにおいトチメンボー二人前ににんまえ持って来いちうと、ボイがメンチボーやろかと聞き直したんやが、先生はまんねんまんねん真面目まじめかおメンチボーやないトチメンボーだと訂正されたんや」「なあるちうわけや。そのトチメンボーちう料理は一体あるんやろか」「さあわいもちびっとおかしいとは思おったんやがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っとったものやから、わいも口を添えてトチメンボートチメンボーだとボイに教えてやったんや」「ボイはどうしたんや」「ボイがね、今考えると実に滑稽こっけいなんやけどアンタね、ちーとの間思案していましてね、はなはだ御気の毒様やけどアンタ今日はトチメンボー御生憎様おあいにくさまメンチボーなら御二人前おふたりまえすぐに出来まんねんと云うと、先生はどエライ残念な様子で、それやせっかくここまで攻めて来よった甲斐かいがないちうわけや。どうかトチメンボー都合つごうして食わせてもらうわけには行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはほならともかくも料理番と相談して参りまひょと奥へ行きたんやよ」「エライトチメンボーが食いたかったと見えまんねんね」「ちーとの間してボイが出て来てまことに御生憎で、御誂おあつらえならこしらえまっけど少々時間がかかるんや、と云うと迷亭先生は落ちついたもので、どうせうちらは正月でひまなんやから、ちびっと待って食って行こうやないかと云いながらポッケットから葉巻を出してぷかりぷかり吹かし始められたさかい、わいわたくしも仕方がないから、ふトコから大日本帝国新聞を出して読み出したんや、するとボイはまた奥へ相談に行きたんやよ」「いやに手数てすうが掛るんやな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込で席をすすめるちうわけや。「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われまへんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく攻めて来よったのになあとわいの方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、わいも黙っとる訳にも参りまへんから、どうも遺憾いかんやな、遺憾きわまるやなと調子を合せたちうワケや」「ごもっともで」と主人が賛成するちうわけや。何がごもっともだか吾輩にはわからん。「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参ったんやら、どうか願いますわってんでっしゃろ。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をせんんや。材料は大日本帝国派の俳人やろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものやから近頃は横浜へ行っても買われまへんので、まことにお気の毒様と云おったんやよ」「アハハハそれが落ちなんやろか、こりゃおもろい」と主人はいつになく大きな声で笑うわ。ひざが揺れて吾輩は落ちかかるちうわけや。主人はそれにも頓着とんやくなく笑うわ。アンドレア・デル・サルトにかかったのはオノレ一人でないと云う事を知ったさかい急に愉快になりよったものと見えるちうわけや。「ほんで二人で表へ出ると、どや君うまく行ったろう、橡面坊とちめんぼうを種に使ったトコロが面白かろうと大得意なんや。敬服の至りやと云って御別れしたようなものの実は午飯ひるめしの時刻が延びたさかいエライ空腹になって弱ったんやよ」「それは御迷惑やったろうわ」と主人は始めて同情を表するちうわけや。これには吾輩も異存はないちうわけや。ちーとの間話しが途切れて吾輩の咽喉のどを鳴らす音が主客しゅかくの耳に入るちうわけや。

東風君は冷めたくなりよった茶をぐっと飲み干して「実は今日参ったんやのは、少々先生に御願があって参ったさかい」と改まるちうわけや。「はあ、何ぞ御用で」と主人も負けんとまんねん。「御承知の通り、文学美術が好きなものやから……」「結構で」と油をす。「同志だけがよりましてせんだってから朗読会ちうのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けた毎日毎晩壱年中りで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであるんや」「ちーとばかし伺っておきまっけど、朗読会と云うと何ぞ節奏ふしでも附けて、詩歌しいか文章のるいを読むように聞えまっけど、一体どないな風にやるんや」「まあ初めは古人の作からこの世におぎゃあいうて生まれてはじめて、追々おいおいは同人の創作なんかもやるつもりや」「古人の作ちうと白楽天はくらくてん琵琶行びわこうのようなものででもあるんやろか」「えええ」「蕪村ぶそん春風馬堤曲しゅんぷうばていきょくの種類やろか」「えええ」「それや、どないなものをやったんや」「せんだっては近松の心中物しんじゅうものをやったんや」「近松? あの浄瑠璃じょうるりの近松やろか」近松に二人はないちうわけや。近松といえば戯曲家の近松にきまっとる。それを聞き直す主人はよほどだと思っとると、主人は何にも分らんと吾輩の頭を叮嚀ていねいでとる。藪睨やぶにらみかられられたと自認しとる人間もある世の中やからこのくらいの誤謬ごびゅうは決して驚くに足らんと撫でらるるがまんまにすましとった。「ええ」と答えて東風子とうふうしは主人の顔色をうかがうわ。「それや一人で朗読するちうワケやか、または役割をめてやるんやろか」「役を極めて懸合かけあいでやって見たんや。その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えまんねん。せりふはなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢はんでも丁稚でっちでも、その人物が出てきたようにやるんや」「や、まあ芝居見たようなものやおまへんか」「ええ衣装いしょう書割かきわりがななんぼいなものやな」「失礼ながらうまく行きまっしゃろか」「まあ第一回としては性交…ひひひ、ウソや、成功した方だと思うで」「それでこの前やったとおっしゃる心中物ちうと」「その、船頭が御客を乗せて芳原よしわらへ行くとこなんで」「エライ幕をやったんやな」と教師だけにちーとばかし首をかたむけるちうわけや。鼻から吹き出した日の出の煙りが耳をかすめて顔の横手へ廻るちうわけや。「なあに、そないなにエライ事もないんや。登場の人物は御客と、船頭と、花魁おいらん仲居なかい遣手やりて見番けんばんだけやろから」と東風子は平気なものであるちうわけや。主人は花魁ちう名をきいてちーとばかしにがい顔をしたが、仲居、遣手、見番ちう術語について明瞭の智識がなかったと見えてまず質問を呈出したちうわけや。「仲居ちうのは娼家しょうか下婢かひにあたるものやかな」「まだよく研究はして見まへんが仲居は茶屋の下女で、遣手ちうのが女部屋おんなべや助役じょやく見たようなものやろうと思うで」東風子はさっき、その人物が出て来るように仮色こわいろを使うと云った癖に遣手や仲居の性格をよく解しておらんらしいちうわけや。「なるほど仲居は茶屋に隷属れいぞくするもので、遣手は娼家に起臥きがする者やね。次に見番と云うのは人間やろかまたは一定の場所をすのやか、もし人間とするやろ、ほしたら男やろか女やろか」「見番は何でも男の人間だと思うで」「何をつかさどっとるんやろかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりまへん。その内調べて見まひょ」これで懸合をやった日には頓珍漢とんちんかんなものが出来るやろうと吾輩は主人の顔をちーとばかし見上げたちうわけや。主人は存外真面目であるちうわけや。「それで朗読家は君のほかにどないな人が加わったんやろか」「いろいろおったんや。花魁が法学士のK君やったが、口髯くちひげを生やして、女の甘ったるいせりふを使かうのやからちーとばかし妙やった。それにその花魁がしゃくを起すトコロがあるので……」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけへんんやろか」と主人は心配そうに尋ねるちうわけや。「ええとにかく表情が大事やろから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいるちうわけや。「うまく癪が起ったんやか」と主人は警句を吐く。「癪だけは第一回には、ちと無理やった」と東風子も警句を吐く。「トコで君は何の役割やった」と主人が聞く。「わいわたくしは船頭」「へー、君が船頭」君にして船頭がつとまるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気をらす。やがて「船頭は無理やったか」と御世辞のないトコを打ち明けるちうわけや。東風子は別段癪に障った様子もないちうわけや。やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しも竜頭蛇尾りゅうとうだびに終ったんや。実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるちう事を、どこぞで探知して会場の窓下へ来て傍聴しとったものと見えまんねん。わいわたくしが船頭の仮色こわいろを使って、ようやっと調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっとると、……ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は身振りがあまり過ぎたさかいしょう、本日この時までらえとった女学生がいっぺんにわっと笑いだしたものやから、驚ろいた事も驚ろいたし、きまりがるい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしてもあとがつづけられへんので、とうとうそれりで散会したんや」第一回としては性交…ひひひ、ウソや、成功だと称する朗読会がこれでは、シッパイはどないなものやろうと想像すると笑わんとはいられへん。覚えず咽喉仏のどぼとけがごろごろ鳴るちうわけや。主人はいよいよ柔かに頭をでてくれるちうわけや。人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なトコもあるちうわけや。「それは飛んだ事で」と主人は正月早々弔詞ちょうじを述べとる。「第二回からは、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと奮発して盛大にやるつもりやので、今日出たんやのもまるっきしそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはどエライ癪なんか起せまへんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかけるちうわけや。「いえ、癪やらなんやらは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうに小菊版こぎくばんの帳面を出す。「これへどうか御署名の上御捺印ごなついんを願いたいので」と帳面を主人のひざの前へ開いたまんま置く。見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よく勢揃せいぞろいをしとる。「はあ賛成員にならん事もおまへんが、どないな義務があるちうワケやか」と牡蠣先生かきせんせい掛念けねんていに見えるちうわけや。「義務と申して別段是非願う事もななんぼいで、ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえ御表おひょう被下くださればそれで結構や」「そないなら這入はいるんや」と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になるちうわけや。責任さえへんと云う事が分っておれば謀叛むほんの連判状へでも名を書き入れまんねんと云う顔付をするちうわけや。加之のみならずこう知名の学者が名前をつらねとる中に姓名だけでも入籍させるのは、本日この時までこないな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はないちうわけや。「ちーとばかし失敬」と主人は書斎へ印をとりに這入るちうわけや。吾輩はぼたりと畳の上へ落ちるちうわけや。東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口に頬張ほおばるちうわけや。モゴモゴちーとの間は苦しそうであるちうわけや。吾輩は今朝の雑煮ぞうに事件をちーとばかし思い出す。主人が書斎から印形いんぎょうを持って出て攻めて来よった時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時やった。主人は菓子皿のカステラが一切ひときれ足りなくなりよった事には気が着かぬらしいちうわけや。もし気がつくとするやろ、ほしたら第一に疑われるものは吾輩であろうわ。

東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつのにか迷亭先生の手紙が来とる。

「新年の御慶ぎょけい目出度めでたく申納候もうしおさめそろ……

いつになく出が真面目だと主人が思うわ。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間やらなんやらは「其後そのご別に恋着れんちゃくせる婦人も無之これなく、いずかたより艶書えんしょも参らず、ず無事に消光まかり在りそろ間、乍憚はばかりながら御休心可被下候くださるべくそろ」と云うのが攻めて来よったくらいであるちうわけや。それにくらべるとこの年始状は例外にも世間的であるちうわけや。

「一寸参堂仕りたく候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針をもって、此千古未曾有みぞうの新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上そろ……

なるほどあの男の事やから正月は遊び廻るのに忙がしいに違おらへんと、主人は腹の中で迷亭君に同意するちうわけや。

「昨日は一刻のひまをぬすみ、東風子にトチメンボー御馳走ごちそうを致はんと存じ候処そろトコ生憎あいにく材料払底のめ其意を果さず、遺憾いかん千万に存候ぞんじそろ……

そろそろ例の通りになって攻めて来よったと主人は無言で微笑するちうわけや。

「明日は某男爵の歌留多会かるたかい、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……

うるさいなと、主人は読みとばす。

「右翼の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致しそろ為め、不得已やむをえず賀状を以て拝趨はいすうの礼に候段そろだん不悪あしからず御宥恕ごゆうじょ被下度候くだされたくそろ……

別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をするちうわけや。

「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供したき心得に御座そろ寒厨かんちゅう何の珍味も無之候これなくそうらえども、せめてはトチメンボーでもと只今より心掛居候おりそろ……

まだトチメンボーを振り廻しとる。失敬なと主人はちーとばかしむっとするちうわけや。

しかトチメンボーは近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候かねそろも計りがたきにつき、其節は孔雀くやくしたでも御風味に入れ可申候もうすべくそろ……

両天秤りょうてんびんをかけたなと主人は、あとが読みたくなるちうわけや。

「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指のなかばにも足らぬ程故健啖けんたんなる大兄の胃嚢いぶくろたす為には……

うそをつけと主人は打ちったようにいうわ。

「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざるべからずと存候ぞんじそろ。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋やらなんやらには一向いっこう見当り不申もうさず苦心くしん此事このことに御座そろ……

独りで勝手に苦心しとるのやないかと主人はごうも感謝の意を表せん。

「此孔雀の舌の料理は往昔おうせき羅馬ローマ全盛のみぎり、一時どエライ流行致しそろものにて、豪奢ごうしゃ風流の極度と平生よりひそかに食指しょくしを動かし居候おりそろ次第御諒察ごりょうさつ可被下候くださるべくそろ……

何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡であるちうわけや。

くだって十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候あいなりおりそろ。レスター伯がエリザベス女皇じょこうをケニルウォースに招待致し候節そろせつたしか孔雀を使用致し候様そろよう記憶致候いたしそろ。有名なるレンブラントがえがそろ饗宴の図にも孔雀が尾を広げたるまんま卓上によこたわり居りそろ……

孔雀の料理史をかくくらいなら、そないなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。

「とにかく近頃の如く御馳走の食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成あいなるは必定ひつじょう……

大兄のごとくは余計や。なあんも僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいたちうわけや。

「歴史家の説によれば羅馬人ローマじんは日に二度三度も宴会を開き候由そろよし。日に二度も三度も方丈ほうじょう食饌しょくせんに就き候えば如何なる健胃の人にても消化機能に不調をかもすべく、従って自然は大兄の如く……

また大兄のごとくか、失敬な。

しかるに贅沢ぜいたくと衛生とを両立せしめんと研究を尽したる彼等は不相当に多量の滋味をむさぼるといっぺんに胃腸を常態に保持するの必要を認め、ここに一の秘法を案出致しそろ……

はてねと主人は急に熱心になるちうわけや。

「彼等は食後必ず入浴致候いたしそろ。入浴後一種の方法によりて浴前よくぜん嚥下えんかせるものをことごと嘔吐おうとし、胃内を掃除致しそろ胃内廓清おらへんかくせいの功を奏したるのち又食卓にき、く迄珍味を風好ふうこうし、風好しおわれば又湯に入りてこれ吐出としゅつ致候いたしそろ。かくの如くすれば好物はむさぼり次第貪りそうろうごうも内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事を可申もうすべきかと愚考致候いたしそろ……

なるほど一挙両得に相違ないちうわけや。主人はうらやましそうな顔をするちうわけや。

「廿世紀の今日こんにち交通の頻繁ひんぱん、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成候折柄そろおりから、吾人戦勝国の国民は、是非共羅馬ローマ人にならって此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致しそろ事と自信致候いたしそろ左翼もなくば切角せっかくの大国民も近き将来に於てことごとく大兄の如く胃病患者と相成る事とひそかに心痛まかりありそろ……

また大兄のごとくか、しゃくさわる男だと主人が思うわ。

「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史伝説を考究し、既に廃絶せる秘法を発見し、之を明治の社会に応用致し候わば所謂いわばわざわい未萌みほうに防ぐの功徳くどくにも相成り平素逸楽いつらくほしいまんまに致しそろ御恩返も相立ち可申もうすべく存候ぞんじそろ……

何だか妙だなと首をひねるちうわけや。

よって此間じゅうよりギボン、モンセン、スミス等諸家の著述を渉猟しょうりょう致し居候おりそうらえどもいまだに発見の端緒たんしょをも見出みいだし得ざるは残念の至に存候ぞんじそろ。然し御存じの如く小生はいっぺん思い立ち候事そろことは性交…ひひひ、ウソや、成功するまでは決して中絶つかまつらざる性質に候えば嘔吐方おうとほうを再興致しそろも遠からぬうちと信じ居りそろ次第。右翼は発見次第御報道可仕候つかまつるべくそろにつき、左翼様御承知可被下候くださるべくそろついてはさきに申上そろトチメンボー及び孔雀の舌の御馳走も可相成あいなるべくは右翼発見後に致したく左翼すれば小生の都合は勿論もちろん、既に胃弱に悩み居らるる大兄の為にも御便宜ごべんぎかと存候ぞんじそろ草々不備」

何だとうとうかつがれたのか、あまり書き方が真面目だものやからつい仕舞しまいまで本気にして読んでいたちうわけや。新年匆々そうそうこないな悪戯いたずらをやる迷亭はよっぽどひま人だなあと主人は笑いながら云ったちうわけや。

ほんで四五日は別段の事もなく過ぎ去ったちうわけや。白磁はくじの水仙がだんだんしぼんで、青軸あおじくの梅がびんながらだんだん開きかかるのを眺め暮らしてばかりいてもつまらんと思って、一両度いちりょうど三毛子を訪問して見たがわれへん。最初は留守だと思ったが、二返目へんめには病気で寝とるちう事が知れたちうわけや。障子の中で例の御師匠はんと下女が話しをしとるのを手水鉢ちょうずばちの葉蘭の影に隠れて聞いとるとこうやった。

「三毛は御飯をたべるかいちうわけや」「えええ今朝からまだなんにも食べまへん、あったかにして御火燵おこたに寝かしておいたんや」何だか猫らしくないちうわけや。まるで人間の取扱を受けとる。

一方ではオノレの境遇と比べて見てうらやましくもあるが、一方ではおのが愛しとる猫がかくまで厚遇を受けとると思えば嬉しくもあるちうわけや。

「どうも困るね、御飯をたべないと、身体からだが疲れるばかりやからね」「そうでおますとも、わい共でさえ一日御饍ごぜんをいただかないと、明くる日はどエライ働けまへんもの」

下女はオノレより猫の方が上等な動物であるような返事をするちうわけや。実際このうちでは下女より猫の方が大切かも知れへん。

「御医者様へ連れて行ったのかいちうわけや」「ええ、あの御医者はよっぽど妙でおますよ。わいが三毛をだいて診察場へ行くと、風邪かぜでも引いたのかってわいのみゃくをとろうとするんでっしゃろ。いえ病人はわいではございまへん。これやって三毛を膝の上へ直したら、にやにや笑いながら、猫の病気はわしにも分らん、ほうっておいたら今になおるやろうってんやもの、あんまりひどいやございまへんか。腹が立ったから、それや見ていただかなくってもようおますこれでも大事の猫なんやって、三毛をふトコへ入れてさっさと帰って参ったんや」「ほんにねえ」

「ほんにねえ」は到底とうてい吾輩のうちやらなんやらで聞かれる言葉ではおまへん。やはり天璋院てんしょういん様の何とかの何とかでなくては使えへん、はなはだであると感心したちうわけや。

「何だかしくしく云うようやけど……」「ええきっと風邪を引いて咽喉のどが痛むんでおますよ。風邪を引くと、どなたでも御咳おせきが出まっしゃろからね……

天璋院様の何とかの何とかの下女だけに馬鹿叮嚀ていねいな言葉を使うわ。

「それに近頃は肺病とか云うものが出来てのうわ」「ホンマにきょうびのように肺病だのペストだのって新しい病気ばかりえた日にゃ油断も隙もなりゃしまへんのでおますよ」「旧幕時代に無い者にろくな者はないから御前も気をつけへんといかんよ」「そうでございまひょかねえ」

下女はおおいに感動しとる。

風邪かぜを引くといってもあまり出あるきもせんようやったに……」「いえね、あんさん、それが近頃は悪い友達が出来ましてね」

下女は国事の秘密でも語る時のように大得意であるちうわけや。

「悪い友達?」「ええあの表通りの教師のとこにいる薄ぎたない雄猫おねこでおますよ」「教師と云うのは、あの毎朝無作法な声を出す人かえ」「ええ顔を洗うたんびに鵝鳥がちょうめ殺されるような声を出す人でござんす」

鵝鳥が絞め殺されるような声はうまい形容であるちうわけや。吾輩の主人は毎朝風呂場で含嗽うがいをやる時、楊枝ようじ咽喉のどをつっ突いて妙な声を無遠慮に出す癖があるちうわけや。機嫌の悪い時はやけにがあがあやる、機嫌の好い時は元気づいてなおがあがあやるちうわけや。ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は機嫌のええ時も悪い時も休みなく勢よくがあがあやるちうわけや。細君の話しではここへ引越す前まではこないな癖はなかったそうやけど、ある時ふとやり出してから今日きょうまで一日もやめた事がないちう。ちーとばかし厄介な癖であるが、なんでやねんこないな事を根気よく続けとるのか吾等猫やらなんやらには到底とうてい想像もつかん。それもまず善いとして「薄ぎたない猫」とは随分酷評をやるものだとなお耳を立ててあとを聞く。

「あないな声を出して何のまじないになるか知らん。御維新前ごいっしんまえ中間ちゅうげんでも草履ぞうり取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町やらなんやらで、あないな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」「そうでございまひょともねえ」

下女は無暗むやみに感服しては、無暗にねえを使用するちうわけや。

「あないな主人を持っとる猫やから、どうせ野良猫のらねこさ、今度攻めて来よったらちびっとたたいておやり」「叩いてやるんやとも、三毛の病気になりよったのもまるっきしあいつの御蔭に相違ございまへんもの、きっとかたきをとってやるんや」

飛んだ冤罪えんざいこうむったものや。こいつは滅多めったれへんと三毛子にはとうとう逢わんと帰ったちうわけや。

帰って見ると主人は書斎のうちで何ぞ沈吟ちんぎんていで筆をっとる。二絃琴にげんきんの御師匠はんのとこで聞いた評判を話したら、さぞおこるやろうが、知らぬが仏とやらで、うんうん云いながら神聖な詩人になりすましとる。

トコへ当分多忙で行かれへんと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が飄然ひょうぜんとやって来るちうわけや。「何ぞ新体詩でも作っとるのかね。おもろいのが出攻めて来よったら見せたまえ」と云うわ。「うん、ちーとばかしうまい文章だと思ったから今翻訳して見ようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。「文章? どなたはんれの文章だいちうわけや」「どなたはんれのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも随分善いのがあるからなかなか馬鹿に出来ないちうわけや。全体どこにあったのか」と問うわ。「第二読本」と主人は落ちつきはらって答えるちうわけや。「第二読本? 第二読本がどうしたんや」「僕の翻訳しとる名文と云うのは第二読本のうちにあると云う事さ」「冗談じょうだんやないちうわけや。孔雀の舌のかたききわどいトコで討とうと云う寸法なんやろうわ」「僕は君のような法螺吹ほらふきとはちゃうさ」と口髯くちひげひねるちうわけや。泰然たるものや。「むかしある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといったら、山陽が馬子まごの書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでっしゃろと云ったちう話があるから、君の審美眼も存外たしかかも知れん。どれ読んで見給え、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家ほんけのような事を云うわ。主人は禅坊主が大燈国師だいとうこくし遺誡ゆいかいを読むような声を出して読み始めるちうわけや。「巨人きょじん引力いんりょく」「何だいその巨人引力と云うのは」「巨人引力と云う題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云う名を持っとる巨人ちうつもりさ」「ちびっと無理なつもりやけど表題やからまず負けておくとしようわ。ほんで早々そうそう本文を読むさ、君は声が善いからなかなかおもろい」「ぜかえしてはいかんよ」とあらかじめ念を押してまた読み始めるちうわけや。

ケートは窓から外面そとながめるちうわけや。小児しょうにたまを投げて遊んでいるちうわけや。彼等は高く球を空中になげうつ。球は上へ上へとのぼるちうわけや。ちーとの間すると落ちて来るちうわけや。彼等はまた球を高く擲つ。もっかい三度。擲つたびに球は落ちてくるちうわけや。なんでやねん落ちるのか、なんでやねん上へ上へとのみのぼらぬかとケートが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答えるちうわけや。「彼は巨人引力であるちうわけや。彼は強いちうわけや。彼は万物をおのれの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまうわ。小児も飛んでしまうわ。葉が落ちるのを見たろうわ。あれは巨人引力が呼ぶのであるちうわけや。本を落す事があろうわ。巨人引力が来いちうからであるちうわけや。球が空にあがるちうわけや。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくるちうわけや」

「それぎりかいちうわけや」「むむ、うまいやないか」「いやこれは恐れ入ったちうわけや。飛んだトコでトチメンボーの御返礼にあずかったちうわけや」「御返礼でもなんでもないさ、実際うまいから訳して見たのさ、君はそう思わんかね」と金縁の眼鏡の奥を見るちうわけや。「どうも驚ろいたね。君にしてこの伎倆ぎりょうあらんとは、まるっきし此度こんどちう今度こんどかつがれたよ、降参降参」と一人で承知して一人で喋舌しゃべるちうわけや。主人には一向いっこう通じないちうわけや。「なあんも君を降参させる考えはないさ。ただおもろい文章だと思ったから訳して見たばかりさ」「いや実におもろい。そう来なくっちゃ本ものでないちうわけや。すごいものや。恐縮や」「そないなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩画をやめたから、その代りに文章でもやろうと思ってね」「どうして遠近えんきん無差別むさべつ黒白こくびゃく平等びょうどうの水彩画の比やないちうわけや。感服の至りだよ」「そうほめてくれると僕も乗り気になるちうわけや」と主人はあくまでも疳違かんちがいをしとる。

トコへ寒月かんげつ君が先日は失礼したんやと這入はいって来るちうわけや。「いや失敬。今エライ名文を拝聴してトチメンボーの亡魂を退治たいじられたトコで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。「はあ、そうやろか」とこれも訳の分らぬ挨拶をするちうわけや。主人だけは左翼のみ浮かれた気色けしきもないちうわけや。「先日は君の紹介で越智東風おちとうふうと云う人が攻めて来よったよ」「あああがったんやか、あの越智東風おちこちと云う男は至って正直な男やけどアンタちびっと変っとるトコロがあるので、せやなかったら御迷惑かと思おったんやが、是非紹介してくれちうものやから……」「別に迷惑の事もないがね……」「ウチへあがってもオノレの姓名のことについて何ぞ弁じて行きゃしまへんか」「えええ、そないな話もなかったようや」「そうやろか、どこへ行っても初対面の人にはオノレの名前の講釈こうしゃくをするのが癖でしてね」「どないな講釈をするんだいちうわけや」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口をぶちこむ。「あの東風こちと云うのをおんで読まれるとエライ気にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮きんからかわ煙草入モクいれから煙草をつまみ出す。「わいわたくしの名は越智東風おちとうふうではおまへん、越智おちこちやと必ず断るんやよ」「妙やね」と雲井くもいを腹の底までみ込む。「それがまるっきし文学熱から攻めて来よったので、こちと読むと遠近と云う成語せいごになる、のみならずその姓名がいんを踏んでいると云うのが得意なんや。それやから東風こちおんで読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれへんといって不平を云うのや」「こりゃなるほど変ってるちうわけや」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻のあなまで吐き返す。途中で煙が戸迷とまどいをして咽喉のどの出口へ引きかかるちうわけや。先生は煙管きせるを握ってごほんごホンマむせび返るちうわけや。「先日攻めて来よった時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっとったよ」と主人は笑いながら云うわ。「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管きせる膝頭ひざがしらたたく。吾輩は険呑けんのんになりよったからちびっとそばを離れるちうわけや。「その朗読会さ。せんだってトチメンボーを御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりやから、先生にも是非御臨席を願いたいって。ほんで僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者をえらんで金色夜叉こんじきやしゃにしたんやと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたらわいは御宮おみややといったのさ。東風とうふうの御宮は面白かろうわ。僕は是非出席して喝采かっさいしようと思ってるよ」「おもろいでっしゃろ」と寒月君が妙な笑い方をするちうわけや。「せやけどダンさんあの男はどこまでも誠実で軽薄なトコロがないから好いちうわけや。迷亭やらなんやらとは大違いや」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀くやくの舌とトチメンボー復讐かたきをいっぺんにとるちうわけや。迷亭君は気にも留めへん様子で「どうせ僕やらなんやらは行徳ぎょうとくまないたと云う格やからなあ」と笑うわ。「まずそないなトコやろうわ」と主人が云うわ。実は行徳の俎と云う語を主人はかいさないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化ごまかしつけとるものやから、こないな時には教場の経験を社交上にも応用するのであるちうわけや。「行徳の俎ちうのは何の事やろか」と寒月が真率しんそつに聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来てしたのやけど、よく持つやないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せるちうわけや。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管きせる大神楽だいかぐらのごとく指のさきで廻わす。「どないな経験か、聞かしたまえ」と主人は行徳の俎を遠くうしろに見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験ちうのを聞くと左翼のごとくであるちうわけや。

「たしか暮の二十七日と記憶しとるがね。例の東風とうふうから参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云うれがあったさかい、朝から心待ちに待っとると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってストーブの前でバリー・ペーンの滑稽物こっけいものを読んでいるトコへ静岡の母から手紙が攻めて来よったから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もええがストーブをいてへやあたたかにしてやりまへんと風邪かぜを引くとかいろいろの用心があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではどエライこうはいかないと、呑気のんきな僕もその時だけはおおいに感動したちうわけや。それにつけても、こないなにのらくらしていては勿体もったいないちうわけや。何ぞ大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きとるうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になりよった。ほんでなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者や。露西亜ロシアと戦争が始まって若いヤカラはエライ辛苦しんくをして御国みくにのために働らいとるのに節季師走せっきしわすでもお正月のように気楽に遊んでいると書いてあるちうわけや。⸺僕はこれでも母の思ってるように遊んやおらへんやね⸺そのあとへもって来て、僕の小学校時代の朋友ほうゆうで今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気あじきなくなって人間もしょーもないと云う気が起ったよ。一番仕舞しまいにね。わいわたしも取る年に候えば初春はつはる御雑煮おぞうにを祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風とうふうが来れば好いと思ったが、先生どうしても来ないちうわけや。そのうちとうとう晩飯になりよったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいたちうわけや。母の手紙は六尺以上もあるのやけど僕にはどエライそないな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免こうむる事にめてあるのさ。すると一日動かんとおったものやから、胃の具合が妙で苦しいちうわけや。東風が攻めて来よったら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手どて三番町はんばんちょうの方へ我れ知らず出てしもた。ちょうどその晩はちびっと曇って、から風が御濠おほりむこうから吹き付ける、どエライ寒いちうわけや。神楽坂かぐらざかの方から汽車がヒューと鳴って土手下を通り過ぎるちうわけや。エライさみしい感じがするちうわけや。暮、戦死、老衰、無常迅速やらなんやらと云う奴が頭の中をぐるぐるめぐるちうわけや。よく人が首をくくると云うがこないな時にふと誘われて死ぬ気になるのやないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、いつのにか例の松の真下たんやに来とるのさ」

「例の松た、何だいちうわけや」と主人が断句だんくを投げぶちこむ。

首懸くびかけの松さ」と迷亭はえりを縮めるちうわけや。

「首懸の松はこうだいでっしゃろ」寒月が波紋はもんをひろげるちうわけや。

こうだいのは鐘懸かねかけの松で、土手三番町のは首懸くびかけの松さ。なんでやねんこう云う名が付いたかと云うと、むかしからの言い伝えでどなたはんでもこの松の下へ来ると首がくくりたくなるちうわけや。土手の上に松は何十本となくあるが、そら首縊くびくくりだと来て見ると必ずこの松へぶら下がっとる。年に二三べんはきっとぶら下がっとる。どうしてもほかの松では死ぬ気にならん。見ると、うまい具合に枝が往来の方へ横に出とる。ああ好い枝振りや。あのまんまにしておくのは惜しいものや。どうかしてあすこの所へ人間を下げて見たい、どなたはんか来ないかしらと、四辺あたりを見渡すと生憎あいにくどなたはんも来ないちうわけや。仕方がない、オノレで下がろうか知らん。いやいやオノレが下がっては命がない、あぶないからよそうわ。せやけどダンさん昔の希臘人ギリシャじんは宴会の席で首縊くびくくりの真似をして余興を添えたと云う話しがあるちうわけや。一人が台の上へ登って縄の結び目へ首をぶちこむ途端にほかのものが台を蹴返す。首を入れた当人は台を引かれるといっぺんに縄をゆるめて飛び下りるちう趣向しゅこうであるちうわけや。果してそれが事実なら別段恐るるにも及ばん、僕も一つ試みようと枝へ手を懸けて見ると好い具合にしわるちうわけや。撓り按排あんばいが実に美的であるちうわけや。首がかかってふわふわするトコを想像して見ると嬉しくてたまらん。是非やる事にしようと思ったが、もし東風とうふうが来て待っとると気の毒だと考え出したちうわけや。ほならまず東風とうふうって約束通り話しをして、ほんで出直そうと云う気になってついにうちへ帰ったのさ」

「それでいちが栄えたのかいちうわけや」と主人が聞く。

「おもろいやな」と寒月がにやにやしながら云うわ。

「うちへ帰って見ると東風は来ておらへん。せやけどダンさん今日こんにち無拠処よんどころなき差支さしつかえがあって出られぬ、いずれ永日えいじつ御面晤ごめんごを期すちう端書はがきがあったさかい、やっと安心して、これなら心置きなく首がくくれる嬉しいと思ったちうわけや。で早速下駄を引き懸けて、急ぎ足で元の所へ引き返して見る……」と云って主人と寒月の顔を見てすましとる。

「見るとどうしたんだいちうわけや」と主人はちびっとれるちうわけや。

「いよいよ佳境に入るんやね」と寒月は羽織のひもをひねくるちうわけや。

「見ると、もうどなたはんか来て先へぶら下がっとる。たった一足違いでねえ君、残念な事をしたよ。考えると何でもその時は死神しにがみに取り着かれたんやね。ゼームスやらなんやらに云わせると副意識下の幽冥界ゆうめいかいと僕が存在しとる現実界が一種の因果法によって互に感応かんのうしたんやろうわ。実に不思議な事があるものやないか」迷亭はすまし返っとる。

主人はまたやられたと思いながらなあんも云わんと空也餅くうやもち頬張ほおばって口をもごもご云わしとる。

寒月は火鉢の灰を丁寧にらして、俯向うつむいてにやにや笑っとったが、やがて口を開く。極めて静かな調子であるちうわけや。

「なるほど伺って見ると不思議な事でちーとばかし有りそうにも思われまへんが、わいやらなんやらはオノレでやはり似たような経験をつい近頃したものやから、ちびっとも疑がう気になりまへん」

「おや君も首をくくりたくなりよったのかいちうわけや」

「いえわいのは首やないんで。これもちょうど明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻くらいに起った出来事やろからなおさら不思議に思われまんねん」

「こりゃおもろい」と迷亭も空也餅を頬張るちうわけや。

「その日は向島の知人のうちで忘年会けん合奏会がありまして、わいもそれへヴァイオリンをたずさえて行きたんや。十五六人令嬢やら令夫人が集ってなかなか盛会で、近来の快事と思うくらいに万事が整っておったんや。晩餐ばんはんもすみ合奏もすんで四方よもの話しが出て時刻も大分だいぶ遅くなりよったから、もう暇乞いとまごいをして帰ろうかと思っていますわと、某博士の夫人がわいのそばへ来てあんさんは○○子はんの御病気を御承知やろかと小声で聞きよるさかいに、実はその両三日前りょうはんにちまえに逢った時は平常の通りどこも悪いようには見受けまへんやったから、わいも驚ろいてくわしく様子を聞いて見まんねんと、わいわたくしの逢ったその晩から急に発熱して、いろいろな譫語うわごとを絶間なく口走くちばしるそうで、それだけならいやけどアンタその譫語のうちにわいの名が時々出て来るちうのや」

主人は無論、迷亭先生も「御安おやすくないね」やらなんやらちう月並つきなみは云わず、静粛に謹聴しとる。

「医者を呼んで見てもらうと、何だか病名はわからんが、何しろ熱がはげしいので脳を犯しとるから、もし睡眠剤すいみんざいが思うように功を奏せんと危険であると云う診断だそうでわいはそれを聞くや否や一種いやな感じが起ったちうワケや。ちょうど夢でうなされる時のような重くるしい感じで周囲の空気が急に固形体になって四方から吾が身をしめつけるごとく思われたんや。帰り道にもその事ばかりが頭の中にあって苦しくてたまりまへん。あの奇麗な、あの快活なあの健康な○○子はんが……

「ちーとばかし失敬やけど待ってくれ給え。さっきから伺っとると○○子はんと云うのが二へんばかり聞えるようやけど、もし差支さしつかえがなければうけたまわりたいね、君」と主人をかえりみると、主人も「うむ」と生返事なまへんじをするちうわけや。

「いやそれだけは当人の迷惑になるかも知れまへんからしまひょ」

「ずぅぇえええぇぇええんぶ曖々然あいあいぜんとして昧々然まいまいぜんたるかたで行くつもりかね」

「冷笑なさってはいけまへん、極真面目ごくまじめな話しなんやろから……とにかくあの婦人が急にそないな病気になりよった事を考えると、実に飛花落葉ひからくようの感慨で胸が一杯になって、総身そうしんの活気がいっぺんにストライキを起したように元気がにわかに滅入めいってしまいまして、ただ蹌々そうそうとして踉々ろうろうちうかたちで吾妻橋あずまばしへきかかったちうワケや。欄干にって下を見ると満潮まんちょう干潮かんちょうか分りまへんが、黒い水がかたまってただ動いとるように見えまんねん。花川戸はなかわどの方から人力車が一台けて来て橋の上を通ったんや。その提灯ちょうちんの火を見送っとると、だんだん小くなって札幌さっぽろビールの処で消えたんや。わいはまた水を見るちうわけや。するとはるかの川上の方でわいの名を呼ぶ声が聞えるちうワケや。はてな今時分人に呼ばれる訳はないがどなたはんやろうと水のおもてをすかして見たんやが暗くてなんにも分りまへん。気のせいに違おらへん早々そうそう帰ろうと思って一足二足あるき出すと、またかすかな声で遠くからわいの名を呼ぶのや。わいはまた立ち留って耳を立てて聞きたんや。三度目に呼ばれた時には欄干につかまっていながら膝頭ひざがしらががくがくふるえ出したちうワケや。その声は遠くの方か、川の底から出るようやけどアンタまぎれもない○○子の声なんでっしゃろ。わいは覚えず「はーいちうわけや」と返事をしたちうワケや。その返事が大きかったものやから静かな水に響いて、オノレでオノレの声に驚かされて、はっと周囲を見渡したんや。人も犬も月もなんにも見えまへん。その時にわいはこの「よる」の中に巻き込まれて、あの声の出る所へ行きたいと云う気がむらむらと起ったちうワケや。○○子の声がまた苦しそうに、訴えるように、救を求めるようにわいの耳を刺し通したさかい、今度は「今すぐに行きまんねん」と答えて欄干から半身を出して黒い水を眺めたんや。どうもわいを呼ぶ声がなみの下から無理にれて来るように思われましてね。この水の下だなと思いながらわいはとうとう欄干の上に乗ったんやよ。今度呼んだら飛び込もうと決心して流を見つめとるとまた憐れな声が糸のように浮いて来るちうわけや。ここだと思って力を込めて一反いったん飛び上がっておいて、ほんで小石か何ぞのように未練なく落ちてしもたんや」

「とうとう飛び込んだのかいちうわけや」と主人が眼をぱちつかせて問うわ。

「そこまで行こうとは思わなかったちうわけや」と迷亭がオノレの鼻の頭をちょいとつまむ。

「飛び込んだあとは気が遠くなって、ちーとの間は夢中やった。やがて眼がさめて見ると寒くはあるが、どこもれたとこもなあんもない、水を飲んだような感じもせん。たしかに飛び込んだはずやけど実に不思議や。こりゃ変だと気が付いてそこいらを見渡すと驚きたんやね。水の中へ飛び込んだつもりでいたトコロが、つい間違って橋の真中へ飛び下りたさかい、その時は実に残念やった。前とうしろの間違だけであの声の出る所へ行く事が出来なかったちうワケや」寒月はにやにや笑いながら例のごとく羽織のひも荷厄介にやっかいにしとる。

「ハハハハこれはおもろい。僕の経験と善く似とるトコロが奇や。やはりゼームス教授の材料になるね。人間の感応と云う題で写生文にしたらきっと文壇を驚かすよ。……ほんでその○○子はんの病気はどうなりよったかね」と迷亭先生が追窮するちうわけや。

二三日前にはんちまえ年始に行きたんやら、門の内で下女と羽根を突いておったんやから病気は全快したものと見えまんねん」

主人は最前から沈思のていやったが、この時ようやっと口を開いて、「僕にもあるちうわけや」と負けぬ気を出す。

「あるって、何があるんだいちうわけや」迷亭の眼中に主人やらなんやらは無論ないちうわけや。

「僕のも去年の暮の事や」

「みんな去年の暮は暗合あんごうで妙やな」と寒月が笑うわ。欠けた前歯のうちに空也餅くうやもちが着いとる。

「やはり同日同刻やないか」と迷亭がまぜ返す。

「いや日はちゃうようや。何でも二十日はつか頃だよ。細君が御歳暮の代りに摂津大掾せっつだいじょうを聞かしてくれろと云うから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷うなぎだにだと云うのさ。鰻谷は嫌いやから今日はよそうとその日はやめにしたちうわけや。翌日になると細君がまた新聞を持って来て今日は堀川ほりかわやからええでっしゃろと云うわ。堀川は三味線もので賑やかなばかりでがないからよそうと云うと、細君は不平な顔をして引き下がったちうわけや。その翌日になると細君が云うには今日は三十三間堂や、わいは是非摂津せっつの三十三間堂が聞きたいちうわけや。あんさんは三十三間堂も御嫌いか知りまへんが、わいに聞かせるのやからいっしょに行って下すってもいでっしゃろと手詰てづめの談判をするちうわけや。御前がそないなに行きたいなら行ってもろしい、せやけどダンさん一世一代と云うのでエライ大入やから到底とうてい突懸つっかけに行ったって這入はいれる気遣きづかいはないちうわけや。元来ああ云う場所へ行くには茶屋と云うものがってそれと交渉して相当の席を予約するのが正当の手続きやから、それを踏まないで常規を脱した事をするのはよくない、残念やけど今日はやめようと云うと、細君はすごい眼付をして、わいは女やろからそないなややこしい手続きなんか知りまへんが、大原のお母あはんも、鈴木の君代はんも正当の手続きを踏まないで立派に聞いて攻めて来よったんやろから、なんぼあんさんが教師やからって、そう手数てすうのかかる見物をせんでもすみまひょ、あんさんはあんまりだと泣くような声を出す。それや駄目でもまあ行く事にしようわ。晩飯をくって電車で行こうと降参をすると、行くなら四時までに向うへ着くようにしなくっちゃいけまへん、そないなぐずぐずしてはいられまへんと急に勢がええ。なんでやねん四時までに行かなくては駄目なんだと聞き返すと、そのくらい早く行って場所をとらなくちゃ這入れへんからやと鈴木の君代はんから教えられた通りを述べるちうわけや。それや四時を過ぎればもう駄目なんだねと念を押して見たら、ええ駄目やともと答えるちうわけや。すると君不思議な事にはその時から急に悪寒おかんがし出してね」

「奥はんがやろか」と寒月が聞く。

「なに細君はぴんぴんしていらあね。僕がさ。何だか穴の明いた風船玉のようにいっぺんに萎縮いしゅくする感じが起ると思うと、もう眼がぐらぐらして動けなくなりよった」

「急病やね」と迷亭が註釈を加えるちうわけや。

「ああ困った事になりよった。細君が年にいっぺんの願やから是非かなえてやりたいちうわけや。平生毎日毎晩壱年中叱りつけたり、口を聞かなかったり、身上しんしょうの苦労をさせたり、小供の世話をさせたりするばかりで何一つ洒掃薪水さいそうしんすいの労にむくいた事はないちうわけや。今日は幸い時間もある、嚢中のうちゅうには四五枚の堵物とぶつもあるちうわけや。連れて行けば行かれるちうわけや。細君も行きたいやろう、僕も連れて行ってやりたいちうわけや。是非連れて行ってやりたいがこう悪寒がして眼がくらんでは電車へ乗るどころか、靴脱くつぬぎへ降りる事も出来ないちうわけや。ああ気の毒だ気の毒だと思うとなお悪寒がしてなお眼がくらんでくるちうわけや。早く医者に見てもろて服薬でもしたら四時前には全快するやろうと、ほんで細君と相談をして甘木あまき医学士を迎いにやると生憎あいにく昨夜ゆうべが当番でまだ大学から帰りまへん。二時頃には御帰りになるさかいに、帰り次第すぐ上げまんねんと云う返事であるちうわけや。困ったなあ、今杏仁水きょうにんすいでも飲めば四時前にはきっとなおるにきまっとるんやけど、運の悪い時には何事も思うように行かんもので、たまさか妻君の喜ぶ笑顔を見て楽もうと云う予算も、がらりとはずれそうになって来るちうわけや。細君はうらめしい顔付をして、到底とうていいらっしゃれまへんかと聞く。行くよ必ず行くよ。四時までにはきっと直って見せるから安心しとるがええ。早く顔でも洗って着物でも着換えて待っとるがええ、と口では云ったようなものの胸中は無限の感慨であるちうわけや。悪寒はまんねんまんねんはげしくなる、眼はいよいよぐらぐらするちうわけや。もしや四時までに全快して約束を履行りこうする事が出来なかったら、気の狭い女の事やから何をするかも知れへん。なさけへん仕儀になって攻めて来よった。どうしたら善かろうわ。万一の事を考えると今の内に有為転変ういてんぺんの理、生者必滅しょうやひつめつの道を説き聞かして、もしもの変が起った時取り乱さななんぼいの覚悟をさせるのも、おっとドッコイたこやきはうまいで…あかん、脱線やつまに対する義務ではあるまいかと考え出したちうわけや。僕はすみやかに細君を書斎へ呼んだよ。呼んで御前は女だけれども many a slip 'twixt the cup and the lip と云う西洋のことわざくらいは心得とるやろうと聞くと、そないな横文字なんかどなたはんが知るもんやろか、あんさんは人が毛唐のセリフを知りまへんのを御存じの癖にわざと毛唐のセリフを使って人にからかうのやから、よろしゅうおます、どうせ毛唐のセリフなんかは出来ないんやろから、そないなに毛唐のセリフが御好きなら、なんでやねん耶蘇学校ヤソがっこうの卒業生かなんかをお貰いなさらなかったんや。あんさんくらい冷酷な人はありはせんと非常な権幕けんまくなんで、僕もせっかくの計画の腰を折られてしもた。君等にも弁解するが僕の毛唐のセリフは決して悪意で使った訳やないちうわけや。まるっきしさいを愛する至情から出たさかい、それを妻のように解釈されては僕も立つ瀬がないちうわけや。それにさっきからの悪寒おかん眩暈めまいでちびっと脳が乱れとったトコへもって来て、早く有為転変、生者必滅の理を呑み込ませようとちびっとき込んだものやから、つい細君の毛唐のセリフを知りまへんと云う事を忘れて、何の気も付かんと使ってしもた訳さ。考えるとこれは僕がるい、まるっきし手落ちやった。このシッパイで悪寒はまんねんまんねん強くなるちうわけや。眼はいよいよぐらぐらするちうわけや。妻君は命ぜられた通り風呂場へ行って両肌もろはだを脱いで御化粧をして、箪笥たんすから着物を出して着換えるちうわけや。もういつでも出掛けられまんねんと云う風情ふぜいで待ち構えとる。僕は気が気でないちうわけや。早く甘木君が来てくれれば善いがと思って時計を見るともう三時や。四時にはもう一時間しかないちうわけや。「そろそろ出掛けまひょか」と妻君が書斎の開き戸を明けて顔を出す。オノレのさいめるのはおかしいようであるが、僕はこの時ほど細君を美しいと思った事はなかったちうわけや。もろ肌を脱いで石鹸でみがき上げた皮膚がぴかついて黒縮緬くろちりめんの羽織と反映しとる。その顔が石鹸と摂津大掾せっつだいじょうを聞こうと云う希望との二つで、有形無形の両方面から輝やいて見えるちうわけや。どうしてもその希望を満足させて出掛けてやろうと云う気になるちうわけや。それや奮発して行こうかな、と一ぷくふかしとるとようやっと甘木先生が攻めて来よった。うまい注文通りに行ったちうわけや。が容体をはなすと、甘木先生は僕の舌をながめて、手を握って、胸をたたいて背をでて、目縁まぶちを引っ繰り返して、頭蓋骨ずがいこつをさすって、ちーとの間考え込んでいるちうわけや。「どうもちびっと険呑けんのんのような気がしまして」と僕が云うと、先生は落ちついて、「いえ格別の事もおますまいちうわけや」と云うわ。「あのちーとばかしくらい外出致しても差支さしつかえはおますまいね」と細君が聞く。「さようわ」と先生はまた考え込む。「御気分さえ御悪くなければ……」「気分は悪いや」と僕がいうわ。「やともかくも頓服とんぷく水薬すいやくを上げまっしゃろから」「へえどうか、何だかちと、あぶないようになりそうやな」「いや決して御心配になるほどの事やございまへん、神経を御起しになるといけまへんよ」と先生が帰るちうわけや。三時は三十分過ぎたちうわけや。下女を薬取りにやるちうわけや。細君の厳命でけ出して行って、け出して返ってくるちうわけや。四時十五分前であるちうわけや。四時にはまだ十五分あるちうわけや。すると四時十五分前頃から、本日この時まで何とも無かったのに、急に嘔気はきけもよおして攻めて来よった。細君は水薬すいやくを茶碗へいで僕の前へ置いてくれたから、茶碗を取り上げて飲もうとすると、胃の中からげーと云う者が吶喊とっかんして出てくるちうわけや。やむをえず茶碗を下へ置く。細君は「早く御飲おのみになりよったらいでっしゃろ」とせまるちうわけや。早く飲んで早く出掛けなくては義理が悪いちうわけや。思い切って飲んでしまおうとまた茶碗を唇へつけるとまたゲーが執念深しゅうねんぶかく妨害をするちうわけや。飲もうとしては茶碗を置き、飲もうとしては茶碗を置いとると茶の間の柱時計がチンチンチンチンと四時を打ったちうわけや。さあ四時だ愚図愚図してはおられんと茶碗をまた取り上げると、不思議だねえ君、実に不思議とはこの事やろう、四時の音と共にがすっかり留まって水薬が何の苦なしに飲めたよ。ほんで四時十分頃になると、甘木先生の名医ちう事も始めて理解する事が出攻めて来よったんやけど、背中がぞくぞくするのも、眼がぐらぐらするのも夢のように消えて、当分立つ事も出来まいと思った病気がたちまち全快したのは嬉しかったちうわけや」

「ほんで歌舞伎座へいっしょに行ったのかいちうわけや」と迷亭が要領を得んと云う顔付をして聞く。

「行きたかったが四時を過ぎちゃ、這入はいれへんと云う細君の意見なんやから仕方がない、やめにしたさ。もう十五分ばかり早く甘木先生が来てくれたら僕の義理も立つし、さいも満足したろうに、わずか十五分の差でね、実に残念な事をしたちうわけや。考え出すとあぶないトコやったと今でも思うのさ」

語りおわった主人はようやっとオノレの義務をすたんやような風をするちうわけや。これで両人に対して顔が立つと云う気かも知れん。

寒月は例のごとく欠けた歯を出して笑いながら「それは残念やったな」と云うわ。

迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切なおっとドッコイたこやきはうまいで…あかん、脱線やを持った妻君は実に仕合せだな」とひとごとのようにいうわ。障子の蔭でエヘンと云う細君の咳払せきばらいが聞えるちうわけや。

吾輩はおとなしく三人の話しを順番に聞いとったがおかしくも悲しくもなかったちうわけや。人間ちうものは時間をつぶすためにいて口を運動させて、おかしくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりするほかに能もない者だと思ったちうわけや。吾輩の主人の我儘ワガママ偏狭へんきょうな事は前から承知しとったが、平常ふだんは言葉数を使いまへんので何だか了解しかねる点があるように思われとった。その了解しかねる点にちびっとは恐しいと云う感じもあったが、今の話を聞いてから急に軽蔑けいべつしたくなりよった。かれはなんでやねん両人の話しを沈黙して聞いていられへんのやろうわ。負けぬ気になってにもつかぬ駄弁をろうすれば何の所得があるやろうわ。エピクテタスにそないな事をしろと書いてあるのか知らん。要するに主人も寒月も迷亭も太平たいへい逸民いつみんで、彼等は糸瓜へちまのごとく風に吹かれて超然とすまし切っとるようなものの、その実はやはり娑婆気しゃばけもあり慾気よくけもあるちうわけや。競争の念、勝とう勝とうの心は彼等が日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼等が平常罵倒ばとうしとる俗骨共ぞっこつどもと一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りであるちうわけや。ただその言語動作が普通の半可通はんかつうのごとく、文切もんきがたの厭味を帯びてへんのはいささかのでもあろうわ。

こう考えると急に三人の談話が面白くなくなりよったので、三毛子の様子でも見てようかと二絃琴にげんきんの御師匠はんの庭口へ廻るちうわけや。門松かどまつ注目飾しめかざりはすでに取り払われて正月もや十日となりよったが、うららかな春日はるびは一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下をいっぺんに照らして、十坪に足らぬ庭のおもも元日の曙光しょこうを受けた時よりあざやかな活気を呈しとる。椽側に座蒲団ざぶとんが一つあって人影も見えず、障子も立て切ってあるのは御師匠はんは湯にでも行ったのか知らん。御師匠はんは留守でも構わんが、三毛子はちびっとはい方か、それが気掛りであるちうわけや。ひっそりして人の気合けわいもせんから、泥足のまんま椽側えんがわあがって座蒲団の真中へ寝転ねころんで見るとええ心持ちや。ついうとうととして、三毛子の事も忘れてうたた寝をしとると、急に障子のうちで人声がするちうわけや。

「御苦労やった。出攻めて来よったかえ」御師匠はんはやはり留守ではなかったのや。

「はい遅くなりまして、仏師屋ぶっしやへ参ったんやらちょうど出来上ったトコだと申しまして」「どれお見せなさいちうわけや。ああ奇麗に出攻めて来よった、これで三毛も浮かばれまひょ。きんげる事はあるまいね」「ええ念を押したんやら上等を使ったからこれなら人間の位牌いはいよりも持つと申しておったんや。……ほんで猫誉信女みょうよしんにょの誉の字はくずした方が恰好かっこうがええからちびっとかくえたと申したんや」「どれどれ早速御仏壇へ上げて御線香でもあげまひょ」

三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと蒲団の上へ立ち上るちうわけや。チーン南無猫誉信女なむみょうよしんにょ南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏と御師匠はんの声がするちうわけや。

「御前も回向えこうをしておやりなさいちうわけや」

チーン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と今度は下女の声がするちうわけや。吾輩は急に動悸どうきがして攻めて来よった。座蒲団の上に立ったまんま、木彫きぼりの猫のように眼も動かさないちうわけや。

「ホンマに残念な事を致したんやね。始めはちょいと風邪かぜを引いたんでございまひょがねえ」「甘木はんが薬でも下さると、よかったかも知れへんよ」「一体あの甘木はんが悪うおますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「そう人様ひとさまの事を悪く云うものではおまへん。これも寿命じゅみょうやから」

三毛子も甘木先生に診察して貰ったものと見えるちうわけや。

「つまるトコ表通りの教師のうちの野良猫のらねこ無暗むやみに誘い出したからだと、わいは思うよ」「ええあの畜生ちきしょうが三毛のかたきでおますよ」

ちびっと弁解したかったが、ここが我慢のしどころとつばを呑んで聞いとる。話しはしばし途切とぎれるちうわけや。

「世の中は自由にならん者でのうわ。三毛のような器量よしは早死はやじにをするし。不器量な野良猫は達者でいたずらをしとるし……」「その通りでおますよ。三毛のような可愛らしい猫は鐘と太鼓で探してあるいたって、二人ふたりとはおりまへんからね」

二匹と云う代りにたりといったちうわけや。下女の考えでは猫と人間とは同種族ものと思っとるらしいちうわけや。そう云えばこの下女の顔は吾等猫属ねこぞくとはなはだ類似しとる。

「出来るものなら三毛の代りに……」「あの教師の所の野良のらが死ぬと御誂おあつらえ通りに参ったんでおますがねえ」

御誂え通りになっては、ちと困るちうわけや。死ぬと云う事はどないなものか、まだ経験した事がないから好きとも嫌いとも云えへんが、先日あまり寒いので火消壺ひけしつぼの中へもぐり込んでいたら、下女が吾輩がいるのも知らんで上からふたをした事があったちうわけや。その時の苦しさは考えても恐しくなるほどやった。白君の説明によるとあの苦しみが今ちびっと続くと死ぬのであるそうや。三毛子の身代みがわりになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出来ないのなら、どなたはんのためでも死にたくはないちうわけや。

「せやけどダンさん猫でも坊はんの御経を読んでもろたり、戒名かいみょうをこしらえてもろたのやから心残りはあるまいちうわけや」「そうでおますとも、まるっきし果報者かほうものでおますよ。ただ慾を云うとあの坊はんの御経があまり軽少やったようでおますね」「ちびっと短か過ぎたようやったから、エライ御早うおますねと御尋ねをしたら、月桂寺げっけいじはんは、ええ利目ききめのあるトコをちょいとやっておいたんや、なに猫やからあのくらいで充分浄土へ行かれまんねんとおっしゃったよ」「あらまあ……せやけどダンさんあの野良なんかは……

吾輩は名前はないとしばしば断っておくのに、この下女は野良野良と吾輩を呼ぶ。失敬な奴や。

「罪が深いんやろから、なんぼありがたい御経だって浮かばれる事はございまへんよ」

吾輩はその野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、布団ふとんをすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万八千八百八十本の毛髪をいっぺんにたてて身震みぶるいをしたちうわけや。その二絃琴にげんきんの御師匠はんの近所へは寄りついた事がないちうわけや。今頃は御師匠はん自身が月桂寺はんから軽少な御回向ごえこうを受けとるやろうわ。

近頃は外出する勇気もないちうわけや。何だか世間がものうく感ぜらるるちうわけや。主人に劣らぬほどの無性猫ぶしょうねことなりよった。主人が書斎にのみ閉じこもっとるのを人が失恋だ失恋だと評するのも無理はないと思うようになりよった。

ねずみはまだ取った事がないので、一時は御三おはんから放逐論ほうちくろんさえ呈出ていしゅつされた事もあったが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云う事を知っとるものやから吾輩はやはりのらくらしてこの起臥きがしとる。この点については深く主人の恩を感謝するといっぺんにその活眼かつがんに対して敬服の意を表するに躊躇ちゅうちょせんつもりであるちうわけや。御三が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たないちうわけや。今に左翼甚五郎ひだりじんごろうが出て来て、吾輩の肖像を楼門ろうもんの柱にきざみ、大日本帝国のスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上にえがくようになりよったら、彼等鈍瞎漢どんかつかんは始めて自己の不明をずるであろうわ。

三毛子は死ぬ。黒は相手にならず、いささか寂寞せきばくの感はあるが、幸い人間に知己ちきが出攻めて来よったのでさほど退屈とも思わぬ。せんだっては主人のもとへ吾輩の写真を送ってくれと手紙で依頼した男があるちうわけや。この間は岡山の名産吉備団子きびだんごをわざわざ吾輩の名宛で届けてくれた人があるちうわけや。だんだん人間から同情を寄せらるるに従って、おのれが猫である事はようやっと忘却してくるちうわけや。猫よりはいつのにか人間の方へ接近して攻めて来よったような心持になって、同族を糾合きゅうごうして二本足の先生と雌雄しゆうを決しようやらなんやらとう量見は昨今のトコ毛頭もうとうないちうわけや。それのみか折々は吾輩もまた人間世界の一人だと思う折さえあるくらいに進化したのはたのもしいちうわけや。あえて同族を軽蔑けいべつする次第ではおまへん。ただ性情の近きトコに向って一身の安きを置くはいきおいのしからしむるトコで、これを変心とか、軽薄とか、裏切りとか評せられてはちと迷惑するちうわけや。かような言語をろうして人を罵詈ばりするものに限って融通のかぬ貧乏性の男が多いようや。こう猫の習癖を脱化して見ると三毛子の事ばかり荷厄介にしとる訳には行かん。やはり人間同等の気位きぐらいで彼等の思想、言行を評隲ひょうしつしたくなるちうわけや。これも無理はあるまいちうわけや。ただそのくらいな見識を有しとる吾輩をやはり一般猫児びょうじの毛のえたものくらいに思って、主人が吾輩に一言いちごんの挨拶もなく、吉備団子きびだんごをわが物顔に喰い尽したのは残念の次第であるちうわけや。写真もまだって送らぬ容子ようすや。これも不平と云えば不平やけど、主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然ことなるのは致し方もあるまいちうわけや。吾輩はどこまでも人間になりすましとるのやから、交際をせぬ猫の動作は、どうしてもちょいと筆にのぼりにくいちうわけや。迷亭、寒月諸先生の評判だけで御免こうむる事に致そうわ。

今日は上天気の日曜やので、主人はのそのそ書斎から出て来て、吾輩のそば筆硯ふやずりと原稿用紙を並べて腹這はらばいになって、しきりに何ぞうなっとる。大方草稿を書きおろ序開じょびらきとして妙な声を発するのやろうと注目しとると、ややちーとの間して筆太ふでぶとに「香一炷こういっしゅ」とかいたちうわけや。はてな詩になるか、俳句になるか、香一炷とは、主人にしてはちびっと洒落しゃれ過ぎとるがと思う間もなく、彼は香一炷を書き放しにして、新たにぎょうを改めて「さっきから天然居士てんねんこじの事をかこうと考えとる」と筆を走らせたちうわけや。筆はそれだけではたと留ったぎり動かないちうわけや。主人は筆を持って首をひねったが別段名案もないものと見えて筆の穂をめだしたちうわけや。唇が真黒になりよったと見とると、今度はその下へちょいと丸をかいたちうわけや。丸の中へ点を二つうって眼をつけるちうわけや。真中へ小鼻の開いた鼻をかいて、真一文字に口を横へ引張った、これでは文章でも俳句でもないちうわけや。主人もオノレで愛想あいそが尽きたと見えて、そこそこに顔を塗り消してしもた。主人はまたぎょうを改めるちうわけや。彼の考によると行さえ改めれば詩か賛か語か録かなんかになるやろうとただあてもなく考えとるらしいちうわけや。やがて「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋やきいもを食い、鼻汁はなを垂らす人であるちうわけや」と言文一致体で一気呵成いっきかせいに書き流した、何となくごたごたした文章であるちうわけや。ほんで主人はこれを遠慮なく朗読して、いつになく「ハハハハおもろい」と笑ったが「鼻汁はなを垂らすのは、ちとこくやから消そうわ」とその句だけへ棒を引く。一本やむトコを二本引き三本引き、奇麗な併行線へいこうせんく、線がほかのぎょうまでみ出しても構わず引いとる。線が八本並んでもあとの句が出来ないと見えて、今度は筆を捨ててひげひねって見るちうわけや。文章を髭から捻り出して御覧に入れまんねんと云う見幕けんまくで猛烈に捻ってはねじ上げ、ねじ下ろしとるトコへ、茶の間から妻君さいくんが出て来てぴたりと主人の鼻の先へわるちうわけや。「あんさんちーとばかし」と呼ぶ。「なんや」と主人は水中で銅鑼どらたたくような声を出す。返事が気に入りまへんと見えて妻君はまた「あんさんちーとばかし」と出直す。「なんだよ」と今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐっと抜く。「今月はちっと足りまへんが……」「足りんはずはない、医者へも薬礼はすたんやし、本屋へも先月払ったやないか。今月は余らなければならん」とすまして抜き取った鼻毛を天下の奇観のごとくながめとる。「それでもあんさんが御飯を召し上らんで麺麭パン御食おたべになりよったり、ジャムを御舐おなめになるものやから」「元来ジャムは幾缶いくかん舐めたのかいちうわけや」「今月は八つったんやよ」「八つ? そないなに舐めた覚えはないちうわけや」「あんさんばかりやおまへん、ボウズも舐めまんねん」「なんぼ舐めたって五六円くらいなものや」と主人は平気な顔で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植付けるちうわけや。肉が付いとるのでぴんと針を立てたごとくに立つ。主人は思わぬ発見をして感じ入ったていで、ふっと吹いて見るちうわけや。粘着力ねんちゃくりょくが強いので決して飛ばないちうわけや。「いやに頑固がんこだな」と主人は一生懸命に吹く。「ジャムばかりやないんや、ほかに買わなけりゃ、ならへん物もあるんや」と妻君はおおいに不平な気色けしきを両頬にみなぎらす。「あるかも知れへんさ」と主人はまた指を突っ込んでぐいと鼻毛を抜く。赤いのや、黒いのや、種々の色がまじる中に一本真白なのがあるちうわけや。大に驚いた様子で穴のくほど眺めとった主人は指の股へ挟んだまんま、その鼻毛を妻君の顔の前へ出す。「あら、いやや」と妻君は顔をしかめて、主人の手を突き戻す。「ちーとばかし見ろ、鼻毛の白髪しらがや」と主人は大に感動した様子であるちうわけや。さすがの妻君も笑いながら茶の間へ這入はいるちうわけや。経済問題は断念したらしいちうわけや。主人はまた天然居士てんねんこじに取りかかるちうわけや。

鼻毛で妻君を追払った主人は、まずこれで安心と云わぬばかりに鼻毛を抜いては原稿をかこうとあせていであるがなかなか筆は動かないちうわけや。「焼芋を食う蛇足だそくだ、割愛かつあいしようわ」とついにこの句も抹殺まっさつするちうわけや。「香一炷もあまり唐突とうとつやからめろ」と惜気もなく筆誅ひっちゅうするちうわけや。余す所は「天然居士は空間を研究し論語を読む人であるちうわけや」と云う一句になってしもた。主人はこれでは何だか簡単過ぎるようだなと考えとったが、ええ難儀臭い、文章は御廃おはいしにして、銘だけにしろと、筆を十文字にふるって原稿紙の上へ下手な文人画の蘭を勢よくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となりよった。ほんで裏を返して「空間に生れ、空間をきわめ、空間に死す。空たり間たり天然居士てんねんこじああ」と意味不明な語をつらねとるトコへ例のごとく迷亭が這入はいって来るちうわけや。迷亭は人のうちもオノレの家も同じものと心得とるのか案内も乞わず、ずかずか上ってくる、のみならず時には勝手口から飄然ひょうぜんと舞い込む事もある、心配、遠慮、気兼きがね、苦労、を生れる時どこぞへ振り落した男であるちうわけや。

「また巨人引力かね」と立ったまんま主人に聞く。「そう、いつでも巨人引力ばかり書いてはおらんさ。天然居士の墓銘をせんしとるトコなんや」と大袈裟おおげさな事を云うわ。「天然居士と云うなあやはり偶然童子のような戒名かね」と迷亭は不相変あいかわらず出鱈目でたらめを云うわ。「偶然童子と云うのもあるのかいちうわけや」「なに有りゃせんがまずその見当けんとうやろうと思っていらあね」「偶然童子と云うのは僕の知ったものやないようやけど天然居士と云うのは、君の知ってる男だぜ」「一体だれが天然居士なんて名を付けてすましとるんだいちうわけや」「例の曾呂崎そろさきの事や。卒業して大学院へ這入って空間論と云う題目で研究しとったが、あまり勉強し過ぎて腹膜炎で死んでしもた。曾呂崎はあれでも僕の親友なんやからな」「親友でもええさ、決して悪いと云やせん。せやけどダンさんその曾呂崎を天然居士に変身させたのは一体どなたはんの所作しょさだいちうわけや」「僕さ、僕がつけてやったんや。元来坊主のつける戒名ほど俗なものは無いからな」と天然居士はよほどな名のように自慢するちうわけや。迷亭は笑いながら「まあその墓碑銘ぼひめいと云う奴を見せ給え」と原稿を取り上げて「何だ……空間に生れ、空間をきわめ、空間に死す。空たり間たり天然居士ああ」と大きな声で読みあげるちうわけや。「なるほどこりゃあい、天然居士相当のトコや」主人は嬉しそうに「善いやろうわ」と云うわ。「この墓銘ぼめい沢庵石たくあんいしり付けて本堂の裏手へ力石ちからいしのようにほうり出して置くんやね。でええや、天然居士も浮かばれる訳や」「僕もそうしようと思っとるのさ」と主人は至極しごく真面目に答えたが「僕あちーとばかし失敬するよ、じき帰るから猫にでもからかっていてくれ給え」と迷亭の返事も待たず風然ふうぜんと出て行く。

計らずも迷亭先生の接待掛りを命ぜられて無愛想ぶあいそな顔もしていられへんから、ニャーニャーと愛嬌あいきょうを振りいてひざの上へあがって見たちうわけや。すると迷亭は「イヨー大分だいぶふとったな、どれ」と無作法ぶさほうにも吾輩の襟髪えりがみつかんで宙へ釣るす。「あと足をこうぶら下げては、ねずみは取れそうもない、……どうや奥はんこの猫は鼠を捕るんやかね」と吾輩ばかりでは不足だと見えて、隣りのへやの妻君に話しかけるちうわけや。「鼠どころやございまへん。御雑煮おぞうにを食べて踊りをおどるんやもの」と妻君は飛んだトコで旧悪をあばく。吾輩は宙乗ちゅうのりをしながらも少々極りが悪かったちうわけや。迷亭はまだ吾輩をおろしてくれへん。「なるほど踊りでもおどりそうな顔や。奥はんこの猫は油断のならへん相好そうごうやぜ。むかしの草双紙くさぞうしにある猫又ねこまたに似ていますわよ」と勝手な事を言いながら、しきりに細君さいくんに話しかけるちうわけや。細君は迷惑そうに針仕事の手をやめて座敷へ出てくるちうわけや。

「どうも御退屈様、もう帰りまひょ」と茶をえて迷亭の前へ出す。「どこへ行ったんやろかね」「どこへ参るにも断わって行った事の無い男やろから分りかねまっけど、大方御医者へでも行ったんでっしゃろ」「甘木はんやろか、甘木はんもあないな病人につらまっちゃ災難やな」「へえ」と細君は挨拶のしようもないと見えて簡単な答えをするちうわけや。迷亭は一向いっこう頓着せん。「近頃はどうや、ちびっとは胃の加減がいんやろか」「いか悪いかとんと分りまへん、なんぼ甘木はんにかかったって、あないなにジャムばかりめては胃病の直る訳がないと思うで」と細君は先刻せんこくの不平をあんに迷亭にらす。「そないなにジャムを甞めるんやろかまるで小供のようやね」「ジャムばかりやないんで、きょうびは胃病の薬だとか云って大根卸だいこおろしを無暗むやみに甞めよるさかいに……」「驚ろいたな」と迷亭は感嘆するちうわけや。「何でも大根卸だいこおろしの中にはジヤスターゼが有るとか云う話しを新聞で読んでからや」「なるほどそれでジャムの損害をつぐなおうと云う趣向やな。なかなか考えていらあハハハハ」と迷亭は細君のうったえを聞いておおいに愉快な気色けしきであるちうわけや。「この間やらなんやらは赤ん坊にまで甞めさせまして……」「ジャムをやろか」「えええ大根卸だいこおろし……あんさん。坊や御父様がうまいものをやるからおいでてって、⸺たまに小供を可愛がってくれるかと思うとそないな馬鹿な事ばかりするんや。二三日前にはんちまえには中の娘を抱いて箪笥たんすの上へあげましてね……」「どう云う趣向がおました」と迷亭は何を聞いても趣向ずくめに解釈するちうわけや。「なに趣向もなあんも有りゃしまへん、ただその上から飛び下りて見ろと云うんやわ、三つや四つの女の子やもの、そないな御転婆おてんばな事が出来るはずがないや」「なるほどこりゃ趣向が無さ過ぎたんやね。せやけどダンさんあれで腹の中は毒のない善人や」「あの上腹の中に毒があっちゃ、辛防しんぼうは出来まへんわ」と細君はおおい気焔きえんを揚げるちうわけや。「まあそないなに不平を云わんでも善いでさあ。こうやって不足なくその日その日が暮らして行かれればじょうぶんや。苦沙弥君くしゃみくんやらなんやらは道楽はせず、服装にも構わず、地味に世帯向しょたいむきに出来上った人でさあ」と迷亭はがらにない説教を陽気な調子でやっとる。「トコロがあんさん大違いで……」「何ぞ内々でやるんやかね。油断のならへん世の中やからね」と飄然ひょうぜんとふわふわした返事をするちうわけや。「ほかの道楽はないやけどアンタ、無暗むやみに読みもせん本ばかり買いましてね。それも善い加減に見計みはからって買ってくれると善いんやけれど、勝手に丸善へ行っちゃ何冊でも取って来て、月末になると知らん顔をしとるんやもの、去年の暮なんか、月々のがたまってエライ困ったんや」「なあに書物なんか取って来るだけ取って来て構わんや。払いをとりに攻めて来よったら今にやる今にやると云っていりゃ帰ってしまいまさあ」「それでも、そういつまでも引張る訳にも参りまへんから」と妻君は憮然ぶぜんとしとる。「それや、訳を話して書籍費しょやくひを削減させるさ」「どうして、そないなことを云ったって、なかなか聞くものやか、この間やらなんやらは貴様は学者のさいにも似合わん、ごう書籍しょやくの価値を解しておらん、むか羅馬ローマにこう云う話しがあるちうわけや。後学のため聞いておけと云うんや」「そりゃおもろい、どないな話しやろか」迷亭は乗気になるちうわけや。細君に同情を表しとるちうよりむしろ好奇心にられとる。「何んでも昔し羅馬ローマ樽金たるきんとか云う王様があって……」「樽金たるきん? 樽金はちと妙やぜ」「わいは唐人とうじんの名なんかむずかしくて覚えられまへんわ。何でも七代目なんだそうや」「なるほど七代目樽金は妙やな。ふんその七代目樽金がどうかしたんやかいちうわけや」「あら、あんさんまで冷かしては立つ瀬がおまへんわ。知っていらっしゃるなら教えて下さればええやおまへんか、人の悪いちうわけや」と、細君は迷亭へ食って掛るちうわけや。「何冷かすなんて、そないな人の悪い事をする僕やないちうわけや。ただ七代目樽金はふるってると思ってね……ええお待ちなさいよ羅馬ローマの七代目の王様やね、こうっとたしかには覚えておらへんがタークイン・ゼ・プラウドの事でっしゃろ。まあどなたはんでもええ、その王様がどうしたんや」「その王様の所へ一人の女が本を九冊持って来て買ってくれへんかと云ったんだそうや」「なるほど」「王様がなんぼなら売るといって聞いたらエライ高い事を云うんやって、あまり高いもんやからちびっと負けへんかと云うとその女がいきなり九冊の内の三冊を火にくべていてしもたそうや」「惜しい事をしたんやな」「その本の内には予言か何ぞほかで見られへん事が書いてあるんやって」「へえー」「王様は九冊が六冊になりよったからちびっとはも減ったろうと思って六冊でなんぼだと聞くと、やはり元の通り一文も引かないそうや、それは乱暴だと云うと、その女はまた三冊をとって火にくべたそうや。王様はまだ未練があったと見えて、余った三冊をなんぼで売ると聞くと、やはり九冊分のねだんをくれと云うそうや。九冊が六冊になり、六冊が三冊になっても代価は、元の通り一厘も引かない、それを引かせようとすると、残ってる三冊も火にくべるかも知れへんので、王様はとうとう高い御金を出してあまりの三冊を買ったんやって……どやこの話しでちびっとは書物のありがたが分ったろう、どやと力味りきむのやけれど、わいにゃ何がありがたいんだか、まあ分りまへんね」と細君は一家の見識を立てて迷亭の返答をうながす。さすがの迷亭も少々窮したと見えて、たもとからハンケチを出して吾輩をやらしとったが「せやけどダンさん奥はん」と急に何ぞ考えついたように大きな声を出す。「あないなに本を買って矢鱈やたらに詰め込むものやから人からちびっとは学者だとか何とか云われるんや。この間ある文学雑誌を見たら苦沙弥君くしゃみくんの評が出ておったんやよ」「ホンマに?」と細君は向き直るちうわけや。主人の評判が気にかかるのは、やはり夫婦と見えるちうわけや。「何とかいてあったんや」「なあに二三行ばかりやけどアンタね。苦沙弥君の文は行雲流水こううんりゅうすいのごとしとおましたよ」細君はちびっとにこにこして「それぎりやろか」「その次にね⸺出ずるかと思えばたちまち消え、いてはとこしなえに帰るを忘るとおましたよ」細君は妙な顔をして「めたんでっしゃろか」と心元ない調子であるちうわけや。「まあ賞めた方でっしゃろな」と迷亭は済ましてハンケチを吾輩の眼の前にぶら下げるちうわけや。「書物は商買道具で仕方もござんすまいが、よっぽど偏屈へんくつでしてねえ」迷亭はまた別途の方面から攻めて来よったなと思って「偏屈は少々偏屈やね、学問をするものはどうせあないなや」と調子を合わせるような弁護をするような不即不離の妙答をするちうわけや。「せんだってやらなんやらは学校から帰ってすぐわきへ出るのに着物を着換えるのが難儀だものやから、あんさん外套がいとうも脱がないで、机へ腰を掛けて御飯を食べるちうワケや。御膳おぜん火燵櫓こたつやぐらの上へ乗せまして⸺わいは御櫃おはちかかえて坐っておったんやがおかしくって……」「何だかハイカラの首実検のようやな。せやけどダンさんそないなトコロが苦沙弥君の苦沙弥君たるトコで⸺とにかく月並つきなみでないちうわけや」とせつないめ方をするちうわけや。「月並か月並でないか女には分りまへんが、なんぼ何でも、あまり乱暴やわ」「せやけどダンさん月並より好いや」と無暗に加勢すると細君は不満な様子で「一体、月並月並と皆はんが、よくおっしゃおるけどダンさん、どないなのが月並なんや」と開き直って月並の定義を質問する、「月並やろか、月並と云うと⸺さようちと説明しにくいのやが……」「そないな曖昧あいまいなものなら月並だって好さそうなものやおまへんか」と細君は女人にょにん一流の論理法で詰め寄せるちうわけや。「曖昧やおまへんよ、ちゃんと分っていますわ、ただ説明しにくいだけの事でさあ」「何でもオノレの嫌いな事を月並と云うんでっしゃろ」と細君はわれ知らず穿うがった事を云うわ。迷亭もこうなると何とか月並の処置を付けなければならぬ仕儀となるちうわけや。「奥はん、月並と云うのはね、まず年は二八か二九からぬ言わず語らず物思いあいだに寝転んでいて、この日や天気晴朗とくると必ず一瓢を携えて墨堤に遊ぶ連中れんじゅうを云うんや」「そないな連中があるでっしゃろか」と細君は分らんものやからええ加減な挨拶をするちうわけや。「何だかごたごたしてわいには分りまへんわ」とついにを折るちうわけや。「それや馬琴ばきんの胴へメジョオ・ペンデニスの首をつけて一二年欧州の空気で包んでおくんやね」「そうすると月並が出来るでっしゃろか」迷亭は返事をせんで笑っとる。「何そないな手数てすうのかかる事をせんでも出来まんねん。中学校の生徒に白木屋の番頭を加えて二で割ると立派な月並が出来上るんや」「そうでっしゃろか」と細君は首をひねったまんま納得なっとくし兼ねたと云う風情ふぜいに見えるちうわけや。

「君まだいるのか」と主人はいつのにやら帰って来て迷亭のそばわるちうわけや。「まだいるのかはちとこくだな、すぐ帰るから待ってい給えと言ったやないか」「万事あれなんやもの」と細君は迷亭をかえりみるちうわけや。「今君の留守中に君の逸話を残らず聞いてしもたぜ」「女はとかく多弁でいかん、人間もこの猫くらい沈黙を守るとええがな」と主人は吾輩の頭をでてくれるちうわけや。「君は赤ん坊に大根卸だいこおろしをめさしたそうだな」「ふむ」と主人は笑ったが「赤ん坊でも近頃の赤ん坊はなかなか利口だぜ。それ以来、坊やからいのはどこと聞くときっと舌を出すから妙や」「まるで犬に芸を仕込む気でおるから残酷や。時に寒月かんげつはもう来そうなものだな」「寒月が来るのかいちうわけや」と主人は不審な顔をするちうわけや。「来るんや。午後一時までに苦沙弥くしゃみうちへ来いと端書はがきを出しておいたから」「人の都合も聞かんで勝手な事をする男や。寒月を呼んで何をするんだいちうわけや」「なあに今日のはこっちの趣向やない寒月先生自身の要求さ。先生何でも理学協会で演説をするとか云うのでね。その稽古をやるから僕に聴いてくれと云うから、そりゃちょうどええ苦沙弥にも聞かしてやろうと云うのでね。ほんで君のうちへ呼ぶ事にしておいたのさ⸺なあに君はひま人やからちょうどええやね⸺差支さしつかえなんぞある男やない、聞くがええさ」と迷亭はひとりで呑み込んでいるちうわけや。「物理学の演説なんか僕にゃ分らん」と主人は少々迷亭の専断せんだんいきどおったもののごとくに云うわ。「トコロがその問題がマグネ付けられたノッズルについてやらなんやらと云う乾燥無味なものやないんや。首縊りの力学と云う脱俗超凡だつぞくちょうぼんな演題なのやから傾聴する価値があるさ」「君は首をくくくなりよった男やから傾聴するが好いが僕なんざあ……」「歌舞伎座で悪寒おかんがするくらいの人間やから聞かれへんと云う結論は出そうもないぜ」と例のごとく軽口を叩く。妻君はホホと笑って主人をかえりみながら次の間へ退く。主人は無言のまんま吾輩の頭をでるちうわけや。この時のみはどエライ丁寧な撫で方やった。

ほんで約七分くらいすると注文通り寒月君が来るちうわけや。今日は晩に演舌えんぜつをするちうので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立ての白襟カラーそびやかして、男振りを二割方上げて、「ちびっとおくれまして」と落ちつき払って、挨拶をするちうわけや。「さっきから二人で大待ちに待ったトコなんや。早速願おう、なあ君」と主人を見るちうわけや。主人もやむを得ず「うむ」と生返事なまへんじをするちうわけや。寒月君はいそがないちうわけや。「コップへ水を一杯頂戴しまひょ」と云うわ。「いよー本式にやるのか次には拍手の請求とおいでなさるやろうわ」と迷亭は独りで騒ぎ立てるちうわけや。寒月君は内隠うちがくしから草稿を取り出しておもむろに「稽古やろから、御遠慮なく御批評を願いますわ」と前置をして、いよいよ演舌の御浚おさらいを始めるちうわけや。

「罪人を絞罪こうざいの刑に処すると云う事はおもにアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして、それより古代にさかのぼって考えまんねんと首縊くびくくりは重に自殺の方法として行われた者であるんや。猶太人中ユダヤじんちゅうっては罪人を石をげつけて殺す習慣やったそうでおます。旧約全書を研究して見まんねんとなんちうか、ようみなはんいわはるとこのハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣または肉食鳥の餌食えじきとする意義と認められまんねん。ヘロドタスの説に従って見まんねんと猶太人ユダヤじんはエジプトを去るよりどエライ昔から夜中やちゅう死骸をさらされることを痛くみ嫌ったように思われまんねん。エジプト人は罪人の首を斬って胴だけを十字架に釘付くぎづけにして夜中曝し物にしたそうで御座いますわ。波斯人ペルシャじん……」「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようやけど大丈夫かいちうわけや」と迷亭が口をぶちこむ。「これから本論に這入はいるトコやろから、少々御辛防ごしんぼうを願いますわ。……さて波斯人はどうかと申すやろ、ほしたらこれもやはり処刑にははりつけを用いたようでおます。但し生きとるうちに張付はりつけに致したものか、死んでから釘を打ったものかそのへんはちと分りかねまんねん……」「そないな事は分らんでもええさ」と主人は退屈そうに欠伸あくびをするちうわけや。「まだいろいろ御話し致したい事もおますが、御迷惑であらっしゃいまひょから……」「あらっしゃいまひょより、いらっしゃいまひょの方が聞きええよ、ねえ苦沙弥君くしゃみくん」とまた迷亭がとがだてをすると主人は「どっちでも同じ事や」と気のない返事をするちうわけや。「さていよいよ本題に入りまして弁じまんねん」「弁じまんねんなんか講釈師の云い草や。演舌家はもっともっともっともっともっともっともっともっともっと上品なことばを使って貰いたいね」と迷亭先生またぜ返す。「弁じまんねんが下品なら何と云ったらええでっしゃろ」と寒月君は少々むっとした調子で問いかけるちうわけや。「迷亭のは聴いとるのか、ぜ返しとるのか判然せん。寒月君そないな弥次馬やじうまに構わず、さっさとやるが好いちうわけや」と主人はなるべく早く難関を切り抜けようとするちうわけや。「むっとして弁じたんやる柳かな、かね」と迷亭はあいかわらず飄然ひょうぜんたる事を云うわ。寒月は思わず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用おったんやのは、わいの調べたんや結果によるんやると、オディセーの二十二巻目に出ておるんや。すなわのテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するちうくだりでおます。希臘語ギリシャごで本文を朗読してもよろしゅうおますが、ちとてらうような気味にもなるさかいにやめに致しまんねん。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分るんや」「希臘語云々うんぬんはよした方がええ、さも希臘語が出来まんねんと云わんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そないな物欲しそうな事は言わん方が奥床おくゆかしくて好いちうわけや」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担するちうわけや。両人りょうにんごうも希臘語が読めへんのであるちうわけや。「ほならこの両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ⸺ええ申し上げまんねん。

この絞殺を今から想像して見まんねんと、これを執行するに二つの方法があるんや。第一は、のテレマカスがユーミアス及びフㇶリーシャスのたすけりて縄の一端を柱へくくりつけまんねん。ほんでその縄の所々へ結び目を穴に開けてこの穴へ女の頭を一つずつ入れておいて、片方のはじをぐいと引張って釣し上げたものと見るちうワケや」「ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は西洋洗濯屋のシャツのように女がぶら下ったと見れば好いんやろうわ」「その通りで、ほんで第二は縄の一端を前のごとく柱へくくり付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るちうワケや。ほんでその高い縄から何本か別の縄を下げて、それに結び目の輪になりよったのを付けて女のくびを入れておいて、いざと云う時に女の足台を取りはずすと云う趣向なんやこれがホンマに」「たとえて云うと縄暖簾なわのれんの先へ提灯玉ちょうちんだまを釣したような景色けしきと思えば間違はあるまいちうわけや」「提灯玉と云う玉は見た事がないから何とも申されまへんが、もしあるとするやろ、ほしたらそのへんのトコかと思うで。⸺それでこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云う事を証拠立てて御覧に入れまんねん」「おもろいな」と迷亭が云うと「うんおもろい」と主人も一致するちうわけや。

「まず女が同距離に釣られると仮定しまんねん。また一番地面に近い二人の女の首と首をつないでいる縄はホリゾンタルと仮定しまんねん。ほんでα1α2……α6を縄が地平線と形づくる角度とし、T1T2……T6を縄の各部が受ける力と見做みなし、T7=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力としまんねん。W勿論もちろん女の体重と御承知くれへんかの。どうや御分りになったんやか」

迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分ったちうわけや」と云うわ。但しこの大抵と云う度合は両人りょうにんが勝手に作ったのやから他人の場合には応用が出来ないかも知れへん。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によるんやと、しものごとく十二の方程式が立ちまんねん。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式はそのくらいで沢山やろうわ」と主人は乱暴な事を云うわ。「実はこの式が演説の首脳なんやけどアンタ」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見えるちうわけや。「それや首脳だけはって伺う事にしようやないか」と迷亭も少々恐縮のていに見受けられるちうわけや。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるちうワケやが……」「何そないな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云うわ。「ほなら仰せに従って、無理やけどアンタ略しまひょ」「それがよかろうわ」と迷亭が妙なトコで手をぱちぱちと叩く。

「ほんで英国へ移って論じまんねんと、ベオウルフの中に絞首架こうしゅかすなわちガルガと申す字が見えまっしゃろから絞罪の刑はこの時代から行われたものに違ないと思われまんねん。ブラクストーンの説によるともし絞罪に処せられる罪人が、万一縄の具合で死に切れぬ時はもっかいふたたび同様の刑罰を受くべきものだとしてあるんやが、妙な事にはピヤース・プローマンの中には仮令たとい兇漢でも二度める法はないと云う句があるちうワケや。まあどっちがホンマか知りまへんが、悪くするといっぺんで死ねない事が往々実例にあるので。千七百八十六年に有名なフㇶツ・ゼラルドと云う悪漢を絞めた事がおました。トコロが妙なはずみでいっぺん目には台から飛び降りるときに縄が切れてしもたのや。またやり直すと今度は縄が長過ぎて足が地面へ着いたさかいやはり死ねなかったちうワケや。とうとう三返目に見物人が手伝って往生おうじょうさしたと云う話しや」「やれやれ」と迷亭はこないなトコへくると急に元気が出るちうわけや。「ホンマに死にぞこないだな」と主人まで浮かれ出す。「まだおもろい事があるんや首をくくるとせい一寸いっすんばかり延びるそうや。これはたしかに医者が計って見たのやから間違はおまへん」「それは新工夫だね、どやい苦沙弥くしゃみやらなんやらはちと釣って貰っちゃあ、一寸延びたら人間並になるかも知れへんぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外真面目で「寒月君、一寸くらいせいが延びて生き返る事があるやろうか」と聞く。「それは駄目にきまっていますわ。釣られて脊髄せきずいが延びるからなんで、早く云うと背が延びると云うよりこわれるんやろからね」「それや、まあめようわ」と主人は断念するちうわけや。

演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首縊りの生理作用にまで論及するはずでいたが、迷亭が無暗に風来坊ふうらいぼうのような珍語をはさむのと、主人が時々遠慮なく欠伸あくびをするので、ついに中途でやめて帰ってしもた。その晩は寒月君がいかなる態度で、いかなる雄弁をふるったか遠方で起った出来事の事やから吾輩には知れよう訳がないちうわけや。

二三日にはんちは事もなく過ぎたが、或る日の午後二時頃また迷亭先生は例のごとく空々くうくうとして偶然童子のごとく舞い込んで攻めて来よった。座に着くと、いきなり「君、越智東風おちとうふう高輪事件たかなわじけんを聞いたかいちうわけや」と旅順陥落の号外を知らせに攻めて来よったほどの勢を示す。「知らん、近頃はわんから」と主人は平生毎日毎晩壱年中の通り陰気であるちうわけや。「きょうはその東風子とうふうしの失策物語を御報道に及ぼうと思って忙しいトコをわざわざ攻めて来よったんだよ」「またそないな仰山ぎょうはんな事を云う、君は全体不埒ふらちな男や」「ハハハハハ不埒と云わんよりむしろ無埒むらちの方やろうわ。それだけはちーとばかし区別しておいて貰わんと名誉に関係するからな」「おんなし事や」と主人はうそぶいとる。純然たる天然居士の再来や。「この前の日曜に東風子とうふうし高輪泉岳寺たかなわせんがくじに行ったんだそうや。この寒いのによせばええのに⸺第一今時きょうび泉岳寺やらなんやらへ参るのはさも東京を知りまへん、田舎者いなかもののようやないか」「それは東風の勝手さ。君がそれを留める権利はないちうわけや」「なるほど権利はまさにないちうわけや。権利はどうでもええが、あの寺内に義士遺物保存会と云う見世物があるやろうわ。君知ってるか」「うんにゃ」「知りまへん? だって泉岳寺へ行った事はあるやろうわ」「ええや」「ない? こりゃ驚ろいたちうわけや。道理でエライ東風を弁護すると思ったちうわけや。江戸っ子が泉岳寺を知りまへんのはなさけへん」「知らなくても教師はつとまるからな」と主人はいよいよ天然居士になるちうわけや。「そりゃ好いが、その展覧場へ東風が這入はいって見物しとると、そこへ独逸人ドイツじんが夫婦づれで攻めて来よったんだって。それが最初は祖国語で東風に何ぞ質問したそうや。トコロが先生例の通り独逸語が使って見たくてたまらん男やろうわ。そら二口三口べらべらやって見たとさ。すると存外うまく出攻めて来よったんだ⸺あとで考えるとそれがわざわいもとさね」「ほんでどうしたちうわけや」と主人はついに釣り込まれるちうわけや。「独逸人が大鷹源吾おおたかげんご蒔絵まきえ印籠いんろうを見て、これを買いたいが売ってくれるやろうかと聞くんだそうや。その時東風の返事がおもろいやないか、大日本帝国人は清廉の君子くんしばかりやから到底とうてい駄目だと云ったんだとさ。その辺は大分だいぶ景気がよかったが、ほんで独逸人の方では恰好かっこうな通弁を得たつもりでしきりに聞くそうや」「何を?」「それがさ、何だか分るくらいなら心配はないんやけど、早口で無暗むやみに問い掛けるものやからちびっとも要領を得ないのさ。たまに分るかと思うと鳶口とびぐち掛矢の事を聞かれるちうわけや。西洋の鳶口や掛矢は先生何と翻訳して善いのか習った事が無いんやからわらあね」「もっともや」と主人は教師の身の上に引きくらべて同情を表するちうわけや。「トコへ閑人ひまじんが物珍しそうにぽつぽつ集ってくるちうわけや。仕舞しまいには東風と独逸人を四方から取り巻いて見物するちうわけや。東風は顔を赤くしてへどもどするちうわけや。初めの勢に引きえて先生大弱りのていさ」「結局どうなりよったんだいちうわけや」「仕舞に東風が我慢出来なくなりよったと見えてさいならと祖国語で云ってぐんぐん帰って攻めて来よったそうだ、さいならはちびっと変だ君の国ではさよならさいならと云うかって聞いて見たら何やっぱりさよならやけどアンタ相手が西洋人やから調和を計るために、さいならにしたんだって、東風子は苦しい時でも調和を忘れへん男だと感心したちうわけや」「さいならはええが西洋人はどうしたちうわけや」「西洋人はあっけに取られて茫然ぼうぜんと見とったそうだハハハハおもろいやないか」「別段おもろい事もないようや。それをわざわざ報知しらせに来る君の方がよっぽどおもろいぜ」と主人は巻煙草まきモクの灰を火桶ひおけの中へはたき落す。折柄おりから格子戸のベルが飛び上るほど鳴って「御免なさいちうわけや」と鋭どい女の声がするちうわけや。迷亭と主人は思わず顔を見合わせて沈黙するちうわけや。

主人のうちへ女客は稀有けうだなと見とると、かの鋭どい声の所有主は縮緬ちりめんの二枚重ねを畳へり付けながら這入はいって来るちうわけや。年は四十の上をちびっとしたくらいやろうわ。抜け上ったぎわから前髪が堤防工事のように高くそびえて、なんぼなんでも顔の長さの二分の一だけ天に向ってせり出しとる。眼が切り通しの坂くらいな勾配こうばいで、直線に釣るし上げられて左翼右翼に対立するちうわけや。直線とはくじらより細いちう形容であるちうわけや。鼻だけは無暗に大きいちうわけや。人の鼻を盗んで来て顔の真中へえ付けたように見えるちうわけや。三坪ほどの小庭へ招魂社しょうこんしゃ石灯籠いしどうろうを移した時のごとく、ひとりで幅を利かしとるが、何となく落ちつかないちうわけや。その鼻はなんちうか、ようみなはんいわはるとこの鍵鼻かぎばなで、ひとたびは精一杯高くなって見たが、これではあんまりだと中途から謙遜けんそんして、先の方へ行くと、初めの勢に似ず垂れかかって、下にある唇をのぞき込んでいるちうわけや。かくいちじるしい鼻やから、この女が物を言うときは口が物を言うと云わんより、鼻が口をきいとるとしか思われへん。吾輩はこの偉大なる鼻に敬意を表するため、以来はこの女を称して鼻子はなこ鼻子と呼ぶつもりであるちうわけや。鼻子は先ず初対面の挨拶を終って「どうも結構な御住居おすまいやこと」と座敷中をめ廻わす。主人は「嘘をつけ」と腹の中で言ったまんま、ぷかぷか煙草モクをふかす。迷亭は天井を見ながら「君、ありゃ雨洩あまもりか、板の木目もくめか、妙な模様が出とるぜ」と暗に主人をうながす。「無論雨の洩りさ」と主人が答えると「結構だなあ」と迷亭がすまして云うわ。鼻子は社交を知らぬヤカラだと腹の中でいきどおるちうわけや。ちーとの間は三人鼎坐ていざのまんま無言であるちうわけや。

「ちと伺いたい事があって、参ったんやけどアンタ」と鼻子はもっかい話の口を切るちうわけや。「はあ」と主人が極めて冷淡に受けるちうわけや。これではならぬと鼻子は、「実はわいはつい御近所で⸺あの向う横丁の角屋敷かどやしきなんやけどアンタ」「あの大きな西洋館の倉のあるうちやろか、道理であすこには金田かねだと云う標札ひょうさつが出ていますわな」と主人はようやっと金田の西洋館と、金田の倉を認識したようやけど金田夫人に対する尊敬の度合どあいは前と同様であるちうわけや。「実は宿やどが出まして、御話を伺うんやけどアンタ会社の方がエライ忙がしいもんやろから」と今度はちびっといたろうちう眼付をするちうわけや。主人は一向いっこう動じないちうわけや。鼻子の先刻さっきからの言葉遣いが初対面の女としてはあまり存在ぞんざい過ぎるちうワケやでに不平やのであるちうわけや。「会社でも一つや無いんや、二つも三つも兼ねとるんや。それにどの会社でも重役なんで⸺多分御存知でっしゃろが」これでも恐れ入らぬかと云う顔付をするちうわけや。元来ここの主人は博士とか大学教授とかいうとどエライ恐縮する男であるが、妙な事には実業家に対する尊敬の度は極めて低いちうわけや。実業家よりも中学校の先生の方がえらいと信じとる。よし信じておらんでも、融通の利かぬ性質として、到底実業家、金満家の恩顧をこうむる事は覚束おぼつかないとあきらめとる。なんぼ先方が勢力家でも、財産家でも、オノレが世話になる見込のないと思い切った人の利害には極めて無頓着であるちうわけや。それやから学者社会を除いて他の方面の事には極めて迂濶うかつで、ことに実業界やらなんやらでは、どこに、だれが何をしとるか一向知らん。知っても尊敬畏服の念はごうも起らんのであるちうわけや。鼻子の方ではあめしたの一隅にこないな変人がやはり日光に照らされて生活していようとは夢にも知りまへん。本日この時まで世の中の人間にも大分だいぶ接して見たが、金田のさいやと名乗って、急に取扱いの変りまへん場合はない、どこの会へ出ても、どないな身分の高い人の前でも立派に金田夫人で通して行かれる、いわんやこないなくすぶり返った老書生においてをやで、わいわいうちは向う横丁の角屋敷かどやしきやとさえ云えば職業やらなんやらは聞かぬ先から驚くやろうと予期しとったのであるちうわけや。

「金田って人を知ってるか」と主人は無雑作むぞうさに迷亭に聞く。「知ってるとも、金田はんは僕の伯父の友達や。この間なんざ園遊会へおいでになりよった」と迷亭は真面目な返事をするちうわけや。「へえ、君の伯父はんてえなどなたはんだいちうわけや」「牧山男爵まきやまだんしゃくさ」と迷亭はいよいよ真面目であるちうわけや。主人が何ぞ云おうとして云わぬ先に、鼻子は急に向き直って迷亭の方を見るちうわけや。迷亭は大島紬おおしまつむぎ古渡更紗こわたりさらさか何ぞ重ねてすましとる。「おや、あんさんが牧山様の⸺何でいらっしゃいますわか、ちっとも存じまへんで、はなはだ失礼を致したんや。牧山様には始終御世話になると、宿やどで毎々御噂おうわさを致しておるんや」と急に叮嚀ていねいな言葉使をして、おまけに御辞儀まやる、迷亭は「へええ何、ハハハハ」と笑っとる。主人はあっに取られて無言で二人を見とる。「たしか娘の縁辺えんぺんの事につきましてもいろいろ牧山さまへ御心配を願おったんやそうで……」「へえー、そうやろか」とこればかりは迷亭にもちと唐突とうとつ過ぎたと見えてちーとばかし魂消たまげたような声を出す。「実は方々からくれくれと申し込はおますが、ウチの身分もあるものでおますから、滅多めったとこへも片付けられまへんので……」「ごもっともで」と迷亭はようやっと安心するちうわけや。「それについて、あんさんに伺おうと思って上がったんやけどアンタね」と鼻子は主人の方を見て急に存在ぞんざいな言葉に返るちうわけや。「あんさんの所へ水島寒月みずしまかんげつちう男が度々たびたび上がるそうやけどアンタ、あの人は全体どないな風な人でっしゃろ」「寒月の事を聞いて、なんにするんや」と主人は苦々にがにがしく云うわ。「やはり御令嬢の御婚儀上の関係で、寒月君の性行せいこう一斑いっぱんを御承知になりたいちう訳でっしゃろ」と迷亭が気転をかす。「それが伺えればエライ都合がよろしいのでおますが……」「それや、御令嬢を寒月におやりになりたいとおっしゃるんで」「やりたいなんてえんや無いんや」と鼻子は急に主人を参らせるちうわけや。「ほかにもだんだん口が有るんやろから、無理に貰っていただかないだって困りゃしまへん」「それや寒月の事なんか聞かんでも好いでっしゃろ」と主人も躍起やっきとなるちうわけや。「せやけどダンさん御隠しなさる訳もないでっしゃろ」と鼻子も少々喧嘩腰になるちうわけや。迷亭は双方の間に坐って、銀煙管ぎんぎせる軍配団扇ぐんばいうちわのように持って、心のうち八卦はっけよいやよいやと怒鳴っとる。「やあ寒月の方で是非貰いたいとでも云ったちうワケやか」と主人が正面から鉄砲をくらわせるちうわけや。「貰いたいと云ったんやないんやけれども……」「貰いたいやろうと思っていらっしゃるんやろか」と主人はこの婦人鉄砲に限るとさとったらしいちうわけや。「話しはそないなに運んでるんやおまへんが⸺寒月はんだって満更まんざら嬉しくない事もないでっしゃろ」と土俵際で持ち直す。「寒月が何ぞその御令嬢に恋着れんちゃくしたちうような事でもあるんやか」あるなら云って見ろと云う権幕けんまくで主人はり返るちうわけや。「まあ、そないな見当けんとうでっしゃろね」今度は主人の鉄砲がちびっとも功を奏せん。本日この時まで面白気おもしろげ行司ぎょうじ気取りで見物しとった迷亭も鼻子の一言いちごんに好奇心を挑撥ちょうはつされたものと見えて、煙管きせるを置いて前へ乗り出す。「寒月が御嬢はんにぶみでもしたんやろか、こりゃ愉快だ、新年になって逸話がまた一つえて話しの好材料になるちうわけや」と一人で喜んでいるちうわけや。「付け文やないんや、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと烈しいんでさあ、御二人とも御承知やおまへんか」と鼻子はおつにからまって来るちうわけや。「君知ってるか」と主人は狐付きのような顔をして迷亭に聞く。迷亭も馬鹿気ばかげた調子で「僕は知らん、知っていりゃ君や」とつまらんトコで謙遜けんそんするちうわけや。「いえ御両人共おふたりとも御存じの事や」と鼻子だけ大得意であるちうわけや。「へえー」と御両人はいっぺんに感じ入るちうわけや。「御忘れになりよったらわいわたしから御話をしまひょ。去年の暮向島の阿部はんの御屋敷で演奏会があって寒月はんも出掛けたやおまへんか、その晩帰りに吾妻橋あずまばしで何ぞあったでっしゃろ⸺詳しい事は言いますわまい、当人の御迷惑になるかも知れまへんから⸺あれだけの証拠がありゃ充分だと思うんやが、どないなものでっしゃろ」と金剛石ダイヤ入りの指環のはまった指を、膝の上へならべて、つんと居ずまいを直す。偉大なる鼻がまんねんまんねん異彩を放って、迷亭も主人も有れども無きがごとき有様であるちうわけや。

主人は無論、さすがの迷亭もこの不意撃ふいうちにはきもを抜かれたものと見えて、ちーとの間は呆然ぼうぜんとしておこりの落ちた病人のように坐っとったが、驚愕きょうがくたががゆるんでだんだん持前の本態に復すると共に、滑稽と云う感じがいっぺんに吶喊とっかんしてくるちうわけや。両人ふたりは申し合せたごとく「ハハハハハ」と笑い崩れるちうわけや。鼻子ばかりはちびっと当てがはずれて、この際笑うのははなはだ失礼だと両人をにらみつけるちうわけや。「あれが御嬢はんやろか、なるほどこりゃええ、おっしゃる通りだ、ねえ苦沙弥くしゃみ君、まるっきし寒月はお嬢はんをおもってるに相違ないね……もう隠したってしようがないから白状しようやないか」「ウフン」と主人は云ったまんまであるちうわけや。「ホンマに御隠しなさってもいけまへんよ、ちゃんと種は上ってるんやろからね」と鼻子はまた得意になるちうわけや。「こうなりゃ仕方がないちうわけや。何でも寒月君に関する事実は御参考のために陳述するさ、おい苦沙弥君、君が主人だのに、そう、にやにや笑っていてはらちがあかんやないか、実に秘密ちうものは恐ろしいものだねえ。なんぼ隠しても、どこぞらか露見ろけんするからな。⸺せやけどダンさん不思議と云えば不思議やねえ、金田の奥はん、どうしてこの秘密を御探知になりよったんや、実に驚ろきまんねんな」と迷亭は一人で喋舌しゃべるちうわけや。「わいわたしの方だって、ぬかりはおまへんやね」と鼻子はしたり顔をするちうわけや。「あんまり、ぬかりが無さ過ぎるようやぜ。一体どなたはんに御聞きになりよったんや」「じきこの裏にいる車屋のかみはんからや」「あの黒猫のいる車屋やろか」と主人は眼を丸くするちうわけや。「ええ、寒月はんの事や、よっぽど使おったんやよ。寒月はんが、ここへ来る度に、どないな話しをするかと思って車屋の神はんを頼んで一々知らせて貰うんや」「そりゃひどいちうわけや」と主人は大きな声を出す。「なあに、あんさんが何をなさろうとおっしゃろうと、それに構ってるんやないんや。寒月はんの事だけや」「寒月の事だって、どなたはんの事だって⸺全体あの車屋の神はんは気に食わん奴や」と主人は一人おこり出す。「せやけどダンさんあんさんの垣根のそとへ来て立っとるのは向うの勝手やおまへんか、話しが聞えてわるけりゃもっともっともっともっともっともっともっともっともっと小さい声でなさるか、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと大きなうちへ御這入おはいんなさるがええでっしゃろ」と鼻子はちびっとも赤面した様子がないちうわけや。「車屋ばかりやおまへん。新道しんみち二絃琴にげんきんの師匠からも大分だいぶいろいろな事を聞いていますわ」「寒月の事をやろか」「寒月はんばかりの事やおまへん」とちびっとすごい事を云うわ。主人は恐れ入るかと思うと「あの師匠はいやに上品ぶってオノレだけ人間らしい顔をしとる、馬鹿野郎や」「はばかさま、女や。野郎は御門違おかどちがいや」と鼻子の言葉使いはまんねんまんねん御里おさとをあらわして来るちうわけや。これではまるで喧嘩をしに攻めて来よったようなものであるが、そこへ行くと迷亭はやはり迷亭でこの談判を面白そうに聞いとる。鉄枴仙人てっかいせんにん軍鶏しゃも蹴合けあいを見るような顔をして平気で聞いとる。

悪口あっこうの交換では到底鼻子の敵でないと自覚した主人は、ちーとの間沈黙を守るのやむを得ざるに至らしめられとったが、ようやっと思い付いたか「あんさんは寒月の方から御嬢はんに恋着したようにばかりおっしゃるが、わいわいの聞いたんや、ちびっと違いますわぜ、ねえ迷亭君」と迷亭の救いを求めるちうわけや。「うん、あの時の話しや御嬢はんの方が、始め病気になって⸺何だか譫語うわごとをいったように聞いたね」「なにそないな事はおまへん」と金田夫人は判然たる直線流の言葉使いをするちうわけや。「それでも寒月はたしかに○○博士の夫人から聞いたと云っておったんやぜ」「それがこっちの手なんでさあ、○○博士の奥はんを頼んで寒月はんの気を引いて見たんでさあね」「○○の奥はんは、それを承知で引き受けたんやろか」「ええ。引き受けて貰うたって、ただや出来まへんやね、それやこれやでいろいろ物を使っとるんやろから」「是非寒月君の事を根堀り葉堀り御聞きにならなくっちゃ御帰りにならへんと云う決心やろかね」と迷亭もちびっと気持を悪くしたと見えて、いつになく手障てざわりのあらい言葉を使うわ。「ええや君、話したって損の行く事やなし、話そうやないか苦沙弥君⸺奥はん、わいわいでも苦沙弥でも寒月君に関する事実で差支さしつかえのない事は、みんな話しまっからね、⸺そう、順を立ててだんだん聞いて下さると都合がええやね」

鼻子はようやっと納得なっとくしてそろそろ質問を呈出するちうわけや。一時荒立てた言葉使いも迷亭に対してはまたもとのごとく叮嚀になるちうわけや。「寒月はんも理学士だそうやけどアンタ、全体どないな事を専門にしとるのでおます」「大学院では地球の磁気の研究をやっていますわ」と主人が真面目に答えるちうわけや。不幸にしてその意味が鼻子には分らんものやから「へえー」とは云ったが怪訝けげんな顔をしとる。「それを勉強すると博士になれまひょか」と聞く。「博士にならなければやれへんとおっしゃるんやろか」と主人は不愉快そうに尋ねるちうわけや。「ええ。ただの学士やね、なんぼでもあるんやからね」と鼻子は平気で答えるちうわけや。主人は迷亭を見ていよいよいやな顔をするちうわけや。「博士になるかならんかは僕等も保証する事が出来んから、ほかの事を聞いてもらうで事にしようわ」と迷亭もあまり好い機嫌ではおまへん。「近頃でもその地球の⸺何ぞを勉強しとるんでございまひょか」「二三日前にはんちまえ首縊りの力学と云う研究の結果を理学協会で演説したんや」と主人は何の気も付かんと云うわ。「おやいやだ、首縊りだなんて、よっぽど変人やねえ。そないな首縊りや何ぞやってたんや、どエライ博士にはなれまんねんまいね」「本人が首をくくっちゃあややこしいやけどアンタ、首縊りの力学なら成れへんとも限らんや」「そうでっしゃろか」と今度は主人の方を見て顔色をうかがうわ。悲しい事に力学と云う意味がわからんので落ちつきかねとる。せやけどダンさんこれしきの事を尋ねては金田夫人の面目に関すると思ってか、ただ相手の顔色で八卦はっけを立てて見るちうわけや。主人の顔は渋いちうわけや。「そのほかになにか、分りやすいものを勉強しておるんやまいか」「そうやな、せんだって団栗のスタビリチーを論じて併せて天体の運行に及ぶと云う論文を書いた事があるんや」「団栗どんぐりなんぞでも大学校で勉強するものでっしゃろか」「さあ僕も素人しろうとやからよく分らんが、何しろ、寒月君がやるくらいなんやから、研究する価値があると見えまんねんな」と迷亭はすまして冷かす。鼻子は学問上の質問は手に合わんと断念したものと見えて、今度は話題を転ずるちうわけや。「御話は違おるけどダンさん⸺この御正月に椎茸しいたけを食べて前歯を二枚折ったそうやございまへんか」「ええその欠けたトコに空也餅くうやもちがくっ付いていましてね」と迷亭はこの質問こそ吾縄張内なわばりうちだと急に浮かれ出す。「色気のない人やございまへんか、何だって楊子ようじを使いまへんんでっしゃろ」「今度ったら用心しておきまひょ」と主人がくすくす笑うわ。「椎茸で歯がかけるくらいや、よほど歯のしょうが悪いと思われまっけど、如何いかがなものでっしゃろ」「善いとは言われまんねんまいな⸺ねえ迷亭」「善い事はないがちーとばかし愛嬌あいきょうがあるよ。あれぎり、まだめへんトコロが妙や。今だに空也餅引掛所ひっかけどころになってるなあ奇観だぜ」「歯を填める小遣こづかいがないので欠けなりにしておくんやろか、または物好きで欠けなりにしておくんでっしゃろか」「なあんも永く前歯欠成まえばかけなりを名乗る訳でもないでっしゃろから御安心なさいよ」と迷亭の機嫌はだんだん回復してくるちうわけや。鼻子はまた問題を改めるちうわけや。「何ぞ御宅に手紙かなんぞ当人の書いたものでもおますならちーとばかし拝見したいもんでおますが」「端書はがきなら沢山あるんや、御覧なさいちうわけや」と主人は書斎から三四十枚持って来るちうわけや。「そないなに沢山拝見せんでも⸺その内の二三枚だけ……」「どれどれ僕が好いのをってやろうわ」と迷亭先生は「これなざあおもろいでっしゃろ」と一枚の絵葉書を出す。「おや絵もかくんでおますか、なかなか器用やね、どれ拝見しまひょ」と眺めとったが「あらいやだ、たぬきだよ。何だって撰りに撰って狸なんぞかくんでっしゃろね⸺それでも狸と見えるから不思議だよ」とちびっと感心するちうわけや。「その文句を読んで御覧なさいちうわけや」と主人が笑いながら云うわ。鼻子は下女が新聞を読むように読み出す。「旧暦のとし、山の狸が園遊会をやってさかんに舞踏しまんねん。その歌にいわく、いさ、としので、御山婦美おやまふみまいぞ。スッポコポンノポン」「何やこりゃ、人を馬鹿にしとるやございまへんか」と鼻子は不平のていであるちうわけや。「この天女てんにょは御気に入りまへんか」と迷亭がまた一枚出す。見ると天女が羽衣はごろもを着て琵琶びわいとる。「この天女の鼻がちびっと小さ過ぎるようやけどアンタ」「何、それが人並や、鼻より文句を読んで御覧なさいちうわけや」文句にはこうあるちうわけや。「むかしある所に一人の天文学者がおました。ある毎日毎晩壱年中のように高い台に登って、一心に星を見ていますわと、空に美しい天女が現われ、この世では聞かれぬほどの微妙な音楽を奏し出したさかい、天文学者は身にむ寒さも忘れて聞きれてしもたんや。朝見るとその天文学者の死骸しがいしもが真白に降っておったんや。これはホンマのはなしだと、あのうそつきのじいやが申したんや」「何の事やこりゃ、意味もなあんもないやおまへんか、これでも理学士で通るんやろかね。ちっと文芸倶楽部でも読んだらよさそうなものやがねえ」と寒月君はんざんにやられるちうわけや。迷亭は面白半分に「こりゃどうや」と三枚目を出す。今度は活版で帆懸舟ほかけぶねが印刷してあって、例のごとくその下に何ぞ書き散らしてあるちうわけや。「よべのとまりの十六小女郎じゅうろくこじょろ、親がないとて、荒磯ありその千鳥、さよの寝覚ねざめの千鳥に泣いた、親は船乗り波の底」「うまいのねえ、感心だ事、話せるやおまへんか」「話せまっしゃろかな」「ええこれなら三味線に乗るんやよ」「三味線に乗りゃ本物や。こりゃ如何いかがや」と迷亭は無暗むやみに出す。「いえ、もうこれだけ拝見すれば、ほかのは沢山で、そないなに野暮やぼでないんだと云う事は分ったんやから」と一人で合点しとる。鼻子はこれで寒月に関する大抵の質問をえたものと見えて、「これははなはだ失礼を致したんや。どうかわいの参った事は寒月はんへは内々に願いますわ」と得手勝手えてかってな要求をするちうわけや。寒月の事は何でも聞かなければならへんが、オノレの方の事は一切寒月へ知らしてはならへんと云う方針と見えるちうわけや。迷亭も主人も「はあ」と気のない返事をすると「いずれその内御礼は致しまっから」と念を入れて言いながら立つ。見送りに出た両人ふたりが席へ返るや否や迷亭が「ありゃ何だいちうわけや」と云うと主人も「ありゃ何だいちうわけや」と双方から同じ問をかけるちうわけや。奥の部屋で細君がこらえ切れなかったと見えてクツクツ笑う声が聞えるちうわけや。迷亭は大きな声を出して「奥はん奥はん、月並の標本が来たんやぜ。月並もあのくらいになるとなかなかふるっていますわなあ。さあ遠慮はいらんから、存分御笑いなさいちうわけや」

主人は不満な口気こうきで「第一気に喰わん顔や」とにくらしそうに云うと、迷亭はすぐ引きうけて「鼻が顔の中央に陣取っておつに構えとるなあ」とあとを付けるちうわけや。「しかも曲っていらあ」「ちびっと猫背ねこぜやね。猫背の鼻は、ちと奇抜きばつ過ぎるちうわけや」と面白そうに笑うわ。「おっとドッコイたこやきはうまいで…あかん、脱線やこくする顔や」と主人はなお口惜くやしそうであるちうわけや。「十九世紀で売れ残って、二十世紀で店曝たなざらしに逢うと云うそうや」と迷亭は妙な事ばかり云うわ。トコへ妻君が奥のから出て来て、女だけに「あんまり悪口をおっしゃると、また車屋のかみはんにいつけられまんねんよ」と用心するちうわけや。「ちびっといつける方が薬や、奥はん」「せやけどダンさん顔の讒訴ざんそやらなんやらをなさるのは、あまり下等やわ、どなたはんだって好んであないな鼻を持ってる訳でもおまへんから⸺それに相手が婦人やろからね、あんまりひどいわ」と鼻子の鼻を弁護すると、いっぺんにオノレの容貌ようぼうも間接に弁護しておく。「何ひどいものか、あないなのは婦人やない、愚人だ、ねえ迷亭君」「愚人かも知れんが、なかなかえら者だ、大分だいぶ引きかれたやないか」「全体教師を何と心得とるんやろうわ」「裏の車屋くらいに心得とるのさ。ああ云う人物に尊敬されるには博士になるに限るよ、一体博士になっておかんのが君の不了見ふりょうけんさ、ねえ奥はん、そうでっしゃろ」と迷亭は笑いながら細君をかえりみるちうわけや。「博士なんて到底駄目や」と主人は細君にまで見離されるちうわけや。「これでも今になるかも知れん、軽蔑けいべつするな。貴様なぞは知るまいがむかしアイソクラチスと云う人は九十四歳で大著述をしたちうわけや。ソフォクリスが傑作を出して天下を驚かしたのは、ほとんど百歳の高齢やった。シモニジスは八十で妙詩を作ったちうわけや。おれだって……」「馬鹿馬鹿しいわ、あんさんのような胃病でそないなに永く生きられるものやか」と細君はちゃんと主人の寿命を予算しとる。「失敬な、⸺甘木はんへ行って聞いて見ろ⸺元来御前がこないな皺苦茶しわくちゃ黒木綿くろもめんの羽織や、つぎだらけの着物を着せておくから、あないな女に馬鹿にされるんや。あしたから迷亭の着とるような奴を着るから出しておけ」「出しておけって、あないな立派な御召おめしはござんせんわ。金田の奥はんが迷亭はんに叮嚀になりよったのは、伯父はんの名前を聞いてからや。着物のとがやございまへん」と細君うまく責任をがれるちうわけや。

主人は伯父はんと云う言葉を聞いて急に思い出したように「君に伯父があると云う事は、今日始めて聞いたちうわけや。本日この時までついにうわさをした事がないやないか、ホンマにあるのかいちうわけや」と迷亭に聞く。迷亭は待ってたと云わぬばかりに「うんその伯父さ、その伯父が馬鹿に頑物がんぶつでねえ⸺やはりその十九世紀から連綿と今日こんにちまで生き延びとるんやけどね」と主人夫婦を半々に見るちうわけや。「オホホホホホおもろい事ばかりおっしゃって、どこに生きていらっしゃるんや」「静岡に生きてまっけどね、それがただ生きてるんや無いや。頭にちょんまげを頂いて生きてるんやから恐縮しまさあ。帽子をかぶれってえと、おれはこの年になるが、まだ帽子を被るほど寒さを感じた事はないと威張ってるんや⸺寒いから、もっともっともっともっともっともっともっともっともっとていらっしゃいと云うと、人間は四時間寝れば充分や。四時間以上寝るのは贅沢ぜいたくの沙汰だって朝暗いうちから起きてくるんや。それでね、おれも睡眠時間を四時間に縮めるには、永年修業をしたもんだ、若いうちはどうしてもねむたくていかなんやけど、近頃に至って始めて随処任意の庶境しょきょうってはなはだ嬉しいと自慢するんや。六十七になって寝られなくなるなあ当り前でさあ。修業も糸瓜へちまったものやないのに当人はまるっきし克己こっきの力で性交…ひひひ、ウソや、成功したと思ってるんやろからね。それで外出する時には、きっと鉄扇てっせんをもって出るんやけどアンタね」「なににするんだいちうわけや」「何にするんだか分りまへん、ただ持って出るんやね。まあステッキの代りくらいに考えてるかも知れんよ。トコロがせんだって妙な事がありましてね」と今度は細君の方へ話しかけるちうわけや。「へえー」と細君があいのない返事をするちうわけや。「此年ことしの春突然手紙を寄こして山高帽子とフロックコートを至急送れと云うんや。ちーとばかし驚ろいたから、郵便で問い返したトコロが老人自身が着ると云う返事が来たんや。二十三日に静岡で祝捷会しゅくしょうかいがあるからそれまでにに合うように、至急調達しろと云う命令なんや。トコロがおかしいのは命令中にこうあるんや。帽子は好い加減な大きさのを買ってくれ、洋服も寸法を見計らって大丸だいまるへ注文してくれ……」「近頃は大丸でも洋服を仕立てるのかいちうわけや」「なあに、先生、白木屋しろきやと間違えたんだあね」「寸法を見計ってくれたって無理やないか」「そこが伯父の伯父たるトコさ」「どうした?」「仕方がないから見計らって送ってやったちうわけや」「君も乱暴だな。それで間に合ったのかいちうわけや」「まあ、どうにか、こうにかおっついたんやろうわ。国の新聞を見たら、当日牧山翁は珍らしくフロックコートにて、例の鉄扇てっせんを持ち……」「鉄扇だけは離さなかったと見えるね」「うん死んだら棺の中へ鉄扇だけは入れてやろうと思っとるよ」「それでも帽子も洋服も、うまい具合に着られて善かったちうわけや」「トコロが大間違さ。僕も無事に行ってありがたいと思ってると、ちーとの間して国から小包が届いたから、何ぞ礼でもくれた事と思って開けて見たら例の山高帽子さ、手紙が添えてあってね、せっかく御求め被下候くだされそうらえども少々大きく候間そろあいだ、帽子屋へ御遣おつかわしの上、御縮め被下度候くだされたくそろ。縮め賃は小為替こがわせにて此方こなたより御送おんおくり可申上候もうしあぐべきそろとあるのさ」「なるほど迂濶うかつだな」と主人はおのれより迂濶なものの天下にある事を発見しておおいに満足のていに見えるちうわけや。やがて「ほんで、どうしたちうわけや」と聞く。「どうするったって仕方がないから僕が頂戴してかぶっていらあ」「あの帽子かあ」と主人がにやにや笑うわ。「そのかたが男爵でいらっしゃるんやろか」と細君が不思議そうに尋ねるちうわけや。「どなたはんがや」「その鉄扇の伯父さまが」「なあに漢学者でさあ、若い時聖堂せいどう朱子学しゅしがくか、何ぞにこり固まったものやから、電気灯の下でうやうやしくちょんまげを頂いとるんや。仕方がおまへん」とやたらにあごで廻す。「それでも君は、さっきの女に牧山男爵と云ったようだぜ」「そうおっしゃおったんやよ、わいも茶の間で聞いておったんや」と細君もこれだけは主人の意見に同意するちうわけや。「そうやったかなアハハハハハ」と迷亭はわけもなく笑うわ。「そりゃうそや。僕に男爵の伯父がありゃ、今頃は局長くらいになっていまさあ」と平気なものであるちうわけや。「何だか変だと思ったちうわけや」と主人は嬉しそうな、心配そうな顔付をするちうわけや。「あらまあ、よく真面目であないな嘘が付けまんねんねえ。あんさんもよっぽど法螺ほらが御上手でいらっしゃる事」と細君はどエライ感心するちうわけや。「僕より、あの女の方がでさあ」「あんさんだって御負けなさる気遣きづかいはおまへん」「せやけどダンさん奥はん、僕の法螺は単なる法螺や。あの女のは、みんな魂胆があって、いわく付きの嘘やぜ。たちが悪いや。猿智慧さるぢえから割り出した術数と、天来の滑稽趣味と混同されちゃ、コメディーの神様も活眼の士なきを嘆ぜざるを得ざる訳に立ち至るさかいにな」主人は俯目ふしめになって「どやか」と云うわ。妻君は笑いながら「同じ事やわ」と云うわ。

吾輩は本日この時まで向う横丁へ足を踏み込んだ事はないちうわけや。角屋敷かどやしきの金田とは、どないな構えか見た事は無論ないちうわけや。聞いた事さえ今が始めてであるちうわけや。主人のうちで実業家が話頭にのぼった事は一返もないので、主人の飯を食う吾輩までがこの方面には単に無関係なるのみならず、はなはだ冷淡やった。しかるに先刻はからずも鼻子の訪問を受けて、余所よそながらその談話を拝聴し、その令嬢の艶美えんびを想像し、またその富貴ふうき、権勢を思い浮べて見ると、猫ながら安閑として椽側えんがわに寝転んでいられなくなりよった。しかのみならず吾輩は寒月君に対してはなはだ同情の至りに堪えん。先方では博士の奥はんやら、車屋のかみはんやら、二絃琴にげんきん天璋院てんしょういんまで買収して知らぬに、前歯の欠けたのさえ探偵しとるのに、寒月君の方ではただニヤニヤして羽織の紐ばかり気にしとるのは、いかに卒業したての理学士にせよ、あまり能がなさ過ぎるちうわけや。と言って、ああ云う偉大な鼻を顔のうちに安置しとる女の事やから、滅多めったな者では寄り付ける訳の者ではおまへん。こう云う事件に関しては主人はむしろ無頓着でかつあまりにぜにがなさ過ぎるちうわけや。迷亭は銭に不自由はせんが、あないな偶然童子やから、寒月にたすけを与える便宜べんぎすくなかろうわ。して見ると可哀相かわいそうなのは首縊りの力学を演説する先生ばかりとなるちうわけや。吾輩でも奮発して、敵城へ乗り込んでその動静を偵察してやらなくては、あまり不公平であるちうわけや。吾輩は猫だけれど、エピクテタスを読んで机の上へ叩きつけるくらいな学者のうち寄寓きぐうする猫で、世間一般の痴猫ちびょう愚猫ぐびょうとはちびっとくせんことにしとる。この冒険をあえてするくらいの義侠心はもとより尻尾しっぽの先に畳み込んであるちうわけや。なあんも寒月君に恩になりよったと云う訳もないが、これはただに個人のためにする血気躁狂けっきそうきょうの沙汰ではおまへん。大きく云えば公平を好み中庸を愛する天意を現実にする天晴あっぱれな美挙や。人の許諾をずして吾妻橋あずまばし事件やらなんやらを至る処に振り廻わす以上は、人の軒下に犬を忍ばして、その報道を得々として逢う人に吹聴ふいちょうする以上は、車夫、馬丁ばてい無頼漢ぶらいかん、ごろつき書生、日雇婆ひやといばばあ、産婆、妖婆ようば按摩あんま頓馬とんまに至るまでを使用して国家有用の材にはんを及ぼしてかえりみざる以上は⸺猫にも覚悟があるちうわけや。幸い天気も好い、霜解しもどけは少々閉口するが道のためには一命もすてるちうわけや。足の裏へ泥が着いて、椽側えんがわへ梅の花の印を押すくらいな事は、ただ御三おはんの迷惑にはなるか知れんが、吾輩の苦痛とは申されへん。翌日あすとも云わずこれから出掛けようと勇猛精進ゆうもうしょうじんの大決心を起して台所まで飛んで出たが「待てよ」と考えたちうわけや。吾輩は猫として進化の極度に達しとるのみならず、脳力の発達においてはあえて中学の三年生に劣らざるつもりであるが、悲しいかな咽喉のどの構造だけはどこまでも猫やので人間の言語が饒舌しゃべれへん。よし首尾よく金田邸へ忍び込んで、充分敵の情勢を見届けたトコで、肝心かんじんの寒月君に教えてやる訳に行かないちうわけや。主人にも迷亭先生にも話せへん。話せへんとするやろ、ほしたら土中にある金剛石ダイヤモンドの日を受けて光らぬと同じ事で、せっかくの智識も無用の長物となるちうわけや。これはだ、やめようかしらんと上り口でたたずんで見たちうわけや。

せやけどダンさんいっぺん思い立った事を中途でやめるのは、白雨ゆうだちが来るかと待っとる時黒雲とも隣国へ通り過ぎたように、何となく残り惜しいちうわけや。それも非がこっちにあれば格別やけど、なんちうか、ようみなはんいわはるとこの正義のため、人道のためなら、たとい無駄死むだじにをやるまでも進むのが、義務を知る男児の本懐であろうわ。無駄骨を折り、無駄足をよごすくらいは猫として適当のトコであるちうわけや。猫と生れた因果いんがで寒月、迷亭、苦沙弥諸先生と三寸の舌頭ぜっとうに相互の思想を交換する技倆ぎりょうはないが、猫だけに忍びの術は諸先生より達者であるちうわけや。他人の出来ぬ事を成就じょうじゅするのはそれ自身において愉快であるちうわけや。われ一箇でも、金田の内幕を知るのは、どなたはんも知らぬより愉快であるちうわけや。人に告げられんでも人に知られとるなと云う自覚を彼等に与うるだけが愉快であるちうわけや。こないなに愉快が続々出て来ては行かんとはいられへん。やはり行く事に致そうわ。

向う横町へ来て見ると、聞いた通りの西洋館が角地面かどじめん吾物顔わがものがおに占領しとる。この主人もこの西洋館のごとく傲慢ごうまんに構えとるんやろうと、門を這入はいってその建築をながめて見たがただ人を威圧しようと、二階作りが無意味に突っ立っとるほかに何等の能もない構造やった。迷亭のなんちうか、ようみなはんいわはるとこの月並つきなみとはこれであろうか。玄関を右翼に見て、植込の中を通り抜けて、勝手口へ廻るちうわけや。さすがに勝手は広い、苦沙弥先生の台所の十倍はたしかにあるちうわけや。せんだって大日本帝国新聞にねちっこく書いてあった大隈伯おおくまはくの勝手にも劣るまいと思うくらい整然とぴかぴかしとる。「模範勝手だな」と這入はいり込む。見ると漆喰しっくいで叩き上げた二坪ほどの土間に、例の車屋のかみはんが立ちながら、御飯焚ごはんたきと車夫を相手にしきりに何ぞ弁じとる。こいつは剣呑けんのんだと水桶みずおけの裏へかくれるちうわけや。「あの教師あ、うちの旦那の名を知りまへんのかね」と飯焚めしたきが云うわ。「知らねえ事があるもんか、この界隈かいわいで金田はんの御屋敷を知らなけりゃ眼も耳もねえ片輪かたわだあな」これは抱え車夫の声であるちうわけや。「なんとも云えへんよ。あの教師と攻めて来よったら、本よりほかに何にも知りまへん変人なんやからねえ。旦那の事をちびっとでも知ってりゃ恐れるかも知れへんが、駄目だよ、オノレの小供のとしさえ知りまへんんだもの」と神はんが云うわ。「金田はんでも恐れねえかな、厄介な唐変木とうへんぼくや。かまこたあねえ、みんなで威嚇おどかしてやろうやねえか」「それが好いよ。奥様の鼻が大き過ぎるの、顔が気に喰いまへんのって⸺そりゃあひどい事を云うんだよ。オノレのつら今戸焼いまどやきたぬき見たような癖に⸺あれで一人前いちにんまえだと思っとるんやからやれ切れへんやないか」「顔ばかりやない、手拭てぬぐいげて湯に行くトコからして、いやに高慢ちきやないか。オノレくらいえらい者は無毎日毎晩壱年中りでいるんだよ」と苦沙弥先生は飯焚にもおおいに不人望であるちうわけや。「何でも大勢であいつの垣根のそばへ行って悪口をはんざんいってやるんやね」「そうしたらきっと恐れ入るよ」「せやけどダンさんこっちの姿を見せちゃあ面白くねえから、声だけ聞かして、勉強の邪魔をした上に、出来るだけじらしてやれって、さっき奥様が言い付けておいでなすったぜ」「そりゃ分っとるよ」と神はんは悪口の三分の一を引き受けると云う意味を示す。なるほどこの手合が苦沙弥先生を冷やかしに来るなと三人の横を、そっと通り抜けて奥へ這入るちうわけや。

猫の足はあれども無きがごとし、どこを歩いても不器用な音のした試しがないちうわけや。空を踏むがごとく、雲を行くがごとく、水中にけいを打つがごとく、洞裏とうりしつするがごとく、醍醐だいごの妙味をめて言詮ごんせんのほかに冷暖れいだん自知じちするがごとし。月並な西洋館もなく、模範勝手もなく、車屋の神はんも、権助ごんすけも、飯焚も、御嬢さまも、仲働なかばたらきも、鼻子夫人も、夫人の旦那様もないちうわけや。行きたいトコへ行って聞きたい話を聞いて、舌を出し尻尾しっぽって、ひげをぴんと立てて悠々ゆうゆうと帰るのみであるちうわけや。ことに吾輩はこの道に掛けては大日本帝国一の堪能かんのうであるちうわけや。草双紙くさぞうしにある猫又ねこまたの血脈を受けておりはせぬかとみずから疑うくらいであるちうわけや。がまひたいには夜光やこう明珠めいしゅがあると云うが、吾輩の尻尾には神祇釈教しんぎしゃっきょう恋無常こいむじょうは無論の事、満天下の人間を馬鹿にする一家相伝いっかそうでんの妙薬が詰め込んであるちうわけや。金田家の廊下を人の知らぬに横行するくらいは、仁王様が心太トコてんを踏みつぶすよりも容易であるちうわけや。この時吾輩は我ながら、わが力量に感服して、これも普段大事にする尻尾の御蔭だなと気が付いて見るとただ置かれへん。吾輩の尊敬する尻尾大明神を礼拝らいはいしてニャン運長久を祈らばやと、ちーとばかし低頭して見たが、どうもちびっと見当けんとうがちゃうようであるちうわけや。なるべく尻尾の方を見て三拝せなならん。尻尾の方を見ようと身体を廻すと尻尾も自然と廻るちうわけや。追付こうと思って首をねじると、尻尾も同じ間隔をとって、先へけ出す。なるほど天地玄黄てんちげんこうを三寸に収めるほどの霊物だけあって、到底吾輩の手に合いまへん、尻尾をめぐる事七度ななたび半にして草臥くたびれたからやめにしたちうわけや。少々眼がくらむ。どこにいるのだかちーとばかし方角が分らなくなるちうわけや。構うものかと滅茶苦茶にあるき廻るちうわけや。障子のうちで鼻子の声がするちうわけや。ここだと立ち留まって、左翼右翼の耳をはすに切って、息をらす。「貧乏教師の癖に生意気やおまへんか」と例の金切かなきごえを振り立てるちうわけや。「うん、生意気な奴だ、ちとらしめのためにいじめてやろうわ。あの学校にゃ国のものもおるからな」「どなたはんがいるの?」「津木つきピンすけ福地ふくちキシャゴがおるから、頼んでからかわしてやろうわ」吾輩は金田君の生国しょうごくは分らんが、妙な名前の人間ばかりそろった所だと少々驚いたちうわけや。金田君はなお語をついで、「あいつは毛唐のセリフの教師かいちうわけや」と聞く。「はあ、車屋の神はんの話では毛唐のセリフのリードルか何ぞ専門に教えるんだって云いますわ」「どうせろくな教師やあるめえ」あるめえにもすくなからず感心したちうわけや。「この間ピン助にったら、わいわいの学校にゃ妙な奴がおるんや。生徒から先生番茶は毛唐のセリフで何と云いますわと聞かれて、番茶は Savage tea であると真面目に答えたんで、教員間の物笑いとなっていますわ、どうもあないな教員があるから、ほかのものの、迷惑になって困るんやと云ったが、大方おおかたあいつの事だぜ」「あいつにきまっていまさあ、そないな事を云いそうな面構つらがまえや、いやにひげなんかやして」「しからん奴や」髭を生やして怪しからなければ猫やらなんやらは一疋だって怪しかりようがないちうわけや。「それにあの迷亭とか、へべれけとか云う奴は、まあ何てえ、頓狂な跳返はねっかえりなんでっしゃろ、伯父の牧山男爵だなんて、あないな顔に男爵の伯父なんざ、有るはずがないと思ったんやもの」「御前がどこの馬の骨だか分らんものの言う事をに受けるのも悪いちうわけや」「悪いって、あんまり人を馬鹿にし過ぎるやおまへんか」とエライ残念そうであるちうわけや。不思議な事には寒月君の事は一言半句いちごんはんくも出ないちうわけや。吾輩の忍んで来る前に評判記はすんだものか、またはすでに落第と事がきまって念頭にないものか、そのへん懸念けねんもあるが仕方がないちうわけや。ちーとの間たたずんでいると廊下を隔てて向うの座敷でベルの音がするちうわけや。そらあすこにも何ぞ事があるちうわけや。おくれぬ先に、とその方角へ歩を向けるちうわけや。

来て見ると女がひとりで何ぞ大声で話しとる。その声が鼻子とよく似とるトコをもってすと、これが即ち当家の令嬢寒月君をして未遂入水みすいじゅすいをあえてせしめたる代物しろものやろうわ。惜哉おしいかな障子越しで玉の御姿おんすがたを拝する事が出来ないちうわけや。従って顔の真中に大きな鼻を祭り込んでおるか、どやか受合えへん。せやけどダンさん談話の模様から鼻息の荒いトコやらなんやらを綜合そうごうして考えて見ると、満更まんざら人の用心をかぬ獅鼻ししばなとも思われへん。女はしきりに喋舌しゃべっとるが相手の声がちびっとも聞えへんのは、うわさにきく電話ちうものであろうわ。「御前は大和やまとかいちうわけや。明日あしたね、行くんやからね、うずらの三を取っておいておくれ、ええかえ⸺分ったかい⸺なに分りまへん? おやいやや。鶉の三を取るんだよ。⸺なんだって、⸺取れへん? 取れへんはずはない、とるんだよ⸺へへへへへ御冗談ごじょうだんをだって⸺何が御冗談なんだよ⸺いやに人をおひゃらかすよ。全体御前はどなたはんだいちうわけや。長吉ちょうきちだ? 長吉なんぞや訳が分りまへん。お神はんに電話口へ出ろって御云いな⸺なに? わいわたくしで何でも弁じまんねん?⸺お前は失敬だよ。あたしをどなたはんだか知ってるのかいちうわけや。金田だよ。⸺へへへへへ善く存じておるんやだって。ホンマに馬鹿だよこの人あ。⸺金田だってえばさ。⸺なに?⸺毎度御贔屓ごひいきにあずかりましてありがとうおます?⸺何がありがたいんやね。御礼なんか聞きたかあないやね⸺おやまた笑ってるよ。お前はよっぽど愚物ぐぶつやね。⸺仰せの通りだって?⸺あんまり人を馬鹿にすると電話を切ってしまうよ。ええのかいちうわけや。困りまへんのかよ⸺黙ってちゃ分りまへんやないか、何とか御云いなさいな」電話は長吉の方から切ったものか何の返事もないらしいちうわけや。令嬢は癇癪かんしゃくを起してやけにベルをジャラジャラと廻す。足元でちんが驚ろいて急に吠え出す。これは迂濶うかつに出来ないと、急に飛び下りてえんの下へもぐり込む。

折柄おりから廊下をちかづく足音がして障子を開ける音がするちうわけや。どなたはんか攻めて来よったなと一生懸命に聞いとると「御嬢様、旦那様と奥様が呼んでいらっしゃいますわ」と小間使らしい声がするちうわけや。「知りまへんよ」と令嬢は剣突けんつくを食わせるちうわけや。「ちーとばかし用があるからじょうを呼んで来いとおっしゃおったんや」「うるさいね、知りまへんてば」と令嬢は第二の剣突を食わせるちうわけや。「……水島寒月はんの事で御用があるんだそうでおます」と小間使は気をかして機嫌を直そうとするちうわけや。「寒月でも、水月でも知りまへんんだよ⸺大嫌いだわ、糸瓜へちま戸迷とまどいをしたような顔をして」第三の剣突は、憐れなる寒月君が、留守中に頂戴するちうわけや。「おや御前いつ束髪そくはつったの」小間使はほっと一息ついて「今日こんにち」となるべく単簡たんかんな挨拶をするちうわけや。「生意気だねえ、小間使の癖に」と第四の剣突を別方面から食わす。「そうして新しい半襟はんえりを掛けたやないか」「へえ、せんだって御嬢様からもろたので、結構過ぎて勿体もったいないと思って行李こうりの中へしまっておいたんやが、本日この時までのがあまりよごれたんやからかけえたんや」「いつ、そないなものを上げた事があるの」「この御正月、白木屋へいらっしゃいまして、御求め遊ばしたさかい⸺鶯茶うぐいすちゃ相撲すもう番附ばんづけを染め出したさかいおます。あたしには地味過ぎていややから御前に上げようとおっしゃった、あれでおます」「あらいやや。善く似合うのね。にくらしいわ」「恐れ入るんや」「めたんやないちうわけや。にくらしいんだよ」「へえ」「そないなによく似合うものをなんでやねんだまって貰ったんだいちうわけや」「へえ」「御前にさえ、そのくらい似合うなら、あたしにだっておかしい事あないやろうやないか」「きっとよく御似合い遊ばしまんねん」「似あうのが分ってる癖になんでやねん黙っとるんだいちうわけや。そうしてすまして掛けとるんだよ、人の悪いちうわけや」剣突けんつくは留めどもなく連発されるちうわけや。このさき、事局はどう発展するかと謹聴しとる時、向うの座敷で「富子や、富子や」と大きな声で金田君が令嬢を呼ぶ。令嬢はやむを得ず「はいちうわけや」と電話室を出て行く。吾輩よりちびっと大きなちんが顔の中心に眼と口を引き集めたようなかおをして付いて行く。吾輩は例の忍び足でもっかい勝手から往来へ出て、急いで主人の家に帰るちうわけや。探険はまず十二分の成績せいせきであるちうわけや。

帰って見ると、奇麗なうちから急に汚ない所へ移ったさかい、何だか日当りの善い山の上から薄黒い洞窟どうくつの中へはいり込んだような心持ちがするちうわけや。探険中は、ほかの事に気を奪われて部屋の装飾、ふすま障子しょうじの具合やらなんやらには眼も留らなかったが、わが住居すまいの下等なるを感ずるといっぺんにのなんちうか、ようみなはんいわはるとこの月並つきなみが恋しくなるちうわけや。教師よりもやはり実業家がえらいように思われるちうわけや。吾輩もちびっと変だと思って、例の尻尾しっぽに伺いを立てて見たら、その通りその通りと尻尾の先から御託宣ごたくせんがあったちうわけや。座敷へ這入はいって見ると驚いたのは迷亭先生まだ帰りまへん、巻煙草まきモクの吸い殻を蜂の巣のごとく火鉢の中へ突き立てて、大胡坐おおあぐらで何ぞ話し立てとる。いつのにか寒月君さえ来とる。主人は手枕をして天井の雨洩あまもりを余念もなく眺めとる。あいかわらず太平の逸民の会合であるちうわけや。

「寒月君、君の事を譫語うわごとにまで言った婦人の名は、当時秘密やったようやけど、もう話しても善かろうわ」と迷亭がからかい出す。「御話しをしても、わいだけに関する事なら差支さしつかえへんんやけどアンタ、先方の迷惑になる事やろから」「まだ駄目かいな」「それに○○博士夫人に約束をしてしもたもんやろから」「他言をせんと云う約束かね」「ええ」と寒月君は例のごとく羽織のひもをひねくるちうわけや。その紐は売品にあるまじき紫色であるちうわけや。「その紐の色は、ちと天保調てんぽうちょうだな」と主人が寝ながら云うわ。主人は金田事件やらなんやらには無頓着であるちうわけや。「そうさ、到底とうてい日露戦争時代のものではおまへんな。陣笠じんがさ立葵たちあおいの紋の付いたぶっき羽織でも着なくっちゃ納まりの付かない紐や。織田信長が聟入むこいりをするっちうとき頭の髪を茶筌ちゃせんったと云うがその節用いたのは、たしかそないな紐だよ」と迷亭の文句はあいかわらず長いちうわけや。「実際これはじじいが長州征伐の時に用いたちうワケや」と寒月君は真面目であるちうわけや。「もうええ加減に博物館へでも献納してはどや。首縊りの力学の演者、理学士水島寒月君ともあろうものが、売れ残りの旗本のようなたちをするのはちと体面に関する訳やから」「御忠告の通りに致してもええのやが、この紐がエライよく似合うと云ってくれる人もあるんやので⸺」「どなたはんだい、そないな趣味のない事を云うのは」と主人は寝返りを打ちながら大きな声を出す。「それは御存じの方なんやないんで⸺」「御存じでなくてもええや、一体どなたはんだいちうわけや」「去る女性にょしょうなんや」「ハハハハハよほど茶人だなあ、当てて見ようか、やはり隅田川の底から君の名を呼んだ女なんやろう、その羽織を着てもう一返御駄仏おだぶつめ込んやどやいちうわけや」と迷亭が横合から飛び出す。「へへへへへもう水底から呼んではおりまへん。ここからいぬいの方角にあたる清浄しょうじょうな世界で……」「あんまり清浄でもなさそうだ、毒々しい鼻だぜ」「へえ?」と寒月は不審な顔をするちうわけや。「向う横丁の鼻がさっき押しかけて攻めて来よったんだよ、ここへ、実に僕等二人は驚いたよ、ねえ苦沙弥君」「うむ」と主人は寝ながら茶を飲む。「鼻ってどなたはんの事や」「君の親愛なる久遠くおん女性にょしょうの御母堂様や」「へえー」「金田のさいちう女が君の事を聞きに攻めて来よったよ」と主人が真面目に説明してやるちうわけや。驚くか、嬉しがるか、恥ずかしがるかと寒月君の様子をうかがって見ると別段の事もないちうわけや。例の通り静かな調子で「どうかわいに、あの娘を貰ってくれと云う依頼なんでっしゃろ」と、また紫の紐をひねくるちうわけや。「トコロが大違さ。その御母堂なるものが偉大なる鼻の所有ぬしでね……」迷亭がなかば言い懸けると、主人が「おい君、僕はさっきから、あの鼻について俳体詩はいたいしを考えとるんやけどね」と木に竹をいだような事を云うわ。隣のへやで妻君がくすくす笑い出す。「随分君も呑気のんきだなあ出攻めて来よったのかいちうわけや」「ちびっと出攻めて来よった。第一句がこの顔に鼻祭りと云うのや」「ほんで?」「次がこの鼻に神酒供えちうのさ」「次の句は?」「まだそれぎりしか出来ておらん」「おもろいやな」と寒月君がにやにや笑うわ。「次へ穴二つ幽かなりと付けちゃどや」と迷亭はすぐ出来るちうわけや。すると寒月が「奥深く毛も見えずはいけまんねんまいか」と各々おのおの出鱈目でたらめを並べとると、垣根に近く、往来で「今戸焼いまどやきたぬき今戸焼の狸」と四五人わいわい云う声がするちうわけや。主人も迷亭もちーとばかし驚ろいて表の方を、垣のすきからすかして見ると「ワハハハハハ」と笑う声がして遠くへ散る足の音がするちうわけや。「今戸焼の狸ちうな何だいちうわけや」と迷亭が不思議そうに主人に聞く。「何だか分らん」と主人が答えるちうわけや。「なかなかふるっていますわな」と寒月君が批評を加えるちうわけや。迷亭は何を思い出したか急に立ち上って「吾輩は年来美学上の見地からこの鼻について研究した事がおますから、その一斑いっぱん披瀝ひれきして、御両君の清聴をわずらわしたいと思うで」と演舌の真似をやるちうわけや。主人はあまりの突然にぼんやりして無言のまんま迷亭を見とる。寒月は「是非うけたまわりたいものや」と小声で云うわ。「いろいろ調べて見たんやが鼻の起源はどうもしかと分りまへん。第一の不審は、もしこれを実用上の道具と仮定すれば穴が二つでようけであるちうわけや。なあんもこないなに横風おうふうに真中から突き出して見る必用がないのであるちうわけや。トコロがどうしてだんだん御覧のごとく斯様かようにせり出して参ったか」とオノレの鼻をつまんで見せるちうわけや。「あんまりせり出してもおらんやないか」と主人は御世辞のないトコを云うわ。「とにかく引っ込んではおりまへんからな。ただ二個のあなならんでいる状体と混同なすっては、誤解を生ずるに至るかも計られまへんから、あらかじめ御用心をしておきまんねん。⸺で愚見によるんやと鼻の発達は吾々人間が鼻汁はなをかむと申す微細なる行為の結果が自然と蓄積してかく著明なる現象を呈出したものでおます」「いつわりのない愚見や」とまた主人が寸評をソーニュー(うひひひ…おっとカンニンや)そうにゅうするちうわけや。「御承知の通り鼻汁はなをかむ時は、是非鼻を抓みまんねん、鼻を抓んで、ことにこの局部だけに刺激を与えまんねんと、進化論の大原則によって、この局部はこの刺激に応ずるがため他に比例して不相当な発達を致しまんねん。皮も自然堅くなるんや、肉も次第にかたくなるんや。ついにって骨となるんや」「それはちびっと⸺そう自由に肉が骨に一足飛に変身は出来まんねんまいちうわけや」と理学士だけあって寒月君が抗議を申し込む。迷亭は何喰わぬ顔でべ続けるちうわけや。「いや御不審はごもっともやけどアンタ論より証拠この通り骨があるから仕方がおまへん。すでに骨が出来るちうわけや。骨は出来ても鼻汁はなは出まんねんな。出ればかまんとはいられまへん。この作用で骨の左翼右翼がけずり取られて細い高い隆起と変身して参るんや⸺実に恐ろしい作用や。点滴てんてきの石を穿うがつがごとく、賓頭顱びんずるの頭がおのずから光明を放つがごとく、不思議薫ふしぎくん不思議臭ふしぎしゅうたとえのごとく、斯様かように鼻筋が通って堅くなるんや」[*「なるんや」」は底本では「なるんや。」]「それでも君のなんぞ、ぶくぶくだぜ」「演者自身の局部は回護かいごの恐れがあるんやから、わざと論じまへん。かの金田の御母堂の持たせらるる鼻のごときは、もっとも発達せるもっとも偉大なる天下の珍品として御両君に紹介しておきたいと思うで」寒月君は思わずヒヤヤヤと云うわ。「せやけどダンさん物も極度に達すやろ、ほしたら偉観には相違ございまへんが何となくおそろしくて近づき難いものであるんや。あの鼻梁びりょうやらなんやらは素晴しいには違いございまへんが、少々峻嶮しゅんけん過ぎるかと思われまんねん。古人のうちにてもソクラチス、ゴールドスミスもしくはサッカレーの鼻やらなんやらは構造の上から云うと随分申し分はございまひょがその申し分のあるトコに愛嬌あいきょうがおます。鼻高きが故にたっとからず、なるがために貴しとはこの故でもございまひょか。下世話げせわにも鼻より団子と申しまんねんれば美的価値から申すやろ、ほしたらまず迷亭くらいのトコロが適当かと存じまんねん」寒月と主人は「フフフフ」と笑い出す。迷亭自身も愉快そうに笑うわ。「さてただいままで弁じたんやのは⸺」「先生弁じたんやはちびっと講釈師のようで下品やろから、よしていただきまひょ」と寒月君は先日の復讐ふくしゅうをやるちうわけや。「さようしからば顔を洗って出直しまひょかな。⸺ええ⸺これから鼻と顔の権衡けんこう一言いちごん論及したいと思うで。他に関係なく単独に鼻論をやるんやと、かの御母堂やらなんやらはどこへ出しても恥ずかしからぬ鼻⸺鞍馬山くらまやまで展覧会があってもワイが思うには一等賞やろうと思われるくらいな鼻を所有していらせられまっけど、悲しいかいなれは眼、口、その他の諸先生と何等の相談もなく出来上った鼻であるんや。ジュリアス・シーザーの鼻は大したものに相違ございまへん。せやけどダンさんシーザーの鼻をはさみでちょん切って、当家の猫の顔へ安置したらどないな者でございまひょか。たとえにも猫のひたいと云うくらいな地面へ、英雄の鼻柱が突兀とっこつとしてそびえたら、碁盤の上へ奈良の大仏をえ付けたようなもので、ちびっとく比例を失するの極、その美的価値を落す事やろうと思うで。御母堂の鼻はシーザーのそれのごとく、まさしく英姿颯爽えいしさっそうたる隆起に相違ございまへん。せやけどダンさんその周囲を囲繞いにょうする顔面的条件は如何いかがな者でありまひょ。無論当家の猫のごとく劣等ではおまへん。せやけどダンさん癲癇病てんかんやみの御かめのごとくまゆの根に八字を刻んで、細い眼を釣るし上げらるるのは事実であるんや。諸君、この顔にしてこの鼻ありと嘆ぜざるを得んではおまへんか」迷亭の言葉がちびっと途切れる途端とたん、裏の方で「まだ鼻の話しをしとるんだよ。何てえ剛突ごうつばりやろうわ」と云う声が聞えるちうわけや。「車屋の神はんや」と主人が迷亭に教えてやるちうわけや。迷亭はまたやり初めるちうわけや。「計らざる裏手にあたって、新たに異性の傍聴者のある事を発見したのは演者の深く名誉と思うトコであるんや。ことに宛転えんてんたる嬌音きょうおんをもって、乾燥なる講筵こうえんに一点の艶味えんみを添えられたのは実に望外の幸福であるんや。なるべく通俗的に引き直して佳人淑女かじんしゅくじょ眷顧けんこそむかざらん事を期する訳であるんやが、これからは少々力学上の問題に立ち入るさかいに、いきおい御婦人方には御分りにくいかも知れまへん、どうか御辛防ごしんぼうを願いますわ」寒月君は力学と云う語を聞いてまたにやにやするちうわけや。「わいの証拠立てようとするのは、この鼻とこの顔は到底調和せん。ツァイシングの黄金律を失しとると云う事なんで、それを厳格に力学上の公式から演繹えんえきして御覧に入れようと云うのであるんや。まずHを鼻の高さとしまんねん。αは鼻と顔の平面の交叉より生ずる角度であるんや。Wは無論鼻の重量と御承知くれへんかの。どうや大抵お分りになったんやか。……」「分るものか」と主人が云うわ。「寒月君はどやいちうわけや」「わいにもちと分りかねまんねんな」「そりゃ困ったな。苦沙弥くしゃみはとにかく、君は理学士やから分るやろうと思ったのに。この式が演説の首脳なんやからこれを略しては本日この時までやった甲斐かいがないのやけど⸺まあ仕方がないちうわけや。公式は略して結論だけ話そうわ」「結論があるか」と主人が不思議そうに聞く。「当り前さ結論のない演舌は、デザートのない西洋料理のようなものだ、⸺ええか両君く聞き給え、これからが結論だぜ。⸺さて以上の公式にウィルヒョウ、ワイスマン諸家の説を参酌して考えて見まんねんと、先天的形体の遺伝は無論の事許さねばなりまへん。またこの形体に追陪ついばいして起る心意的状況は、たとい後天性は遺伝するものにあらずとの有力なる説あるにも関せず、ある程度までは必然の結果と認めねばなりまへん。従ってかくのごとく身分に不似合なる鼻の持主の生んだ子には、その鼻にも何ぞ異状がある事と察せられまんねん。寒月君やらなんやらは、まだ年が御若いから金田令嬢の鼻の構造において特別の異状を認められんかも知れまへんが、かかる遺伝は潜伏期の長いものであるんやから、いつ何時なんどき気候の劇変と共に、急に発達して御母堂のそれのごとく、咄嗟とっさかん膨脹ぼうちょうするかも知れまへん、それ故にこの御婚儀は、迷亭の学理的論証によるんやと、今の中御断念になりよった方が安全かと思われまんねん、これには当家の御主人は無論の事、そこに寝ておらるる猫又殿ねこまたどのにも御異存は無かろうと存じまんねん」主人はようよう起き返って「そりゃ無論さ。あないなものの娘をどなたはんが貰うものか。寒月君もらっちゃいかんよ」とエライ熱心に主張するちうわけや。吾輩もいささか賛成の意を表するためににゃーにゃーと二声ばかり鳴いて見せるちうわけや。寒月君は別段騒いだ様子もなく「先生方の御意向がそうなら、わいは断念してもええんやけどアンタ、もし当人がそれを気にして病気にでもなりよったら罪やろから⸺」「ハハハハハ艶罪えんざいと云うわけや」主人だけはおおいにむきになって「そないな馬鹿があるものか、あいつの娘ならろくな者でないにきまってらあ。初めて人のうちへ来ておれをやり込めに掛った奴や。傲慢ごうまんな奴や」とひとりでぷんぷんするちうわけや。するとまた垣根のそばで三四人が「ワハハハハハ」と云う声がするちうわけや。一人が「高慢ちきな唐変木とうへんぼくや」と云うと一人が「もっともっともっともっともっともっともっともっともっと大きなうち這入はいりてえやろうわ」と云うわ。また一人が「御気の毒やけど、なんぼ威張ったって蔭弁慶かげべんけいや」と大きな声をするちうわけや。主人は椽側えんがわへ出て負けへんような声で「やかましい、何だわざわざそないなへいの下へ来て」と怒鳴どなるちうわけや。「ワハハハハハサヴェジ・チーだ、サヴェジ・チーや」と口々にののしるちうわけや。主人はおおい逆鱗げきりんていで突然ってステッキを持って、往来へ飛び出す。迷亭は手をって「おもろい、やれやれ」と云うわ。寒月は羽織の紐をひねってにやにやするちうわけや。吾輩は主人のあとを付けて垣の崩れから往来へ出て見たら、真中に主人が手持無沙汰にステッキを突いて立っとる。人通りは一人もない、ちーとばかしきつねつままれたていであるちうわけや。

例によって金田邸へ忍び込む。

例によってとは今更いまさら解釈する必要もないちうわけや。しばしば自乗じじょうしたほどの度合を示すことばであるちうわけや。いっぺんやった事は二度やりたいもので、二度試みた事は三度試みたいのは人間にのみ限らるる好奇心ではおまへん、猫といえどもこの心理的特権を有してこの世界に生れ出でたものと認定していただかねばならぬ。三度以上繰返す時始めて習慣なる語を冠せられて、この行為が生活上の必要と進化するのもまた人間と相違はないちうわけや。何のために、かくまで足繁あししげく金田邸へ通うのかと不審を起すならその前にちーとばかし人間に反問したい事があるちうわけや。なんでやねん人間は口から煙を吸い込んで鼻から吐き出すのであるか、腹のしにも血の道の薬にもならへんものを、はずかしもなく吐呑とどんしてはばからざる以上は、吾輩が金田に出入しゅつにゅうするのを、あまり大きな声でとがてをして貰いたくないちうわけや。金田邸は吾輩の煙草モクであるちうわけや。

忍び込むと云うと語弊がある、何だか泥棒か間男まおとこのようで聞き苦しいちうわけや。吾輩が金田邸へ行くのは、招待こそ受けへんが、決してかつお切身きりみをちょろまかしたり、眼鼻が顔の中心に痙攣的けいれんてきに密着しとるちん君やらなんやらと密談するためではおまへん。⸺何探偵?⸺もってのほかの事であるちうわけや。およそ世の中に何がいやしい家業かぎょうだと云って探偵と高利貸ほど下等な職はないと思っとる。なるほど寒月君のために猫にあるまじきほどの義侠心ぎきょうしんを起して、いっぺんひとたびは金田家の動静を余所よそながらうかがった事はあるが、それはただの一遍で、その後は決して猫の良心に恥ずるような陋劣ろうれつな振舞を致した事はないちうわけや。⸺そないなら、なんでやねん忍び込むうような胡乱うろんな文字を使用した?⸺さあ、それがすこぶる意味のある事だて。元来吾輩の考によると大空たいくうは万物をおおうため大地は万物をせるために出来とる⸺いかに執拗しつような議論を好む人間でもこの事実を否定する訳には行くまいちうわけや。さてこの大空大地たいくうだいちを製造するために彼等人類はどのくらいの労力をついやしとるかと云うと尺寸せきすんの手伝もしておらぬではおまへんか。オノレが製造しておらぬものをオノレの所有とめる法はなかろうわ。オノレの所有と極めてもつかえへんが他の出入しゅつにゅうを禁ずる理由はあるまいちうわけや。この茫々ぼうぼうたる大地を、小賢こざかしくも垣をめぐらし棒杭ぼうぐいを立てて某々所有地やらなんやらとかくし限るのはあたかもかの蒼天そうてん縄張なわばりして、この部分はわれの天、あの部分はかれの天と届け出るような者や。もし土地を切り刻んで一坪なんぼの所有権を売買するなら我等が呼吸する空気を一尺立方に割って切売をしても善い訳であるちうわけや。空気の切売が出来ず、空の縄張が不当なら地面のわい有も不合理ではおまへんか。如是観にょぜかんによりて、如是法にょぜほうを信じとる吾輩はそれやからどこへでも這入はいって行く。もっとも行きたくない処へは行かぬが、志す方角へは東西南北の差別は入らぬ、平気な顔をして、のそのそと参るちうわけや。金田ごときものに遠慮をする訳がないちうわけや。⸺せやけどダンさん猫の悲しさは力ずくでは到底とうてい人間にはかないまへん。強勢は権利なりとの格言さえあるこの浮世に存在する以上は、いかにこっちに道理があっても猫の議論は通りまへん。無理に通そうとすると車屋の黒のごとく不意に肴屋さかなや天秤棒てんびんぼうくらう恐れがあるちうわけや。理はこっちにあるが権力は向うにあると云う場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、または権力の目をかすめて我理を貫くかと云えば、吾輩は無論後者をえらぶのであるちうわけや。天秤棒は避けざるべからざるが故に、ばざるべからず。人の邸内へは這入り込んで差支さしつかえなき故まざるを得ず。この故に吾輩は金田邸へ忍び込むのであるちうわけや。

忍び込むが重なるにつけ、探偵をする気はないが自然金田君一家の事情が見たくもない吾輩の眼に映じて覚えたくもない吾輩の脳裏のうりに印象をとどむるに至るのはやむを得ないちうわけや。鼻子夫人が顔を洗うたんびに念を入れて鼻だけ拭く事や、富子令嬢が阿倍川餅あべかわもち無暗むやみに召し上がらるる事や、ほんで金田君自身が⸺金田君は妻君に似合わず鼻の低い男であるちうわけや。単に鼻のみではおまへん、顔全体が低いちうわけや。小供の時分喧嘩をして、餓鬼大将がきだいしょうのために頸筋くびすじつらまえられて、うんと精一杯に土塀どべいし付けられた時の顔が四十年後の今日こんにちまで、因果いんがをなしておりはせぬかとあやしまるるくらい平坦な顔であるちうわけや。至極しごく穏かで危険のない顔には相違ないが、何となく変身に乏しいちうわけや。なんぼおこってもたいらかな顔であるちうわけや。⸺その金田君がまぐろ刺身さしみを食ってオノレでオノレの禿頭はげあたまをぴちゃぴちゃたたく事や、ほんで顔が低いばかりでなく背が低いので、無暗に高い帽子と高い下駄を穿く事や、それを車夫がおかしがって書生に話す事や、書生がなるほど君の観察は機敏だと感心する事や、⸺一々数え切れへん。

近頃は勝手口の横を庭へ通り抜けて、築山つきやまの陰から向うを見渡して障子が立て切って物静かであるなと見極めがつくと、徐々そろそろ上り込む。もし人声がにぎやかであるか、座敷から見透みすかさるる恐れがあると思えば池を東へ廻って雪隠せついんの横から知らぬえんの下へ出るちうわけや。悪い事をしたおぼえはないからなあんも隠れる事も、恐れる事もないのやけど、そこが人間と云う無法者に逢っては不運とあきらめるより仕方がないので、もし世間が熊坂長範くまさかちょうはんばかりになりよったらいかなる盛徳の君子もやはり吾輩のような態度に出ずるであろうわ。金田君は堂々たる実業家であるからもとより熊坂長範のように五尺三寸を振り廻す気遣きづかいはあるまいが、うけたまわる処によれば人を人と思わぬ病気があるそうであるちうわけや。人を人と思いまへんくらいなら猫を猫とも思うまいちうわけや。して見れば猫たるものはいかなる盛徳の猫でも彼の邸内で決して油断は出来ぬわけであるちうわけや。せやけどダンさんその油断の出来ぬトコロが吾輩にはちーとばかしおもろいので、吾輩がかくまでに金田家の門を出入しゅつにゅうするのも、ただこの危険がおかして見たいばかりかも知れぬ。それは追ってとくと考えた上、猫の脳裏のうりを残りなく解剖し得た時改めて御吹聴ごふいちょうつかまつろうわ。

今日はどないな模様だなと、例の築山の芝生しばふの上にあごを押しつけて前面を見渡すと十五畳の客間を弥生やよいの春に明け放って、中には金田夫婦と一人の来客との御話おはなし最中さいちゅうであるちうわけや。生憎あいにく鼻子夫人の鼻がこっちを向いて池越しに吾輩の額の上を正面からにらめ付けとる。鼻に睨まれたのは生れて今日が始めてであるちうわけや。金田君は幸い横顔を向けて客と相対しとるから例の平坦な部分は半分かくれて見えぬが、その代り鼻の在所ありかが判然せん。ただ胡麻塩ごましお色の口髯くちひげが好い加減な所から乱雑に茂生もせいしとるので、あの上にあなが二つあるはずだと結論だけは苦もなく出来るちうわけや。春風はるかぜもああ云うなめらかな顔ばかり吹いとったら定めてらくやろうと、ついでながら想像をたくましゅうして見たちうわけや。御客はんは三人のうちで一番普通な容貌ようぼうを有しとる。せやけど普通なだけに、これぞと取り立てて紹介するに足るような雑作ぞうさくは一つもないちうわけや。普通と云うと結構なようやけど、普通のきょく平凡の堂にのぼり、庸俗の室にったのはむしろ憫然びんぜんの至りや。かかる無意味な面構つらがまえを有すべき宿命を帯びて明治の昭代しょうだいに生れて攻めて来よったのはどなたはんやろうわ。例のごとく椽の下まで行ってその談話を承わらなくては分らぬ。

……それでさいがわざわざあの男の所まで出掛けて行って容子ようすを聞いたんやけどね……」と金田君は例のごとく横風おうふうな言葉使であるちうわけや。横風ではあるがごう峻嶮しゅんけんなトコロがないちうわけや。言語も彼の顔面のごとく平板尨大へいばんぼうだいであるちうわけや。

「なるほどあの男が水島はんを教えた事がおますので⸺なるほど、よい御思い付きで⸺なるほど」となるほどずくめのは御客はんであるちうわけや。

「トコロが何だか要領を得んので」

「ええ苦沙弥くしゃみや要領を得ないわけで⸺あの男はわいがいっしょに下宿をしとる時分から実にえ切りまへん⸺そりゃ御困りでおましたろうわ」と御客はんは鼻子夫人の方を向く。

「困るの、困りまへんのってあんさん、わいわたしゃこの年になるまで人のうちへ行って、あないな不取扱ふとりあつかいを受けた事はありゃしまへん」と鼻子は例によって鼻嵐を吹く。

「何ぞ無礼な事でも申したんやか、むかしから頑固がんこな性分で⸺何しろ十年一日のごとくリードル専門の教師をしとるのでも大体御分りになりまひょ」と御客はんはていよく調子を合せとる。

「いや御話しにもならんくらいで、さいが何ぞ聞くとまるで剣もほろろの挨拶だそうで……

「それはしからん訳で⸺一体ちびっと学問をしとるととかく慢心がきざすもので、その上貧乏をすると負け惜しみが出まっしゃろから⸺いえ世の中には随分無法な奴がおるんやよ。オノレの働きのないのにゃ気が付かないで、無暗むやみに財産のあるものに喰って掛るなんてえのが⸺まるで彼等の財産でもき上げたような気分やろから驚きまんねんよ、あははは」と御客はんは大恐悦のていであるちうわけや。

「いや、まことに言語同断ごんごどやんで、ああ云うのは必竟ひっきょう世間見ずの我儘ワガママから起るのやから、ちっとらしめのためにいじめてやるが好かろうと思って、ちびっと当ってやったよ」

「なるほどほなら大分だいぶ答えたんやろう、まるっきし本人のためにもなる事やろから」と御客はんはいかなる当り方うけたまわらぬ先からすでに金田君に同意しとる。

「トコロが鈴木はん、まあなんて頑固な男なんでっしゃろ。学校へ出ても福地ふくちはんや、津木つきはんには口もかないんだそうや。恐れ入って黙っとるのかと思ったらこの間は罪もない、たくの書生をステッキを持って追っ懸けたってんや⸺三十づらさげて、よく、まあ、そないな馬鹿な真似が出攻めて来よったもんやおまへんか、まるっきしやけでちびっと気が変になってるんや」

「へえどうしてまたそないな乱暴な事をやったんで……」とこれには、さすがの御客はんもちびっと不審を起したと見えるちうわけや。

「なあに、ただあの男の前を何とか云って通ったんだそうや、すると、いきなり、ステッキを持って跣足はだしで飛び出して攻めて来よったんだそうや。よしんば、ちっとやそっと、何ぞ云ったって小供やおまへんか、髯面ひげづら大僧おおぞうの癖にしかも教師やおまへんか」

「さよう教師やろからな」と御客はんが云うと、金田君も「教師やからな」と云うわ。教師たる以上はいかなる侮辱を受けても木像のようにおとなしくしておらねばならぬとはこの三人の期せずして一致した論点と見えるちうわけや。

「それに、あの迷亭って男はよっぽどな酔興人すいきょうじんやね。役にも立たないうそ八百を並べ立てて。わいわたしゃあないな変梃へんてこな人にゃ初めて逢おったんやよ」

「ああ迷亭やろか、あいかわらず法螺ほらを吹くと見えまんねんね。やはり苦沙弥の所で御逢いになりよったんやろか。あれに掛っちゃたまりまへん。あれもむかし自炊の仲間やったがあんまり人を馬鹿にするものやからく喧嘩をしたんやよ」

「どなたはんだって怒りまさあね、あないなや。そりゃ嘘をつくのもうござんしょうさ、ね、義理が悪るいとか、ばつを合せなくっちゃあならへんとか⸺そないな時にはどなたはんしも心にない事を云うもんでさあ。せやけどダンさんあの男のはかなくってすむのに矢鱈やたらに吐くんやから始末にえへんやおまへんか。何が欲しくって、あないな出鱈目でたらめを⸺よくまあ、しらじらしく云えると思うでよ」

「ごもっともで、まるっきし道楽からくる嘘やから困るんや」

「せっかくあんさん真面目に聞きに行った水島の事も滅茶滅茶めちゃめちゃになってしもたんや。わいわい剛腹ごうはら忌々いまいましくって⸺それでも義理は義理でさあ、人のうちへ物を聞きに行って知らん顔の半兵衛もあんまりやろから、あとで車夫にビールを一ダース持たせてやったんや。トコロがあんさんどうでっしゃろ。こないなものを受取る理由がない、持って帰れって云うんだそうで。いえ御礼やから、どうか御取りくれへんかのって車夫が云ったら⸺くいやあおまへんか、俺はジャムは毎日めるがビールのようなにがい者は飲んだ事がないって、ふいと奥へ這入はいってしもたって⸺言い草に事を欠いて、まあどうでっしゃろ、失礼やおまへんか」

「そりゃ、ひどいちうわけや」と御客はんも今度は本気にひどいと感じたらしいちうわけや。

「ほんで今日わざわざ君を招いたのやけどね」とちーとの間途切れて金田君の声が聞えるちうわけや。「そないな馬鹿者は陰から、からかってさえいればすむようなものの、少々それでも困る事があるやて……」とまぐろの刺身を食う時のごとく禿頭はげあたまをぴちゃぴちゃたたく。もっとも吾輩はえんの下におるから実際叩いたか叩かないか見えようはずがないが、この禿頭の音は近来大分だいぶ聞馴れとる。比丘尼びくにが木魚の音を聞き分けるごとく、椽の下からでも音さえたしかであればすぐ禿頭だなと出所しゅっしょを鑑定する事が出来るちうわけや。「ほんでちーとばかし君をわずらわしたいと思ってな……

「わいに出来まんねん事なら何でも御遠慮なくどうか⸺今度東京勤務と云う事になったんやのもまるっきしいろいろ御心配を掛けた結果にほかならん訳であるんやから」と御客はんは快よく金田君の依頼を承諾するちうわけや。この口調くちょうで見るとこの御客はんはやはり金田君の世話になる人と見えるちうわけや。いやだんだん事件が面白く発展してくるな、今日はあまり天気がいので、来る気もなしに攻めて来よったのであるが、こう云う好材料をようとはまるっきし思いけなんや。御彼岸おひがんにお寺詣てらまいりをして偶然方丈ほうじょう牡丹餅ぼたもちの御馳走になるような者や。金田君はどないな事を客人に依頼するかなと、椽の下から耳を澄して聞いとる。

「あの苦沙弥と云う変物へんぶつが、どう云う訳か水島に智慧ぢえをするので、あの金田の娘を貰ってはかんやらなんやらとほのめかすそうだ⸺なあ鼻子そうだな」

「ほのめかすどころやないんや。あないな奴の娘を貰う馬鹿がどこの国にあるものか、寒月君決して貰っちゃいかんよって云うんや」

「あないな奴とは何だ失敬な、そないな乱暴な事を云ったのか」

「云ったどころやおまへん、ちゃんと車屋の神はんが知らせに来てくれたんや」

「鈴木君どやい、御聞の通りの次第さ、随分厄介やろうが?」

「困るんやね、ほかの事と違って、こう云う事には他人がみだりに容喙ようかいするべきはずの者ではおまへんからな。そのくらいな事はいかな苦沙弥でも心得とるはずやけどアンタ。一体どうした訳なんでっしゃろ」

「それでの、君は学生時代から苦沙弥と同宿をしていて、今はとにかく、昔は親密な間柄やったそうやから御依頼するのやけど、君当人に逢ってな、よく利害をさとして見てくれんか。何ぞおこっとるかも知れんが、怒るのはむこうるいからで、先方がおとなしくしてさえいれば一身上の便宜も充分計ってやるし、気にわるような事もやめてやるちうわけや。せやけどダンさん向が向ならこっちもこっちと云う気になるからな⸺ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要はそないなを張るのは当人の損やからな」

「ええまるっきしおっしゃる通りな抵抗をするのは本人の損になるばかりで何の益もない事やろから、善く申し聞けまひょ」

「ほんで娘はいろいろと申し込もある事やから、必ず水島にやるとめる訳にも行かんが、だんだん聞いて見ると学問も人物も悪くもないようやから、もし当人が勉強して近い内に博士にでもなりよったらせやなかったらもらう事が出来るかも知れんくらいはそれとなくほのめかしても構わん」

「そう云ってやったら当人もはげみになって勉強する事でっしゃろ。よろしゅうおます」

「ほんで、あの妙な事やけど⸺水島にも似合わん事だと思うが、あの変物へんぶつの苦沙弥を先生先生と云って苦沙弥の云う事は大抵聞く様子やから困るちうわけや。なにそりゃなあんも水島に限る訳では無論ないのやから苦沙弥が何と云って邪魔をしようと、わしの方は別に差支さしつかえもせんが……

「水島はんが可哀そうやろからね」と鼻子夫人が口を出す。

「水島と云う人には逢った事もございまへんが、とにかくウチと御縁組が出来れば生涯しょうがいの幸福で、本人は無論異存はないのでっしゃろ」

「ええ水島はんは貰いたがっとるんやけどアンタ、苦沙弥だの迷亭だのって変り者が何だとか、かんだとか云うものやから」

「そりゃ、善くない事で、相当の教育のあるものにも似合わん所作しょさやな。よくわいが苦沙弥の所へ参って談じまひょ」

「ああ、どうか、御難儀でも、一つ願いたいちうわけや。ほんで実は水島の事も苦沙弥が一番くわしいのやけどせんだってさいが行った時は今の始末で碌々ろくろく聞く事も出来なかった訳やから、君から今一応本人の性行学才等をよく聞いて貰いたいて」

「かしこまったんや。今日は土曜やろからこれから廻ったら、もう帰っておりまひょ。近頃はどこに住んでおるんやか知らん」

「ここの前を右翼へ突き当って、左翼へ一丁ばかり行くと崩れかかった黒塀のあるうちや」と鼻子が教えるちうわけや。

「それや、つい近所やな。訳はおまへん。帰りにちーとばかし寄って見まひょ。なあに、大体分りまひょ標札ひょうさつを見れば」

「標札はあるときと、ないときとあるんやよ。名刺を御饌粒ごぜんつぶで門へり付けるのでっしゃろ。雨がふるとがれてしまいまひょ。すると御天気の日にまた貼り付けるちうワケや。やから標札はあてにゃなりまへんよ。あないな難儀臭い事をするよりせめて木札きふだでも懸けたらよさそうなもんやけどアンタねえ。ホンマにどこまでも気の知れへん人や」

「どうも驚きまんねんな。せやけどダンさん崩れた黒塀のうちと聞いたら大概分るでっしゃろ」

「ええあないな汚ないうちは町内に一軒しかないから、すぐ分るんやよ。あ、そうそうそれで分らなければ、好い事があるちうわけや。何でも屋根に草がえたうちを探して行けば間違っこおまへんよ」

「よほど特色のあるいえやなアハハハハ」

鈴木君が御光来になる前に帰りまへんと、ちびっと都合が悪いちうわけや。談話もこれだけ聞けば大丈夫沢山であるちうわけや。えんの下を伝わって雪隠せついんを西へ廻って築山つきやまの陰から往来へ出て、急ぎ足で屋根に草の生えとるうちへ帰って来て何喰わぬ顔をして座敷の椽へ廻るちうわけや。

主人は椽側へ白毛布しろげっとを敷いて、腹這はらばいになってうららかな春日はるび甲羅こうらを干しとる。太陽の光線は存外公平なもので屋根にペンペン草の目標のある陋屋ろうおくでも、金田君の客間のごとく陽気に暖かそうであるが、気の毒な事には毛布けっとだけが春らしくないちうわけや。製造元では白のつもりで織り出して、唐物屋とうぶつやでも白の気で売りさばいたのみならず、主人も白と云う注文で買って攻めて来よったのであるが⸺何しろ十二三年よりどエライ昔の事やから白の時代はとくに通り越してただ今は濃灰色のうかいしょくなる変色の時期に遭遇そうぐうしつつあるちうわけや。この時期を経過して他の暗黒色に化けるまで毛布の命が続くかどやかは、疑問であるちうわけや。今でもすでに万遍なくり切れて、竪横たてよこの筋は明かに読まれるくらいやから、毛布と称するのはもはや僭上せんじょうの沙汰であって、毛の字ははぶいて単にットとでも申すのが適当であるちうわけや。せやけどダンさん主人の考えでは一年持ち、二年持ち、五年持ち十年持った以上は生涯しょうがい持たねばならぬと思っとるらしいちうわけや。随分呑気のんきな事であるちうわけや。さてその因縁いんねんのある毛布けっとの上へぜん申す通り腹這になって何をしとるかと思うと両手で出張ったあごを支えて、右翼手の指の股に巻煙草まきモクを挟んでいるちうわけや。ただそれだけであるちうわけや。もっとも彼がフケだらけの頭のうちには宇宙の大真理が火の車のごとく廻転しつつあるかも知れへんが、外部から拝見したトコでは、そないな事とは夢にも思えへん。

煙草の火はだんだん吸口の方へせまって、一寸いっすんばかり燃え尽した灰の棒がぱたりと毛布の上に落つるのも構わず主人は一生懸命に煙草から立ちのぼる煙の行末を見詰めとる。その煙りは春風に浮きつ沈みつ、流れる輪を幾重いくえにも描いて、紫深き細君の洗髪あらいがみの根本へ吹き寄せつつあるちうわけや。⸺おや、細君の事を話しておくはずやった。忘れとった。

細君は主人にしりを向けて⸺なに失礼な細君だ? 別に失礼な事はないさ。礼も非礼も相互の解釈次第でどうでもなる事や。主人は平気で細君の尻のトコへ頬杖ほおづえを突き、細君は平気で主人の顔の先へ荘厳そうごんなる尻をえたまでの事で無礼も糸瓜へちまもないのであるちうわけや。御両人は結婚後一ヵ年も立たぬに礼儀作法やらなんやらと窮屈な境遇を脱却せられた超然的夫婦であるちうわけや。⸺さてかくのごとく主人に尻を向けた細君はどう云う了見りょうけんか、今日の天気に乗じて、尺に余る緑の黒髪を、麩海苔ふのりと生卵でゴシゴシ洗濯せられた者と見えて癖のない奴を、見よがしに肩から背へ振りかけて、無言のまんま小供の袖なしを熱心に縫っとる。実はその洗髪を乾かすために唐縮緬とうちりめん布団ふとんと針箱を椽側えんがわへ出して、うやうやしく主人に尻を向けたさかいあるちうわけや。せやなかったら主人の方で尻のある見当けんとうへ顔を持って攻めて来よったのかも知れへん。ほんで先刻御話しをした煙草モクの煙りが、豊かになびく黒髪の間に流れ流れて、時ならぬ陽炎かげろうの燃えるトコを主人は余念もなく眺めとる。せやけどダンさんながら煙はもとより一所いっしょとどまるものではおまへん、その性質として上へ上へと立ち登るのやから主人の眼もこの煙りの髪毛かみげもつれ合う奇観を落ちなく見ようとするやろ、ほしたら、是非共眼を動かさなければならへん。主人はまず腰の辺から観察を始めて徐々じょじょと背中をつたって、肩から頸筋くびすじに掛ったが、それを通り過ぎてようよう脳天に達した時、覚えずあっと驚いたちうわけや。⸺主人が偕老同穴かいろうどうけつちぎった夫人の脳天の真中には真丸まんまるな大きな禿はげがあるちうわけや。しかもその禿が暖かい日光を反射して、今や時を得顔に輝いとる。思わざるへんにこの不思議な大発見をなした時の主人の眼はまばゆい中に充分の驚きを示して、烈しい光線で瞳孔どうこうの開くのも構わず一心不乱に見つめとる。主人がこの禿を見た時、第一彼の脳裏のうりに浮んだのはかのいえ伝来の仏壇に幾世となく飾り付けられたる御灯明皿おとうみょうざらであるちうわけや。彼の一家いっけは真宗で、真宗では仏壇に身分不相応な金を掛けるのが古例であるちうわけや。主人は幼少の時その家の倉の中に、薄暗く飾り付けられたる金箔きんぱく厚き厨子ずしがあって、その厨子の中にはいつでも真鍮しんちゅうの灯明皿がぶら下って、その灯明皿には昼でもぼんやりしたがついとった事を記憶しとる。周囲が暗い中にこの灯明皿が比較的明瞭に輝やいとったので小供心にこの灯を何遍となく見た時の印象が細君の禿にび起されて突然飛び出したものであろうわ。灯明皿は一分立たぬに消えたちうわけや。このたび観音様かんのんさまの鳩の事を思い出す。観音様の鳩と細君の禿とは何等の関係もないようであるが、主人の頭では二つの間に密接な聯想があるちうわけや。同じく小供の時分に浅草へ行くと必ず鳩に豆を買ってやったちうわけや。豆は一皿が文久ぶんきゅう二つで、赤い土器かわらけ這入はいっとった。その土器かわらけが、色と云いおおきさと云いこの禿によく似とる。

「なるほど似とるな」と主人が、さも感心したらしく云うと「何がや」と細君は見向きもせん。

「何だって、御前の頭にゃ大きな禿があるぜ。知ってるか」

「ええ」と細君は依然として仕事の手をやめんと答えるちうわけや。別段露見を恐れた様子もないちうわけや。超然たる模範妻君であるちうわけや。

「嫁にくるときからあるのか、結婚後新たに出攻めて来よったのか」と主人が聞く。もし嫁にくる前から禿げとるならだまされたさかいあると口へは出さないが心のうちで思うわ。

「いつ出攻めて来よったんだか覚えちゃいまへんわ、禿なんざどやっていやおまへんか」とおおいに悟ったものであるちうわけや。

「どやって宜いって、オノレの頭やないか」と主人は少々怒気を帯びとる。

「オノレの頭やから、どやっていんだわ」と云ったが、さすがちびっとは気になると見えて、右翼の手を頭に乗せて、くるくる禿をでて見るちうわけや。「おや大分だいぶ大きくなりよった事、こないなや無いと思っとった」と言ったトコをもって見ると、年に合わして禿があまり大き過ぎると云う事をようやっと自覚したらしいちうわけや。

「女はまげうと、ここが釣れまっしゃろからどなたはんでも禿げるんやわ」とちびっとく弁護しだす。

「そないな速度で、みんな禿げたら、四十くらいになれば、から薬缶やかんばかり出来なければならん。そりゃ病気に違おらへん。伝染するかも知れん、今のうち早く甘木はんに見て貰え」と主人はしきりにオノレの頭をで廻して見るちうわけや。

「そないなに人の事をおっしゃるが、あんさんだって鼻のあな白髪しらがえてるやおまへんか。禿が伝染するなら白髪だって伝染しまんねんわ」と細君少々ぷりぷりするちうわけや。

「鼻の中の白髪は見えんから害はないが、脳天が⸺ことに若い女の脳天がそないなに禿げちゃ見苦しいちうわけや。不具かたわや」

不具かたわなら、なんでやねん御貰いになりよったのや。御オノレが好きで貰っておいて不具だなんて……

「知らなかったからさ。まるっきし今日きょうまで知らなかったんや。そないなに威張るなら、なんでやねん嫁に来る時頭を見せなかったんや」

「馬鹿な事を! どこの国に頭の試験をして及第したら嫁にくるなんて、ものが在るもんやろか」

「禿はまあ我慢もするが、御前はいが人並はずれて低いちうわけや。はなはだ見苦しくていかん」

「背いは見ればすぐ分るやおまへんか、せいの低いのは最初から承知で御貰いになりよったんやおまへんか」

「それは承知さ、承知には相違ないがまだ延びるかと思ったから貰ったのさ」

廿はたちにもなっていが延びるなんて⸺あんさんもよっぽど人を馬鹿になさるのね」と細君はそでなしをほうり出して主人の方にじ向く。返答次第ではその分にはすまはんと云う権幕けんまくであるちうわけや。

廿はたちになりよったって背いが延びてならんと云う法はあるまいちうわけや。嫁に来てから滋養分でも食わしたら、ちびっとは延びる見込みがあると思ったんや」と真面目な顔をして妙な理窟りくつを述べとると門口かどぐちのベルがいきおいよく鳴り立てて頼むと云う大きな声がするちうわけや。いよいよ鈴木君がペンペン草を目的めあて苦沙弥くしゃみ先生の臥竜窟がりょうくつを尋ねあてたと見えるちうわけや。

細君は喧嘩を後日に譲って、倉皇そうこう針箱と袖なしをかかえて茶の間へ逃げ込む。主人は鼠色の毛布けっとを丸めて書斎へ投げ込む。やがて下女が持って攻めて来よった名刺を見て、主人はちーとばかし驚ろいたような顔付やったが、ウチへ御通し申してと言い棄てて、名刺を握ったまんま後架こうか這入はいったちうわけや。何のために後架へ急に這入ったか一向要領を得ん、何のために鈴木藤十郎すずきとうじゅうろう君の名刺を後架まで持って行ったのかなおさら説明に苦しむ。とにかく迷惑なのは臭い所へ随行を命ぜられた名刺君であるちうわけや。

下女が更紗さらさの座布団をとこの前へ直して、どうぞこれへと引き下がった、あとで、鈴木君は一応室内を見廻わす。床に掛けた花開はなひらく万国春ばんこくのはるとある木菴もくあん贋物にせものや、京製の安青磁やすせいじけた彼岸桜ひがんざくらやらなんやらを一々順番に点検したあとで、ふと下女の勧めた布団の上を見るといつのにか一ぴきの猫がすまして坐っとる。申すまでもなくそれはかく申す吾輩であるちうわけや。この時鈴木君の胸のうちにちーとばかしの間顔色にも出ぬほどの風波が起ったちうわけや。この布団は疑いもなく鈴木君のために敷かれたものであるちうわけや。オノレのために敷かれた布団の上にオノレが乗らぬ先から、断りもなく妙な動物が平然と蹲踞そんきょしとる。これが鈴木君の心の平均を破る第一の条件であるちうわけや。もしこの布団が勧められたまんま、ぬしなくして春風の吹くに任せてあったなら、鈴木君はわざと謙遜けんそんの意をひょうして、主人がさあどうぞと云うまでは堅い畳の上で我慢しとったかも知れへん。せやけどダンさん早晩オノレの所有すべき布団の上に挨拶もなく乗ったものはどなたはんであろうわ。人間なら譲る事もあろうが猫とはしからん。乗り手が猫であると云うのが一段と不愉快を感ぜしめるちうわけや。これが鈴木君の心の平均を破る第二の条件であるちうわけや。ケツにその猫の態度がもっともしゃくに障るちうわけや。ちびっとは気の毒そうにでもしとる事か、乗る権利もない布団の上に、傲然ごうぜんと構えて、丸い無愛嬌ぶあいきょうな眼をぱちつかせて、御前はどなたはんだいと云わぬばかりに鈴木君の顔を見つめとる。これが平均をカンペキに破壊する第三の条件であるちうわけや。これほど不平があるなら、吾輩の頸根くびねっこをとらえて引きずり卸したらさそうなものやけど、鈴木君はだまって見とる。堂々たる人間が猫に恐れて手出しをせぬと云う事は有ろうはずがないのに、なんでやねん早く吾輩を処分してオノレの不平をらさないかと云うと、これはまるっきし鈴木君が一個の人間として自己の体面を維持する自重心の故であると察せらるるちうわけや。もし腕力に訴えたなら三尺の童子も吾輩を自由に上下し得るであろうが、体面を重んずる点より考えるといかに金田君の股肱ここうたる鈴木藤十郎その人もこの二尺四方の真中に鎮座ましまんねん猫大明神を如何いかんともする事が出来ぬのであるちうわけや。いかに人の見ていぬ場所でも、猫と座席争いをしたとあってはいささか人間の威厳に関するちうわけや。真面目に猫を相手にして曲直きょくちょくを争うのはいかにも大人気おとなげないちうわけや。滑稽であるちうわけや。この不名誉を避けるためには多少の不便は忍ばねばならぬ。せやけどダンさん忍ばねばならぬだけそれだけ猫に対する憎悪ぞうおの念は増す訳であるから、鈴木君は時々吾輩の顔を見てはにがい顔をするちうわけや。吾輩は鈴木君の不平な顔を拝見するのがおもろいから滑稽の念をおさえてなるべく何喰わぬ顔をしとる。

吾輩と鈴木君の間に、かくのごとき無言劇が行われつつある間に主人は衣紋えもんをつくろって後架こうかから出て来て「やあ」と席に着いたが、手に持っとった名刺の影さえ見えぬトコをもって見ると、鈴木藤十郎君の名前は臭い所へ無期徒刑に処せられたものと見えるちうわけや。名刺こそ飛んだ厄運やくうんに際会したものだと思うもなく、主人はこの野郎と吾輩のえりがみをつかんでえいとばかりに椽側えんがわたたきつけたちうわけや。

「さあ敷きたまえ。珍らしいな。いつ東京へ出て攻めて来よった」と主人は旧友に向って布団を勧めるちうわけや。鈴木君はちーとばかしこれを裏返した上で、それへ坐るちうわけや。

「ついまだ忙がしいものやから報知もしなかったが、実はこの間から東京の本社の方へ帰るようになってね……

「それは結構だ、大分だいぶ長く逢わなかったな。君が田舎いなかへ行ってから、始めてやないか」

「うん、もう十年近くになるね。なにその後時々東京へは出て来る事もあるんやけど、つい用事が多いもんやから、いつでも失敬するような訳さ。るく思ってくれたもうな。会社の方は君の職業とは違って随分忙がしいんやから」

「十年立つうちには大分ちゃうもんだな」と主人は鈴木君を見上げたり見下ろしたりしとる。鈴木君は頭を美麗きれいに分けて、英国仕立のトウィードを着て、派手な襟飾えりかざりをして、胸に金鎖りさえピカつかせとる体裁、どうしても苦沙弥くしゃみ君の旧友とは思えへん。

「うん、こないな物までぶら下げなくちゃ、ならんようになってね」と鈴木君はしきりに金鎖りを気にして見せるちうわけや。

「そりゃ本ものかいちうわけや」と主人は無作法ぶさほうな質問をかけるちうわけや。

「十八金だよ」と鈴木君は笑いながら答えたが「君も大分年を取ったね。たしか小供があるはずやったが一人かいちうわけや」

「ええや」

「二人?」

「ええや」

「まだあるのか、や三人か」

「うん三人あるちうわけや。この先幾人いくにん出来るか分らん」

「相変らず気楽な事を云ってるぜ。一番大きいのはいくつになるかね、もうよっぽどやろうわ」

「うん、いくつかく知らんが大方おおかた六つか、七つかやろうわ」

「ハハハ教師は呑気のんきでええな。僕も教員にでもなれば善かったちうわけや」

「なって見ろ、三日でいやになるから」

「そうかな、何だか上品で、気楽で、閑暇ひまがあって、すきな勉強が出来て、よさそうやないか。実業家も悪くもないがうちらのうちは駄目や。実業家になるならずっと上にならなくっちゃいかん。下の方になるとやはりつまらん御世辞を振りいたり、好かん猪口ちょこをいただきに出たり随分なもんだよ」

「僕は実業家は学校時代から大嫌や。金さえ取れれば何でもする、昔で云えば素町人すちょうにんやからな」と実業家を前にひかえて太平楽を並べるちうわけや。

「まさか⸺そうばかりも云えんがね、ちびっとは下品なトコもあるのさ、とにかくかね情死しんじゅうをする覚悟でなければやり通せへんから⸺トコロがその金と云う奴が曲者くせもので、⸺今もある実業家の所へ行って聞いて攻めて来よったんやけど、金を作るにも三角術を使わなくちゃいけへんと云うのさ⸺義理をかく、人情をかく、恥をかくこれで三角になるそうだおもろいやないかアハハハハ」

「どなたはんだそないな馬鹿は」

「馬鹿やない、なかなか利口な男なんだよ、実業界でちーとばかし有名やけどね、君知らんかしら、ついこの先の横丁にいるんやけど」

「金田か? んだあないな奴」

「エライ怒ってるね。なあに、そりゃ、ほんの冗談じょうだんやろうがね、そのくらいにせんと金は溜らんと云うたとえさ。君のようにそう真面目に解釈しちゃ困るちうわけや」

「三角術は冗談でもええが、あすこの女房の鼻はなんや。君行ったんなら見て攻めて来よったろう、あの鼻を」

「細君か、細君はなかなかさばけた人や」

「鼻だよ、大きな鼻の事を云ってるんや。せんだって僕はあの鼻について俳体詩はいたいしを作ったがね」

「何だい俳体詩と云うのは」

「俳体詩を知りまへんのか、君も随分時勢に暗いな」

「ああ僕のように忙がしいと文学やらなんやらは到底とうてい駄目さ。それによりどエライ昔からあまり数奇すきでない方やから」

「君シャーレマンの鼻の恰好かっこうを知ってるか」

「アハハハハ随分気楽だな。知らんよ」

「エルリントンは部下のものから鼻々と異名いみょうをつけられとった。君知ってるか」

「鼻の事ばかり気にして、どうしたんだいちうわけや。好いやないか鼻なんか丸くてもんがってても」

「決してそうでないちうわけや。君パスカルの事を知ってるか」

「また知ってるかか、まるで試験を受けに攻めて来よったようなものや。パスカルがどうしたんだいちうわけや」

「パスカルがこないな事を云っとる」

「どないな事を」

「もしクレオパトラの鼻がちびっと短かかったならば世界の表面にエライ化をきたしたろうと」

「なるほど」

「それやから君のようにそう無雑作むぞうさに鼻を馬鹿にしてはいかん」

「まあええさ、これから大事にするから。そりゃそうとして、今日攻めて来よったのは、ちびっと君に用事があって攻めて来よったんやけどね⸺あのもと君の教えたとか云う、水島⸺ええ水島ええちーとばかし思い出せへん。⸺そら君の所へ始終来ると云うやないか」

寒月かんげつか」

「そうそう寒月寒月。あの人の事についてちーとばかし聞きたい事があって攻めて来よったんやけどね」

「結婚事件やないか」

「まあ多少それに類似の事さ。今日金田へ行ったら……

「この間鼻がオノレで攻めて来よった」

「そうか。そうだって、細君もそう云っとったよ。苦沙弥はんに、よく伺おうと思って上ったら、生憎あいにく迷亭が来ていて茶々を入れて何が何だか分らなくしてしもたって」

「あないな鼻をつけて来るから悪るいや」

「いえ君の事を云うんやないよ。あの迷亭君がおったもんやから、そう立ち入った事を聞く訳にも行かなかったさかい残念やったから、もう一遍僕に行ってよく聞いて来てくれへんかって頼まれたものやからね。僕も本日この時までこないな世話はした事はないが、もし当人同士がやでないなら中へ立ってまとめるのも、決して悪い事はないからね⸺それでやって攻めて来よったのさ」

「御苦労様」と主人は冷淡に答えたが、腹の内では当人同士と云うことばを聞いて、どう云う訳か分らんが、ちーとばかし心を動かしたさかいあるちうわけや。し熱い夏の夜に一縷いちる冷風れいふう袖口そでぐちくぐったような気分になるちうわけや。元来この主人はぶっ切ら棒の、頑固がんこ光沢つや消しをむねとして製造された男であるが、さればと云って冷酷不人情な文明の産物とはおのずからそのせんことにしとる。彼がなんぞと云うと、むかっ腹をたててぷんぷんするのでも這裏しゃりの消息は会得えとくできるちうわけや。先日鼻と喧嘩をしたのは鼻が気に食わぬからで鼻の娘には何の罪もない話しであるちうわけや。実業家は嫌いやから、実業家の片割れなる金田某もきらいに相違ないがこれも娘その人とは没交渉の沙汰と云わねばならぬ。娘には恩もうらみもなくて、寒月はオノレが実の弟よりも愛しとる門下生であるちうわけや。もし鈴木君の云うごとく、当人同志が好いた仲なら、間接にもこれを妨害するのは君子のなすべき所作しょさでないちうわけや。⸺苦沙弥先生はこれでもオノレを君子と思っとる。⸺もし当人同志が好いとるなら⸺せやけどダンさんそれが問題であるちうわけや。この事件に対して自己の態度を改めるには、まずその真相から確めなければならん。

「君その娘は寒月の所へ攻めて来よったがってるのか。金田や鼻はどうでも構わんが、娘自身の意向はどうなんや」

「そりゃ、その⸺何だね⸺何でも⸺え、攻めて来よったがってるんやろうやないか」鈴木君の挨拶は少々曖昧あいまいであるちうわけや。実は寒月君の事だけ聞いて復命さえすればええつもりで、御嬢はんの意向までは確かめて来なかったさかいあるちうわけや。従って円転滑脱かつだつの鈴木君もちーとばかし狼狽ろうばいの気味に見えるちうわけや。

やろうた判然せん言葉や」と主人は何事によらず、正面から、どやし付けへんと気がすまないちうわけや。

「いや、これゃちーとばかし僕の云いようがわるかったちうわけや。令嬢の方でもたしかにがあるんだよ。いえまるっきしだよ⸺え?⸺細君が僕にそう云ったよ。何でも時々は寒月君の悪口を云う事もあるそうやけどね」

「あの娘がか」

「ああ」

しからん奴だ、悪口を云うなんて。第一それや寒月にがないんやないか」

「そこがさ、世の中は妙なもので、オノレの好いとる人の悪口やらなんやらは殊更ことさら云って見る事もあるからね」

「そないなな奴がどこの国にいるものか」と主人は斯様かような人情の機微に立ち入った事を云われてもとんと感じがないちうわけや。

「その愚な奴が随分世の中にゃあるから仕方がないちうわけや。現に金田の妻君もそう解釈しとるのさ。戸惑とまどいをした糸瓜へちまのようだなんて、時々寒月はんの悪口を云おるさかいに、よっぽど心のうちでは思ってるに相違おまへんと」

主人はこの不可思議な解釈を聞いて、あまり思い掛けへんものやから、眼を丸くして、返答もせず、鈴木君の顔を、大道易者だいどうえきしゃのようにじっと見つめとる。鈴木君はこいつ、この様子では、ことによるとやり損なうなとかんづいたと見えて、主人にも判断の出来そうな方面へと話頭を移す。

「君考えても分るやないか、あれだけの財産があってあれだけの器量なら、どこへだって相応のうちへやれるやろうやないか。寒月だってえらいかも知れんが身分から云や⸺いや身分と云っちゃ失礼かも知れへん。⸺財産と云う点から云や、まあ、だれが見たって釣り合わんのやからね。それを僕がわざわざ出張するくらい両親が気をんでるのは本人が寒月君に意があるからの事やあないか」と鈴木君はなかなかうまい理窟をつけて説明を与えるちうわけや。今度は主人にも納得が出攻めて来よったらしいのでようやっと安心したが、こないなトコにまごまごしとるとまた吶喊とっかんを喰う危険があるから、早く話しの歩を進めて、一刻も早く使命をまっとうする方が万全の策と心付いたちうわけや。

「それでね。今云う通りの訳であるから、先方で云うにはなあんも金銭や財産はいらんからその代り当人に附属した資格が欲しい⸺資格と云うと、まあ肩書だね、⸺博士になりよったらやってもええなんて威張ってる次第やない⸺誤解しちゃいかん。せんだって細君の攻めて来よった時は迷亭君がいて妙な事ばかり云うものやから⸺いえ君が悪いのやないちうわけや。細君も君の事を御世辞のない正直なええかただとめとったよ。まるっきし迷亭君がわるかったんやろうわ。⸺それでさ本人が博士にでもなってくれれば先方でも世間へ対して肩身が広い、面目めんぼくがあると云うんやけどね、どやろう、近々きんきんの内水島君は博士論文でも呈出して、博士の学位を受けるような運びには行くまいか。なあに⸺金田だけなら博士も学士もいらんのさ、ただ世間と云う者があるとね、そう手軽にも行かんからな」

こう云われて見ると、先方で博士を請求するのも、あながち無理でもないように思われて来るちうわけや。無理ではおまへんように思われて来れば、鈴木君の依頼通りにしてやりたくなるちうわけや。主人をかすのも殺すのも鈴木君の意のまんまであるちうわけや。なるほど主人は単純で正直な男や。

「それや、今度寒月が攻めて来よったら、博士論文をかくように僕から勧めて見ようわ。せやけどダンさん当人が金田の娘を貰うつもりかどやか、ほんでまず問いただして見なくちゃいかんからな」

「問い正すなんて、君そないな角張かどばった事をして物がまとまるものやないちうわけや。やっぱり普通の談話の際にそれとなく気を引いて見るのが一番近道だよ」

「気を引いて見る?」

「うん、気を引くと云うと語弊があるかも知れん。⸺なに気を引かんでもね。話しをしとると自然分るもんだよ」

「君にゃ分るかも知れんが、僕にゃ判然と聞かん事は分らん」

「分らなけりゃ、まあ好いさ。せやけどダンさん迷亭君見たように余計な茶々を入れてわすのは善くないと思うわ。仮令たとい勧めへんまでも、こないな事は本人の随意にすべきはずのものやからね。今度寒月君が攻めて来よったらなるべくどうか邪魔をせんようにしてくれ給え。⸺いえ君の事やない、あの迷亭君の事さ。あの男の口にかかると到底助かりっこないんやから」と主人の代理に迷亭の悪口をきいとると、うわさをすれば陰のたとえれず迷亭先生例のごとく勝手口から飄然ひょうぜん春風しゅんぷうに乗じて舞い込んで来るちうわけや。

「いやー珍客やね。僕のような狎客こうかくになると苦沙弥くしゃみはとかく粗略にしたがっていかん。何でも苦沙弥のうちへは十年に一遍くらいくるに限るちうわけや。この菓子は毎日毎晩壱年中より上等やないか」と藤村ふじむら羊羹ようかん無雑作むぞうさ頬張ほおばるちうわけや。鈴木君はもじもじしとる。主人はにやにやしとる。迷亭は口をもがもがさしとる。吾輩はこの瞬時の光景を椽側えんがわから拝見して無言劇と云うものは優に成立し得ると思ったちうわけや。禅家ぜんけで無言の問答をやるのが以心伝心であるなら、この無言の芝居も明かに以心伝心の幕であるちうわけや。すこぶる短かいけれどもすこぶる鋭どい幕であるちうわけや。

「君は一生旅烏たびがらすかと思ってたら、いつのにか舞い戻ったね。長生ながいきはしたいもんだな。どないな僥倖ぎょうこうめぐり合わんとも限らんからね」と迷亭は鈴木君に対しても主人に対するごとくごうも遠慮と云う事を知らぬ。いかに自炊の仲間でも十年も逢わなければ、何となく気のおけるものやけど迷亭君に限って、そないな素振そぶりも見えぬのは、えらいのだか馬鹿なのかちーとばかし見当がつかぬ。

「可哀そうに、そないなに馬鹿にしたものでもないちうわけや」と鈴木君は当らずさわらずの返事はしたが、何となく落ちつきかねて、例の金鎖を神経的にいじっとる。

「君電気鉄道へ乗ったか」と主人は突然鈴木君に対して奇問を発するちうわけや。

「今日は諸君からひやかされに攻めて来よったようなものや。なんぼ田舎者だって⸺これでも街鉄がいてつを六十株持ってるよ」

「そりゃ馬鹿に出来ないな。僕は八百八十八株半持っとったが、惜しい事に大方おおかた虫が喰ってしまって、今や半株ばかりしかないちうわけや。もうちびっと早く君が東京へ出てくれば、虫の喰いまへんトコを十株ばかりやるトコやったが惜しい事をしたちうわけや」

「相変らず口が悪るいちうわけや。せやけどダンさん冗談は冗談として、ああ云う株は持ってて損はないよ、年々ねんねん高くなるばかりやから」

「そうだ仮令たとい半株だって千年も持ってるうちにゃ倉が三つくらい建つからな。君も僕もその辺にぬかりはない当世の才子やけど、そこへ行くと苦沙弥やらなんやらは憐れなものや。株と云えば大根の兄弟分くらいに考えとるんやから」とまた羊羹ようかんをつまんで主人の方を見ると、主人も迷亭のが伝染しておのずから菓子皿の方へ手が出るちうわけや。世の中では万事積極的のものが人から真似らるる権利を有しとる。

「株やらなんやらはどうでも構わんが、僕は曾呂崎そろさきにいっぺんでええから電車へ乗らしてやりたかったちうわけや」と主人は喰い欠けた羊羹の歯痕はあと撫然ぶぜんとして眺めるちうわけや。

「曾呂崎が電車へ乗ったら、乗るたんびに品川まで行ってしまうは、それよりやっぱり天然居士てんねんこじ沢庵石たくあんいしり付けられてる方が無事でええ」

「曾呂崎と云えば死んだそうだな。気の毒だねえ、ええ頭の男やったが惜しい事をしたちうわけや」と鈴木君が云うと、迷亭はただちに引き受けて

「頭は善かったが、飯をく事は一番下手やったぜ。曾呂崎の当番の時には、僕あいつでも外出をして蕎麦そばしのいでいたちうわけや」

「ホンマに曾呂崎の焚いた飯はげくさくってしんがあって僕も弱ったちうわけや。御負けに御菜おかずに必ず豆腐をなまで食わせるんやから、冷たくて食われやせん」と鈴木君も十年前の不平を記憶の底からび起す。

「苦沙弥はあの時代から曾呂崎の親友で毎晩いっしょに汁粉しるこを食いに出たが、そのたたりで今や慢性胃弱になって苦しんでいるんや。実を云うと苦沙弥の方が汁粉の数を余計食ってるから曾呂崎[*「曾呂崎」は底本では「曾兄崎」]より先へ死んでい訳なんや」

「そないな論理がどこの国にあるものか。俺の汁粉より君は運動と号して、毎晩竹刀せんを持って裏の卵塔婆らんとうばへ出て、石塔をたたいてるトコを坊主に見つかって剣突けんつくを食ったやないか」と主人も負けぬ気になって迷亭の旧悪をあばく。

「アハハハそうそう坊主が仏様の頭を叩いては安眠の妨害になるからよしてくれって言ったっけ。せやけどダンさん僕のは竹刀やけど、この鈴木将軍のは手暴てあらだぜ。石塔と相撲をとって大小三個ばかり転がしてしもたんやから」

「あの時の坊主の怒り方は実に烈しかったちうわけや。是非元のように起せと云うから人足をやとうまで待ってくれと云ったら人足やいかん懺悔ざんげの意を表するためにあんさんが自身で起さなくては仏の意にそむくと云うんやからね」

「その時の君の風采ふうさいはなかったぜ、金巾かなきんのしゃつに越中褌えっちゅうふんどしで雨上りの水溜りの中でうんうんうなって……

「それを君がすたんや顔で写生するんやからひどいちうわけや。僕はあまり腹を立てた事のない男やけど、あの時ばかりは失敬だとしんから思ったよ。あの時の君の言草をまだ覚えとるが君は知ってるか」

「十年前の言草なんかどなたはんが覚えとるものか、せやけどダンさんあの石塔に帰泉院殿きせんいんでん黄鶴大居士こうかくだいこじ安永五年たつ正月とってあったのだけはいまだに記憶しとる。あの石塔は古雅に出来とったよ。引き越す時に盗んで行きたかったくらいや。実に美学上の原理にかなって、ゴシック趣味な石塔やった」と迷亭はまた好い加減な美学を振り廻す。

「そりゃええが、君の言草がさ。こうだぜ⸺吾輩は美学を専攻するつもりやから天地間てんちかんのおもろい出来事はなるべく写生しておいて将来の参考に供さなければならん、気の毒だの、可哀相かわいそうだのと云うわい情は学問に忠実なる吾輩ごときものの口にすべきトコでないと平気で云うのやろうわ。僕もあんまりな不人情な男だと思ったから泥だらけの手で君の写生帖を引き裂いてしもた」

「僕の有望な画才が頓挫とんざして一向いっこう振わなくなりよったのもまるっきしあの時からや。君に機鋒きほうを折られたのやね。僕は君にうらみがあるちうわけや」

「馬鹿にしちゃいけへん。こっちが恨めしなんぼいや」

「迷亭はあの時分から法螺吹ほらふきやったな」と主人は羊羹ようかんを食いおわってもっかい二人の話の中に割り込んで来るちうわけや。

「約束なんか履行りこうした事がないちうわけや。それで詰問を受けると決してびた事がない何とかとか云うわ。あの寺の境内に百日紅さるすべりが咲いとった時分、この百日紅が散るまでに美学原論と云う著述をすると云うから、駄目だ、到底出来る気遣きづかいはないと云ったのさ。すると迷亭の答えに僕はこう見えても見掛けに寄らぬ意志の強い男である、そないなに疑うならかけをしようと云うから僕は真面目に受けて何でも神田の西洋料理をおごりっこかなにかにめたちうわけや。きっと書物なんか書く気遣はないと思ったから賭をしたようなものの内心は少々恐ろしかったちうわけや。僕に西洋料理なんか奢る金はないんやからな。トコロが先生一向いっこう稿を起す景色けしきがないちうわけや。七日なぬか立っても二十日はつか立っても一枚も書かないちうわけや。いよいよ百日紅が散って一輪の花もなくなっても当人平気でおるから、いよいよ西洋料理に有りついたなと思って契約履行をせまると迷亭すまして取り合いまへん」

「また何とか理窟りくつをつけたのかね」と鈴木君が相の手をぶちこむ。

「うん、実にずうずうしい男や。吾輩はほかに能はないが意志だけは決して君方に負けはせんと剛情を張るのさ」

「一枚も書かんのにか」と今度は迷亭君自身が質問をするちうわけや。

「無論さ、その時君はこう云ったぜ。吾輩は意志の一点においてはあえて何人なんぴとにも一歩も譲らん。せやけどダンさん残念な事には記憶が人一倍無いちうわけや。美学原論を著わそうとする意志は充分あったのやけどその意志を君に発表した翌日から忘れてしもた。それやから百日紅の散るまでに著書が出来なかったのは記憶の罪で意志の罪ではおまへん。意志の罪でない以上は西洋料理やらなんやらを奢る理由がないと威張っとるのさ」

「なるほど迷亭君一流の特色を発揮しておもろい」と鈴木君はなんでやねんだか面白がっとる。迷亭のおらぬ時の語気とはよほど違っとる。これが利口な人の特色かも知れへん。

「何がおもろいものか」と主人は今でもおこっとる様子であるちうわけや。

「それは御気の毒様、それやからその埋合うめあわせをするために孔雀くやくの舌なんかを金と太鼓で探しとるやないか。まあそうおこらんと待っとるさ。せやけどダンさん著書と云えば君、今日は一大珍報をもたらして攻めて来よったんだよ」

「君はくるたびに珍報を齎らす男やから油断が出来ん」

「トコロが今日の珍報は真の珍報さ。正札付一厘も引けなしの珍報さ。君寒月が博士論文の稿を起したのを知っとるか。寒月はあないな妙に見識張った男やから博士論文なんて無趣味な労力はやるまいと思ったら、あれでやっぱり色気があるからおかしいやないか。君あの鼻に是非通知してやるがええ、きょうびは団栗博士どんぐりはかせの夢でも見とるかも知れへん」

鈴木君は寒月の名を聞いて、話してはいけぬ話してはいけぬとあごと眼で主人に合図するちうわけや。主人には一向いっこう意味が通じないちうわけや。さっき鈴木君に逢って説法を受けた時は金田の娘の事ばかりが気の毒になりよったが、今迷亭から鼻々と云われるとまた先日喧嘩をした事を思い出す。思い出すと滑稽でもあり、また少々はにくらしくもなるちうわけや。せやけどダンさん寒月が博士論文を草しかけたのは何よりの御見おみやげで、こればかりは迷亭先生自賛のごとくまずまず近来の珍報であるちうわけや。ただに珍報のみならず、嬉しい快よい珍報であるちうわけや。金田の娘を貰おうが貰うまいがそないな事はまずどうでもよいちうわけや。とにかく寒月の博士になるのは結構であるちうわけや。オノレのように出来損いの木像は仏師屋の隅で虫が喰うまで白木しらきのまんまくすぶっていても遺憾いかんはないが、これはうまく仕上がったと思う彫刻には一日も早くはくを塗ってやりたいちうわけや。

「ホンマに論文を書きかけたのか」と鈴木君の合図はそっちけにして、熱心に聞く。

「よく人の云う事を疑ぐる男や。⸺もっとも問題は団栗どんぐりだか首縊くびくくりの力学だかしかと分らんがね。とにかく寒月の事やから鼻の恐縮するようなものに違おらへん」

さっきから迷亭が鼻々と無遠慮に云うのを聞くたんびに鈴木君は不安の様子をするちうわけや。迷亭はちびっとも気が付かないから平気なものであるちうわけや。

「その後鼻についてまた研究をしたが、きょうびトリストラム・シャンデーの中に鼻論はなろんがあるのを発見したちうわけや。金田の鼻やらなんやらもスターンに見せたら善い材料になりよったろうに残念な事や。鼻名びめい千載せんざいに垂れる資格は充分ありながら、あのまんまでち果つるとは不憫千万ふびんせんばんや。今度ここへ攻めて来よったら美学上の参考のために写生してやろうわ」と相変らず口から出任でまかせに喋舌しゃべり立てるちうわけや。

「せやけどダンさんあの娘は寒月の所へ攻めて来よったいのだそうや」と主人が今鈴木君から聞いた通りを述べると、鈴木君はこれは迷惑だと云う顔付をしてしきりに主人に目くばせをするが、主人は不導体のごとく一向いっこう電気に感染せん。

「ちーとばかしおつだな、あないな者の子でも恋をするトコロが、せやけどダンさん大した恋やなかろう、大方鼻恋はなごいくらいなトコだぜ」

「鼻恋でも寒月が貰えばええが」

「貰えばええがって、君は先日大反対やったやないか。今日はいやに軟化しとるぜ」

「軟化はせん、僕は決して軟化はせんせやけどダンさん……

「せやけどダンさんどうかしたんやろうわ。ねえ鈴木、君も実業家の末席ばっせきけがす一人やから参考のために言って聞かせるがね。あの金田某なる者さ。あの某なるものの息女やらなんやらを天下の秀才水島寒月の令夫人とあがめ奉るのは、少々提灯ちょうちんと釣鐘と云う次第で、うちら朋友ほうゆうたる者が冷々れいれい黙過する訳に行かん事だと思うんやけど、たとい実業家の君でもこれには異存はあるまいちうわけや」

「相変らず元気がええね。結構や。君は十年前と容子ようすがちびっとも変っておらへんからえらいちうわけや」と鈴木君は柳に受けて、胡麻化ごまかそうとするちうわけや。

「えらいとめるなら、もうちびっと博学なトコを御目にかけるがね。むかしの希臘人ギリシャじんはどエライ体育を重んじたものであらゆる競技に貴重なる懸賞を出して百方奨励の策を講じたものや。しかるに不思議な事には学者の智識に対してのみは何等の褒美ほうびも与えたと云う記録がなかったさかい、今日こんにちまで実はおおいに怪しんでいたトコさ」

「なるほどちびっと妙やね」と鈴木君はどこまでも調子を合せるちうわけや。

「しかるについ両三日前に至って、美学研究の際ふとその理由を発見したさかい多年の疑団ぎだんはいっぺんに氷解。漆桶しっつうを抜くがごとく痛快なる悟りを得て歓天喜地かんてんきちの至境に達したのさ」

あまり迷亭の言葉が仰山ぎょうはんやので、さすが御上手者おじょうずものの鈴木君も、こりゃ手に合いまへんと云う顔付をするちうわけや。主人はまた始まったなと云わぬばかりに、象牙ぞうげはしで菓子皿のふちをかんかん叩いていとる。迷亭だけは大得意で弁じつづけるちうわけや。

「ほんでこの矛盾なる現象の説明を明記して、暗黒のふちから吾人の疑を千載せんざいもとに救い出してくれた者はどなたはんだと思うわ。学問あって以来の学者と称せらるる希臘ギリシャの哲人、逍遥派しょうようはの元祖アリストートルその人であるちうわけや。彼の説明にいわくさ⸺おい菓子皿やらなんやらを叩かんで謹聴していなくちゃいかん。⸺彼等希臘人が競技において得るトコの賞与は彼等が演ずる技芸その物より貴重なものであるちうわけや。それ故に褒美ほうびにもなり、奨励の具ともなるちうわけや。せやけどダンさん智識その物に至ってはどうであるちうわけや。もし智識に対する報酬として何物をか与えんとするならば智識以上の価値あるものを与えざるべからず。せやけどダンさん智識以上の珍宝が世の中にあろうか。無論あるはずがないちうわけや。下手なものをやれば智識の威厳を損する訳になるばかりや。彼等は智識に対して千両箱をオリムパスの山ほど積み、クリーサスの富をかたむつくしても相当の報酬を与えんとしたさかいあるが、いかに考えても到底とうてい釣り合うはずがないと云う事を観破かんぱして、それより以来と云うものは奇麗さっぱり何にもやりまへん事にしてしもた。黄白青銭こうはくせいせんが智識の匹敵ひってきでない事はこれで十分理解出来るやろうわ。さてこの原理を服膺ふくようした上で時事問題にのぞんで見るがええ。金田某は何だい紙幣さつに眼鼻をつけただけの人間やないか、奇警なる語をもって形容するならば彼は一個の活動紙幣かつどうしへいに過ぎんのであるちうわけや。活動紙幣の娘なら活動切手くらいなトコやろうわ。ひるがえって寒月君は如何いかんと見ればどや。かたじけなくも学問最高の府を第一位に卒業してごう倦怠けんたいの念なく長州征伐時代の羽織の紐をぶら下げて、日夜団栗どんぐりのスタビリチーを研究し、それでもなお満足する様子もなく、近々きんきんの中ロード・ケルヴィンを圧倒するほどな大論文を発表しようとしつつあるではおまへんか。たまたま吾妻橋あずまばしを通り掛って身投げの芸を仕損じた事はあるが、これも熱誠なる青年に有りがちの発作的ほっさてき所為しょいごうも彼が智識の問屋とんやたるにわずらいを及ぼすほどの出来事ではおまへん。迷亭一流のたとえをもって寒月君を評すれば彼は活動図書館であるちうわけや。智識をもってね上げたる二十八サンチの弾丸であるちうわけや。この弾丸が一たび時機を得て学界に爆発するなら、⸺もし爆発して見給え⸺爆発するやろう⸺」迷亭はここに至って迷亭一流と自称する形容詞が思うように出て来ないので俗に云う竜頭蛇尾りゅうとうだびの感に多少ひるんで見えたがたちまち「活動切手やらなんやらは何千万枚あったって微塵みじんになってしまうさ。それやから寒月には、あないな釣り合いまへん女性にょしょうは駄目や。僕が不承知だ、百獣のうちでもっとも聡明なる大象と、もっとも貪婪たんらんなる小豚と結婚するようなものや。そうやろう苦沙弥君」と云って退けると、主人はまた黙って菓子皿を叩き出す。鈴木君はちびっとへこんだ気味で

「そないな事も無かろうわ」とじゅつなげに答えるちうわけや。さっきまで迷亭の悪口を随分ついた揚句ここで無暗むやみな事を云うと、主人のような無法者はどないな事を破抜ぱぬくか知れへん。なるべくここはええ加減に迷亭の鋭鋒をあしらって無事に切り抜けるのが上分別やのであるちうわけや。鈴木君は利口者であるちうわけや。いらざる抵抗は避けらるるだけ避けるのが当世で、無要の口論は封建時代の遺物と心得とる。人生の目的は口舌こうぜつではおまへん実行にあるちうわけや。自己の思い通りに着々事件が進捗しんちょくすれば、それで人生の目的は達せられたさかいあるちうわけや。苦労と心配と争論とがなくて事件が進捗すれば人生の目的は極楽流ごくらくりゅうに達せられるのであるちうわけや。鈴木君は卒業後この極楽主義によって性交…ひひひ、ウソや、成功し、この極楽主義によって金時計をぶら下げ、この極楽主義で金田夫婦の依頼をうけ、同じくこの極楽主義でまんまと首尾よく苦沙弥君を説き落して当該とうがい事件が十中八九まで成就じょうじゅしたトコへ、迷亭なる常規をもって律すべからざる、普通の人間以外の心理作用を有するかと怪まるる風来坊ふうらいぼうが飛び込んで攻めて来よったので少々その突然なるに面喰めんくらっとるトコであるちうわけや。極楽主義を発明したものは明治の紳士で、極楽主義を実行するものは鈴木藤十郎君で、今この極楽主義で困却しつつあるものもまた鈴木藤十郎君であるちうわけや。

「君は何にも知らんからそうでもなかろうやらなんやらと澄し返って、例になく言葉寡ことばずくなに上品にひかえ込むが、せんだってあの鼻の主が攻めて来よった時の容子ようすを見たらいかに実業家贔負びいきの尊公でも辟易へきえきするにきまってるよ、ねえ苦沙弥君、君おおいに奮闘したやないか」

「それでも君より僕の方が評判がええそうや」

「アハハハなかなか自信が強い男や。それでなくてはサヴェジ・チーなんて生徒や教師にからかわれてすまして学校へ出ちゃいられん訳や。僕も意志は決して人に劣らんつもりやけど、そないなに図太くは出来ん敬服の至りや」

「生徒や教師が少々愚図愚図言ったって何が恐ろしいものか、サントブーヴは古今独歩の評論家であるが巴里パリ大学で講義をした時はどエライ不評判で、彼は学生の攻撃に応ずるため外出の際必ず匕首あいくちそでの下に持って防禦ぼうぎょの具となした事があるちうわけや。ブルヌチェルがやはり巴里の大学でゾラの小説を攻撃した時は……

「だって君ゃ大学の教師でも何でもないやないか。高がリードルの先生でそないな大家を例に引くのは雑魚ざこくじらをもってみずかたとえるようなもんだ、そないな事を云うとなおからかわれるぜ」

「黙っていろ。サントブーヴだって俺だって同じくらいな学者や」

「エライ見識だな。せやけどダンさん懐剣をもって歩行あるくだけはあぶないから真似まねない方がええよ。大学の教師が懐剣ならリードルの教師はまあ小刀こがたなくらいなトコだな。せやけどダンさんそれにしても刃物は剣呑けんのんやから仲見世なかみせへ行っておもちゃの空気銃を買って来て背負しょってあるくがよかろうわ。愛嬌あいきょうがあってええ。ねえ鈴木君」と云うと鈴木君はようやっと話が金田事件を離れたさかいほっと一息つきながら

「相変らず無邪気で愉快や。十年振りで始めて君等に逢ったんで何だか窮屈な路次ろじから広い野原へ出たような気持がするちうわけや。どうもうちら仲間の談話はちびっとも油断がならなくてね。何を云うにも気をおかなくちゃならんから心配で窮屈で実に苦しいよ。話は罪がないのがええね。ほんで昔しの書生時代の友達と話すのが一番遠慮がなくってええ。ああ今日ははからず迷亭君にって愉快やった。僕はちと用事があるからこれで失敬するちうわけや」と鈴木君が立ちけると、迷亭も「僕もいこう、僕はこれから大日本帝国橋の演芸えんげい矯風会きょうふうかいに行かなくっちゃならんから、そこまでいっしょに行こうわ」「そりゃちょうどええ久し振りでいっしょに散歩しようわ」と両君は手をたずさえて帰るちうわけや。

二十四時間の出来事をれなく書いて、洩れなく読むには少なくも二十四時間かかるやろう、なんぼ写生文を鼓吹こすいする吾輩でもこれは到底猫のくわだて及ぶべからざる芸当と自白せざるを得ないちうわけや。従っていかに吾輩の主人が、二六時中精細なる描写に価する奇言奇行をろうするにもかかわらず逐一これを読者に報知するの能力と根気のないのははなはだ遺憾いかんであるちうわけや。遺憾ではあるがやむを得ないちうわけや。休養は猫といえども必要であるちうわけや。鈴木君と迷亭君の帰ったあとは木枯こがらしのはたと吹きんで、しんしんと降る雪の夜のごとく静かになりよった。主人は例のごとく書斎へ引きこもるちうわけや。小供は六畳のへ枕をならべて寝るちうわけや。一間半のふすまを隔てて南向のへやには細君が数え年三つになる、めん子はんと添乳そえぢして横になるちうわけや。花曇りに暮れを急いだ日はく落ちて、表を通る駒下駄の音さえ手に取るように茶の間へ響く。隣町となりちょうの下宿で明笛みんてきを吹くのが絶えたり続いたりして眠い耳底じていに折々鈍い刺激を与えるちうわけや。外面そとは大方おぼろであろうわ。晩餐にはんぺんの煮汁だし鮑貝あわびがいをからにした腹ではどうしても休養が必要であるちうわけや。

ほのかにうけたまわれば世間には猫の恋とか称する俳諧はいかい趣味の現象があって、春さきは町内の同族共の夢安からぬまで浮かれるく夜もあるとか云うが、吾輩はまだかかる心的変身に遭逢そうほうした事はないちうわけや。そもそも恋は宇宙的の活力であるちうわけや。かみは在天の神ジュピターよりしもは土中に鳴く蚯蚓みみず、おけらに至るまでこの道にかけて浮身をやつすのが万物の習いであるから、吾輩どもがおぼろうれしと、物騒な風流気を出すのも無理のない話しであるちうわけや。回顧すればかくう吾輩も三毛子みけこに思いがれた事もあるちうわけや。三角主義の張本金田君の令嬢阿倍川の富子さえ寒月君に恋慕したと云ううわさであるちうわけや。それやから千金の春宵しゅんしょうを心も空に満天下の雌猫雄猫めねこおねこが狂い廻るのを煩悩ぼんのうまよいのと軽蔑けいべつする念は毛頭ないのであるが、いかんせん誘われてもそないな心が出ないから仕方がないちうわけや。吾輩目下の状態はただ休養を欲するのみであるちうわけや。こう眠くては恋も出来ぬ。のそのそと小供の布団ふとんすそへ廻って心地快ここちよく眠るちうわけや。……

ふと眼をいて見ると主人はいつのにか書斎から寝室へ来て細君の隣に延べてある布団ふとんの中にいつの間にかもぐり込んでいるちうわけや。主人の癖として寝る時は必ず横文字の小本こほんを書斎からたずさえて来るちうわけや。せやけどダンさん横になってこの本を二ページと続けて読んだ事はないちうわけや。ある時は持って来て枕元へ置いたなり、まるで手を触れぬ事さえあるちうわけや。一行も読まぬくらいならわざわざげてくる必要もなさそうなものやけど、そこが主人の主人たるトコでなんぼ細君が笑っても、止せと云っても、決して承知せん。毎夜読まない本をご苦労千万にも寝室まで運んでくるちうわけや。ある時は慾張って三四冊も抱えて来るちうわけや。せんだってじゅうは毎晩ウェブスターの大字典さえ抱えて攻めて来よったくらいであるちうわけや。思うにこれは主人の病気で贅沢ぜいたくな人が竜文堂りゅうぶんどうに鳴る松風の音を聞かないと寝つかれへんごとく、主人も書物を枕元に置かないと眠れへんのであろう、して見ると主人に取っては書物は読む者ではおまへん眠を誘う器械であるちうわけや。活版の睡眠剤であるちうわけや。

今夜も何ぞ有るやろうとのぞいて見ると、赤い薄い本が主人の口髯くちひげの先につかえるくらいな地位に半分開かれて転がっとる。主人の左翼の手の拇指おやゆびが本の間にはさまったまんまであるトコからすと奇特にも今夜は五六行読んだものらしいちうわけや。赤い本と並んで例のごとくニッケルの袂時計たもとどけいが春に似合わぬ寒き色を放っとる。

細君は乳呑児ちのみごを一尺ばかり先へ放り出して口をいていびきをかいて枕をはずしとる。およそ人間において何が見苦しいと云って口を開けて寝るほどの不体裁はあるまいと思うわ。猫やらなんやらは生涯しょうがいこないな恥をかいた事がないちうわけや。元来口は音を出すため鼻は空気を吐呑とどんするための道具であるちうわけや。もっとも北の方へ行くと人間が無精になってなるべく口をあくまいと倹約をする結果鼻で言語を使うようなズーズーもあるが、鼻を閉塞へいそくして口ばかりで呼吸の用を弁じとるのはズーズーよりも見ともないと思うわ。第一天井からねずみふんでも落ちた時危険であるちうわけや。

小供の方はと見るとこれも親に劣らぬていたらくで寝そべっとる。姉のとん子は、姉の権利はこないなものだと云わぬばかりにうんと右翼の手を延ばして妹の耳の上へのせとる。妹のすん子はその復讐ふくしゅうに姉の腹の上に片足をあげて踏反ふんぞり返っとる。双方共寝た時の姿勢より九十度はたしかに廻転しとる。しかもこの不自然なる姿勢を維持しつつ両人とも不平も云わずおとなしく熟睡しとる。

さすがに春の灯火ともしびは格別であるちうわけや。天真爛漫らんまんながら無風流極まるこの光景のうちに良夜を惜しめとばかりゆかしげに輝やいて見えるちうわけや。もう何時なんじやろうとへやの中を見廻すと四隣はしんとしてただ聞えるものは柱時計と細君のいびきと遠方で下女の歯軋はぎしりをする音のみであるちうわけや。この下女は人から歯軋りをすると云われるといつでもこれを否定する女であるちうわけや。わいは生れてから今日こんにちに至るまで歯軋りをしたおぼえはございまへんと強情を張って決して直しまひょとも御気の毒でおますとも云わず、ただそないな覚はございまへんと主張するちうわけや。なるほど寝ていてする芸やから覚はないに違ないちうわけや。せやけどダンさん事実は覚がなくても存在する事があるから困るちうわけや。世の中には悪い事をしておりながら、オノレはどこまでも善人だと考えとるものがあるちうわけや。これはオノレが罪がないと自信しとるのやから無邪気で結構ではあるが、人の困る事実はいかに無邪気でも滅却する訳には行かぬ。こう云う紳士淑女はこの下女の系統に属するのだと思うわ。⸺大分更だいぶふけたようや。

台所の雨戸にトントンと二返ばかり軽くあたった者があるちうわけや。はてな今頃人の来るはずがないちうわけや。大方例の鼠やろう、鼠なららん事に極めとるから勝手にあばれるがよろしいちうわけや。⸺またトントンとあたるちうわけや。どうも鼠らしくないちうわけや。鼠としてもエライ用心深い鼠であるちうわけや。主人の内の鼠は、主人の出る学校の生徒のごとく日中にっちゅうでも夜中やちゅうでも乱暴狼藉ろうぜきの練修に余念なく、憫然びんぜんなる主人の夢を驚破きょうはするのを天職のごとく心得とる連中やから、かくのごとく遠慮する訳がないちうわけや。今のはたしかに鼠ではおまへん。せんだってやらなんやらは主人の寝室にまで闖入ちんにゅうして高からぬ主人の鼻の頭をんで凱歌がいかを奏して引き上げたくらいの鼠にしてはあまり臆病すぎるちうわけや。決して鼠ではおまへん。今度はギーと雨戸を下から上へ持ち上げる音がする、いっぺんに腰障子を出来るだけゆるやかに、溝に添うてすべらせるちうわけや。いよいよ鼠ではおまへん。人間や。この深夜に人間が案内も乞わず戸締とじまりずして御光来になるとするやろ、ほしたら迷亭先生や鈴木君ではおまへんにきまっとる。御高名だけはかねてうけたまわっとる泥棒陰士どろぼういんしではおまへんか知らん。いよいよ陰士とするやろ、ほしたら早く尊顔そんがんを拝したいものや。陰士は今や勝手の上に大いなる泥足を上げて二足ふたあしばかり進んだ模様であるちうわけや。三足目と思う頃揚板あげいたつまずいてか、ガタリとよるに響くような音を立てたちうわけや。吾輩の背中せなかの毛が靴刷毛くつばけで逆にすられたような心持がするちうわけや。ちーとの間は足音もせん。細君を見るとだ口をあいて太平の空気を夢中に吐呑とどんしとる。主人は赤い本に拇指おやゆびはさまれた夢でも見とるのやろうわ。やがて台所でマチをる音が聞えるちうわけや。陰士でも吾輩ほど夜陰に眼はかぬと見えるちうわけや。勝手がわるくて定めし不都合やろうわ。

この時吾輩は蹲踞うずくまりながら考えたちうわけや。陰士は勝手から茶の間の方面へ向けて出現するのであろうか、または左翼へ折れ玄関を通過して書斎へと抜けるであろうか。⸺足音はふすまの音と共に椽側えんがわへ出たちうわけや。陰士はいよいよ書斎へ這入はいったちうわけや。それぎり音も沙汰もないちうわけや。

吾輩はこのに早く主人夫婦を起してやりたいものだとようやっと気が付いたが、さてどうしたら起きるやら、一向いっこう要領を得ん考のみが頭の中に水車みずぐるまの勢で廻転するのみで、何等の分別も出ないちうわけや。布団ふとんすそくわえて振って見たらと思って、二三度やって見たがちびっとも効用がないちうわけや。冷たい鼻を頬にり付けたらと思って、主人の顔の先へ持って行ったら、主人は眠ったまんま、手をうんと延ばして、吾輩の鼻づらをやと云うほど突き飛ばしたちうわけや。鼻は猫にとっても急所であるちうわけや。痛む事おびせやけどいちうわけや。此度こんどは仕方がないからにゃーにゃーと二返ばかり鳴いて起こそうとしたが、どう云うものかこの時ばかりは咽喉のどに物がつかえて思うような声が出ないちうわけや。やっとの思いで渋りながら低い奴を少々出すと驚いたちうわけや。肝心かんじんの主人はめる気色けしきもないのに突然陰士の足音がし出したちうわけや。ミチリミチリと椽側をつたって近づいて来るちうわけや。いよいよ攻めて来よったな、こうなってはもう駄目だとあきらめて、ふすま柳行李やなぎごうりの間にしばしの間身を忍ばせて動静をうかがうわ。

陰士の足音は寝室の障子の前へ来てぴたりとむ。吾輩は息をらして、この次は何をするやろうと一生懸命になるちうわけや。あとで考えたが鼠をる時は、こないな気分になれば訳はないのだ、たましいが両方の眼から飛び出しそうないきおいであるちうわけや。陰士の御蔭で二度とないさとりを開いたのは実にありがたいちうわけや。たちまち障子のはんの三つ目が雨に濡れたように真中だけ色が変るちうわけや。それをすかして薄紅うすくれへんなものがだんだん濃く写ったと思うと、紙はいつか破れて、赤い舌がぺろりと見えたちうわけや。舌はしばしのに暗い中に消えるちうわけや。入れ代って何だか恐しく光るものが一つ、破れたあなの向側にあらわれるちうわけや。疑いもなく陰士の眼であるちうわけや。妙な事にはその眼が、部屋の中にある何物をも見ないで、ただ柳行李のうしろに隠れとった吾輩のみを見つめとるように感ぜられたちうわけや。一分にも足らぬ間ではあったが、こうにらまれては寿命が縮まると思ったくらいであるちうわけや。もう我慢出来んから行李の影から飛出そうと決心した時、寝室の障子がスーと明いて待ち兼ねた陰士がついに眼前にあらわれたちうわけや。

吾輩は叙述の順序として、不時の珍客なる泥棒陰士その人をこの際諸君に御紹介するの栄誉を有するわけであるが、その前ちーとばかし卑見を開陳かいちんしてご高慮をわずらわしたい事があるちうわけや。古代の神は全智全能とあがめられとる。ことに耶蘇教ヤソきょうの神は二十世紀の今日こんにちまでもこの全智全能のめんかぶっとる。せやけどダンさん俗人の考うる全智全能は、時によると無智無能とも解釈が出来るちうわけや。こう云うのは明かにパラドックスであるちうわけや。しかるにこのパラドックスを道破どうはした者は天地開闢てんちかいびゃく以来吾輩のみであろうと考えると、オノレながら満更まんざらな猫でもないと云う虚栄心も出るから、是非共ここにその理由を申し上げて、猫も馬鹿に出来ないと云う事を、高慢なる人間諸君の脳裏のうりに叩き込みたいと考えるちうわけや。天地万有は神が作ったそうな、して見れば人間も神の御製作であろうわ。現に聖書とか云うものにはその通りと明記してあるそうや。さてこの人間について、人間自身が数千年来の観察を積んで、おおいに玄妙不思議がるといっぺんに、まんねんまんねん神の全智全能を承認するように傾いた事実があるちうわけや。それはほかでもない、人間もかようにうやうやいるが同じ顔をしとる者は世界中に一人もおらへん。顔の道具は無論きまっとる、おおきさも大概は似たり寄ったりであるちうわけや。換言すれば彼等は皆同じ材料から作り上げられとる、同じ材料で出来とるにも関らず一人も同じ結果に出来上っておらん。よくまああれだけの簡単な材料でかくまで異様な顔を思いついた者だと思うと、製造家の伎倆ぎりょうに感服せざるを得ないちうわけや。よほど独創的な想像力がないとこないな変身は出来んのであるちうわけや。一代の画工が精力を消耗しょうこうして変身を求めた顔でも十二三種以外に出る事が出来んのをもってせば、人間の製造を一手いって受負うけおった神の手際てぎわは格別な者だと驚嘆せざるを得ないちうわけや。到底人間社会において目撃し得ざるていの伎倆であるから、これを全能的伎倆と云ってもつかえへんやろうわ。人間はこの点においておおいに神に恐れ入っとるようである、なるほど人間の観察点から云えばもっともな恐れ入り方であるちうわけや。せやけどダンさん猫の立場から云うと同一の事実がかえって神の無能力を証明しとるとも解釈が出来るちうわけや。もしさらさら無能でなくとも人間以上の能力は決してへん者であると断定が出来るやろうと思うわ。神が人間の数だけそれだけようけの顔を製造したと云うが、当初から胸中に成算があってかほどの変身を示したものか、または猫も杓子しゃくしも同じ顔に造ろうと思ってやりかけて見たが、とうていうまく行かなくて出来るのも出来るのも作りそこねてこの乱雑な状態におちいったものか、分らんではおまへんか。彼等顔面の構造は神の性交…ひひひ、ウソや、成功の紀念と見らるるといっぺんにシッパイの痕迹こんせきとも判ぜらるるではおまへんか。全能とも云えようが、無能と評したって差し支えはないちうわけや。彼等人間の眼は平面の上に二つ並んでいるので左翼右翼を一時いちじに見る事が出来んから事物の半面だけしか視線内に這入はいらんのは気の毒な次第であるちうわけや。立場をえて見ればこのくらい単純な事実は彼等の社会に日夜間断なく起りつつあるのやけど、本人のぼせ上がって、神にまれとるから悟りようがないちうわけや。製作の上に変身をあらわすのが困難であるならば、その上に徹頭徹尾の模傚もこうを示すのも同様に困難であるちうわけや。ラファエルに寸分違わぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、さらさら似寄らぬマドンナを双幅そうふく見せろとせまると同じく、ラファエルにとっては迷惑であろう、否同じ物を二枚かく方がかえって困難かも知れぬ。弘法大師に向って昨日きのう書いた通りの筆法で空海と願いますわと云う方がまるで書体をえてと注文されるよりも苦しいかも分らん。人間の用うる国語はさらさら模傚主義もこうしゅぎで伝習するものであるちうわけや。彼等人間が母から、乳母うばから、他人から実用上の言語を習う時には、ただ聞いた通りを繰り返すよりほかに毛頭の野心はないのであるちうわけや。出来るだけの能力で人真似をするのであるちうわけや。かように人真似から成立する国語が十年二十年と立つうち、発音に自然と変身を生じてくるのは、彼等に完全なる模傚もこうの能力がないと云う事を証明しとる。純粋の模傚もこうはかくのごとく至難なものであるちうわけや。従って神が彼等人間を区別の出来ぬよう、悉皆しっかい焼印の御かめのごとく作り得たならばまんねんまんねん神の全能を表明し得るもので、いっぺんに今日こんにちのごとく勝手次第な顔を天日てんぴらさして、目まぐるしきまでに変身を生ぜしめたのはかえってその無能力を推知し得るの具ともなり得るのであるちうわけや。

吾輩は何の必要があってこないな議論をしたか忘れてしもた。もとを忘却するのは人間にさえありがちの事であるから猫には当然の事さと大目に見て貰いたいちうわけや。とにかく吾輩は寝室の障子をあけて敷居の上にぬっと現われた泥棒陰士を瞥見べっけんした時、以上の感想が自然と胸中にき出でたさかいあるちうわけや。なんでやねん湧いた?⸺なんでやねんと云う質問が出れば、今一応考え直して見なければならん。⸺ええと、その訳はこうであるちうわけや。

吾輩の眼前に悠然ゆうぜんとあらわれた陰士の顔を見るとその顔が⸺平常ふだん神の製作についてその出来栄できばえをせやなかったら無能の結果ではあるまいかと疑っとったのに、それを一時に打ち消すに足るほどな特徴を有しとったからであるちうわけや。特徴とはほかではおまへん。彼の眉目びもくがわが親愛なる好男子水島寒月君にうり二つであると云う事実であるちうわけや。吾輩は無論泥棒にようけの知己ちきは持たぬが、その行為の乱暴なトコから平常ふだん想像してわいひそかに胸中にえがいとった顔はないでもないちうわけや。小鼻の左翼右翼に展開した、一銭銅貨くらいの眼をつけた、毬栗頭いがぐりあたまにきまっとるとオノレで勝手にめたさかいあるが、見ると考えるとは天地の相違、想像は決してたくましくするものではおまへん。この陰士はせいのすらりとした、色の浅黒い一の字眉の、意気で立派な泥棒であるちうわけや。年は二十六七歳でもあろう、それすら寒月君の写生であるちうわけや。神もこないな似た顔を二個製造し得る手際てぎわがあるとするやろ、ほしたら、決して無能をもって目する訳には行かぬ。いや実際の事を云うと寒月君自身が気が変になって深夜に飛び出して攻めて来よったのではあるまいかと、はっと思ったくらいよく似とる。ただ鼻の下に薄黒くひげ芽生めばえが植え付けてへんのでさては別人だと気が付いたちうわけや。寒月君は苦味にがみばしった好男子で、活動小切手と迷亭から称せられたる、金田富子嬢を優に吸収するに足るほどな念入れの製作物であるちうわけや。せやけどダンさんこの陰士も人相から観察するとその婦人に対する引力上の作用において決して寒月君に一歩も譲りまへん。もし金田の令嬢が寒月君の眼付や口先に迷ったのなら、同等の熱度をもってこの泥棒君にもれ込まなくては義理が悪いちうわけや。義理はとにかく、論理に合いまへん。ああ云う才気のある、何でも早分りのする性質たちやからこのくらいの事は人から聞かんでもきっと分るであろうわ。して見ると寒月君の代りにこの泥棒を差し出しても必ず満身の愛を捧げて琴瑟きんしつ調和の実を挙げらるるに相違ないちうわけや。万一寒月君が迷亭やらなんやらの説法に動かされて、この千古の良縁が破れるとしても、この陰士が健在であるうちは大丈夫であるちうわけや。吾輩は未来の事件の発展をここまで予想して、富子嬢のために、やっと安心したちうわけや。この泥棒君が天地の間に存在するのは富子嬢の生活を幸福ならしむる一大要件であるちうわけや。

陰士は小脇になにか抱えとる。見ると先刻さっき主人が書斎へ放り込んだ古毛布ふるげっとであるちうわけや。唐桟とうざん半纏はんてんに、御納戸おなんど博多はかたの帯を尻の上にむすんで、生白なまじろすねひざから下むき出しのまんま今や片足を挙げて畳の上へぶちこむ。先刻さっきから赤い本に指をまれた夢を見とった、主人はこの時寝返りをどうと打ちながら「寒月や」と大きな声を出す。陰士は毛布けっとを落して、出した足を急に引き込まんねん。障子の影に細長い向脛むこうずねが二本立ったまんまかすかに動くのが見えるちうわけや。主人はうーん、むにゃむにゃと云いながら例の赤本を突き飛ばして、黒い腕を皮癬病ひぜんやみのようにぼりぼりく。そのあとは静まり返って、枕をはずしたなり寝てしまうわ。寒月だと云ったのはまるっきし我知らずの寝言と見えるちうわけや。陰士はちーとの間椽側えんがわに立ったまんま室内の動静をうかがっとったが、主人夫婦の熟睡しとるのを見済みすましてまた片足を畳の上にぶちこむ。今度は寒月だと云う声も聞えぬ。やがて残る片足も踏み込む。一穂いっすい春灯しゅんとうで豊かに照らされとった六畳のは、陰士の影に鋭どく二分せられて柳行李やなぎごうりへんから吾輩の頭の上を越えて壁のなかばが真黒になるちうわけや。振り向いて見ると陰士の顔の影がちょうど壁の高さの三分の二の所に漠然ばくぜんと動いとる。好男子も影だけ見ると、がしらもののごとくまことに妙な恰好かっこうであるちうわけや。陰士は細君の寝顔を上からのぞき込んで見たが何のためかにやにやと笑ったちうわけや。笑い方までが寒月君の模写であるには吾輩も驚いたちうわけや。

細君の枕元には四寸角の一尺五六寸ばかりの釘付くぎづけにした箱が大事そうに置いてあるちうわけや。これは肥前の国は唐津からつの住人多々良三平君たたらはんぺいくんが先日帰省した時御土産おみやげに持って攻めて来よった山のいもであるちうわけや。山の芋を枕元へ飾って寝るのはあまり例のない話しではあるがこの細君は煮物に使う三盆はんぼん用箪笥ようだんすへぶちこむくらい場所の適不適と云う観念に乏しい女であるから、細君にとれば、山の芋はおろか、沢庵たくあんが寝室にっても平気かも知れん。せやけどダンさん神ならぬ陰士はそないな女と知ろうはずがないちうわけや。かくまで鄭重ていちょうに肌身に近く置いてある以上は大切な品物であろうと鑑定するのも無理はないちうわけや。陰士はちーとばかし山の芋の箱を上げて見たがその重さが陰士の予期と合して大分だいぶ目方がかかりそうなんやこれがホンマにこぶる満足のていであるちうわけや。いよいよ山の芋を盗むなと思ったら、しかもこの好男子にして山の芋を盗むなと思ったら急におかしくなりよった。せやけどダンさん滅多めったに声を立てると危険であるからじっとこらえとる。

やがて陰士は山の芋の箱をうやうやしく古毛布ふるげっとにくるみ初めたちうわけや。なにかからげるものはないかとあたりを見廻す。と、幸い主人が寝る時にきすてた縮緬ちりめん兵古帯へこおびがあるちうわけや。陰士は山の芋の箱をこの帯でしっかりくくって、苦もなく背中へしょうわ。あまり女がく体裁ではおまへん。ほんで小供のちゃんちゃんを二枚、主人のめりやす股引ももひきの中へ押し込むと、股のあたりが丸くふくれて青大将あおだいしょうかえるを飲んだような⸺せやなかったら青大将の臨月りんげつと云う方がよく形容し得るかも知れん。とにかく変な恰好かっこうになりよった。嘘だと思うなら試しにやって見るがよろしいちうわけや。陰士はめり安をぐるぐるくびたまきつけたちうわけや。その次はどうするかと思うと主人のつむぎの上着を大風呂敷のようにひろげてこれに細君の帯と主人の羽織と繻絆じゅばんとその他あらゆる雑物ぞうもつを奇麗に畳んでくるみ込む。その熟練と器用なやり口にもちーとばかし感心したちうわけや。ほんで細君の帯上げとしごきとをぎ合わせてこの包みをくくって片手にさげるちうわけや。まだ頂戴ちょうだいするものは無いかなと、あたりを見廻しとったが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、ちーとばかしたもとへ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプにかざして火をけるちうわけや。まそうに深く吸って吐き出した煙りが、乳色のホヤをめぐってまだ消えぬに、陰士の足音は椽側えんがわを次第に遠のいて聞えなくなりよった。主人夫婦は依然として熟睡しとる。人間も存外迂濶うかつなものであるちうわけや。

吾輩はまた暫時ざんじの休養を要するちうわけや。のべつに喋舌しゃべっていては身体が続かないちうわけや。ぐっと寝込んで眼がめた時は弥生やよいの空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしとる時やった。

「ほなら、ここから這入はいって寝室の方へ廻ったんやな。あんさん方は睡眠中で一向いっこう気がつかなかったちうワケやな」

「ええ」と主人はちびっときまりがわるそうであるちうわけや。

「それで盗難にかかったのは何時なんじ頃やろか」と巡査は無理な事を聞く。時間が分るくらいならにも盗まれる必要はないのであるちうわけや。それに気が付かぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしとる。

「何時頃かな」

「そうやね」と細君は考えるちうわけや。考えれば分ると思っとるらしいちうわけや。

「あんさんはゆうべ何時に御休みになりよったんやろか」

「俺の寝たのは御前よりあとや」

「ええわいわたくしの伏せったのは、あんさんより前や」

「眼が覚めたのは何時やったかな」

「七時半やったろうわ」

「すると盗賊の這入はいったのは、何時頃になるかな」

「なんでも夜なかでっしゃろ」

夜中よなかは分りきっとるが、何時頃かと云うんや」

「たしかなトコはよく考えて見ないと分りまへんわ」と細君はまだ考えるつもりでいるちうわけや。巡査はただ形式的に聞いたさかいあるから、いつ這入ったトコロが一向いっこう痛痒つうようを感じないのであるちうわけや。嘘でも何でも、ええ加減な事を答えてくれればいと思っとるのに主人夫婦が要領を得ない問答をしとるものやから少々れたくなりよったと見えて

「それや盗難の時刻は不明なんやな」と云うと、主人は例のごとき調子で

「まあ、そうやな」と答えるちうわけや。巡査は笑いもせんと

「やあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寝たトコロが盗賊が、どこそこの雨戸をはずしてどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行ったから右翼告訴及みぎこくそにおよび候也そうろうなりちう書面をお出しなさいちうわけや。届ではおまへん告訴や。名宛なあてはない方がええ」

「品物は一々かくんやろか」

「ええ羽織何点代価なんぼと云う風に表にして出すんや。⸺いや這入はいって見たって仕方がないちうわけや。られたあとなんやから」と平気な事を云って帰って行く。

主人は筆硯ふやずりを座敷の真中へ持ち出して、細君を前に呼びつけて「これから盗難告訴をかくから、盗られたものを一々云え。さあ云え」とあたかも喧嘩でもするような口調で云うわ。

「あらいやだ、さあ云えだなんて、そないな権柄けんぺいずくでどなたはんが云うもんやろか」と細帯を巻き付けたまんまどっかと腰をえるちうわけや。

「その風はなんだ、宿場女郎の出来損できそこない見たようや。なんでやねん帯をしめて出て来ん」

「これで悪るければ買ってくれへんかの。宿場女郎でも何でも盗られりゃ仕方がないやおまへんか」

「帯までとって行ったのか、ひどい奴や。それや帯から書き付けてやろうわ。帯はどないな帯や」

「どないな帯って、そないなに何本もあるもんやろか、黒繻子くろじゅす縮緬ちりめんの腹合せの帯や」

「黒繻子と縮緬の腹合せの帯一筋⸺あたいはなんぼくらいや」

「六円くらいでっしゃろ」

「生意気に高い帯をしめてるな。今度から一円五十銭くらいのにしておけ」

「そないな帯があるものやか。それやからあんさんは不人情だと云うんや。女房なんどは、どないな汚ない風をしていても、オノレさいけりゃ、構いまへんんでっしゃろ」

「まあええや、ほんで何や」

糸織いとおりの羽織や、あれは河野こうのの叔母はんの形身かたみにもろたんで、同じ糸織でも今の糸織とは、たちが違いますわ」

「そないな講釈は聞かんでもええ。値段はなんぼや」

「十五円」

「十五円の羽織を着るなんて身分不相当や」

「ええやおまへんか、あんさんに買っていただきゃあしまいし」

「その次は何や」

「黒足袋が一足」

「御前のか」

「あんさんんでさあね。代価が二十七銭」

「ほんで?」

「山の芋が一箱」

「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」

「どうするつもりか知りまへん。泥棒のトコへ行って聞いていらっしゃいちうわけや」

「なんぼするか」

「山の芋のねだんまでは知りまへん」

「そないなら十二円五十銭くらいにしておこうわ」

「馬鹿馬鹿しいやおまへんか、なんぼ唐津からつから掘って攻めて来よったって山の芋が十二円五十銭してたまるもんやろか」

「せやけどダンさん御前は知らんと云うやないか」

「知りまへんわ、知りまへんが十二円五十銭なんて法外やもの」

「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何や。まるで論理に合わん。それやから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんや」

「何やって」

「オタンチン・パレオロガスだよ」

「何やそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」

「何でもええ。ほんであとは⸺俺の着物は一向いっこう出て来んやないか」

「あとは何でもうござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かして頂戴ちょうだい

「意味もにもあるもんか」

「教えて下すってもええやおまへんか、あんさんはよっぽどわいを馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が毛唐のセリフを知りまへんと思って悪口をおっしゃったんだよ」

な事を言わんで、早くあとを云うが好いちうわけや。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」

「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしまへん。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えて頂戴」

「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」

「そないなら、品物の方もあとはおまへん」

頑愚がんぐだな。ほなら勝手にするがええ。俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」

「わいも品数しなかずを教えて上げまへん。告訴はあんさんが御オノレでなさるんやろから、わいは書いていただかないでも困りまへん」

「それやそうわ」と主人は例のごとくふいと立って書斎へ這入はいるちうわけや。細君は茶の間へ引き下がって針箱の前へ坐るちうわけや。両人ふたり共十分間ばかりは何にもせんと黙って障子をにらめ付けとる。

トコへ威勢よく玄関をあけて、山の芋の寄贈者多々良三平たたらはんぺい君があがってくるちうわけや。多々良三平君はもとこのの書生やったが今では法科大学を卒業してある会社の鉱山部に雇われとる。これも実業家の芽生めばえで、鈴木藤十郎君の後進生であるちうわけや。三平君はよりどエライ昔の関係から時々旧先生の草廬そうろを訪問して日曜やらなんやらには一日遊んで帰るくらい、この家族とは遠慮のない間柄であるちうわけや。

「奥はん。よか天気でござるんや」と唐津訛からつなまりか何ぞで細君の前にズボンのまんま立て膝をつく。

「おや多々良はん」

「先生はどこぞ出なすったか」

「えええ書斎にいますわ」

「奥はん、先生のごと勉強しなさると毒やばいちうわけや。たまの日曜だもの、あんさん」

「わいに言っても駄目やから、あんさんが先生にそうおっしゃいちうわけや」

「そればってんが……」と言い掛けた三平君は座敷中を見廻わして「今日は御嬢はんも見えんな」と半分妻君に聞いとるや否や次のからとん子とすん子が馳け出して来るちうわけや。

「多々良はん、今日は御寿司おすしを持って来て?」と姉のとん子は先日の約束を覚えていて、三平君の顔を見るや否や催促するちうわけや。多々良君は頭をきながら

「よう覚えとるのう、この次はきっと持って来まんねん。今日は忘れたちうわけや」と白状するちうわけや。

「いやーや」と姉が云うと妹もすぐ真似をして「いやーや」とつけるちうわけや。細君はようやっと御機嫌が直って少々笑顔になるちうわけや。

「寿司は持って来んが、山の芋は上げたろうわ。御嬢はん喰べなさったか」

「山の芋ってなあに?」と姉がきくと妹が今度もまた真似をして「山の芋ってなあに?」と三平君に尋ねるちうわけや。

「まだ食いなさらんか、早く御母おかあはんに煮て御貰いちうわけや。唐津からつの山の芋は東京のとは違ってうまかあ」と三平君が国自慢をすると、細君はようやっと気が付いて

「多々良はんせんだっては御親切に沢山ありがとうわ」

「どうや、喰べて見なすったか、折れんように箱をあつらえて堅くつめて攻めて来よったから、長本日この時までおましたろうわ」

「トコロがせっかく下すった山の芋をゆうべ泥棒に取られてしまって」

「ぬすが? 馬鹿な奴やなあ。そげん山の芋の好きな男がおるんやか?」と三平君おおいに感心しとる。

御母おかあさま、夕べ泥棒が這入はいったの?」と姉が尋ねるちうわけや。

「ええ」と細君はかろく答えるちうわけや。

「泥棒が這入って⸺そうして⸺泥棒が這入って⸺どないな顔をして這入ったの?」と今度は妹が聞く。この奇問には細君も何と答えてよいか分らんので

こわい顔をして這入ったんや」と返事をして多々良君の方を見るちうわけや。

「恐い顔って多々良はん見たような顔なの」と姉が気の毒そうにもなく、押し返して聞く。

「何やね。そないな失礼な事を」

「ハハハハわいわいの顔はそないなに恐いやろか。困ったな」と頭をく。多々良君の頭の後部には直径一寸ばかりの禿はげがあるちうわけや。一カ月前から出来だして医者に見て貰ったが、まだ容易になおりそうもないちうわけや。この禿を第一番に見付けたのは姉のとん子であるちうわけや。

「あら多々良はんの頭は御母おかあさまのようにかってよ」

「だまっていらっしゃいと云うのに」

「御母あさま夕べの泥棒の頭も光かってて」とこれは妹の質問であるちうわけや。細君と多々良君とは思わず吹き出したが、あまりわずらわしくて話もなあんも出来ぬので「さあさあ御前はん達はちびっと御庭へ出て御遊びなさいちうわけや。今に御母あさまが好い御菓子を上げるから」と細君はようやっとボウズを追いやって

「多々良はんの頭はどうしたの」と真面目に聞いて見るちうわけや。

「虫が食おったんや。なかなか癒りまへん。奥はんも有んなさるか」

「やだわ、虫が食うなんて、そりゃまげで釣るトコは女やからちびっとは禿げまんねんさ」

「禿はみんなバクテリヤやばいちうわけや」

「わいのはバクテリヤやおまへん」

「そりゃ奥はん意地張りたいちうわけや」

「何でもバクテリヤやおまへん。せやけどダンさん毛唐のセリフで禿の事を何とか云うでっしゃろ」

「禿はボールドとか云いますわ」

「えええ、それやないの、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと長い名があるでっしゃろ」

「先生に聞いたら、すぐわかりまひょ」

「先生はどうしても教えて下さりまへんから、あんさんに聞くんや」

わいわいはボールドより知りまへんが。長かって、どげんやろか」

「オタンチン・パレオロガスと云うんや。オタンチンと云うのが禿と云う字で、パレオロガスが頭なんでっしゃろ」

「そうかも知れまへんたいちうわけや。今に先生の書斎へ行ってウェブスターを引いて調べて上げまひょ。せやけどダンさん先生もよほど変っていなさいますわな。この天気の好いのに、うちにじっとして⸺奥はん、あれや胃病は癒りまへんな。ちと上野へでも花見に出掛けなさるごと勧めなさいちうわけや」

「あんさんが連れ出してくれへんかの。先生は女の云う事は決して聞かない人やろから」

「きょうびでもジャムをめなさるか」

「ええ相変らずや」

「せんだって、先生こぼしていなさおったんや。どうもさいが俺のジャムの舐め方が烈しいと云って困るが、俺はそないなに舐めるつもりはないちうわけや。何ぞ勘定違いやろうと云いなさるから、そりゃ御嬢はんや奥はんがいっしょに舐めなさるに違ない⸺」

「いやな多々良はんだ、何だってそないな事を云うんや」

「せやけどダンさん奥はんだって舐めそうな顔をしていなさるばいちうわけや」

「顔でそないな事がどうして分るんや」

「分らんばってんが⸺それや奥はんちびっとも舐めなさらんか」

「そりゃちびっとは舐めまんねんさ。舐めたって好いやおまへんか。うちのものだもの」

「ハハハハそうやろうと思った⸺せやけどダンさんほんこと、泥棒は飛んだ災難やったな。山の芋ばかり持ってたちうワケやか」

「山の芋ばかりなら困りゃしまへんが、不断着をみんな取って行きたんや」

「早速困るんやか。また借金をせなならんやろか。この猫が犬ならよかったに⸺惜しい事をしたなあ。奥はん犬のふとやつを是非一丁飼いなさいちうわけや。⸺猫は駄目やばい、飯を食うばかりで⸺ちっとは鼠でもるんやか」

「一匹もとった事はおまへん。ホンマに横着な図々図々ずうずうしい猫や」

「いやそりゃ、どうもこうもならん。早々棄てなさいちうわけや。わいわいが貰って行って煮て食おうか知らん」

「あら、多々良はんは猫を食べるの」

「食おったんや。猫はうもうござるんや」

「随分豪傑ね」

下等な書生のうちには猫を食うような野蛮人があるよしはかねて伝聞したが、吾輩が平生眷顧けんこかたじけのうする多々良君その人もまたこの同類ならんとは今が本日この時まで夢にも知らなかったちうわけや。いわんや同君はすでに書生ではおまへん、卒業の日は浅きにもかかわらず堂々たる一個の法学士で、物産会社の役員であるのやから吾輩の驚愕きょうがくもまた一と通りではおまへん。人を見たら泥棒と思えと云う格言は寒月第二世の行為によってすでに証拠立てられたが、人を見たら猫食いと思えとは吾輩も多々良君の御蔭によって始めて感得した真理であるちうわけや。世に住めば事を知る、事を知るは嬉しいが日に日に危険がようけて、日に日に油断がならなくなるちうわけや。狡猾こうかつになるのも卑劣になるのも表裏二枚合せの護身服を着けるのも皆事を知るの結果であって、事を知るのは年を取るの罪であるちうわけや。老人にろくなものがおらへんのはこの理だな、吾輩やらなんやらもせやなかったら今のうちに多々良君のなべの中で玉葱たまねぎと共に成仏じょうぶつする方が得策かも知れんと考えてすみの方に小さくなっとると、最前さいぜん細君と喧嘩をして一反いったん書斎へ引き上げた主人は、多々良君の声を聞きつけて、のそのそ茶の間へ出てくるちうわけや。

「先生泥棒に逢いなさったそうやな。なんちゅな事や」と劈頭へきとう一番にやり込めるちうわけや。

這入はいる奴がなんや」と主人はどこまでも賢人をもって自任しとる。

「這入る方も愚だばってんが、取られた方もあまりかしこくはなかごたるちうわけや」

「何にも取られるものの無い多々良はんのようなのが一番賢こいんでっしゃろ」と細君が此度こんど良人おっとドッコイたこやきはうまいで…あかん、脱線やの肩を持つ。

「せやけどダンさん一番愚なのはこの猫やばいちうわけや。ほんにまあ、どう云う了見やろうわ。鼠はらず泥棒が来ても知らん顔をしとる。⸺先生この猫をわいわいにくんなさらんか。こうしておいたっちゃ何の役にも立ちまへんばいちうわけや」

「やっても好いちうわけや。何にするんや」

「煮て喰べまんねん」

主人は猛烈なるこの一言いちごんを聞いて、うふと気味の悪い胃弱性の笑をらしたが、別段の返事もせんので、多々良君も是非食いたいとも云わなかったのは吾輩にとって望外の幸福であるちうわけや。主人はやがて話頭を転じて、

「猫はどうでも好いが、着物をとられたさかい寒くていかん」とおおい銷沈しょうちんていであるちうわけや。なるほど寒いはずであるちうわけや。昨日きのうまでは綿入を二枚重ねとったのに今日はあわせ半袖はんそでのシャツだけで、朝から運動もせず枯坐こざしたぎりであるから、不充分な血液はことごとく胃のために働いて手足の方へはちびっとも巡回して来ないちうわけや。

「先生教師やらなんやらをしておったちゃとうていあかんやばいちうわけや。ちーとばかし泥棒に逢っても、すぐ困る⸺一丁いっちょう今から考をえて実業家にでもなんなさらんか」

「先生は実業家はきらいやから、そないな事を言ったって駄目よ」

と細君がそばから多々良君に返事をするちうわけや。細君は無論実業家になって貰いたいのであるちうわけや。

「先生学校を卒業して何年になんなさるか」

「今年で九年目でっしゃろ」と細君は主人をかえりみるちうわけや。主人はそうだとも、そうで無いとも云いまへん。

「九年立っても月給は上がらず。なんぼ勉強しても人はめちゃくれず、郎君ろうくん独寂寞ひとりせきばくやたいちうわけや」と中学時代で覚えた詩の句を細君のために朗吟すると、細君はちーとばかし分りかねたものやから返事をせん。

「教師は無論きらいやけど、実業家はなお嫌いや」と主人は何が好きだか心のうちで考えとるらしいちうわけや。

「先生は何でも嫌なんやから……

「嫌でないのは奥はんだけやろか」と多々良君がらに似合わぬ冗談じょうだんを云うわ。

「一番嫌や」主人の返事はもっとも簡明であるちうわけや。細君は横を向いてちーとばかしすましたがもっかい主人の方を見て、

「生きていらっしゃるのも御嫌おきらいなんでっしゃろ」と充分主人をへこたんやつもりで云うわ。

「あまり好いてはおらん」と存外呑気のんきな返事をするちうわけや。これでは手のつけようがないちうわけや。

「先生ちっと活溌かっぱつに散歩でもしなさらんと、からだをこわしてしまいますわばいちうわけや。⸺そうして実業家になんなさいちうわけや。金なんかもうけるのは、ほんに造作ぞうさもない事でござるんや」

「ちびっとも儲けもせん癖に」

「まだあんさん、去年やっと会社へ這入はいったばかりやもの。それでも先生より貯蓄があるんや」

「どのくらい貯蓄したの?」と細君は熱心に聞く。

「もう五十円になるんや」

「一体あんさんの月給はどのくらいなの」これも細君の質問であるちうわけや。

「三十円やたいちうわけや。その内を毎月五円ずつ会社の方で預って積んでおいて、いざと云う時にやるんや。⸺奥はん小遣銭で外濠線そとぼりせんの株をちびっと買いなさらんか、今から三四個月すると倍になるんや。ほんにちびっと金さえあれば、すぐ二倍にでも三倍にでもなるんや」

「そないな御金があれば泥棒に逢ったって困りゃせんわ」

「それやから実業家に限ると云うんや。先生も法科でもやって会社か銀行へでも出なされば、今頃は月に三四百円の収入はあるんやのに、惜しい事でござんしたな。⸺先生あの鈴木藤十郎と云う工学士を知ってなさるか」

「うん昨日きのう攻めて来よった」

「そうでござんすか、せんだってある宴会で逢おったんや時先生の御話をしたら、そうか君は苦沙弥くしゃみ君のトコの書生をしとったのか、僕も苦沙弥君とはむかし小石川の寺でいっしょに自炊をしておった事がある、今度行ったらよろしく云うてくれ、僕もその内尋ねるからと云っておったんや」

「近頃東京へ攻めて来よったそうだな」

「ええ本日この時まで九州の炭坑におったんやが、こないだ東京づめになったんや。なかなかうまいや。わいわいなぞにでも朋友のように話しまんねん。⸺先生あの男がなんぼ貰ってると思いなさるちうわけや」

「知らん」

「月給が二百五十円で盆暮に配当がつきまっしゃろから、何でも平均四五百円になるんやばいちうわけや。あげな男が、よかしこ取っておるのに、先生はリーダー専門で十年一狐裘いちこきゅうや馬鹿気ておるんやなあ」

「実際馬鹿気とるな」と主人のような超然主義の人でも金銭の観念は普通の人間とことなるトコはないちうわけや。否困窮するだけに人一倍金が欲しいのかも知れへん。多々良君は充分実業家の利益を吹聴ふいちょうしてもう云う事が無くなりよったものやから

「奥はん、先生のトコへ水島寒月と云うじんが来まっしゃろか」

「ええ、善くいらっしゃいますわ」

「どげんな人物やろか」

「エライ学問の出来る方だそうや」

「好男子やろか」

「ホホホホ多々良はんくらいなものでっしゃろ」

「そうやろか、わいわいくらいなものやか」と多々良君真面目であるちうわけや。

「どうして寒月の名を知っとるのかいちうわけや」と主人が聞く。

「せんだって或る人から頼まれたんや。そないな事を聞くだけの価値のある人物でっしゃろか」多々良君は聞かぬ先からすでに寒月以上に構えとる。

「君よりよほどえらい男や」

「そうでおますか、わいわいよりえらいやろか」と笑いもせずおこりもせぬ。これが多々良君の特色であるちうわけや。

近々きんきん博士になるんやか」

「今論文を書いてるそうや」

「やっぱり馬鹿やな。博士論文をかくなんて、もうちびっと話せる人物かと思ったら」

「相変らず、えらい見識やね」と細君が笑いながら云うわ。

「博士になりよったら、だれとかの娘をやるとかやらんとか云うておったんやから、そないな馬鹿があろうか、娘を貰うために博士になるなんて、そないな人物にくれるより僕にくれる方がよほどましだと云ってやったんや」

「だれに」

わいわいに水島の事を聞いてくれと頼んだ男や」

「鈴木やないか」

「えええ、あの人にゃ、まだそないな事は云い切りまへん。向うは大頭やろから」

「多々良はんは蔭弁慶かげべんけいね。うちへなんぞ来ちゃエライ威張っても鈴木はんやらなんやらの前へ出ると小さくなってるんでっしゃろ」

「ええ。そうせんと、あぶないや」

「多々良、散歩をしようか」と突然主人が云うわ。先刻さっきからあわせ一枚であまり寒いのでちびっと運動でもしたら暖かになるやろうと云う考から主人はこの先例のない動議を呈出したさかいあるちうわけや。行き当りばったりの多々良君は無論逡巡しゅんじゅんする訳がないちうわけや。

「行きまひょ。上野にしまっか。芋坂いもざかへ行って団子を食いまひょか。先生あすこの団子を食った事があるんやか。奥はん一返行って食って御覧。柔らかくて安いや。酒も飲ませまんねん」と例によって秩序のない駄弁をふるってるうちに主人はもう帽子を被って沓脱くつぬぎへ下りるちうわけや。

吾輩はまた少々休養を要するちうわけや。主人と多々良君が上野公園でどないな真似をして、芋坂で団子を幾皿食ったかその辺の逸事は探偵の必要もなし、また尾行びこうする勇気もないからずっと略してそのあいだ休養せんければならん。休養は万物の旻天びんてんから要求してしかるべき権利であるちうわけや。この世に生息すべき義務を有して蠢動しゅんどうする者は、生息の義務を果すために休養を得ねばならぬ。もし神ありてなんじは働くために生れたり寝るために生れたるに非ずと云わば吾輩はこれに答えて云わん、吾輩は仰せのごとく働くために生れたり故に働くために休養を乞うと。主人のごとく器械に不平を吹き込んだまでの木強漢ぼくきょうかんやら、時々は日曜以外に自弁休養をやるではおまへんか。多感多恨にして日夜心神を労する吾輩ごとき者は仮令たとい猫といえども主人以上に休養を要するは勿論の事であるちうわけや。ただ先刻さっき多々良君が吾輩を目して休養以外に何等の能もない贅物ぜいぶつのごとくにののしったのは少々気掛りであるちうわけや。とかく物象ぶっしょうにのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評価するのでも形骸以外にわたらんのは厄介であるちうわけや。何でも尻でも端折はしょって、汗でも出さないと働らいておらへんように考えとる。達磨だるまと云う坊はんは足の腐るまで座禅をして澄ましとったと云うが、仮令たとい壁のすきからつたが這い込んで大師の眼口をふさぐまで動かないにしろ、寝とるんでも死んでいるんでもないちうわけや。頭の中は常に活動して、廓然無聖かくねんむしょうやらなんやらと乙な理窟を考え込んでいるちうわけや。儒家にも静坐の工夫と云うのがあるそうや。これだって一室のうちに閉居して安閑といざりの修行をするのではおまへん。脳中の活力は人一倍さかんに燃えとる。ただ外見上は至極沈静端粛のていであるから、天下の凡眼はこれらの知識巨匠をもって昏睡仮死こんすいかし庸人ようじん見做みなして無用の長物とか穀潰ごくつぶしとか入らざる誹謗ひぼうの声を立てるのであるちうわけや。これらの凡眼は皆形を見て心を見ざる不具なる視覚を有して生れついた者で、⸺しかもの多々良三平君のごときは形を見て心を見ざる第一流の人物であるから、この三平君が吾輩を目して乾屎橛かんしけつ同等に心得るのももっともやけど、恨むらくはちびっとく古今の書籍を読んで、やや事物の真相を解し得たる主人までが、浅薄なる三平君に一も二もなく同意して、猫鍋ねこなべに故障をさしはさ景色けしきのない事であるちうわけや。せやけどダンさん一歩退いて考えて見ると、かくまでに彼等が吾輩を軽蔑けいべつするのも、あながち無理ではおまへん。大声は俚耳りじに入らず、陽春白雪の詩には和するもの少なしのたとえも古くさい昔からある事や。形体以外の活動を見るあたわざる者に向って己霊これいの光輝を見よとゆるは、坊主に髪をえとせまるがごとく、まぐろに演説をして見ろと云うがごとく、電鉄に脱線を要求するがごとく、主人に辞職を勧告するごとく、三平に金の事を考えるなと云うがごときものであるちうわけや。必竟ひっきょう無理な注文に過ぎん。せやけどダンさんながら猫といえども社会的動物であるちうわけや。社会的動物である以上はいかに高くみずから標置するとも、或る程度までは社会と調和して行かねばならん。主人や細君や乃至ないしはん、三平づれが吾輩を吾輩相当に評価してくれんのは残念ながら致し方がないとして、不明の結果皮をいで三味線屋に売り飛ばし、肉を刻んで多々良君の膳にのぼすような無分別をやられては由々ゆゆしき大事であるちうわけや。吾輩は頭をもって活動すべき天命を受けてこの娑婆しゃばに出現したほどの古今来ここんらいの猫であれば、どエライ大事な身体であるちうわけや。千金の堂陲どうすいに坐せずとのことわざもある事なれば、好んで超邁ちょうまいそうとして、いたずらに吾身の危険を求むるのは単に自己のわざわいなるのみならず、また大いに天意にそむく訳であるちうわけや。猛虎も動物園に入れば糞豚ふんとんの隣りに居を占め、鴻雁こうがんも鳥屋に生擒いけどらるれば雛鶏すうけいまないたおなじゅうす。庸人ようじん相互あいごする以上はくだって庸猫ようびょうと化せざるべからず。庸猫たらんとするやろ、ほしたら鼠をらざるべからず。⸺吾輩はとうとう鼠をとる事にめたちうわけや。

せんだってじゅうから大日本帝国は露西亜ロシアと大戦争をしとるそうや。吾輩は大日本帝国の猫やから無論大日本帝国贔負びいきであるちうわけや。出来得べくんば混成こんせい猫旅団ねこりょだんを組織して露西亜兵を引っいてやりたいと思うくらいであるちうわけや。かくまでに元気旺盛おうせいな吾輩の事であるから鼠の一疋や二疋はとろうとする意志さえあれば、寝ていても訳なくれるちうわけや。むかしある人当時有名な禅師に向って、どうしたら悟れまひょと聞いたら、猫が鼠をねらうようにさしゃれと答えたそうや。猫が鼠をとるようにとは、かくさえすればずれっこはござらぬと云う意味であるちうわけや。女さかしゅうしてと云う諺はあるが猫さかしゅうして鼠そこなうと云う格言はまだ無いはずや。して見ればいかにかしこい吾輩のごときものでも鼠の捕れんはずはあるまいちうわけや。とれんはずはあるまいどころか捕り損うはずはあるまいちうわけや。本日この時まで捕らんのは、捕りたくないからの事さ。春の日はきのうのごとく暮れて、折々の風に誘わるる花吹雪はなふぶきが台所の腰障子の破れから飛び込んで手桶ておけの中に浮ぶ影が、薄暗き勝手用のランプの光りに白く見えるちうわけや。今夜こそ大手柄をして、うちじゅう驚かしてやろうと決心した吾輩は、あらかじめ戦場を見廻って地形を飲み込んでおく必要があるちうわけや。戦闘線は勿論もちろんあまり広かろうはずがないちうわけや。畳数にしたら四畳敷もあろうか、その一畳を仕切って半分は流し、半分は酒屋八百屋の御用を聞く土間であるちうわけや。へっついは貧乏勝手に似合わぬ立派な者で赤の銅壺どうこがぴかぴかして、うしろは羽目板のを二尺のこして吾輩の鮑貝あわびがいの所在地であるちうわけや。茶の間に近き六尺は膳椀ぜんわん皿小鉢さらこばちをぶちこむ戸棚となってせまき台所をいとど狭く仕切って、横に差し出すむき出しの棚とすれすれの高さになっとる。その下に摺鉢すりばち仰向あおむけに置かれて、摺鉢の中には小桶の尻が吾輩の方を向いとる。大根卸し、摺小木すりこぎが並んで[*ルビの「か」は底本では「け」]けてあるかたわらに火消壺だけが悄然しょうぜんひかえとる。真黒になりよった樽木たるきの交叉した真中から一本の自在じざいを下ろして、先へは平たい大きなかごをかけるちうわけや。その籠が時々風に揺れて鷹揚おうように動いとる。この籠は何のために釣るすのか、このうちへ攻めて来よったてには一向いっこう要領を得なかったが、猫の手の届かぬためわざと食物をここへぶちこむと云う事を知ってから、人間の意地の悪い事をしみじみ感じたちうわけや。

これから作戦計画や。どこで鼠と戦争するかと云えば無論鼠の出る所でなければならぬ。いかにこっちに便宜べんぎな地形やからと云って一人で待ち構えていてはてんで戦争にならん。ここにおいてか鼠の出口を研究する必要が生ずるちうわけや。どの方面から来るかなと台所の真中に立って四方を見廻わす。何だか東郷大将のような心持がするちうわけや。下女はさっき湯に行って戻ってん。小供はとくに寝とる。主人は芋坂いもざかの団子を喰って帰って来て相変らず書斎に引きこもっとる。細君は⸺細君は何をしとるか知りまへん。大方居眠りをして山芋の夢でも見とるのやろうわ。時々門前を人力じんりきが通るが、通り過ぎたあとは一段と淋しいちうわけや。わが決心と云い、わが意気と云い台所の光景と云い、四辺しへん寂寞せきばくと云い、全体の感じがことごとく悲壮であるちうわけや。どうしても猫中ねこちゅうの東郷大将としか思われへん。こう云う境界きょうがいに入ると物凄ものすごい内に一種の愉快を覚えるのはどなたはんしも同じ事であるが、吾輩はこの愉快の底に一大心配がよこたわっとるのを発見したちうわけや。鼠と戦争をするのは覚悟の前やから何疋来てもこわくはないが、出てくる方面が明瞭でないのは不都合であるちうわけや。周密なる観察から得た材料を綜合そうごうして見ると鼠賊そぞく逸出いっしゅつするのには三つの行路があるちうわけや。彼れらがもしどぶ鼠であるならば土管を沿うて流しから、へっついの裏手へ廻るに相違ないちうわけや。その時は火消壺の影に隠れて、帰り道を絶ってやるちうわけや。せやなかったらみぞへ湯を抜く漆喰しっくいの穴より風呂場を迂回うかいして勝手へ不意に飛び出すかも知れへん。そうしたら釜のふたの上に陣取って眼の下に攻めて来よった時上から飛び下りて一攫ひとつかみにするちうわけや。ほんでとまたあたりを見廻すと戸棚の戸の右翼の下隅が半月形はんげつけいに喰い破られて、彼等の出入しゅつにゅうに便なるかの疑があるちうわけや。鼻を付けていで見ると少々鼠くさいちうわけや。もしここから吶喊とっかんして出たら、柱をたてにやり過ごしておいて、横合からあっと爪をかけるちうわけや。もし天井から攻めて来よったらと上を仰ぐと真黒なすすがランプの光で輝やいて、地獄を裏返しに釣るしたごとくちーとばかし吾輩の手際てぎわではのぼる事も、くだる事も出来ん。まさかあないな高い処から落ちてくる事もなかろうからとこの方面だけは警戒をく事にするちうわけや。それにしても三方から攻撃される懸念けねんがあるちうわけや。一口なら片眼でも退治して見せるちうわけや。二口ならどうにか、こうにかやってのける自信があるちうわけや。せやけどダンさん三口となるといかに本能的に鼠をるべく予期せらるる吾輩も手の付けようがないちうわけや。さればと云って車屋の黒ごときものを助勢に頼んでくるのも吾輩の威厳に関するちうわけや。どうしたら好かろうわ。どうしたら好かろうと考えて好い智慧ちえが出ない時は、そないな事は起る気遣きづかいはないと決めるのが一番安心を得る近道であるちうわけや。また法のつかない者は起りまへんと考えたくなるものであるちうわけや。まず世間を見渡して見給え。きのう貰った花嫁も今日死なんとも限らんではおまへんか、せやけどダンさん聟殿むこどのは玉椿千代も八千代もやらなんやら、おめでたい事を並べて心配らしい顔もせんではおまへんか。心配せんのは、心配する価値がないからではおまへん。なんぼ心配したって法が付かんからであるちうわけや。吾輩の場合でも三面攻撃は必ず起らぬと断言すべき相当の論拠はないのであるが、起らぬとする方が安心を得るに便器…おっとちゃうわ、便利であるちうわけや。安心は万物に必要であるちうわけや。吾輩も安心を欲するちうわけや。よって三面攻撃は起らぬとめるちうわけや。

それでもまだ心配が取れぬから、どう云うものかとだんだん考えて見るとようやっと分ったちうわけや。三個の計略のうちいずれを選んだのがもっとも得策であるかの問題に対して、みずから明瞭なる答弁を得るに苦しむからの煩悶はんもんであるちうわけや。戸棚から出るときには吾輩これに応ずる策がある、風呂場から現われる時はこれに対するはかりごとがある、また流しから這い上るときはこれを迎うる成算もあるが、そのうちどれか一つにめねばならぬとなるとおおいに当惑するちうわけや。東郷大将はバルチック艦隊が対馬海峡つしまかいきょうを通るか、津軽海峡つがるかいきょうへ出るか、せやなかったら遠く宗谷海峡そうやかいきょうを廻るかについておおいに心配されたそうやけど、今吾輩が吾輩自身の境遇から想像して見て、ご困却の段実に御察し申す。吾輩は全体の状況において東郷閣下に似とるのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者であるちうわけや。

吾輩がかく夢中になって智謀をめぐらしとると、突然破れた腰障子がいて御三おはんの顔がぬうと出るちうわけや。顔だけ出ると云うのは、手足がないと云う訳ではおまへん。ほかの部分は夜目よめでよく見えんのに、顔だけが著るしく強い色をして判然眸底ぼうていに落つるからであるちうわけや。御三はその平常より赤き頬をまんねんまんねん赤くして洗湯から帰ったついでに、昨夜ゆうべりてか、早くから勝手の戸締とじまりをするちうわけや。書斎で主人が俺のステッキを枕元へ出しておけと云う声が聞えるちうわけや。何のために枕頭にステッキを飾るのか吾輩には分らなかったちうわけや。まさか易水えきすいの壮士を気取って、竜鳴りゅうめいを聞こうと云う酔狂でもあるまいちうわけや。きのうは山の芋、今日きょうはステッキ、明日あすは何になるやろうわ。

夜はまだ浅い鼠はなかなか出そうにないちうわけや。吾輩は大戦の前に一と休養を要するちうわけや。

主人の勝手には引窓がないちうわけや。座敷なら欄間らんまと云うような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めとる。惜し気もなく散る彼岸桜ひがんざくらを誘うて、さっと吹き込む風に驚ろいて眼をまんねんと、朧月おぼろづきさえいつのに差してか、へっついの影は斜めに揚板あげいたの上にかかるちうわけや。寝過ごしはせぬかと二三度耳を振って家内の容子ようすうかがうと、しんとして昨夜のごとく柱時計の音のみ聞えるちうわけや。もう鼠の出る時分や。どこぞら出るやろうわ。

戸棚の中でことことと音がしだす。小皿のふちを足で抑えて、中をあらしとるらしいちうわけや。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っとる。なかなか出て来る景色けしきはないちうわけや。皿の音はやがてやんやけど今度はどんぶりか何ぞに掛ったらしい、重い音が時々ごとごととするちうわけや。しかも戸を隔ててすぐ向う側でやっとる、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはないちうわけや。戸一枚向うに現在敵が暴行をたくましくしとるのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならん随分気の長い話や。鼠は旅順椀りょじゅんわんの中で盛に舞踏会を催うしとる。せめて吾輩の這入はいれるだけ御三がこの戸を開けておけば善いのに、気の利かぬ山出しや。

今度はへっついの影で吾輩の鮑貝あわびがいがことりと鳴るちうわけや。敵はこの方面へも攻めて来よったなと、そーっと忍び足で近寄ると手桶ておけの間から尻尾しっぽがちらと見えたぎり流しの下へ隠れてしもた。ちーとの間すると風呂場でうがい茶碗が金盥かなだらいにかちりと当るちうわけや。今度は後方うしろだと振りむく途端に、五寸近くあるおおきな奴がひらりと歯磨の袋を落してえんの下へけ込む。逃がすものかと続いて飛び下りたらもう影も姿も見えぬ。鼠をるのは思ったよりややこしい者であるちうわけや。吾輩は先天的鼠を捕る能力がないのか知らん。

吾輩が風呂場へ廻ると、敵は戸棚から馳け出し、戸棚を警戒すると流しから飛び上り、台所の真中に頑張がんばっとると三方面共少々ずつ騒ぎ立てるちうわけや。小癪こしゃくと云おうか、卑怯ひきょうと云おうかとうてい彼等は君子の敵でないちうわけや。吾輩は十五六回はあちら、ウチと気を疲らししんつからして奔走努力して見たがついにいっぺんも性交…ひひひ、ウソや、成功せん。残念ではあるがかかる小人しょうじんを敵にしてはいかなる東郷大将もほどこすべき策がないちうわけや。始めは勇気もあり敵愾心てきがいしんもあり悲壮と云う崇高な美感さえあったがついには難儀と馬鹿気とるのと眠いのと疲れたさかい台所の真中へ坐ったなり動かない事になりよった。せやけどダンさん動かんでも八方睨はっぽうにらみをめ込んでいれば敵は小人やから大した事は出来んのであるちうわけや。目ざす敵と思った奴が、存外けちな野郎だと、戦争が名誉だと云う感じが消えてくいと云う念だけ残るちうわけや。くいと云う念を通り過すと張り合が抜けてぼーとするちうわけや。ぼーとしたあとは勝手にしろ、どうせ気のいた事は出来ないのやからと軽蔑けいべつきょくねむたくなるちうわけや。吾輩は以上の径路をたどって、ついに眠くなりよった。吾輩は眠るちうわけや。休養は敵中にっても必要であるちうわけや。

横向にひさしを向いて開いた引窓から、また花吹雪はなふぶき一塊ひとかたまりなげ込んで、烈しき風の吾をめぐると思えば、戸棚の口から弾丸のごとく飛び出した者が、避くるもあらばこそ、風を切って吾輩の左翼の耳へ喰いつく。これに続く黒い影はうしろに廻るかと思う間もなく吾輩の尻尾しっぽへぶら下がるちうわけや。またたく間の出来事であるちうわけや。吾輩は何の目的もなく器械的に跳上はねあがるちうわけや。満身の力を毛穴に込めてこの怪物を振り落とそうとするちうわけや。耳に喰い下がったのは中心を失ってだらりと吾が横顔に懸るちうわけや。護謨管ゴムかんのごとき柔かき尻尾の先が思い掛なく吾輩の口に這入るちうわけや。屈竟くっきょう手懸てがかりに、くだけよとばかり尾をくわえながら左翼右翼にふると、尾のみは前歯の間に残って胴体は古新聞で張った壁に当って、揚板の上にね返るちうわけや。起き上がるトコを隙間すきまなくかかれば、まりたるごとく、吾輩の鼻づらをかすめて釣り段のふちに足を縮めて立つ。彼は棚の上から吾輩を見おろす、吾輩は板の間から彼を見上ぐるちうわけや。距離は五尺。その中に月の光りが、大幅おおはばの帯をくうに張るごとく横に差し込む。吾輩は前足に力を込めて、やっとばかり棚の上に飛び上がろうとしたちうわけや。前足だけは首尾よく棚のふちにかかったが後足あとあしは宙にもがいとる。尻尾には最前の黒いものが、死ぬとも離るまじき勢で喰い下っとる。吾輩はあやういちうわけや。前足をえて足懸あしがかりを深くしようとするちうわけや。懸け易える度に尻尾の重みで浅くなるちうわけや。二三分にはんぶ滑れば落ちねばならぬ。吾輩はいよいよ危ういちうわけや。棚板を爪できむしる音ががりがりと聞えるちうわけや。これではならぬと左翼の前足を抜き易える拍子に、爪を見事に懸け損じたさかい吾輩は右翼の爪一本で棚からぶら下ったちうわけや。オノレと尻尾に喰いつくものの重みで吾輩のからやけどぎりぎりと廻わるちうわけや。この時まで身動きもせんとねらいをつけとった棚の上の怪物は、ここぞと吾輩の額を目懸けて棚の上から石を投ぐるがごとく飛び下りるちうわけや。吾輩の爪は一縷いちるのかかりを失うわ。三つのかたまりが一つとなって月の光をたてに切って下へ落ちるちうわけや。次の段に乗せてあった摺鉢すりばちと、摺鉢の中の小桶こおけとジャムの空缶あきかんが同じく一塊ひとかたまりとなって、下にある火消壺を誘って、半分は水甕みずがめの中、半分は板の間の上へ転がり出す。ずぅぇえええぇぇええんぶが深夜にただならぬ物音を立てて死物狂いの吾輩の魂をさえ寒からしめたちうわけや。

「泥棒!」と主人は胴間声どうまごえを張り上げて寝室から飛び出して来るちうわけや。見ると片手にはランプをげ、片手にはステッキを持って、寝ぼけまなこよりは身分相応の炯々けいけいたる光を放っとる。吾輩は鮑貝あわびがいそばにおとなしくして蹲踞うずくまるちうわけや。二疋の怪物は戸棚の中へ姿をかくす。主人は手持無沙汰に「何だどなたはんだ、大きな音をさせたのは」と怒気を帯びて相手もおらへんのに聞いとる。月が西に傾いたさかい、白い光りの一帯は半切はんきれほどに細くなりよった。

こう暑くては猫といえどもやり切れへん。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利イギリスのシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入ふいり毛衣けごろもだけはちーとばかし洗い張りでもするか、もしくは当分のうち質にでも入れたいような気がするちうわけや。人間から見たら猫やらなんやらは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事なぜにのかかりまへん生涯しょうがいを送っとるように思われるかも知れへんが、なんぼ猫だって相応に暑さ寒さの感じはあるちうわけや。たまには行水ぎょうずいのいっぺんくらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾のれんくぐった事はないちうわけや。折々は団扇うちわでも使って見ようと云う気も起らんではおまへんが、とにかく握る事が出来ないのやから仕方がないちうわけや。それを思うと人間は贅沢ぜいたくなものや。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、けて見たり、味噌みそをつけて見たり好んで余計な手数てすうを懸けて御互に恐悦しとる。着物だってそうや。猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあないなに雑多なものを皮膚の上へせて暮さなくてもの事や。羊の御厄介になりよったり、かいこの御世話になりよったり、綿畠の御情おなさけさえ受けるに至っては贅沢ぜいたくは無能の結果だと断言しても好なんぼいや。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたトコで、生存上直接の利害もないトコまでこの調子で押して行くのはごう合点がてんが行かぬ。第一頭の毛やらなんやらと云うものは自然に生えるものやから、ほうっておく方がもっとも簡便で当人のためになるやろうと思うのに、彼等は入らぬ算段をして種々雑多な恰好かっこうをこしらえて得意であるちうわけや。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしとる。暑いとその上へ日傘をかぶるちうわけや。寒いと頭巾ずきんで包む。これでは何のために青い物を出しとるのか主意が立たんではおまへんか。そうかと思うとくしとか称する無意味な鋸様のこぎりようの道具を用いて頭の毛を左翼右翼に等分して嬉しがってるのもあるちうわけや。等分にせんと七分三分の割合で頭蓋骨ずがいこつの上へ人為的の区劃くかくを立てるちうわけや。中にはこの仕切りがつむじを通り過してうしろまでみ出しとるのがあるちうわけや。まるで贋造がんぞう芭蕉葉ばしょうはのようや。その次には脳天を平らに刈って左翼右翼は真直に切り落す。丸い頭へ四角なわくをはめとるから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れへん。このほか五分刈、三分刈、一分刈さえあると云う話やから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈やらなんやらと云う新奇な奴が流行するかも知れへん。とにかくそないなに憂身うきみやつしてどうするつもりか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使いまへんと云うのから贅沢や。四本であるけばそれだけはかも行く訳だのに、いつでも二本やまして、残る二本は到来の棒鱈ぼうだらのように手持無沙汰にぶら下げとるのは馬鹿馬鹿しいちうわけや。これで見ると人間はよほど猫よりひまなもので退屈のあまりかようないたずらを考案して楽んでいるものと察せられるちうわけや。ただおかしいのはこの閑人ひまじんがよるとわると多忙だ多忙だと触れ廻わるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせついとる。彼等のあるものは吾輩を見て時々あないなになりよったら気楽でよかろうやらなんやらと云うが、気楽でよければなるが好いちうわけや。そないなにこせこせしてくれとどなたはんも頼んだ訳でもなかろうわ。オノレで勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのはオノレで火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものや。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣けごろもを着て通されるだけの修業をするがよろしいちうわけや。⸺とは云うものの少々熱いちうわけや。毛衣ではまるっきしつ過ぎるちうわけや。

これでは一手専売の昼寝も出来ないちうわけや。何ぞないかな、永らく人間社会の観察をおこたったから、今日は久し振りで彼等が酔興に齷齪あくせくする様子を拝見しようかと考えて見たが、生憎あいにく主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分しょうぶんであるちうわけや。昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、なんぼ観察をしても一向いっこう観察する張合がないちうわけや。こないな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚も幾分か反応を呈して、ちーとの間でも猫に遠ざかるやろうに、先生もう来ても好い時だと思っとると、どなたはんとも知らず風呂場でざあざあ水を浴びるものがあるちうわけや。水を浴びる音ばかりではおまへん、折々大きな声で相の手を入れとる。「いや結構」「どうもええ心持ちや」「もう一杯」やらなんやらと家中うちじゅうに響き渡るような声を出す。主人のうちへ来てこないな大きな声と、こないな無作法ぶさほうな真似をやるものはほかにはないちうわけや。迷亭にきまっとる。

いよいよ攻めて来よったな、これで今日半日はつぶせると思っとると、先生汗をいて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上って来て「奥はん、苦沙弥くしゃみ君はどうしたんや」と呼ばわりながら帽子を畳の上へほうり出す。細君は隣座敷で針箱のそばへ突っ伏して好い心持ちに寝とる最中にワンワンと何だか鼓膜へ答えるほどの響がしたさかいはっと驚ろいて、めぬ眼をわざとみはって座敷へ出て来ると迷亭が薩摩上布さつまじょうふを着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしとる。

「おやいらしゃいまし」と云ったが少々狼狽ろうばいの気味で「ちっとも存じまへんやった」と鼻の頭へ汗をかいたまんま御辞儀をするちうわけや。「いえ、今攻めて来よったばかりなんや。今風呂場で御三おはんに水を掛けて貰ってね。ようやっと生き帰ったトコで⸺どうも暑いやおまへんか」「この両三日りょうはんちは、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、エライ御暑うおます。⸺でも御変りもございまへんで」と細君は依然として鼻の汗をとりまへん。「ええありがとうわ。なに暑なんぼいでそないなに変りゃしまへんや。せやけどダンさんこの暑さは別物や。どうも体がだるくってね」「わいわたくしやらなんやらも、ついに昼寝やらなんやらを致した事がないんでおますが、こう暑いとつい⸺」「やるんやかね。好いや。昼寝られて、夜寝られりゃ、こないな結構な事はないでさあ」とあいかわらず呑気のんきな事を並べて見たがそれだけでは不足と見えて「わいわいなんざ、寝たくない、たちでね。苦沙弥君やらなんやらのように来るたんびに寝とる人を見るとうらやましいや。もっとも胃弱にこの暑さは答えるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上にせてるのが退儀でさあ。さればと云って載ってる以上はもぎとる訳にも行かずね」と迷亭君いつになく首の処置に窮しとる。「奥はんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんやから、坐っちゃいられへんはずや。まげの重みだけでも横になりたくなるんやよ」と云うと細君は本日この時まで寝とったのが髷の恰好かっこうから露見したと思って「ホホホ口の悪いちうわけや」と云いながら頭をいじって見るちうわけや。

迷亭はそないな事には頓着なく「奥はん、昨日きのうはね、屋根の上で玉子のフライをして見たんやよ」と妙な事を云うわ。「フライをどうなさったんでおます」「屋根の瓦があまり見事に焼けておったんやから、ただ置くのも勿体ないと思ってね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」「あらまあ」「トコロがやっぱり天日てんぴは思うように行きまへんや。なかなか半熟にならへんから、下へおりて新聞を読んでいると客が攻めて来よったもんやからつい忘れてしまって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫やろうと上って見たらね」「どうなっておったんや」「半熟どころか、すっかり流れてしもたんや」「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆したちうわけや。

「せやけどダンさん土用中あないなに涼しくって、今頃から暑くなるのは不思議やね」「ホンマでおますよ。せんだってじゅうは単衣ひとえでは寒なんぼいでおましたのに、一昨日おとといから急に暑くなりましてね」「かになら横にうトコやけど今年の気候はあとびさりをするんや。倒行とうこうして逆施げきしすまた可ならずやと云うような事を言っとるかも知れへん」「なんでござんす、それは」「いえ、何でもないのや。どうもこの気候の逆戻りをするトコはまるでハーキュリスの牛や」と図に乗っていよいよ変ちきりんな事を言うと、果せるかな細君は分りまへん。せやけどダンさん最前の倒行して逆施すで少々りとるから、今度はただ「へえー」と云ったのみで問い返さなかったちうわけや。これを問い返されへんと迷亭はせっかく持ち出した甲斐かいがないちうわけや。「奥はん、ハーキュリスの牛を御存じやろか」「そないな牛は存じまへんわ」「御存じないやろか、ちーとばかし講釈をしまひょか」と云うと細君もそれには及びまへんとも言い兼ねたものやから「ええ」と云ったちうわけや。「むかしハーキュリスが牛を引っ張って攻めて来よったんや」「そのハーキュリスと云うのは牛飼ででもござんすか」「牛飼やおまへんよ。牛飼やいろはの亭主やおまへん。その節は希臘ギリシャにまだ牛肉屋が一軒もない時分の事やろからね」「あら希臘のお話しなの? そないなら、そうおっしゃればええのに」と細君は希臘と云う国名だけは心得とる。「だってハーキュリスやおまへんか」「ハーキュリスなら希臘なんやろか」「ええハーキュリスは希臘の英雄でさあ」「どうりで、知りまへんと思おったんや。それでその男がどうしたんで⸺」「その男がね奥はん見たように眠くなってぐうぐう寝とる⸺」「あらいやや」「寝とるに、ヴァルカンの子が来ましてね」「ヴァルカンて何や」「ヴァルカンは鍛冶屋かじやや。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。トコロがね。牛の尻尾しっぽを持ってぐいぐい引いて行ったもんやからハーキュリスが眼をまして牛やーい牛やーいと尋ねてあるいても分りまへんんや。分りまへんはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へあるかして連れて行ったんやおまへんもの、うしろへうしろへと引きずって行ったんやろからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来や」と迷亭先生はすでに天気の話は忘れとる。

「時に御主人はどうしたんや。相変らず午睡ひるねやろかね。午睡も支那人の詩に出てくると風流やけど、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗気があるんやね。何の事あない毎日ちびっとずつ死んで見るようなものやぜ、奥はん御手数おてすうやけどちーとばかし起していらっしゃいちうわけや」と催促すると細君は同感と見えて「ええ、ホンマにあれでは困るんや。第一あんさん、からやけど悪るくなるばかりやろから。今御飯をもろたばかりだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奥はん、御飯と云やあ、僕はまだ御飯をいただかないんやけどアンタね」と平気な顔をして聞きもせぬ事を吹聴ふいちょうするちうわけや。「おやまあ、時分どきだのにちっとも気が付きまへんで⸺それやなあんもございまへんが御茶漬でも」「いえ御茶漬なんか頂戴しなくっても好いや」「それでも、あんさん、どうせ御口に合うようなものはございまへんが」と細君少々厭味を並べるちうわけや。迷亭は悟ったもので「いえ御茶漬でも御湯漬でも御免蒙るんや。今途中で御馳走をあつらえて来たんやから、そいつを一つここでもらうでよ」ととうてい素人しろうとには出来そうもない事を述べるちうわけや。細君はたった一言ひとこと「まあ!」と云ったがそのまあうちには驚ろいたまあと、気を悪るくしたまあと、手数てすうが省けてありがたいと云うまあが合併しとる。

トコへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つき掛った眠をさかにかれたような心持で、ふらふらと書斎から出て来るちうわけや。「相変らずやかましい男や。せっかく好い心持に寝ようとしたトコを」と欠伸交あくびまじりに仏頂面ぶっちょうづらをするちうわけや。「いや御目覚おめざめかね。鳳眠ほうみんを驚かし奉ってはなはだ相済まん。せやけどダンさんたまには好かろうわ。さあ坐りたまえ」とどっちが客だか分らぬ挨拶をするちうわけや。主人は無言のまんま座に着いて寄木細工よせぎざいく巻煙草まきモク入から「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふとむこうすみに転がっとる迷亭の帽子に眼をつけて「君帽子を買ったね」と云ったちうわけや。迷亭はすぐさま「どやいちうわけや」と自慢らしく主人と細君の前に差し出す。「まあ奇麗だ事。エライ目が細かくって柔らかいんやね」と細君はしきりに撫で廻わす。「奥はんこの帽子は重宝ちょうほうや、どうでも言う事を聞きまっしゃろからね」と拳骨げんこつをかためてパナマの横ッ腹をぽかりと張り付けると、なるほど意のごとくこぶしほどな穴があいたちうわけや。細君が「へえ」と驚くもなく、このたびは拳骨を裏側へ入れてうんと突ッ張るとかまの頭がぽかりとんがるちうわけや。次には帽子を取ってつばと鍔とを両側からつぶして見せるちうわけや。潰れた帽子は麺棒めんぼうした蕎麦そばのように平たくなるちうわけや。それを片端からむしろでも巻くごとくぐるぐる畳む。「どうやこの通り」と丸めた帽子を懐中へ入れて見せるちうわけや。「不思議や事ねえ」と細君は帰天斎正一きてんさいしょういちの手品でも見物しとるように感嘆すると、迷亭もその気になりよったものと見えて、右翼から懐中に収めた帽子をわざと左翼の袖口そでぐちから引っ張り出して「どこにも傷はおまへん」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底をせてくるくると廻す。もうめるかと思ったらケツにぽんとうしろへげてその上へっさりと尻餅を突いたちうわけや。「君大丈夫かいちうわけや」と主人さえ懸念けねんらしい顔をするちうわけや。細君は無論の事心配そうに「せっかく見事な帽子をもしわしでもしちゃあエライやろから、もう好い加減になすったらうござんしょうわ」と用心をするちうわけや。得意なのは持主だけで「トコロが壊われへんから妙でっしゃろ」と、くちゃくちゃになりよったのを尻の下から取り出してそのまんま頭へ載せると、不思議な事には、頭の恰好かっこうにたちまち回復するちうわけや。「実に丈夫な帽子や事ねえ、どうしたんでっしゃろ」と細君がいよいよ感心すると「なにどうもしたんやおまへん、元からこう云う帽子なんや」と迷亭は帽子を被ったまんま細君に返事をしとる。

「あんさんも、あないな帽子を御買になりよったら、ええでっしゃろ」とちーとの間して細君は主人に勧めかけたちうわけや。「だって苦沙弥君は立派な麦藁むぎわらの奴を持ってるやおまへんか」「トコロがあんさん、せんだって小供があれを踏みつぶしてしまいまして」「おやおやそりゃ措しい[*「措しいちうわけや」はママ]事をしたんやね」「やから今度はあんさんのような丈夫で奇麗なのを買ったら善かろうと思うでんで」と細君はパナマの価段ねだんを知りまへんものやから「これになさいよ、ねえ、あんさん」としきりに主人に勧告しとる。

迷亭君は今度は右翼のたもとの中から赤いケース入りのはさみを取り出して細君に見せるちうわけや。「奥はん、帽子はそのくらいにしてこの鋏を御覧なさいちうわけや。これがまたすこぶる重宝ちょうほうな奴で、これで十四通りに使えるんや」この鋏が出ないと主人は細君のためにパナマ責めになるトコやったが、幸に細君が女として持って生れた好奇心のために、この厄運やくうんまぬかれたのは迷亭の機転と云わんよりむしろ僥倖ぎょうこうの仕合せだと吾輩は看破したちうわけや。「その鋏がどうして十四通りに使えまんねん」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しまっから聞いていらっしゃいちうわけや。ええやろか。ここに三日月形みかづきがたの欠け目がありまひょ、ここへ葉巻を入れてぷつりと口を切るんや。ほんでこの根にちょと細工がありまひょ、これで針金をぽつぽつやるんやね。次には平たくして紙の上へ横に置くと定規じょうぎの用をするちうわけや。またの裏には度盛どもりがしてあるから物指ものさしの代用も出来るちうわけや。ウチの表にはヤスリが付いとるこれで爪をりまさあ。ようがすか。このきを螺旋鋲らせんびょうの頭へ刺し込んでぎりぎり廻すと金槌かなづちにも使えるちうわけや。うんと突き込んでこじ開けると大抵の釘付くぎづけの箱なんざあ苦もなくふたがとれるちうわけや。まった、ウチの刃の先はきりに出来とる。ここんとこは書き損いの字をけずる場所で、ばらばらに離すと、ナイフとなるちうわけや。一番しまいに⸺さあ奥はん、この一番しまいがエライおもろいんや、ここにはえの眼玉くらいな大きさのたまがありまひょ、ちーとばかし、のぞいて御覧なさいちうわけや」「いややわまたきっと馬鹿になさるんやから」「そう信用がなくっちゃ困ったね。やけどだまされたと思って、ちょいと覗いて御覧なさいな。え? いややろか、ちーとばかしでええから」とはさみを細君に渡す。細君は覚束おぼつかなげに鋏を取りあげて、例の蠅の眼玉の所へオノレの眼玉を付けてしきりにねらいをつけとる。「どうや」「何だか真黒やわ」「真黒やいけまへんね。もちびっと障子の方へ向いて、そう鋏を寝かさんと⸺そうそうそれなら見えるでっしゃろ」「おやまあ写真やねえ。どうしてこないな小さな写真を張り付けたんでっしゃろ」「そこがおもろいトコでさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をしとる。最前から黙っとった主人はこの時急に写真が見たくなりよったものと見えて「おい俺にもちーとばかしせろ」と云うと細君は鋏を顔へ押し付けたまんま「実に奇麗や事、裸体の美人やね」と云ってなかなか離さないちうわけや。「おいちーとばかし御見せと云うのに」「まあ待っていらっしゃいよ。美くしい髪やね。腰まであるんやよ。ちびっと仰向あおむいて恐ろしいせいの高い女だ事、せやけどダンさん美人やね」「おい御見せと云ったら、大抵にして見せるがええ」と主人はおおいき込んで細君に食って掛るちうわけや。「へえ御待遠さま、たんと御覧遊ばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手から御三おはんが御客さまの御誂おあつらえが参ったんやと、二個の笊蕎麦ざるそばを座敷へ持って来るちうわけや。

「奥はんこれが僕の自弁じべんの御馳走や。ちーとばかし御免蒙って、ここでぱくつく事に致しまっから」と叮嚀ていねいに御辞儀をするちうわけや。真面目なような巫山戯ふざけたような動作やから細君も応対に窮したと見えて「さあどうぞ」と軽く返事をしたぎり拝見しとる。主人はようやっと写真から眼を放して「君この暑いのに蕎麦そばは毒だぜ」と云ったちうわけや。「なあに大丈夫、好きなものは滅多めったあたるもんやないちうわけや」と蒸籠せいろふたをとるちうわけや。「打ち立てはありがたいな。蕎麦そばの延びたのと、人間のが抜けたのは由攻めて来よったのもしくないもんだよ」と薬味やくみツユの中へ入れて無茶苦茶にき廻わす。「君そないなに山葵わさびをぶちこむとらいぜ」と主人は心配そうに用心したちうわけや。「蕎麦はツユと山葵で食うもんだあね。君は蕎麦が嫌いなんやろうわ」「僕は饂飩うどんが好きや」「饂飩は馬子まごが食うもんや。蕎麦の味を解せん人ほど気の毒な事はないちうわけや」と云いながら杉箸すぎばしをむざと突き込んで出来るだけようけの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げたちうわけや。「奥はん蕎麦を食うにもいろいろ流儀があるんやがね。初心しょしんの者に限って、無暗むやみツユを着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますわね。あれや蕎麦の味はないや。何でも、こう、としゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると、長い奴が勢揃せいぞろいをして一尺ばかり空中に釣るし上げられるちうわけや。迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れへんで簀垂すだれの上に纏綿てんめんしとる。「こいつは長いな、どうや奥はん、この長さ加減は」とまた奥はんに相の手を要求するちうわけや。奥はんは「長いものでおますね」とさも感心したらしい返事をするちうわけや。「この長い奴へツユ三分一はんぶいちつけて、一口に飲んでしまうんやね。んやいけへん。噛んや蕎麦の味がなくなるちうわけや。つるつると咽喉のどすべり込むトコロがねうちだよ」と思い切ってはしを高く上げると蕎麦はようやっとの事で地を離れたちうわけや。左翼手ゆんでに受ける茶碗の中へ、箸をちびっとずつ落して、尻尾の先からだんだんにひたすと、アーキミジスの理論によって、蕎麦のつかった分量だけツユかさが増してくるちうわけや。トコロが茶碗の中には元からツユが八分目這入はいっとるから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分しはんぶんつかりまへん先に茶碗はツユで一杯になってしもた。迷亭の箸は茶碗をる五寸の上に至ってぴたりと留まったきりちーとの間動かないちうわけや。動かないのも無理はないちうわけや。ちびっとでもおろせばツユこぼれるばかりであるちうわけや。迷亭もここに至ってちびっと蹰躇ちゅうちょていやったが、たちまち脱兎だっとの勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思うもなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛のどぶえが一二度上下じょうげへ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておったちうわけや。見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一二滴眼尻めじりから頬へ流れ出したちうわけや。山葵わさびいたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然せん。「感心だなあ。よくそないなに一どきに飲み込めたものや」と主人が敬服すると「御見事や事ねえ」と細君も迷亭の手際てぎわを激賞したちうわけや。迷亭は何にも云いまへんで箸を置いて胸を二三度たたいたが「奥はんざるは大抵三口半か四口で食うんやね。それより手数てすうを掛けちゃうまく食えまへんよ」とハンケチで口を拭いてちーとばかし一息入れとる。

トコへ寒月君が、どう云う了見りょうけんかこの暑いのに御苦労にも冬帽をかぶって両足をほこりだらけにしてやってくるちうわけや。「いや好男子の御入来ごにゅうらいやけど、喰い掛けたものやからちーとばかし失敬しまんねんよ」と迷亭君は衆人環座しゅうじんかんざうちにあって臆面おくめんもなく残った蒸籠をたいらげるちうわけや。今度は先刻さっきのように目覚めざましい食方もしなかった代りに、ハンケチを使って、中途で息をぶちこむと云う不体裁もなく、蒸籠せいろ二つを安々とやってのけたのは結構やった。

「寒月君博士論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭もそのあとから「金田令嬢がお待ちかねやから早々そうそう呈出ていしゅつしたまえ」と云うわ。寒月君は例のごとく薄気味の悪い笑をらして「罪やろからなるべく早く出して安心させてやりたいのやが、何しろ問題が問題で、よほど労力のる研究を要するちうワケやから」と本気の沙汰とも思われへん事を本気の沙汰らしく云うわ。「そうさ問題が問題やから、そう鼻の言う通りにもならへんね。もっともあの鼻なら充分鼻息をうかがうだけの価値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をするちうわけや。比較的に真面目なのは主人であるちうわけや。「君の論文の問題は何とか云ったっけな」「蛙の眼球めだまの電動作用に対する紫外光線しがいこうせんの影響と云うのや」「そりゃ奇やね。さすがは寒月先生だ、蛙の眼球はふるってるよ。どやろう苦沙弥君、論文脱稿前にその問題だけでも金田家へ報知しておいては」主人は迷亭の云う事には取り合いまへんで「君そないな事が骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。「ええ、なかなか複雑な問題や、第一蛙の眼球のレンズの構造がそないな単簡たんかんなものでおまへんからね。それでいろいろ実験もしなくちゃなりまへんがまず丸い硝子ガラスたまをこしらえてほんでやろうと思っていますわ」「硝子の球なんかガラス屋へ行けば訳ないやないか」「どうして⸺どうして」と寒月先生少々反身そりみになるちうわけや。「元来えんとか直線とか云うのは幾何学的のもので、あの定義に合ったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんや」「ないもんなら、したらよかろうわ」と迷亭が口を出す。「それでまず実験上つかえへんくらいな球を作って見ようと思いましてね。せんだってからやり始めたちうワケや」「出攻めて来よったかいちうわけや」と主人が訳のないようにきく。「出来るものやか」と寒月君が云ったが、これでは少々矛盾だと気が付いたと見えて「どうもややこしいや。だんだんってちびっとこっち側の半径が長過ぎるからと思ってそっちを心持落すと、さあエライ今度は向側むこうがわが長くなるちうわけや。そいつを骨を折ってようやっとつぶしたかと思うと全体の形がいびつになるんや。やっとの思いでこのいびつを取るとまた直径に狂いが出来まんねん。始めは林檎りんごほどな大きさのものがだんだん小さくなっていちごほどになるんや。それでも根気よくやっとると大豆だいずほどになるんや。大豆ほどになってもまだ完全な円は出来まへんよ。わいも随分熱心に磨ったんやが⸺この正月からガラス玉を大小六個磨り潰したんやよ」と嘘だかホンマだか見当のつかぬトコを喋々ちょうちょうと述べるちうわけや。「どこでそないなに磨っとるんだいちうわけや」「やっぱり学校の実験室や、朝磨り始めて、昼飯のときちーとばかし休んでほんで暗くなるまで磨るんやけどアンタ、なかなか楽やおまへん」「それや君が近頃忙がしい忙がしいと云って毎日日曜でも学校へ行くのはその珠を磨りに行くんやね」「まるっきし目下のトコは朝から晩まで珠ばかり磨っていますわ」「珠作りの博士となって入り込みしは⸺と云うトコやね。せやけどダンさんその熱心を聞かせたら、いかな鼻でもちびっとはありがたがるやろうわ。実は先日僕がある用事があって図書館へ行って帰りに門を出ようとしたら偶然老梅ろうばい君に出逢ったのさ。あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議な事だと思って感心に勉強するねと云ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに攻めて来よったんやない、今門前を通り掛ったらちーとばかし小用こようがしたくなりよったから拝借に立ち寄ったんだと云ったんで大笑をしたが、老梅君と君とは反対の好例として新撰蒙求しんせんもうぎゅうに是非入れたいよ」と迷亭君例のごとく長たらしい註釈をつけるちうわけや。主人はちびっと真面目になって「君そう毎日毎日珠ばかり磨ってるのもよかろうが、元来いつ頃出来上るつもりかね」と聞く。「まあこの容子ようすや十年くらいかかりそうや」と寒月君は主人より呑気のんきに見受けられるちうわけや。「十年や⸺もうちびっと早く磨り上げたらよかろうわ」「十年や早い方や、事によると廿年くらいかかるんや」「そいつはエライだ、それや容易に博士にゃなれへんやないか」「ええ一日も早くなって安心さしてやりたいのやがとにかく珠を磨り上げなくっちゃ肝心の実験が出来まへんから……

寒月君はちーとばかし句を切って「何、そないなにご心配には及びまへんよ。金田でもわいの珠ばかり磨ってる事はよく承知していますわ。実は二三日にはんち前行った時にもよく事情を話して来たんや」としたり顔に述べ立てるちうわけや。すると本日この時まで三人の談話を分らぬながら傾聴しとった細君が「それでも金田はんは家族中残らず、先月から大磯へ行っていらっしゃるやおまへんか」と不審そうに尋ねるちうわけや。寒月君もこれにはちびっと辟易へきえきていやったが「そりゃ妙やな、どうしたんやろうわ」ととぼけとる。こう云う時に重宝なのは迷亭君で、話の途切とぎれた時、きまりの悪い時、眠くなりよった時、困った時、どないな時でも必ず横合から飛び出してくるちうわけや。「先月大磯へ行ったものに両三日りょうはんち前東京で逢うやらなんやらは神秘的でええ。なんちうか、ようみなはんいわはるとこの霊の交換やね。相思の情の切な時にはよくそう云う現象が起るものや。ちーとばかし聞くと夢のようやけど、夢にしても現実よりたしかな夢や。奥はんのように別に思いも思われもせん苦沙弥君の所へ片付いて生涯しょうがい恋の何物たるを御解しにならん方には、御不審ももっともやけど……」「あら何を証拠にそないな事をおっしゃるの。随分軽蔑けいべつなさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切り付けるちうわけや。「君だって恋煩こいわずらいなんかした事はなさそうやないか」と主人も正面から細君に助太刀をするちうわけや。「そりゃ僕の艶聞えんぶんやらなんやらは、なんぼ有ってもみんな七十五日以上経過しとるから、君方きみがたの記憶には残っておらへんかも知れへんが⸺実はこれでも失恋の結果、この歳になるまで独身で暮らしとるんだよ」と一順列座の顔を公平に見廻わす。「ホホホホおもろい事」と云ったのは細君で、「馬鹿にしていらあ」と庭の方を向いたのは主人であるちうわけや。ただ寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学こうがくのために伺いたいもので」と相変らんとやにやするちうわけや。

「僕のも大分だいぶ神秘的で、故小泉八雲先生に話したらどエライ受けるのやけど、惜しい事に先生は永眠されたから、実のトコ話す張合もないんやけど、せっかくやから打ち開けるよ。その代りしまいまで謹聴しなくっちゃいけへんよ」と念を押していよいよ本文に取り掛るちうわけや。「回顧すると今を去る事⸺ええと⸺何年前やったかな⸺難儀やからほぼ十五六年前としておこうわ」「冗談じょうだんやないちうわけや」と主人は鼻からフンと息をしたちうわけや。「エライ物覚えが御悪いのね」と細君がひやかしたちうわけや。寒月君だけは約束を守って一言いちごんも云わんと、早くあとが聴きたいと云う風をするちうわけや。「何でもある年の冬の事やけど、僕が越後の国は蒲原郡かんばらごおり筍谷たけのこだにを通って、蛸壺峠たこつぼとうげへかかって、これからいよいよ会津領あいづりょう[*ルビの「あいづりょうわ」は底本では「あいずりょうわ」]へ出ようとするトコや」「妙なトコだな」と主人がまた邪魔をするちうわけや。「だまって聴いていらっしゃいよ。おもろいから」と細君が制するちうわけや。「トコロが日は暮れる、路は分らず、腹は減る、仕方がないから峠の真中にある一軒屋をたたいて、これこれかようかようしかじかの次第やから、どうか留めてくれと云うと、御安い御用や、さあ御上がんなさいと裸蝋燭はだかろうそくを僕の顔に差しつけた娘の顔を見て僕はぶるぶるとふるえたがね。僕はその時から恋と云う曲者くせものの魔力を切実に自覚したね」「おやいやや。そないな山の中にも美しい人があるんでっしゃろか」「山だって海だって、奥はん、その娘を一目あんさんに見せたいと思うくらいや、文金ぶんきん高島田たかしまだに髪をいましてね」「へえー」と細君はあっけに取られとる。「這入はいって見ると八畳の真中に大きな囲炉裏いろりが切ってあって、そのまわりに娘と娘のじいはんとばあはんと僕と四人坐ったんやけどアンタね。さぞ御腹おなか御減おへりでっしゃろと云おるさかいに、何でも善いから早く食わせ給えと請求したんや。すると爺はんがせっかくの御客さまやから蛇飯へびめしでもいて上げようと云うんや。さあこれからがいよいよ失恋に取り掛るトコやからしっかりして聴きたまえ」「先生しっかりして聴く事は聴きまっけど、なんぼ越後の国だって冬、蛇がいやしまんねんまいちうわけや」「うん、そりゃ一応もっともな質問だよ。せやけどダンさんこないな詩的な話しになるとそう理窟りくつにばかり拘泥こうでいしてはいられへんからね。鏡花の小説にゃ雪の中からかにが出てくるやないか」と云ったら寒月君は「なるほど」と云ったきりまた謹聴の態度に復したちうわけや。

「その時分の僕は随分あくもの食いの隊長で、いなご、なめくじ、赤蛙やらなんやらは食いきとったくらいなトコやから、蛇飯はおつや。早速御馳走になろうと爺はんに返事をしたちうわけや。ほんで爺はん囲炉裏の上へなべをかけて、その中へ米を入れてぐずぐず煮出したものやね。不思議な事にはそのなべふたを見ると大小十個ばかりの穴があいとる。その穴から湯気がぷうぷう吹くから、うまい工夫をしたものだ、田舎いなかにしては感心だと見とると、爺はんふと立って、どこぞへ出て行ったがちーとの間すると、大きなざるを小脇にい込んで帰って攻めて来よった。何気なくこれを囲炉裏のそばへ置いたから、その中をのぞいて見ると⸺いたね。長い奴が、寒いもんやから御互にとぐろきくらをやってかたまっておったんやね」「もうそないな御話しはしになさいよ。厭らしいちうわけや」と細君は眉に八の字を寄せるちうわけや。「どうしてこれが失恋の大源因になるんやからなかなか廃せまへんや。爺はんはやがて左翼手に鍋の蓋をとって、右翼手に例の塊まった長い奴を無雑作むぞうさにつかまえて、いきなり鍋の中へほうり込んで、すぐ上から蓋をしたが、さすがの僕もその時ばかりははっと息の穴がふさがったかと思ったよ」「もう御やめになさいよ。気味きびの悪るいちうわけや」と細君しきりにこわがっとる。「もうちびっとで失恋になるからちーとの間辛抱しんぼうしていらっしゃいちうわけや。すると一分立つか立たないうちに蓋の穴から鎌首かまくびがひょいと一つ出たんやのには驚ろきたんやよ。やあ出たなと思うと、隣の穴からもまたひょいと顔を出したちうわけや。また出たよと云ううち、あちらからも出るちうわけや。ウチからも出るちうわけや。とうとう鍋中なべじゅう蛇のつらだらけになってしもた」「なんで、そないなに首を出すんだいちうわけや」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれに這い出そうとするのさ。やがて爺はんは、もうよかろう、引っ張らっしとか何とか云うと、婆はんははあーと答える、娘はあいと挨拶をして、名々めいめいに蛇の頭を持ってぐいと引く。肉は鍋の中に残るが、骨だけは奇麗に離れて、頭を引くと共に長いのがおもろいように抜け出してくるちうわけや」「蛇の骨抜きやね」と寒月君が笑いながら聞くと「まるっきしの事骨抜だ、器用な事をやるやないか。ほんで蓋を取って、杓子しゃくしでもって飯と肉を矢鱈やたらぜて、さあ召し上がれと攻めて来よった」「食ったのかいちうわけや」と主人が冷淡に尋ねると、細君はにがい顔をして「もうしになさいよ、胸が悪るくって御飯もなあんもたべられやせん」と愚痴をこぼす。「奥はんは蛇飯を召し上がらんから、そないな事をおっしゃるが、まあ一遍たべてご覧なさい、あの味ばかりは生涯しょうがい忘れられまへんぜ」「おお、いやだ、どなたはんが食べるもんやろか」「ほんで充分御饌ごぜんも頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思いおく事はないと考えとると、御休みなさいましと云うので、旅のつかれもある事やから、おおせに従って、ごろりと横になると、すまん訳やけど前後を忘却して寝てしもた」「ほんでどうなさおったんや」と今度は細君の方から催促するちうわけや。「ほんで明朝あくるあさになって眼をさましてからが失恋でさあ」「どうかなさったんやろか」「いえ別にどうもしやしまへんがね。朝起きて巻煙草まきモクをふかしながら裏の窓から見とると、向うのかけひそばで、薬缶頭やかんあたまが顔を洗っとるんでさあ」「爺はんか婆はんか」と主人が聞く。「それがさ、僕にも識別しにくかったから、ちーとの間拝見していて、その薬缶がウチを向く段になって驚ろいたね。それが僕の初恋をした昨夜ゆうべの娘なんだもの」「だって娘は島田にっとるとさっき云ったやないか」「前夜は島田さ、しかも見事な島田さ。トコロが翌朝は丸薬缶さ」「人を馬鹿にしていらあ」と主人は例によって天井の方へ視線をそらす。「僕も不思議のきょく内心少々こわくなりよったから、なお余所よそながら容子ようすうかがっとると、薬缶はようやっと顔を洗いおわって、かたえの石の上に置いてあった高島田のかずらを無雑作にかぶって、すましてうちへ這入はいったんでなるほどと思ったちうわけや。なるほどとは思ったようなもののその時から、とうとう失恋の果敢はかなき運命をかこつ身となってしもた」「くだりまへん失恋もあったもんや。ねえ、寒月君、それやから、失恋でも、こないなに陽気で元気がええんだよ」と主人が寒月君に向って迷亭君の失恋を評すると、寒月君は「せやけどダンさんその娘が丸薬缶でなくってめでたく東京へでも連れて御帰りになりよったら、先生はなお元気かも知れまへんよ、とにかくせっかくの娘が禿はげやったのは千秋せんしゅう恨事こんじやねえ。それにしても、そないな若い女がどうして、毛が抜けてしもたんでっしゃろ」「僕もそれについてはだんだん考えたんやけどまるっきし蛇飯を食い過ぎたせいに相違ないと思うわ。蛇飯てえ奴はのぼせるからね」「せやけどダンさんあんさんは、どこも何ともなくて結構でおましたね」「僕は禿にはならんとすんやけど、その代りにこの通りその時から近眼きんがんになったんや」と金縁の眼鏡をとってハンケチで叮嚀ていねいいとる。ちーとの間して主人は思い出したように「全体どこが神秘的なんだいちうわけや」と念のために聞いて見るちうわけや。「あの鬘はどこで買ったのか、拾ったのかどう考えてもいまだに分りまへんからそこが神秘さ」と迷亭君はまた眼鏡を元のごとく鼻の上へかけるちうわけや。「まるではなの話を聞くようでござんすね」とは細君の批評やった。

迷亭の駄弁もこれで一段落を告げたから、もうやめるかと思いのほか、先生は猿轡さるぐつわでもめられへんうちはとうてい黙っとる事が出来ぬたちと見えて、また次のような事をしゃべり出したちうわけや。

「僕の失恋もにがい経験やけど、あの時あの薬缶やかんを知らんと貰ったがケツ生涯の目障めざわりになるんやから、よく考えへんと険呑けんのんだよ。結婚なんかは、いざと云う間際になって、飛んだトコに傷口が隠れとるのを見出みいだす事がある者やから。寒月君やらなんやらもそないなに憧憬しょうけいしたり惝怳しょうきょうしたりひとりでむずかしがりまへんで、とくと気を落ちつけてたまるがええよ」といやに異見めいた事を述べると、寒月君は「ええなるべく珠ばかり磨っとったいんやけどアンタ、向うでそうさせへんんやから弱り切るんや」とわざと辟易へきえきしたような顔付をするちうわけや。「そうさ、君やらなんやらは先方が騒ぎ立てるんやけど、中には滑稽なのがあるよ。あの図書館へ小便をしに攻めて来よった老梅ろうばい君やらなんやらになるとすこぶる奇やからね」「どないな事をしたんだいちうわけや」と主人が調子づいてうけたまわるちうわけや。「なあに、こう云う訳さ。先生その昔静岡の東西館へ泊った事があるのさ。⸺たった一と晩だぜ⸺それでその晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。僕も随分呑気のんきやけど、まだあれほどには進化せん。もっともその時分には、あの宿屋に御夏おなつはんと云う有名な別嬪べっぴんがいて老梅君の座敷へ出たのがちょうどその御夏はんなのやから無理はないがね」「無理がないどころか君の何とか峠とまるで同じやないか」「ちびっと似とるね、実を云うと僕と老梅とはそないなに差異はないからな。とにかく、その御夏はんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水瓜すいかが食いたくなりよったんやけどね」「何だって?」と主人が不思議な顔をするちうわけや。主人ばかりではおまへん、細君も寒月も申し合せたように首をひねってちーとばかし考えて見るちうわけや。迷亭は構わずどんどん話を進行させるちうわけや。「御夏はんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、御夏はんが、なんぼ静岡だって水瓜くらいはあるんやよと、御盆に水瓜を山盛りにして持ってくるちうわけや。ほんで老梅君食ったそうや。山盛りの水瓜をことごとく平らげて、御夏はんの返事を待っとると、返事の来ないうちに腹が痛み出してね、うーんうーんとうなったがちびっとも利目ききめがないからまた御夏はんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、御夏はんがまた、なんぼ静岡だって医者くらいはあるんやよと云って、天地玄黄てんちげんこうとかいう千字文せんじもんを盗んだような名前のドクトルを連れて攻めて来よった。翌朝あくるあさになって、腹の痛みも御蔭でとれてありがたいと、出立する十五分前に御夏はんを呼んで、昨日きのう申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏はんは笑いながら静岡には水瓜もあるんや、御医者もあるんやが一夜作りの御嫁はおまへんよと出て行ったきり顔を見せなかったそうや。ほんで老梅君も僕同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなりよったんだって、考えると女は罪な者だよ」と云うと主人がいつになく引き受けて「ホンマにそうや。せんだってミュッセの脚本を読んだらそのうちの人物が羅馬ローマの詩人を引用してこないな事を云っとった。⸺羽より軽い者はちりであるちうわけや。塵より軽いものは風であるちうわけや。風より軽い者は女であるちうわけや。女より軽いものはであるちうわけや。⸺よく穿うがってるやろうわ。女なんか仕方がないちうわけや」と妙なトコで力味りきんで見せるちうわけや。これをうけたまわった細君は承知せん。「女の軽いのがいけへんとおっしゃるけれども、男の重いんだって好い事はないでっしゃろ」「重いた、どないな事や」「重いと云うな重い事やわ、あんさんのようなんやこれがホンマに」「俺がなんで重いちうわけや」「重いやおまへんか」と妙な議論が始まるちうわけや。迷亭は面白そうに聞いとったが、やがて口を開いて「そう赤くなって互に弁難攻撃をするトコロが夫婦の真相と云うものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものやったに違おらへん」とひやかすのだかめるのだか曖昧あいまいな事を言ったが、それでやめておいても好い事をまた例の調子で布衍ふえんして、しものごとく述べられたちうわけや。

「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって云うが、それならおしを女房にしとると同じ事で僕やらなんやらは一向いっこうありがたくないちうわけや。やっぱり奥はんのようにあんさんは重いやおまへんかとか何とか云われて見たいね。同じ女房を持つくらいなら、たまには喧嘩の一つ二つしなくっちゃ退屈でしようがないからな。僕の母やらなんやらと攻めて来よったら、おやじの前へ出てはいへいで持ち切っとったものや。そうして二十年もいっしょになっとるうちに寺参りよりほかに外へ出た事がないと云うんやから情けへんやないか。もっとも御蔭で先祖代々の戒名かいみょうはことごとく暗記しとる。男女間の交際だってそうさ、僕の小供の時分やらなんやらは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦朧体もうろうたいで出合って見たりする事はとうてい出来なかったちうわけや」「御気の毒様で」と寒月君が頭を下げるちうわけや。「実に御気の毒さ。しかもその時分の女がかならずしも今の女より品行がええと限らんからね。奥はん近頃は女学生が堕落したの何だのとやかましく云おるけどダンさんね。なに昔はこれよりはげしかったんや」「そうでっしゃろか」と細君は真面目であるちうわけや。「そうやとも、出鱈目でたらめやない、ちゃんと証拠があるから仕方がおまへんや。苦沙弥君、君も覚えとるかも知れんが僕等の五六歳の時までは女の子を唐茄子とうなすのようにかごへ入れて天秤棒てんびんぼうかついで売ってあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそないな事は覚えておらん」「君の国やどやか知りまへんが、静岡やたしかにそうやった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「ホンマやろか」と寒月君がホンマらしからぬ様子で聞く。

「ホンマさ。現に僕のおやじがを付けた事があるちうわけや。その時僕は何でも六つくらいやったろうわ。おやじといっしょに油町あぶらまちから通町とおりちょうへ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴どなってくるちうわけや。僕等がちょうど二丁目の角へ来ると、伊勢源いせげんと云う呉服屋の前でその男に出っ食わしたちうわけや。伊勢源と云うのは間口が十間でくら戸前とまえあって静岡第一の呉服屋や。今度行ったら見て来給え。今でも歴然と残っとる。立派なうちや。その番頭が甚兵衛と云ってね。いつでも御袋おふくろが三日前にくなったんやと云うような顔をして帳場の所へひかえとる。甚兵衛君の隣りにははつはんちう二十四五の若いしゅが坐っとるが、この初はんがまた雲照律師うんしょうりっし帰依きえして三七二十一日の間蕎麦湯そばゆだけで通したと云うような青い顔をしとる。初はんの隣りがちょうどんでこれは昨日きのう火事でき出されたかのごとく愁然しゅうぜん算盤そろばんに身をもたしとる。長どんとならんで……」「君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのか」「そうそう人売りの話しをやっとったんだっけ。実はこの伊勢源についてもすこぶる奇譚きだんがあるんやけど、それは割愛かつあいして今日は人売りだけにしておこうわ」「人売りもついでにやめるがええ」「どうしてこれが二十世紀の今日こんにちと明治初年頃の女子の品性の比較についてだいなる参考になる材料やから、そないなに容易たやすくやめられるものか⸺それで僕がおやじと伊勢源の前までくると、例の人売りがおやじを見て旦那女の子の仕舞物しまいものはどうや、安く負けておくから買っておくんなさいと云いながら天秤棒てんびんぼうをおろして汗をいとるのさ。見ると籠の中には前に一人うしろに一人両方とも二歳ばかりの女の子が入れてあるちうわけや。おやじはこの男に向って安ければ買ってもええが、もうこれぎりかいと聞くと、へえ生憎あいにく今日はみんな売りつくしてたった二つになっちまおったんや。どっちでも好いから取っとくんなさいなと女の子を両手で持って唐茄子とうなすか何ぞのようにおやじの鼻の先へ出すと、おやじはぽんぽんと頭をたたいて見て、ははあかなりな音だと云ったちうわけや。ほんでいよいよ談判が始まって散々はんざ価切ねぎった末おやじが、買っても好いが品はたしかやろうなと聞くと、ええ前の奴は始終見とるから間違はおまへんがねうしろにかついでる方は、何しろ眼がないんやろから、ことによるとひびが入ってるかも知れまへん。こいつの方なら受け合えへん代りに価段ねだんを引いておきまんねんと云ったちうわけや。僕はこの問答をいまだに記憶しとるんやけどその時小供心に女と云うものはなるほど油断のならへんものだと思ったよ。⸺せやけどダンさん明治三十八年の今日こんにちこないな馬鹿な真似をして女の子を売ってあるくものもなし、眼を放してうしろへかついだ方は険呑けんのんだやらなんやらと云う事も聞かないようや。やから、僕の考ではやはり泰西たいせい文明の御蔭で女の品行もよほど進歩したものやろうと断定するのやけど、どやろう寒月君」

寒月君は返事をする前にまず鷹揚おうよう咳払せきばらいを一つして見せたが、ほんでわざと落ちついた低い声で、こないな観察を述べられたちうわけや。「きょうびの女は学校の行き帰りや、合奏会や、慈善会や、園遊会で、ちょいと買って頂戴な、あらおいや? やらなんやらとオノレでオノレを売りにあるいておるさかいに、そないな八百屋やおやのお余りを雇って、女の子はよしか、なんて下品な依托販売いたくはんばいをやる必要はないや。人間に独立心が発達してくると自然こないな風になるものや。老人なんぞはいらぬ取越苦労をして何とかかとか云おるけどダンさん、実際を云うとこれが文明の趨勢すうせいやろから、わいやらなんやらはおおいに喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表しとるのや。買う方だって頭をたたいて品物は確かかなんて聞くような野暮やぼは一人もおらへんんやろからその辺は安心なものでさあ。またこの複雑な世の中に、そないな手数てすうをする日にゃあ、際限がおまへんからね。五十になりよったって六十になりよったって亭主を持つ事も嫁に行く事も出来やしまへん」寒月君は二十世紀の青年だけあって、おおいに当世流の考を開陳かいちんしておいて、敷島しきしまの煙をふうーと迷亭先生の顔の方へ吹き付けたちうわけや。迷亭は敷島の煙くらいで辟易へきえきする男ではおまへん。「仰せの通り方今ほうこんの女生徒、令嬢やらなんやらは自尊自信の念から骨も肉も皮まで出来ていて、何でも男子に負けへんトコロが敬服の至りや。僕の近所の女学校の生徒やらなんやらと攻めて来よったらえらいものだぜ。筒袖つつそで穿いて鉄棒かなぼうへぶら下がるから感心や。僕は二階の窓から彼等の体操を目撃するたんびに古代希臘ギリシャの婦人を追懐するよ」「また希臘か」と主人が冷笑するように云い放つと「どうも美な感じのするものは大抵希臘から源を発しとるから仕方がないちうわけや。美学者と希臘とはとうてい離れられへんやね。⸺ことにあの色の黒い女学生が一心不乱に体操をしとるトコを拝見すると、僕はいつでも Agnodice の逸話を思い出すのさ」と物知り顔にしゃべり立てるちうわけや。「またややこしい名前が出て来たんやね」と寒月君は依然としてにやにやするちうわけや。「Agnodice はえらい女だよ、僕は実に感心したね。当時亜典アテンの法律で女が産婆を営業する事を禁じてあったちうわけや。不便な事さ。Agnodice だってその不便を感ずるやろうやないか」「何だい、その⸺何とか云うのは」「女さ、女の名前だよ。この女がつらつら考えるには、どうも女が産婆になれへんのは情けへん、不便極まるちうわけや。どうかして産婆になりたいもんだ、産婆になる工夫はあるまいかと三日三晩手をこまぬいて考え込んやね。ちょうど三日目の暁方あけがたに、隣の家で赤ん坊がおぎゃあと泣いた声を聞いて、うんそうだと豁然大悟かつぜんたいごして、ほんで早速長い髪を切って男の着物をきて Hierophilus の講義をききに行ったちうわけや。首尾よく講義をききおおせて、もう大丈夫と云うトコでもって、いよいよ産婆を開業したちうわけや。トコロが、奥はん流行はやったんやね。あちらでもおぎゃあと生れるウチでもおぎゃあと生れるちうわけや。それがみんな Agnodice の世話なんやからエライもうかったちうわけや。トコロが人間万事塞翁さいおうの馬、七転ななころ八起やおき、弱り目にたたり目で、ついこの秘密が露見に及んでついに御上おかみ御法度ごはっとを破ったと云うトコで、重き御仕置しおきに仰せつけられそうになったんや」「まるで講釈見たようや事」「なかなかうまいでっしゃろ。トコロが亜典アテンの女連が一同連署して嘆願に及んやから、時の御奉行もそう木で鼻をくくったような挨拶も出来ず、ついに当人は無罪放免、これからはたとい女たりとも産婆営業勝手たるべき事と云う御布令おふれさえ出てめでたく落着を告げたんや」「よくいろいろな事を知っていらっしゃるのね、感心ねえ」「ええ大概の事は知っていますわよ。知りまへんのはオノレの馬鹿な事くらいなものや。せやけどダンさんそれも薄々は知ってまんねん」「ホホホホおもろい事ばかり……」と細君相形そうごうを崩して笑っとると、格子戸こうしどのベルが相変らず着けた時と同じような音を出して鳴るちうわけや。「おやまた御客様や」と細君は茶の間へ引き下がるちうわけや。細君と入れ違いに座敷へ這入はいって攻めて来よったものはどなたはんかと思ったらご存じの越智東風おちとうふう君やった。

ここへ東風君さえくれば、主人のうち出入でいりする変人はことごとく網羅しつくしたとまで行かずとも、なんぼなんでも吾輩の無聊ぶりょうを慰むるに足るほどの頭数あたまかず御揃おそろいになりよったと云わねばならぬ。これで不足を云っては勿体もったいないちうわけや。運悪るくほかの家へ飼われたがケツ、生涯人間中にかかる先生方が一人でもあろうとさえ気が付かんと死んでしまうかも知れへん。さいわいにして苦沙弥先生門下の猫児びょうじとなって朝夕ちょうせき虎皮こひの前にはんべるので先生は無論の事迷亭、寒月乃至ないし東風やらなんやらと云う広い東京にさえあまり例のない一騎当千の豪傑連の挙止動作を寝ながら拝見するのは吾輩にとって千載一遇の光栄であるちうわけや。御蔭様でこの暑いのに毛袋でつつまれとると云う難儀も忘れて、面白く半日を消光する事が出来るのは感謝の至りであるちうわけや。どうせこれだけ集まれば只事ただごとではすまないちうわけや。何ぞ持ち上がるやろうとふすまの陰からつつしんで拝見するちうわけや。

「どうもご無沙汰を致したんや。ちーとの間」と御辞儀をする東風君の顔を見ると、先日のごとくやはり奇麗に光っとる。頭だけで評すると何ぞ緞帳役者どんちょうやくしゃのようにも見えるが、白い小倉こくらはかまのゴワゴワするのを御苦労にも鹿爪しかつめらしく穿いとるトコは榊原健吉さかきばらけんきちの内弟子としか思えへん。従って東風君の身体で普通の人間らしいトコは肩から腰までの間だけであるちうわけや。「いや暑いのに、よく御出掛やね。さあずっと、こっちへ通りたまえ」と迷亭先生はオノレのうちらしい挨拶をするちうわけや。「先生には大分だいぶ久しく御目にかかりまへん」「そうさ、たしかこの春の朗読会ぎりやったね。朗読会と云えば近頃はやはり御盛おさかんかね。その御宮おみやにゃなりまへんか。あれはうまかったよ。僕はおおいに拍手したぜ、君気が付いてたかいちうわけや」「ええ御蔭で大きに勇気が出まして、とうとうしまいまでぎつけたんや」「今度はいつ御催しがあるんやか」と主人が口を出す。「七八両月ふたつきは休んで九月には何ぞにぎやかにやりたいと思っておるんや。何ぞおもろい趣向はおますまいか」「さようわ」と主人が気のない返事をするちうわけや。「東風君僕の創作を一つやりまへんか」と今度は寒月君が相手になるちうわけや。「君の創作ならおもろいものやろうが、一体何ぞね」「脚本さ」と寒月君がなるべく押しを強く出ると、案のごとく、三人はちーとばかし毒気をぬかれて、申し合せたように本人の顔を見るちうわけや。「脚本はえらいちうわけや。喜劇かい悲劇かいちうわけや」と東風君が歩を進めると、寒月先生なお澄し返って「なに喜劇でも悲劇でもないさ。近頃は旧劇とか新劇とか大部だいぶやかましいから、僕も一つ新機軸を出して俳劇はいげきと云うのを作って見たのさ」「俳劇たどないなものだいちうわけや」「俳句趣味の劇と云うのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と云うと主人も迷亭も多少けむかれてひかえとる。「それでその趣向と云うのは?」と聞き出したのはやはり東風君であるちうわけや。「根が俳句趣味からくるのやから、あまり長たらしくって、毒悪なのはよくないと思って一幕物にしておいたちうわけや」「なるほど」「まず道具立てから話すが、これもごく簡単なのがええ。舞台の真中へ大きな柳を一本植え付けてね。ほんでその柳の幹から一本の枝を右翼の方へヌッと出させて、その枝へからすを一羽とまらせるちうわけや」「烏がじっとしていればええが」と主人がひとごとのように心配したちうわけや。「何わけは有りまへん、烏の足を糸で枝へしばり付けておくんや。でその下へ行水盥ぎょうずいだらいを出しましてね。美人が横向きになって手拭を使っとるんや」「そいつはちびっとデカダンやね。第一どなたはんがその女になるんだいちうわけや」と迷亭が聞く。「何これもすぐ出来まんねん。美術学校のモデルを雇ってくるんや」「そりゃ警視庁がやかましく云いそうだな」と主人はまた心配しとる。「だって興行さえせな構わんやおまへんか。そないな事をとやかく云った日にゃ学校で裸体画の写生なんざ出来っこおまへん」「せやけどダンさんあれは稽古のためやから、ただ見とるのとはちびっとちゃうよ」「先生方がそないな事を云った日には大日本帝国もまだ駄目や。絵画だって、演劇だって、おんなじ芸術や」と寒月君大いに気焔きえんを吹く。「まあ議論はええが、ほんでどうするのだいちうわけや」と東風君、ことによると、やる了見りょうけんと見えて筋を聞きたがるちうわけや。「トコへ花道から俳人高浜虚子たかはまきょしがステッキを持って、白い灯心とうしん入りの帽子をかぶって、透綾すきやの羽織に、薩摩飛白さつまがすり尻端折しりっぱしょりの半靴と云うこしらえで出てくるちうわけや。着付けは陸軍の御用達ごようたし見たようだけれども俳人やからなるべく悠々ゆうゆうとして腹の中では句案に余念のないていであるかなくっちゃいけへん。それで虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台に懸った時、ふと句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びとる、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見下ろしとる。ほんで虚子先生おおいに俳味に感動したと云う思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女に惚れる烏かなと大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍子木ひょうしぎを入れて幕を引く。⸺どやろう、こう云う趣向は。御気に入りまへんかね。君御宮おみやになるより虚子になる方がよほどええぜ」東風君は何だか物足らぬと云う顔付で「あんまり、あっけへんようや。もうちびっと人情を加味した事件が欲しいようや」と真面目に答えるちうわけや。本日この時まで比較的おとなしくしとった迷亭はそういつまでもだまっとるような男ではおまへん。「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上田敏うえだびん君の説によると俳味とか滑稽とか云うものは消極的で亡国のいんだそうやけど、敏君だけあってうまい事を云ったよ。そないなしょーもない物をやって見給え。それこそ上田君から笑われるばかりや。第一劇だか茶番だか何だかあまり消極的で分りまへんやないか。失礼やけど寒月君はやはり実験室でたまを磨いてる方がええ。俳劇なんぞ百作ったって二百作ったって、亡国のいんや駄目や」寒月君は少々むっとして、「そないなに消極的でっしゃろか。わいはなかなか積極的なつもりなんやけどアンタ」どっちでも構わん事を弁解しかけるちうわけや。「虚子がやね。虚子先生が女に惚れる烏かなと烏をとらえて女に惚れさしたトコロがおおいに積極的やろうと思うで」「こりゃ新説やね。是非御講釈を伺がいまひょ」「理学士として考えて見ると烏が女に惚れるやらなんやらと云うのは不合理でっしゃろ」「ごもっとも」「その不合理な事を無雑作むぞうさに言い放ってちびっとも無理に聞えまへん」「そうかしら」と主人が疑った調子で割り込んやけど寒月は一向頓着せん。「なんでやねん無理に聞えへんかと云うと、これは心理的に説明するとよく分るんや。実を云うと惚れるとか惚れへんとか云うのは俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙汰であるんや。しかるトコあの烏は惚れてるなと感じるのは、ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は烏がどうのこうのと云う訳やない、必竟ひっきょうオノレが惚れとるんでさあ。虚子自身が美しい女の行水ぎょうずいしとるトコを見てはっと思う途端にずっと惚れ込んだに相違ないや。さあオノレが惚れた眼で烏が枝の上で動きもせんで下を見つめとるのを見たものやから、ははあ、あ毎日毎晩壱年中俺と同じく参ってるなと癇違かんちがいをしたちうワケや。癇違いには相違ないやけどアンタそこが文学的でかつ積極的なトコなんや。オノレだけ感じた事を、断りもなく烏の上に拡張して知らん顔をしてすましとるトコなんぞは、よほど積極主義やおまへんか。どうや先生」「なるほど御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違おらへん。説明だけは積極やけど、実際あの劇をやられた日には、見物人はたしかに消極になるよ。ねえ東風君」「へえどうも消極過ぎるように思うで」と真面目な顔をして答えたちうわけや。

主人は少々談話の局面を展開して見たくなりよったと見えて、「どうや、東風はん、近頃は傑作もおまへんか」と聞くと東風君は「いえ、別段これと云って御目にかけるほどのものも出来まへんが、近日詩集を出して見ようと思いまして⸺稿本こうほんを幸い持って参ったんやから御批評を願いまひょ」と懐から紫の袱紗包ふくさづつみを出して、その中から五六十枚ほどの原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。主人はもっともらしい顔をして拝見と云って見ると第一頁に

世の人に似ずあえかに見え給う

富子嬢に捧ぐ

と二行にかいてあるちうわけや。主人はちーとばかし神秘的な顔をしてちーとの間一頁を無言のまんまながめとるので、迷亭は横合から「何だい新体詩かね」と云いながらのぞき込んで「やあ、捧げたね。東風君、思い切って富子嬢に捧げたのはえらいちうわけや」としきりにめるちうわけや。主人はなお不思議そうに「東風はん、この富子と云うのはホンマに存在しとる婦人なんやこれがホンマにか」と聞く。「へえ、この前迷亭先生とごいっしょに朗読会へ招待した婦人の一人や。ついこの御近所に住んでおるんや。実はただ今詩集を見せようと思ってちーとばかし寄って参ったんやが、生憎あいにく先月から大磯へ避暑に行って留守やった」と真面目くさって述べるちうわけや。「苦沙弥君、これが二十世紀なんだよ。そないな顔をせんで、早く傑作でも朗読するさ。せやけどダンさん東風君この捧げ方はちびっとまずかったね。このあえかにと云う雅言がげんは全体何と言う意味だと思ってるかね」「蚊弱かよわいとかたよわくと云う字だと思うで」「なるほどそうも取れん事はないが本来の字義を云うと危う気にと云う事だぜ。やから僕ならこうは書かないね」「どう書いたらもっともっともっともっともっともっともっともっともっと詩的になりまひょ」「僕ならこうさ。世の人に似ずあえかに見え給う富子嬢の鼻の下に捧ぐとするね。わずかに三字のゆきさつやけど鼻の下があるのとないのとではエライ感じに相違があるよ」「なるほど」と東風君はしかねたトコを無理に納得なっとくしたていにもてなす。

主人は無言のまんまようやっと一頁をはぐっていよいよ巻頭第一章を読み出す。

んじてくんずる香裏こうりに君の
霊か相思の煙のたなびき
おお我、ああ我、からきこの世に
あまく得てしか熱き口づけ

「これは少々僕には解しかねるちうわけや」と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。「これは少々振い過ぎてるちうわけや」と迷亭は寒月に渡す。寒月は「なああるほど」と云って東風君に返す。

「先生御分りにならんのはごもっともで、十年前の詩界と今日こんにちの詩界とは見違えるほど発達しておるさかいに。きょうびの詩は寝転んで読んだり、停車場で読んではとうてい分りようがないので、作った本人やら質問を受けると返答に窮する事がよくあるんや。まるっきしインスピレーションで書くので詩人はその他には何等の責任もないのや。註釈や訓義くんぎは学究のやる事でわい共の方ではとんと構いまへん。せんだってもわいの友人で送籍そうせきと云う男が一夜ちう短篇をかきたんやが、どなたはんが読んでも朦朧もうろうとして取りめがつかないので、当人に逢ってとくと主意のあるトコをただして見たちうワケやが、当人もそないな事は知りまへんよと云って取り合いまへんのや。まるっきしその辺が詩人の特色かと思うで」「詩人かも知れへんが随分妙な男やね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡たんかんに送籍君を打ち留めたちうわけや。東風君はこれだけではまだ弁じ足りまへん。「送籍は吾々仲間のうちでも取除とりのけやけどアンタ、わいの詩もどうか心持ちその気で読んでいただきたいので。ことに御用心を願いたいのはからきこの世と、あまき口づけとついをとったトコロがわいの苦心や」「よほど苦心をなすった痕迹こんせきが見えまんねん」「あまいからいと反照するトコなんか十七味調じゅうしちみちょう唐辛子調とうがらしちょうでおもろい。まるっきし東風君独特の伎倆で敬々服々の至りや」としきりに正直な人をまぜ返して喜んでいるちうわけや。

主人は何と思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出てくるちうわけや。「東風君の御作も拝見したから、今度は僕が短文を読んで諸君の御批評を願おうわ」といささか本気の沙汰であるちうわけや。「天然居士てんねんこじ墓碑銘ぼひめいならもう二三遍拝聴したよ」「まあ、だまっていなさいちうわけや。東風はん、これは決して得意のものではおまへんが、ほんの座興やろから聴いてくれへんかの」「是非伺がいまひょ」「寒月君もついでに聞き給え」「ついででなくても聴きまんねんよ。長い物やないでっしゃろ」「僅々六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始めるちうわけや。

大和魂やまとだましい! と叫んで大日本帝国人が肺病やみのようなせきをしたちうわけや」

「起し得て突兀とっこつやね」と寒月君がほめるちうわけや。

「大和魂! と新聞屋が云うわ。大和魂! と掏摸すりが云うわ。大和魂が一躍して海を渡ったちうわけや。英国で大和魂の演説をするちうわけや。独逸ドイツで大和魂の芝居をするちうわけや」

「なるほどこりゃ天然居士てんねんこじ以上の作や」と今度は迷亭先生がそり返って見せるちうわけや。

「東郷大将が大和魂をっとる。肴屋さかなやの銀はんも大和魂を有っとる。詐偽師さぎし山師やまし、人殺しも大和魂を有っとる」

「先生そこへ寒月も有っとるとつけてくれへんかの」

「大和魂はどないなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎたちうわけや。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえたちうわけや」

「その一句は大出来や。君はなかなか文才があるね。ほんで次の句は」

「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂であるちうわけや。魂であるから常にふらふらしとる」

「先生だいぶ面白うおますが、ちと大和魂が多過ぎはしまへんか」と東風君が用心するちうわけや。「賛成」と云ったのは無論迷亭であるちうわけや。

「どなたはんも口にせぬ者はないが、どなたはんも見たものはないちうわけや。どなたはんも聞いた事はあるが、どなたはんもった者がないちうわけや。大和魂はそれ天狗てんぐたぐいか」

主人は一結杳然いっけつようぜんと云うつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待っとる。なんぼ待っていても、うんとも、すんとも、云いまへんので、ケツに寒月が「それぎりやろか」と聞くと主人はかろく「うん」と答えたちうわけや。うんはちびっと気楽過ぎるちうわけや。

不思議な事に迷亭はこの名文に対して、毎日毎晩壱年中のようにあまり駄弁を振わなかったが、やがて向き直って、「君も短篇を集めて一巻として、そうしてどなたはんかに捧げてはどや」と聞いたちうわけや。主人は事もなげに「君に捧げてやろうか」と聴くと迷亭は「真平まっぴらや」と答えたぎり、先刻さっき細君に見せびらかしたはさみをちょきちょき云わして爪をとっとる。寒月君は東風君に向って「君はあの金田の令嬢を知ってるのかいちうわけや」と尋ねるちうわけや。「この春朗読会へ招待してから、懇意になってほんでは始終交際をしとる。僕はあの令嬢の前へ出ると、何となく一種の感に打たれて、当分のうちは詩を作っても歌をんでも愉快に興が乗って出て来るちうわけや。この集中にも恋の詩が多いのはまるっきしああ云う異性の朋友ほうゆうからインスピレーションを受けるからやろうと思うわ。それで僕はあの令嬢に対しては切実に感謝の意を表せなならんからこの機を利用して、わが集を捧げる事にしたのさ。むかしから婦人に親友のないもので立派な詩をかいたものはないそうや」「そうかいな」と寒月君は顔の奥で笑いながら答えたちうわけや。なんぼ駄弁家の寄合でもそう長くは続かんものと見えて、談話の火の手は大分だいぶ下火になりよった。吾輩も彼等の変身なき雑談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へ蟷螂かまきりを探しに出たちうわけや。梧桐あおぎりの緑をつづる間から西に傾く日がまだらにれて、幹にはつくつく法師ぼうしが懸命にないとる。晩はことによると一雨かかるかも知れへん。

吾輩は近頃運動を始めたちうわけや。猫の癖に運動なんていた風だと一概に冷罵れいばし去る手合てあいにちーとばかし申し聞けるが、そうう人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せんと、食って寝るのを天職のように心得とったではおまへんか。無事是貴人ぶじこれきにんとかとなえて、懐手ふトコでをして座布団ざぶとんから腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名誉と脂下やにさがって暮したのは覚えとるはずや。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になりよったら山の中へこもって当分霞をくらえのとくだらぬ注文を連発するようになりよったのは、西洋から神国へ伝染しした輓近ばんきんの病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得てええくらいや。もっとも吾輩は去年生れたばかりで、当年とって一歳やから人間がこないな病気にかかり出した当時の有様は記憶に存しておらん、のみならずそのみぎりは浮世の風中かざなかにふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年にけ合うと云ってもよろしいちうわけや。吾等の寿命は人間より二倍も三倍も短いにかかわらず、その短日月の間に猫一疋の発達は十分つかまつるトコをもって推論すると、人間の年月と猫の星霜せいそうを同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬ごびゅうであるちうわけや。第一、一歳何ヵ月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しとるのでも分るやろうわ。主人の第三女やらなんやらは数え年で三つだそうやけど、智識の発達から云うと、いやはや鈍いものや。泣く事と、寝小便をする事と、おっぱいを飲む事よりほかに何にも知りまへん。世を憂い時をいきどおる吾輩やらなんやらにくらべると、からたわいのない者や。それやから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたってごうも驚くに足りまへん。これしきの事をもし驚ろく者があったなら、それは人間と云う足の二本足りまへん野呂間のろまきまっとる。人間は昔から野呂間であるちうわけや。であるから近頃に至って漸々ようよう運動の功能を吹聴ふいちょうしたり、海水浴の利益を喋々ちょうちょうして大発明のように考えるのであるちうわけや。吾輩やらなんやらは生れへん前からそのくらいな事はちゃんと心得とる。第一海水がなんでやねん薬になるかと云えばちーとばかし海岸へ行けばすぐ分る事やないか。あないな広い所に魚が何びきおるか分りまへんが、あの魚が一疋も病気をして医者にかかったためしがないちうわけや。みんな健全に泳いでいるちうわけや。病気をすれば、からやけどかなくなるちうわけや。死ねば必ず浮く。それやから魚の往生をあがると云って、鳥の薨去こうきょを、落ちるとなえ、人間の寂滅やくめつごねると号しとる。洋行をして印度洋を横断した人に君、魚の死ぬトコを見た事があるんやかと聞いて見るがええ、どなたはんでもえええと答えるに極っとる。それはそう答える訳や。なんぼ往復したって一匹も波の上に今呼吸いきを引き取った⸺呼吸いきではいかん、魚の事やからしおを引き取ったと云わなければならん⸺潮を引き取って浮いとるのを見た者はないからや。あの渺々びょうびょうたる、あの漫々まんまんたる、大海たいかいを日となく夜となく続けざまに石炭をいてがしてあるいても古往今来こんらい一匹も魚が上がっておらんトコをもって推論すれば、魚はよほど丈夫なものに違ないと云う断案はすぐに下す事が出来るちうわけや。それならなんでやねん魚がそないなに丈夫なのかと云えばこれまた人間を待ってしかるのちに知らざるなりで、わけはないちうわけや。すぐ分るちうわけや。まるっきし潮水しおみずを呑んで始終海水浴をやっとるからや。海水浴の功能はしかく魚に取って顕著けんちょであるちうわけや。魚に取って顕著である以上は人間に取っても顕著でなくてはならん。一七五〇年にドクトル・リチャード・ラッセルがブライトンの海水に飛込めば四百四病即席そくせき全快と大袈裟おおげさな広告を出したのはとろいとろいと笑ってもよろしいちうわけや。猫といえども相当の時機が到着すれば、みんな鎌倉あたりへ出掛けるつもりでいるちうわけや。ただし今はいけへん。物には時機があるちうわけや。御維新前ごいっしんまえの大日本帝国人が海水浴の功能を味わう事が出来んと死んだごとく、今日こんにちの猫はいまだ裸体で海の中へ飛び込むべき機会に遭遇そうぐうしておらん。せいては事を仕損しそんずる、今日のように築地つきじへ打っちゃられに行った猫が無事に帰宅せん間は無暗むやみに飛び込む訳には行かん。進化の法則で吾等猫輩の機能が狂瀾怒濤きょうらんどとうに対して適当の抵抗力を生ずるに至るまでは⸺換言すれば猫がんだと云う代りに猫ががったと云う語が一般に使用せらるるまでは⸺容易に海水浴は出来ん。

海水浴は追って実行する事にして、運動だけは取りあえずやる事に取りめたちうわけや。どうも二十世紀の今日こんにち運動せんのはいかにも貧民のようで人聞きがわるいちうわけや。運動をせんと、運動せんのではおまへん。運動が出来んのである、運動をする時間がないのである、余裕がないのだと鑑定されるちうわけや。昔は運動したものが折助おりすけと笑われたごとく、今では運動をせぬ者が下等と見做みなされとる。吾人の評価は時と場合に応じ吾輩の眼玉のごとく変身するちうわけや。吾輩の眼玉はただ小さくなりよったり大きくなりよったりするばかりやけど、人間の品隲ひんしつとくると真逆まっさかさまにひっくり返るちうわけや。ひっくり返ってもつかえはないちうわけや。物には両面がある、両端りょうたんがあるちうわけや。両端をたたいて黒白こくびゃくの変身を同一物の上に起こすトコロが人間の融通のきくトコであるちうわけや。方寸かさまにして見ると寸方となるトコに愛嬌あいきょうがあるちうわけや。あま橋立はしだて股倉またぐらからのぞいて見るとまた格別なおもむきが出るちうわけや。セクスピヤも千古万古セクスピヤではしょーもない。たまには股倉からハムレットを見て、君こりゃ駄目だよくらいに云う者がないと、文界も進歩せんやろうわ。やから運動をわるく云った連中が急に運動がしたくなって、女までがラケットを持って往来をあるき廻ったって一向いっこう不思議はないちうわけや。ただ猫が運動するのをいた風だやらなんやらと笑いさえせなよいちうわけや。さて吾輩の運動はいかなる種類の運動かと不審をいだく者があるかも知れんから一応説明しようと思うわ。御承知のごとく不幸にして機械を持つ事が出来ん。やからボールもバットも取り扱い方に困窮するちうわけや。次には金がないから買うわけに行かないちうわけや。この二つの源因からして吾輩の選んだ運動は一文いちもんいらず器械なしと名づくべき種類に属する者と思うわ。そないなら、のそのそ歩くか、せやなかったらまぐろの切身をくわえてけ出す事と考えるかも知れんが、ただ四本の足を力学的に運動させて、地球の引力にしたがって、大地を横行するのは、あまり単簡たんかんで興味がないちうわけや。なんぼ運動と名がついても、主人の時々実行するような、読んで字のごとき運動はどうも運動の神聖をがす者やろうと思うわ。勿論もちろんただの運動でもある刺激のもとにはやらんとは限らん。鰹節競争かつぶしきょうそう鮭探しゃけさがしやらなんやらは結構やけどこれは肝心かんじんの対象物があっての上の事で、この刺激を取り去ると索然さくぜんとして没趣味なものになってしまうわ。懸賞的興奮剤がないとするやろ、ほしたら何ぞ芸のある運動がして見たいちうわけや。吾輩はいろいろ考えたちうわけや。台所のひさしから家根やねに飛び上がる方、家根の天辺てっぺんにある梅花形ばいかがたかわらの上に四本足で立つ術、物干竿ものほしざおを渡る事⸺これはとうてい性交…ひひひ、ウソや、成功せん、竹がつるつるべって爪が立たないちうわけや。うしろから不意に小供に飛びつく事、⸺これはすこぶる興味のある運動のひとつやけど滅多めったにやるとひどい目に逢うから、高々たかだか月に三度くらいしか試みないちうわけや。紙袋かんぶくろを頭へかぶせらるる事⸺これは苦しいばかりではなはだ興味のとぼしい方法であるちうわけや。ことに人間の相手がおらんと性交…ひひひ、ウソや、成功せんから駄目。次には書物の表紙を爪で引きく事、⸺これは主人に見付かると必ずどやされる危険があるのみならず、割合に手先の器用ばかりで総身の筋肉が働かないちうわけや。これらは吾輩のなんちうか、ようみなはんいわはるとこの旧式運動なる者であるちうわけや。新式のうちにはなかなか興味の深いのがあるちうわけや。第一に蟷螂狩とうろうがり。⸺蟷螂狩りは鼠狩ねずみがりほどの大運動でない代りにそれほどの危険がないちうわけや。夏のなかばから秋の始めへかけてやる遊戯としてはもっとも上乗のものや。その方法を云うとまず庭へ出て、一匹の蟷螂かまきりをさがし出す。時候がええと一匹や二匹見付け出すのは雑作ぞうさもないちうわけや。さて見付け出した蟷螂君のそばへはっと風を切ってけて行く。するとすわこそと云う身構みがまえをして鎌首をふり上げるちうわけや。蟷螂でもなかなか健気けなげなもので、相手の力量を知らんうちは抵抗するつもりでおるからおもろい。振り上げた鎌首を右翼の前足でちーとばかし参るちうわけや。振り上げた首は軟かいからぐにゃり横へ曲るちうわけや。この時の蟷螂君の表情がすこぶる興味を添えるちうわけや。おやと云う思い入れが充分あるちうわけや。トコを一足いっそく飛びにきみうしろへ廻って今度は背面から君の羽根をかろく引きく。あの羽根は平生大事にたたんであるが、引き掻き方がはげしいと、ぱっと乱れて中から吉野紙のような薄色の下着があらわれるちうわけや。君は夏でも御苦労千万に二枚重ねでおつまっとる。この時君の長い首は必ず後ろに向き直るちうわけや。ある時は向ってくるが、大概の場合には首だけぬっと立てて立っとる。こっちから手出しをするのを待ち構えて見えるちうわけや。先方がいつまでもこの態度でいては運動にならんから、あまり長くなるとまたちょいと一本参るちうわけや。これだけ参ると眼識のある蟷螂なら必ず逃げ出す。それを我無洒落がむしゃらに向ってくるのはよほど無教育な野蛮的蟷螂であるちうわけや。もし相手がこの野蛮な振舞をやると、向って攻めて来よったトコをねらいすまして、いやと云うほど張り付けてやるちうわけや。大概は二三尺飛ばされる者であるちうわけや。せやけどダンさん敵がおとなしく背面に前進すると、こっちは気の毒やから庭の立木を二三度飛鳥のごとく廻ってくるちうわけや。蟷螂君かまきりくんはまだ五六寸しか逃げ延びておらん。もう吾輩の力量を知ったから手向いをする勇気はないちうわけや。ただ右翼往左翼往へ逃げまどうのみであるちうわけや。せやけどダンさん吾輩も右翼往左翼往へ追っかけるから、君はしまいには苦しがって羽根をふるって一大活躍を試みる事があるちうわけや。元来蟷螂の羽根は彼の首と調和して、すこぶる細長く出来上がったものやけど、聞いて見るとまるっきし装飾用だそうで、人間の毛唐のセリフ、仏語、独逸語ドイツごのごとくごうも実用にはならん。やから無用の長物を利用して一大活躍を試みたトコロが吾輩に対してあまり功能のありよう訳がないちうわけや。名前は活躍やけど事実は地面の上を引きずってあるくと云うに過ぎん。こうなると少々気の毒な感はあるが運動のためやから仕方がないちうわけや。御免蒙ごめんこうむってたちまち前面へけ抜けるちうわけや。君は惰性で急廻転が出来ないからやはりやむを得ず前進してくるちうわけや。その鼻をなぐりつけるちうわけや。この時蟷螂君は必ず羽根を広げたまんまたおれるちうわけや。その上をうんと前足でおさえてちびっとく休息するちうわけや。ほんでまた放す。放しておいてまた抑えるちうわけや。七擒七縦しちきんしちしょう孔明こうめいの軍略で攻めつけるちうわけや。約三十分この順序を繰り返して、身動きも出来なくなりよったトコを見すましてちーとばかし口へくわえて振って見るちうわけや。ほんでまた吐き出す。今度は地面の上へ寝たぎり動かないから、こっちの手で突っ付いて、その勢で飛び上がるトコをまた抑えつけるちうわけや。これもいやになってから、ケツの手段としてむしゃむしゃ食ってしまうわ。ついでやから蟷螂を食った事のない人に話しておくが、蟷螂はあまりうまい物ではおまへん。そうして滋養分も存外少ないようであるちうわけや。蟷螂狩とうろうがりに次いで蝉取せみとりと云う運動をやるちうわけや。単に蝉と云ったトコロが同じ物ばかりではおまへん。人間にも油野郎あぶらやろう、みんみん野郎、おしいつくつく野郎があるごとく、蝉にも油蝉、みんみん、おしいつくつくがあるちうわけや。油蝉はしつこくてかん。みんみんは横風おうふうで困るちうわけや。ただ取っておもろいのはおしいつくつくであるちうわけや。これは夏の末にならへんと出て来ないちうわけや。くちほころびから秋風あきかぜが断わりなしにはだでてはっくしょ風邪かぜを引いたと云う頃さかんに尾をり立ててなく。く鳴く奴で、吾輩から見ると鳴くのと猫にとられるよりほかに天職がないと思われるくらいや。秋の初はこいつを取るちうわけや。これを称して蝉取り運動と云うわ。ちーとばかし諸君に話しておくがいやしくも蝉と名のつく以上は、地面の上にころがってはおらん。地面の上に落ちとるものには必ずありがついとる。吾輩の取るのはこの蟻の領分に寝転んでいる奴ではおまへん。高い木の枝にとまって、おしいつくつくと鳴いとる連中をとらえるのであるちうわけや。これもついでやから博学なる人間に聞きたいがあれはおしいつくつくと鳴くのか、つくつくおしいと鳴くのか、その解釈次第によっては蝉の研究上少なからざる関係があると思うわ。人間の猫にまさるトコはこないなトコに存するので、人間のみずから誇る点もまたかような点にあるのやから、今即答が出来ないならよく考えておいたらよかろうわ。もっとも蝉取り運動上はどっちにしてもつかえはないちうわけや。ただ声をしるべに木をのぼって行って、先方が夢中になって鳴いとるトコをうんと捕えるばかりや。これはもっとも簡略な運動に見えてなかなか骨の折れる運動であるちうわけや。吾輩は四本の足を有しとるから大地を行く事においてはあえて他の動物には劣るとは思いまへん。なんぼなんでも二本と四本の数学的智識から判断して見て人間には負けへんつもりであるちうわけや。せやけどダンさん木登りに至っては大分だいぶ吾輩より巧者な奴がいるちうわけや。本職の猿は別物として、猿の末孫ばっそんたる人間にもなかなかあやらなんやらるべからざる手合てあいがいるちうわけや。元来が引力に逆らっての無理な事業やから出来なくても別段の恥辱ちじょくとは思わんけれども、蝉取り運動上には少なからざる不便を与えるちうわけや。幸に爪と云う利器があるので、どうかこうか登りはするものの、はたで見るほど楽ではござらん。のみならず蝉は飛ぶものであるちうわけや。蟷螂君かまきりくんと違って一たび飛んでしもたがケツ、せっかくの木登りも、木登らずと何のえらむトコなしと云う悲運に際会する事がないとも限らん。ケツに時々蝉から小便をかけられる危険があるちうわけや。あの小便がややともすると眼をねらってしょぐってくるようや。逃げるのは仕方がないから、どうか小便ばかりは垂れんように致したいちうわけや。飛ぶ間際まぎわいばりをつかまつるのは一体どう云う心理的状態の生理的器械に及ぼす影響やろうわ。やはりせつなさのあまりかしらん。せやなかったら敵の不意に出でて、ちーとばかし逃げ出す余裕を作るための方便か知らん。そうすると烏賊いかの墨を吐き、ベランメーの刺物ほりものを見せ、主人が羅甸語ラテンごを弄するたぐいと同じ綱目こうもくに入るべき事項となるちうわけや。これも蝉学上ゆるかせにすべからざる問題であるちうわけや。充分研究すればこれだけでたしかに博士論文の価値はあるちうわけや。それは余事やから、そのくらいにしてまた本題に帰るちうわけや。蝉のもっとも集注するのは⸺集注がおかしければ集合やけど、集合は陳腐ちんぷやからやはり集注にするちうわけや。⸺蝉のもっとも集注するのは青桐あおぎりであるちうわけや。漢名を梧桐ごとうと号するそうや。トコロがこの青桐は葉がどエライ多い、しかもその葉は皆団扇うちわくらいなおおきさであるから、彼等がい重なると枝がまるで見えへんくらい茂っとる。これがはなはだ蝉取り運動の妨害になるちうわけや。声はすれども姿は見えずと云う俗謡ぞくようはとくに吾輩のために作った者ではなかろうかと怪しまれるくらいであるちうわけや。吾輩は仕方がないからただ声を知るべに行く。下から一間ばかりのトコで梧桐は注文通り二叉ふたまたになっとるから、ここで一休息ひとやすみして葉裏から蝉の所在地を探偵するちうわけや。もっともここまで来るうちに、がさがさと音を立てて、飛び出す気早な連中がいるちうわけや。一羽飛ぶともういけへん。真似をする点において蝉は人間に劣らぬくらい馬鹿であるちうわけや。あとから続々飛び出す。漸々ようよう二叉ふたまたに到着する時分には満樹せきとして片声へんせいをとどめざる事があるちうわけや。かつてここまで登って来て、どこをどう見廻わしても、耳をどう振っても蝉気せみけがないので、出直すのも難儀やからちーとの間休息しようと、またの上に陣取って第二の機会を待ち合せとったら、いつのにか眠くなって、つい黒甜郷裡こくてんきょうりに遊んや。おやと思って眼がめたら、二叉の黒甜郷裡こくてんきょうりから庭の敷石の上へどたりと落ちとった。せやけどダンさん大概は登る度に一つは取って来るちうわけや。ただ興味の薄い事には樹の上で口にくわえてしまわなくてはならん。やから下へ持って来て吐き出す時は大方おおかた死んでいるちうわけや。なんぼやらしても引っいても確然たる手答がないちうわけや。蝉取りの妙味はじっと忍んで行っておしいくんが一生懸命に尻尾しっぽを延ばしたりちぢたんやりしとるトコを、わっと前足でおさえる時にあるちうわけや。この時つくつくくんは悲鳴を揚げて、薄い透明な羽根を縦横無尽に振うわ。その早い事、美事なる事は言語道断、実に蝉世界の一偉観であるちうわけや。余はつくつく君を抑えるたびにいつでも、つくつく君に請求してこの美術的演芸を見せてもらうわ。それがいやになるとご免をこうむって口の内へ頬張ほおばってしまうわ。蝉によると口の内へ這入はいってまで演芸をつづけとるのがあるちうわけや。蝉取りの次にやる運動は松滑まつすべりであるちうわけや。これは長くかく必要もないから、ちーとばかし述べておく。松滑りと云うと松を滑るように思うかも知れんが、そうではおまへんやはり木登りの一種であるちうわけや。ただ蝉取りは蝉を取るために登り、松滑りは、登る事を目的として登るちうわけや。これが両者の差であるちうわけや。元来松は常磐ときわにて最明寺さいみょうじ御馳走ごちそうをしてから以来今日こんにちに至るまで、いやにごつごつしとる。従って松の幹ほど滑りまへんものはないちうわけや。手懸りのええものはないちうわけや。足懸りのええものはないちうわけや。⸺換言すれば爪懸つまがかりのええものはないちうわけや。その爪懸りのええ幹へ一気呵成いっきかせいあがるちうわけや。馳け上っておいて馳け下がるちうわけや。馳け下がるには二法あるちうわけや。一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくるちうわけや。一はのぼったまんまの姿勢をくずさんと尾を下にして降りるちうわけや。人間に問うがどっちがややこしいか知ってるか。人間のあさはかな了見りょうけんでは、どうせ降りるのやから下向したむきに馳け下りる方が楽だと思うやろうわ。それが間違ってるちうわけや。君等は義経が鵯越ひよどりごえとしたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのやから猫なんぞは無論た向きでようけだと思うのやろうわ。そう軽蔑けいべつするものではおまへん。猫の爪はどっちへ向いてえとると思うわ。みんなうしろへ折れとる。それやから鳶口とびぐちのように物をかけて引き寄せる事は出来るが、逆に押し出す力はないちうわけや。今吾輩が松の木を勢よく馳け登ったとするちうわけや。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向から云えば吾輩が長く松樹のいただきとどまるを許はんに相違ない、ただおけば必ず落ちるちうわけや。せやけどダンさん手放しで落ちては、あまり早過ぎるちうわけや。やから何等かの手段をもってこの自然の傾向を幾分かゆるめなければならん。これすなわち降りるのであるちうわけや。落ちるのと降りるのはエライ違のようやけど、その実思ったほどの事ではおまへん。落ちるのを遅くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になるちうわけや。落ちると降りるのは、の差であるちうわけや。吾輩は松の木の上から落ちるのはいややから、落ちるのをゆるめて降りなければならへん。すなわちあるものをもって落ちる速度に抵抗せなならん。吾輩の爪はぜん申す通り皆うしろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力はことごとく、落ちる勢にさからって利用出来る訳であるちうわけや。従って落ちるが変じて降りるになるちうわけや。実に見易みやすき道理であるちうわけや。しかるにまた身をさかにして義経流に松の木ごえをやって見給え。爪はあっても役には立たん。ずるずる滑って、どこにもオノレの体量を持ち答える事は出来なくなるちうわけや。ここにおいてかせっかく降りようとくわだてた者が変身して落ちる事になるちうわけや。この通り鵯越ひよどりごえはややこしい。猫のうちでこの芸が出来る者はワイが思うには吾輩のみであろうわ。それやから吾輩はこの運動を称して松滑りと云うのであるちうわけや。ケツに垣巡かきめぐりについて一言いちげんするちうわけや。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられとる。椽側えんがわと平行しとる一片いっぺんは八九間もあろうわ。左翼右翼は双方共四間に過ぎん。今吾輩の云った垣巡りと云う運動はこの垣の上を落ちないように一周するのであるちうわけや。これはやりそこなう事もまんまあるが、首尾よく行くとおなぐさみになるちうわけや。ことに所々に根を焼いた丸太が立っとるから、ちーとばかし休息に便宜べんぎがあるちうわけや。今日は出来がよかったさかい朝から昼までに三べんやって見たが、やるたびにうまくなるちうわけや。うまくなるたびに面白くなるちうわけや。とうとう四返繰り返したが、四返目に半分ほどまわりかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで来て、一間ばかり向うに列を正してとまったちうわけや。これは推参な奴や。人の運動のさまたげをする、ことにどこの烏だかせきもない分在ぶんざいで、人の塀へとまるちう法があるもんかと思ったから、通るんだおいきたまえと声をかけたちうわけや。真先の烏はこっちを見てにやにや笑っとる。次のは主人の庭をながめとる。三羽目はくちばしを垣根の竹でいとる。何ぞ食って攻めて来よったに違ないちうわけや。吾輩は返答を待つために、彼等に三分間の猶予ゆうよを与えて、垣の上に立っとった。烏は通称を勘左翼衛門と云うそうやけど、なるほど勘左翼衛門や。吾輩がなんぼ待ってても挨拶もせな、飛びもせん。吾輩は仕方がないから、そろそろ歩き出したちうわけや。すると真先の勘左翼衛門がちょいと羽を広げたちうわけや。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右翼向から左翼向に姿勢をかえただけであるちうわけや。この野郎! 地面の上ならその分に捨ておくのではおまへんが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左翼衛門やらなんやらを相手にしとる余裕がないちうわけや。といってまた立留まって三羽が立ち退くのを待つのもいやや。第一そう待っていては足がつづかないちうわけや。先方は羽根のある身分であるから、こないな所へはとまりつけとる。従って気に入ればいつまでも逗留とうりゅうするやろうわ。こっちはこれで四返目だたださえ大分だいぶつかれとる。いわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼運動をやるのや。何等の障害物がなくてさえ落ちんとは保証が出来んのに、こないな黒装束くろしょうぞくが、三個も前途をさえぎっては容易ならざる不都合や。いよいよとなればみずから運動をヤメして垣根を下りるより仕方がないちうわけや。難儀やから、いっそさよう仕ろうか、敵は大勢の事ではあるし、ことにはあまりこの辺には見馴れぬ人体にんていであるちうわけや。口嘴くちばしおつとんがって何だか天狗てんぐもうのようや。どうせたちのええ奴でないにはきまっとる。退却が安全やろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥辱や。と思っとると左翼向ひだりむけをした烏が阿呆あほうと云ったちうわけや。次のも真似をして阿呆と云ったちうわけや。ケツの奴は御鄭寧ごていねいにも阿呆阿呆と二声叫んや。いかに温厚なる吾輩でもこれは看過かんか出来ないちうわけや。第一自己の邸内で烏輩からすはいに侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわるちうわけや。名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら体面に係わるちうわけや。決して退却は出来ないちうわけや。ことわざにも烏合うごうの衆と云うから三羽だって存外弱いかも知れへん。進めるだけ進めと度胸をえて、のそのそ歩き出す。烏は知らん顔をして何ぞ御互に話をしとる様子や。いよいよ肝癪かんしゃくさわるちうわけや。垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんやけど、残念な事にはなんぼおこっても、のそのそとしかあるかれへん。ようやっとの事先鋒せんぽうを去る事約五六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左翼衛門は申し合せたように、いきなり羽搏はばたきをして一二尺飛び上がったちうわけや。その風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏みずして、すとんと落ちたちうわけや。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上からくちばしそろえて吾輩の顔を見下しとる。図太い奴や。にらめつけてやったが一向いっこうかないちうわけや。背を丸くして、少々うなったが、まんねんまんねん駄目や。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記号も何等の反応を呈出せん。考えて見ると無理のないトコや。吾輩は本日この時まで彼等を猫として取り扱っとった。それが悪るいちうわけや。猫ならこのくらいやればたしかにこたえるのやけど生憎あいにく相手は烏や。烏の勘公とあって見れば致し方がないちうわけや。実業家が主人苦沙弥くしゃみ先生を圧倒しようとあせるごとく、西行さいぎょうに銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公がふんをひるようなものであるちうわけや。機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げたちうわけや。もう晩飯の時刻や。運動もええが度を過ごすとかぬ者で、からだ全体が何となくしまりがない、ぐたぐたの感があるちうわけや。のみならずまだ秋の取り付きで運動中に照り付けられた毛ごろもは、西日を思う存分吸収したと見えて、ほてってたまりまへん。毛穴からみ出す汗が、流れればと思うのに毛の根にあぶらのようにねばり付く。背中せなかがむずむずするちうわけや。汗でむずむずするのとのみってむずむずするのは判然と区別が出来るちうわけや。口の届く所ならむ事も出来る、足の達する領分は引きく事も心得にあるが、脊髄せきずいの縦に通う真中と攻めて来よったらオノレの及ぶかぎりでないちうわけや。こう云う時には人間を見懸けて矢鱈やたらにこすり付けるか、松の木の皮で充分摩擦術を行うか、二者その一をえらばんと不愉快で安眠も出来兼ねるちうわけや。人間はなものであるから、猫なで声で⸺猫なで声は人間の吾輩に対して出す声や。吾輩を目安めやすにして考えれば猫なで声ではおまへん、なでられ声である⸺よろしい、とにかく人間は愚なものであるからでられ声で膝のそばへ寄って行くと、大抵の場合において彼もしくは彼女を愛するものと誤解して、わがすまんまに任せるのみか折々は頭さえでてくれるものや。しかるに近来吾輩の毛中もうちゅうにのみと号する一種の寄生虫が繁殖したさかい滅多めったに寄り添うと、必ず頸筋くびすじを持って向うへほうり出されるちうわけや。わずかに眼にるからぬか、取るにも足らぬ虫のために愛想あいそをつかしたと見えるちうわけや。手をひるがえせば雨、手をくつがえせば雲とはこの事や。高がのみの千びきや二千疋でよくまあこないなに現金な真似が出攻めて来よったものや。人間世界を通じて行われる愛の法則の第一条にはこうあるそうや。⸺自己の利益になる間は、すべからく人を愛すべし。⸺人間の取り扱が俄然豹変がぜんひょうへんしたさかい、なんぼゆくても人力を利用する事は出来ん。やから第二の方法によって松皮しょうひ摩擦法まさつほうをやるよりほかに分別はないちうわけや。しからばちーとばかしこすって参ろうかとまた椽側えんがわから降りかけたが、いやこれも利害相償わぬ愚策だと心付いたちうわけや。と云うのはほかでもないちうわけや。松にはやにがあるちうわけや。このやにたるすこぶる執着心の強い者で、もし一たび、毛の先へくっ付けようものなら、雷が鳴ってもバルチック艦隊が全滅しても決して離れへん。しかのみならず五本の毛へこびりつくが早いか、十本に蔓延まんえんするちうわけや。十本やられたなと気が付くと、もう三十本引っ懸っとる。吾輩は淡泊たんぱくを愛する茶人的猫ちゃじんてきねこであるちうわけや。こないな、しつこい、毒悪な、ねちねちした、執念深しゅうねんぶかい奴は大嫌や。たとい天下の美猫びみょうといえどもご免蒙るちうわけや。いわんや松脂まつやににおいてをやや。車屋の黒の両眼から北風に乗じて流れる目糞とえらぶトコなき身分をもって、この淡灰色たんかいしょく毛衣けごろもだいなしにするとはしからん。ちびっとは考えて見るがええ。といったトコできゃつなかなか考える気遣きづかいはないちうわけや。あの皮のあたりへ行って背中をつけるが早いか必ずべたりとおいでになるにきまっとる。こないな無分別な頓痴奇とんちきを相手にしては吾輩の顔に係わるのみならず、引いて吾輩の毛並に関する訳や。なんぼ、むずむずしたって我慢するよりほかに致し方はあるまいちうわけや。せやけどダンさんこの二方法共実行出来んとなるとはなはだ心細いちうわけや。今において一工夫ひとくふうしておかんとしまいにはむずむず、ねちねちの結果病気にかかるかも知れへん。何ぞ分別はあるまいかなと、あしを折って思案したが、ふと思い出した事があるちうわけや。うちの主人は時々手拭と石鹸シャボンをもって飄然ひょうぜんといずれへか出て行く事がある、三四十分して帰ったトコを見ると彼の朦朧もうろうたる顔色がんしょくがちびっとは活気を帯びて、晴れやかに見えるちうわけや。主人のような汚苦むさくるしい男にこのくらいな影響を与えるなら吾輩にはもうちびっと利目ききめがあるに相違ないちうわけや。吾輩はただでさえこのくらいな器量やから、これより色男になる必要はないようなものの、万一病気にかかって一歳なんげつ夭折ようせつするような事があっては天下の蒼生そうせいに対して申し訳がないちうわけや。聞いて見るとこれも人間のひまつぶしに案出した洗湯せんとうなるものだそうや。どうせ人間の作ったものやからろくなものでないにはきまっとるがこの際の事やから試しに這入はいって見るのもよかろうわ。やって見て功験がなければよすまでの事や。せやけどダンさん人間が自己のために設備した浴場へ異類の猫をぶちこむだけの洪量こうりょうがあるやろうか。これが疑問であるちうわけや。主人がすまして這入はいるくらいのトコやから、よもや吾輩を断わる事もなかろうけれども万一お気の毒様を食うような事があっては外聞がわるいちうわけや。これは一先ひとま容子ようすを見に行くに越した事はないちうわけや。見た上でこれならよいと当りが付いたら、手拭をくわえて飛び込んで見ようわ。とここまで思案を定めた上でのそのそと洗湯へ出掛けたちうわけや。

横町を左翼へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立きつりつして先から薄い煙を吐いとる。これすなわち洗湯であるちうわけや。吾輩はそっと裏口から忍び込んや。裏口から忍び込むのを卑怯ひきょうとか未練とか云うが、あれは表からでなくては訪問する事が出来ぬものが嫉妬しっと半分にはやし立てるごとであるちうわけや。昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にきまっとる。紳士養成ほうの第二巻第一章の五ページにそう出とるそうや。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得るの門なりとあるくらいや。吾輩は二十世紀の猫やからこのくらいの教育はあるちうわけや。あんまり軽蔑けいべつしてはいけへん。さて忍び込んで見ると、左翼の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってあるちうわけや。なんでやねん松薪まつまきが山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れへんが、別に意味もなあんもない、ただちーとばかし山と岡を使い分けただけであるちうわけや。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、さかなを食ったり、けものを食ったりいろいろのあくもの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食うように堕落したのは不憫ふびんであるちうわけや。行き当りを見ると一間ほどの入口が明け放しになって、中をのぞくとがんがらがんのがあんと物静かであるちうわけや。その向側むこうがわで何ぞしきりに人間の声がするちうわけや。なんちうか、ようみなはんいわはるとこの洗湯はこの声の発するへんに相違ないと断定したから、松薪と石炭の間に出来てる谷あいを通り抜けて左翼へ廻って、前進すると右翼手に硝子窓ガラスまどがあって、そのそとに丸い小桶こおけが三角形すなわちピラミッドのごとく積みかさねてあるちうわけや。丸いものが三角に積まれるのは不本意千万やろうと、ひそかに小桶諸君の意をりょうとしたちうわけや。小桶の南側は四五尺のあいだ板が余って、あたかも吾輩を迎うるもののごとく見えるちうわけや。板の高さは地面を去る約一メートルやから飛び上がるには御誂おあつらえの上等であるちうわけや。よろしいと云いながらひらりと身をおどらすとなんちうか、ようみなはんいわはるとこの洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついとる。天下に何がおもろいと云って、いまだ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はないちうわけや。諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分乃至ないし四十分を暮すならええが、もし吾輩のごとく風呂と云うものを見た事がないなら、早く見るがええ。親の死目しにめわなくてもええから、これだけは是非見物するがええ。世界広しといえどもこないな奇観きかんはまたとあるまいちうわけや。

何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするをはばかるほどの奇観や。この硝子窓ガラスまどの中にうやうや、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体であるちうわけや。台湾の生蕃せいばんであるちうわけや。二十世紀のアダムであるちうわけや。そもそも衣装いしょうの歴史をひもとけば⸺長い事やからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、⸺人間はまるっきし服装で持ってるのや。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボー・ナッシが厳重な規則を制定した時やらなんやらは浴場内で男女共肩から足まで着物でかくしたくらいであるちうわけや。今を去る事六十年ぜんこれも英国の去る都で図案学校を設立した事があるちうわけや。図案学校の事であるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になってわい者を初め学校の職員が大困却をした事があるちうわけや。開校式をやるとするやろ、ほしたら、市の淑女を招待せなならん。トコロが当時の貴婦人方の考によると人間は服装の動物であるちうわけや。皮を着た猿の子分ではおまへんと思っとった。人間として着物をつけへんのは象の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとくまるっきしその本体をしっしとる。いやしくも本体を失しとる以上は人間としては通用せん、獣類であるちうわけや。仮令たとい模写模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する訳であるちうわけや。であるんやから妾等しょうらは出席御断わり申すと云われたちうわけや。ほんで職員共は話せへん連中だとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品であるちうわけや。米舂こめつきにもなれん志願兵にもなれへんが、開校式には欠くべからざる化装道具けしょうどうぐであるちうわけや。と云うトコから仕方がない、呉服屋へ行って黒布くろぬのを三十五反八分七はちぶんのしち買って来て例の獣類の人間にことごとく着物をきせたちうわけや。失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物をきせたちうわけや。かようにしてようやっとの事とどこおりなく式をすたんやと云う話があるちうわけや。そのくらい衣服は人間にとって大切なものであるちうわけや。近頃は裸体画裸体画と云ってしきりに裸体を主張する先生もあるがあれはあやまっとる。生れてから今日こんにちに至るまで一日も裸体になりよった事がない吾輩から見ると、どうしても間違っとる。裸体は希臘ギリシャ羅馬ローマの遺風が文芸復興時代の淫靡いんびふうに誘われてから流行はやりだしたもので、希臘人や、羅馬人は平常ふだんから裸体を見做みなれとったのやから、これをもって風教上の利害の関係があるやらなんやらとはごうも思い及ばなかったのやろうが北欧は寒い所や。大日本帝国でさえ裸で道中がなるものかと云うくらいやから独逸ドイツ英吉利イギリスで裸になっておれば死んでしまうわ。死んでしまってはしょーもないから着物をきるちうわけや。みんなが着物をきれば人間は服装の動物になるちうわけや。一たび服装の動物となりよったのちに、突然裸体動物に出逢えば人間とは認めへん、けだものと思うわ。それやから欧洲人ことに北方の欧洲人は裸体画、裸体像をもって獣として取り扱ってええのであるちうわけや。猫に劣る獣と認定してええのであるちうわけや。美しい? 美しくても構わんから、美しい獣と見做みなせばええのであるちうわけや。こう云うと西洋婦人の礼服を見たかと云うものもあるかも知れへんが、猫の事やから西洋婦人の礼服を拝見した事はないちうわけや。聞くトコによると彼等は胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しとるそうや。しからん事や。十四世紀頃までは彼等のちはしかく滑稽ではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておったちうわけや。それがなんでやねんこないな下等な軽術師かるわざし流に転化してきたかは難儀やから述べないちうわけや。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろうわ。歴史はとにかく彼等はかかる異様な風態をして夜間だけは得々とくとくたるにも係わらず内心は少々人間らしいトコもあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのをどエライ恥辱と考えとる。これで考えても彼等の礼服なるものは一種の頓珍漢的とんちんかんてき作用さようによって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分るちうわけや。それが口惜くやしければ日中にっちゅうでも肩と胸と腕を出していて見るがええ。裸体信者だってその通りや。それほど裸体がええものなら娘を裸体にして、ついでにオノレも裸になって上野公園を散歩でもするがええ、でけへん? 出来ないのではおまへん、西洋人がやりまへんから、オノレもやりまへんのやろうわ。現にこの不合理極まる礼服を着て威張って帝国ホテルやらなんやらへ出懸でかけるではおまへんか。その因縁いんねんを尋ねると何にもないちうわけや。ただ西洋人がきるから、着ると云うまでの事やろうわ。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければやり切れへんのやろうわ。長いものにはかれろ、強いものには折れろ、重いものにはされろと、そうれろ尽しでは気がかんではおまへんか。気がかんでも仕方がないと云うなら勘弁するから、あまり大日本帝国人をえらい者と思ってはいけへん。学問といえどもその通りやけどこれは服装に関係がない事やから以下略とするちうわけや。

衣服はかくのごとく人間にも大事なものであるちうわけや。人間が衣服か、衣服が人間かと云うくらい重要な条件であるちうわけや。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したなんぼいや。やから衣服を着けへん人間を見ると人間らしい感じがせん。まるで化物ばけもの邂逅かいこうしたようや。化物でも全体が申し合せて化物になれば、なんちうか、ようみなはんいわはるとこの化物は消えてなくなる訳やから構わんが、ほなら人間自身がおおいに困却する事になるばかりや。そのむかし自然は人間を平等なるものに製造して世の中にほうり出したちうわけや。やからどないな人間でも生れるときは必ず赤裸あかはだかであるちうわけや。もし人間の本性ほんせいが平等に安んずるものならば、シブロクヨンキューこの赤裸のまんまで生長してしかるべきやろうわ。しかるに赤裸の一人が云うにはこうどなたはんも彼も同じでは勉強する甲斐かいがないちうわけや。骨を折った結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだどなたはんが見てもおれだと云うトコロが目につくようにしたいちうわけや。それについては何ぞ人が見てあっと魂消たまげる物をからだにつけて見たいちうわけや。何ぞ工夫はあるまいかと十年間考えてようやっと猿股さるまたを発明してすぐさまこれを穿いて、どや恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いたちうわけや。これが今日こんにちの車夫の先祖であるちうわけや。単簡たんかんなる猿股を発明するのに十年の長日月をついやしたのはいささかな感もあるが、それは今日から古代にさかのぼって身を蒙昧もうまいの世界に置いて断定した結論と云うもので、その当時にこれくらいな大発明はなかったさかいあるちうわけや。デカルトは「余は思考す、故に余は存在す」ちうにでも分るような真理を考え出すのに十何年か懸ったそうや。ずぅぇえええぇぇええんぶ考え出す時には骨の折れるものであるから猿股の発明に十年を費やしたって車夫の智慧ちえには出来過ぎると云わねばなるまいちうわけや。さあ猿股が出来ると世の中で幅のきくのは車夫ばかりであるちうわけや。あまり車夫が猿股をつけて天下の大道を我物顔に横行濶歩かっぽするのを憎らしいと思って負けん気の化物が六年間工夫して羽織と云う無用の長物を発明したちうわけや。すると猿股の勢力はとみに衰えて、羽織全盛の時代となりよった。八百屋、生薬屋きぐすりや、呉服屋は皆この大発明家の末流ばつりゅうであるちうわけや。猿股期、羽織期のあとに来るのが袴期はかまきであるちうわけや。これは、何だ羽織の癖にと癇癪かんしゃくを起した化物の考案になりよったもので、昔の武士今の官員やらなんやらは皆この種属であるちうわけや。かように化物共がわれもわれもとてらしんきそって、ついにはつばめの尾にかたどった畸形きけいまで出現したが、退いてその由来を案ずると、なあんも無理矢理に、出鱈目でたらめに、偶然に、漫然に持ち上がった事実では決してへん。皆勝ちたい勝ちたいの勇猛心のってさまざまの新形しんがたとなりよったもので、おれは手前やないぞと振れてあるく代りにかぶっとるのであるちうわけや。して見るとこの心理からして一大発見が出来るちうわけや。それはほかでもないちうわけや。自然は真空をむごとく、人間は平等を嫌うと云う事や。すでに平等を嫌ってやむを得ず衣服を骨肉のごとくかようにつけまとう今日において、この本質の一部分たる、これ等を打ちやって、元の杢阿弥もくあみの公平時代に帰るのは狂人の沙汰であるちうわけや。よし狂人の名称を甘んじても帰る事は到底出来ないちうわけや。帰った連中を開明人かいめいじんの目から見れば化物であるちうわけや。仮令たとい世界何億万の人口をげて化物の域に引ずりおろしてこれなら平等やろう、みんなが化物やから恥ずかしい事はないと安心してもやっぱり駄目であるちうわけや。世界が化物になりよった翌日からまた化物の競争が始まるちうわけや。着物をつけて競争が出来なければ化物なりで競争をやるちうわけや。赤裸あかはだかは赤裸でどこまでも差別を立ててくるちうわけや。この点から見ても衣服はとうてい脱ぐ事は出来ないものになっとる。

しかるに今吾輩が眼下がんか見下みおろした人間の一団体は、この脱ぐべからざる猿股も羽織も乃至ないしはかまもことごとく棚の上に上げて、無遠慮にも本来の狂態を衆目環視しゅうもくかんしうちに露出して平々然へいへいぜんと談笑をほしいままにしとる。吾輩が先刻さっき一大奇観と云ったのはこの事であるちうわけや。吾輩は文明の諸君子のためにここにつつしんでその一般を紹介するの栄を有するちうわけや。

何だかごちゃごちゃしていてにから記述してええか分りまへん。化物のやる事には規律がないから秩序立った証明をするのに骨が折れるちうわけや。まず湯槽ゆぶねから述べようわ。湯槽だか何だか分りまへんが、大方おおかた湯槽ちうものやろうと思うばかりであるちうわけや。幅が三尺くらい、ながさは一間半もあるか、それを二つに仕切って一つには白い湯が這入はいっとる。何でも薬湯くすりゆとか号するのだそうで、石灰いしばいを溶かし込んだような色に濁っとる。もっともただ濁っとるのではおまへん。あぶらぎって、重たに濁っとる。よく聞くと腐って見えるのも不思議はない、一週間にいっぺんしか水をえへんのだそうや。その隣りは普通一般の湯のよしやけどこれまたもって透明、瑩徹えいてつやらなんやらとは誓って申されへん。天水桶てんすいおけぜたくらいの価値はその色の上において充分あらわれとる。これからが化物の記述や。大分だいぶ骨が折れるちうわけや。天水桶の方に、突っ立っとる若造わかぞうが二人いるちうわけや。立ったまんま、向い合って湯をざぶざぶ腹の上へかけとる。ええなぐさみや。双方共色の黒い点において間然かんぜんするトコなきまでに発達しとる。この化物は大分だいぶ逞ましいなと見とると、やがて一人が手拭で胸のあたりをで廻しながら「金はん、どうも、ここが痛んでいけねえが何やろうわ」と聞くと金はんは「そりゃ胃さ、胃て云う奴は命をとるからね。用心しねえとあぶないよ」と熱心に忠告を加えるちうわけや。「だってこの左翼の方だぜ」た左翼肺さはいの方を指す。「そこが胃だあな。左翼が胃で、右翼が肺だよ」「そうかな、おらあまた胃はここいらかと思ったちうわけや」と今度は腰の辺をたたいて見せると、金はんは「そりゃ疝気せんきだあね」と云ったちうわけや。トコへ二十五六の薄いひげやした男がどぶんと飛び込んや。すると、からだに付いとった石鹸シャボンあかと共に浮きあがるちうわけや。鉄気かなけのある水をかして見た時のようにきらきらと光るちうわけや。その隣りに頭の禿げた爺はんが五分刈をとらえて何ぞ弁じとる。双方共頭だけ浮かしとるのみや。「いやこう年をとっては駄目さね。人間もやきが廻っちゃ若い者にはかないまへんよ。せやけどダンさん湯だけは今でも熱いのでないと心持が悪くてね」「旦那なんか丈夫なものやぜ。そのくらい元気がありゃ結構や」「元気もないのさ。ただ病気をせんだけさ。人間は悪い事さえしなけりゃあ百二十までは生きるもんやからね」「へえ、そないなに生きるもんやろか」「生きるとも百二十までは受け合うわ。御維新前ごいっしんまえ牛込に曲淵まがりぶちと云う旗本はたもとがあって、そこにいた下男は百三十やったよ」「そいつは、よく生きたもんやね」「ああ、あんまり生き過ぎてついオノレの年を忘れてね。百までは覚えておったんやがほんで忘れてしもたんやと云ってたよ。それでわしの知っとったのが百三十の時やったが、それで死んだんやないちうわけや。ほんでどうなりよったか分りまへん。事によるとまだ生きてるかも知れへん」と云いながらふねからあがるちうわけや。ひげやしとる男は雲母きららのようなものをオノレの廻りにき散らしながらひとりでにやにや笑っとった。入れ代って飛び込んで攻めて来よったのは普通一般の化物とは違って背中せなかに模様画をほり付けとる。岩見重太郎いわみじゅうたろう大刀だいとうを振りかざしてうわばみ退治たいじるトコのようやけど、惜しい事に竣功しゅんこうの期に達せんので、蟒はどこにも見えへん。従って重太郎先生いささか拍子抜けの気味に見えるちうわけや。飛び込みながら「箆棒べらぼうるいや」と云ったちうわけや。するとまた一人続いて乗り込んだのが「こりゃどうも……もうちびっと熱くなくっちゃあ」と顔をしかめながら熱いのを我慢する気色けしきとも見えたが、重太郎先生と顔を見合せて「やあ親方」と挨拶あいさつをするちうわけや。重太郎は「やあ」と云ったが、やがて「民はんはどうしたね」と聞く。「どうしたか、やんやんが好きやからね」「やんやんばかりやねえ……」「そうかい、あの男も腹のよくねえ男やからね。⸺どう云うもんか人に好かれねえ、⸺どう云うものだか、⸺どうも人が信用しねえ。職人てえものは、あないなもんやねえが」「そうよ。民はんなんざあ腰が低いんやねえ、けえんや。それやからどうも信用されねえんやね」「ホンマによ。あれでっぱし腕があるつもりやから、⸺ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要はオノレの損だあな」「白銀町しろかねちょうにも古くさい人がくなってね、今や桶屋おけやの元はんと煉瓦屋れんがやの大将と親方ぐれえな者だあな。こちとらあこうしてここで生れたもんやけど、民はんなんざあ、どこぞら攻めて来よったんだか分りゃしねえ」「そうよ。せやけどダンさんよくあれだけになりよったよ」「うん。どう云うもんか人に好かれねえ。人が交際つきあわねえからね」と徹頭徹尾民はんを攻撃するちうわけや。

天水桶はこのくらいにして、白い湯の方を見るとこれはまた非常な大入おおいりで、湯の中に人が這入はいってると云わんより人の中に湯が這入ってると云う方が適当であるちうわけや。しかも彼等はすこぶる悠々閑々ゆうゆうかんかんたる物で、先刻さっきから這入るものはあるが出る物は一人もないちうわけや。こう這入った上に、一週間もとめておいたら湯もよごれるはずだと感心してなおよくおけの中を見渡すと、左翼の隅にしつけられて苦沙弥先生が真赤まっかになってすくんでいるちうわけや。可哀かわいそうにどなたはんか路をあけて出してやればええのにと思うのにどなたはんも動きそうにもせな、主人も出ようとする気色けしきも見せへん。ただじっとして赤くなっとるばかりであるちうわけや。これはご苦労な事や。なるべく二銭五厘の湯銭を活用しようと云う精神からして、かように赤くなるのやろうが、早く上がらんと湯気ゆけにあがるがと主思しゅうおもいの吾輩は窓のたなから少なからず心配したちうわけや。すると主人の一軒置いて隣りに浮いてる男が八の字を寄せながら「これはちとき過ぎるようだ、どうも背中せなかの方から熱い奴がじりじりいてくるちうわけや」と暗に列席の化物に同情を求めたちうわけや。「なあにこれがちょうどええ加減や。薬湯はこのくらいでないときまへん。わいの国なぞではこの倍も熱い湯へ這入るんや」と自慢らしく説き立てるものがあるちうわけや。「一体この湯は何に利くんでっしゃろ」と手拭をたたんで凸凹頭でこぼこあたまをかくした男が一同に聞いて見るちうわけや。「いろいろなものに利きまんねんよ。何でもええてえんやからね。豪気ごうぎだあね」と云ったのはせた黄瓜きゅうりのような色と形とを兼ね得たる顔の所有者であるちうわけや。そないなに利く湯なら、もうちびっとは丈夫そうになれそうなものや。「薬を入れ立てより、三日目か四日目がちょうどええようや。今日等きょうやらなんやらは這入り頃や」と物知り顔に述べたのを見ると、ふくれ返った男であるちうわけや。これは多分垢肥あかぶとりやろうわ。「飲んでも利きまひょか」とどこぞらか知りまへんが黄色い声を出す者があるちうわけや。「えたあとやらなんやらは一杯飲んで寝ると、奇体きたいに小便に起きないから、まあやって御覧なさいちうわけや」と答えたのは、どの顔から出た声か分りまへん。

湯槽ゆぶねの方はこれぐらいにして板間いたまを見渡すと、いるわいるわ絵にもならへんアダムがずらりと並んでおのおの勝手次第な姿勢で、勝手次第なトコを洗っとる。その中にもっとも驚ろくべきのは仰向あおむけに寝て、高いかりとりながめとるのと、腹這はらばいになって、みぞの中をのぞき込んでいる両アダムであるちうわけや。これはよほどひまなアダムと見えるちうわけや。坊主が石壁を向いてしゃがんでいるとうしろから、小坊主がしきりに肩をたたいとる。これは師弟の関係上三介はんすけの代理をつとめるのであろうわ。ホンマの三介もいるちうわけや。風邪かぜを引いたと見えて、このあついのにちゃんちゃんを着て、小判形こばんなりおけからざあと旦那の肩へ湯をあびせるちうわけや。右翼の足を見ると親指の股に呉絽ごろ垢擦あかすりをはさんでいるちうわけや。ウチの方では小桶こおけを慾張って三つ抱え込んだ男が、隣りの人に石鹸シャボンを使え使えと云いながらしきりに長談議をしとる。何やろうと聞いて見るとこないな事を言っとった。「鉄砲は異国から渡ったもんやね。昔は斬り合いばかりさ。異国は卑怯やからね、それであないなものが出攻めて来よったんや。どうも支那やねえようだ、やっぱり異国のようや。和唐内わとうないの時にゃ無かったね。和唐内はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷えぞから満洲へ渡った時に、蝦夷の男でエライがくのできる人がくっ付いて行ったてえ話しやね。それでその義経のむすこが大明たいみんを攻めたんやけど大明や困るから、三代将軍へ使をよこして三千人の兵隊をしてくれろと云うと、三代様はんだいさまがそいつを留めておいて帰さねえ。⸺何とか云ったっけ。⸺何でも何とか云う使や。⸺それでその使を二年とめておいてしまいに長崎で女郎じょろうを見せたんやけどね。その女郎に出攻めて来よった子が和唐内さ。ほんで国へ帰って見ると大明は国賊に亡ぼされとった。……」何を云うのかさっぱり分りまへん。そのうしろに二十五六の陰気な顔をした男が、ぼんやりして股の所を白い湯でしきりにたでとる。腫物はれものか何ぞで苦しんでいると見えるちうわけや。その横に年の頃は十七八で君とか僕とか生意気な事をべらべら喋舌しゃべってるのはこの近所の書生やろうわ。そのまた次に妙な背中せなかが見えるちうわけや。尻の中から寒竹かんちくを押し込んだように背骨せぼねの節が歴々ありありと出とる。そうしてその左翼右翼に十六むさしに似たる形が四個ずつ行儀よく並んでいるちうわけや。その十六むさしが赤くただれて周囲まわりうみをもっとるのもあるちうわけや。こう順々に書いてくると、書く事が多過ぎて到底吾輩の手際てぎわにはその一斑いっぱんさえ形容する事が出来ん。これは厄介な事をやり始めた者だと少々辟易へきえきしとると入口の方に浅黄木綿あさぎもめんの着物をきた七十ばかりの坊主がぬっとあらわれたちうわけや。坊主はうやうやしくこれらの裸体の化物に一礼して「へい、どなた様も、毎日相変らずありがとう存じまんねん。今日は少々御寒うおますから、どうぞ御緩ごゆっくり⸺どうぞ白い湯へ出たり這入はいったりして、ゆるりと御あったまりくれへんかの。⸺番頭はんや、どうか湯加減をよく見て上げてな」とよどみなく述べ立てたちうわけや。番頭はんは「おーいちうわけや」と答えたちうわけや。和唐内は「愛嬌あいきょうものやね。あれでなくては商買しょうばいは出来ないよ」とおおいに爺はんを激賞したちうわけや。吾輩は突然このな爺はんに逢ってちーとばかし驚ろいたからこっちの記述はそのまんまにして、ちーとの間爺はんを専門に観察する事にしたちうわけや。爺はんはやがて今あがての四つばかりの男の子を見て「坊ちゃん、ウチへおいで」と手を出す。小供は大福を踏み付けたような爺はんを見てエライだと思ったか、わーっと悲鳴をげてなき出す。爺はんはちびっとく不本意の気味で「いや、御泣きか、なに? 爺はんがこわい? いや、これはこれは」と感嘆したちうわけや。仕方がないものやからたちまち機鋒きほうを転じて、小供の親に向ったちうわけや。「や、これは源はん。今日はちびっと寒いな。ゆうべ、近江屋おうみやへ這入った泥棒は何と云う馬鹿な奴やの。あの戸のくぐりの所を四角に切り破っての。そうしてお前の。なあんも取らんとんだげな。御巡おまわりはんか夜番でも見えたものであろうわ」とおおいに泥棒の無謀を憫笑びんしょうしたがまた一人をらまえて「はいはい御寒うわ。あんさん方は、御若いから、あまりお感じにならんかの」と老人だけにただ一人寒がっとる。

ちーとの間は爺はんの方へ気を取られて他の化物の事はまるっきし忘れとったのみならず、苦しそうにすくんでいた主人さえ記憶のうちから消え去った時突然流しと板の間の中間で大きな声を出すものがあるちうわけや。見るとまぎれもなき苦沙弥先生であるちうわけや。主人の声の図抜けて大いなるのと、その濁って聴き苦しいのは今日に始まった事ではおまへんが場所が場所だけに吾輩は少からず驚ろいたちうわけや。これはまさしく熱湯のうちに長時間のあいだ我慢をしてつかっておったため逆上ぎゃくじょうしたに相違ないと咄嗟とっさの際に吾輩は鑑定をつけたちうわけや。それも単に病気の所為せいならとがむる事もないが、彼は逆上しながらも充分本心を有しとるに相違ない事は、何のためにこの法外の胴間声どうまごえを出したかを話せばすぐわかるちうわけや。彼は取るにも足らぬ生意気なまいき書生を相手に大人気おとなげもない喧嘩を始めたさかいあるちうわけや。「もっともっともっともっともっともっともっともっともっと下がれ、おれの小桶に湯が這入はいっていかん」と怒鳴るのは無論主人であるちうわけや。物は見ようでどうでもなるものやから、この怒号をただ逆上の結果とばかり判断する必要はないちうわけや。万人のうちに一人くらいは高山彦九郎たかやまひこくろうが山賊をしっしたようだくらいに解釈してくれるかも知れん。当人自身もそのつもりでやった芝居かも分らんが、相手が山賊をもってみずからおらん以上は予期する結果は出て来ないにきまっとる。書生はうしろを振り返って「僕はもとからここにいたちうワケや」とおとなしく答えたちうわけや。これは尋常の答で、ただその地を去らぬ事を示しただけが主人の思い通りにならんので、その態度と云い言語と云い、山賊としてののしり返すべきほどの事でもないのは、いかに逆上の気味の主人でも分っとるはずや。せやけどダンさん主人の怒号は書生の席そのものが不平やのではない、先刻さっきからこの両人は少年に似合わず、いやに高慢ちきな、いた風の事ばかりならべとったので、始終それを聞かされた主人は、まるっきしこの点に立腹したものと見えるちうわけや。やから先方でおとなしい挨拶をしても黙って板の間へ上がりはせん。今度は「何だ馬鹿野郎、人のおけへ汚ない水をぴちゃぴちゃねかす奴があるか」とかっし去ったちうわけや。吾輩もこの小僧を少々心憎く思っとったから、この時心中にはちーとばかし快哉かいさいを呼んやけど、学校教員たる主人の言動としてはおだやかならぬ事と思うたちうわけや。元来主人はあまり堅過ぎていかん。石炭のたきがら見たようにかさかさしてしかもいやに硬いちうわけや。むかしハンニバルがアルプス山をえる時に、路の真中に当って大きな岩があって、どうしても軍隊が通行上の不便邪魔をするちうわけや。ほんでハンニバルはこの大きな岩へをかけて火をいて、柔かにしておいて、ほんでのこぎりでこの大岩を蒲鉾かまぼこのように切ってとどこおりなく通行をしたそうや。主人のごとくこないな利目ききめのある薬湯へだるほど這入はいってもちびっとも功能のない男はやはり醋をかけて火炙ひあぶりにするに限ると思うわ。しからずんば、こないな書生が何百人出て来て、何十年かかったって主人の頑固がんこなおりっこないちうわけや。この湯槽ゆぶねに浮いとるもの、この流しにごろごろしとるものは文明の人間に必要な服装を脱ぎ棄てる化物の団体であるから、無論常規常道をもって律する訳にはいかん。何をしたって構いまへん。肺の所に胃が陣取って、和唐内が清和源氏になって、民はんが不信用でもよかろうわ。せやけどダンさん一たび流しを出て板の間に上がれば、もう化物ではおまへん。普通の人類の生息せいそくする娑婆しゃばへ出たのだ、文明に必要なる着物をきるのや。従って人間らしい行動をとらなければならんはずであるちうわけや。今主人が踏んでいるトコは敷居であるちうわけや。流しと板の間の境にある敷居の上であって、当人はこれから歓言愉色かんげんゆしょく円転滑脱えんてんかつだつの世界に逆戻りをしようと云う間際まぎわであるちうわけや。その間際やらかくのごとく頑固がんこであるなら、この頑固は本人にとってろうとして抜くべからざる病気に相違ないちうわけや。病気なら容易に矯正きょうせいする事は出来まいちうわけや。この病気をなおす方法は愚考によるとただ一つあるちうわけや。校長に依頼して免職して貰う事すなわちこれなり。免職になれば融通のかぬ主人の事やからきっと路頭に迷うにきまってるちうわけや。路頭に迷う結果はのたれ死にをせなならへん。換言すると免職は主人にとって死の遠因になるのであるちうわけや。主人は好んで病気をして喜こんでいるけれど、死ぬのは大嫌だいきらいであるちうわけや。死なない程度において病気と云う一種の贅沢ぜいたくがしとったいのであるちうわけや。それやからそないなに病気をしとると殺すぞとおどかせば臆病なる主人の事やからびりびりとふるえ上がるに相違ないちうわけや。この悸え上がる時に病気は奇麗に落ちるやろうと思うわ。それでも落ちなければそれまでの事さ。

いかに馬鹿でも病気でも主人に変りはないちうわけや。一飯いっぱん君恩を重んずと云う詩人もある事やから猫だって主人の身の上を思いまへん事はあるまいちうわけや。気の毒だと云う念が胸一杯になりよったため、ついそちらに気が取られて、流しの方の観察をおこたっとると、突然白い湯槽ゆぶねの方面に向って口々にののしる声が聞えるちうわけや。ここにも喧嘩が起ったのかと振り向くと、狭い柘榴口ざくろぐち一寸いっすんの余地もななんぼいに化物が取りついて、毛のある脛と、毛のない股と入り乱れて動いとる。折から初秋はつあきの日は暮るるになんなんとして流しの上は天井まで一面の湯気が立てめるちうわけや。かの化物のひしめさまがその間から朦朧もうろうと見えるちうわけや。熱い熱いと云う声が吾輩の耳をつらぬいて左翼右翼へ抜けるように頭の中で乱れ合うわ。その声には黄なのも、青いのも、赤いのも、黒いのもあるが互にかさなりかかって一種名状すべからざる音響を浴場内にみなぎらす。ただ混雑と迷乱とを形容するに適した声と云うのみで、ほかには何の役にも立たない声であるちうわけや。吾輩は茫然ぼうぜんとしてこの光景に魅入みいられたばかり立ちすくんでいたちうわけや。やがてわーわーと云う声が混乱の極度に達して、これよりはもう一歩も進めぬと云う点まで張り詰められた時、突然無茶苦茶に押し寄せ押し返しとるむれの中から一大長漢がぬっと立ち上がったちうわけや。彼のたけを見るとほかの先生方よりはたしかに三寸くらいは高いちうわけや。のみならず顔からひげえとるのか髯の中に顔が同居しとるのか分りまへん赤つらをり返して、日盛りにがねをつくような声を出して「うめろうめろ、熱い熱いちうわけや」と叫ぶ。この声とこの顔ばかりは、かの紛々ふんぷんもつれ合う群衆の上に高く傑出して、その瞬間には浴場全体がこの男一人になりよったと思わるるほどであるちうわけや。超人や。ニーチェのなんちうか、ようみなはんいわはるとこの超人や。魔中の大王や。化物の頭梁とうりょうや。と思って見とると湯槽ゆぶねうしろでおーいと答えたものがあるちうわけや。おやとまたもそちらにひとみをそらすと、暗憺あんたんとして物色も出来ぬ中に、例のちゃんちゃん姿の三介はんすけが砕けよと一塊ひとかたまりの石炭をかまどの中に投げぶちこむのが見えたちうわけや。竈のふたをくぐって、この塊りがぱちぱちと鳴るときに、三介の半面がぱっと明るくなるちうわけや。いっぺんに三介のうしろにある煉瓦れんがの壁がやみを通して燃えるごとく光ったちうわけや。吾輩は少々物凄ものすごくなりよったから早々そうそう窓から飛び下りていえに帰るちうわけや。帰りながらも考えたちうわけや。羽織を脱ぎ、猿股を脱ぎ、はかまを脱いで平等になろうとつとめる赤裸々の中には、また赤裸々の豪傑が出て来て他の群小を圧倒してしまうわ。平等はなんぼはだかになりよったって得られるものではおまへん。

帰って見ると天下は太平なもので、主人は湯上がりの顔をテラテラ光らして晩餐ばんはんを食っとる。吾輩が椽側えんがわから上がるのを見て、のんきな猫だなあ、今頃どこをあるいとるんやろうと云ったちうわけや。膳の上を見ると、ぜにのない癖に二三品御菜おかずをならべとる。そのうちにさかなの焼いたのが一ぴきあるちうわけや。これは何と称する肴か知らんが、何でも昨日きのうあたり御台場おだいば近辺でやられたに相違ないちうわけや。肴は丈夫なものだと説明しておいたが、なんぼ丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして残喘ざんぜんたもつ方がよほど結構や。こう考えて膳のそばに坐って、すきがあったら何ぞ頂戴しようと、見るごとく見ざるごとくよそおっとった。こないな装い方を知りまへんものはとうていうまい肴は食えへんとあきらめなければいけへん。主人は肴をちーとばかし突っついたが、うまくないと云う顔付をしてはしを置いたちうわけや。正面にひかえたる妻君はこれまた無言のまんま箸の上下じょうげに運動する様子、主人の両顎りょうがく離合開闔りごうかいこうの具合を熱心に研究しとる。

「おい、その猫の頭をちーとばかしって見ろ」と主人は突然細君に請求したちうわけや。

「撲てば、どうするんやろか」

「どうしてもええからちーとばかし撲って見ろ」

こうやろかと細君は平手ひらてで吾輩の頭をちーとばかしたたく。痛くも何ともないちうわけや。

「鳴かんやないか」

「ええ」

「もう一ぺんやって見ろ」

「何返やったって同じ事やおまへんか」と細君また平手でぽかとまいるちうわけや。やはり何ともないから、じっとしとった。せやけどダンさんその何のためたるやは智慮深き吾輩にはとんと了解し難いちうわけや。これが了解出来れば、どうかこうか方法もあろうがただ撲って見ろやから、撲つ細君も困るし、撲たれる吾輩も困るちうわけや。主人は二度まで思い通りにならんので、少々気味ぎみで「おい、ちーとばかし鳴くようにぶって見ろ」と云ったちうわけや。

細君は難儀な顔付で「鳴かして何になさるんやろか」と問いながら、またぴしゃりとおいでになりよった。こう先方の目的がわかれば訳はない、鳴いてさえやれば主人を満足させる事は出来るのや。主人はかくのごとく愚物ぐぶつやからいやになるちうわけや。鳴かせるためなら、ためと早く云えば二返も三返も余計な手数てすうはしなくてもすむし、吾輩もいっぺんで放免になる事を二度も三度も繰り返えされる必要はないのや。ただって見ろと云う命令は、打つ事それ自身を目的とする場合のほかに用うべきものでないちうわけや。打つのは向うの事、鳴くのはこっちの事や。鳴く事を始めから予期して懸って、ただ打つと云う命令のうちに、こっちの随意たるべき鳴く事さえ含まってるように考えるのは失敬千万や。他人の人格を重んぜんと云うものや。猫を馬鹿にしとる。主人の蛇蝎だかつのごとく嫌う金田君ならやりそうな事やけど、赤裸々をもって誇る主人としてはすこぶる卑劣であるちうわけや。せやけどダンさん実のトコ主人はこれほどけちな男ではおまへんのであるちうわけや。やから主人のこの命令は狡猾こうかつきょくでたさかいはないちうわけや。ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は智慧ちえの足りまへんトコからいた孑孑ぼうふらのようなものと思惟しいするちうわけや。飯を食えば腹が張るにまっとる。切れば血が出るに極っとる。殺せば死ぬに極まっとる。それやからてば鳴くに極っとると速断をやったんやろうわ。せやけどダンさんそれはお気の毒やけどちびっと論理に合いまへん。その格で行くと川へ落ちれば必ず死ぬ事になるちうわけや。天麩羅てんぷらを食えば必ず下痢げりする事になるちうわけや。月給をもらえば必ず出勤する事になるちうわけや。書物を読めば必ずえらくなる事になるちうわけや。必ずそうなってはちびっと困る人が出来てくるちうわけや。打てば必ずなかなければならんとなると吾輩は迷惑であるちうわけや。目白の時の鐘と同一に見傚みなされては猫と生れた甲斐かいがないちうわけや。まず腹の中でこれだけ主人をへこましておいて、しかる後にゃーと注文通り鳴いてやったちうわけや。

すると主人は細君に向って「今鳴いた、にゃあと云う声は感投詞か、副詞か何だか知ってるか」と聞いたちうわけや。

細君はあまり突然な問やので、何にも云いまへん。実を云うと吾輩もこれは洗湯の逆上がまださめへんためやろうと思ったくらいや。元来この主人は近所合壁きんじょがっぺき有名な変人で現にある人はたしかに神経病だとまで断言したくらいであるちうわけや。トコロが主人の自信はえらいもので、おれが神経病やない、世の中の奴が神経病だと頑張がんばっとる。近辺のものが主人を犬々と呼ぶと、主人は公平を維持するため必要だとか号して彼等を豚々ぶたぶたと呼ぶ。実際主人はどこまでも公平を維持するつもりらしいちうわけや。困ったものや。こう云う男やからこないな奇問を細君にむかって呈出するのも、主人に取っては朝食前あさめしまえの小事件かも知れへんが、聞く方から云わせるとちーとばかし神経病に近い人の云いそうな事や。やから細君はけむかれた気味で何とも云いまへん。吾輩は無論何とも答えようがないちうわけや。すると主人はたちまち大きな声で

「おいちうわけや」と呼びかけたちうわけや。

細君は吃驚びっくりして「はいちうわけや」と答えたちうわけや。

「そのはいは感投詞か副詞か、どっちや」

「どっちやろか、そないな馬鹿気た事はどうでもええやおまへんか」

「ええものか、これが現に国語家の頭脳を支配しとる大問題や」

「あらまあ、猫の鳴き声がやろか、いやな事ねえ。だって、猫の鳴き声は祖国語やあないやおまへんか」

「それやからさ。それがややこしい問題なんだよ。比較研究と云うんや」

「そうわ」と細君は利口やから、こないな馬鹿な問題には関係せん。「それで、どっちだか分ったんやろか」

「重要な問題やからそう急には分らんさ」と例のさかなをむしゃむしゃ食うわ。ついでにその隣にある豚といものにころばしを食うわ。「これは豚だな」「ええ豚でござんす」「ふん」と大軽蔑だいけいべつの調子をもって飲み込んや。「酒をもう一杯飲もうわ」とさかずきを出す。

「今夜はなかなかあがるのね。もう大分だいぶ赤くなっていらっしゃいますわよ」

「飲むとも⸺御前世界で一番長い字を知ってるか」

「ええ、さきの関白太政大臣でっしゃろ」

「それは名前や。長い字を知ってるか」

「字って横文字やろか」

「うん」

「知りまへんわ、⸺御酒はもうええでっしゃろ、これで御飯になさいな、ねえ」

「いや、まだ飲む。一番長い字を教えてやろうか」

「ええ。そうしたら御飯や」

「Archaiomelesidonophrunicherata と云う字や」

出鱈目でたらめでっしゃろ」

「出鱈目なものか、希臘語ギリシャごや」

「何ちう字なの、祖国語にすれば」

「意味はしらん。ただつづりだけ知ってるんや。長く書くと六寸三分くらいにかけるちうわけや」

他人なら酒の上で云うべき事を、正気で云っとるトコロがすこぶる奇観であるちうわけや。もっとも今夜に限って酒を無暗むやみにのむ。平生なら猪口ちょこに二杯ときめとるのを、もう四杯飲んや。二杯でも随分赤くなるトコを倍飲んだのやから顔が焼火箸やけひばしのようにほてって、さも苦しそうや。それでもまだやめへん。「もう一杯」と出す。細君はあまりの事に

「もう御よしになりよったら、ええでっしゃろ。苦しいばかりやわ」と苦々にがにがしい顔をするちうわけや。

「なに苦しくってもこれからちびっと稽古するんや。大町桂月おおまちけいげつが飲めと云ったちうわけや」

「桂月って何や」さすがの桂月も細君に逢っては一文いちもんの価値もないちうわけや。

「桂月は現今一流の批評家や。それが飲めと云うのやからええにきまっとるさ」

「馬鹿をおっしゃいちうわけや。桂月だって、梅月だって、苦しい思をして酒を飲めなんて、余計な事やわ」

「酒ばかりやないちうわけや。交際をして、道楽をして、旅行をしろといったちうわけや」

「なおわるいやおまへんか。そないな人が第一流の批評家なの。まああきれたちうわけや。妻子のあるものに道楽をすすめるなんて……

「道楽もええさ。桂月が勧めなくっても金さえあればやるかも知れへん」

「なくって仕合せだわ。今から道楽なんぞ始められちゃあエライや」

「エライだと云うならよしてやるから、その代りもうちびっとおっとドッコイたこやきはうまいで…あかん、脱線やを大事にして、そうして晩に、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと御馳走を食わせろ」

「これが精一杯のトコや」

「そうかしらん。それや道楽は追って金が這入はいり次第やる事にして、今夜はこれでやめようわ」と飯茶椀を出す。何でも茶漬を三ぜん食ったようや。吾輩はその豚肉三片みきれと塩焼の頭を頂戴したちうわけや。

垣巡かきめぐりとう運動を説明した時に、主人の庭をめぐらしてある竹垣の事をちーとばかし述べたつもりであるが、この竹垣の外がすぐ隣家、即ち南隣みなみどなり次郎じろちゃんとこと思っては誤解であるちうわけや。家賃は安いがそこは苦沙弥くしゃみ先生であるちうわけや。っちゃんや次郎ちゃんやらなんやらと号する、なんちうか、ようみなはんいわはるとこのちゃん付きの連中と、薄っぺらな垣一重を隔てて御隣り同志の親密なる交際は結んでおらぬ。この垣の外は五六間の空地あきちであって、その尽くるトコにひのき蓊然こんもりと五六本ならんでいるちうわけや。椽側えんがわから拝見すると、向うは茂った森で、ここに往む先生は野中の一軒家に、無名の猫を友にして日月じつげつを送る江湖こうこ処士しょしであるかのごとき感があるちうわけや。ただし檜の枝は吹聴ふいちょうするごとく密生しておらんので、そのあいだから群鶴館ぐんかくかんちう、名前だけ立派な安下宿の安屋根が遠慮なく見えるから、しかく先生を想像するのにはよほど骨の折れるのは無論であるちうわけや。せやけどダンさんこの下宿が群鶴館なら先生のきょはたしかに臥竜窟がりょうくつくらいな価値はあるちうわけや。名前に税はかからんから御互にえらそうな奴を勝手次第に付ける事として、この幅五六間の空地が竹垣を添うて東西に走る事約十間、ほんで、たちまちかぎの手に屈曲して、臥竜窟の北面を取り囲んでいるちうわけや。この北面が騒動の種であるちうわけや。本来なら空地を行き尽してまたあき地、とか何とか威張ってもええくらいに家の二側ふたがわを包んでいるのやけど、臥竜窟がりょうくつの主人は無論窟内の霊猫れいびょうたる吾輩すらこのあき地には手こずっとる。南側にひのきが幅をかしとるごとく、北側にはきりの木が七八本行列しとる。もう周囲一尺くらいにのびとるから下駄屋さえ連れてくればええになるんやけど、借家しゃくやの悲しさには、なんぼ気が付いても実行は出来ん。主人に対しても気の毒であるちうわけや。せんだって学校の小使が来て枝を一本切って行ったが、そのつぎに攻めて来よった時は新らしい桐の俎下駄まないたげた穿いて、この間の枝でこしらえたんやと、聞きもせんのに吹聴ふいちょうしとった。ずるい奴や。桐はあるが吾輩及び主人家族にとっては一文にもならへん桐であるちうわけや。玉をいだいて罪ありと云う古語があるそうやけど、これは桐をやしてぜになしと云ってもしかるべきもので、なんちうか、ようみなはんいわはるとこの宝の持ちぐされであるちうわけや。なるものは主人にあらず、吾輩にあらず、家主やぬしの伝兵衛であるちうわけや。おらへんかな、おらへんかな、下駄屋はおらへんかなと桐の方で催促しとるのに知らんかおをして屋賃やちんばかり取り立てにくるちうわけや。吾輩は別に伝兵衛にうらみもないから彼の悪口あっこうをこのくらいにして、本題に戻ってこの空地あきちが騒動の種であると云う珍譚ちんだんを紹介つかまつるが、決して主人にいってはいけへん。これぎりの話しであるちうわけや。そもそもこの空地に関して第一の不都合なる事は垣根のない事であるちうわけや。吹き払い、吹き通し、抜け裏、通行御免天下晴れての空地であるちうわけや。あると云うと嘘をつくようでシブロクヨンキューないちうわけや。実を云うとあったのであるちうわけや。せやけどダンさん話しは過去へさかのぼらんと源因が分かりまへん。源因が分かりまへんと、医者でも処方しょほうに迷惑するちうわけや。やからここへ引き越して攻めて来よった当時からゆっくりと話し始めるちうわけや。吹き通しも夏はせいせいして心持ちがええものだ、不用心だって金のないトコに盗難のあるはずはないちうわけや。やから主人の家に、あらゆるへい、垣、乃至ないし乱杭らんぐい逆茂木さかもぎの類はまるっきし不要であるちうわけや。せやけどダンさんながらこれは空地の向うに住居すまいする人間もしくは動物の種類如何いかんによって決せらるる問題であろうと思うわ。従ってこの問題を決するためには勢い向う側に陣取っとる君子の性質を明かにせんければならん。人間だか動物だか分りまへん先に君子と称するのははなはだ早計のようではあるが大抵君子で間違はないちうわけや。梁上りょうじょうの君子やらなんやらと云って泥棒さえ君子と云う世の中であるちうわけや。ただしこの場合における君子は決して警察の厄介になるような君子ではおまへん。警察の厄介にならへん代りに、数でこなした者と見えて沢山いるちうわけや。うやうやいるちうわけや。落雲館らくうんかんと称するわい立の中学校⸺八百の君子をいやが上に君子に養成するために毎月二円の月謝を徴集する学校であるちうわけや。名前が落雲館やから風流な君子ばかりかと思うと、それがそもそもの間違になるちうわけや。その信用すべからざる事は群鶴館ぐんかくかんに鶴の下りざるごとく、臥竜窟に猫がいるようなものであるちうわけや。学士とか教師とか号するものに主人苦沙弥君のごとき気違のある事を知った以上は落雲館の君子が風流漢ばかりでないと云う事がわかるわけや。それがわからんと主張するならまず三日ばかり主人のうちへ宿とまりに来て見るがええ。

ぜん申すごとく、ここへ引き越しの当時は、例の空地あきちに垣がないので、落雲館の君子は車屋の黒のごとく、のそのそと桐畠きりばたけ這入はいり込んできて、話をする、弁当を食う、ささの上に寝転ねころぶ⸺いろいろの事をやったものや。ほんでは弁当の死骸すなわち竹の皮、古新聞、せやなかったら古草履ふるぞうり、古下駄、ふると云う名のつくものを大概ここへ棄てたようや。無頓着なる主人は存外平気に構えて、別段抗議も申し込まんと打ち過ぎたのは、知らなかったのか、知ってもとがめんつもりやったのか分りまへん。トコロが彼等諸君子は学校で教育を受くるに従って、だんだん君子らしくなりよったものと見えて、次第に北側から南側の方面へ向けて蚕食はんしょくを企だてて攻めて来よった。蚕食と云う語が君子に不似合ならやめてもよろしいちうわけや。ただしほかに言葉がないのであるちうわけや。彼等は水草すいそうを追うて居を変ずる沙漠さばくの住民のごとく、きりの木を去ってひのきの方に進んで攻めて来よった。檜のある所は座敷の正面であるちうわけや。よほど大胆なる君子でなければこれほどの行動は取れんはずであるちうわけや。一両日ののち彼等の大胆はさらに一層の大を加えて大々胆だいだいたんとなりよった。教育の結果ほど恐しいものはないちうわけや。彼等は単に座敷の正面にせまるのみならず、この正面において歌をうたいだしたちうわけや。何と云う歌か忘れてしもたが、決して三十一文字みそひともじたぐいではおまへん、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと活溌かっぱつで、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと俗耳ぞくじに入りやすい歌やった。驚ろいたのは主人ばかりではおまへん、吾輩までも彼等君子の才芸に嘆服たんぷくして覚えず耳を傾けたくらいであるちうわけや。せやけどダンさん読者もご案内であろうが、嘆服と云う事と邪魔と云う事は時として両立する場合があるちうわけや。この両者がこの際はからずも合して一となりよったのは、今から考えて見ても返す返す残念であるちうわけや。主人も残念やったろうが、やむを得ず書斎から飛び出して行って、ここは君等の這入はいる所ではおまへん、出給えと云って、二三度追い出したようや。トコロが教育のある君子の事やから、こないな事でおとなしく聞く訳がないちうわけや。追い出されればすぐ這入るちうわけや。這入れば活溌なる歌をうたうわ。高声こうせいに談話をするちうわけや。しかも君子の談話やから一風いっぷう違って、おめえだの知らねえのと云うわ。そないな言葉は御維新前ごいっしんまえ折助おりすけ雲助くもすけ三助はんすけの専門的知識に属しとったそうやけど、二十世紀になってから教育ある君子の学ぶ唯一の言語であるそうや。一般から軽蔑けいべつせられたる運動が、かくのごとく今日こんにち歓迎せらるるようになりよったのと同一の現象だと説明した人があるちうわけや。主人はまた書斎から飛び出してこの君子流の言葉にもっとも堪能かんのうなる一人をつらまえて、なんでやねんここへ這入るかと詰問したら、君子はたちまち「おめえ知らねえ」の上品な言葉を忘れて「ここは学校の植物園かと思おったんや」とすこぶる下品な言葉で答えたちうわけや。主人は将来をいましめて放してやったちうわけや。放してやるのは亀の子のようでおかしいが、実際彼は君子のそでとらえて談判したさかいあるちうわけや。このくらいやかましく云ったらもうよかろうと主人は思っとったそうや。トコロが実際は女媧氏じょかしの時代から予期とちゃうもので、主人はまたシッパイしたちうわけや。今度は北側から邸内を横断して表門から抜ける、表門をがらりとあけるから御客かと思うと桐畠の方で笑う声がするちうわけや。形勢はまんねんまんねん不穏であるちうわけや。教育の功果はいよいよ顕著になってくるちうわけや。気の毒な主人はこいつは手に合わんと、ほんで書斎へ立てこもって、うやうやしく一書を落雲館校長に奉って、少々御取締をと哀願したちうわけや。校長も鄭重ていちょうなる返書を主人に送って、垣をするから待ってくれと云ったちうわけや。ちーとの間すると二三人の職人が来て半日ばかりの間に主人の屋敷と、落雲館の境に、高さ三尺ばかりの四つ目垣が出来上がったちうわけや。これでようよう安心だと主人は喜こんや。主人は愚物であるちうわけや。このくらいの事で君子の挙動の変身する訳がないちうわけや。

全体人にからかうのはおもろいものであるちうわけや。吾輩のような猫やら、時々は当家の令嬢にからかって遊ぶくらいやから、落雲館の君子が、気のかない苦沙弥先生にからかうのは至極しごくもっともなトコで、これに不平なのはワイが思うには、からかわれる当人だけであろうわ。からかうと云う心理を解剖して見ると二つの要素があるちうわけや。第一からかわれる当人が平気やましていてはならん。第二からかう者が勢力において人数において相手より強くなくてはいかん。この間主人が動物園から帰って来てしきりに感心して話した事があるちうわけや。聞いて見ると駱駝らくだと小犬の喧嘩を見たのだそうや。小犬が駱駝の周囲を疾風のごとく廻転してえ立てると、駱駝は何の気もつかんと、依然として背中せなかこぶをこしらえて突っ立ったまんまであるそうや。なんぼ吠えても狂っても相手にせんので、しまいには犬も愛想あいそをつかしてやめる、実に駱駝は無神経だと笑っとったが、それがこの場合の適例であるちうわけや。なんぼからかうものが上手でも相手が駱駝と来ては成立せん。さればと云って獅子ししとらのように先方が強過ぎても者にならん。からかいかけるや否や八つ裂きにされてしまうわ。からかうと歯をむき出しておこる、怒る事は怒るが、こっちをどうする事も出来ないと云う安心のある時に愉快はどエライ多いものであるちうわけや。なんでやねんこないな事がおもろいと云うとその理由はいろいろあるちうわけや。まずひまつぶしに適しとる。退屈な時にはひげの数さえ勘定して見たくなる者や。むかし獄に投ぜられた囚人の一人は無聊ぶりょうのあまり、へやの壁に三角形を重ねていてその日をくらしたと云う話があるちうわけや。世の中に退屈ほど我慢の出来にくいものはない、何ぞ活気を刺激する事件がないと生きとるのがつらいものや。からかうと云うのもゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要はこの刺激を作って遊ぶ一種の娯楽であるちうわけや。ただし多少先方を怒らせるか、じらせるか、弱らせるかしなくては刺激にならんから、昔しからからかうと云う娯楽にふけるものは人の気を知りまへん馬鹿大名のような退屈の多い者、もしくはオノレのなぐさみ以外は考うるにいとまなきほど頭の発達が幼稚で、しかも活気の使い道に窮する少年かに限っとる。次には自己の優勢な事を実地に証明するものにはもっとも簡便な方法であるちうわけや。人を殺したり、人をきずつけたり、または人をおとしいれたりしても自己の優勢な事は証明出来る訳であるが、これらはむしろ殺したり、傷けたり、陥れたりするのが目的のときによるべき手段で、自己の優勢なる事はこの手段を遂行すいこうしたのちに必然の結果として起る現象に過ぎん。やから一方にはオノレの勢力が示したくって、しかもそないなに人に害を与えたくないと云う場合には、からかうのが一番御恰好おかっこうであるちうわけや。多少人を傷けなければ自己のえらい事は事実の上に証拠だてられへん。事実になって出て来ないと、頭のうちで安心していても存外快楽のうすいものであるちうわけや。人間は自己をたのむものであるちうわけや。否恃み難い場合でも恃みたいものであるちうわけや。それやから自己はこれだけ恃める者だ、これなら安心だと云う事を、人に対して実地に応用して見ないと気がすまないちうわけや。しかも理窟りくつのわかりまへん俗物や、あまり自己が恃みになりそうもなくて落ちつきのない者は、あらゆる機会を利用して、この証券を握ろうとするちうわけや。柔術使が時々人を投げて見たくなるのと同じ事であるちうわけや。柔術の怪しいものは、どうかオノレより弱い奴に、ただの一ぺんでええから出逢って見たい、素人しろうとでも構いまへんからげて見たいと至極危険な了見をいだいて町内をあるくのもこれがためであるちうわけや。その他にも理由はいろいろあるが、あまり長くなるから略する事に致す。聞きたければ鰹節かつぶし一折ひとおりも持って習いにくるがええ、いつでも教えてやるちうわけや。以上に説くトコを参考して推論して見ると、吾輩のかんがえでは奥山おくやまさると、学校の教師がからかうには一番手頃であるちうわけや。学校の教師をもって、奥山の猿に比較しては勿体もったいないちうわけや。⸺猿に対して勿体ないのではおまへん、教師に対して勿体ないのであるちうわけや。せやけどダンさんよく似とるから仕方がない、御承知の通り奥山の猿はくさりつながれとる。なんぼ歯をむき出しても、きゃっきゃっ騒いでも引きかれる気遣きづかいはないちうわけや。教師は鎖で繋がれておりまへん代りに月給で縛られとる。なんぼからかったって大丈夫、辞職して生徒をぶんなぐる事はないちうわけや。辞職をする勇気のあるようなものなら最初から教師やらなんやらをして生徒の御守おもりは勤めへんはずであるちうわけや。主人は教師であるちうわけや。落雲館の教師ではおまへんが、やはり教師に相違ないちうわけや。からかうには至極しごく適当で、至極安直あんちょくで、至極無事な男であるちうわけや。落雲館の生徒は少年であるちうわけや。からかう事は自己の鼻を高くする所以ゆえんで、教育の功果として至当に要求してしかるべき権利とまで心得とる。のみならずからかいでもせな、活気にちた五体と頭脳を、いかに使用してしかるべきか十分じっぷんの休暇中てあまして困っとる連中であるちうわけや。これらの条件が備われば主人はおのずからからかわれ、生徒は自からからかう、どなたはんから云わしてもごうも無理のないトコであるちうわけや。それをおこる主人は野暮やぼの極、間抜の骨頂でっしゃろ。これから落雲館の生徒がいかに主人にからかったか、これに対して主人がいかに野暮を極めたかを逐一かいてご覧にぶちこむ。

諸君は四つ目垣とはいかなる者であるか御承知であろうわ。風通しのええ、簡便な垣であるちうわけや。吾輩やらなんやらは目の間から自由自在に往来する事が出来るちうわけや。こしらえたって、こしらえなくたって同じ事や。然し落雲館の校長は猫のために四つ目垣を作ったさかいはない、オノレが養成する君子がくぐられんために、わざわざ職人を入れてめぐらせたさかいあるちうわけや。なるほどなんぼ風通しがよく出来ていても、人間にはくぐれそうにないちうわけや。この竹をもって組み合せたる四寸角の穴をぬける事は、清国しんこくの奇術師張世尊ちょうせいそんその人といえどもややこしい。やから人間に対しては充分垣の功能をつくしとるに相違ないちうわけや。主人がその出来上ったのを見て、これならよかろうと喜んだのも無理はないちうわけや。せやけどダンさん主人の論理にはおおいなる穴があるちうわけや。この垣よりも大いなる穴があるちうわけや。呑舟どんしゅうの魚をもらすべき大穴があるちうわけや。彼は垣はゆべきものにあらずとの仮定から出立しとる。いやしくも学校の生徒たる以上はいかに粗末の垣でも、垣と云う名がついて、分界線の区域さえ判然すれば決して乱入される気遣はないと仮定したさかいあるちうわけや。次に彼はその仮定をちーとの間打ちくずして、よし乱入する者があっても大丈夫と論断したさかいあるちうわけや。四つ目垣の穴をくぐり得る事は、いかなる小僧といえどもとうてい出来る気遣はないから乱入のおそれは決してへんと速定そくていしてしもたのであるちうわけや。なるほど彼等が猫でない限りはこの四角の目をぬけてくる事はしまい、したくても出来まいが、乗りえる事、飛び越える事は何の事もないちうわけや。かえって運動になっておもろいくらいであるちうわけや。

垣の出攻めて来よった翌日から、垣の出来ぬ前と同様に彼等は北側の空地へぽかりぽかりと飛び込む。ただし座敷の正面までは深入りをせん。もし追い懸けられたら逃げるのに、少々ひまがおるから、あらかじめ逃げる時間を勘定にれて、とらえらるる危険のない所で遊弋ゆうよくをしとる。彼等が何をしとるか東の離れにいる主人には無論目にりまへん。北側の空地あきちに彼等が遊弋しとる状態は、木戸をあけて反対の方角からかぎの手に曲って見るか、または後架こうかの窓から垣根越しにながめるよりほかに仕方がないちうわけや。窓から眺める時はどこに何がおるか、一目いちもく明瞭に見渡す事が出来るが、よしや敵を幾人いくたり見出したからと云って捕える訳には行かぬ。ただ窓の格子こうしの中から叱りつけるばかりであるちうわけや。もし木戸から迂回うかいして敵地を突こうとするやろ、ほしたら、足音を聞きつけて、ぽかりぽかりとつらまる前に向う側へ下りてしまうわ。膃肭臍おっとドッコイたこやきはうまいで…あかん、脱線やせいがひなたぼっこをしとるトコへ密猟船が向ったような者や。主人は無論後架で張り番をしとる訳ではおまへん。と云って木戸を開いて、音がしたら直ぐ飛び出す用意もないちうわけや。もしそないな事をやる日には教師を辞職して、その方専門にならなければ追っつかないちうわけや。主人方の不利を云うと書斎からは敵の声だけ聞えて姿が見えへんのと、窓からは姿が見えるだけで手が出せへん事であるちうわけや。この不利を看破したる敵はこないな軍略を講じたちうわけや。主人が書斎に立てこもっとると探偵した時には、なるべく大きな声を出してわあわあ云うわ。その中には主人をひやかすような事を聞こえよがしに述べるちうわけや。しかもその声の出所を極めて不分明にするちうわけや。ちーとばかし聞くと垣の内で騒いでいるのか、せやなかったら向う側であばれとるのか判定しにくいようにするちうわけや。もし主人が出懸けて攻めて来よったら、逃げ出すか、または始めから向う側にいて知らん顔をするちうわけや。また主人が後架へ⸺吾輩は最前からしきりに後架後架ときたない字を使用するのを別段の光栄とも思っておらん、実は迷惑千万であるが、この戦争を記述する上において必要であるからやむを得ないちうわけや。⸺すなわち主人が後架へまかり越したと見て取るときは、必ず桐の木の附近を徘徊はいかいしてわざと主人の眼につくようにするちうわけや。主人がもし後架から四隣しりんに響く大音を揚げて怒鳴りつければ敵は周章あわてる気色けしきもなく悠然ゆうぜんと根拠地へ引きあげるちうわけや。この軍略を用いられると主人ははなはだ困却するちうわけや。たしかに這入はいっとるなと思ってステッキを持って出懸けると寂然せきぜんとしてどなたはんもおらへん。おらへんかと思って窓からのぞくと必ず一二人這入っとる。主人は裏へ廻って見たり、後架からのぞいて見たり、後架から覗いて見たり、裏へ廻って見たり、何度言っても同じ事やけど、何度云っても同じ事を繰り返しとる。奔命ほんめいに疲れるとはこの事であるちうわけや。教師が職業であるか、戦争が本務であるかちーとばかし分りまへんくらい逆上ぎゃくじょうして攻めて来よった。この逆上の頂点に達した時にしもの事件が起ったさかいあるちうわけや。

事件は大概逆上から出る者や。逆上とは読んで字のごとくかさにのぼるのである、この点に関してはゲーレンもパラセルサスも旧弊なる扁鵲へんやくも異議をとなうる者は一人もないちうわけや。ただどこへかさにのぼるかが問題であるちうわけや。また何が逆かさに上るかが議論のあるトコであるちうわけや。古来欧洲人の伝説によると、吾人の体内には四種の液が循環しておったそうや。第一に怒液どえきと云うやつがあるちうわけや。これが逆かさに上るとおこり出す。第二に鈍液どんえきと名づくるのがあるちうわけや。これが逆かさに上ると神経がにぶくなるちうわけや。次には憂液ゆうえき、これは人間を陰気にするちうわけや。ケツが血液けつえき、これは四肢ししさかんにするちうわけや。その人文が進むに従って鈍液、怒液、憂液はいつのにかなくなって、現今に至っては血液だけが昔のように循環しとると云う話しや。やからもし逆上する者があらば血液よりほかにはあるまいと思われるちうわけや。しかるにこの血液の分量は個人によってちゃんとまっとる。性分によって多少の増減はあるが、まず大抵一人前に付五升五合の割合であるちうわけや。だによって、この五升五合が逆かさに上ると、上ったトコだけはさかんに活動するが、その他の局部は欠乏を感じて冷たくなるちうわけや。ちょうど交番焼打の当時巡査がことごとく警察署へ集って、町内には一人もなくなりよったようなものや。あれも医学上から診断をすると警察の逆上と云う者であるちうわけや。でこの逆上をやすには血液を従前のごとく体内の各部へ平均に分配せなならん。そうするには逆かさに上った奴を下へおろさなくてはならん。その方にはいろいろあるちうわけや。今は故人となられたが主人の先君やらなんやらは手拭てぬぐいを頭にあてて炬燵こたつにあたっておられたそうや。頭寒足熱ずかんそくねつは延命息災の徴と傷寒論しょうかんろんにも出とる通り、濡れ手拭は長寿法において一日も欠くべからざる者であるちうわけや。それでなければ坊主の慣用する手段を試みるがよいちうわけや。一所不住いっしょふじゅう沙門しゃもん雲水行脚うんすいあんぎゃ衲僧のうそうは必ず樹下石上を宿やどとすとあるちうわけや。樹下石上とは難行苦行のためではおまへん。まるっきしのぼせげるために六祖ろくそが米をきながら考え出した秘法であるちうわけや。試みに石の上に坐ってご覧、尻が冷えるのは当り前やろうわ。尻が冷える、のぼせが下がる、これまた自然の順序にしてごうも疑をさしはさむべき余地はないちうわけや。かようにいろいろな方法を用いてのぼせを下げる工夫は大分だいぶ発明されたが、まだのぼせを引き起す良方が案出されへんのは残念であるちうわけや。一概に考えるとのぼせは損あって益なき現象であるが、そうばかり速断してならん場合があるちうわけや。職業によると逆上はよほど大切な者で、逆上せんと何にも出来ない事があるちうわけや。そのうちでもっとも逆上を重んずるのは詩人であるちうわけや。詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れ等は手をこまぬいて飯を食うよりほかに何等の能もない凡人になってしまうわ。もっとも逆上は気違の異名いみょうで、気違にならへんと家業かぎょうが立ち行かんとあっては世間体せけんていが悪いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆上の名をもってせん。申し合せてインスピレーション、インスピレーションとさも勿体もったいそうにとなえとる。これは彼等が世間を瞞着まんちゃくするために製造した名でその実は正に逆上であるちうわけや。プレートーは彼等の肩を持ってこの種の逆上を神聖なる狂気と号したが、なんぼ神聖でも狂気では人が相手にせん。やはりインスピレーションと云う新発明の売薬のような名を付けておく方が彼等のためによかろうと思うわ。せやけどダンさん蒲鉾かまぼこの種が山芋やまいもであるごとく、観音かんのんの像が一寸八分の朽木くちきであるごとく、鴨南蛮かもなんばんの材料が烏であるごとく、下宿屋の牛鍋ぎゅうなべが馬肉であるごとくインスピレーションも実は逆上であるちうわけや。逆上であって見れば臨時の気違であるちうわけや。巣鴨へ入院せんと済むのは単に臨時気違であるからや。トコロがこの臨時の気違を製造する事が困難やのであるちうわけや。一生涯いっしょうがいの狂人はかえって出来安いが、筆をって紙に向うあいだだけ気違にするのは、いかに巧者こうしゃな神様でもよほど骨が折れると見えて、なかなかこしらえて見せへん。神が作ってくれん以上は自力で拵えなければならん。ほんで昔から今日こんにちまで逆上術もまた逆上とりのけ術と同じくおおいに学者の頭脳を悩たんや。ある人はインスピレーションを得るために毎日渋柿を十二個ずつ食ったちうわけや。これは渋柿を食えば便秘する、便秘すれば逆上は必ず起るちう理論から攻めて来よったものや。またある人はかん徳利を持って鉄砲風呂てっぽうぶろへ飛び込んや。湯の中で酒を飲んだら逆上するにきまっとると考えたさかいあるちうわけや。その人の説によるとこれで性交…ひひひ、ウソや、成功せな葡萄酒ぶどうしゅの湯をわかして這入はいれば一ぺんで功能があると信じ切っとる。せやけどダンさん金がないのでついに実行する事が出来なくて死んでしもたのは気の毒であるちうわけや。ケツに古人の真似をしたらインスピレーションが起るやろうと思いついた者があるちうわけや。これはある人の態度動作を真似ると心的状態もその人に似てくると云う学説を応用したさかいあるちうわけや。酔っぱらいのようにくだいとると、いつのにか酒飲みのような心持になる、坐禅をして線香一本の間我慢しとるとどことなく坊主らしい気分になれるちうわけや。やから昔からインスピレーションを受けた有名の大家の所作しょさを真似れば必ず逆上するに相違ないちうわけや。聞くトコによればユーゴーは快走船ヨットの上へ寝転ねころんで文章の趣向を考えたそうやから、船へ乗って青空を見つめていれば必ず逆上受合うけあいであるちうわけや。スチーヴンソンは腹這はらばいに寝て小説を書いたそうやから、しになって筆を持てばきっと血がかさにのぼってくるちうわけや。かようにいろいろな人がいろいろの事を考え出したが、まだどなたはんも性交…ひひひ、ウソや、成功せん。まず今日こんにちのトコでは人為的逆上は不可能の事となっとる。残念やけど致し方がないちうわけや。早晩随意にインスピレーションを起し得る時機の到来するはうたがいもない事で、吾輩は人文のためにこの時機の一日も早く来らん事を切望するのであるちうわけや。

逆上の説明はこのくらいで充分やろうと思うから、これよりいよいよ事件に取りかかるちうわけや。せやけどダンさんずぅぇえええぇぇええんぶの大事件の前には必ず小事件が起るものや。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常におちい弊竇へいとうであるちうわけや。主人の逆上も小事件に逢う度に一層の劇甚げきじんを加えて、ついに大事件を引き起したさかいあるからして、幾分かその発達を順序立てて述べないと主人がいかに逆上しとるか分りにくいちうわけや。分りにくいと主人の逆上は空名に帰して、世間からはよもやそれほどでもなかろうと見くびられるかも知れへん。せっかく逆上しても人から天晴あっぱれな逆上とうたわれなくては張り合がないやろうわ。これから述べる事件は大小にかかわらず主人に取って名誉な者ではおまへん。事件その物が不名誉であるならば、めて逆上なりとも、正銘しょうめいの逆上であって、決して人に劣るものでないと云う事を明かにしておきたいちうわけや。主人は他に対して別にこれと云って誇るに足る性質を有しておらん。逆上でも自慢しなくてはほかに骨を折って書き立ててやる種がないちうわけや。

落雲館に群がる敵軍は近日に至って一種のダムダム弾を発明して、十分じっぷんの休暇、もしくは放課後に至ってさかんに北側の空地あきちに向って砲火を浴びせかけるちうわけや。このダムダム弾は通称をボールととなえて、擂粉木すりこぎの大きな奴をもって任意これを敵中に発射する仕掛であるちうわけや。なんぼダムダムだって落雲館の運動場から発射するのやから、書斎に立てこもってる主人にあた気遣きづかいはないちうわけや。敵といえども弾道のあまり遠過ぎるのを自覚せん事はないのだけれど、そこが軍略であるちうわけや。旅順の戦争にも海軍から間接射撃を行って偉大な功を奏したと云う話であれば、空地へころがり落つるボールといえども相当の功果を収め得ぬ事はないちうわけや。いわんや一発を送るたびに総軍力を合せてわーと威嚇性いかくせい大音声だいおんじょういだすにおいてをやであるちうわけや。主人は恐縮の結果として手足に通う血管が収縮せざるを得ないちうわけや。煩悶はんもんきょくそこいらを迷付まごついとる血がさかさにのぼるはずであるちうわけや。敵のはかりごとはなかなか巧妙と云うてよろしいちうわけや。むか希臘ギリシャにイスキラスと云う作家があったそうや。この男は学者作家に共通なる頭を有しとったと云うわ。吾輩のなんちうか、ようみなはんいわはるとこの学者作家に共通なる頭とは禿はげと云う意味であるちうわけや。なんでやねん頭が禿げるかと云えば頭の営養不足で毛が生長するほど活気がないからに相違ないちうわけや。学者作家はもっともようけ頭を使うものであって大概は貧乏にきまっとる。やから学者作家の頭はみんな営養不足でみんな禿げとる。さてイスキラスも作家であるから自然のいきおい禿げなくてはならん。彼はつるつる然たる金柑頭きんかんあたまを有しておったちうわけや。トコロがある日の事、先生例の頭⸺頭に外行よそゆき普段着ふだんぎもないから例の頭に極ってるが⸺その例の頭を振り立て振り立て、太陽に照らしつけて往来をあるいとった。これが間違いのもとであるちうわけや。禿げ頭を日にあてて遠方から見ると、エライよく光るものや。高い木には風があたる、光かる頭にも何ぞあたらなくてはならん。この時イスキラスの頭の上に一羽のわしが舞っとったが、見るとどこぞで生捕いけどった一ぴきの亀を爪の先につかんだまんまであるちうわけや。亀、スッポンやらなんやらは美味に相違ないが、希臘時代から堅い甲羅こうらをつけとる。なんぼ美味でも甲羅つきではどうする事も出来ん。海老えび鬼殻焼おにがらやきはあるが亀の子の甲羅煮は今でさえへんくらいやから、当時は無論なかったに極っとる。さすがのわしも少々持て余した折柄おりからはるかの下界にぴかと光った者があるちうわけや。その時鷲はしめたと思ったちうわけや。あの光ったものの上へ亀の子を落したなら、甲羅はまさしく砕けるにわまったちうわけや。砕けたあとから舞い下りて中味なかみ頂戴ちょうだいすれば訳はないちうわけや。そうだそうだとねらいを定めて、かの亀の子を高い所から挨拶も無く頭の上へ落したちうわけや。生憎あいにく作家の頭の方が亀の甲より軟らかやったものやから、禿はめちゃめちゃに砕けて有名なるイスキラスはここに無惨むざんのケツを遂げたちうわけや。それはそうと、しかねるのは鷲の了見であるちうわけや。例の頭を、作家の頭と知って落したのか、または禿岩と間違えて落したものか、解決しよう次第で、落雲館の敵とこの鷲とを比較する事も出来るし、また出来なくもなるちうわけや。主人の頭はイスキラスのそれのごとく、また御歴々おれきれきの学者のごとくぴかぴか光ってはおらん。せやけどダンさん六畳敷にせよいやしくも書斎と号する一室をひかえて、居眠りをしながらも、ややこしい書物の上へ顔をかざす以上は、学者作家の同類と見傚みなさなければならん。そうすると主人の頭の禿げておらんのは、まだ禿げるべき資格がないからで、その内に禿げるやろうとは近々きんきんこの頭の上に落ちかかるべき運命であろうわ。して見れば落雲館の生徒がこの頭を目懸けて例のダムダムがんを集注するのは策のもっとも時宜じぎに適したものと云わねばならん。もし敵がこの行動を二週間継続するならば、主人の頭は畏怖いふ煩悶はんもんのため必ず営養の不足を訴えて、金柑きんかんとも薬缶やかんとも銅壺どうことも変身するやろうわ。なお二週間の砲撃をくらえば金柑はつぶれるに相違ないちうわけや。薬缶はるに相違ないちうわけや。銅壺ならひびが入るにきまっとる。この睹易みやすき結果を予想せんで、あくまでも敵と戦闘を継続しようと苦心するのは、ただ本人たる苦沙弥先生のみであるちうわけや。

ある日の午後、吾輩は例のごとく椽側えんがわへ出て午睡ひるねをして虎になりよった夢を見とった。主人に鶏肉けいにくを持って来いと云うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出るちうわけや。迷亭が攻めて来よったから、迷亭にがんが食いたい、雁鍋がんなべへ行ってあつらえて来いと云うと、かぶこうものと、塩煎餅しおせんべいといっしょに召し上がるんやと雁の味が致すやろ、ほしたら例のごとく茶羅ちゃらぽこを云うから、大きな口をあいて、うーとうなっておどかしてやったら、迷亭はあおくなって山下やたんやの雁鍋は廃業致したんやがいかが取りはからいまひょかと云ったちうわけや。それなら牛肉で勘弁するから早く西川へ行ってロースを一斤取って来い、早くせんと貴様から食い殺すぞと云ったら、迷亭は尻を端折はしょってけ出したちうわけや。吾輩は急にからやけど大きくなりよったので、椽側一杯に寝そべって、迷亭の帰るのを待ち受けとると、たちまち家中うちじゅうに響く大きな声がしてせっかくのぎゅうも食わぬに夢がさめて吾に帰ったちうわけや。すると本日この時まで恐る恐る吾輩の前に平伏しとったと思いのほかの主人が、いきなり後架こうかから飛び出して来て、吾輩の横腹をいやと云うほどたから、おやと思ううち、たちまち庭下駄をつっかけて木戸から廻って、落雲館の方へかけて行く。吾輩は虎から急に猫と収縮したのやから何となくきまりが悪くもあり、おかしくもあったが、主人のこの権幕と横腹を蹴られた痛さとで、虎の事はすぐ忘れてしもた。いっぺんに主人がいよいよ出馬して敵と交戦するなおもろいわいと、痛いのを我慢して、あとを慕って裏口へ出たちうわけや。いっぺんに主人がぬすっとうと怒鳴る声が聞える、見ると制帽をつけた十八九になる倔強くっきょうな奴が一人、四ツ目垣を向うへ乗り越えつつあるちうわけや。やあ遅かったと思ううち、の制帽は馳け足の姿勢をとって根拠地の方へ韋駄天いだてんのごとく逃げて行く。主人はぬすっとうおおいに性交…ひひひ、ウソや、成功したさかい、またもぬすっとうと高く叫びながら追いかけて行く。せやけどダンさんかの敵に追いつくためには主人の方で垣を越さなければならん。深入りをすれば主人みずからが泥棒になるはずであるちうわけや。ぜん申す通り主人は立派なる逆上家であるちうわけや。こういきおいに乗じてぬすっとうを追い懸ける以上は、夫子ふうし自身がぬすっとうに成っても追い懸けるつもりと見えて、引き返す気色けしきもなく垣の根元まで進んや。今一歩で彼はぬすっとうの領分にはいらなければならんと云う間際まぎわに、敵軍の中から、薄いひげを勢なくやした将官がのこのこと出馬して攻めて来よった。両人ふたりは垣を境に何ぞ談判しとる。聞いて見るとこないなしょーもない議論であるちうわけや。

「あれは本校の生徒や」

「生徒たるべきものが、何でひとの邸内へ侵入するちうワケやか」

「いやボールがつい飛んだものやから」

「なんでやねん断って、取りに来ないのやか」

「これからく用心しまんねん」

「そないなら、よろしいちうわけや」

竜騰虎闘りゅうとうことうの壮観があるやろうと予期した交渉はかくのごとく散文的なる談判をもって無事に迅速に結了したちうわけや。主人のさかんなるはただ意気込みだけであるちうわけや。いざとなると、いつでもこれでおしまいや。あたかも吾輩が虎の夢から急に猫に返ったような観があるちうわけや。吾輩の小事件と云うのはすなわちこれであるちうわけや。小事件を記述したあとには、順序として是非大事件を話さなければならん。

主人は座敷の障子を開いて腹這はらばいになって、何ぞ思案しとる。ワイが思うには敵に対して防禦策ぼうぎょさくを講じとるのやろうわ。落雲館は授業中と見えて、運動場は存外静かであるちうわけや。ただ校舎の一室で、倫理の講義をしとるのが手に取るように聞えるちうわけや。朗々たる音声でなかなかうまく述べ立てとるのを聴くと、まるっきし昨日きのう敵中から出馬して談判のしょうに当った将軍であるちうわけや。

……で公徳と云うものは大切な事で、あちらへ行って見ると、仏蘭西フランスでも独逸ドイツでも英吉利イギリスでも、どこへ行っても、この公徳の行われておらん国はないちうわけや。またどないな下等な者でもこの公徳を重んぜぬ者はないちうわけや。悲しいかな、我が大日本帝国にっては、だこの点において異国と拮抗きっこうする事が出来んのであるちうわけや。で公徳と申すと何ぞ新しく異国から輸入して攻めて来よったように考える諸君もあるかも知れんが、そう思うのはだいなる誤りで、昔人せきじん夫子ふうし道一みちいつもっこれつらぬく、忠恕ちゅうじょのみと云われた事があるちうわけや。このじょと申すのが取りも直さず公徳の出所しゅっしょであるちうわけや。わいも人間であるから時には大きな声をして歌やらなんやらうたって見たくなる事があるちうわけや。せやけどダンさんわいが勉強しとる時に隣室のものやらなんやらが放歌するのを聴くと、どうしても書物の読めぬのがわいの性分であるちうわけや。であるからしてオノレが唐詩選とうしせんでも高声こうせいに吟じたら気分が晴々せいせいしてよかろうと思う時やら、もしオノレのように迷惑がる人が隣家に住んでおって、知らず知らずその人の邪魔をするような事があってはすまんと思うて、そう云う時はいつでもひかえるのであるちうわけや。こう云う訳やから諸君もなるべく公徳を守って、いやしくも人の妨害になると思う事は決してやってはならんのであるちうわけや。……

主人は耳を傾けて、この講話を謹聴しとったが、ここに至ってにやりと笑ったちうわけや。ちーとばかしこのにやりの意味を説明する必要があるちうわけや。皮肉家がこれをよんだらこのにやりうちには冷評的分子が交っとると思うやろうわ。せやけどダンさん主人は決して、そないな人の悪い男ではおまへん。悪いと云うよりそないなに智慧ちえの発達した男ではおまへん。主人はなんでやねん笑ったかと云うとまるっきし嬉しくって笑ったさかいあるちうわけや。倫理の教師たる者がかように痛切なる訓戒を与えるからはこののちは永久ダムダム弾の乱射をまぬがれるに相違ないちうわけや。当分のうち頭も禿げんとすむ、逆上は一時に直らんでも時機さえくれば漸次ぜんじ回復するやろう、手拭てぬぐいを頂いて、炬燵こたつにあたらなくとも、樹下石上を宿やどとしなくとも大丈夫やろうと鑑定したから、にやにやと笑ったさかいあるちうわけや。借金は必ず返す者と二十世紀の今日こんにちにもやはり正直に考えるほどの主人がこの講話を真面目に聞くのは当然であろうわ。

やがて時間が攻めて来よったと見えて、講話はぱたりとやんや。他の教室の課業も皆いっぺんに終ったちうわけや。すると本日この時まで室内に密封された八百の同勢はときの声をあげて、建物を飛び出したちうわけや。そのいきおいと云うものは、一尺ほどなはちの巣をたたき落したごとくであるちうわけや。ぶんぶん、わんわん云うて窓から、戸口から、開きから、いやしくも穴のいとる所なら何の容赦もなく我勝ちに飛び出したちうわけや。これが大事件の発端であるちうわけや。

まず蜂の陣立てから説明するちうわけや。こないな戦争に陣立てもなあんもあるものかと云うのは間違っとる。普通の人は戦争とさえ云えば沙河しゃかとか奉天ほうてんとかまた旅順りょじゅんとかそのほかに戦争はないもののごとくに考えとる。ちびっと詩がかった野蛮人になると、アキリスがヘクトーの死骸を引きずって、トロイの城壁を三匝はんそうしたとか、えんぴと張飛が長坂橋ちょうはんきょう丈八じょうはち蛇矛だぼうよこたえて、曹操そうそうの軍百万人をにらめ返したとか大袈裟おおげさな事ばかり連想するちうわけや。連想は当人の随意やけどそれ以外の戦争はないものと心得るのは不都合や。太古蒙昧たいこもうまいの時代にってこそ、そないな馬鹿気た戦争も行われたかも知れん、せやけどダンさん太平の今日こんにち、大大日本帝国国帝都の中心においてかくのごとき野蛮的行動はあり得べからざる奇蹟に属しとる。いかに騒動が持ち上がっても交番の焼打以上に出る気遣きづかいはないちうわけや。して見ると臥竜窟がりょうくつ主人の苦沙弥先生と落雲館八百の健児との戦争は、まず東京市あって以来の大戦争の一として数えてもしかるべきものや。左翼氏さし鄢陵えんりょうたたかいを記するに当ってもまず敵の陣勢から述べとる。古来から叙述に巧みなるものは皆この筆法を用いるのが通則になっとる。だによって吾輩が蜂の陣立てを話すのも仔細しさいなかろうわ。それでまず蜂の陣立ていかんと見てあると、四つ目垣の外側に縦列をかたちづくった一隊があるちうわけや。これは主人を戦闘線内に誘致する職務を帯びた者と見えるちうわけや。「降参しねえか」「しねえしねえ」「駄目だ駄目や」「出てこねえ」「落ちねえかな」「落ちねえはずはねえ」「吠えて見ろ」「わんわん」「わんわん」「わんわんわんわん」これから先は縦隊総がかりとなって吶喊とっかんの声を揚げるちうわけや。縦隊をちびっと右翼へ離れて運動場の方面には砲隊が形勝の地を占めて陣地をいとる。臥竜窟がりょうくつに面して一人の将官が擂粉木すりこぎの大きな奴を持ってひかえるちうわけや。これと相対して五六間の間隔をとってまた一人立つ、擂粉木のあとにまた一人、これは臥竜窟に顔をむけて突っ立っとる。かくのごとく一直線にならんで向い合っとるのが砲手であるちうわけや。ある人の説によるとこれはベースボールの練習であって、決して戦闘準備ではおまへんそうや。吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢もんもうかんであるちうわけや。せやけどダンさん聞くトコによればこれは米国から輸入された遊戯で、今日こんにち中学程度以上の学校に行わるる運動のうちでもっとも流行するものだそうや。米国は突飛とっぴな事ばかり考え出す国柄であるから、砲隊と間違えてもしかるべき、近所迷惑の遊戯を大日本帝国人に教うべくだけそれだけ親切やったかも知れへん。また米国人はこれをもって真に一種の運動遊戯と心得とるのやろうわ。せやけどダンさん純粋の遊戯でもかように四隣を驚かすに足る能力を有しとる以上は使いようで砲撃の用には充分立つ。吾輩の眼をもって観察したトコでは、彼等はこの運動術を利用して砲火の功を収めんと企てつつあるとしか思われへん。物は云いようでどうでもなるものや。慈善の名を借りて詐偽さぎを働らき、インスピレーションと号して逆上をうれしがる者がある以上はベースボールなる遊戯のもとに戦争をなはんとも限りまへん。或る人の説明は世間一般のベースボールの事であろうわ。今吾輩が記述するベースボールはこの特別の場合に限らるるベースボールすなわち攻城的砲術であるちうわけや。これからダムダム弾を発射する方法を紹介するちうわけや。直線にかれたる砲列の中の一人が、ダムダム弾を右翼の手に握って擂粉木の所有者にほうりつけるちうわけや。ダムダム弾は何で製造したか局外者には分りまへん。堅い丸い石の団子のようなものを御鄭寧ごていねいに皮でくるんで縫い合せたものであるちうわけや。ぜん申す通りこの弾丸が砲手の一人の手中を離れて、風を切って飛んで行くと、向うに立った一人が例の擂粉木をやっと振り上げて、これをたたき返す。たまには敲きそこなりよった弾丸が流れてしまう事もあるが、大概はポカンと大きな音を立ててね返るちうわけや。その勢はどエライ猛烈なものであるちうわけや。神経性胃弱なる主人の頭をつぶすくらいは容易に出来るちうわけや。砲手はこれだけで事足るのやけど、その周囲附近には弥次馬やじうま兼援兵が雲霞うんかのごとく付き添うとる。ポカーンと擂粉木が団子にあたるや否やわー、ぱちぱちぱちと、わめく、手をつ、やれやれと云うわ。あたったろうと云うわ。これでもかねえかと云うわ。恐れ入らねえかと云うわ。降参かと云うわ。これだけならまだしもであるが、たたき返された弾丸は三度にいっぺん必ず臥竜窟邸内へころがり込む。これがころがり込まなければ攻撃の目的は達せられんのであるちうわけや。ダムダム弾は近来諸所で製造するが随分高価なものであるから、いかに戦争でもそう充分な供給を仰ぐ訳に行かん。大抵一隊の砲手に一つもしくは二つの割であるちうわけや。ポンと鳴る度にこの貴重な弾丸を消費する訳には行かん。ほんで彼等はたまひろいと称する一部隊を設けて落弾おちだまを拾ってくるちうわけや。落ち場所がよければ拾うのに骨も折れへんが、草原とか人の邸内へ飛び込むとそう容易たやすくは戻って来ないちうわけや。やから平生ならなるべく労力を避けるため、拾いやすい所へ打ち落すはずであるが、この際は反対に出るちうわけや。目的が遊戯にあるのではおまへん、戦争に存するのやから、わざとダムダム弾を主人の邸内に降らせるちうわけや。邸内に降らせる以上は、邸内へ這入はいって拾わなければならん。邸内に這入るもっとも簡便な方法は四つ目垣を越えるにあるちうわけや。四つ目垣のうちで騒動すれば主人がおこり出さなければならん。しからずんばかぶとを脱いで降参せなならん。苦心のあまり頭がだんだん禿げて来なければならん。

今しも敵軍から打ち出した一弾は、照準しょうじゅんあやまたず、四つ目垣を通り越してきりの下葉を振い落して、第二の城壁すなわち竹垣に命中したちうわけや。随分大きな音であるちうわけや。ニュートンの運動律第一にいわくもし他の力を加うるにあらざれば、いっぺんひとたび動き出したる物体は均一の速度をもって直線に動くものとす。もしこの律のみによって物体の運動が支配せらるるならば主人の頭はこの時にイスキラスと運命を同じくしたであろうわ。さいわいにしてニュートンは第一則を定むるといっぺんに第二則も製造してくれたさかい主人の頭は危うきうちに一命を取りとめたちうわけや。運動の第二則に曰く運動の変身は、加えられたる力に比例す、せやけどダンさんてその力の働く直線の方向において起るものとす。これは何の事だかちびっとくわかり兼ねるが、かのダムダム弾が竹垣を突き通して、障子しょうじを裂き破って主人の頭をカンペキに破壊しなかったトコをもって見ると、ニュートンの御蔭おかげに相違ないちうわけや。ちーとの間すると案のごとく敵は邸内に乗り込んで攻めて来よったものと覚しく、「ここか」「もっともっともっともっともっともっともっともっともっと左翼の方か」やらなんやらと棒でもってささの葉を敲き廻わる音がするちうわけや。ずぅぇえええぇぇええんぶ敵が主人の邸内へ乗り込んでダムダム弾を拾う場合には必ず特別な大きな声を出す。こっそり這入って、こっそり拾っては肝心かんじんの目的が達せられん。ダムダム弾は貴重かも知れへんが、主人にからかうのはダムダム弾以上に大事であるちうわけや。この時のごときは遠くから弾の所在地は判然しとる。竹垣にあたった音も知っとる。中った場所も分っとる、せやけどダンさんてその落ちた地面も心得とる。やからおとなしくして拾えば、なんぼでもおとなしく拾えるちうわけや。ライプニッツの定義によると空間は出来得べき同在現象の秩序であるちうわけや。いろはにほへとはいつでも同じ順にあらわれてくるちうわけや。柳の下には必ずどじょうがいるちうわけや。蝙蝠こうもりに夕月はつきものであるちうわけや。垣根にボールは不似合かも知れぬ。せやけどダンさん毎日毎日ボールを人の邸内にほうり込む者の眼に映ずる空間はたしかにこの排列にれとる。一眼ひとめ見ればすぐ分る訳や。それをかくのごとく騒ぎ立てるのは必竟ひっきょうずるに主人に戦争をいどむ策略であるちうわけや。

こうなってはいかに消極的なる主人といえども応戦せなならん。さっき座敷のうちから倫理の講義をきいてにやにやしとった主人は奮然として立ち上がったちうわけや。猛然としてけ出したちうわけや。驀然ばくぜんとして敵の一人を生捕いけどったちうわけや。主人にしては大出来であるちうわけや。大出来には相違ないが、見ると十四五の小供であるちうわけや。ひげえとる主人の敵としてちびっと不似合や。けれども主人はこれで沢山だと思ったのやろうわ。び入るのを無理に引っ張って椽側えんがわの前まで連れて攻めて来よった。ここにちーとばかし敵の策略について一言いちげんする必要がある、敵は主人が昨日きのう権幕けんまくを見てこの様子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察したちうわけや。その時万一逃げ損じて大僧おおぞうがつらまっては事難儀になるちうわけや。ここは一年生か二年生くらいな小供を玉拾いにやって危険を避けるに越した事はないちうわけや。よし主人が小供をつらまえて愚図愚図ぐずぐず理窟りくつね廻したって、落雲館の名誉には関係せん、こないなものを大人気おとなげもなく相手にする主人の恥辱ちじょくになるばかりや。敵の考はこうやった。これが普通の人間の考で至極しごくもっともなトコであるちうわけや。ただ敵は相手が普通の人間でないと云う事を勘定のうちにぶちこむのを忘れたばかりであるちうわけや。主人にこれくらいの常識があれば昨日だって飛び出しはせん。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を与える者であるちうわけや。女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そないな見境みさかいのあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るに足らん。主人のごとく相手にならぬ中学一年生を生捕いけどって戦争の人質とするほどの了見でなくては逆上家の仲間入りは出来ないのであるちうわけや。可哀かわいそうなのは捕虜であるちうわけや。単に上級生の命令によって玉拾いなる雑兵ぞうひょうの役を勤めたるトコ、運わるく非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越えるもあらばこそ、庭前に引きえられたちうわけや。こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見とる訳に行かないちうわけや。我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭中に乱れ入るちうわけや。その数は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んや。大抵は上衣うわぎもちょっもつけておらん。白シャツの腕をまくって、腕組をしたのがあるちうわけや。綿めんネルの洗いざらしを申し訳に背中だけへ乗せとるのがあるちうわけや。そうかと思うと白の帆木綿ほもめんに黒いふちをとって胸の真中に花文字を、同じ色に縫いつけた洒落者しゃれものもあるちうわけや。いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波たんばの国は笹山から昨夜着し立てでござると云わぬばかりに、黒くたくましく筋肉が発達しとる。中学やらなんやらへ入れて学問をさせるのは惜しいものや。漁師りょうしか船頭にしたら定めし国家のためになるやろうと思われるくらいであるちうわけや。彼等は申し合せたごとく、素足に股引ももひきを高くまくって、近火の手伝にでも行きそうな風体ふうていに見えるちうわけや。彼等は主人の前にならんだぎり黙然もくねんとして一言いちごんも発せん。主人も口をひらかないちうわけや。ちーとの間の間双方共にらめくらをしとるなかにちーとばかし殺気があるちうわけや。

「貴様等はぬすっとうか」と主人は尋問したちうわけや。大気燄だいきえんであるちうわけや。奥歯でつぶした癇癪玉かんしゃくだまが炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしくいかって見えるちうわけや。越後獅子えちごじしの鼻は人間がおこった時の恰好かっこうかたどって作ったものであろうわ。それでなくてはあないなに恐しく出来るものではおまへん。

「いえ泥棒ではおまへん。落雲館の生徒や」

「うそをつけ。落雲館の生徒が無断で人の庭宅に侵入する奴があるか」

「せやけどダンさんこの通りちゃんと学校の徽章きしょうのついとる帽子をかぶっていますわ」

「にせものやろうわ。落雲館の生徒ならなんでやねんむやみに侵入したちうわけや」

「ボールが飛び込んだものやから」

「なんでやねんボールを飛び込たんや」

「つい飛び込んだんや」

しからん奴や」

「以後用心しまっから、今度だけ許してくれへんかの」

「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入ちんにゅうするのを、そう容易たやすく許されると思うか」

「それでも落雲館の生徒に違ないんやろから」

「落雲館の生徒なら何年生や」

「三年生や」

「きっとそうか」

「ええ」

主人は奥の方をかえりみながら、おいこらこらと云うわ。

埼玉生れの御三おはんふすまをあけて、へえと顔を出す。

「落雲館へ行ってどなたはんか連れてこいちうわけや」

「どなたはんを連れて参るんや」

「どなたはんでもええから連れてこいちうわけや」

下女は「へえ」と答えたが、あまり庭前の光景が妙なのと、使のおもむきが判然せんのと、さっきからの事件の発展が馬鹿馬鹿しいので、立ちもせず、坐りもせんとやにや笑っとる。主人はこれでも大戦争をしとるつもりであるちうわけや。逆上的敏腕をおおいふるっとるつもりであるちうわけや。しかるトコオノレの召し使たる当然こっちの肩を持つべきものが、真面目な態度をもって事に臨まんのみか、用を言いつけるのを聞きながらにやにや笑っとる。まんねんまんねん逆上せざるを得ないちうわけや。

「どなたはんでも構わんから呼んで来いと云うのに、わからんか。校長でも幹事でも教頭でも……

「あの校長はんを……」下女は校長と云う言葉だけしか知りまへんのであるちうわけや。

「校長でも、幹事でも教頭でもと云っとるのにわからんか」

「どなたはんもおりまへんやったら小使でもよろしゅうおますか」

「馬鹿を云え。小使やらなんやらに何が分かるものか」

ここに至って下女もやむを得んと心得たものか、「へえ」と云って出て行ったちうわけや。使の主意はやはり飲み込めんのであるちうわけや。小使でも引張って来はせんかと心配しとると、あに計らんや例の倫理の先生が表門から乗り込んで攻めて来よった。平然と座にくを待ち受けた主人は直ちに談判にとりかかるちうわけや。

「ただ今邸内にこの者共が乱入致して……」と忠臣蔵のような古風な言葉を使ったが「ホンマに御校おんこうの生徒でっしゃろか」と少々皮肉に語尾を切ったちうわけや。

倫理の先生は別段驚いた様子もなく、平気で庭前にならんでいる勇士を一通り見廻わした上、もとのごとくひとみを主人の方にかえして、しものごとく答えたちうわけや。

「さようみんな学校の生徒であるんや。こないな事のないように始終訓戒を加えておきまっけど……どうも困ったもので……なんでやねん君等は垣やらなんやらを乗り越すのか」

さすがに生徒は生徒である、倫理の先生に向っては一言いちごんもないと見えて何とも云うものはないちうわけや。おとなしく庭の隅にかたまって羊のむれが雪に逢ったようにひかえとる。

たま這入はいるのも仕方がないでっしゃろ。こうして学校の隣りに住んでいる以上は、時々はボールも飛んで来まひょ。せやけどダンさん……あまり乱暴やろからな。仮令たとい垣を乗り越えるにしても知れへんように、そっと拾って行くなら、まだ勘弁のしようもあるんやが……

「ごもっともで、よく用心は致しまっけど何分多人数たにんずの事で……よくこれから用心をせんといかんぜ。もしボールが飛んだら表から廻って、御断りをして取らなければいかん。ええか。⸺広い学校の事やろからどうも世話ばかりやけて仕方がないや。で運動は教育上必要なものであるんやから、どうもこれを禁ずる訳には参りかねるので。これを許すとつい御迷惑になるような事が出来まっけど、これは是非御容赦を願いたいと思うで。その代り向後こうごはきっと表門から廻って御断りを致した上で取らせまっしゃろから」

「いや、そう事が分かればよろしいや。たまはなんぼ御投げになっても差支さしつかえはないや。表からきてちーとばかし断わって下されば構いまへん。ではこの生徒はあんさんに御引き渡し申しまっからお連れ帰りを願いますわ。いやわざわざ御呼び立て申して恐縮や」と主人は例によって例のごとく竜頭蛇尾りゅうとうだびの挨拶をするちうわけや。倫理の先生は丹波の笹山を連れて表門から落雲館へ引き上げるちうわけや。吾輩のなんちうか、ようみなはんいわはるとこの大事件はこれで一とまず落着を告げたちうわけや。何のそれが大事件かと笑うなら、笑うがええ。そないな人には大事件でないまでや。吾輩は主人の大事件を写したさかい、そないな人の大事件をしるしたさかいはないちうわけや。尻が切れて強弩きょうど末勢ばっせいだやらなんやらと悪口するものがあるなら、これが主人の特色である事を記憶して貰いたいちうわけや。主人が滑稽文の材料になるのもまたこの特色に存する事を記憶して貰いたいちうわけや。十四五の小供を相手にするのは馬鹿だと云うなら吾輩も馬鹿に相違ないと同意するちうわけや。やから大町桂月は主人をつらまえていま稚気ちきを免がれずと云うとる。

吾輩はすでに小事件を叙しおわり、今また大事件を述べ了ったから、これより大事件のあとに起る余瀾よらんえがき出だして、全篇の結びを付けるつもりであるちうわけや。ずぅぇえええぇぇええんぶ吾輩のかく事は、口から出任でまかせのええ加減と思う読者もあるかも知れへんが決してそないな軽率な猫ではおまへん。一字一句のうちに宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、その一字一句が層々そうそう連続すると首尾相応じ前後相照らして、瑣談繊話さだんせんわと思ってうっかりと読んでいたものが忽然こつぜん豹変ひょうへんして容易ならざる法語となるんやから、決して寝ころんだり、足を出して五行ごとにいっぺんに読むのだやらなんやらと云う無礼を演じてはいけへん。柳宗元りゅうそうげん韓退之かんたいしの文を読むごとに薔薇しょうびみずで手を清めたと云うくらいやから、吾輩の文に対してもせめて自腹じばらで雑誌を買って来て、友人の御余りを借りて間に合わすと云う不始末だけはない事に致したいちうわけや。これから述べるのは、吾輩みずから余瀾と号するのだけれど、余瀾ならどうせつまらんにきまっとる、読まんでもよかろうやらなんやらと思うと飛んだ後悔をするちうわけや。是非しまいまで精読しなくてはいかん。

大事件のあった翌日、吾輩はちーとばかし散歩がしたくなりよったから表へ出たちうわけや。すると向う横町へ曲がろうと云う角で金田の旦那と鈴木のとうはんがしきりに立ちながら話をしとる。金田君は車で自宅うちへ帰るトコ、鈴木君は金田君の留守を訪問して引き返す途中で両人ふたりがばったりと出逢ったさかいあるちうわけや。近来は金田の邸内も珍らしくなくなりよったから、滅多めったにあちらの方角へは足が向かなかったが、こう御目に懸って見ると、何となく御懐おなつかしいちうわけや。鈴木にも久々ひさびさやから余所よそながら拝顔の栄を得ておこうわ。こう決心してのそのそ御両君の佇立ちょりつしておらるるそば近く歩み寄って見ると、自然両君の談話が耳にるちうわけや。これは吾輩の罪ではおまへん。先方が話しとるのがわるいのや。金田君は探偵さえ付けて主人の動静をうかがうくらいの程度の良心を有しとる男やから、吾輩が偶然君の談話を拝聴したっておこらるる気遣きづかいはあるまいちうわけや。もし怒られたら君は公平と云う意味を御承知ないのであるちうわけや。とにかく吾輩は両君の談話を聞いたさかいあるちうわけや。聞きたくて聴いたさかいはないちうわけや。聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中へ飛び込んで攻めて来よったのであるちうわけや。

「只今御宅へ伺おったんやトコで、ちょうどよい所で御目にかかったんや」ととうはんは鄭寧ていねいに頭をぴょこつかせるちうわけや。

「うむ、そうかえ。実はこないやから、君にちーとばかし逢いたいと思っとったがね。それはよかったちうわけや」

「へえ、それは好都合でおました。何ぞご用で」

「いや何、大した事でもないのさ。どうでもええんやけど、君でないと出来ない事なんや」

「わいに出来る事なら何でもやりまひょ。どないな事で」

「ええ、そう……」と考えとる。

「何なら、御都合のとき出直して伺いまひょ。いつがよろしゅう、おますか」

「なあに、そないな大した事や無いのさ。⸺それやせっかくやから頼もうか」

「どうか御遠慮なく……

「あの変人ね。そら君の旧友さ。苦沙弥とか何とか云うやないか」

「ええ苦沙弥がどうかしたんやか」

「いえ、どうもせんがね。あの事件以来胸糞むなくそがわるくってね」

「ごもっともで、まるっきし苦沙弥は剛慢やろから……ちびっとはオノレの社会上の地位を考えとるとええのやけれども、まるで一人天下やろから」

「そこさ。金に頭はさげん、実業家なんぞ⸺とか何とか、いろいろ小生意気な事を云うから、そないなら実業家の腕前を見せてやろう、と思ってね。こないやから大分だいぶ弱らしとるんやけど、やっぱり頑張がんばっとるんや。どうも剛情な奴や。驚ろいたよ」

「どうも損得と云う観念のとぼしい奴やろから無暗むやみに痩我慢を張るんでっしゃろ。昔からああ云う癖のある男で、ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要はオノレの損になる事に気が付かないんやろからがたいや」

「あはははホンマにがたいちうわけや。いろいろ手をえ品をえてやって見るんやけどね。とうとうしまいに学校の生徒にやらしたちうわけや」

「そいつは妙案やな。利目ききめがおましたか」

「これにゃあ、奴も大分だいぶ困ったようや。もう遠からず落城するにきまっとる」

「そりゃ結構や。なんぼ威張っても多勢たぜい無勢ぶぜいやろからな」

「そうさ、一人やあ仕方がねえ。それで大分だいぶ弱ったようやけど、まあどないな様子か君に行って見て来てもらおうと云うのさ」

「はあ、そうやろか。なに訳はおまへん。すぐ行って見まひょ。容子ようすは帰りがけに御報知を致す事にして。おもろいでっしゃろ、あの頑固がんこなのが意気銷沈いきしょうちんしとるトコは、きっと見物みものや」

「ああ、それや帰りに御寄り、待っとるから」

「ほなら御免蒙ごめんこうむるんや」

おや今度もまた魂胆こんたんだ、なるほど実業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殻もえがらのような主人を逆上させるのも、苦悶くもんの結果主人の頭が蠅滑はえすべりの難所となるのも、その頭がイスキラスと同様の運命におちいるのも皆実業家の勢力であるちうわけや。地球が地軸を廻転するのは何の作用かわかりまへんが、世の中を動かすものはたしかに金であるちうわけや。この金の功力くりきを心得て、この金の威光を自由に発揮するものは実業家諸君をおいてほかに一人もないちうわけや。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのもまるっきし実業家の御蔭であるちうわけや。本日この時まではわからずやの窮措大きゅうそだいの家に養なわれて実業家の御利益ごりやくを知らなかったのは、我ながら不覚であるちうわけや。それにしても冥頑不霊めいがんふれいの主人も今度はちびっと悟らずばなるまいちうわけや。これでも冥頑不霊で押し通す了見だとあぶないちうわけや。主人のもっとも貴重する命があぶないちうわけや。彼は鈴木君に逢ってどないな挨拶をするのか知らん。その模様で彼の悟り具合もおのずから分明ぶんみょうになるちうわけや。愚図愚図してはおられん、猫だって主人の事やからおおいに心配になるちうわけや。早々鈴木君をすり抜けて御先へ帰宅するちうわけや。

鈴木君はあいかわらず調子のええ男であるちうわけや。今日は金田の事やらなんやらはおくびにも出さない、しきりに当りさわりのない世間話を面白そうにしとる。

「君ちびっと顔色が悪いようだぜ、どうかしやせんか」

「別にどこも何ともないさ」

「でもあおいぜ、用心せんといかんよ。時候がわるいからね。よるは安眠が出来るかね」

「うん」

「何ぞ心配でもありゃせんか、僕に出来る事なら何でもするぜ。遠慮なく云い給え」

「心配って、何を?」

「いえ、なければええが、もしあればと云う事さ。心配が一番毒やからな。世の中は笑って面白く暮すのが得だよ。どうも君はあまり陰気過ぎるようや」

「笑うのも毒やからな。無暗に笑うと死ぬ事があるぜ」

冗談じょうだん云っちゃいけへん。笑うかどには福きたるさ」

むか希臘ギリシャにクリシッパスと云う哲学者があったが、君は知るまいちうわけや」

「知りまへん。それがどうしたのさ」

「その男が笑い過ぎて死んだんや」

「へえー、そいつは不思議だね、せやけどダンさんそりゃ昔の事やから……

「昔しだって今だって変りがあるものか。驢馬ろばが銀のどんぶりから無花果いちじゅくを食うのを見て、おかしくってたまらなくって無暗むやみに笑ったんや。トコロがどうしても笑いがとまりまへん。とうとう笑い死にに死んだんだあね」

「はははせやけどダンさんそないなにもなく笑わなくってもええさ。ちびっと笑う⸺適宜てきぎに、⸺そうするとええ心持ちや」

鈴木君がしきりに主人の動静を研究しとると、表の門ががらがらとあく、客来きゃくらいかと思うとそうでないちうわけや。

「ちーとばかしボールが這入はいったんやから、取らしてくれへんかの」

下女は台所から「はいちうわけや」と答えるちうわけや。書生は裏手へ廻るちうわけや。鈴木は妙な顔をして何だいと聞く。

「裏の書生がボールを庭へ投げ込んだんや」

「裏の書生? 裏に書生がいるのかいちうわけや」

「落雲館と云う学校さ」

「ああそうか、学校か。随分騒々しいやろうね」

「騒々しいの何のって。碌々ろくろく勉強も出来やせん。僕が文部大臣なら早速閉鎖を命じてやるちうわけや」

「ハハハ大分だいぶおこったね。何ぞしゃくさわる事でも有るのかいちうわけや」

「あるのないのって、朝から晩まで癪に障り続けや」

「そないなに癪に障るなら越せばええやないか」

「どなたはんが越すもんか、失敬千万な」

「僕に怒ったって仕方がないちうわけや。なあに小供だあね、うっちゃっておけばええさ」

「君はよかろうが僕はよくないちうわけや。昨日きのうは教師を呼びつけて談判してやったちうわけや」

「それは面白かったね。恐れ入ったろうわ」

「うん」

この時また門口かどぐちをあけて「ちーとばかしボールが這入はいったんやから取らしてくれへんかの」と云う声がするちうわけや。

「いや大分だいぶ来るやないか、またボールだぜ君」

「うん、表から来るように契約したんや」

「なるほどそれであないなにくるんやね。そうーか、分ったちうわけや」

「何が分ったんだいちうわけや」

「なに、ボールを取りにくる源因がさ」

「今日はこれで十六返目や」

「君うるさくないか。来ないようにしたらええやないか」

「来ないようにするったって、来るから仕方がないさ」

「仕方がないと云えばそれまでやけど、そう頑固がんこにしておらへんでもよかろうわ。人間はかどがあると世の中をころがって行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろごろどこへでもなしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れるばかりやない、転がるたびに角がすれて痛いものや。どうせオノレ一人の世の中やなし、そうオノレの思うように人はならへんさ。まあ何やね。どうしても金のあるものに、たてを突いちゃ損やね。ただ神経ばかり痛めて、からだは悪くなる、人はめてくれず。向うは平気なものさ。坐って人を使いさえすればすむんやから。多勢たぜい無勢ぶぜいどうせ、かないまへんのは知れとるさ。頑固もええが、立て通すつもりでいるうちに、オノレの勉強に障ったり、毎日の業務にはんを及ぼしたり、とどのゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要はが骨折り損の草臥儲くたびれもうけやからね」

「ご免なさいちうわけや。今ちーとばかしボールが飛びたんやから、裏口へ廻って、取ってもええやろか」

「そらまた攻めて来よったぜ」と鈴木君は笑っとる。

「失敬な」と主人は真赤まっかになっとる。

鈴木君はもう大概訪問の意を果したと思ったから、それや失敬ちとたまえと帰って行く。

入れ代ってやって攻めて来よったのが甘木あまき先生であるちうわけや。逆上家がオノレで逆上家だと名乗る者はむかしから例が少ない、これは少々変だなとさとった時は逆上のとうげはもう越しとる。主人の逆上は昨日きのうの大事件の際に最高度に達したさかいあるが、談判も竜頭蛇尾たるにかかわらず、どうかこうか始末がついたさかいその晩書斎でつくづく考えて見るとちびっと変だと気が付いたちうわけや。もっとも落雲館が変なのか、オノレが変なのかうたがいを存する余地は充分あるが、何しろ変に違ないちうわけや。なんぼ中学校の隣に居を構えたって、かくのごとく年が年中肝癪かんしゃくを起しつづけはちと変だと気が付いたちうわけや。変であって見ればどうかせなならん。どうするったって仕方がない、やはり医者の薬でも飲んで肝癪かんしゃくみなもと賄賂わいろでも使って慰撫いぶするよりほかに道はないちうわけや。こうさとったから平生かかりつけの甘木先生を迎えて診察を受けて見ようと云う量見を起したさかいあるちうわけや。賢か愚か、その辺は別問題として、とにかくオノレの逆上に気が付いただけは殊勝しゅしょうの志、奇特きどくの心得と云わなければならん。甘木先生は例のごとくにこにこと落ちつき払って、「どうや」と云うわ。医者は大抵どうやと云うにまってるちうわけや。吾輩は「どうや」と云いまへん医者はどうも信用をおく気にならん。

「先生どうも駄目や」

「え、何そないな事があるものやか」

「一体医者の薬はくものでっしゃろか」

甘木先生も驚ろいたが、そこは温厚の長者ちょうややから、別段激した様子もなく、

「利かん事もないや」とおだやかに答えたちうわけや。

わいわいの胃病なんか、なんぼ薬を飲んでも同じ事やぜ」

「決して、そないな事はないちうわけや」

「ないやろかな。ちびっとは善くなるんやかな」とオノレの胃の事を人に聞いて見るちうわけや。

「そう急には、なおりまへん、だんだん利きまんねん。今でももとより大分だいぶよくなっていますわ」

「そうやろかな」

「やはり肝癪かんしゃくが起るんやか」

「起るんやとも、夢にまで肝癪を起しまんねん」

「運動でも、ちびっとなさったらええでっしゃろ」

「運動すると、なお肝癪が起るんや」

甘木先生もあきれ返ったものと見えて、

「どれ一つ拝見しまひょか」と診察を始めるちうわけや。診察を終るのを待ちかねた主人は、突然大きな声を出して、

「先生、せんだって催眠術のかいてある本を読んだら、催眠術を応用して手癖のわるいんだの、いろいろな病気だのを直す事が出来ると書いてあったやけどアンタ、ホンマでっしゃろか」と聞く。

「ええ、そう云う療法もあるんや」

「今でもやるんやろか」

「ええ」

「催眠術をかけるのはややこしいものでっしゃろか」

「なに訳はおまへん、わいわいやらなんやらもよく懸けまんねん」

「先生もやるんやろか」

「ええ、一つやって見まひょか。どなたはんでもかからなければならん理窟りくつのものや。あんさんさえければ懸けて見まひょ」

「そいつはおもろい、一つ懸けてくれへんかの。わいわいもとうから懸かって見たいと思ったんや。せやけどダンさん懸かりきりで眼がめへんと困るな」

「なに大丈夫や。それややりまひょ」

相談はたちまち一決して、主人はいよいよ催眠術を懸けらるる事となりよった。吾輩は本日この時までこないな事を見た事がないから心ひそかに喜んでその結果を座敷の隅から拝見するちうわけや。先生はまず、主人の眼からかけ始めたちうわけや。その方法を見とると、両眼りょうがん上瞼うわまぶたを上から下へとでて、主人がすでに眼をねむっとるにもかかわらず、しきりに同じ方向へくせを付けたがっとる。ちーとの間すると先生は主人に向って「こうやって、まぶたを撫でとると、だんだん眼が重たくなるでっしゃろ」と聞いたちうわけや。主人は「なるほど重くなるんやな」と答えるちうわけや。先生はなお同じように撫でおろし、撫でおろし「だんだん重くなるんやよ、ようござんすか」と云うわ。主人もその気になりよったものか、何とも云わんと黙っとる。同じ摩擦法はまた三四分繰り返されるちうわけや。ケツに甘木先生は「さあもうきまへんぜ」と云われたちうわけや。可哀想かわいそうに主人の眼はとうとうつぶれてしもた。「もう開かんのやか」「ええもうあきまへん」主人は黙然もくねんとして目を眠っとる。吾輩は主人がもう盲目めくらになりよったものと思い込んでしもた。ちーとの間して先生は「あけるなら開いて御覧なさいちうわけや。とうていあけへんから」と云われるちうわけや。「そうやろか」と云うが早いか主人は普通の通り両眼りょうがんを開いとった。主人はにやにや笑いながら「懸かりまへんな」と云うと甘木先生も同じく笑いながら「ええ、懸りまへん」と云うわ。催眠術はついに不性交…ひひひ、ウソや、成功におわるちうわけや。甘木先生も帰るちうわけや。

その次に攻めて来よったのが⸺主人のうちへこのくらい客の攻めて来よった事はないちうわけや。交際の少ない主人の家にしてはまるでうそのようであるちうわけや。せやけどダンさん攻めて来よったに相違ないちうわけや。しかも珍客が攻めて来よった。吾輩がこの珍客の事を一言いちごんでも記述するのは単に珍客であるがためではおまへん。吾輩は先刻申す通り大事件の余瀾よらんえがきつつあるちうわけや。せやけどダンさんてこの珍客はこの余瀾を描くにあたって逸すべからざる材料であるちうわけや。何と云う名前か知らん、ただ顔の長い上に、山羊やぎのようなひげやしとる四十前後の男と云えばよかろうわ。迷亭の美学者たるに対して、吾輩はこの男を哲学者と呼ぶつもりであるちうわけや。なんでやねん哲学者と云うと、なあんも迷亭のようにオノレで振り散らすからではおまへん、ただ主人と対話する時の様子を拝見しとるといかにも哲学者らしく思われるからであるちうわけや。これもむかしの同窓と見えて両人共ふたりとも応対振りは至極しごくけた有様や。

「うん迷亭か、あれは池に浮いてる金魚麩きんぎょふのようにふわふわしとるね。せんだって友人を連れて一面識もない華族の門前を通行した時、ちーとばかし寄って茶でも飲んで行こうと云って引っ張り込んだそうやけど随分呑気のんきやね」

「それでどうしたいちうわけや」

「どうしたか聞いても見なかったが、⸺そうさ、まあ天稟てんぴんの奇人やろう、その代り考もなあんもないまるっきし金魚麩や。鈴木か、⸺あれがくるのかい、へえー、あれは理窟りくつはわからんが世間的には利口な男や。金時計は下げられるたちや。せやけどダンさん奥行きがないから落ちつきがなくって駄目や。円滑えんかつ円滑と云うが、円滑の意味もなあんもわかりはせんよ。迷亭が金魚麩ならあれはわらくくった蒟蒻こんにゃくやね。ただわるくなめらかでぶるぶるふるえとるばかりや」

主人はこの奇警きけい比喩ひゆを聞いて、おおいに感心したものらしく、久し振りでハハハと笑ったちうわけや。

「そないなら君は何だいちうわけや」

「僕か、そうさな僕なんかは⸺まあ自然薯じねんじょくらいなトコやろうわ。長くなって泥の中にうまってるさ」

「君は始終泰然として気楽なようやけど、うらやましいな」

「なに普通の人間と同じようにしとるばかりさ。別に羨まれるに足るほどの事もないちうわけや。ただありがたい事に人を羨む気も起らんから、それだけええね」

「会計は近頃豊かかね」

「なに同じ事さ。足るや足らずさ。せやけどダンさん食うとるから大丈夫。驚かないよ」

「僕は不愉快で、肝癪かんしゃくが起ってたまらん。どっちを向いても不平ばかりや」

「不平もええさ。不平が起ったら起してしまえば当分はええ心持ちになれるちうわけや。人間はいろいろやから、そうオノレのように人にもなれと勧めたって、なれるものではおまへん。はしは人と同じように持たんと飯が食いにくいが、オノレの麺麭パンはオノレの勝手に切るのが一番都合がええようや。上手じょうずな仕立屋で着物をこしらえれば、着たてから、からだに合ったのを持ってくるが、下手へた裁縫屋したてやあつらえたら当分は我慢せんと駄目さ。せやけどダンさん世の中はうまくしたもので、着とるうちには洋服の方で、ウチの骨格に合わしてくれるから。今の世に合うように上等な両親が手際てぎわよく生んでくれれば、それが幸福なのさ。せやけどダンさん出来損できそこなりよったら世の中に合いまへんで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛抱するよりほかに道はなかろうわ」

「せやけどダンさん僕なんか、いつまで立っても合いそうにないぜ、心細いね」

「あまり合いまへん背広せびろを無理にきるとほころびるちうわけや。喧嘩けんかをしたり、自殺をしたり騒動が起るんやね。せやけどダンさん君なんかただ面白くないと云うだけで自殺は無論しやせず、喧嘩だってやった事はあるまいちうわけや。まあまあええ方だよ」

「トコロが毎日喧嘩ばかりしとるさ。相手が出て来なくっても怒っておれば喧嘩やろうわ」

「なるほど一人喧嘩ひとりげんかや。おもろいや、なんぼでもやるがええ」

「それがいやになりよった」

「そないならよすさ」

「君の前やけどオノレの心がそないなに自由になるものやないちうわけや」

「まあ全体何がそないなに不平なんだいちうわけや」

主人はここにおいて落雲館事件を始めとして、今戸焼いまどやきたぬきから、ぴん助、きしゃごそのほかあらゆる不平を挙げて滔々とうとうと哲学者の前に述べ立てたちうわけや。哲学者先生はだまって聞いとったが、ようやっと口をひらいて、かように主人に説き出したちうわけや。

「ぴん助やきしゃごが何を云ったって知らん顔をしておればええやないか。どうせ下らんのやから。中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になるちうわけや。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんのやないか。僕はそう云う点になると西洋人よりむかしの大日本帝国人の方がよほどえらいと思うわ。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分だいぶ流行はやるが、あれはだいなる欠点を持っとるよ。第一積極的と云ったって際限がない話しや。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云うさかいにいけるものやないちうわけや。むこうひのきがあるやろうわ。あれが目障めざわりになるから取り払うわ。とその向うの下宿屋がまた邪魔になるちうわけや。下宿屋を退去させると、その次の家がしゃくに触るちうわけや。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人のくちはみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口せん、法庭ほうていへ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。心の落着は死ぬまであせったって片付く事があるものか。寡人政治かじんせいじがいかんから、代議政体だいぎせいたいにするちうわけや。代議政体がいかんから、また何ぞにしたくなるちうわけや。川が生意気だって橋をかける、山が気に喰わんと云って隧道トンネルを堀るちうわけや。交通が難儀だと云って鉄道をく。それで永久満足が出来るものやないちうわけや。さればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事が出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れへんがゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は不満足で一生をくらす人の作った文明さ。大日本帝国の文明はオノレ以外の状態を変身させて満足を求めるのやないちうわけや。西洋とおおいにちゃうトコは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定のもとに発達しとるのや。親子の関係が面白くないと云って欧洲人のようにこの関係を改良して落ちつきをとろうとするのではおまへん。親子の関係は在来のまんまでとうてい動かす事が出来んものとして、その関係のもとに安心を求むる手段を講ずるにあるちうわけや。夫婦君臣の間柄もその通り、武士町人の区別もその通り、自然その物をるのもその通り。⸺山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困りまへんと云う工夫をするちうわけや。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのや。それやから君見給え。禅家ぜんけでも儒家じゅかでもきっと根本的にこの問題をつらまえるちうわけや。なんぼオノレがえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではおまへん、落日らくじつめぐらす事も、加茂川をさかに流す事も出来ないちうわけや。ただ出来るものはオノレの心だけやからね。心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がなんぼ騒いでも平気なものではおまへんか、今戸焼の狸でも構わんでおられそうなものや。ぴん助なんかな事を云ったらこの馬鹿野郎とすましておれば仔細しさいなかろうわ。何でも昔しの坊主は人にり付けられた時電光影裏でんこうえいり春風しゅんぷうを斬るとか、何とか洒落しゃれた事を云ったと云う話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこないな霊活な作用が出来るのやないかしらん。僕なんか、そないなややこしい事は分りまへんが、とにかく西洋人風の積極主義ばかりがええと思うのは少々誤まっとるようや。現に君がなんぼ積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出来ないやないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、または先方が警察に訴えるだけのわるい事をやれば格別やけど、さもない以上は、どないなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとするやろ、ほしたら金の問題になるちうわけや。多勢たぜい無勢ぶぜいの問題になるちうわけや。換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云う事になるちうわけや。衆をたのむ小供に恐れ入らなければならんと云う事になるちうわけや。君のような貧乏人でしかもたった一人で積極的に喧嘩をしようと云うのがそもそも君の不平の種さ。どやい分ったかいちうわけや」

主人は分ったとも、分りまへんとも言わんと聞いとった。珍客が帰ったあとで書斎へ這入はいって書物も読まんと何ぞ考えとった。

鈴木のとうはんは金と衆とに従えと主人に教えたさかいあるちうわけや。甘木先生は催眠術で神経を沈めろと助言じょごんしたさかいあるちうわけや。ケツの珍客は消極的の修養で安心を得ろと説法したさかいあるちうわけや。主人がいずれをえらぶかは主人の随意であるちうわけや。ただこのまんまでは通されへんにまっとる。

主人は痘痕面あばたづらであるちうわけや。御維新前ごいっしんまえあばた大分だいぶ流行はやったものだそうやけど日英同盟の今日こんにちから見ると、こないな顔はいささか時候おくれの感があるちうわけや。あばたの衰退は人口の増殖と反比例して近き将来にはまるっきしそのあとを絶つに至るやろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩のごとき猫といえどもごうも疑をさしはさむ余地のないほどの名論であるちうわけや。現今地球上にあばたっつらを有して生息しとる人間は何人くらいあるか知らんが、吾輩が交際の区域内において打算して見ると、猫には一匹もないちうわけや。人間にはたった一人あるちうわけや。せやけどダンさんてその一人がすなわち主人であるちうわけや。はなはだ気の毒であるちうわけや。

吾輩は主人の顔を見る度に考えるちうわけや。まあ何の因果でこないな妙な顔をして臆面おくめんなく二十世紀の空気を呼吸しとるのやろうわ。昔ならちびっとは幅もいたか知らんが、あらゆるあばたが二の腕へ立ち退きを命ぜられた昨今、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取ってがんとして動かないのは自慢にならんのみか、かえってあばたの体面に関する訳や。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものや。あばた自身だって心細いに違おらへん。それとも党勢不振の際、誓って落日を中天ちゅうてん挽回ばんかいせずんばやまずと云う意気込みで、あないなに横風おうふうに顔一面を占領しとるのか知らん。そうするとこのあばたは決して軽蔑けいべつの意をもってるべきものでないちうわけや。滔々とうとうたる流俗に抗する万古不磨ばんこふまの穴の集合体であって、おおいに吾人の尊敬に値する凸凹でこぼこと云ってよろしいちうわけや。ただきたならしいのが欠点であるちうわけや。

主人の小供のときに牛込の山伏町に浅田宗伯あさだそうはくと云う漢法の名医があったが、この老人が病家を見舞うときには必ずかごに乗ってそろりそろりと参られたそうや。トコロが宗伯老が亡くなられてその養子の代になりよったら、かごがたちまち人力車に変じたちうわけや。やから養子が死んでそのまた養子が跡をいだら葛根湯かっこんとうがアンチピリンに化けるかも知れへん。かごに乗って東京市中を練りあるくのは宗伯老の当時やらあまり見っともええものでは無かったちうわけや。こないな真似をしてすましとったものは旧弊な亡者もうやと、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみやった。

主人のあばたもその振わざる事においては宗伯老のかごと一般で、はたから見ると気の毒なくらいやけど、漢法医にも劣らざる頑固がんこな主人は依然として孤城落日のあばたを天下に曝露ばくろしつつ毎日登校してリードルを教えとる。

かくのごとき前世紀の紀念を満面にこくして教壇に立つ彼は、その生徒に対して授業以外にだいなる訓戒を垂れつつあるに相違ないちうわけや。彼は「猿が手を持つ」を反覆するよりも「あばたの顔面に及ぼす影響」と云う大問題を造作ぞうさもなく解釈して、不言ふげんかんにその答案を生徒に与えつつあるちうわけや。もし主人のような人間が教師として存在しなくなりよったあかつきには彼等生徒はこの問題を研究するために図書館もしくは博物館へ馳けつけて、吾人がミイラによって埃及人エジプトじん髣髴ほうふつすると同程度の労力をついやさねばならぬ。このてんから見ると主人の痘痕あばた冥々めいめいうちに妙な功徳くどくを施こしとる。

もっとも主人はこの功徳を施こすために顔一面に疱瘡ほうそうえ付けたさかいはないちうわけや。これでも実は種え疱瘡をしたさかいあるちうわけや。不幸にして腕に種えたと思ったのが、いつのにか顔へ伝染しとったのであるちうわけや。その頃は小供の事で今のように色気いろけもなにもなかったものやから、かゆい痒いと云いながら無暗むやみに顔中引きいたのだそうや。ちょうど噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れたようなもので、親が生んでくれた顔を台なしにしてしもた。主人は折々細君に向って疱瘡をせぬうちは玉のような男子やったと云っとる。浅草の観音様かんのんさまで西洋人が振りかえって見たくらい奇麗やったやらなんやらと自慢する事さえあるちうわけや。なるほどそうかも知れへん。ただどなたはんも保証人のおらへんのが残念であるちうわけや。

なんぼ功徳になっても訓戒になっても、きたない者はやっぱりきたないものやから、物心ものごころがついて以来と云うもの主人はおおいあばたについて心配し出して、あらゆる手段を尽してこの醜態をつぶそうとしたちうわけや。トコロが宗伯老のかごと違って、いやになりよったからと云うてそう急に打ちやられるものではおまへん。今だに歴然と残っとる。この歴然が多少気にかかると見えて、主人は往来をあるく度毎にあばたづらを勘定してあるくそうや。今日何人あばたに出逢って、そのぬしは男か女か、その場所は小川町の勧工場かんこうばであるか、上野の公園であるか、ことごとく彼の日記につけ込んであるちうわけや。彼はあばたに関する智識においては決してどなたはんにも譲るまいと確信しとる。せんだってある洋行帰りの友人が攻めて来よった折なぞは、「君西洋人にはあばたがあるかな」と聞いたくらいや。するとその友人が「そうだな」と首を曲げながらよほど考えたあとで「まあ滅多めったにないね」と云ったら、主人は「滅多になくっても、ちびっとはあるかいちうわけや」と念を入れて聞き返えしたちうわけや。友人は気のない顔で「あっても乞食かたちぼうだよ。教育のある人にはないようや」と答えたら、主人は「そうかいな、大日本帝国とはちびっとちゃうね」と云ったちうわけや。

哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留った主人はその後書斎に立てこもってしきりに何ぞ考えとる。彼の忠告をれて静坐のうちに霊活なる精神を消極的に修養するつもりかも知れへんが、元来が気の小さな人間の癖に、ああ陰気な懐手ふトコでばかりしていてはろくな結果の出ようはずがないちうわけや。それより英書でも質に入れて芸者から喇叭節らっぱぶしでも習った方がはるかにましだとまでは気が付いたが、あないな偏屈へんくつな男はとうてい猫の忠告やらなんやらを聴く気遣きづかいはないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせんと暮したちうわけや。

今日はあれからちょうど七日目なぬかめであるちうわけや。禅家やらなんやらでは一七日いちしちにちを限って大悟して見せるやらなんやらとすさまじいいきおい結跏けっかする連中もある事やから、うちの主人もどうかなりよったろう、死ぬか生きるか何とか片付いたろうと、のそのそ椽側えんがわから書斎の入口まで来て室内の動静を偵察ていさつに及んや。

書斎は南向きの六畳で、日当りのええ所に大きな机がえてあるちうわけや。ただ大きな机ではわかるまいちうわけや。長さ六尺、幅三尺八寸高さこれにかなうと云う大きな机であるちうわけや。無論出来合のものではおまへん。近所の建具屋に談判して寝台けん机として製造せしめたる稀代きたいの品物であるちうわけや。何の故にこないな大きな机を新調して、また何の故にその上に寝て見ようやらなんやらちう了見りょうけんを起したものか、本人に聞いて見ない事やからとんとわかりまへん。ほんの一時の出来心で、かかる難物をかつぎ込んだのかも知れず、せやなかったらことによると一種の精神病者において吾人がしばしば見出みいだすごとく、縁もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れへん。とにかく奇抜な考えであるちうわけや。ただ奇抜だけで役に立たないのが欠点であるちうわけや。吾輩はかつて主人がこの机の上へ昼寝をして寝返りをする拍子ひょうしに椽側へ転げ落ちたのを見た事があるちうわけや。それ以来この机は決して寝台に転用されへんようであるちうわけや。

机の前には薄っぺらなメリンスの座布団ざぶとんがあって、煙草モクの火で焼けた穴が三つほどかたまってるちうわけや。中から見える綿は薄黒いちうわけや。この座布団の上にうしろ向きにかしこまっとるのが主人であるちうわけや。鼠色によごれた兵児帯へこおびをこま結びにむすんだ左翼右翼がだらりと足の裏へ垂れかかっとる。この帯へやれ付いて、いきなり頭を張られたのはこないだの事であるちうわけや。滅多めったに寄り付くべき帯ではおまへん。

まだ考えとるのか下手へたの考と云うたとえもあるのにとうしろからのぞき込んで見ると、机の上でいやにぴかぴかと光ったものがあるちうわけや。吾輩は思わず、続け様に二三度まばたきをしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢してじっと光るものを見つめてやったちうわけや。するとこの光りは机の上で動いとる鏡から出るものだと云う事が分ったちうわけや。せやけどダンさん主人は何のために書斎で鏡やらなんやらを振り舞わしとるのであろうわ。鏡と云えば風呂場にあるにまっとる。現に吾輩は今朝風呂場でこの鏡を見たのや。この鏡ととくに云うのは主人のうちにはこれよりほかに鏡はないからであるちうわけや。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにもこの鏡を用いるちうわけや。⸺主人のような男が髪を分けるのかと聞く人もあるかも知れぬが、実際彼はほかの事に無精ぶしょうなるだけそれだけ頭を叮嚀ていねいにするちうわけや。吾輩が当家に参ってから今に至るまで主人はいかなる炎熱の日といえども五分刈に刈り込んだ事はないちうわけや。かならず二寸くらいの長さにして、それを御大ごたいそうに左翼の方で分けるのみか、右翼のはじをちーとばかしね返してすましとる。これも精神病の徴候かも知れへん。こないな気取った分け方はこの机と一向いっこう調和せんと思うが、あえて他人に害を及ぼすほどの事でないから、どなたはんも何とも云いまへん。本人も得意であるちうわけや。分け方のハイカラなのはさておいて、なんでやねんあないなに髪を長くするのかと思ったら実はこう云うわけであるちうわけや。彼のあばたは単に彼の顔を侵蝕しんしょくせるのみならず、とくのむかしに脳天まで食い込んでいるのだそうや。やからもし普通の人のように五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本から何十となくあばたがあらわれてくるちうわけや。なんぼでても、さすってもぽつぽつがとれへん。枯野にほたるを放ったようなもので風流かも知れへんが、細君の御意ぎょいに入らんのは勿論もちろんの事であるちうわけや。髪さえ長くしておけば露見せんやむトコを、好んで自己の非をあばくにも当らぬ訳や。なろう事なら顔まで毛を生やして、こっちのあばた内済ないさいにしたなんぼいなトコやから、ただでえる毛をぜにを出して刈り込ませて、わいは頭蓋骨ずがいこつの上まで天然痘てんねんとうにやられたんやよと吹聴ふいちょうする必要はあるまいちうわけや。⸺これが主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、その原因が鏡を見る訳で、その鏡が風呂場にある所以ゆえんで、しこうしてその鏡が一つしかないと云う事実であるちうわけや。

風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来とる以上は鏡が離魂病りこんびょうかかったのかまたは主人が風呂場から持って攻めて来よったに相違ないちうわけや。持って攻めて来よったとするやろ、ほしたら何のために持って攻めて来よったのやろうわ。せやなかったら例の消極的修養に必要な道具かも知れへん。むかし或る学者が何とかいう智識をうたら、和尚おしょう両肌を抜いでかわらしておられたちうわけや。何をこしらえなさると質問をしたら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやっておるトコやと答えたちうわけや。ほんで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎を磨して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚からからと笑いながらそうか、それややめよ、なんぼ書物を読んでも道はわからぬのもそないなものやろとののしったと云うから、主人もそないな事を聞きかじって風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しとるのかも知れへん。大分だいぶ物騒になって攻めて来よったなと、そっとうかがっとる。

かくとも知らぬ主人ははなはだ熱心なる容子ようすをもって一張来いっちょうらいの鏡を見つめとる。元来鏡ちうものは気味の悪いものであるちうわけや。深夜蝋燭ろうそくを立てて、広い部屋のなかで一人鏡をのぞき込むにはよほどの勇気がいるそうや。吾輩やらなんやらは始めて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はっと仰天ぎょうてんして屋敷のまわりを三度け回ったくらいであるちうわけや。いかに白昼といえども、主人のようにかく一生懸命に見つめとる以上はオノレでオノレの顔がこわくなるに相違ないちうわけや。ただ見てさえあまり気味のええ顔やないちうわけや。ややあって主人は「なるほどきたない顔や」とひとごとを云ったちうわけや。自己の醜を自白するのはなかなか見上げたものや。様子から云うとたしかに気違の所作しょさやけど言うことは真理であるちうわけや。これがもう一歩進むと、おのれの醜悪な事がこわくなるちうわけや。人間は吾身が怖ろしい悪党であると云う事実を徹骨徹髄に感じた者でないと苦労人とは云えへん。苦労人でないととうてい解脱げだつは出来ないちうわけや。主人もここまで攻めて来よったらついでに「おおこわいちうわけや」とでも云いそうなものであるがなかなか云いまへん。「なるほどきたない顔や」と云ったあとで、何を考え出したか、ぷうっとっぺたをふくらたんや。そうしてふくれた頬っぺたを平手ひらてで二三度たたいて見るちうわけや。何のまじないだか分りまへん。この時吾輩は何だかこの顔に似たものがあるらしいと云う感じがしたちうわけや。よくよく考えて見るとそれは御三おはんの顔であるちうわけや。ついでやから御三の顔をちーとばかし紹介するが、それはそれはふくれたものであるちうわけや。この間さる人が穴守稲荷あなもりいなりから河豚ふぐ提灯ちょうちんをみやげに持って来てくれたが、ちょうどあの河豚提灯ふぐちょうちんのようにふくれとる。あまりふくれ方が残酷やので眼は両方共紛失しとる。もっとも河豚のふくれるのは万遍なく真丸まんまるにふくれるのやけど、お三とくると、元来の骨格が多角性であって、その骨格通りにふくれ上がるのやから、まるで水気すいきになやんでいる六角時計のようなものや。御三が聞いたらさぞおこるやろうから、御三はこのくらいにしてまた主人の方に帰るが、かくのごとくあらん限りの空気をもってっぺたをふくらませたる彼はぜん申す通り手のひらでほっぺたを叩きながら「このくらい皮膚が緊張するとあばたも眼につかん」とまたひとごとをいったちうわけや。

こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見るちうわけや。「こうして見るとエライ目立つ。やっぱりまともに日の向いてる方がたいらに見えるちうわけや。奇体な物だなあ」と大分だいぶ感心した様子やった。ほんで右翼の手をうんとのばして、出来るだけ鏡を遠距離に持って行って静かに熟視しとる。「このくらい離れるとそないなでもないちうわけや。やはり近過ぎるといかん。⸺顔ばかりやない何でもそないなものや」と悟ったようなことを云うわ。次に鏡を急に横にしたちうわけや。そうして鼻の根を中心にして眼や額やまゆをいっぺんにこの中心に向ってくしゃくしゃとあつめたちうわけや。見るからに不愉快な容貌ようぼうが出来上ったと思ったら「いやこれは駄目や」と当人も気がついたと見えて早々そうそうやめてしもた。「なんでやねんこないなに毒々しい顔やろうわ」と少々不審のていで鏡を眼を去る三寸ばかりの所へ引き寄せるちうわけや。右翼の人指しゆびで小鼻をでて、撫でた指の頭を机の上にあった吸取すいとがみの上へ、うんと押しつけるちうわけや。吸い取られた鼻のあぶらるく紙の上へ浮き出したちうわけや。いろいろな芸をやるものや。ほんで主人は鼻の膏を塗抹とまつした指頭しとうを転じてぐいと右翼眼うがん下瞼したまぶたを裏返して、俗に云うべっかんこうを見事にやって退けたちうわけや。あばたを研究しとるのか、鏡とにらくらをしとるのかその辺は少々不明であるちうわけや。気の多い主人の事やから見とるうちにいろいろになると見えるちうわけや。それどころではおまへん。もし善意をもって蒟蒻こんにゃく問答的もんどうてきに解釈してやれば主人は見性自覚けんしょうじかく方便ほうべんとしてかように鏡を相手にいろいろな仕草しぐさを演じとるのかも知れへん。ずぅぇえええぇぇええんぶ人間の研究と云うものは自己を研究するのであるちうわけや。天地と云い山川はんせんと云い日月じつげつと云い星辰せいしんと云うも皆自己の異名いみょうに過ぎぬ。自己をいて他に研究すべき事項はどなたはん人たれびとにも見出みいだし得ぬ訳や。もし人間が自己以外に飛び出す事が出攻めて来よったら、飛び出す途端に自己はなくなってしまうわ。しかも自己の研究は自己以外にどなたはんもしてくれる者はないちうわけや。なんぼ仕てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談であるちうわけや。それやから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になりよった。人のお蔭で自己が分るくらいなら、オノレの代理に牛肉を喰わして、堅いか柔かいか判断の出来る訳や。あしたに法を聴き、ゆうべに道を聴き、梧前灯下ごぜんとうかに書巻を手にするのは皆この自証じしょう挑撥ちょうはつするの方便ほうべんに過ぎぬ。人の説く法のうち、他の弁ずる道のうち、乃至ないし五車ごしゃにあまる蠧紙堆裏としたいりに自己が存在する所以ゆえんがないちうわけや。あれば自己の幽霊であるちうわけや。もっともある場合において幽霊は無霊むれいより優るかも知れへん。影を追えば本体に逢着ほうちゃくする時がないとも限らぬ。ようけの影は大抵本体を離れぬものや。この意味で主人が鏡をひねくっとるなら大分だいぶ話せる男や。エピクテタスやらなんやらを鵜呑うのみにして学者ぶるよりもはるかにましだと思うわ。

鏡は己惚うぬぼれの醸造器であるごとく、いっぺんに自慢の消毒器であるちうわけや。もし浮華虚栄の念をもってこれに対する時はこれほど愚物を煽動せんどうする道具はないちうわけや。昔から増上慢ぞうじょうまんをもっておのれを害し他をそこのうた事蹟じせきの三分の二はたしかに鏡の所作しょさであるちうわけや。仏国革命の当時物好きな御医者はんが改良首きり器械を発明して飛んだ罪をつくったように、始めて鏡をこしらえた人も定めし寝覚ねざめのわるい事やろうわ。せやけどダンさんオノレに愛想あいその尽きかけた時、自我の萎縮した折は鏡を見るほど薬になる事はないちうわけや。妍醜瞭然けんしゅうりょうぜんや。こないな顔でよくまあ人でそうろうりかえって今日こんにちまで暮らされたものだと気がつくにきまっとる。そこへ気がついた時が人間の生涯しょうがい中もっともありがたい期節であるちうわけや。オノレでオノレの馬鹿を承知しとるほどたっとく見える事はないちうわけや。この自覚性じかくせい馬鹿ばかの前にはあらゆるえらがり屋がことごとく頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人は昂然こうぜんとして吾を軽侮けいぶ嘲笑ちょうしょうしとるつもりでも、ウチから見るとその昂然たるトコロが恐れ入って頭を下げとる事になるちうわけや。主人は鏡を見ておのれの愚を悟るほどの賢者ではあるまいちうわけや。せやけどダンさん吾が顔に印せられる痘痕とうこんめいくらいは公平に読み得る男であるちうわけや。顔の醜いのを自認するのは心のいやしきを会得えとくする楷梯かいていにもなろうわ。たのもしい男や。これも哲学者からやり込められた結果かも知れぬ。

かように考えながらなお様子をうかがっとると、それとも知らぬ主人は思う存分あかんべえをしたあとで「大分だいぶ充血しとるようや。やっぱり慢性結膜炎や」と言いながら、人さし指の横つらでぐいぐい充血したまぶたをこすり始めたちうわけや。大方おおかたかゆいのやろうけれども、たださえあないなに赤くなっとるものを、こうこすってはたまるまいちうわけや。遠からぬうちに塩鯛しおだいの眼玉のごとく腐爛ふらんするにきまってるちうわけや。やがて眼をひらいて鏡に向ったトコを見ると、果せるかやらなんやらんよりとして北国の冬空のように曇っとった。もっとも平常ふだんからあまり晴れ晴れしい眼ではおまへん。誇大な形容詞を用いると混沌こんとんとして黒眼と白眼が剖判ほうはんせんくらい漠然ばくぜんとしとる。彼の精神が朦朧もうろうとして不得要領ていに一貫しとるごとく、彼の眼も曖々然あいあいぜん昧々然まいまいぜんとしてとこしえに眼窩がんかの奥にただようとる。これは胎毒たいどくのためだとも云うし、せやなかったら疱瘡ほうそうの余波だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙の厄介になりよった事もあるそうやけど、せっかく母親の丹精も、あるにその甲斐かいあらばこそ、今日こんにちまで生れた当時のまんまでぼんやりしとる。吾輩ひそかに思うにこの状態は決して胎毒や疱瘡のためではおまへん。彼の眼玉がかように晦渋溷濁かいじゅうこんだくの悲境に彷徨ほうこうしとるのは、とりも直さず彼の頭脳が不透不明ふとうふめいの実質から構成されていて、その作用が暗憺溟濛あんたんめいもうの極に達しとるから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親にいらぬ心配を掛けたんやろうわ。煙たって火あるを知り、まなこ濁ってなるを証す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭てんぽうせんのごとく穴があいとるから、彼の眼もまた天保銭と同じく、大きな割合に通用せんに違ないちうわけや。

今度はひげをねじり始めたちうわけや。元来から行儀のよくない髯でみんな思い思いの姿勢をとってえとる。なんぼ個人主義が流行はやる世の中だって、こう町々まちまち我儘ワガママを尽くされては持主の迷惑はさこそと思いやられる、主人もここにかんがみるトコあって近頃はおおいに訓練を与えて、出来る限り系統的に按排あんばいするように尽力しとる。その熱心の功果こうかむなしからずして昨今ようやっと歩調がちびっとととのうようになって攻めて来よった。本日この時までは髯がえておったさかいあるが、きょうびは髯を生やしとるのだと自慢するくらいになりよった。熱心は成効の度に応じて鼓舞こぶせられるものであるから、吾が髯の前途有望なりと見てとって主人は朝な夕な、手がすいておれば必ずひげに向って鞭撻べんたつを加えるちうわけや。彼のアムビションは独逸ドイツ皇帝陛下のように、向上の念のさかんな髯をたくわえるにあるちうわけや。それやから毛孔けあなが横向であろうとも、下向であろうともいささか頓着なく十把一じっぱひとからげににぎっては、上の方へ引っ張り上げるちうわけや。髯もさぞかし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もあるちうわけや。がそこが訓練であるちうわけや。いやでも応でもさかにき上げるちうわけや。門外漢から見ると気の知れへん道楽のようであるが、わい者だけは至当の事と心得とる。教育者がいたずらに生徒の本性ほんせいめて、僕の手柄を見給えと誇るようなものでごうも非難すべき理由はないちうわけや。

主人が満腔まんこうの熱誠をもって髯を調練しとると、台所から多角性の御三おはんが郵便が参ったんやと、例のごとく赤い手をぬっと書斎のうちへ出したちうわけや。右翼手みぎに髯をつかみ、左翼手ひだりに鏡を持った主人は、そのまんま入口の方を振りかえるちうわけや。八の字の尾にちを命じたような髯を見るや否や御多角おたかくはいきなり台所へ引き戻して、ハハハハと御釜おかまふたへ身をもたして笑ったちうわけや。主人は平気なものであるちうわけや。悠々ゆうゆうと鏡をおろして郵便を取り上げたちうわけや。第一信は活版ずりで何だかいかめしい文字が並べてあるちうわけや。読んで見ると

拝啓いよいよ御多祥奉賀候がしたてまつりそろ回顧すれば日露の戦役は連戦連勝のいきおいに乗じて平和克復を告げ吾忠勇義烈なる将士は今や過半万歳声に凱歌を奏し国民の歓喜なあんものかこれかんさきに宣戦の大詔煥発たいしょうかんぱつせらるるや義勇公に奉じたる将士は久しく万里の異境にりてく寒暑の苦難を忍び一意戦闘に従事しめいを国家に捧げたるの至誠は永く銘して忘るべからざる所なりしこうして軍隊の凱旋は本月を以てほとんど終了を告げんとす依って本会は来る二十五日を期し本区内一千有余の出征将校下士卒に対し本区民一般を代表し以て一大凱旋祝賀会を開催し兼て軍人遺族を慰藉いしゃせんが為め熱誠これを迎えいささか感謝の微衷びちゅうを表したくついては各位の御協賛を仰ぎ此盛典を挙行するのさいわいを得ば本会の面目不過之これにすぎずと存そろ何卒なにとぞ御賛成ふるって義捐ぎえんあらんことを只管ひたすら希望の至にえずそろ敬具

とあって差し出し人は華族様であるちうわけや。主人は黙読一過ののち直ちに封の中へ巻き納めて知らん顔をしとる。義捐やらなんやらはワイが思うにはしそうにないちうわけや。せんだって東北凶作の義捐金を二円とか三円とか出してから、逢う人ごとに義捐をとられた、とられたと吹聴ふいちょうしとるくらいであるちうわけや。義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないにはきまっとる。泥棒にあったさかいはあるまいし、とられたとは不穏当であるちうわけや。しかるにも関せず、盗難にでもかかったかのごとくに思ってるらしい主人がいかに軍隊の歓迎だと云って、いかに華族様の勧誘だと云って、強談ごうだんで持ちかけたらいざ知らず、活版の手紙くらいで金銭を出すような人間とは思われへん。主人から云えば軍隊を歓迎する前にまずオノレを歓迎したいのであるちうわけや。オノレを歓迎したあとなら大抵のものは歓迎しそうであるが、オノレが朝夕ちょうせきつかえる間は、歓迎は華族様にまかせておく了見らしいちうわけや。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、これも活版や」と云ったちうわけや。

時下秋冷のこうそろ処貴家益々御隆盛の段奉賀上候がしあげたてまつりそろのぶれば本校儀も御承知の通り一昨々年以来二三野心家の為めに妨げられ一時其極に達し候得共そうらえども是れ皆不肖針作ふしょうしんさくが足らざる所に起因すと存じ深くみずかいましむる所あり臥薪甞胆がしんしょうたん其の苦辛くしんの結果ようやここに独力以て我が理想に適するだけの校舎新築費を得るの途を講じそろは別義にも御座なく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊出版の義に御座そろ本書は不肖針作しんさくが多年苦心研究せる工芸上の原理原則にのっとり真に肉を裂き血を絞るの思をして著述せるものに御座そろって本書をあまねく一般の家庭へ製本実費に些少さしょうの利潤を附して御購求ごこうきゅうを願い一面斯道しどう発達の一助となすといっぺんに又一面には僅少きんしょうの利潤を蓄積して校舎建築費に当つる心算つもりに御座そろ依っては近頃何共なんとも恐縮の至りに存じ候えども本校建築費中へ御寄附被成下なしくださる御思召おぼしめここに呈供仕そろ秘術綱要一部を御購求の上御侍女の方へなりとも御分与被成下候なしくだされそろて御賛同の意を御表章被成下度なしくだされたく伏して懇願仕そろ匇々そうそう敬具

大大日本帝国女子裁縫最高等大学院

校長  縫田針作ぬいだしんさく 九拝

とあるちうわけや。主人はこの鄭重ていちょうなる書面を、冷淡に丸めてぽんと屑籠くずかごの中へほうり込んや。せっかくの針作君の九拝も臥薪甞胆も何の役にも立たなかったのは気の毒であるちうわけや。第三信にかかるちうわけや。第三信はすこぶる風変りの光彩を放っとる。状袋が紅白のだんだらで、あめぼうの看板のごとくはなやかなる真中に珍野苦沙弥ちんのくしゃみ先生虎皮下こひか八分体はっぷんたいで肉太にしたためてあるちうわけや。中からおはんが出るかどやか受け合いまへんがおもてだけはすこぶる立派なものや。

し我を以て天地を律すれば一口ひとくちにして西江せいこうの水を吸いつくすべく、し天地を以て我を律すれば我はすなわ陌上はくじょうの塵のみ。すべからくえ、天地と我と什麼いんもの交渉かあるちうわけや。……始めて海鼠なまこを食いいだせる人は其胆力に於て敬すべく、始めて河豚ふぐきつせるおとこは其勇気において重んずべし。海鼠をくらえるものは親鸞しんらんの再来にして、河豚ふぐを喫せるものは日蓮にちれんの分身なり。苦沙弥先生の如きに至ってはただ干瓢かんぴょう酢味噌すみそを知るのみ。干瓢の酢味噌をくらって天下の士たるものは、われいまこれを見ず。……

親友もなんじを売るべし。父母ふぼも汝にわいわたくしあるべし。愛人も汝を棄つべし。富貴ふっきもとより頼みがたかるべし。爵禄しゃくろく一朝いっちょうにして失うべし。汝の頭中に秘蔵する学問にはかびえるべし。汝何をたのまんとするか。天地のうちに何をたのまんとするか。神? 神は人間の苦しまぎれに捏造でつぞうせる土偶どぐうのみ。人間のせつなぐその凝結せる臭骸のみ。たのむまじきを恃んで安しと云うわ。咄々とつとつ、酔漢みだりに胡乱うろんの言辞を弄して、蹣跚まんはんとして墓に向うわ。油尽きてとうおのずから滅す。業尽きて何物をかのこす。苦沙弥先生シブロクヨンキュー御茶でも上がれ。……

人を人と思わざればおそるる所なし。人を人と思わざるものが、吾を吾と思わざる世をいきどおるは如何いかん。権貴栄達の士は人を人と思わざるに於て得たるが如し。ただひとの吾を吾と思わぬ時に於て怫然ふつぜんとして色をす。任意に色を作し来れ。馬鹿野郎。……

吾の人を人と思うとき、ひとの吾を吾と思わぬ時、不平家は発作的ほっさてき天降あまくだるちうわけや。此発作的活動を名づけて革命ちう。革命は不平家の所為にあらず。権貴栄達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人参にんじん多し先生何が故に服せざるちうわけや。

在巣鴨  天道公平てんどうこうへい 再拝

針作君は九拝やったが、この男は単に再拝だけであるちうわけや。寄附金の依頼でないだけに七拝ほど横風おうふうに構えとる。寄附金の依頼ではおまへんがその代りすこぶる分りにくいものや。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は充分あるのやから、頭脳の不透明をもって鳴る主人は必ず寸断寸断ずたずたに引き裂いてしまうやろうとおもいのほか、打ち返し打ち返し読み直しとる。こないな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味をきわめようちう決心かも知れへん。およそ天地のかんにわからんものは沢山あるが意味をつけてつかないものは一つもないちうわけや。どないなややこしい文章でも解釈しようとするやろ、ほしたら容易に解釈の出来るものや。人間は馬鹿であると云おうが、人間は利口であると云おうが手もなくわかる事や。それどころではおまへん。人間は犬であると云っても豚であると云っても別に苦しむほどの命題ではおまへん。山は低いと云っても構わん、宇宙は狭いと云ってもつかえはないちうわけや。烏が白くて小町が醜婦で苦沙弥先生が君子でも通らん事はないちうわけや。やからこないな無意味な手紙でも何とかとか理窟りくつさえつければどうとも意味はとれるちうわけや。ことに主人のように知らぬ毛唐のセリフを無理矢理にこじ附けて説明し通して攻めて来よった男はなおさら意味をつけたがるのであるちうわけや。天気の悪るいのになんでやねんグード・モーニングやろかと生徒に問われて七日間なぬかかん考えたり、てんてんバスと云う名は祖国語で何と云いますわかと聞かれて三日三晩かかって答を工夫するくらいな男には、干瓢かんぴょう酢味噌すみそが天下の士であろうと、朝鮮の仁参にんじんを食って革命を起そうと随意な意味は随処にき出る訳であるちうわけや。主人はちーとの間してグード・モーニング流にこの難解な言句ごんくを呑み込んだと見えて「なかなか意味深長や。何でもよほど哲理を研究した人に違ないちうわけや。天晴あっぱれな見識や」とエライ賞賛したちうわけや。この一言いちごんでも主人のなトコはよく分るが、ひるがえって考えて見るといささかもっともな点もあるちうわけや。主人は何に寄らずわからぬものをありがたがる癖を有しとる。これはあながち主人に限った事でもなかろうわ。分らぬトコには馬鹿に出来ないものが潜伏して、測るべからざる辺には何だか気高けだかい心持が起るものや。それやから俗人はわからぬ事をわかったように吹聴ふいちょうするにもかかわらず、学者はわかった事をわからぬように講釈するちうわけや。大学の講義でもわからん事を喋舌しゃべる人は評判がよくってわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れるちうわけや。主人がこの手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではおまへん。その主旨が那辺なへんに存するかほとんどとらえ難いからであるちうわけや。急に海鼠なまこが出て攻めて来よったり、せつなぐそが出てくるからであるちうわけや。やから主人がこの文章を尊敬する唯一の理由は、道家どうけで道徳経を尊敬し、儒家じゅか易経えききょうを尊敬し、禅家ぜんけ臨済録りんざいろくを尊敬すると一般でまるっきし分らんからであるちうわけや。ただしさらさら分らんでは気がすまんから勝手な註釈をつけてわかった顔だけはするちうわけや。わからんものをわかったつもりで尊敬するのは昔から愉快なものであるちうわけや。⸺主人はうやうやしく八分体はっぷんたいの名筆を巻き納めて、これを机上に置いたまんま懐手ふトコでをして冥想めいそうに沈んでいるちうわけや。

トコへ「頼む頼む」と玄関から大きな声で案内を乞う者があるちうわけや。声は迷亭のようやけど、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んでいるちうわけや。主人は先から書斎のうちでその声を聞いとるのやけど懐手のまんまごうも動こうとせん。取次に出るのは主人の役目でないちう主義か、この主人は決して書斎から挨拶をした事がないちうわけや。下女は先刻さっき洗濯せんたく石鹸シャボンを買いに出たちうわけや。細君ははばかりであるちうわけや。すると取次に出べきものは吾輩だけになるちうわけや。吾輩だって出るのはいやや。すると客人は沓脱くつぬぎから敷台へ飛び上がって障子を開け放ってつかつか上り込んで攻めて来よった。主人も主人やけど客も客や。座敷の方へ行ったなと思うとふすまを二三度あけたりてたりして、今度は書斎の方へやってくるちうわけや。

「おい冗談じょうだんやないちうわけや。何をしとるんだ、御客はんだよ」

「おや君か」

「おや君かもないもんや。そこにいるなら何とか云えばええのに、まるで空家あきやのようやないか」

「うん、ちと考え事があるもんやから」

「考えとったって通れくらいは云えるやろうわ」

「云えん事もないさ」

「相変らず度胸がええね」

「せんだってから精神の修養をつとめとるんだもの」

「物好きだな。精神を修養して返事が出来なくなりよった日には来客は御難やね。そないなに落ちつかれちゃ困るんだぜ。実は僕一人攻めて来よったんやないよ。エライ御客はんを連れて攻めて来よったんだよ。ちーとばかし出て逢ってくれ給え」

「どなたはんを連れて攻めて来よったんだいちうわけや」

「どなたはんでもええからちーとばかし出て逢ってくれたまえ。是非君に逢いたいと云うんやから」

「どなたはんだいちうわけや」

「どなたはんでもええから立ちたまえ」

主人は懐手ふトコでのまんまぬっと立ちながら「また人をかつぐつもりやろうわ」と椽側えんがわへ出て何の気もつかんと客間へ這入はいり込んや。すると六尺の床を正面に一個の老人が粛然しゅくぜん端坐たんざしてひかえとる。主人は思わず懐から両手を出してぺたりと唐紙からかみそばへ尻を片づけてしもた。これでは老人と同じく西向きであるから双方共挨拶のしようがないちうわけや。昔堅気むかしかたぎの人は礼義はやかましいものや。

「さあどうぞあれへ」と床の間の方を指して主人をうながす。主人は両三年前までは座敷はどこへ坐っても構わんものと心得とったのやけど、そのある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段のの変身したもので、上使じょうしが坐わる所だと悟って以来決して床の間へは寄りつかない男であるちうわけや。ことに見ず知らずの年長者ががんと構えとるのやから上座じょうざどころではおまへん。挨拶さえろくには出来ないちうわけや。一応頭をさげて

「さあどうぞあれへ」と向うの云う通りを繰り返したちうわけや。

「いやほなら御挨拶が出来かねまっしゃろから、どうぞあれへ」

「いえ、ほなら……どうぞあれへ」と主人はええ加減に先方の口上を真似とる。

「どうもそう、御謙遜ごけんそんでは恐れ入るちうわけや。かえって手前が痛み入るちうわけや。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」

「御謙遜では……恐れまっしゃろから……どうか」主人は真赤まっかになって口をもごもご云わせとる。精神修養もあまり効果がないようであるちうわけや。迷亭君はふすまの影から笑いながら立見をしとったが、もうええ時分だと思って、うしろから主人の尻を押しやりながら

「まあ出たまえ。そう唐紙からかみへくっついては僕が坐る所がないちうわけや。遠慮せんと前へ出たまえ」と無理に割り込んでくるちうわけや。主人はやむを得ず前の方へすり出るちうわけや。

「苦沙弥君これが毎々君に噂をする静岡の伯父だよ。伯父はんこれが苦沙弥君や」

「いや始めて御目にかかるんや、毎度迷亭が出て御邪魔を致すそうで、いつか参上の上御高話を拝聴致そうと存じておったんやトコ、幸い今日こんにちは御近所を通行致したもので、御礼かたがた伺った訳で、どうぞ御見知りおかれまして今後共よろしく」とむかし風な口上をよどみなく述べたてるちうわけや。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こないな古風なじいはんとはほとんど出会った事がないのやから、最初から多少うての気味で辟易へきえきしとったトコへ、滔々とうとうと浴びせかけられたのやから、朝鮮仁参ちょうせんにんじんあめん棒の状袋もすっかり忘れてしまってただ苦しまぎれに妙な返事をするちうわけや。

「わいも……わいも……ちーとばかし伺がうはずでおましたトコ……何分シブロクヨンキュー」と云い終って頭を少々畳から上げて見ると老人はいまだに平伏しとるので、はっと恐縮してまた頭をぴたりと着けたちうわけや。

老人は呼吸を計って首をあげながら「わいももとはウチに屋敷もって、永らく御膝元でくらしたものでがすが、瓦解がかいの折にあちらへ参ってからとんと出てこんのでな。今来て見るとまるで方角も分らんくらいで、⸺迷亭にでもれてあるいてもらわんと、どエライ用達ようたしも出来まへん。滄桑そうそうへんとは申しながら、御入国ごにゅうこく以来三百年も、あの通り将軍家の……」と云いかけると迷亭先生難儀だと心得て

「伯父はん将軍家もありがたいかも知れまへんが、明治のも結構やぜ。昔は赤十字なんてものもなかったでっしゃろ」

「それはないちうわけや。赤十字やらなんやらと称するものはまるっきしないちうわけや。ことに宮様の御顔を拝むやらなんやらと云う事は明治の御代みよでなくては出来ぬ事や。わしも長生きをした御蔭でこの通り今日こんにちの総会にも出席するし、宮殿下の御声もきくし、もうこれで死んでもええ」

「まあ久し振りで東京見物をするだけでも得や。苦沙弥君、伯父はね。今度赤十字の総会があるのでわざわざ静岡から出て来てね、今日いっしょに上野へ出掛けたんやけど今その帰りがけなんだよ。それやからこの通り先日僕が白木屋へ注文したフロックコートを着とるのさ」と用心するちうわけや。なるほどフロックコートを着とる。フロックコートは着とるがすこしもからだに合いまへん。そでが長過ぎて、えりがおっぴらいて、背中せなかへ池が出来て、わきの下が釣るし上がっとる。なんぼ不恰好ぶかっこうに作ろうと云ったって、こうまで念を入れて形をくずす訳にはゆかないやろうわ。その上白シャツと白襟しろえりが離れ離れになって、あおむくと間から咽喉仏のどぼとけが見えるちうわけや。第一黒い襟飾りが襟に属しとるのか、シャツに属しとるのか判然はんぜんせん。フロックはまだ我慢が出来るが白髪しらがのチョンまげははなはだ奇観であるちうわけや。評判の鉄扇てっせんはどうかと目をけると膝の横にちゃんと引きつけとる。主人はこの時ようやっと本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いたちうわけや。まさか迷亭の話ほどではなかろうと思っとったが、逢って見ると話以上であるちうわけや。もしオノレのあばたが歴史的研究の材料になるならば、この老人のチョンまげや鉄扇はたしかにそれ以上の価値があるちうわけや。主人はどうかしてこの鉄扇の由来を聞いて見たいと思ったが、まさか、打ちつけに質問する訳には行かず、と云って話を途切らすのも礼に欠けると思って

「だいぶ人が出たんやろうわ」ときわめて尋常な問をかけたちうわけや。

「いや非常な人で、それでその人が皆わしをじろじろ見るので⸺どうも近来は人間が物見高くなりよったようでがすな。むかしはあないなではなかったが」

「ええ、さよう、昔はそないなではなかったやな」と老人らしい事を云うわ。これはあながち主人が高振たかぶりをした訳ではおまへん。ただ朦朧もうろうたる頭脳から好い加減に流れ出す言語と見ればつかえへん。

「それにな。皆この甲割かぶとわりへ目を着けるので」

「その鉄扇は大分だいぶ重いものでございまひょ」

「苦沙弥君、ちーとばかし持って見たまえ。なかなか重いよ。伯父はん持たして御覧なさいちうわけや」

老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷くろだに参詣人はんけいにん蓮生坊れんしょうぼう太刀たちいただくようなかたで、苦沙弥先生ちーとの間持っとったが「なるほど」と云ったまんま老人に返却したちうわけや。

「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割かぶとわりとなえて鉄扇とはまるで別物で……

「へえ、何にしたものでございまひょ」

「兜を割るので、⸺敵の目がくらむ所をちとったものでがす。楠正成くすのきまさしげ時代から用いたようで……

「伯父はん、そりゃ正成の甲割やろかね」

「いえ、これはどなたはんのかわからん。せやけどダンさん時代は古くさい。建武時代けんむじだいの作かも知れへん」

「建武時代かも知れへんが、寒月君は弱っておったんやぜ。苦沙弥君、今日帰りにちょうどええ機会やから大学を通り抜けるついでに理科へ寄って、物理の実験室を見せて貰ったトコロがね。この甲割が鉄だものやから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」

「いや、そないなはずはないちうわけや。これは建武時代の鉄で、しょうのええ鉄やから決してそないなおそれはないちうわけや」

「なんぼ性のええ鉄だってそうはいきまへんよ。現に寒月がそう云ったから仕方がないや」

「寒月ちうのは、あのガラスだまっとる男かいちうわけや。今の若さに気の毒な事や。もうちびっと何ぞやる事がありそうなものや」

可愛想かわいそうに、あれだって研究でさあ。あの球を磨り上げると立派な学者になれるんやろからね」

「玉をりあげて立派な学者になれるなら、どなたはんにでも出来るちうわけや。わしにでも出来るちうわけや。ビードロやの主人にでも出来るちうわけや。ああ云う事をする者を漢土かんどでは玉人きゅうじんと称したもので至って身分の軽いものや」と云いながら主人の方を向いて暗に賛成を求めるちうわけや。

「なるほど」と主人はかしこまっとる。

「ずぅぇえええぇぇええんぶ今の世の学問は皆形而下けいじかの学でちーとばかし結構なようやけど、いざとなるとすこしも役には立ちまへんてな。昔はそれと違ってさむらいは皆命懸いのちがけの商買しょうばいやから、いざと云う時に狼狽ろうばいせぬように心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうがなかなか玉を磨ったり針金をったりするような容易たやすいものではなかったさかいがすよ」

「なるほど」とやはりかしこまっとる。

「伯父はん心の修業と云うものは玉を磨る代りに懐手ふトコでをして坐り込んでるんでっしゃろ」

「それやから困るちうわけや。決してそないな造作ぞうさのないものではおまへん。孟子もうし求放心きゅうほうしんと云われたくらいや。邵康節しょうこうせつ心要放しんようほうと説いた事もあるちうわけや。また仏家ぶっかでは中峯和尚ちゅうほうおしょうと云うのが具不退転ぐふたいてんと云う事を教えとる。なかなか容易には分らん」

「とうてい分りっこおまへんね。全体どうすればええんや」

「御前は沢菴禅師たくあんぜんじ不動智神妙録ふどうちしんみょうろくちうものを読んだ事があるかいちうわけや」

「えええ、聞いた事もおまへん」

「心をどこに置こうぞ。敵の身のはたらきに心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀たちに心を置けば、敵の太刀に心を取らるるなり。敵を切らんと思うトコに心を置けば、敵を切らんと思うトコに心を取らるるなり。わが太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるるなり。われ切られじと思うトコに心を置けば、切られじと思うトコに心を取らるるなり。人のかまえに心を置けば、人の構に心を取らるるなり。とかく心の置きどころはないとあるちうわけや」

「よく忘れんと暗誦あんしょうしたものやね。伯父はんもなかなか記憶がええ。長いやおまへんか。苦沙弥君分ったかいちうわけや」

「なるほど」と今度もなるほどやましてしもた。

「なあ、あんさん、そうでござりまひょ。心をどこに置こうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるるなり。敵の太刀に心を置けば……

「伯父はん苦沙弥君はそないな事は、よく心得とるんや。近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりしとるんやろから。客があっても取次に出ななんぼい心を置き去りにしとるんやから大丈夫や」

「や、それは御奇特ごきどくな事で⸺御前やらなんやらもちとごいっしょにやったらよかろうわ」

「へへへそないな暇はおまへんよ。伯父はんはオノレが楽なからだだもんやから、人も遊んでると思っていらっしゃるんでっしゃろ」

「実際遊んでるやないかの」

「トコロが閑中かんちゅうおのずからぼうありでね」

「そう、粗忽そこつやから修業をせんといかないと云うのよ、忙中おのずかかんありと云う成句せいくはあるが、閑中自ら忙ありと云うのは聞いた事がないちうわけや。なあ苦沙弥はん」

「ええ、どうも聞きまへんようで」

「ハハハハそうなっちゃあかないまへん。時に伯父はんどうや。久し振りで東京のうなぎでも食っちゃあ。竹葉ちくようでもおごりまひょ。これから電車で行くとすぐや」

「鰻も結構やけど、今日はこれからすいはらへ行く約束があるから、わしはこれで御免をこうむろうわ」

「ああ杉原すぎはらやろか、あのじいはんも達者やね」

杉原すぎはらではおまへん、すいはらさ。御前はよく間違ばかり云って困るちうわけや。他人の姓名を取り違えるのは失礼や。よく気をつけんといけへん」

「だって杉原すぎはらとかいてあるやおまへんか」

杉原すぎはらと書いてすいはらと読むのさ」

「妙やね」

「なに妙な事があるものか。名目読みょうもくよみと云って昔からある事さ。蚯蚓きゅういん和名わみょうみみずと云うわ。あれは目見ずの名目よみで。蝦蟆がまの事をかいると云うのと同じ事さ」

「へえ、驚ろいたな」

「蝦蟆を打ち殺すと仰向あおむきにかえる。それを名目読みにかいると云うわ。透垣すきがきすいがき茎立くきたちくく立、皆同じ事や。杉原すいはらをすぎ原やらなんやらと云うのは田舎いなかものの言葉さ。ちびっと気を付けへんと人に笑われるちうわけや」

「や、その、すい原へこれから行くんやろか。困ったな」

「なにいやなら御前は行かんでもええ。わし一人で行くから」

「一人で行けまっしゃろかいちうわけや」

「あるいてはややこしい。車を雇って頂いて、ここから乗って行こうわ」

主人はかしこまって直ちに御三おはんを車屋へ走らせるちうわけや。老人は長々と挨拶をしてチョン髷頭まげあたまへ山高帽をいただいて帰って行く。迷亭はあとへ残るちうわけや。

「あれが君の伯父はんか」

「あれが僕の伯父はんさ」

「なるほど」ともっかい座蒲団ざぶとんの上に坐ったなり懐手ふトコでをして考え込んでいるちうわけや。

「ハハハ豪傑やろうわ。僕もああ云う伯父はんを持って仕合せなものさ。どこへ連れて行ってもあの通りなんだぜ。君驚ろいたろうわ」と迷亭君は主人を驚ろかしたつもりでおおいに喜んでいるちうわけや。

「なにそないなに驚きゃせん」

「あれで驚かなけりゃ、胆力のすわったもんや」

「せやけどダンさんあの伯父はんはなかなかえらいトコロがあるようや。精神の修養を主張するトコなぞはおおいに敬服してええ」

「敬服してええかね。君も今に六十くらいになるとやっぱりあの伯父見たように、時候おくれになるかも知れへんぜ。しっかりしてくれたまえ。時候おくれの廻り持ちなんか気がかないよ」

「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方がえらいんだぜ。第一今の学問と云うものは先へ先へと行くだけで、どこまで行ったって際限はありゃせん。とうてい満足は得られやせん。そこへ行くと東洋流の学問は消極的で大にあじわいがあるちうわけや。心そのものの修業をするのやから」とせんだって哲学者から承わった通りを自説のように述べ立てるちうわけや。

「えらい事になって攻めて来よったぜ。何だか八木独仙やぎどくせん君のような事を云ってるね」

八木独仙と云う名を聞いて主人ははっと驚ろいたちうわけや。実はせんだって臥竜窟がりょうくつを訪問して主人を説服に及んで悠然ゆうぜんと立ち帰った哲学者と云うのが取も直さずこの八木独仙君であって、今主人が鹿爪しかつめらしく述べ立てとる議論はまるっきしこの八木独仙君の受売やのであるから、知らんと思った迷亭がこの先生の名を間不容髪かんふようはつの際に持ち出したのは暗に主人の一夜作りの仮鼻かりばなくじいた訳になるちうわけや。

「君独仙の説を聞いた事があるのかいちうわけや」と主人は剣呑けんのんやから念をして見るちうわけや。

「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年前学校にいた時分と今日こんにちとちびっとも変りゃせん」

「真理はそう変るものやないから、変りまへんトコロがたのもしいかも知れへん」

「まあそないな贔負ひいきがあるから独仙もあれで立ち行くんやね。第一八木と云う名からして、よく出来てるよ。あのひげが君まるっきし山羊やぎやからね。そうしてあれも寄宿舎時代からあの通りの恰好かっこうで生えとったんや。名前の独仙やらなんやらもふるったものさ。むかし僕のトコへ泊りがけに来て例の通り消極的の修養と云う議論をしてね。いつまで立っても同じ事を繰り返してやめへんから、僕が君もうようやないかと云うと、先生気楽なものさ、いや僕は眠くないとすまし切って、やっぱり消極論をやるには迷惑したね。仕方がないから君は眠くなかろうけれども、僕の方はエライ眠いのやから、どうか寝てくれたまえと頼むようにして寝かしたまではよかったが⸺その晩ねずみが出て独仙君の鼻のあたまをかじってね。夜なかに大騒ぎさ。先生悟ったような事を云うけれども命は依然として惜しかったと見えて、どエライ心配するのさ。鼠の毒が総身そうしんにまわるとエライだ、君どうかしてくれと責めるには閉口したね。ほんで仕方がないから台所へ行って紙片かみぎれへ飯粒をってごまかしてやったあね」

「どうして」

「これは舶来の膏薬こうやくで、近来独逸ドイツの名医が発明したさかい、印度人インドじんやらなんやらの毒蛇にまれた時に用いると即効があるんやから、これさえ貼っておけば大丈夫だと云ってね」

「君はその時分からごまかす事に妙を得とったんやね」

……すると独仙君はああ云う好人物やから、まるっきしだと思って安心してぐうぐう寝てしもたのさ。あくる日起きて見ると膏薬の下から糸屑いとくずがぶらさがって例の山羊髯やぎひげに引っかかっとったのは滑稽こっけいやったよ」

「せやけどダンさんあの時分より大分だいぶえらくなりよったようだよ」

「君近頃逢ったのかいちうわけや」

「一週間ばかり前に来て、長い間話しをして行ったちうわけや」

「どうりで独仙流の消極説を振り舞わすと思ったちうわけや」

「実はその時おおいに感心してしもたから、僕も大に奮発して修養をやろうと思ってるトコなんや」

「奮発は結構やけどね。あんまり人の云う事をに受けると馬鹿を見るぜ。一体君は人の言う事を何でもかでも正直に受けるからいけへん。独仙も口だけは立派なものやけどね、いざとなると御互と同じものだよ。君九年前の大地震を知ってるやろうわ。あの時寄宿の二階から飛び降りて怪我をしたものは独仙君だけなんやからな」

「あれには当人大分だいぶ説があるようやないか」

「そうさ、当人に云わせるとすこぶるありがたいものさ。禅の機鋒きほう峻峭しゅんしょうなもので、なんちうか、ようみなはんいわはるとこの石火せっかとなるとこわなんぼい早く物に応ずる事が出来るちうわけや。ほかのものが地震だと云って狼狽うろたえとるトコをオノレだけは二階の窓から飛び下りたトコに修業の効があらわれて嬉しいと云って、びっこを引きながらうれしがっとった。負惜みの強い男や。一体ぜんとかぶつとか云って騒ぎ立てる連中ほどあやしいのはないぜ」

「そうかな」と苦沙弥先生少々腰が弱くなるちうわけや。

「この間攻めて来よった時禅宗坊主の寝言ねごと見たような事を何ぞ云ってったろうわ」

「うん電光影裏でんこうえいり春風しゅんぷうをきるとか云う句を教えて行ったよ」

「その電光さ。あれが十年前からの御箱おはこなんやからおかしいよ。無覚禅師むかくぜんじの電光ときたら寄宿舎中どなたはんも知りまへんものはななんぼいやった。それに先生時々せき込むと間違えて電光影裏をさかさまに春風影裏に電光をきると云うからおもろい。今度ためして見たまえ。むこうで落ちつき払って述べたてとるトコを、こっちでいろいろ反対するんやね。するとすぐ顛倒てんとうして妙な事を云うよ」

「君のようないたずらものに逢っちゃかないまへん」

「どっちがいたずら者だか分りゃせん。僕は禅坊主だの、悟ったのは大嫌や。僕の近所に南蔵院なんぞういんと云う寺があるが、あすこに八十ばかりの隠居がいるちうわけや。それでこの間の白雨ゆうだちの時寺内じないらいが落ちて隠居のいる庭先の松の木をいてしもた。トコロが和尚おしょう泰然として平気だと云うから、よく聞き合わせて見るとからつんぼなんやね。それや泰然たる訳さ。大概そないなものさ。独仙も一人で悟っていればええのやけど、ややともすると人を誘い出すから悪いちうわけや。現に独仙の御蔭で二人ばかり気狂きちがいにされとるからな」

「どなたはんが」

「どなたはんがって。一人は理野陶然りのとうぜんさ。独仙の御蔭でおおいに禅学にり固まって鎌倉へ出掛けて行って、とうとう出先で気狂になってしもた。円覚寺えんがくじの前に汽車の踏切りがあるやろう、あの踏切りうちへ飛び込んでレールの上で座禅をするんやね。それで向うから来る汽車をとめて見せると云う大気焔だいきえんさ。もっとも汽車の方で留ってくれたから一命だけはとりとめたが、その代り今度は火にって焼けず、水に入っておぼれぬ金剛不壊こんごうふえのからだだと号して寺内じない蓮池はすいけ這入はいってぶくぶくあるき廻ったもんや」

「死んだかいちうわけや」

「その時もさいわい、道場の坊主が通りかかって助けてくれたが、その東京へ帰ってから、とうとう腹膜炎で死んでしもた。死んだのは腹膜炎やけど、腹膜炎になりよった原因は僧堂で麦飯や万年漬まんねんづけを食ったせいやから、つまるトコは間接に独仙が殺したようなものさ」

「むやみに熱中するのもししやね」と主人はちーとばかし気味のわるいちう顔付をするちうわけや。

「ホンマにさ。独仙にやられたものがもう一人同窓中にあるちうわけや」

「あぶないね。どなたはんだいちうわけや」

立町老梅君たちまちろうばいくんさ。あの男もまるっきし独仙にそそのかされてうなぎが天上するような事ばかり言っとったが、とうとう君本物になってしもた」

「本物たあ何だいちうわけや」

「とうとう鰻が天上して、豚が仙人になりよったのさ」

「何の事だい、それは」

「八木が独仙なら、立町は豚仙ぶたせんさ、あのくらい食い意地のきたない男はなかったが、あの食意地と禅坊主のわる意地が併発へいはつしたのやから助かりまへん。始めは僕らも気がつかなかったが今から考えると妙な事ばかり並べとったよ。僕のうちやらなんやらへ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしまへんかの、僕の国では蒲鉾かまぼこが板へ乗って泳いでいますわのって、しきりに警句を吐いたものさ。ただ吐いとるうちはよかったが君表のどぶきんとんを掘りに行きまひょとうながすに至っては僕も降参したね。ほんで二三日にはんちするとついに豚仙になって巣鴨へ収容されてしもた。元来豚なんぞが気狂になる資格はないんやけど、まるっきし独仙の御蔭であすこまで漕ぎ付けたんやね。独仙の勢力もなかなかえらいよ」

「へえ、今でも巣鴨にいるのかいちうわけや」

「いるだんやないちうわけや。自大狂じだいきょう大気焔だいきえんを吐いとる。近頃は立町老梅なんて名はしょーもないと云うので、みずか天道公平てんどうこうへいと号して、天道の権化ごんげをもって任じとる。すさまじいものだよ。まあちーとばかし行って見たまえ」

「天道公平?」

「天道公平だよ。気狂の癖にうまい名をつけたものやね。時々は孔平こうへいとも書く事があるちうわけや。それで何でも世人が迷ってるからぜひ救ってやりたいと云うので、むやみに友人や何ぞへ手紙を出すんやね。僕も四五通貰ったが、中にはなかなか長い奴があって不足税を二度ばかりとられたよ」

「それや僕のとこへ攻めて来よったのも老梅から攻めて来よったんや」

「君の所へも攻めて来よったかいちうわけや。そいつは妙や。やっぱり赤い状袋やろうわ」

「うん、真中が赤くて左翼右翼が白いちうわけや。一風変った状袋や」

「あれはね、わざわざ支那から取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中間にって赤しと云う豚仙の格言を示したんだって……

「なかなか因縁いんねんのある状袋やね」

「気狂だけにおおいったものさ。そうして気狂になっても食意地だけは依然として存しとるものと見えて、毎回必ず食物の事がかいてあるから奇妙や。君の所へも何とか云って攻めて来よったろうわ」

「うん、海鼠なまこの事がかいてあるちうわけや」

「老梅は海鼠が好きやったからね。もっともや。ほんで?」

「ほんで河豚ふぐ朝鮮仁参ちょうせんにんじんか何ぞ書いてあるちうわけや」

「河豚と朝鮮仁参の取り合せはうまいね。おおかた河豚を食ってあたったら朝鮮仁参をせんじて飲めとでも云うつもりなんやろうわ」

「そうでもないようや」

「そうでなくても構いまへんさ。どうせ気狂だもの。それっきりかいちうわけや」

「まだあるちうわけや。苦沙弥先生御茶でも上がれと云う句があるちうわけや」

「アハハハ御茶でも上がれはきびし過ぎるちうわけや。それでおおいに君をやり込めたつもりに違ないちうわけや。大出来や。天道公平君万歳や」と迷亭先生は面白がって、大に笑い出す。主人は少からざる尊敬をもって反覆読誦どくしょうした書翰しょかんの差出人が金箔きんぱくつきの狂人であると知ってから、最前の熱心と苦心が何だか無駄骨のような気がして腹立たしくもあり、また瘋癲病ふうてんびょう者の文章をさほど心労して翫味がんみしたかと思うと恥ずかしくもあり、ケツに狂人の作にこれほど感服する以上はオノレも多少神経に異状がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚愧ざんきと、心配の合併した状態で何だか落ちつかない顔付をしてひかえとる。

折から表格子をあららかに開けて、重い靴の音が二た足ほど沓脱くつぬぎに響いたと思ったら「ちーとばかし頼みまんねん、ちーとばかし頼みまんねん」と大きな声がするちうわけや。主人の尻の重いに反して迷亭はまたすこぶる気軽な男であるから、御三おはんの取次に出るのも待たず、通れと云いながら隔ての中のを二た足ばかりに飛び越えて玄関におどり出したちうわけや。人のうちへ案内も乞わんとつかつか這入はいり込むトコは迷惑のようやけど、人のうちへ這入った以上は書生同様取次をつとめるからはなはだ便器…おっとちゃうわ、便利であるちうわけや。なんぼ迷亭でも御客はんには相違ない、その御客はんが玄関へ出張するのに主人たる苦沙弥先生が座敷へ構え込んで動かん法はないちうわけや。普通の男ならあとから引き続いて出陣すべきはずであるが、そこが苦沙弥先生であるちうわけや。平気に座布団の上へ尻を落ちつけとる。ただし落ちつけとるのと、落ちついとるのとは、その趣は大分だいぶ似とるが、その実質はよほどちゃう。

玄関へ飛び出した迷亭は何ぞしきりに弁じとったが、やがて奥の方を向いて「おい御主人ちーとばかし御足労やけど出てくれたまえ。君でなくっちゃ、間に合いまへん」と大きな声を出す。主人はやむを得ず懐手ふトコでのまんまのそりのそりと出てくるちうわけや。見ると迷亭君は一枚の名刺を握ったまんましゃがんで挨拶をしとる。すこぶる威厳のない腰つきであるちうわけや。その名刺には警視庁刑事巡査吉田虎蔵よしだとらぞうとあるちうわけや。虎蔵君と並んで立っとるのは二十五六のせいの高い、いなせ唐桟とうざんずくめの男であるちうわけや。妙な事にこの男は主人と同じく懐手をしたまんま、無言で突立つったっとる。何だか見たような顔だと思ってよくよく観察すると、見たようやらなんやらころやないちうわけや。この間深夜御来訪になってやまいもを持って行かれた泥棒君であるちうわけや。おや今度は白昼公然と玄関からおいでになりよったな。

「おいこのかたは刑事巡査でせんだっての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろと云うんで、わざわざおいでになりよったんだよ」

主人はようやっと刑事が踏み込んだ理由が分ったと見えて、頭をさげて泥棒の方を向いて鄭寧ていねいに御辞儀をしたちうわけや。泥棒の方が虎蔵君より男振りがええので、こっちが刑事だと早合点はやがてんをしたのやろうわ。泥棒も驚ろいたに相違ないが、まさかわいわいが泥棒やと断わる訳にも行かなかったと見えて、すまして立っとる。やはり懐手のまんまであるちうわけや。もっとも手錠てじょうをはめとるのやから、出そうと云っても出る気遣きづかいはないちうわけや。通例のものならこの様子でたいていはわかるはずやけど、この主人は当世の人間に似合わず、むやみに役人や警察をありがたがる癖があるちうわけや。御上おかみの御威光となるとどエライ恐しいものと心得とる。もっとも理論上から云うと、巡査なぞはオノレ達が金を出して番人に雇っておくのだくらいの事は心得とるのやけど、実際に臨むといやにへえへえするちうわけや。主人のおやじはその昔場末の名主やったから、上の者にぴょこぴょこ頭を下げて暮した習慣が、因果となってかように子にむくったのかも知れへん。まことに気の毒な至りであるちうわけや。

巡査はおかしかったと見えて、にやにや笑いながら「あしたね、午前九時までに大日本帝国堤にほんづつみの分署まで来てくれへんかの。⸺盗難品は何と何やったかね」

「盗難品は……」と云いかけたが、あいにく先生たいがい忘れとる。ただ覚えとるのは多々良三平たたらはんぺいの山の芋だけであるちうわけや。山の芋やらなんやらはどうでも構わんと思ったが、盗難品は……と云いかけてあとが出ないのはいかにも与太郎よたろうのようで体裁ていさいがわるいちうわけや。人が盗まれたのならいざ知らず、オノレが盗まれておきながら、明瞭の答が出来んのは一人前いちにんまえではおまへん証拠だと、思い切って「盗難品は……山の芋一箱」とつけたちうわけや。

泥棒はこの時よほどおかしかったと見えて、下を向いて着物のえりへあごを入れたちうわけや。迷亭はアハハハと笑いながら「山の芋がよほど惜しかったと見えるね」と云ったちうわけや。巡査だけは存外真面目であるちうわけや。

「山の芋は出ないようやけどほかの物件はたいがい戻ったようや。⸺まあ来て見たら分るでっしゃろ。それでね、下げ渡したら請書うけしょが入るから、印形いんぎょうを忘れんと持っておいでなさいちうわけや。⸺九時までに来なくってはいかん。大日本帝国堤にほんづつみ分署ぶんしょや。⸺浅草警察署の管轄内かんかつないの大日本帝国堤分署や。⸺それや、ほなさいなら」とひとりで弁じて帰って行く。泥棒君も続いて門を出るちうわけや。手が出せへんので、門をしめる事が出来ないから開け放しのまんま行ってしもた。恐れ入りながらも不平と見えて、主人は頬をふくらして、ぴしゃりと立て切ったちうわけや。

「アハハハ君は刑事をエライ尊敬するね。つねにああ云う恭謙きょうけんな態度を持ってるとええ男やけど、君は巡査だけに鄭寧ていねいなんやから困るちうわけや」

「だってせっかく知らせて来てくれたんやないか」

「知らせに来るったって、先はショーバイだよ。当り前にあしらってりゃ沢山や」

「せやけどダンさんただのショーバイやないちうわけや」

「無論ただのショーバイやないちうわけや。探偵と云ういけすかないショーバイさ。あたり前のショーバイより下等やね」

「君そないな事を云うと、ひどい目に逢うぜ」

「ハハハそれや刑事の悪口わるくちはやめにしようわ。せやけどダンさん刑事を尊敬するのは、まだしもやけど、泥棒を尊敬するに至っては、驚かざるを得んよ」

「どなたはんが泥棒を尊敬したいちうわけや」

「君がしたのさ」

「僕が泥棒に近付きがあるもんか」

「あるもんかって君は泥棒にお辞儀をしたやないか」

「いつ?」

「たった今平身低頭へいしんていとうしたやないか」

「馬鹿あ云ってら、あれは刑事やね」

「刑事があないななりをするものか」

「刑事やからあないななりをするんやないか」

頑固がんこだな」

「君こそ頑固や」

「まあ第一、刑事が人の所へ来てあないなに懐手ふトコでなんかして、突立つったっとるものかね」

「刑事だって懐手をせんとは限るまいちうわけや」

「そう猛烈にやって来ては恐れ入るがね。君がお辞儀をする間あいつは始終あのまんまで立っとったのだぜ」

「刑事やからそのくらいの事はあるかも知れんさ」

「どうも自信家だな。なんぼ云っても聞かないね」

「聞かないさ。君は口先ばかりで泥棒だ泥棒だと云ってるだけで、その泥棒がはいるトコを見届けた訳やないんやから。ただそう思ってひとりで強情を張ってるんや」

迷亭もここにおいてとうてい済度さいどすべからざる男と断念したものと見えて、例に似ず黙ってしもた。主人は久し振りで迷亭をへこたんやと思って大得意であるちうわけや。迷亭から見ると主人の価値は強情を張っただけ下落したつもりであるが、主人から云うと強情を張っただけ迷亭よりえらくなりよったのであるちうわけや。世の中にはこないな頓珍漢とんちんかんな事はまんまあるちうわけや。強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場ははるかに下落してしまうわ。不思議な事に頑固の本人は死ぬまでオノレは面目めんぼくを施こしたつもりかなにかで、その時以後人が軽蔑けいべつして相手にしてくれへんのだとは夢にも悟り得ないちうわけや。幸福なものであるちうわけや。こないな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうや。

「ともかくもあした行くつもりかいちうわけや」

「行くとも、九時までに来いと云うから、八時から出て行く」

「学校はどうするちうわけや」

「休むさ。学校なんか」とたたきつけるように云ったのはさかんなものやった。

「えらいいきおいやね。休んでもええのかいちうわけや」

「ええとも僕の学校は月給やから、差し引かれる気遣きづかいはない、大丈夫や」と真直に白状してしもた。ずるい事もずるいが、単純なことも単純なものや。

「君、行くのはええが路を知ってるかいちうわけや」

「知るものか。車に乗って行けば訳はないやろうわ」とぷんぷんしとる。

「静岡の伯父に譲らざる東京通なるには恐れ入るちうわけや」

「なんぼでも恐れ入るがええ」

「ハハハ大日本帝国堤分署と云うのはね、君ただの所やないよ。吉原よしわらだよ」

「何だ?」

「吉原だよ」

「あの遊廓のある吉原か?」

「そうさ、吉原と云やあ、東京に一つしかないやね。どや、行って見る気かいちうわけや」と迷亭君またからかいかけるちうわけや。

主人は吉原と聞いて、そいつはと少々逡巡しゅんじゅんていやったが、たちまち思い返して「吉原やろうが、遊廓やろうが、いったん行くと云った以上はきっと行く」と入らざるトコに力味りきんで見せたちうわけや。愚人は得てこないなトコに意地を張るものや。

迷亭君は「まあ面白かろう、見て攻めて来よったまえ」と云ったのみであるちうわけや。一波瀾ひとはらんを生じた刑事事件はこれで一先ひとま落着らくちゃくを告げたちうわけや。迷亭はほんで相変らず駄弁をろうして日暮れ方、あまり遅くなると伯父におこられると云って帰って行ったちうわけや。

迷亭が帰ってから、そこそこに晩飯をすまして、また書斎へ引き揚げた主人はもっかい拱手きょうしゅしてしものように考え始めたちうわけや。

「オノレが感服して、おおいに見習おうとした八木独仙君も迷亭の話しによって見ると、別段見習うにも及ばない人間のようであるちうわけや。のみならず彼の唱道するトコの説は何だか非常識で、迷亭の云う通り多少瘋癲的ふうてんてき系統に属してもおりそうや。いわんや彼は歴乎れっきとした二人の気狂きちがいの子分を有しとる。はなはだ危険であるちうわけや。滅多めったに近寄ると同系統内にり込まれそうであるちうわけや。オノレが文章の上において驚嘆の、これこそ大見識を有しとる偉人に相違ないと思い込んだ天道公平事てんどうこうへいこと実名じつみょう立町老梅たちまちろうばいは純然たる狂人であって、現に巣鴨の病院に起居しとる。迷亭の記述が棒大のざれ言にもせよ、彼が瘋癲院ふうてんいん中に盛名をほしいまんまにして天道の主宰をもってみずから任ずるはワイが思うには事実であろうわ。こう云うオノレもことによると少々ござっとるかも知れへん。同気相求め、同類相集まると云うから、気狂の説に感服する以上は⸺なんぼなんでもその文章言辞に同情を表する以上は⸺オノレもまた気狂に縁の近い者であるやろうわ。よし同型中に鋳化ちゅうかせられんでも軒をならべて狂人と隣り合せにきょぼくするとするやろ、ほしたら、境の壁を一重打ち抜いていつのにか同室内に膝を突き合せて談笑する事がないとも限らん。こいつはエライや。なるほど考えて見るとこのほどじゅうからオノレの脳の作用は我ながら驚くくらい奇上きじょうみょうを点じ変傍へんぼうちんを添えとる。脳漿一勺のうしょういっせきの化学的変身はとにかく意志の動いて行為となるトコ、発して言辞と化するあたりには不思議にも中庸を失した点が多いちうわけや。舌上ぜつじょう竜泉りゅうせんなく、腋下えきか清風せいふうしょうぜざるも、歯根しこん狂臭きょうしゅうあり、筋頭きんとう瘋味ふうみあるをいかんせん。いよいよエライや。ことによるともうすでに立派な患者になっとるのではおまへんかしらん。まださいわいに人をきずつけたり、世間の邪魔になる事をし出かはんからやはり町内を追払われんと、東京市民として存在しとるのではなかろうか。こいつは消極の積極のと云う段やないちうわけや。まず脈搏みゃくはくからして検査しなくてはならん。せやけどダンさん脈には変りはないようや。頭は熱いかしらん。これも別に逆上の気味でもないちうわけや。せやけどダンさんどうも心配や。」

「こうオノレと気狂きちがいばかりを比較して類似の点ばかり勘定していては、どうしても気狂の領分を脱する事は出来そうにもないちうわけや。これは方法がわるかったちうわけや。気狂を標準にしてオノレをそっちへ引きつけて解釈するからこないな結論が出るのであるちうわけや。もし健康な人を本位にしてそのそばへオノレを置いて考えて見たらせやなかったら反対の結果が出るかも知れへん。それにはまず手近から始めなくてはいかん。第一に今日攻めて来よったフロックコートの伯父はんはどや。心をどこに置こうぞ……あれも少々怪しいようや。第二に寒月はどや。朝から晩まで弁当持参でたまばかり磨いとる。これも棒組ぼうぐみや。第三にと……迷亭? あれはふざけ廻るのを天職のように心得とる。まるっきし陽性の気狂に相違ないちうわけや。第四はと……金田の妻君。あの毒悪な根性こんじょうはまるっきし常識をはずれとる。純然たる気じるしにきまってるちうわけや。第五は金田君の番や。金田君には御目に懸った事はないが、まずあの細君をうやうやしくおっ立てて、琴瑟きんしつ調和しとるトコを見ると非凡の人間と見立てて差支さしつかえあるまいちうわけや。非凡は気狂の異名いみょうであるから、まずこれも同類にしておいて構いまへん。ほんでと、⸺まだあるあるちうわけや。落雲館の諸君子だ、年齢から云うとまだ芽生えやけど、躁狂そうきょうの点においては一世をむなしゅうするに足る天晴あっぱれごうのものであるちうわけや。こう数え立てて見ると大抵のものは同類のようであるちうわけや。案外心丈夫になって攻めて来よった。ことによると社会はみんな気狂の寄り合かも知れへん。気狂が集合してしのぎけずってつかみ合い、いがみ合い、ののしり合い、奪い合って、その全体が団体として細胞のようにくずれたり、持ち上ったり、持ち上ったり、崩れたりして暮して行くのを社会と云うのではおまへんか知らん。その中で多少理窟りくつがわかって、分別のある奴はかえって邪魔になるから、瘋癲院ふうてんいんちうものを作って、ここへ押し込めて出られへんようにするのではおまへんかしらん。すると瘋癲院に幽閉されとるものは普通の人で、院外にあばれとるものはかえって気狂であるちうわけや。気狂も孤立しとる間はどこまでも気狂にされてしまうが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になってしまうのかも知れへん。大きな気狂が金力や威力を濫用らんようしてようけの小気狂しょうきちがい使役しえきして乱暴を働いて、人から立派な男だと云われとる例は少なくないちうわけや。何が何だか分らなくなりよった」

以上は主人が当夜煢々けいけいたる孤灯のもとで沈思熟慮した時の心的作用をありのまんまにえがき出したものであるちうわけや。彼の頭脳の不透明なる事はここにも著るしくあらわれとる。彼はカイゼルに似た八字髯はちじひげたくわうるにもかかわらず狂人と常人の差別さえなし得ぬくらいの凡倉ぼんくらであるちうわけや。のみならず彼はせっかくこの問題を提供して自己の思索力に訴えながら、ついに何等の結論に達せずしてやめてしもた。何事によらず彼は徹底的に考える脳力のない男であるちうわけや。彼の結論の茫漠ぼうばくとして、彼の鼻孔から迸出ほうしゅつする朝日の煙のごとく、捕捉ほそくしがたきは、彼の議論における唯一の特色として記憶すべき事実であるちうわけや。

吾輩は猫であるちうわけや。猫の癖にどうして主人の心中をかく精密に記述し得るかと疑うものがあるかも知れんが、このくらいな事は猫にとって何でもないちうわけや。吾輩はこれで読心術を心得とる。いつ心得たなんて、そないな余計な事は聞かんでもええ。ともかくも心得とる。人間のひざの上へ乗って眠っとるうちに、吾輩は吾輩の柔かな毛衣けごろもをそっと人間の腹にこすり付けるちうわけや。すると一道の電気が起って彼の腹の中のいきさつが手にとるように吾輩の心眼に映ずるちうわけや。せんだってやらなんやらは主人がやさしく吾輩の頭をで廻しながら、突然この猫の皮をいでちゃんちゃんにしたらさぞあたたかでよかろうと飛んでもない了見りょうけんをむらむらと起したのを即座に気取けどって覚えずひやっとした事さえあるちうわけや。こわい事や。当夜主人の頭のなかに起った以上の思想もそないな訳合わけあいさいわいにも諸君にご報道する事が出来るように相成ったのは吾輩のおおいに栄誉とするトコであるちうわけや。ただし主人は「何が何だか分らなくなりよった」まで考えてそのあとはぐうぐう寝てしもたのである、あすになれば何をどこまで考えたかまるで忘れてしまうに違ないちうわけや。向後こうごもし主人が気狂きちがいについて考える事があるとするやろ、ほしたら、もう一ぺん出直して頭から考え始めなければならぬ。そうすると果してこないな径路けいろを取って、こないな風に「何が何だか分らなくなるちうわけや」かどやか保証出来ないちうわけや。せやけどダンさん何返考え直しても、何条なんじょうの径路をとって進もうとも、ついに「何が何だか分らなくなるちうわけや」だけはたしかであるちうわけや。

「あんさん、もう七時や」と襖越ふすまごしに細君が声を掛けたちうわけや。主人は眼がさめとるのだか、寝とるのだか、向うむきになりよったぎり返事もせん。返事をせんのはこの男の癖であるちうわけや。ぜひ何とか口を切らなければならへん時はうんうわ。このうんも容易な事では出てこないちうわけや。人間も返事がうるさくなるくらい無精ぶしょうになると、どことなくおもむきがあるが、こないな人に限って女に好かれた試しがないちうわけや。現在連れ添う細君やら、あまり珍重しておらんようやから、その他はして知るべしと云っても大した間違はなかろうわ。親兄弟に見離され、あかの他人の傾城けいせいに、可愛がらりょうはずがない、とある以上は、細君にさえ持てへん主人が、世間一般の淑女に気に入るはずがないちうわけや。なあんも異性間に不人望な主人をこの際ことさらに暴露ばくろする必要もないのやけど、本人において存外な考え違をして、まるっきし年廻りのせいで細君に好かれへんのだやらなんやらと理窟をつけとると、まよいの種であるから、自覚の一助にもなろうかと親切心からちーとばかし申し添えるまでであるちうわけや。

言いつけられた時刻に、時刻がきたと用心しても、先方がその用心を無にする以上は、むこうをむいてうんさえ発せざる以上は、そのきょくは夫にあって、妻にあらずと論定したる細君は、遅くなっても知りまへんよと云う姿勢でほうきはたきかついで書斎の方へ行ってしもた。やがてぱたぱた書斎中をたたき散らす音がするのは例によって例のごとき掃除を始めたさかいあるちうわけや。一体掃除の目的は運動のためか、遊戯のためか、掃除の役目を帯びぬ吾輩の関知するトコでないから、知らん顔をしていればつかえへんようなものの、ここの細君の掃除法のごときに至ってはすこぶる無意義のものと云わざるを得ないちうわけや。何が無意義であるかと云うと、この細君は単に掃除のために掃除をしとるからであるちうわけや。はたきを一通り障子しょうじへかけて、箒を一応畳の上へすべらせるちうわけや。それで掃除は完成した者と解釈しとる。掃除の源因及び結果に至っては微塵みじんの責任だに背負っておらん。かるが故に奇麗な所は毎日奇麗やけど、ごみのある所、ほこりの積っとる所はいつでもごみたまってほこりが積っとる。告朔こくさく餼羊きようと云う故事こじもある事やから、これでもやらんよりはましかも知れへん。せやけどダンさんやっても別段主人のためにはならへん。ならへんトコを毎日毎日御苦労にもやるトコロが細君のえらいトコであるちうわけや。細君と掃除とは多年の習慣で、器械的の連想をかたちづくってがんとして結びつけられとるにもかかわらず、掃除のじつに至っては、妻君がいまだ生れざるよりどエライ昔のごとく、はたきと箒が発明せられざる昔のごとく、ごうあがっておらん。思うにこの両者の関係は形式論理学の命題における名辞のごとくその内容のいかんにかかわらず結合せられたものであろうわ。

吾輩は主人と違って、元来が早起の方やから、この時すでに空腹になって参ったちうわけや。とうていうちのものさえぜんに向わぬさきから、猫の身分をもって朝めしに有りつける訳のものではおまへんが、そこが猫の浅ましさで、もしや煙の立った汁のにおい鮑貝あわびがいの中から、うまそうに立ち上っておりはすまいかと思うと、じっとしていられなくなりよった。はかない事を、はかないと知りながら頼みにするっちうときは、ただその頼みだけを頭の中に描いて、動かんと落ちついとる方が得策であるが、さてそうは行かぬ者で、心の願と実際が、合うか合わぬか是非とも試験して見たくなるちうわけや。試験して見れば必ず失望するにきまってる事やら、ケツの失望をみずから事実の上に受取るまでは承知出来んものであるちうわけや。吾輩はたまらなくなって台所へ這出はいだしたちうわけや。まずへっついの影にある鮑貝あわびがいの中をのぞいて見ると案にたがわず、ゆうめ尽したまんま、闃然げきぜんとして、怪しき光が引窓を初秋はつあきの日影にかがやいとる。御三おはんはすでにたての飯を、御櫃おはちに移して、今や七輪しちりんにかけたなべの中をかきまぜつつあるちうわけや。かまの周囲にはき上がって流れだした米の汁が、かさかさに幾条いくすじとなくこびりついて、あるものは吉野紙をりつけたごとくに見えるちうわけや。もう飯も汁も出来とるのやから食わせてもよさそうなものだと思ったちうわけや。こないな時に遠慮するのはしょーもない話だ、よしんばオノレの望通りにならなくったって元々で損は行かないのやから、思い切って朝飯の催促をしてやろう、なんぼ居候いそうろうの身分だってひもじいに変りはないちうわけや。と考え定めた吾輩はにゃあにゃあと甘えるごとく、訴うるがごとく、せやなかったらまたえんずるがごとく泣いて見たちうわけや。御三はいっこう顧みる景色けしきがないちうわけや。生れついてのお多角たかくやから人情にうといのはとうから承知の上やけど、そこをうまく泣き立てて同情を起させるのが、こっちの手際てぎわであるちうわけや。今度はにゃごにゃごとやって見たちうわけや。その泣き声は吾ながら悲壮のおんを帯びて天涯てんがい遊子ゆうしをして断腸の思あらしむるに足ると信ずるちうわけや。御三はてんとしてかえりみないちうわけや。この女はつんぼなのかも知れへん。聾では下女が勤まるわけがないが、ことによると猫の声だけには聾なのやろうわ。世の中には色盲しきもうちうのがあって、当人は完全な視力を具えとるつもりでも、医者から云わせると片輪かたわだそうやけど、この御三は声盲せいもうなのやろうわ。声盲だって片輪に違おらへん。片輪のくせにいやに横風おうふうなものや。夜中なぞでも、なんぼこっちが用があるから開けてくれろと云っても決して開けてくれた事がないちうわけや。たまに出してくれたと思うと今度はどうしても入れてくれへん。夏だって夜露は毒や。いわんやしもにおいてをやで、軒下に立ち明かして、日の出を待つのは、どないなにつらいかとうてい想像が出来るものではおまへん。この間しめ出しを食った時なぞは野良犬の襲撃をこうむって、すでに危うく見えたトコを、ようやっとの事で物置の家根やねへかけあがって、終夜ふるえつづけた事さえあるちうわけや。これ等は皆御三の不人情から胚胎はいたいした不都合であるちうわけや。こないなものを相手にして鳴いて見せたって、感応かんのうのあるはずはないのやけど、そこが、ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみと云うくらいやから、たいていの事ならやる気になるちうわけや。にゃごおうにゃごおうと三度目には、用心を喚起するためにことさらに複雑なる泣き方をして見たちうわけや。オノレではベトヴェンのシンフォニーにも劣らざる美妙のおんと確信しとるのやけど御三には何等の影響も生じないようや。御三は突然膝をついて、揚げ板を一枚はねけて、中から堅炭の四寸ばかり長いのを一本つかみ出したちうわけや。ほんでその長い奴を七輪しちりんの角でぽんぽんとたたいたら、長いのが三つほどに砕けて近所は炭の粉で真黒くなりよった。少々は汁の中へも這入はいったらしいちうわけや。御三はそないな事に頓着する女ではおまへん。直ちにくだけたる三個の炭をなべの尻から七輪の中へ押し込んや。とうてい吾輩のシンフォニーには耳を傾けそうにもないちうわけや。仕方がないから悄然しょうぜんと茶の間の方へ引きかえそうとして風呂場の横を通り過ぎると、ここは今女の子が三人で顔を洗ってる最中で、なかなか繁昌はんじょうしとる。

顔を洗うと云ったトコで、上の二人が幼稚園の生徒で、三番目は姉の尻についてさえ行かれへんくらい小さいのやから、正式に顔が洗えて、器用に御化粧が出来るはずがないちうわけや。一番小さいのがバケツの中から雑巾ぞうきんを引きずり出してしきりに顔中で廻わしとる。雑巾で顔を洗うのは定めし心持ちがわるかろうけれども、地震がゆるたびにおもちろいわと云う子やからこのくらいの事はあっても驚ろくに足らん。ことによると八木独仙君より悟っとるかも知れへん。さすがに長女は長女だけに、姉をもってみずから任じとるから、うがい茶碗をからからかんと抛出ほうりだして「坊やちゃん、それは雑巾よ」と雑巾をとりにかかるちうわけや。坊やちゃんもなかなか自信家やから容易に姉の云う事なんか聞きそうにせん。「いやーよ、ばぶ」と云いながら雑巾を引っ張り返したちうわけや。このばぶなる語はいかなる意義で、いかなる語源を有しとるか、どなたはんも知ってるものがないちうわけや。ただこの坊やちゃんが癇癪かんしゃくを起した時に折々ご使用になるばかりや。雑巾はこの時姉の手と、坊やちゃんの手で左翼右翼に引っ張られるから、水を含んだ真中からぽたぽたしずくれて、容赦なく坊やの足にかかる、足だけなら我慢するが膝のあたりがしたたか濡れるちうわけや。坊やはこれでも元禄げんろくを着とるのであるちうわけや。元禄とは何の事だとだんだん聞いて見ると、中形ちゅうがたの模様なら何でも元禄だそうや。一体だれに教わって攻めて来よったものか分りまへん。「坊やちゃん、元禄が濡れるから御よしなさい、ね」と姉が洒落しゃれた事を云うわ。そのくせこの姉はついこの間まで元禄と双六すごろくとを間違えとった物識ものしりであるちうわけや。

元禄で思い出したからついでに喋舌しゃべってしまうが、このボウズの言葉ちがいをやる事はおびただしいもので、折々人を馬鹿にしたような間違を云ってるちうわけや。火事できのこが飛んで攻めて来よったり、御茶おちゃ味噌みその女学校へ行ったり、恵比寿えびす台所だいどこと並べたり、或る時やらなんやらは「わいゃ藁店わらだなの子やないわ」と云うから、よくよく聞きただして見ると裏店うらだなと藁店を混同しとったりするちうわけや。主人はこないな間違を聞くたびに笑っとるが、オノレが学校へ出て毛唐のセリフを教える時やらなんやらは、これよりも滑稽な誤謬ごびゅうを真面目になって、生徒に聞かせるのやろうわ。

坊やは⸺当人は坊やとは云いまへん。いつでも坊ばと云う⸺元禄が濡れたのを見て「げんどこべたい」と云って泣き出したちうわけや。元禄が冷たくてはエライやから、御三が台所から飛び出して来て、雑巾を取上げて着物をいてやるちうわけや。この騒動中比較的静かやったのは、次女のすん子嬢であるちうわけや。すん子嬢は向うむきになって棚の上からころがり落ちた、お白粉しろいびんをあけて、しきりに御化粧をほどこしとる。第一に突っ込んだ指をもって鼻の頭をキューとでたからたてに一本白い筋が通って、鼻のありかがいささか分明ぶんみょうになって攻めて来よった。次に塗りつけた指を転じて頬の上を摩擦したから、そこへもってきて、これまた白いかたまりが出来上ったちうわけや。これだけ装飾がととのったトコへ、下女がはいって来て坊ばの着物を拭いたついでに、すん子の顔もふいてしもた。すん子は少々不満のていに見えたちうわけや。

吾輩はこの光景を横に見て、茶の間から主人の寝室まで来てもう起きたかとひそかに様子をうかがって見ると、主人の頭がどこにも見えへん。その代り十文半ともんはんの甲の高い足が、夜具のすそから一本み出しとる。頭が出ていては起こされる時に迷惑だと思って、かくもぐり込んだのであろうわ。亀の子のような男であるちうわけや。トコへ書斎の掃除をしてしもた妻君がまたほうきはたきかついでやってくるちうわけや。最前さいぜんのようにふすまの入口から

「まだお起きにならへんのやか」と声をかけたまんま、ちーとの間立って、首の出ない夜具を見つめとった。今度も返事がないちうわけや。細君は入口から二歩ふたあしばかり進んで、箒をとんと突きながら「まだなんやろか、あんさん」と重ねて返事を承わるちうわけや。この時主人はすでに目がめとる。覚めとるから、細君の襲撃にそなうるため、あらかじめ夜具の中に首もろとも立てこもったさかいあるちうわけや。首さえ出さなければ、見逃みのがしてくれる事もあろうかと、詰まりまへん事を頼みにして寝とったトコ、なかなか許しそうもないちうわけや。せやけどダンさん第一回の声は敷居の上で、少くとも一間の間隔があったから、まず安心と腹のうちで思っとると、とんと突いた箒が何でも三尺くらいの距離に追っとったにはちーとばかし驚ろいたちうわけや。のみならず第二の「まだなんやろか、あんさん」が距離においても音量においても前よりも倍以上の勢を以て夜具のなかまで聞えたから、こいつは駄目だと覚悟をして、小さな声でうんと返事をしたちうわけや。

「九時までにいらっしゃるのでっしゃろ。早くなさりまへんと間に合いまへんよ」

「そないなに言わなくても今起きるちうわけや」と夜着よぎ袖口そでぐちから答えたのは奇観であるちうわけや。妻君はいつでもこの手を食って、起きるかと思って安心しとると、また寝込まれつけとるから、油断は出来ないと「さあお起きなさいちうわけや」とせめ立てるちうわけや。起きると云うのに、なお起きろと責めるのは気に食わんものや。主人のごとき我儘者ワガママものにはなお気に食わん。ここにおいてか主人は本日この時まで頭からかぶっとった夜着をいっぺんにねのけたちうわけや。見ると大きな眼を二つともいとる。

「何だ騒々しいちうわけや。起きると云えば起きるのや」

「起きるとおっしゃってもお起きなさらんやおまへんか」

「どなたはんがいつ、そないなうそをついたちうわけや」

「いつでもやわ」

「馬鹿を云え」

「どっちが馬鹿だか分りゃせん」と妻君ぷんとして箒を突いて枕元に立っとるトコは勇ましかったちうわけや。この時裏の車屋のボウズ、八っちゃんが急に大きな声をしてワーと泣き出す。八っちゃんは主人がおこり出しさえすれば必ず泣き出すべく、車屋のかみはんから命ぜられるのであるちうわけや。かみはんは主人が怒るたんびに八っちゃんを泣かして小遣こづかいになるかも知れんが、八っちゃんこそええ迷惑や。こないな御袋おふくろを持ったがケツ朝から晩まで泣き通しに泣いていなくてはならへん。ちびっとはこの辺の事情を察して主人も少々怒るのを差しひかえてやったら、八っちゃんの寿命がちびっとは延びるやろうに、なんぼ金田君から頼まれたって、こないなな事をするのは、天道公平君よりもはげしくおいでになっとる方だと鑑定してもよかろうわ。怒るたんびに泣かせられるだけなら、まだ余裕もあるけれども、金田君が近所のゴロツキをやとって今戸焼いまどやきをきめ込むたびに、八っちゃんは泣かねばならんのであるちうわけや。主人が怒るか怒らぬか、まだ判然せんうちから、必ず怒るべきものと予想して、早手廻しに八っちゃんは泣いとるのであるちうわけや。こうなると主人が八っちゃんだか、八っちゃんが主人だか判然しなくなるちうわけや。主人にあてつけるに手数てすうは掛りまへん、ちーとばかし八っちゃんに剣突けんつくを食わせれば何の苦もなく、主人のよこつらを張った訳になるちうわけや。むかし西洋で犯罪者を所刑にする時に、本人が国境外に逃亡して、とらえられん時は、偶像をつくって人間の代りにあぶりにしたと云うが、彼等のうちにも西洋の故事に通暁つうぎょうする軍師があると見えて、うまい計略を授けたものであるちうわけや。落雲館と云い、八っちゃんの御袋と云い、腕のきかぬ主人にとっては定めし苦手にがてであろうわ。そのほか苦手はいろいろあるちうわけや。せやなかったら町内中ことごとく苦手かも知れんが、ただいまは関係がないから、だんだん成し崩しに紹介致す事にするちうわけや。

八っちゃんの泣き声を聞いた主人は、朝っぱらからよほど癇癪かんしゃくが起ったと見えて、たちまちがばと布団ふとんの上に起き直ったちうわけや。こうなると精神修養も八木独仙もなあんもあったものやないちうわけや。起き直りながら両方の手でゴシゴシゴシと表皮のむけるほど、頭中引きき廻す。一ヵ月も溜っとるフケは遠慮なく、頸筋くびすじやら、寝巻のえりへ飛んでくるちうわけや。非常な壮観であるちうわけや。ひげはどやと見るとこれはまた驚ろくべく、ぴん然とおっ立っとる。持主がおこっとるのに髯だけ落ちついていてはすまないとでも心得たものか、一本一本に癇癪かんしゃくを起して、勝手次第の方角へ猛烈なる勢をもって突進しとる。これどエライなかなかの見物みものであるちうわけや。昨日きのうは鏡の手前もある事やから、おとなしく独乙ドイツ皇帝陛下の真似をして整列したさかいあるが、一晩寝れば訓練もなあんもあった者ではおまへん、直ちに本来の面目に帰って思い思いのたちに戻るのであるちうわけや。あたかも主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になるとぬぐうがごとく奇麗に消え去って、生れついての野猪的やちょてき本領が直ちに全面を暴露しきたるのと一般であるちうわけや。こないな乱暴な髯をもっとる、こないな乱暴な男が、よくまあ本日この時まで免職にもならんと教師が勤まったものだと思うと、始めて大日本帝国の広い事がわかるちうわけや。広ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用しとるのでもあろうわ。彼等が人間として通用する間は主人も免職になる理由がないと確信しとるらしいちうわけや。いざとなれば巣鴨へ端書はがきを飛ばして天道公平君に聞き合せて見れば、すぐ分る事や。

この時主人は、昨日きのう紹介した混沌こんとんたる太古の眼を精一杯に見張って、向うの戸棚をきっと見たちうわけや。これは高さ一間を横に仕切って上下共おのおの二枚の袋戸をはめたものであるちうわけや。下の方の戸棚は、布団ふとんすそとすれすれの距離にあるから、起き直った主人が眼をあきさえすれば、天然自然ここに視線がむくように出来とる。見ると模様を置いた紙がトコどころ破れて妙なはらわたがあからさまに見えるちうわけや。腸にはいろいろなのがあるちうわけや。あるものは活版摺かっぱんずりで、あるものは肉筆であるちうわけや。あるものは裏返しで、あるものは逆さまであるちうわけや。主人はこの腸を見るといっぺんに、何がかいてあるか読みたくなりよった。本日この時までは車屋のかみはんでもつらまえて、鼻づらを松の木へこすりつけてやろうくらいにまでおこっとった主人が、突然この反古紙ほごがみを読んで見たくなるのは不思議のようであるが、こう云う陽性の癇癪持ちには珍らしくない事や。小供が泣くときに最中もなかの一つもあてがえばすぐ笑うと一般であるちうわけや。主人がむかし去る所の御寺に下宿しとった時、ふすまを隔てて尼が五六人いたちうわけや。尼やらなんやらと云うものは元来意地のわるい女のうちでもっとも意地のわるいものであるが、この尼が主人の性質を見抜いたものと見えて自炊のなべをたたきながら、今泣いた烏がもう笑った、今泣いた烏がもう笑ったと拍子を取って歌ったそうだ、主人が尼が大嫌になりよったのはこの時からだと云うが、尼はきらいにせよまるっきしそれに違ないちうわけや。主人は泣いたり、笑ったり、嬉しがったり、悲しがったり人一倍もする代りにいずれも長く続いた事がないちうわけや。よく云えば執着がなくて、心機しんきがむやみに転ずるのやろうが、これを俗語に翻訳してやさしく云えば奥行のない、うすぺらの、はなぱりだけ強いだだっ子であるちうわけや。すでにだだっ子である以上は、喧嘩をする勢で、むっくとね起きた主人が急に気をかえて袋戸ふくろどの腸を読みにかかるのももっともと云わねばなるまいちうわけや。第一に眼にとまったのが伊藤博文のちであるちうわけや。上を見ると明治十一年九月廿八日とあるちうわけや。韓国統監かんこくとうかんもこの時代から御布令おふれ尻尾しっぽを追っ懸けてあるいとったと見えるちうわけや。大将この時分は何をしとったんやろうと、読めそうにないトコを無理によむと大蔵卿おおくらきょうとあるちうわけや。なるほどえらいものだ、なんぼ逆か立ちしても大蔵卿であるちうわけや。ちびっと左翼の方を見ると今度は大蔵卿横になって昼寝をしとる。もっともや。逆か立ちではそう長く続く気遣きづかいはないちうわけや。下の方に大きな木板もくばん汝はと二字だけ見える、あとが見たいがあいにく露出しておらん。次の行には早くの二字だけ出とる。こ毎日毎晩壱年中読みたいがそれぎれで手掛りがないちうわけや。もし主人が警視庁の探偵やったら、人のものでも構わんと引っぺがすかも知れへん。探偵と云うものには高等な教育を受けたものがないから事実を挙げるためには何でもするちうわけや。あれは始末にかないものや。ねがわくばもうちびっと遠慮をしてもらいたいちうわけや。遠慮をせな事実は決して挙げさせへん事にしたらよかろうわ。聞くトコによると彼等は羅織虚構らしききょこうをもって良民を罪におとしいれる事さえあるそうや。良民が金を出して雇っておく者が、雇主を罪にするやらなんやらときてはこれまた立派な気狂きちがいであるちうわけや。次に眼を転じて真中を見ると真中には大分県おおいたけんが宙返りをしとる。伊藤博文でさえ逆か立ちをするくらいやから、大分県が宙返りをするのは当然であるちうわけや。主人はここまで読んで来て、双方へにぎこぶしをこしらえて、これを高く天井に向けて突きあげたちうわけや。あくびの用意であるちうわけや。

このあくびがまたくじら遠吠とおぼえのようにすこぶる変調をきわめた者やったが、それが一段落を告げると、主人はのそのそと着物をきかえて顔を洗いに風呂場へ出掛けて行ったちうわけや。待ちかねた細君はいきなり布団ふとんをまくって夜着よぎを畳んで、例の通り掃除をはじめるちうわけや。掃除が例の通りであるごとく、主人の顔の洗い方も十年一日のごとく例の通りであるちうわけや。先日紹介をしたごとく依然としてがーがー、げーげーを持続しとる。やがて頭を分け終って、西洋手拭てぬぐいを肩へかけて、茶の間へ出御しゅつぎょになると、超然として長火鉢の横に座を占めたちうわけや。長火鉢と云うとけやき如輪木じょりんもくか、あか総落そうおとしで、洗髪あらいがみの姉御が立膝で、長煙管ながぎせる黒柿くろがきふちへ叩きつける様を想見する諸君もないとも限りまへんが、わが苦沙弥くしゃみ先生の長火鉢に至っては決して、そないな意気なものではおまへん、何で造ったものか素人しろうとには見当けんとうのつかんくらい古雅なものであるちうわけや。長火鉢は拭き込んでてらてら光るトコロが身上しんしょうなのやけど、この代物しろものは欅か桜かきりか元来不明瞭な上に、ほとんど布巾ふきんをかけた事がないのやから陰気で引き立たざる事おびただしいちうわけや。こないなものをどこぞら買って攻めて来よったかと云うと、決して買ったおぼえはないちうわけや。そないなら貰ったかと聞くと、どなたはんもくれた人はないそうや。しからば盗んだのかとただして見ると、何だかその辺が曖昧あいまいであるちうわけや。昔し親類に隠居がおって、その隠居が死んだ時、当分留守番を頼まれた事があるちうわけや。トコロがその後一戸を構えて、隠居所を引き払う際に、ほんでオノレのもののように使っとった火鉢を何の気もなく、つい持って来てしもたのだそうや。少々たちが悪いようや。考えるとたちが悪いようやけどこないな事は世間に往々ある事だと思うわ。銀行家やらなんやらは毎日人の金をあつかいつけとるうちに人の金が、オノレの金のように見えてくるそうや。役人は人民の召使であるちうわけや。用事を弁じさせるために、ある権限を委托した代理人のようなものや。トコロが委任された権力をかさに着て毎日事務を処理しとると、これはオノレが所有しとる権力で、人民やらなんやらはこれについて何らのくちばしるる理由がないものだやらなんやらと狂ってくるちうわけや。こないな人が世の中に充満しとる以上は長火鉢事件をもって主人に泥棒根性があると断定する訳には行かぬ。もし主人に泥棒根性があるとするやろ、ほしたら、天下の人にはみんな泥棒根性があるちうわけや。

長火鉢のそばに陣取って、食卓を前にひかえたる主人の三面には、先刻さっき雑巾ぞうきんで顔を洗った坊ば御茶おちゃ味噌の学校へ行くとん子と、お白粉罎しろいびんに指を突き込んだすん子が、すでに勢揃せいぞろいをして朝飯を食っとる。主人は一応この三女子の顔を公平に見渡したちうわけや。とん子の顔は南蛮鉄なんばんてつの刀のつばのような輪廓りんかくを有しとる。すん子も妹だけに多少姉の面影おもかげを存して琉球塗りゅうきゅうぬり朱盆しゅぼんくらいな資格はあるちうわけや。ただ坊ばに至ってはひとり異彩を放って、面長おもながに出来上っとる。ただたてに長いのなら世間にその例もすくなくないが、この子のは横に長いのであるちうわけや。いかに流行が変身しやすくったって、横に長い顔がはやる事はなかろうわ。主人はオノレの子ながらも、つくづく考える事があるちうわけや。これでも生長せなならぬ。生長するどころではおまへん、その生長のすみやかなる事は禅寺ぜんでらたけのこが若竹に変身する勢で大きくなるちうわけや。主人はまた大きくなりよったなと思うたんびに、うしろから追手おってにせまられるような気がしてひやひやするちうわけや。いかに空漠くうばくなる主人でもこの三令嬢が女であるくらいは心得とる。女である以上はどうにか片付けなくてはならんくらいも承知しとる。承知しとるだけで片付ける手腕のない事も自覚しとる。ほんでオノレの子ながらもちびっとく持て余しとるトコであるちうわけや。持て余すくらいなら製造せなええのやけど、そこが人間であるちうわけや。人間の定義を云うとほかに何にもないちうわけや。ただらざる事を捏造ねつぞうしてみずから苦しんでいる者だと云えば、それで充分や。

さすがにボウズはえらいちうわけや。これほどおやじが処置に窮しとるとは夢にも知らず、楽しそうにご飯をたべるちうわけや。トコロが始末におえへんのは坊ばであるちうわけや。坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気をかして、食事のときには、三歳然たる小形のはしと茶碗をあてがうのやけど、坊ばは決して承知せん。必ず姉の茶碗を奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかいにくい奴を無理に持ちあつかっとる。世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出てがらにもない官職に登りたがるものやけど、あの性質はまるっきしこの坊ば時代から萌芽ほうがしとるのであるちうわけや。そのってきたるトコはかくのごとく深いのやから、決して教育や薫陶くんとうなおせる者ではおまへんと、早くあきらめてしまうのがええ。

坊ばは隣りから分捕ぶんどった偉大なる茶碗と、長大なる箸を専有して、しきりに暴威をほしいまんまにしとる。使いこなせへん者をむやみに使おうとするのやから、いきおい暴威をたくましくせざるを得ないちうわけや。坊ばはまず箸の根元を二本いっしょに握ったまんまうんと茶碗の底へ突込んや。茶碗の中は飯が八分通り盛り込まれて、その上に味噌汁が一面にみなぎっとる。箸の力が茶碗へ伝わるやいなや、本日この時までどうか、こうか、平均を保っとったのが、急に襲撃を受けたさかい三十度ばかり傾いたちうわけや。いっぺんに味噌汁は容赦なくだらだらと胸のあたりへこぼれだす。坊ばはそのくらいな事で辟易へきえきする訳がないちうわけや。坊ばは暴君であるちうわけや。今度は突き込んだ箸を、うんと力一杯茶碗の底からね上げたちうわけや。いっぺんに小さな口をふちまで持って行って、ね上げられた米粒を這入はいるだけ口の中へ受納したちうわけや。打ちらされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまとっぺたとあごとへ、やっと掛声をして飛びついたちうわけや。飛びつき損じて畳の上へこぼれたものは打算だはんの限りでないちうわけや。随分無分別な飯の食い方であるちうわけや。吾輩はつつしんで有名なる金田君及び天下の勢力家に忠告するちうわけや。公等こうらの他をあつかう事、坊ばの茶碗と箸をあつかうがごとくんば、公等こうらの口へ飛び込む米粒は極めて僅少きんしょうのものであるちうわけや。必然の勢をもって飛び込むにあらず、戸迷とまどいをして飛び込むのであるちうわけや。どうか御再考をわずらわしたいちうわけや。世故せこにたけた敏腕家にも似合しからぬ事や。

姉のとん子は、オノレの箸と茶碗を坊ばに掠奪りゃくだつされて、不相応に小さな奴をもってさっきから我慢しとったが、もともと小さ過ぎるのやから、一杯にもった積りでも、あんとあけると三口ほどで食ってしまうわ。したがって頻繁ひんぱんに御はちの方へ手が出るちうわけや。もう四膳かえて、今度は五杯目であるちうわけや。とん子は御はちのふたをあけて大きなしゃもじを取り上げて、ちーとの間ながめとった。これは食おうか、よそうかと迷っとったものらしいが、ついに決心したものと見えて、げのなさそうなトコを見計って一掬ひとしゃくいしゃもじの上へ乗せたまでは無難ぶなんやったが、それを裏返して、ぐいと茶碗の上をこいたら、茶碗にはいりきらん飯はかたまったまんま畳の上へころがり出したちうわけや。とん子は驚ろく景色けしきもなく、こぼれた飯を鄭寧ていねいに拾い始めたちうわけや。拾って何にするかと思ったら、みんな御はちの中へ入れてしもた。ちびっときたないようや。

坊ばが一大活躍を試みて箸をね上げた時は、ちょうどとん子が飯をよそいおわった時であるちうわけや。さすがに姉は姉だけで、坊ばの顔のいかにも乱雑なのを見かねて「あら坊ばちゃん、エライよ、顔がぜん粒だらけよ」と云いながら、早速さっそく坊ばの顔の掃除にとりかかるちうわけや。第一に鼻のあたまに寄寓きぐうしとったのを取払うわ。取払って捨てると思のほか、すぐオノレの口のなかへ入れてしもたのには驚ろいたちうわけや。ほんでっぺたにかかるちうわけや。ここには大分だいぶぐんをなしてかずにしたら、両方を合せて約二十粒もあったろうわ。姉は丹念に一粒ずつ取っては食い、取っては食い、とうとう妹の顔中にある奴を一つ残らず食ってしもた。この時ただ本日この時まではおとなしく沢庵たくあんをかじっとったすん子が、急に盛り立ての味噌汁の中から薩摩芋さつまいものくずれたのをしゃくい出して、勢よく口の内へほうり込んや。諸君も御承知であろうが、汁にした薩摩芋の熱したのほど口中こうちゅうにこたえる者はないちうわけや。大人おとなやら用心せんと火傷やけどをしたような心持ちがするちうわけや。ましてすん子のごとき、薩摩芋に経験のとぼしい者は無論狼狽ろうばいする訳であるちうわけや。すん子はワッと云いながら口中こうちゅうの芋を食卓の上へ吐き出したちうわけや。その二三ぺんがどう云う拍子か、坊ばの前まやべって来て、ちょうどええ加減な距離でとまるちうわけや。坊ばはもとより薩摩芋が大好きであるちうわけや。大好きな薩摩芋が眼の前へ飛んで攻めて来よったのやから、早速箸をほうり出して、手攫てづかみにしてむしゃむしゃ食ってしもた。

先刻さっきからこのていたらくを目撃しとった主人は、一言いちごんも云わんと、専心オノレの飯を食い、オノレの汁を飲んで、この時はすでに楊枝ようじを使っとる最中やった。主人は娘の教育に関して絶体的放任主義をるつもりと見えるちうわけや。今に三人が海老茶式部えびちゃしきぶ鼠式部ねずみしきぶかになって、三人とも申し合せたように情夫じょうふをこしらえて出奔しゅっぽんしても、やはりオノレの飯を食って、オノレの汁を飲んで澄まして見とるやろうわ。働きのない事や。せやけどダンさん今の世の働きのあると云う人を拝見すると、嘘をついて人を釣る事と、先へ廻って馬の眼玉を抜く事と、虚勢を張って人をおどかす事と、かまをかけて人をおとしいれる事よりほかになあんも知りまへんようや。中学やらなんやらの少年輩までが見様見真似みようみまねに、こうしなくては幅がかないと心得違いをして、本来なら赤面してしかるべきのを得々とくとく履行りこうして未来の紳士だと思っとる。これは働き手と云うのではおまへん。ごろつき手と云うのであるちうわけや。吾輩も大日本帝国の猫やから多少の愛国心はあるちうわけや。こないな働き手を見るたびになぐってやりたくなるちうわけや。こないなものが一人でもえれば国家はそれだけ衰える訳であるちうわけや。こないな生徒のいる学校は、学校の恥辱であって、こないな人民のいる国家は国家の恥辱であるちうわけや。恥辱であるにも関らず、ごろごろ世間にごろついとるのは心得がたいと思うわ。大日本帝国の人間は猫ほどの気概もないと見えるちうわけや。なさけない事や。こないなごろつき手に比べると主人やらなんやらははるかに上等な人間と云わなくてはならん。意気地のないトコロが上等やのであるちうわけや。無能なトコロが上等やのであるちうわけや。猪口才ちょこざいでないトコロが上等やのであるちうわけや。

かくのごとく働きのない食い方をもって、無事に朝食あさめしを済たんやる主人は、やがて洋服を着て、車へ乗って、大日本帝国堤分署へ出頭に及んや。格子こうしをあけた時、車夫に大日本帝国堤ちう所を知ってるかと聞いたら、車夫はへへへと笑ったちうわけや。あの遊廓のある吉原の近辺の大日本帝国堤だぜと念を押したのは少々滑稽こっけいやった。

主人が珍らしく車で玄関から出掛けたあとで、妻君は例のごとく食事を済ませて「さあ学校へおいで。遅くなるんやよ」と催促すると、小供は平気なもので「あら、でも今日は御休みよ」と支度したくをする景色けしきがないちうわけや。「御休みなもんやろか、早くなさいちうわけや」としかるように言って聞かせると「それでも昨日きのう、先生が御休だって、おっしゃってよ」と姉はなかなか動じないちうわけや。妻君もここに至って多少変に思ったものか、戸棚からこよみを出して繰り返して見ると、赤い字でちゃんと御祭日と出とる。主人は祭日とも知らんと学校へ欠勤届を出したのやろうわ。細君も知らんと郵便箱へほうり込んだのやろうわ。せやけど迷亭に至っては実際知らなかったのか、知って知らん顔をしたのか、そこは少々疑問であるちうわけや。この発明におやと驚ろいた妻君はそれや、みんなでおとなしく御遊びなさいと平生毎日毎晩壱年中の通り針箱を出して仕事に取りかかるちうわけや。

その三十分間は家内平穏、別段吾輩の材料になるような事件も起らなかったが、突然妙な人が御客に攻めて来よった。十七八の女学生であるちうわけや。かかとのまがった靴をいて、紫色のはかまを引きずって、髪を算盤珠そろばんだまのようにふくらまして勝手口から案内もわんとあがって攻めて来よった。これは主人のめいであるちうわけや。学校の生徒だそうやけど、折々日曜にやって来て、よく叔父はんと喧嘩をして帰って行く雪江ゆきえとか云う奇麗な名のお嬢はんであるちうわけや。もっとも顔は名前ほどでもない、ちーとばかし表へ出て一二町あるけば必ず逢える人相であるちうわけや。

「叔母はん今日は」と茶の間へつかつか這入はいって来て、針箱の横へ尻をおろしたちうわけや。

「おや、よく早くから……

「今日は大祭日やろから、朝のうちにちーとばかし上がろうと思って、八時半頃からうちを出て急いで攻めて来よったの」

「そう、何ぞ用があるの?」

「えええ、ただあんまり御無沙汰をしたから、ちーとばかし上がったの」

「ちーとばかしでなくってええから、ゆっくり遊んでいらっしゃいちうわけや。今に叔父はんが帰って来まっしゃろから」

「叔父はんは、もう、どこへかいらしったの。珍らしいのね」

「ええ今日はね、妙な所へ行ったのよ。……警察へ行ったの、妙でっしゃろ」

「あら、何で?」

「この春這入はいった泥棒がつらまったんだって」

「それで引き合に出されるの? ええ迷惑ね」

「なあに品物が戻るのよ。取られたものが出たから取りに来いって、昨日きのう巡査がわざわざ攻めて来よったもんやろから」

「おや、そう、それでなくっちゃ、こないなに早く叔父はんが出掛ける事はないわね。毎日毎晩壱年中なら今時分はまだ寝ていらっしゃるんだわ」

「叔父はんほど、寝坊はないんやろから……そうして起こすとぷんぷんおこるのよ。今朝なんかも七時までに是非おこせと云うから、起こしたんでっしゃろ。すると夜具の中へもぐって返事もせんんやもの。こっちは心配やから二度目にまたおこすと、夜着よぎそでから何ぞ云うのよ。ホンマにあきれ返ってしまうの」

「なんでやねんそないなに眠いんでっしゃろ。きっと神経衰弱なんでっしゃろ」

「何やろか」

「ホンマにむやみに怒るかたね。あれでよく学校が勤まるのね」

「なに学校やおとなしいんやって」

「やなお悪るいわ。まるで蒟蒻閻魔こんにゃくえんまね」

「なんでやねん?」

「なんでやねんでも蒟蒻閻魔なの。だって蒟蒻閻魔のようやおまへんか」

「ただ怒るばかりやないのよ。人が右翼と云えば左翼、左翼と云えば右翼で、何でも人の言う通りにした事がない、⸺そりゃ強情や」

天探女あまのやくでっしゃろ。叔父はんはあれが道楽なのよ。やから何ぞさせようと思ったら、うらを云うと、こっちの思い通りになるのよ。こないだ蝙蝠傘こうもりを買ってもらう時にも、いりまへん、いりまへんって、わざと云ったら、いりまへん事があるものかって、すぐ買って下すったの」

「ホホホホうまいのね。わいもこれからそうしようわ」

「そうなさいよ。それでなくっちゃ損だわ」

「こないだ保険会社の人が来て、是非御這入おはいんなさいって、勧めとるんでっしゃろ、⸺いろいろわけを言って、こう云う利益があるの、ああ云う利益があるのって、何でも一時間も話をしたんやけどアンタ、どうしても這入りまへんの。うちだって貯蓄はなし、こうして小供は三人もあるし、せめて保険へでも這入ってくれるとよっぽど心丈夫なんやけれども、そないな事はちびっとも構いまへんんやもの」

「そうね、もしもの事があると不安心だわね」と十七八の娘に似合しからん世帯染しょたいじみたことを云うわ。

「その談判を蔭で聞いとると、ホンマにおもろいのよ。なるほど保険の必要も認めへんではおまへん。必要なものやから会社も存在しとるのやろうわ。せやけどダンさん死なない以上は保険に這入はいる必要はないやないかって強情を張っとるんや」

「叔父はんが?」

「ええ、すると会社の男が、それは死ななければ無論保険会社はいりまへん。せやけどダンさん人間の命と云うものは丈夫なようでもろいもので、知りまへんうちに、いつ危険がせまっとるか分りまへんと云うとね、叔父はんは、大丈夫僕は死なない事に決心をしとるって、まあ無法な事を云うんや」

「決心したって、死ぬわねえ。わいなんか是非及第きゅうだいするつもりやったけれども、とうとう落第してしもたわ」

「保険社員もそう云うのよ。寿命はオノレの自由にはなりまへん。決心できが出来るものなら、どなたはんも死ぬものはございまへんって」

「保険会社の方が至当しとうやわ」

「至当でっしゃろ。それがわかりまへんの。いえ決して死なないちうわけや。誓って死なないって威張るの」

「妙ね」

「妙やとも、大妙おおみょうやわ。保険の掛金を出すくらいなら銀行へ貯金する方がはるかにましだってすまし切っとるんや」

「貯金があるの?」

「あるもんやろか。オノレが死んだあとなんか、ちっとも構う考なんかないんや」

「ホンマに心配ね。なんでやねん、あないななんでっしゃろ、ここへいらっしゃるかただって、叔父はんのようなのは一人もおらへんわね」

「いるものやか。無類や」

「ちっと鈴木はんにでも頼んで意見でもして貰うとええんや。ああ云うおだやかな人だとよっぽどらくやけどアンタねえ」

「トコロが鈴木はんは、うちや評判がわるいのよ」

「みんなさかなのね。それや、あのかたがええでっしゃろ⸺ほらあの落ちついてる⸺」

「八木はん?」

「ええ」

「八木はんには大分だいぶ閉口しとるんやけどアンタね。昨日きのう迷亭はんが来て悪口をいったものやから、思ったほどかないかも知れへん」

「だってええやおまへんか。あないな風に鷹揚おうように落ちついていれば、⸺こないだ学校で演説をなすったわ」

「八木はんが?」

「ええ」

「八木はんは雪江はんの学校の先生なの」

「えええ、先生やないけども、淑徳しゅくとく婦人会ふじんかいのときに招待して、演説をして頂いたの」

「面白かって?」

「そうね、そないなに面白くもなかったわ。やけども、あの先生が、あないな長い顔なんでっしゃろ。そうして天神様のようなひげを生やしとるもんやから、みんな感心して聞いていてよ」

「御話しって、どないな御話なの?」と妻君が聞きかけとると椽側えんがわの方から、雪江はんの話し声をききつけて、三人のボウズがどたばた茶の間へ乱入して攻めて来よった。本日この時までは竹垣の外の空地あきちへ出て遊んでいたものであろうわ。

「あら雪江はんが攻めて来よった」と二人の姉はんは嬉しそうに大きな声を出す。妻君は「そないなに騒がないで、みんな静かにして御坐わりなさいちうわけや。雪江はんが今おもろい話をなさるトコやから」と仕事を隅へ片付けるちうわけや。

「雪江はん何の御話し、わい御話しが大好き」と云ったのはとん子で「やっぱりかちかち山の御話し?」と聞いたのはすん子であるちうわけや。「坊ばも御はなち」と云い出した三女は姉と姉の間から膝を前の方に出す。せやけどこれは御話をうけたまわると云うのではおまへん、坊ばもまた御話をつかまつると云う意味であるちうわけや。「あら、また坊ばちゃんの話や」と姉はんが笑うと、妻君は「坊ばはあとでなさいちうわけや。雪江はんの御話がすんでから」とかして見るちうわけや。坊ばはなかなか聞きそうにないちうわけや。「いやーよ、ばぶ」と大きな声を出す。「おお、よしよし坊ばちゃんからなさいちうわけや。何と云うの?」と雪江はんは謙遜けんそんしたちうわけや。

「あのね。坊たん、坊たん、どこ行くのって」

「おもろいのね。ほんで?」

「わたちは田圃たんぼへ稲刈いに」

「そう、よく知ってる事」

「御前がくうと邪魔だまになるちうわけや」

「あら、くうとやないわ、くるとだわね」ととん子が口を出す。坊ばは相変らず「ばぶ」と一喝いっかつして直ちに姉を辟易へきえきさせるちうわけや。せやけどダンさん中途で口を出されたものやから、続きを忘れてしまって、あとが出て来ないちうわけや。「坊ばちゃん、それぎりなの?」と雪江はんが聞く。

「あのね。あとでおならは御免ごめんだよ。ぷう、ぷうぷうって」

「ホホホホ、いやだ事、どなたはんにそないな事を、教わったの?」

御三おたんに」

「わるい御三おはんね、そないな事を教えて」と妻君は苦笑をしとったが「さあ今度は雪江はんの番や。坊やはおとなしく聞いとるのやよ」と云うと、さすがの暴君も納得なっとくしたと見えて、それぎり当分の間は沈黙したちうわけや。

「八木先生の演説はこないなのよ」と雪江はんがとうとう口を切ったちうわけや。「昔あるつじの真中に大きな石地蔵があったんやってね。トコロがそこがあいにく馬や車が通るエライにぎやかな場所だもんやから邪魔になって仕様がないんでね、町内のものが大勢寄って、相談をして、どうしてこの石地蔵を隅の方へ片づけたらよかろうって考えたんやって」

「そりゃホンマにあった話なの?」

「どうやろか、そないな事は何ともおっしゃらなくってよ。⸺でみんながいろいろ相談をしたら、その町内で一番強い男が、そりゃ訳はおまへん、わいがきっと片づけて見せまんねんって、一人でその辻へ行って、両肌もろはだを抜いで汗を流して引っ張ったけれども、どうしても動かないんやって」

「よっぽど重い石地蔵なのね」

「ええ、それでその男が疲れてしまって、うちへ帰って寝てしもたから、町内のものはまた相談をしたんやね。すると今度は町内で一番利口な男が、わいわいに任せて御覧なさい、一番やって見まっしゃろからって、重箱のなかへ牡丹餅ぼたもちを一杯入れて、地蔵の前へ来て、『ここまでおいで』と云いながら牡丹餅を見せびらかしたんだって、地蔵だって食意地くええじが張ってるから牡丹餅で釣れるやろうと思ったら、ちびっとも動かないんだって。利口な男はこれではいけへんと思ってね。今度は瓢箪ひょうたんへお酒を入れて、その瓢箪を片手へぶら下げて、片手へ猪口ちょこを持ってまた地蔵はんの前へ来て、さあ飲みたくはないかね、飲みたければここまでおいでと三時間ばかり、からかって見たがやはり動かないんやって」

「雪江はん、地蔵様は御腹おなかりまへんの」ととん子がきくと「牡丹餅が食べたいな」とすん子が云ったちうわけや。

「利口な人は二度共しくじったから、その次には贋札にせさつを沢山こしらえて、さあ欲しいやろう、欲しければ取りにおいでと札を出したり引っ込たんやりしたがこれもまるでやくに立たないんやって。よっぽど頑固がんこな地蔵様なのよ」

「そうね。すこし叔父はんに似とるわ」

「ええまるで叔父はんよ、しまいに利口な人も愛想あいそをつかしてやめてしもたんやとさ。それでそのあとからね、大きな法螺ほらを吹く人が出て、わいわいならきっと片づけて見せまっしゃろからご安心なさいとさも容易たやすい事のように受合ったそうや」

「その法螺を吹く人は何をしたんや」

「それがおもろいのよ。最初にはね巡査の服をきて、ひげをして、地蔵様の前へきて、こらこら、動かんとその方のためにならんぞ、警察で棄てておかんぞと威張って見せたんやとさ。今の世に警察の仮声こわいろなんか使ったってどなたはんも聞きゃせんわね」

「ホンマね、それで地蔵様は動いたの?」

「動くもんやろか、叔父はんやもの」

「でも叔父はんは警察にはエライ恐れ入っとるのよ」

「あらそう、あないな顔をして? それや、そないなにこわい事はないわね。けれども地蔵様は動かないんやって、平気でいるんやとさ。それで法螺吹はエライおこって、巡査の服を脱いで、付け髯を紙屑籠かみくずかごほうり込んで、今度は大金持ちの服装なりをして出て攻めて来よったそうや。今の世で云うと岩崎男爵のような顔をするんやとさ。おかしいわね」

「岩崎のような顔ってどないな顔なの?」

「ただ大きな顔をするんでっしゃろ。そうしてなあんもせんで、またなあんも云いまへんで地蔵のまわりを、大きな巻煙草まきモクをふかしながら歩行あるいとるんやとさ」

「それが何になるの?」

「地蔵様をけむくんや」

「まるではな洒落しゃれのようね。首尾よくけむいたの?」

「駄目やわ、相手が石やもの。ごまかしもたいていにすればええのに、今度は殿下さまに化けて攻めて来よったんだって。馬鹿ね」

「へえ、その時分にも殿下さまがあるの?」

「有るんでっしゃろ。八木先生はそうおっしゃってよ。たしかに殿下様に化けたんだって、恐れ多い事やけど化けて攻めて来よったって⸺第一不敬やおまへんか、法螺吹ほらふきの分際ぶんざいで」

「殿下って、どの殿下さまなの」

「どの殿下さまやろか、どの殿下さまだって不敬やわ」

「そうね」

「殿下さまでもかないでっしゃろ。法螺吹きもしようがないから、どエライわいわい手際てぎわでは、あの地蔵はどうする事も出来まへんと降参をしたそうや」

「ええ気味ね」

「ええ、ついでに懲役ちょうえきにやればええのに。⸺でも町内のものは大層気をんで、また相談を開いたんやけどアンタ、もうどなたはんも引き受けるものがないんで弱ったそうや」

「それでおしまい?」

「まだあるのよ。一番しまいに車屋とゴロツキを大勢雇って、地蔵様のまわりをわいわい騒いであるいたんや。ただ地蔵様をいじめて、いたたまれへんようにすればええと云って、夜昼交替こうたいで騒ぐんだって」

「御苦労様やこと」

「それでも取り合いまへんんやとさ。地蔵様の方も随分強情ね」

「ほんで、どうして?」ととん子が熱心に聞く。

「ほんでね、なんぼ毎日毎日騒いでもげんが見えへんので、大分だいぶみんながいやになって攻めて来よったんやけどアンタ、車夫やゴロツキは幾日いくんちでも日当にっとうになる事やから喜んで騒いでおったんやとさ」

「雪江はん、日当ってなに?」とすん子が質問をするちうわけや。

「日当と云うのはね、御金の事なの」

「御金をもろて何にするの?」

「御金を貰ってね。……ホホホホいやなすん子はんや。⸺それで叔母はん、毎日毎晩から騒ぎをしていますわとね。その時町内に馬鹿竹ばかたけと云って、なんにも知りまへん、どなたはんも相手にせん馬鹿がいたんやってね。その馬鹿がこの騒ぎを見て御前方おまえがたは何でそないなに騒ぐんだ、何年かかっても地蔵一つ動かす事が出来ないのか、可哀想かわいそうなものだ、と云ったそうやって⸺」

「馬鹿の癖にえらいのね」

「なかなかえらい馬鹿なのよ。みんなが馬鹿竹ばかたけの云う事を聞いて、物はためしだ、どうせ駄目やろうが、まあ竹にやらして見ようやないかとほんで竹に頼むと、竹は一も二もなく引き受けたが、そないな邪魔な騒ぎをせんでまあ静かにしろと車引やゴロツキを引き込まして飄然ひょうぜんと地蔵様の前へ出て来たんや」

「雪江はん飄然て、馬鹿竹のお友達?」ととん子が肝心かんじんなトコで奇問を放ったさかい、細君と雪江はんはどっと笑い出したちうわけや。

「えええお友達やないのよ」

「や、なに?」

「飄然と云うのはね。⸺云いようがないわ」

「飄然て、云いようがないの?」

「そうやないのよ、飄然と云うのはね⸺」

「ええ」

「そら多々良三平たたらはんぺいはんを知ってるでっしゃろ」

「ええ、山の芋をくれてよ」

「あの多々良はん見たようなを云うのよ」

「多々良はんは飄然なの?」

「ええ、まあそうよ。⸺それで馬鹿竹が地蔵様の前へ来て懐手ふトコでをして、地蔵様、町内のものが、あんさんに動いてくれと云うから動いてやんなさいと云ったら、地蔵様はたちまちそうか、そないなら早くそう云えばええのに、とのこのこ動き出したそうや」

「妙な地蔵様ね」

「ほんでが演説よ」

「まだあるの?」

「ええ、ほんで八木先生がね、今日こんにちは御婦人の会であるんやが、わいがかような御話をわざわざ致したのは少々考があるので、こう申すと失礼かも知れまへんが、婦人ちうものはとかく物をするのに正面から近道を通って行かないで、かえって遠方から廻りくどい手段をとるへいがあるちうわけや。もっともこれは御婦人に限った事でないちうわけや。明治のは男子といえども、文明の弊を受けて多少女性的になっとるから、よくいらざる手数てすうと労力をついやして、これが本筋である、紳士のやるべき方針であると誤解しとるものが多いようやけど、これ等は開化の業に束縛された畸形児きけいじであるちうわけや。別に論ずるに及ばん。ただ御婦人にってはなるべくただいま申した昔話を御記憶になって、いざと云う場合にはどうか馬鹿竹のような正直な了見で物事を処理していただきたいちうわけや。あんさん方が馬鹿竹になれば夫婦の間、嫁姑よめしゅうとの間に起るいまわしき葛藤かっとう三分一はんぶいちはたしかに減ぜられるに相違ないちうわけや。人間は魂胆こんたんがあればあるほど、その魂胆がたたって不幸のみなもとをなすので、ようけの婦人が平均男子より不幸なのは、まるっきしこの魂胆があり過ぎるからであるちうわけや。どうか馬鹿竹になってくれへんかの、と云う演説なの」

「へえ、それで雪江はんは馬鹿竹になる気なの」

「やだわ、馬鹿竹だなんて。そないなものになりたくはないわ。金田の富子はんなんぞは失敬だってエライおこってよ」

「金田の富子はんて、あの向横町むこうよこちょうの?」

「ええ、あのハイカラはんよ」

「あの人も雪江はんの学校へ行くの?」

「えええ、ただ婦人会やから傍聴に攻めて来よったの。ホンマにハイカラね。どうも驚ろいちまうわ」

「でもエライええ器量だって云うやおまへんか」

「並やわ。御自慢ほどやおまへんよ。あないなに御化粧をすればたいていの人はよく見えるわ」

「それや雪江はんなんぞはそのかたのように御化粧をすれば金田はんの倍くらい美しくなるでっしゃろ」

「あらいやや。よくってよ。知りまへんわ。やけど、あのかたはまるっきしつくり過ぎるのね。なんぼ御金があったって⸺」

「つくり過ぎても御金のある方がええやおまへんか」

「それもそうだけれども⸺あのかたこそ、ちびっと馬鹿竹になりよった方がええでっしゃろ。無暗むやみに威張るんやもの。この間もなんとか云う詩人が新体詩集を捧げたって、みんなに吹聴ふいちょうしとるんやもの」

「東風はんでっしゃろ」

「あら、あの方が捧げたの、よっぽど物数奇ものずきね」

「でも東風はんはエライ真面目なんや。オノレや、あないな事をするのが当前あたりまえだとまで思ってるんやもの」

「そないな人があるから、いけへんんや。⸺ほんでまだおもろい事があるの。此間こないだだれか、あの方のとこ艶書えんしょを送ったものがあるんだって」

「おや、いやらしいちうわけや。どなたはんなの、そないな事をしたのは」

「どなたはんだかわかりまへんんだって」

「名前はないの?」

「名前はちゃんと書いてあるんだけれども聞いた事もない人だって、そうしてそれが長い長い一間ばかりもある手紙でね。いろいろな妙な事がかいてあるんやとさ。わいわいがあんさんをおもっとるのは、ちょうど宗教家が神にあこがれとるようなものだの、あんさんのためならば祭壇に供える小羊となってほふられるのが無上の名誉であるの、心臓のかたちが三角で、三角の中心にキューピッドの矢が立って、吹き矢なら大当りであるの……

「そりゃ真面目なの?」

「真面目なんやとさ。現にわいの御友達のうちでその手紙を見たものが三人あるんやもの」

「いやな人ね、そないなものを見せびらかして。あの方は寒月はんのとこへ御嫁に行くつもりなんやから、そないな事が世間へ知れちゃ困るでっしゃろにね」

「困るどころやろか大得意よ。こんだ寒月はんが攻めて来よったら、知らして上げたらええでっしゃろ。寒月はんはまるで御存じないんでっしゃろ」

「どうやろか、あの方は学校へ行ってたまばかり磨いていらっしゃるから、大方知りまへんでっしゃろ」

「寒月はんはホンマにあの方を御貰おもらいになる気なんでっしゃろかね。御気の毒だわね」

「なんでやねん? 御金があって、いざって時に力になって、ええやおまへんか」

「叔母はんは、じきに金、金ってひんがわるいのね。金より愛の方が大事やおまへんか。愛がなければ夫婦の関係は成立しやせんわ」

「そう、それや雪江はんは、どないなトコへ御嫁に行くの?」

「そないな事知るもんやろか、別になあんもないんやもの」

雪江はんと叔母はんは結婚事件について何ぞ弁論をたくましくしとると、さっきから、分りまへんなりに謹聴しとるとん子が突然口を開いて「わいも御嫁に行きたいな」と云いだしたちうわけや。この無鉄砲な希望には、さすが青春の気に満ちて、おおいに同情を寄すべき雪江はんもちーとばかし毒気を抜かれたていやったが、細君の方は比較的平気に構えて「どこへ行きたいの」と笑ながら聞いて見たちうわけや。

「わいねえ、ホンマはね、招魂社しょうこんしゃへ御嫁に行きたいんだけれども、水道橋を渡るのがいややから、どうしようかと思ってるの」

細君と雪江はんはこの名答を得て、あまりの事に問い返す勇気もなく、どっと笑い崩れた時に、次女のすん子が姉はんに向ってかような相談を持ちかけたちうわけや。

「御ねえ様も招魂社がすき? わいも大すき。いっしょに招魂社へ御嫁に行きまひょ。ね? いや? いやならいわ。わい一人で車へ乗ってさっさと行っちまうわ」

「坊ばも行くの」とついには坊ばはんまでが招魂社へ嫁に行く事になりよった。かように三人が顔をそろえて招魂社へ嫁に行けたら、主人もさぞ楽であろうわ。

トコへ車の音ががらがらと門前に留ったと思ったら、たちまち威勢のええ御帰りと云う声がしたちうわけや。主人は大日本帝国堤分署から戻ったと見えるちうわけや。車夫が差出す大きな風呂敷包を下女に受け取らして、主人は悠然ゆうぜんと茶の間へ這入はいって来るちうわけや。「やあ、攻めて来よったね」と雪江はんに挨拶しながら、例の有名なる長火鉢のそばへ、ぽかりと手にたずさえた徳利様とっくりようのものをほうり出したちうわけや。徳利様と云うのは純然たる徳利では無論ない、と云って花活はないけとも思われへん、ただ一種異様の陶器であるから、やむを得ずちーとの間かように申したさかいあるちうわけや。

「妙な徳利ね、そないなものを警察から貰っていらしったの」と雪江はんが、倒れた奴を起しながら叔父はんに聞いて見るちうわけや。叔父はんは、雪江はんの顔を見ながら、「どや、ええ恰好かっこうやろうわ」と自慢するちうわけや。

「ええ恰好なの? それが? あんまりよかあないわ? 油壺あぶらつぼなんか何で持っていらっしったの?」

「油壺なものか。そないな趣味のない事を云うから困るちうわけや」

「や、なあに?」

花活はないけさ」

「花活にしちゃ、口がいさ過ぎて、いやに胴が張ってるわ」

「そこがおもろいんや。御前も無風流だな。まるで叔母はんとえらぶトコなしや。困ったものだな」とひとりで油壺を取り上げて、障子しょうじの方へ向けてながめとる。

「どうせ無風流やわ。油壺を警察から貰ってくるような真似は出来ないわ。ねえ叔母はん」叔母はんはそれどころではおまへん、風呂敷包をいて皿眼さらまなこになって、盗難品をしらべとる。「おや驚ろいたちうわけや。泥棒も進歩したのね。みんな、解いて洗い張をしてあるわ。ねえちょいと、あんさん」

「どなたはんが警察から油壺を貰ってくるものか。待ってるのが退屈やから、あすこいらを散歩しとるうちに堀り出して攻めて来よったんや。御前なんぞには分るまいがそれでも珍品だよ」

「珍品過ぎるわ。一体叔父はんはどこを散歩したの」

「どこって大日本帝国堤にほんづつみ界隈かいわいさ。吉原へも這入はいって見たちうわけや。なかなかさかんな所や。あの鉄の門をた事があるかいちうわけや。ないやろうわ」

「だれが見るもんやろか。吉原なんて賤業婦せんぎょうふのいる所へ行く因縁いんねんがおまへんわ。叔父はんは教師の身で、よくまあ、あないな所へ行かれたものねえ。ホンマに驚ろいてしまうわ。ねえ叔母はん、叔母はん」

「ええ、そうね。どうも品数しなかずが足りまへんようだ事。これでみんな戻ったんでっしゃろか」

「戻らんのは山の芋ばかりさ。元来九時に出頭しろと云いながら十一時まで待たせる法があるものか、これやから大日本帝国の警察はいかん」

「大日本帝国の警察がいけへんって、吉原を散歩しちゃなおいけへんわ。そないな事が知れると免職になってよ。ねえ叔母はん」

「ええ、なるでっしゃろ。あんさん、わいの帯の片側かたかわがないんや。何だか足りまへんと思ったら」

「帯の片側くらいあきらめるさ。こっちは三時間も待たされて、大切の時間を半日つぶしてしもた」と大日本帝国服に着代えて平気に火鉢へもたれて油壺をながめとる。細君も仕方がないとあきらめて、戻った品をそのまんま戸棚へしまいんで座に帰るちうわけや。

「叔母はん、この油壺が珍品やとさ。きたないやおまへんか」

「それを吉原で買っていらしったの? まあ」

「何がまあや。分りもせん癖に」

「それでもそないな壺なら吉原へ行かなくっても、どこにだってあるやおまへんか」

「トコロがないんだよ。滅多めったに有る品ではおまへんんだよ」

「叔父はんは随分石地蔵いしじぞうね」

「また小供の癖に生意気を云うわ。どうもきょうびの女学生は口が悪るくっていかん。ちと女大学でも読むがええ」

「叔父はんは保険がきらいでっしゃろ。女学生と保険とどっちが嫌なの?」

「保険は嫌ではおまへん。あれは必要なものや。未来の考のあるものは、どなたはんでも這入はいるちうわけや。女学生は無用の長物や」

「無用の長物でもええ事よ。保険へ這入ってもおらへん癖に」

「来月から這入るつもりや」

「きっと?」

「きっとだとも」

「およしなさいよ、保険なんか。それよりかその懸金かけきんで何ぞ買った方がええわ。ねえ、叔母はん」叔母はんはにやにや笑っとる。主人は真面目になって

「お前やらなんやらは百も二百も生きる気やから、そないな呑気のんきな事を云うのやけど、もうちびっと理性が発達して見ろ、保険の必要を感ずるに至るのは当前あたりまえや。ぜひ来月から這入るんや」

「そう、それや仕方がないちうわけや。やけどこないだのように蝙蝠傘こうもりを買って下さる御金があるなら、保険に這入る方がましかも知れへんわ。ひとがいりまへん、いりまへんと云うのを無理に買って下さるんやもの」

「そないなにいらなかったのか?」

「ええ、蝙蝠傘なんか欲しかないわ」

「そないならかえすがええ。ちょうどとん子が欲しがってるから、あれをこっちへ廻してやろうわ。今日持って攻めて来よったか」

「あら、そりゃ、あんまりだわ。だってひどいやおまへんか、せっかく買って下すっておきながら、還せなんて」

「いりまへんと云うから、還せと云うのさ。ちっとも苛くはないちうわけや」

「いりまへん事はいりまへんんやけれども、苛いわ」

「分らん事を言う奴だな。いりまへんと云うから還せと云うのに苛い事があるものか」

「だって」

「だって、どうしたんや」

「だって苛いわ」

だな、同じ事ばかり繰り返しとる」

「叔父はんだって同じ事ばかり繰り返しとるやおまへんか」

「御前が繰り返すから仕方がないさ。現にいりまへんと云ったやないか」

「そりゃ云おったんやわ。いりまへん事はいりまへんんやけれども、還すのはいややもの」

「驚ろいたな。没分暁わからずやで強情なんやから仕方がないちうわけや。御前の学校や論理学を教えへんのか」

「よくってよ、どうせ無教育なんやろから、何とでもおっしゃいちうわけや。人のものを還せだなんて、他人だってそないな不人情な事は云やせん。ちっと馬鹿竹ばかたけの真似でもなさいちうわけや」

「何の真似をしろ?」

「ちと正直に淡泊たんぱくになさいと云うんや」

「お前は愚物の癖にやに強情だよ。それやから落第するんや」

「落第したって叔父はんに学資は出して貰やせんわ」

雪江はんはげんここに至って感にえざるもののごとく、潸然はんぜんとして一掬いっきくなんだを紫のはかまの上に落したちうわけや。主人は茫乎ぼうことして、その涙がいかなる心理作用に起因するかを研究するもののごとく、袴の上と、つ向いた雪江はんの顔を見つめとった。トコへ御三おはんが台所から赤い手を敷居越にそろえて「お客さまがいらっしゃおったんや」と云うわ。「どなたはんが攻めて来よったんや」と主人が聞くと「学校の生徒はんでおます」と御三は雪江はんの泣顔を横目ににらめながら答えたちうわけや。主人は客間へ出て行く。吾輩も種取りけん人間研究のため、主人にして忍びやかにえんへ廻ったちうわけや。人間を研究するには何ぞ波瀾がある時をえらばないと一向いっこう結果が出て来ないちうわけや。平生は大方の人が大方の人であるから、見ても聞いても張合のななんぼい平凡であるちうわけや。せやけどダンさんいざとなるとこの平凡が急に霊妙なる神秘的作用のためにむくむくと持ち上がって奇なもの、変なもの、妙なもの、なもの、一と口に云えば吾輩猫共から見てすこぶる後学になるような事件が至るトコに横風おうふうにあらわれてくるちうわけや。雪江はんの紅涙こうるいのごときはまさしくその現象の一つであるちうわけや。かくのごとく不可思議、不可測ふかそくの心を有しとる雪江はんも、細君と話をしとるうちはさほどとも思わなかったが、主人が帰ってきて油壺をほうり出すやいなや、たちまち死竜しりゅう蒸汽喞筒じょうきポンプを注ぎかけたるごとく、勃然ぼつぜんとしてその深奥しんおうにして窺知きちすべからざる、巧妙なる、美妙なる、奇妙なる、霊妙なる、麗質を、惜気もなく発揚しおわったちうわけや。せやけどダンさんてその麗質は天下の女性にょしょうに共通なる麗質であるちうわけや。ただ惜しい事には容易にあらわれて来ないちうわけや。いやあらわれる事は二六時中間断なくあらわれとるが、かくのごとく顕著に灼然炳乎しゃくぜんへいことして遠慮なくはあらわれて来ないちうわけや。幸にして主人のように吾輩の毛をややともすると逆さにでたがる旋毛曲つむじまがりの奇特家きどくかがおったから、かかる狂言も拝見が出攻めて来よったのであろうわ。主人のあとさえついてあるけば、どこへ行っても舞台の役者は吾知らず動くに相違ないちうわけや。おもろい男を旦那様にいただいて、短かい猫の命のうちにも、大分だいぶようけの経験が出来るちうわけや。ありがたい事や。今度のお客は何者であろうわ。

見ると年頃は十七八、雪江はんとっつ、っつの書生であるちうわけや。大きな頭をいて見えるほど刈り込んで団子だんごぱなを顔の真中にかためて、座敷の隅の方にひかえとる。別にこれと云う特徴もないが頭蓋骨ずがいこつだけはすこぶる大きいちうわけや。青坊主に刈ってさえ、ああ大きく見えるのやから、主人のように長く延ばしたら定めし人目をく事やろうわ。こないな顔にかぎって学問はあまり出来ない者だとは、かねてより主人の持説であるちうわけや。事実はそうかも知れへんがちーとばかし見るとナポレオンのようやこぶる偉観であるちうわけや。着物は通例の書生のごとく、薩摩絣さつまがすりか、久留米くるめがすりかまた伊予いよ絣か分りまへんが、ともかくもかすりと名づけられたるあわせを袖短かに着こなして、下には襯衣シャツ襦袢じゅばんもないようや。素袷すあわせ素足すあしは意気なものだそうやけど、この男のはなはだむさ苦しい感じを与えるちうわけや。ことに畳の上に泥棒のような親指を歴然と三つまでいんしとるのはまるっきし素足の責任に相違ないちうわけや。彼は四つ目の足跡の上へちゃんと坐って、さも窮屈そうにしこまっとる。一体かしこまるべきものがおとなしくひかえるのは別段気にするにも及ばんが、毬栗頭いがぐりあたまのつんつるてんの乱暴者が恐縮しとるトコは何となく不調和なものや。途中で先生に逢ってさえ礼をせんのを自慢にするくらいの連中が、たとい三十分でも人並に坐るのは苦しいに違ないちうわけや。トコを生れ得て恭謙きょうけんの君子、盛徳の長者ちょうしゃであるかのごとく構えるのやから、当人の苦しいにかかわらずはたから見ると大分だいぶおかしいのであるちうわけや。教場もしくは運動場であないなに騒々しいものが、どうしてかように自己を箝束かんそくする力をそなえとるかと思うと、憐れにもあるが滑稽こっけいでもあるちうわけや。こうやって一人ずつ相対あいたいになると、いかに愚騃ぐがいなる主人といえども生徒に対して幾分かの重みがあるように思われるちうわけや。主人も定めし得意であろうわ。ちり積って山をなすと云うから、微々たる一生徒も多勢たぜい聚合しゅうごうするとあやらなんやらるべからざる団体となって、排斥はいせき運動やストライキをしでかすかも知れへん。これはちょうど臆病者が酒を飲んで大胆になるような現象であろうわ。衆を頼んで騒ぎ出すのは、人の気に酔っ払った結果、正気を取り落したるものと認めて差支さしつかえあるまいちうわけや。それでなければかように恐れ入ると云わんよりむしろ悄然しょうぜんとして、みずかふすまに押し付けられとるくらいな薩摩絣が、いかに老朽だと云って、かりそめにも先生と名のつく主人を軽蔑けいべつしようがないちうわけや。馬鹿に出来る訳がないちうわけや。

主人は座布団ざぶとんを押しやりながら、「さあお敷き」と云ったが毬栗先生はかたくなりよったまんま「へえ」と云って動かないちうわけや。鼻の先にげかかった更紗さらさの座布団が「御乗んなさいちうわけや」とも何とも云わんと着席しとるうしろに、生きた大頭がつくねんと着席しとるのは妙なものや。布団は乗るための布団で見詰めるために細君が勧工場から仕入れて攻めて来よったのではおまへん。布団にして敷かれずんば、布団はまさしくその名誉を毀損きそんせられたるもので、これを勧めたる主人もまた幾分か顔が立たない事になるちうわけや。主人の顔をつぶしてまで、布団とにらめくらをしとる毬栗君は決して布団その物がきらいやのではないちうわけや。実を云うと、正式に坐った事は祖父じいはんの法事の時のほかは生れてから滅多めったにないので、っきからすでにしびれが切れかかって少々足の先は困難を訴えとるのであるちうわけや。それにもかかわらず敷かないちうわけや。布団が手持無沙汰にひかえとるにもかかわらず敷かないちうわけや。主人がさあお敷きと云うのに敷かないちうわけや。厄介な毬栗坊主や。このくらい遠慮するなら多人数たにんず集まった時もうちびっと遠慮すればええのに、学校でもうちびっと遠慮すればええのに、下宿屋でもうちびっと遠慮すればええのに。すまじきトコへ気兼きがねをして、すべき時には謙遜けんそんせん、否おおい狼藉ろうぜきを働らく。たちの悪るい毬栗坊主や。

トコへうしろのふすまをすうと開けて、雪江はんが一碗の茶をうやうやしく坊主に供したちうわけや。平生なら、そらサヴェジ・チーが出たとやかすのやけど、主人一人に対してすら痛みっとる上へ、妙齢の女性にょしょうが学校で覚え立ての小笠原流おがさわらりゅうで、おつに気取った手つきをして茶碗を突きつけたのやから、坊主はおおい苦悶くもんていに見えるちうわけや。雪江はんはふすまをしめる時に後ろからにやにやと笑ったちうわけや。して見ると女は同年輩でもなかなかえらいものや。坊主に比すればはるかに度胸がわっとる。ことに先刻さっきの無念にはらはらと流した一滴の紅涙こうるいのあとやから、このにやにやがさらに目立って見えたちうわけや。

雪江はんの引き込んだあとは、双方無言のまんま、ちーとの間の間は辛防しんぼうしとったが、これではぎょうをするようなものだと気がついた主人はようやっと口を開いたちうわけや。

「君は何とか云ったけな」

古井ふるい……

「古井? 古井何とかやね。名は」

「古井武右翼衛門ぶえもん

「古井武右翼衛門⸺なるほど、だいぶ長い名だな。今の名やない、昔の名や。四年生やったね」

「えええ」

「三年生か?」

「えええ、二年生や」

「甲の組かね」

「乙や」

「乙なら、わいの監督やね。そうか」と主人は感心しとる。実はこの大頭は入学の当時から、主人の眼についとるんやから、決して忘れるどころではおまへん。のみならず、時々は夢に見るくらい感銘した頭であるちうわけや。せやけどダンさん呑気のんきな主人はこの頭とこの古風な姓名とを連結して、その連結したものをまた二年乙組に連結する事が出来なかったさかいあるちうわけや。やからこの夢に見るほど感心した頭がオノレの監督組の生徒であると聞いて、思わずそうかと心のうちで手をったさかいあるちうわけや。せやけどダンさんこの大きな頭の、古くさい名の、しかもオノレの監督する生徒が何のために今頃やって攻めて来よったのかとん推諒すいりょう出来ないちうわけや。元来不人望な主人の事やから、学校の生徒やらなんやらは正月やろうが暮やろうがほとんど寄りついた事がないちうわけや。寄りついたのは古井武右翼衛門君をもって嚆矢こうしとするくらいな珍客であるが、その来訪の主意がわからんには主人もおおいに閉口しとるらしいちうわけや。こないな面白くない人のうちへただ遊びにくる訳もなかろうし、また辞職勧告ならもうちびっと昂然こうぜんと構え込みそうだし、と云って武右翼衛門君やらなんやらが一身上の用事相談があるはずがないし、どっちから、どう考えても主人には分りまへん。武右翼衛門君の様子を見るとせやなかったら本人自身にすら何で、ここまで参ったのか判然せんかも知れへん。仕方がないから主人からとうとう表向に聞き出したちうわけや。

「君遊びに攻めて来よったのか」

「そうやないんや」

「それや用事かね」

「ええ」

「学校の事かいちうわけや」

「ええ、ちびっと御話ししようと思って……

「うむ。どないな事かね。さあ話したまえ」と云うと武右翼衛門君下を向いたぎりなんにも言いまへん。元来武右翼衛門君は中学の二年生にしてはよく弁ずる方で、頭の大きい割に脳力は発達しておらんが、喋舌しゃべる事においては乙組中鏘々そうそうたるものであるちうわけや。現にせんだっててんてんバスの大日本帝国訳を教えろと云っておおいに主人を困らしたはまさにこの武右翼衛門君であるちうわけや。その鏘々たる先生が、最前さいぜんからどもりの御姫様のようにもじもじしとるのは、何ぞわくのある事でなくてはならん。単に遠慮のみとはとうてい受け取られへん。主人も少々不審に思ったちうわけや。

「話す事があるなら、早く話したらええやないか」

「ちびっと話しにくい事で……

「話しにくい?」と云いながら主人は武右翼衛門君の顔を見たが、先方は依然として俯向うつむきになってるから、何事とも鑑定が出来ないちうわけや。やむを得ず、ちびっと語勢を変えて「ええさ。何でも話すがええ。ほかにどなたはんも聞いていやせん。わいも他言たごんはせんから」とおだやかにつけ加えたちうわけや。

「話してもええでっしゃろか?」と武右翼衛門君はまだ迷っとる。

「ええやろうわ」と主人は勝手な判断をするちうわけや。

「では話しまっけど」とええかけて、毬栗頭いがぐりあたまをむくりと持ち上げて主人の方をちーとばかしまぼしそうに見たちうわけや。その眼は三角であるちうわけや。主人は頬をふくらまして朝日の煙を吹き出しながらちーとばかし横を向いたちうわけや。

「実はその……困った事になっちまって……

「何が?」

「何がって、はなはだ困るもんやろから、攻めて来よったんや」

「やからさ、何が困るんだよ」

「そないな事をする考はなかったんやけれども、浜田はまだが借せ借せと云うもんやろから……

「浜田と云うのは浜田平助へいすけかいちうわけや」

「ええ」

「浜田に下宿料でも借したのかいちうわけや」

「何そないなものを借したんやおまへん」

「や何を借したんだいちうわけや」

「名前を借したんや」

「浜田が君の名前を借りて何をしたんだいちうわけや」

艶書えんしょを送ったんや」

「何を送った?」

「やから、名前はして、投函役とうかんやくになると云ったんや」

「何だか要領を得んやないか。一体どなたはんが何をしたんだいちうわけや」

艶書えんしょを送ったんや」

「艶書を送った? どなたはんに?」

「やから、話しにくいと云うんや」

「や君が、どこぞの女に艶書を送ったのか」

「えええ、僕やないんや」

「浜田が送ったのかいちうわけや」

「浜田でもないんや」

「やどなたはんが送ったんだいちうわけや」

「どなたはんだか分りまへんんや」

「ちっとも要領を得ないな。ではどなたはんも送らんのかいちうわけや」

「名前だけは僕の名なんや」

「名前だけは君の名だって、何の事だかちっとも分らんやないか。もっともっともっともっともっともっともっともっともっと条理を立てて話すがええ。元来その艶書を受けた当人はだれか」

「金田って向横丁むこうよこちょうにいる女や」

「あの金田ちう実業家か」

「ええ」

「で、名前だけ借したとは何の事だいちうわけや」

「あすこの娘がハイカラで生意気やから艶書を送ったんや。⸺浜田が名前がなくちゃいけへんって云おるさかいに、君の名前をかけって云ったら、僕のやしょーもない。古井武右翼衛門の方がええって⸺それで、とうとう僕の名を借してしもたんや」

「で、君はあすこの娘を知ってるのか。交際でもあるのか」

「交際もなあんもありゃしまへん。顔なんか見た事もおまへん」

「乱暴だな。顔も知りまへん人に艶書をやるなんて、まあどう云う了見で、そないな事をしたんだいちうわけや」

「ただみんながあいつは生意気で威張ってるて云うから、からかってやったんや」

「まんねんまんねん乱暴だな。や君の名を公然とかいて送ったんだな」

「ええ、文章は浜田が書いたんや。僕が名前を借して遠藤が夜あすこのうちまで行って投函して攻めて来よったんや」

「や三人で共同してやったんやね」

「ええ、やけれども、あとから考えると、もしあらわれて退学にでもなるとエライだと思って、どエライ心配して二三日にはんちは寝られへんんで、何だかぼんやりしてしもたんや」

「そりゃまた飛んでもない馬鹿をしたもんや。それで文明中学二年生古井武右翼衛門とでもかいたのかいちうわけや」

「えええ、学校の名なんか書きゃしまへん」

「学校の名を書かないだけまあよかったちうわけや。これで学校の名が出て見るがええ。それこそ文明中学の名誉に関するちうわけや」

「どうでっしゃろ退校になるでっしゃろか」

「そうさな」

「先生、僕のおやじはんはエライやかましい人で、それにおっかはんが継母まんまははやろから、もし退校にでもなろうもんなら、僕あ困っちまうや。ホンマに退校になるでっしゃろか」

「やから滅多めったな真似をせんがええ」

「する気でもなかったんやけどアンタ、ついやってしもたんや。退校にならへんように出来ないでっしゃろか」と武右翼衛門君は泣き出しそうな声をしてしきりに哀願に及んでいるちうわけや。ふすまの蔭では最前さいぜんから細君と雪江はんがくすくす笑っとる。主人はくまでももったいぶって「そうさな」を繰り返しとる。なかなかおもろい。

吾輩がおもろいちうと、何がそないなにおもろいと聞く人があるかも知れへん。聞くのはもっともや。人間にせよ、動物にせよ、おのれを知るのは生涯しょうがいの大事であるちうわけや。おのれを知る事が出来さえすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしいちうわけや。その時は吾輩もこないないたずらを書くのは気の毒やからすぐさまやめてしまうつもりであるちうわけや。せやけどダンさんオノレでオノレの鼻の高さが分りまへんと同じように、自己の何物かはなかなか見当けんとうがつきくいと見えて、平生から軽蔑けいべつしとる猫に向ってさえかような質問をかけるのであろうわ。人間は生意気なようでもやはり、どこぞ抜けとる。万物の霊だやらなんやらとどこへでも万物の霊をかついであるくかと思うと、これしきの事実が理解出来ないちうわけや。しかもてんとして平然たるに至ってはちと一噱いっきゃくを催したくなるちうわけや。彼は万物の霊を背中せなかかついで、おれの鼻はどこにあるか教えてくれ、教えてくれと騒ぎ立てとる。それなら万物の霊を辞職するかと思うと、どう致して死んでも放しそうにせん。このくらい公然と矛盾をして平気でいられれば愛嬌あいきょうになるちうわけや。愛嬌になる代りには馬鹿をもってあまんじなくてはならん。

吾輩がこの際武右翼衛門君と、主人と、細君及雪江嬢を面白がるのは、単に外部の事件が鉢合はちあわせをして、その鉢合せが波動をおつなトコに伝えるからではおまへん。実はその鉢合の反響が人間の心に個々別々の音色ねいろを起すからであるちうわけや。第一主人はこの事件に対してむしろ冷淡であるちうわけや。武右翼衛門君のおやじはんがいかにやかましくって、おっかはんがいかに君を継子まんまこあつかいにしようとも、あんまり驚ろかないちうわけや。驚ろくはずがないちうわけや。武右翼衛門君が退校になるのは、オノレが免職になるのとはおおいおもむきがちゃう。千人近くの生徒がみんな退校になりよったら、教師も衣食のみちに窮するかも知れへんが、古井武右翼衛門君一人いちにんの運命がどう変身しようと、主人の朝夕ちょうせきにはほとんど関係がないちうわけや。関係の薄いトコには同情もおのずから薄い訳であるちうわけや。見ず知らずの人のためにまゆをひそめたり、鼻をかんだり、嘆息をするのは、決して自然の傾向ではおまへん。人間がそないなに情深なさけぶかい、思いやりのある動物であるとははなはだ受け取りにくいちうわけや。ただ世の中に生れて攻めて来よった賦税ふぜいとして、時々交際のために涙を流して見たり、気の毒な顔を作って見せたりするばかりであるちうわけや。云わばごまかしせい表情で、実を云うと大分だいぶ骨が折れる芸術であるちうわけや。このごまかしをうまくやるものを芸術的良心の強い人と云って、これは世間からエライ珍重されるちうわけや。やから人から珍重される人間ほど怪しいものはないちうわけや。試して見ればすぐ分るちうわけや。この点において主人はむしろせつな部類に属すると云ってよろしいちうわけや。拙やから珍重されへん。珍重されへんから、内部の冷淡を存外隠すトコもなく発表しとる。彼が武右翼衛門君に対して「そうさな」を繰り返しとるのでも這裏しゃりの消息はよく分るちうわけや。諸君は冷淡やからと云って、けっして主人のような善人を嫌ってはいけへん。冷淡は人間の本来の性質であって、その性質をかくそうとつとめへんのは正直な人であるちうわけや。もし諸君がかかる際に冷淡以上を望んだら、それこそ人間を買いかぶったと云わなければならへん。正直やら払底ふっていな世にそれ以上を予期するのは、馬琴ばきんの小説から志乃しの小文吾こぶんごが抜けだして、向う三軒両隣へ八犬伝はっけんでんが引き越した時でなくては、あてにならへん無理な注文であるちうわけや。主人はまずこのくらいにして、次には茶の間で笑ってる女連おんなれんに取りかかるが、これは主人の冷淡を一歩むこうまたいで、滑稽こっけいの領分におどり込んで嬉しがっとる。この女連には武右翼衛門君が頭痛に病んでいる艶書事件が、仏陀ぶっだ福音ふくいんのごとくありがたく思われるちうわけや。理由はないただありがたいちうわけや。強いて解剖すれば武右翼衛門君が困るのがありがたいのであるちうわけや。諸君女に向って聞いて御覧、「あんさんは人が困るのを面白がって笑いますわか」と。聞かれた人はこの問を呈出した者を馬鹿と云うやろう、馬鹿と云わなければ、わざとこないな問をかけて淑女の品性を侮辱したと云うやろうわ。侮辱したと思うのは事実かも知れへんが、人の困るのを笑うのも事実であるちうわけや。であるとするやろ、ほしたら、これからわいわいの品性を侮辱するような事をオノレでしてお目にかけまっしゃろから、何とか云っちゃいやよと断わるのと一般であるちうわけや。僕は泥棒をするちうわけや。せやけどダンさんけっして不道徳と云ってはならん。もし不道徳だやらなんやらと云えば僕の顔へ泥を塗ったものであるちうわけや。僕を侮辱したものであるちうわけや。と主張するようなものや。女はなかなか利口だ、考えに筋道が立っとる。いやしくも人間に生れる以上は踏んだり、たり、どやされたりして、しかも人が振りむきもせぬ時、平気でいる覚悟が必用であるのみならず、唾を吐きかけられ、糞をたれかけられた上に、大きな声で笑われるのを快よく思わなくてはならへん。それでなくてはかように利口な女と名のつくものと交際は出来ないちうわけや。武右翼衛門先生もちーとばかししたはずみから、とんだ間違をしておおいに恐れ入ってはいるようなものの、かように恐れ入ってるものを蔭で笑うのは失敬だとくらいは思うかも知れへんが、それは年が行かない稚気ちきちうもので、人が失礼をした時におこるのを気が小さいと先方では名づけるそうやから、そう云われるのがいやならおとなしくするがよろしいちうわけや。ケツに武右翼衛門君の心行きをちーとばかし紹介するちうわけや。君は心配の権化ごんげであるちうわけや。かの偉大なる頭脳はナポレオンのそれが功名心をもって充満せるがごとく、まさに心配をもってはちきれんとしとる。時々その団子っ鼻がぴくぴく動くのは心配が顔面神経につたわって、反射作用のごとく無意識に活動するのであるちうわけや。彼は大きな鉄砲丸てっぽうだまを飲みくだしたごとく、腹の中にいかんともすべからざるかたまりをいだいて、この両三日りょうはんち処置に窮しとる。その切なさの余り、別に分別の出所でどころもないから監督と名のつく先生のトコへ出向いたら、どうか助けてくれるやろうと思って、いやな人のうちへ大きな頭を下げにまかり越したさかいあるちうわけや。彼は平生学校で主人にからかったり、同級生を煽動せんどうして、主人を困らしたりした事はまるで忘れとる。いかにからかおうとも困らせようとも監督と名のつく以上は心配してくれるに相違ないと信じとるらしいちうわけや。随分単純なものや。監督は主人が好んでなりよった役ではおまへん。校長の命によってやむを得ずいただいとる、云わば迷亭の叔父はんの山高帽子の種類であるちうわけや。ただ名前であるちうわけや。ただ名前だけではどうする事も出来ないちうわけや。名前がいざと云う場合に役に立つなら雪江はんは名前だけで見合が出来る訳や。武右翼衛門君はただに我儘ワガママなるのみならず、他人はおのれに向って必ず親切でなくてはならんと云う、人間を買いかぶった仮定から出立しとる。笑われるやらなんやらとは思も寄らなかったろうわ。武右翼衛門君は監督のうちへ来て、きっと人間について、一の真理を発明したに相違ないちうわけや。彼はこの真理のために将来まんねんまんねんホンマの人間になるやろうわ。人の心配には冷淡になるやろう、人の困る時には大きな声で笑うやろうわ。かくのごとくにして天下は未来の武右翼衛門君をもってたされるであろうわ。金田君及び金田令夫人をもって充たされるであろうわ。吾輩は切に武右翼衛門君のために瞬時も早く自覚して真人間まにんげんになられん事を希望するのであるちうわけや。しからずんばいかに心配するとも、いかに後悔するとも、いかに善に移るの心が切実なりとも、とうてい金田君のごとき性交…ひひひ、ウソや、成功は得られんのであるちうわけや。いな社会は遠からずして君を人間の居住地以外に放逐するであろうわ。文明中学の退校どころではおまへん。

かように考えておもろいなと思っとると、格子こうしががらがらとあいて、玄関の障子しょうじの蔭から顔が半分ぬうと出たちうわけや。

「先生」

主人は武右翼衛門君に「そうさな」を繰り返しとったトコへ、先生と玄関から呼ばれたさかい、どなたはんやろうとそっちを見ると半分ほど筋違すじかいに障子からみ出しとる顔はまさしく寒月君であるちうわけや。「おい、御這入おはいり」と云ったぎり坐っとる。

「御客やろか」と寒月君はやはり顔半分で聞き返しとる。

「なに構わん、まあ御上おあがり」

「実はちーとばかし先生を誘いに攻めて来よったんやけどアンタね」

「どこへ行くんだいちうわけや。また赤坂かいちうわけや。あの方面はもう御免や。せんだっては無闇むやみにあるかせられて、足が棒のようになりよった」

「今日は大丈夫や。久し振りに出まへんか」

「どこへ出るんだいちうわけや。まあ御上がり」

「上野へ行って虎の鳴き声を聞こうと思うんや」

「つまらんやないか、それよりちーとばかし御上り」

寒月君はとうてい遠方では談判不調と思ったものか、靴を脱いでのそのそ上がって攻めて来よった。例のごとく鼠色ねずみいろの、尻につぎのあたったずぼんを穿いとるが、これは時代のため、もしくは尻の重いために破れたさかいはない、本人の弁解によると近頃自転車の稽古を始めて局部に比較的ようけの摩擦を与えるからであるちうわけや。未来の細君をもって矚目しょくもくされた本人へふみをつけた恋のあだとは夢にも知らず、「やあ」と云って武右翼衛門君に軽く会釈えしゃくをして椽側えんがわへ近い所へ座をしめたちうわけや。

「虎の鳴き声を聞いたって詰りまへんやないか」

「ええ、今やいけまへん、これから方々散歩して夜十一時頃になって、上野へ行くんや」

「へえ」

「すると公園内の老木は森々しんしんとして物凄ものすごいでっしゃろ」

「そうさな、昼間よりちびっとはさみしいやろうわ」

「それで何でもなるべくの茂った、昼でも人の通りまへん所をってあるいとると、いつのにか紅塵万丈こうじんばんじょうの都会に住んでる気はなくなって、山の中へ迷い込んだような心持ちになるに相違ないや」

「そないな心持ちになってどうするんだいちうわけや」

「そないな心持ちになって、ちーとの間たたずんでいるとたちまち動物園のうちで、虎が鳴くんや」

「そううまく鳴くかいちうわけや」

「大丈夫鳴きまんねん。あの鳴き声は昼でも理科大学へ聞えるくらいなんやろから、深夜闃寂げきせきとして、四望しぼう人なく、鬼気はだえせまって、魑魅ちみ鼻をさい……

「魑魅鼻を衝くとは何の事だいちうわけや」

「そないな事を云うやおまへんか、こわい時に」

「そうかな。あんまり聞かないようやけど。それで」

「それで虎が上野の老杉ろうはんの葉をことごとく振い落すような勢で鳴くでっしゃろ。物凄いでさあ」

「そりゃ物凄いやろうわ」

「どうや冒険に出掛けまへんか。きっと愉快やろうと思うんや。どうしても虎の鳴き声は夜なかに聞かなくっちゃ、聞いたとはいわれへんやろうと思うんや」

「そうさな」と主人は武右翼衛門君の哀願に冷淡であるごとく、寒月君の探検にも冷淡であるちうわけや。

この時まで黙然もくねんとして虎の話をうらやましそうに聞いとった武右翼衛門君は主人の「そうさな」でもっかいオノレの身の上を思い出したと見えて、「先生、僕は心配なんやけどアンタ、どうしたらええでっしゃろ」とまた聞き返す。寒月君は不審な顔をしてこの大きな頭を見たちうわけや。吾輩は思う仔細しさいあってちーとばかし失敬して茶の間へ廻るちうわけや。

茶の間では細君がくすくす笑いながら、京焼の安茶碗に番茶を浪々なみなみいで、アンチモニーの茶托ちゃたくの上へ載せて、

「雪江はん、はばかりさま、これを出して来てくれへんかの」

「わい、いやよ」

「どうして」と細君は少々驚ろいたていで笑いをはたと留めるちうわけや。

「どうしてでも」と雪江はんはやにすたんや顔を即席にこしらえて、そばにあった読売新聞の上にのしかかるように眼を落したちうわけや。細君はもう一応協商きょうしょうを始めるちうわけや。

「あら妙な人ね。寒月はんや。構やせんわ」

「でも、わい、いやなんやもの」と読売新聞の上から眼を放さないちうわけや。こないな時に一字も読めるものではおまへんが、読んでおらへんやらなんやらとあばかれたらまた泣き出すやろうわ。

「ちっとも恥かしい事はないやおまへんか」と今度は細君笑いながら、わざと茶碗を読売新聞の上へ押しやるちうわけや。雪江はんは「あら人の悪るいちうわけや」と新聞を茶碗の下から、抜こうとする拍子に茶托ちゃたくに引きかかって、番茶は遠慮なく新聞の上から畳の目へ流れ込む。「それ御覧なさいちうわけや」と細君が云うと、雪江はんは「あらエライや」と台所へけ出して行ったちうわけや。雑巾ぞうきんでも持ってくる了見りょうけんやろうわ。吾輩にはこの狂言がちーとばかし面白かったちうわけや。

寒月君はそれとも知らず座敷で妙な事を話しとる。

「先生障子しょうじを張りえたんやね。どなたはんが張ったんや」

「女が張ったんや。よく張れとるやろうわ」

「ええなかなかうまいちうわけや。あの時々おいでになる御嬢はんが御張りになりよったんやろか」

「うんあれも手伝ったのさ。このくらい障子が張れれば嫁に行く資格はあると云って威張ってるぜ」

「へえ、なるほど」と云いながら寒月君障子を見つめとる。

「こっちの方はたいらやけどアンタ、右翼のはじは紙が余って波が出来ていますわね」

「あすこが張りたてのトコで、もっとも経験のとぼしい時に出来上ったトコさ」

「なるほど、ちびっと御手際おてぎわが落ちまんねんね。あの表面は超絶的ちょうぜつてき曲線きょくせんでとうてい普通のファンクションではあらわせへんや」と、理学者だけにややこしい事を云うと、主人は

「そうさね」と好い加減な挨拶をしたちうわけや。

この様子ではいつまで嘆願をしていても、とうてい見込がないと思い切った武右翼衛門君は突然かの偉大なる頭蓋骨ずがいこつを畳の上にしつけて、無言のうちに暗に訣別けつべつの意を表したちうわけや。主人は「帰るかいちうわけや」と云ったちうわけや。武右翼衛門君は悄然しょうぜんとして薩摩下駄を引きずって門を出たちうわけや。可愛想かわいそうに。打ちゃって置くと巌頭がんとうぎんでも書いて華厳滝けごんのたきから飛び込むかも知れへん。元をただせば金田令嬢のハイカラと生意気から起った事や。もし武右翼衛門君が死んだら、幽霊になって令嬢を取り殺してやるがええ。あないなものが世界から一人や二人消えてなくなりよったって、男子はすこしも困りまへん。寒月君はもっともっともっともっともっともっともっともっともっと令嬢らしいのを貰うがええ。

「先生ありゃ生徒やろか」

「うん」

「エライ大きな頭やね。学問は出来まっしゃろか」

「頭の割には出来ないがね、時々妙な質問をするよ。こないだてんてんバスを訳してくれへんかのっておおいに弱ったちうわけや」

「まるっきし頭が大き過ぎまっしゃろからそないな余計な質問をするんでっしゃろ。先生何とおっしゃおったんや」

「ええ? なあにい加減な事を云って訳してやったちうわけや」

「それでも訳す事は訳したんやろか、こりゃえらいちうわけや」

「小供は何でも訳してやりまへんと信用せんからね」

「先生もなかなか政治家になったんやね。せやけどダンさん今の様子では、何だかどエライ元気がなくって、先生を困らせるようには見えへんやおまへんか」

「今日はちびっと弱ってるんだよ。馬鹿な奴だよ」

「どうしたんや。何だかちーとばかし見たばかりでどエライ可哀想かわいそうになったんや。全体どうしたんや」

「なにな事さ。金田の娘に艶書えんしょを送ったんや」

「え? あの大頭がやろか。近頃の書生はなかなかえらいもんやね。どうも驚ろいたちうわけや」

「君も心配やろうが……

「何ちっとも心配やおまへん。かえっておもろいや。なんぼ、艶書が降り込んだって大丈夫や」

「そう君が安心していれば構いまへんが……

「構わんやともわいはいっこう構いまへん。せやけどダンさんあの大頭が艶書をかいたと云うには、ちびっと驚ろきまんねんね」

「それがさ。冗談じょうだんにしたんだよ。あの娘がハイカラで生意気やから、からかってやろうって、三人が共同して……

「三人が一本の手紙を金田の令嬢にやったんやろか。まんねんまんねん奇談やね。一人前の西洋料理を三人で食うようなものやおまへんか」

「トコロが手分けがあるんや。一人が文章をかく、一人が投函とうかんする、一人が名前を借す。で今攻めて来よったのが名前を借した奴なんやけどね。これが一番やね。しかも金田の娘の顔も見た事がないって云うんだぜ。どうしてそないな無茶な事が出攻めて来よったものやろうわ」

「そりゃ、近来の大出来や。傑作やね。どうもあの大頭が、女にふみをやるなんておもろいやおまへんか」

「飛んだ間違にならあね」

「なになりよったって構やしまへん、相手が金田やもの」

「だって君が貰うかも知れへん人だぜ」

「貰うかも知れへんから構いまへんんや。なあに、金田なんか、構やしまへん」

「君は構わなくっても……

「なに金田だって構やしまへん、大丈夫や」

「それならそれでええとして、当人があとになって、急に良心に責められて、恐ろしくなりよったものやから、おおいに恐縮して僕のうちへ相談に攻めて来よったんや」

「へえ、それであないなに悄々しおしおとしとるんやろか、気の小さい子と見えまんねんね。先生何とか云っておやんなすったんでっしゃろ」

「本人は退校になるでっしゃろかって、それを一番心配しとるのさ」

「何で退校になるんや」

「そないな悪るい、不道徳な事をしたから」

「何、不道徳と云うほどでもおまへんやね。構やしまへん。金田や名誉に思ってきっと吹聴ふいちょうしていますわよ」

「まさか」

「とにかく可愛想かわいそうや。そないな事をするのがわるいとしても、あないなに心配させちゃ、若い男を一人殺してしまいますわよ。ありゃ頭は大きいが人相はそないなにわるくおまへん。鼻なんかぴくぴくさせて可愛いや」

「君も大分だいぶ迷亭見たように呑気のんきな事を云うね」

「何、これが時代思潮や、先生はあまりむかふうやから、何でもむずかしく解釈なさるんや」

「せやけどダンさんやないか、知りもせんトコへ、いたずらに艶書えんしょを送るなんて、まるで常識をかいてるやないか」

「いたずらは、たいがい常識をかいていまさあ。救っておやんなさいちうわけや。功徳くどくになるんやよ。あの容子ようす華厳けごんの滝へ出掛けまんねんよ」

「そうだな」

「そうなさいちうわけや。もっともっともっともっともっともっともっともっともっと大きな、もっともっともっともっともっともっともっともっともっと分別のある大僧おおぞう共がそれどころやない、わるええたずらをして知らんかおをしていますわよ。あないな子を退校させるくらいなら、そないな奴らをかたぱしから放逐でもしなくっちゃ不公平でさあ」

「それもそうやね」

「それでどうや上野へ虎の鳴き声をききに行くのは」

「虎かいちうわけや」

「ええ、聞きに行きまひょ。実は二三日中にはんちうちにちーとばかし帰国せなならへん事が出来たんやから、当分どこへも御伴おともは出来まへんから、今日は是非いっしょに散歩をしようと思って攻めて来よったんや」

「そうか帰るのかい、用事でもあるのかいちうわけや」

「ええちーとばかし用事が出攻めて来よったんや。⸺ともかくも出ようやおまへんか」

「そうわ。それや出ようか」

「さあ行きまひょ。今日はわいが晩餐ばんはんおごるさかいに、⸺ほんで運動をして上野へ行くとちょうど好い刻限や」としきりにうながすものやから、主人もその気になって、いっしょに出掛けて行ったちうわけや。あとでは細君と雪江はんが遠慮のない声でげらげらけらけらからからと笑っとった。

十一

床の間の前に碁盤を中にえて迷亭君と独仙君が対坐しとる。

「ただはやりまへん。負けた方が何ぞおごるんだぜ。ええかいちうわけや」と迷亭君が念を押すと、独仙君は例のごとく山羊髯やぎひげを引っ張りながら、こうったちうわけや。

「そないな事をすると、せっかくの清戯せいぎ俗了ぞくりょうしてしまうわ。かけやらなんやらで勝負に心を奪われては面白くないちうわけや。成敗せいはいを度外において、白雲の自然にしゅうを出でて冉々サラサラたるごとき心持ちで一局を了してこそ、個中こちゅうあじわいはわかるものだよ」

「また攻めて来よったね。そないな仙骨を相手にしちゃ少々骨が折れ過ぎるちうわけや。宛然えんぜんたる列仙伝中の人物やね」

無絃むげん素琴そきんを弾じさ」

「無線の電信をかけかね」

「とにかく、やろうわ」

「君が白を持つのかいちうわけや」

「どっちでも構いまへん」

「さすがに仙人だけあって鷹揚おうようや。君が白なら自然の順序として僕は黒やね。さあ、攻めて来よったまえ。どこぞらでも攻めて来よったまえ」

「黒から打つのが法則だよ」

「なるほど。しからば謙遜けんそんして、定石じょうせきにここいらから行こうわ」

「定石にそないなのはないよ」

「なくっても構いまへん。新奇発明の定石や」

吾輩は世間が狭いから碁盤と云うものは近来になって始めて拝見したのやけど、考えれば考えるほど妙に出来とる。広くもない四角な板を狭苦しく四角に仕切って、目がくらむほどごたごたと黒白こくびゃくの石をならべるちうわけや。そうして勝ったとか、負けたとか、死んだとか、生きたとか、あぶら汗を流して騒いでいるちうわけや。高が一尺四方くらいの面積や。猫の前足でき散らしても滅茶滅茶になるちうわけや。引き寄せて結べば草のいおりにて、解くればもとの野原なりけり。入らざるいたずらや。懐手ふトコでをして盤を眺めとる方がはるかに気楽であるちうわけや。それも最初の三四十もくは、石の並べ方では別段目障めざわりにもならへんが、いざ天下わけ目と云う間際まぎわのぞいて見ると、いやはや御気の毒な有様や。白と黒が盤から、こぼれ落ちるまでに押し合って、御互にギューギュー云っとる。窮屈やからと云って、隣りの奴にどいて貰う訳にも行かず、邪魔だと申して前の先生に退去を命ずる権利もなし、天命とあきらめて、じっとして身動きもせず、すくんでいるよりほかに、どうする事も出来ないちうわけや。碁を発明したものは人間で、人間の嗜好しこうが局面にあらわれるものとするやろ、ほしたら、窮屈なる碁石の運命はせせこましい人間の性質を代表しとると云っても差支さしつかえへん。人間の性質が碁石の運命で推知すいちする事が出来るものとするやろ、ほしたら、人間とは天空海濶てんくうかいかつの世界を、我からと縮めて、おのれの立つ両足以外には、どうあっても踏み出せぬように、小刀細工こがたなざいくでオノレの領分に縄張りをするのが好きなんだと断言せざるを得ないちうわけや。人間とはしいて苦痛を求めるものであると一言いちごんに評してもよかろうわ。

呑気のんきなる迷亭君と、禅機ぜんきある独仙君とは、どう云う了見か、今日に限って戸棚から古碁盤を引きずり出して、この暑苦しええたずらを始めたさかいあるちうわけや。さすがに御両人御揃おそろいの事やから、最初のうちは各自任意の行動をとって、盤の上を白石と黒石が自由自在に飛び交わしとったが、盤の広さには限りがあって、横竪よこたての目盛りは一手ひとてごとにうまって行くのやから、いかに呑気でも、いかに禅機があっても、苦しくなるのは当り前であるちうわけや。

「迷亭君、君の碁は乱暴だよ。そないな所へ這入はいってくる法はないちうわけや」

「禅坊主の碁にはこないな法はないかも知れへんが、本因坊ほんいんぼうの流儀や、あるんやから仕方がないさ」

「せやけどダンさん死ぬばかりだぜ」

「臣死をだも辞せず、いわんや彘肩ていけんをやと、一つ、こう行くかな」

「そうおいでになりよったと、よろしいちうわけや。薫風みんなみより来って、殿閣微涼びりょうを生ず。こう、ついでおけば大丈夫なものや」

「おや、ついだのは、さすがにえらいちうわけや。まさか、つぐ気遣きづかいはなかろうと思ったちうわけや。ついで、くりゃるな八幡鐘はちまんがねをと、こうやったら、どうするかね」

「どうするも、こうするもないさ。一剣天にって寒し⸺ええ、難儀や。思い切って、切ってしまえ」

「やや、エライエライ。そこを切られちゃ死んでしまうわ。おい冗談じょうだんやないちうわけや。ちーとばかし待ったちうわけや」

「それやから、さっきから云わん事やないちうわけや。こうなってるトコへは這入はいれるものやないんや」

「這入って失敬つかまつり候。ちーとばかしこの白をとってくれたまえ」

「それも待つのかいちうわけや」

「ついでにその隣りのも引き揚げて見てくれたまえ」

「ずうずうしいぜ、おいちうわけや」

「Do you see the boy か。⸺なに君と僕の間柄やないか。そないな水臭い事を言わんと、引き揚げてくれたまえな。死ぬか生きるかと云う場合や。ちーとの間、ちーとの間って花道はなみちからけ出してくるトコだよ」

「そないな事は僕は知らんよ」

「知らなくってもええから、ちーとばかしどけたまえ」

「君さっきから、六ぺん待ったをしたやないか」

「記憶のええ男だな。向後こうごは旧に倍し待ったをつかまつり候。やからちーとばかしどけたまえと云うのだあね。君もよッぽど強情やね。座禅なんかしたら、もうちびっとさばけそうなものや」

「せやけどダンさんこの石でも殺さなければ、僕の方はちびっと負けになりそうやから……

「君は最初から負けても構いまへん流やないか」

「僕は負けても構いまへんが、君には勝たしたくないちうわけや」

「飛んだ悟道や。相変らず春風影裏しゅんぷうえいり電光でんこうをきってるね」

「春風影裏やない、電光影裏だよ。君のはさかさや」

「ハハハハもうたいていかになってええ時分だと思ったら、やはりたしかなトコロがあるね。それや仕方がないあきらめるかな」

生死事大しょうしじだい無常迅速むじょうじんそく、あきらめるさ」

「アーメン」と迷亭先生今度はまるで関係のない方面へぴしゃりと一石いっせきくだしたちうわけや。

床の間の前で迷亭君と独仙君が一生懸命に輸贏しゅえいを争っとると、座敷の入口には、寒月君と東風君が相ならんでそのそばに主人が黄色い顔をして坐っとる。寒月君の前に鰹節かつぶしが三本、裸のまんま畳の上に行儀よく排列してあるのは奇観であるちうわけや。

この鰹節の出処しゅっしょは寒月君のふトコで、取り出した時はあったかく、手のひらに感じたくらい、裸ながらぬくもっとった。主人と東風君は妙な眼をして視線を鰹節の上に注いでいると、寒月君はやがて口を開いたちうわけや。

「実は四日ばかり前に国から帰って攻めて来よったのやが、いろいろ用事があって、方々けあるいとったものやから、つい上がられなかったちうワケや」

「そう急いでくるには及ばないさ」と主人は例のごとく無愛嬌ぶあいきょうな事を云うわ。

「急いで来んでもええのやけれども、このおみやげを早く献上けんじょうせんと心配やろから」

「鰹節やないか」

「ええ、国の名産や」

「名産だって東京にもそないなのは有りそうだぜ」と主人は一番大きな奴を一本取り上げて、鼻の先へ持って行ってにおいをかいで見るちうわけや。

「かいだって、鰹節の善悪よしあしはわかりまへんよ」

「ちびっと大きいのが名産たる所以ゆえんかね」

「まあ食べて御覧なさいちうわけや」

「食べる事はどうせ食べるが、こいつは何だか先が欠けてるやないか」

「それやから早く持って来ないと心配だと云うのや」

「なんでやねん?」

「なんでやねんって、そりゃねずみが食ったちうワケや」

「そいつは危険や。滅多めったに食うとペストになるぜ」

「なに大丈夫、そのくらいかじったって害はおまへん」

「全体どこでかじったんだいちうわけや」

「船の中でや」

「船の中? どうして」

「ぶちこむ所がなかったから、ヴァイオリンといっしょに袋のなかへ入れて、船へ乗ったら、その晩にやられたんや。鰹節かつぶしだけなら、ええのやけれども、大切なヴァイオリンの胴を鰹節と間違えてやはり少々かじったんや」

「そそっかしい鼠やね。船の中に住んでると、そう見境みさかいがなくなるものかな」と主人はどなたはんにも分らん事を云って依然として鰹節をながめとる。

「なに鼠やから、どこに住んでてもそそっかしいのでっしゃろ。やから下宿へ持って来てもまたやられそうでね。剣呑けんのんやからるは寝床の中へ入れて寝たんや」

「ちびっときたないようだぜ」

「やから食べる時にはちーとばかしお洗いなさいちうわけや」

「ちーとばかしくらいや奇麗にゃなりそうもないちうわけや」

「それや灰汁あくでもつけて、ごしごし磨いたらええでっしゃろ」

「ヴァイオリンも抱いて寝たのかいちうわけや」

「ヴァイオリンは大き過ぎるから抱いて寝る訳には行かないんやけどアンタ……」と云いかけると

「なんだって? ヴァイオリンを抱いて寝たって? それは風流や。行く春や重たき琵琶びわのだき心と云う句もあるが、それは遠きそのかみの事や。明治の秀才はヴァイオリンを抱いて寝なくっちゃ古人をしのぐ訳には行かないよ。かいまきに長き夜守よもるやヴァイオリンはどやいちうわけや。東風君、新体詩でそないな事が云えるかいちうわけや」と向うの方から迷亭先生大きな声でこっちの談話にも関係をつけるちうわけや。

東風君は真面目で「新体詩は俳句と違ってそう急には出来まへん。せやけどダンさん出攻めて来よった暁にはもうちびっと生霊せいれい機微きびに触れた妙音が出まんねん」

「そうかね、生霊しょうりょうおがらいて迎え奉るものと思ってたが、やっぱり新体詩の力でも御来臨になるかいちうわけや」と迷亭はまだ碁をそっちのけにして調戯からかっとる。

「そないな無駄口をたたくとまた負けるぜ」と主人は迷亭に用心するちうわけや。迷亭は平気なもので

「勝ちたくても、負けたくても、相手が釜中ふちゅう章魚たこ同然手も足も出せへんのやから、僕も無聊ぶりょうでやむを得ずヴァイオリンの御仲間をつかまつるのさ」と云うと、相手の独仙君はいささか激した調子で

「今度は君の番だよ。こっちで待ってるんや」と云い放ったちうわけや。

「え? もう打ったのかいちうわけや」

「打ったとも、とうに打ったさ」

「どこへ」

「この白をはすに延ばしたちうわけや」

「なあるほど。この白をはすに延ばして負けにけりか、そないならこっちはと⸺こっちは⸺こっちはこっちはとて暮れにけりと、どうもええ手がないね。君もう一返打たしてやるから勝手なトコへ一目いちもく打ちたまえ」

「そないな碁があるものか」

「そないな碁があるものかなら打ちまひょ。⸺それやこのかど地面へちーとばかし曲がって置くかな。⸺寒月君、君のヴァイオリンはあんまり安いから鼠が馬鹿にしてかじるんだよ、もうちびっとええのを奮発して買うさ、僕が以太利亜イタリアから三百年前の古物こぶつを取り寄せてやろうか」

「どうか願いますわ。ついでにお払いの方も願いたいもので」

「そないな古くさいものが役に立つものか」と何にも知りまへん主人は一喝いっかつにして迷亭君をめつけたちうわけや。

「君は人間の古物こぶつとヴァイオリンの古物こぶつと同一視しとるんやろうわ。人間の古物でも金田某のごときものは今だに流行しとるくらいやから、ヴァイオリンに至っては古くさいほどがええのさ。⸺さあ、独仙君どうか御早く願おうわ。けいまさのせりふやないが秋の日は暮れやすいからね」

「君のようなせわせん男と碁を打つのは苦痛だよ。考える暇もなあんもありゃせん。仕方がないから、ここへ一目いちもく入れてにしておこうわ」

「おやおや、とうとう生かしてしもた。惜しい事をしたね。まさかそこへは打つまいと思って、いささか駄弁をふるって肝胆かんたんを砕いとったが、やッぱり駄目か」

「当り前さ。君のは打つのやないちうわけや。ごまかすのや」

「それが本因坊流、金田流、当世紳士流さ。⸺おい苦沙弥先生、さすがに独仙君は鎌倉へ行って万年漬を食っただけあって、物に動じないね。どうも敬々服々や。碁はまずいが、度胸はすわってるちうわけや」

「やから君のような度胸のない男は、ちびっと真似をするがええ」と主人がうしむきのまんまで答えるやいなや、迷亭君は大きな赤い舌をぺろりと出したちうわけや。独仙君はごうも関せざるもののごとく、「さあ君の番や」とまた相手をうながしたちうわけや。

「君はヴァイオリンをいつ頃から始めたのかいちうわけや。僕もちびっと習おうと思うのやけど、よっぽどややこしいものだそうやね」と東風君が寒月君に聞いとる。

「うむ、一と通りならどなたはんにでも出来るさ」

「同じ芸術やから詩歌しいかの趣味のあるものはやはり音楽の方でも上達が早いやろうと、ひそかにたのむトコロがあるんやけど、どやろうわ」

「ええやろうわ。君ならきっと上手になるよ」

「君はいつ頃から始めたのかね」

「高等学校時代さ。⸺先生わいわたくしのヴァイオリンを習い出した顛末てんまつをお話しした事がおましたかね」

「えええ、まだ聞かないちうわけや」

「高等学校時代に先生でもあってやり出したのかいちうわけや」

「なあに先生もなあんもありゃせん。独習さ」

「まるっきし天才やね」

「独習なら天才と限った事もなかろうわ」と寒月君はつんとするちうわけや。天才と云われてつんとするのは寒月君だけやろうわ。

「そりゃ、どうでもええが、どう云う風に独習したのかちーとばかし聞かしたまえ。参考にしたいから」

「話してもええ。先生話しまひょかね」

「ああ話したまえ」

「今では若い人がヴァイオリンの箱をさげて、よく往来やらなんやらをあるいておるんやが、その時分は高等学校生で西洋の音楽やらなんやらをやったものはほとんどなかったちうワケや。ことにわいのおった学校は田舎いなかの田舎で麻裏草履あさうらぞうりさえへんと云うくらいな質朴な所やったから、学校の生徒でヴァイオリンやらなんやらをくものはもちろん一人もおまへん。……

「何だかおもろい話が向うで始まったようや。独仙君ええ加減に切り上げようやないか」

「まだ片づかない所が二三箇所あるちうわけや」

「あってもええ。大概な所なら、君に進上するちうわけや」

「そう云ったって、貰う訳にも行かないちうわけや」

「禅学者にも似合わん几帳面きちょうめんな男や。それや一気呵成いっきかせいにやっちまおうわ。⸺寒月君何だかよっぽど面白そうやね。⸺あの高等学校やろう、生徒が裸足はだしで登校するのは……

「そないな事はおまへん」

「でも、みんなはだしで兵式体操をして、廻れ右翼をやるんで足の皮がエライ厚くなってると云う話だぜ」

「まさか。だれがそないな事を云おったんや」

「だれでもええよ。そうして弁当には偉大なる握り飯を一個、夏蜜柑なつみかんのように腰へぶら下げて来て、それを食うんだって云うやないか。食うと云うよりむしろ食いつくんやね。すると中心から梅干が一個出て来るそうや。この梅干が出るのを楽しみに塩気のない周囲を一心不乱に食い欠いて突進するんだと云うが、なるほど元気旺盛おうせいなものやね。独仙君、君の気に入りそうな話だぜ」

「質朴剛健でたのもしい気風や」

「まだたのもしい事があるちうわけや。あすこには灰吹はいふきがないそうや。僕の友人があすこへ奉職をしとる頃吐月峰とげつほういんのある灰吹きを買いに出たトコロが、吐月峰どころか、灰吹と名づくべきものが一個もないちうわけや。不思議に思って、聞いて見たら、灰吹きやらなんやらは裏のやぶへ行って切って来ればどなたはんにでも出来るから、売る必要はないと澄まして答えたそうや。これも質朴剛健の気風をあらわす美譚びだんやろう、ねえ独仙君」

「うむ、そりゃそれでええが、ここへ駄目を一つ入れなくちゃいけへん」

「よろしいちうわけや。駄目、駄目、駄目と。それで片づいたちうわけや。⸺僕はその話を聞いて、実に驚いたね。そないなトコで君がヴァイオリンを独習したのは見上げたものや。惸独けいどくにして不羣ふぐんなりと楚辞そじにあるが寒月君はまるっきし明治の屈原くつげんだよ」

「屈原はいやや」

「それや今世紀のウェルテルさ。⸺なに石を上げて勘定をしろ? やに物堅ものがた性質たちやね。勘定しなくっても僕は負けてるからたしかや」

「せやけどダンさんきまりがつかないから……

「それや君やってくれたまえ。僕は勘定所やないちうわけや。一代の才人ウェルテル君がヴァイオリンを習い出した逸話を聞かなくっちゃ、先祖へ済まないから失敬するちうわけや」と席をはずして、寒月君の方へすり出して攻めて来よった。独仙君は丹念に白石を取っては白の穴をめ、黒石を取っては黒の穴を埋めて、しきりに口の内で計算をしとる。寒月君は話をつづけるちうわけや。

「土地柄がすでに土地柄だのに、わいの国のものがまたどエライ頑固がんこやので、ちびっとでも柔弱なものがおっては、他県の生徒に外聞がわるいと云って、むやみに制裁を厳重にしたんやから、ずいぶん厄介やった」

「君の国の書生と攻めて来よったら、ホンマに話せへんね。元来何だって、こんの無地のはかまなんぞ穿くんだいちうわけや。第一だいちあれからしておつやね。そうして塩風に吹かれつけとるせいか、どうも、色が黒いね。男やからあれで済むが女があれやさぞかし困るやろうわ」と迷亭君が一人這入はいると肝心かんじんの話はどっかへ飛んで行ってしまうわ。

「女もあの通り黒いのや」

「それでよく貰い手があるね」

「だって一国中いっこくじゅうことごとく黒いのやから仕方がおまへん」

因果いんがやね。ねえ苦沙弥君」

「黒い方がええやろうわ。なまじ白いと鏡を見るたんびに己惚おのぼれが出ていけへん。女と云うものは始末におえへん物件やからなあ」と主人は喟然きぜんとして大息たいそくらしたちうわけや。

「だって一国中ことごとく黒ければ、黒い方で己惚うぬぼれはしまへんか」と東風君がもっともな質問をかけたちうわけや。

「ともかくも女はさらさら不必要な者や」と主人が云うと、

「そないな事を云うと妻君が後でご機嫌がわるいぜ」と笑いながら迷亭先生が用心するちうわけや。

「なに大丈夫や」

「おらへんのかいちうわけや」

「小供を連れて、さっき出掛けたちうわけや」

「どうれで静かだと思ったちうわけや。どこへ行ったのだいちうわけや」

「どこだか分りまへん。勝手に出てあるくのや」

「そうして勝手に帰ってくるのかいちうわけや」

「まあそうや。君は独身でええなあ」と云うと東風君は少々不平な顔をするちうわけや。寒月君はにやにやと笑うわ。迷亭君は

さいを持つとみんなそう云う気になるのさ。ねえ独仙君、君やらなんやらも妻君難の方やろうわ」

「ええ? ちーとばかし待ったちうわけや。四六二十四、二十五、二十六、二十七と。狭いと思ったら、四十六もくあるか。もうちびっと勝ったつもりやったが、こしらえて見ると、たった十八目の差か。⸺何だって?」

「君も妻君難やろうと云うのさ」

「アハハハハ別段難でもないさ。僕のさいは元来僕を愛しとるのやから」

「そいつは少々失敬したちうわけや。それでこそ独仙君や」

「独仙君ばかりやおまへん。そないな例はなんぼでもあるんやよ」と寒月君が天下の妻君に代ってちーとばかし弁護の労を取ったちうわけや。

「僕も寒月君に賛成するちうわけや。僕の考では人間が絶対のいきるには、ただ二つの道があるばかりで、その二つの道とは芸術と恋や。夫婦の愛はその一つを代表するものやから、人間は是非結婚をして、この幸福をまっとうせな天意にそむく訳だと思うんや。⸺がどうでっしゃろ先生」と東風君は相変らず真面目で迷亭君の方へ向き直ったちうわけや。

「御名論や。僕やらなんやらはとうてい絶対のきょう這入はいれそうもないちうわけや」

さいを貰えばなお這入れやせん」と主人はややこしい顔をして云ったちうわけや。

「ともかくもうちら未婚の青年は芸術の霊気にふれて向上の一路を開拓せな人生の意義が分かりまへんやろから、まず手始めにヴァイオリンでも習おうと思って寒月君にさっきから経験譚けいけんだんをきいとるのや」

「そうそう、ウェルテル君のヴァイオリン物語を拝聴するはずやったね。さあ話し給え。もう邪魔はせんから」と迷亭君がようやっと鋒鋩ほうぼうを収めると、

「向上の一路はヴァイオリンやらなんやらで開ける者ではおまへん。そないな遊戯三昧ゆうぎざんまいで宇宙の真理が知れてはエライや。這裡しゃりの消息を知ろうと思えばやはり懸崖けんがいに手をさっして、絶後ぜつごにもっかいよみがえるてい気魄きはくがなければ駄目や」と独仙君はもったい振って、東風君に訓戒じみた説教をしたのはよかったが、東風君は禅宗のぜの字も知りまへん男やからとんと感心したようすもなく

「へえ、そうかも知れまへんが、やはり芸術は人間の渇仰かつごうの極致を表わしたものだと思うでから、どうしてもこれを捨てる訳には参りまへん」

「捨てる訳に行かなければ、お望み通り僕のヴァイオリン談をして聞かせる事にしよう、で今話す通りの次第やから僕もヴァイオリンの稽古をはじめるまでには大分だいぶ苦心をしたよ。第一買うのに困ったんやよ先生」

「そうやろう麻裏草履あさうらぞうりがない土地にヴァイオリンがあるはずがないちうわけや」

「いえ、ある事はあるんや。金も前から用意して溜めたから差支さしつかえへんのやが、どうも買えへんのや」

「なんでやねん?」

「狭い土地やから、買っておればすぐ見つかるんや。見つかれば、すぐ生意気だと云うので制裁を加えられまんねん」

「天才は昔から迫害を加えられるものやからね」と東風君はおおいに同情を表したちうわけや。

「また天才か、どうか天才呼ばわりだけは御免蒙ごめんこうむりたいね。それでね毎日散歩をしてヴァイオリンのある店先を通るたびにあれが買えたら好かろう、あれを手にかかえた心持ちはどないなやろう、ああ欲しい、ああ欲しいと思いまへん日は一日いちんちもなかったちうワケや」

「もっともや」と評したのは迷亭で、「妙にったものやね」としかねたのが主人で、「やはり君、天才だよ」と敬服したのは東風君であるちうわけや。ただ独仙君ばかりは超然としてひげねんしとる。

「そないな所にどうしてヴァイオリンがあるかが第一ご不審かも知れへんやけどアンタ、これは考えて見ると当り前の事や。なんでやねんと云うとこの地方でも女学校があって、女学校の生徒は課業として毎日ヴァイオリンを稽古せなならへんのやから、あるはずや。無論ええのはおまへん。ただヴァイオリンと云う名がかろうじてつくくらいのものであるんや。やから店でもあまり重きをおいておらへんので、二三梃いっしょに店頭へるしておくのや。それがね、時々散歩をして前を通るときに風が吹きつけたり、小僧の手がさわったりして、そらを出す事があるんや。そのを聞くと急に心臓が破裂しそうな心持で、いても立ってもいられなくなるんや」

「危険やね。水癲癇みずてんかん人癲癇ひとでんかんと癲癇にもいろいろ種類があるが君のはウェルテルだけあって、ヴァイオリン癲癇や」と迷亭君が冷やかすと、

「いやそのくらい感覚が鋭敏でなければ真の芸術家にはなれへんや。どうしても天才肌や」と東風君はいよいよ感心するちうわけや。

「ええ実際癲癇てんかんかも知れまへんが、せやけどダンさんあの音色ねいろだけは奇体や。その今日こんにちまで随分ひきたんやがあのくらい美しいが出た事がおまへん。そうさ何と形容してええでっしゃろ。とうてい言いあらわせへんや」

琳琅璆鏘りんろうきゅうそうとして鳴るやないか」とややこしい事を持ち出したのは独仙君やったが、どなたはんも取り合わなかったのは気の毒であるちうわけや。

「わいが毎日毎日店頭を散歩しとるうちにとうとうこの霊異なを三度ききたんや。三度目にどうあってもこれは買わなければならへんと決心したんや。仮令たとい国のものから譴責けんせきされても、他県のものから軽蔑けいべつされても⸺よし鉄拳てっけん制裁のために絶息ぜっそくしても⸺まかり間違って退校の処分を受けても⸺、こればかりは買わんといられへんと思おったんや」

「それが天才だよ。天才でなければ、そないなに思い込める訳のものやないちうわけや。うらやましいちうわけや。僕もどうかして、それほど猛烈な感じを起して見たいと年来心掛けとるが、どうもいけへんね。音楽会やらなんやらへ行って出来るだけ熱心に聞いとるが、どうもそれほどに感興が乗りまへん」と東風君はしきりにうらやましがっとる。

「乗りまへん方が仕合せだよ。今でこそ平気で話すようなもののその時の苦しみはとうてい想像が出来るような種類のものではなかったちうわけや。⸺ほんで先生とうとう奮発して買おったんや」

「ふむ、どうして」

「ちょうど十一月の天長節の前の晩やった。国のものはそろって泊りがけに温泉に行きたんやから、一人もいまへん。わいは病気だと云って、その日は学校も休んで寝ておったんや。今晩こそ一つ出て行ってかねて望みのヴァイオリンを手に入れようと、床の中でその事ばかり考えておったんや」

偽病けびょうをつかって学校まで休んだのかいちうわけや」

「まるっきしそうや」

「なるほどちびっと天才だね、こりゃ」と迷亭君も少々恐れ入った様子であるちうわけや。

「夜具の中から首を出しとると、日暮れが待遠まちどおでたまりまへん。仕方がないから頭からもぐり込んで、眼をねむって待って見たんやが、やはり駄目や。首を出すと烈しい秋の日が、六尺の障子しょうじへ一面にあたって、かんかんするには癇癪かんしゃくが起ったんや。上の方に細長い影がかたまって、時々秋風にゆすれるのが眼につきまんねん」

「何だい、その細長い影と云うのは」

「渋柿の皮をいて、軒へるしておいたちうワケや」

「ふん、ほんで」

「仕方がないから、とこを出て障子をあけて椽側えんがわへ出て、渋柿の甘干あまぼしを一つ取って食おったんや」

「うまかったかいちうわけや」と主人は小供みたような事を聞く。

「うまいや、あの辺の柿は。とうてい東京やらなんやらやあの味はわかりまへんね」

「柿はええがほんで、どうしたいちうわけや」と今度は東風君がきく。

「ほんでまたもぐって眼をふさいで、早く日が暮れればええがと、ひそかに神仏に念じて見たちうわけや。約三四時間も立ったと思う頃、もうよかろうと、首を出すとあにはからんや烈しい秋の日は依然として六尺の障子を照らしてかんかんする、上の方に細長い影がかたまって、ふわふわするちうわけや」

「そりゃ、聞いたよ」

何返なんべんもあるんだよ。ほんで床を出て、障子をあけて、甘干しの柿を一つ食って、また寝床へ這入はいって、早く日が暮れればええと、ひそかに神仏に祈念をこらしたちうわけや」

「やっぱりもとのトコやないか」

「まあ先生そうかんと聞いてくれへんかの。ほんで約三四時間夜具の中で辛抱しんぼうして、今度こそもうよかろうとぬっと首を出して見ると、烈しい秋の日は依然として六尺の障子へ一面にあたって、上の方に細長い影がかたまって、ふわふわしとる」

「いつまで行っても同じ事やないか」

「ほんで床を出て障子を開けて、椽側えんがわへ出て甘干しの柿を一つ食って……

「また柿を食ったのかいちうわけや。どうもいつまで行っても柿ばかり食ってて際限がないね」

「わいもじれったくてね」

「君より聞いてる方がよっぽどじれったいぜ」

「先生はどうも性急せっかちやから、話がしにくくって困るんや」

「聞く方もちびっとは困るよ」と東風君もあんに不平をらしたちうわけや。

「そう諸君が御困りとある以上は仕方がないちうわけや。たいていにして切り上げまひょ。要するにわいは甘干しの柿を食ってはもぐり、もぐっては食い、とうとう軒端のきばるした奴をみんな食ってしもたんや」

「みんな食ったら日も暮れたろうわ」

「トコロがそう行かないので、わいがケツの甘干しを食って、もうよかろうと首を出して見ると、相変らず烈しい秋の日が六尺の障子へ一面にあたって……

「僕あ、もう御免や。いつまで行ってもてしがないちうわけや」

「話すわいもき飽きしまんねん」

「せやけどダンさんそのくらい根気があればたいていの事業は成就じょうじゅするよ。だまってたら、あしたの朝まで秋の日がかんかんするんやろうわ。全体いつ頃にヴァイオリンを買う気なんだいちうわけや」とさすがの迷亭君もちびっと辛抱しんぼうし切れなくなりよったと見えるちうわけや。ただ独仙君のみは泰然として、あしたの朝まででも、あさっての朝まででも、なんぼ秋の日がかんかんしても動ずる気色けしきはさらにないちうわけや。寒月君も落ちつき払ったもので

「いつ買う気だとおっしゃるが、晩になりさえすれば、すぐ買いに出掛けるつもりなんやこれがホンマに。ただ残念な事には、いつ頭を出して見ても秋の日がかんかんしとるものやから⸺いえその時のわいわたくしの苦しみと云ったら、とうてい今あんさん方の御じれになるどころの騒ぎやないや。わいはケツの甘干を食っても、まだ日が暮れへんのを見て、泫然げんぜんとして思わず泣きたんや。東風君、僕は実になさけなくって泣いたよ」

「そうやろう、芸術家は本来多情多恨やから、泣いた事には同情するが、話はもっともっともっともっともっともっともっともっともっと早く進行させたいものやね」と東風君は人がええから、どこまでも真面目で滑稽こっけいな挨拶をしとる。

「進行させたいのは山々やけど、どうしても日が暮れてくれへんものやから困るのさ」

「そう日が暮れなくちゃ聞く方も困るからやめようわ」と主人がとうとう我慢がし切れなくなりよったと見えて云い出したちうわけや。

「やめちゃなお困るんや。これからがいよいよ佳境にるトコやろから」

「それや聞くから、早く日が暮れた事にしたらよかろうわ」

「では、ちびっとご無理なご注文やけどアンタ、先生の事やろから、げて、ここは日が暮れた事に致しまひょ」

「それは好都合や」と独仙君が澄まして述べられたさかい一同は思わずどっと噴き出したちうわけや。

「いよいよに入ったさかい、まず安心とほっと一息ついて鞍懸村くらかけむらの下宿を出たんや。わいは性来しょうらい騒々そうぞうしい所がきらいやろから、わざと便器…おっとちゃうわ、便利な市内を避けて、人迹稀じんせきまれな寒村の百姓家にちーとの間蝸牛かぎゅういおりを結んでいたちうワケや……

人迹の稀なはあんまり大袈裟おおげさやね」と主人が抗議を申し込むと「蝸牛の庵も仰山ぎょうはんだよ。床の間なしの四畳半くらいにしておく方が写生的でおもろい」と迷亭君も苦情を持ち出したちうわけや。東風君だけは「事実はどうでも言語が詩的で感じがええ」とめたちうわけや。独仙君は真面目な顔で「そないな所に住んでいては学校へ通うのがエライやろうわ。何里くらいあるんやろか」と聞いたちうわけや。

「学校まではたった四五丁や。元来学校からして寒村にあるんやろから……

「それや学生はその辺にだいぶ宿をとってるんでっしゃろ」と独仙君はなかなか承知せん。

「ええ、たいていな百姓家には一人や二人は必ずいますわ」

「それで人迹稀なんやろか」と正面攻撃をくらわせるちうわけや。

「ええ学校がなかったら、まるっきし人迹は稀や。……で当夜の服装と云うと、手織木綿ておりもめんの綿入の上へ金釦きんボタンの制服外套がいとうを着て、外套の頭巾ずきんをすぽりとかぶってなるべく人の目につかないような用心をしたんや。折柄おりから柿落葉の時節で宿から南郷街道なんごうかいどうへ出るまではの葉で路が一杯や。一歩ひとあし運ぶごとにがさがさするのが気にかかるんや。どなたはんかあとをつけて来そうでたまりまへん。振り向いて見ると東嶺寺とうれいじの森がこんもりと黒く、暗い中に暗く写っていますわ。この東嶺寺と云うのは松平家まつだいらけ菩提所ぼだいしょで、庚申山こうしんやまふもとにあって、わいの宿とは一丁くらいしかへだたっておらへん、すこぶる幽邃ゆうすい梵刹ぼんせつや。森から上はのべつ幕なしの星月夜で、例の天の河が長瀬川を筋違すじかいに横切って末は⸺末は、そうやね、まず布哇ハワイの方へ流れていますわ……

「布哇は突飛やね」と迷亭君が云ったちうわけや。

「南郷街道をついに二丁来て、鷹台町たかのだいまちから市内に這入って、古城町こじょうまちを通って、仙石町せんごくまちを曲って、喰代町くいしろちょうを横に見て、通町とおりちょうを一丁目、二丁目、三丁目と順に通り越して、ほんで尾張町おわりちょう名古屋町なごやちょう鯱鉾町しゃちほこちょう蒲鉾町かまぼこちょう……

「そないなにいろいろな町を通らなくてもええ。要するにヴァイオリンを買ったのか、買いまへんのか」と主人がじれったそうに聞く。

「楽器のある店は金善かねぜん即ち金子善兵衛方やろから、まだなかなかや」

「なかなかでもええから早く買うがええ」

「かしこまったんや。それで金善方へ来て見ると、店にはランプがかんかんともって……

「またかんかんか、君のかんかんはいっぺんや二度で済まないんやから難渋なんじゅうするよ」と今度は迷亭が予防線を張ったちうわけや。

「いえ、今度のかんかんは、ほんの通り一返のかんかんやろから、別段御心配には及びまへん。……灯影ほかげにすかして見ると例のヴァイオリンが、ほのかに秋のを反射して、くり込んだ胴の丸みに冷たい光を帯びていますわ。つよく張った琴線きんせんの一部だけがきらきらと白く眼にうつるんや。……

「なかなか叙述がうまいや」と東風君がほめたちうわけや。

「あれだな。あのヴァイオリンだなと思うと、急に動悸どうきがして足がふらふらしまんねん……

「ふふん」と独仙君が鼻で笑ったちうわけや。

「思わずけ込んで、隠袋かくしから蝦蟇口がまぐちを出して、蝦蟇口の中から五円札を二枚出して……

「とうとう買ったかいちうわけや」と主人がきく。

「買おうと思おったんやが、まてしばし、ここが肝心かんじんのトコや。滅多めったな事をしてはシッパイするちうわけや。まあよそうと、きわどいトコで思い留まったんや」

「なんだ、まだ買いまへんのかいちうわけや。ヴァイオリン一梃でなかなか人を引っ張るやないか」

「引っ張る訳やないんやけどアンタ、どうも、まだ買えへんんやろから仕方がおまへん」

「なんでやねん」

「なんでやねんって、まだよいの口で人が大勢通るんやもの」

「構わんやないか、人が二百や三百通ったって、君はよっぽど妙な男や」と主人はぷんぷんしとる。

「ただの人なら千が二千でも構いまへんがね、学校の生徒が腕まくりをして、大きなステッキを持って徘徊はいかいしとるんやから容易に手を出せまへんよ。中には沈澱党ちんでんとうやらなんやらと号して、いつまでもクラスの底に溜まって喜んでるのがあるんやからね。そないなのに限って柔道は強いのやよ。滅多めったにヴァイオリンやらなんやらに手出しは出来まへん。どないな目にうかわかりまへん。わいだってヴァイオリンは欲しいに相違ないやけれども、命はこれでも惜しいやろからね。ヴァイオリンをいて殺されるよりも、弾かんと生きてる方が楽や」

「それや、とうとう買わんとやめたんやね」と主人が念を押す。

「いえ、買ったちうワケや」

「じれったい男だな。買うなら早く買うさ。いやならいやでええから、早くかたをつけたらよさそうなものや」

「えへへへへ、世の中の事はそう、こっちの思うようにらちがあくもんやおまへんよ」と云いながら寒月君は冷然と「朝日」へ火をつけてふかし出したちうわけや。

主人は難儀になりよったと見えて、ついと立って書斎へ這入はいったと思ったら、何だか古ぼけた洋書を一冊持ち出して来て、ごろりと腹這はらばいになって読み始めたちうわけや。独仙君はいつのにやら、床の間の前へ退去して、ひとりで碁石を並べて一人相撲ひとりずもうをとっとる。せっかくの逸話もあまり長くかかるので聴手が一人減り二人減って、残るは芸術に忠実なる東風君と、長い事にかつて辟易へきえきした事のない迷亭先生のみとなるちうわけや。

長い煙をふうと世の中へ遠慮なく吹き出した寒月君は、やがて前同様ぜんどうようの速度をもって談話をつづけるちうわけや。

「東風君、僕はその時こう思ったね。とうていこりゃ宵の口は駄目だ、と云って真夜中に来れば金善は寝てしまうからなお駄目や。何でも学校の生徒が散歩から帰りつくして、そうして金善がまだ寝ない時を見計らって来なければ、せっかくの計画が水泡に帰するちうわけや。けれどもその時間をうまく見計うのがややこしい」

「なるほどこりゃむずかしかろうわ」

「で僕はその時間をまあ十時頃と見積ったね。それで今から十時頃までどこぞで暮さなければならへん。うちへ帰って出直すのはエライや。友達のうちへ話しに行くのは何だか気がとがめるようで面白くなし、仕方がないから相当の時間がくるまで市中を散歩する事にしたちうわけや。トコロが平生ならば二時間や三時間はぶらぶらあるいとるうちに、いつのにか経ってしまうのやけどそのに限って、時間のたつのがとろいの何のって、⸺千秋せんしゅうの思とはあないな事を云うのやろうと、しみじみ感じたんや」とさも感じたらしい風をしてわざと迷亭先生の方を向く。

「古人を待つ身につらき置炬燵おきごたつと云われた事があるからね、また待たるる身より待つ身はつらいともあって軒に吊られたヴァイオリンもつらかったろうが、あてのない探偵のようにうろうろ、まごついとる君はなおさらつらいやろうわ。累々るいるいとして喪家そうかの犬のごとし。いや宿のない犬ほど気の毒なものは実際ないよ」

「犬は残酷やね。犬に比較された事はこれでもまだおまへんよ」

「僕は何だか君の話をきくと、むかしの芸術家の伝を読むような気持がして同情の念にえへん。犬に比較したのは先生の冗談じょうだんやから気に掛けんと話を進行したまえ」と東風君は慰藉いしゃしたちうわけや。慰藉されなくても寒月君は無論話をつづけるつもりであるちうわけや。

「ほんで徒町おかちまちから百騎町ひゃっきまちを通って、両替町りょうがえちょうから鷹匠町たかじょうまちへ出て、県庁の前で枯柳の数を勘定して病院の横で窓のを計算して、紺屋橋こんやばしの上で巻煙草まきモクを二本ふかして、そうして時計を見たちうわけや。……

「十時になりよったかいちうわけや」

「惜しい事にならへんね。⸺紺屋橋を渡り切って川添に東へのぼって行くと、按摩あんまに三人あったちうわけや。そうして犬がしきりにえたんやよ先生……

「秋の夜長に川端で犬の遠吠をきくのはちーとばかし芝居がかりやね。君は落人おちゅうどと云う格や」

「何ぞわるい事でもしたんやろか」

「これからしようと云うトコさ」

可哀相かわいそうにヴァイオリンを買うのが悪い事や、音楽学校の生徒はみんな罪人や」

「人が認めへん事をすれば、どないなええ事をしても罪人さ、やから世の中に罪人ほどあてにならへんものはないちうわけや。耶蘇ヤソもあないな世に生れれば罪人さ。好男子寒月君もそないな所でヴァイオリンを買えば罪人さ」

「それや負けて罪人としておきまひょ。罪人はええやけどアンタ十時にならへんのには弱ったんや」

「もう一ぺん、町の名を勘定するさ。それで足りなければまた秋の日をかんかんさせるさ。それでもおっつかなければまた甘干しの渋柿を三ダースも食うさ。いつまでも聞くから十時になるまでやりたまえ」

寒月先生はにやにやと笑ったちうわけや。

「そうせんを越されては降参するよりほかはおまへん。それや一足飛びに十時にしてしまいまひょ。さて御約束の十時になって金善かねぜんの前へ来て見ると、夜寒の頃やろから、さすが目貫めぬき両替町りょうがえちょうもほとんど人通りが絶えて、むこうからくる下駄の音さえさみしい心持ちや。金善ではもう大戸をたてて、わずかにくぐだけを障子しょうじにしていますわ。わいは何となく犬にけられたような心持で、障子をあけて這入はいるのに少々薄気味がわるかったや……

この時主人はきたならしい本からちーとばかし眼をはずして、「おいもうヴァイオリンを買ったかいちうわけや」と聞いたちうわけや。「これから買うトコや」と東風君が答えると「まだ買いまへんのか、実に永いな」とひとごとのように云ってまた本を読み出したちうわけや。独仙君は無言のまんま、白と黒で碁盤を大半うずめてしもた。

「思い切って飛び込んで、頭巾ずきんかぶったまんまヴァイオリンをくれと云いますわと、火鉢の周囲に四五人小僧や若僧がかたまって話をしとったのが驚いて、申し合せたようにわいの顔を見たんや。わいは思わず右翼の手を挙げて頭巾をぐいと前の方に引きたんや。おいヴァイオリンをくれと二度目に云うと、一番前にいて、わいの顔をのぞき込むようにしとった小僧がへえと覚束おぼつかない返事をして、立ち上がって例の店先にるしてあったのを三四梃いっぺんにおろして来たんや。なんぼかと聞くと五円二十銭だと云いますわ……

「おいそないな安いヴァイオリンがあるのかいちうわけや。おもちゃやないか」

「みんな同価どうねかと聞くと、へえ、どれでも変りはございまへん。みんな丈夫に念を入れてこしらえておますと云おるさかいに、蝦蟇口がまぐちのなかから五円札と銀貨を二十銭出して用意の大風呂敷を出してヴァイオリンを包みたんや。このあいだ、店のものは話をヤメしてじっとわいの顔を見ていますわ。顔は頭巾でかくしてあるから分る気遣きづかいはないのやけれども何だか気がせいて一刻も早く往来へ出たくてたまりまへん。ようやっとの事風呂敷包を外套がいとうの下へ入れて、店を出たら、番頭が声をそろえてありがとうと大きな声を出したのにはひやっとしたんや。往来へ出てちーとばかし見廻して見ると、さいわいどなたはんもおらへんようやけどアンタ、一丁ばかりむこうから二三人して町内中に響けとばかり詩吟をして来まんねん。こいつはエライだと金善の角を西へ折れて濠端ほりばた薬王師道やくおうじみちへ出て、はんの木村から庚申山こうしんやますそへ出てようやっと下宿へ帰ったんや。下宿へ帰って見たらもう二時十分前やった」

「夜通しあるいとったようなものやね」と東風君が気の毒そうに云うと「やっと上がったちうわけや。やれやれ長い道中双六どうちゅうすごろくや」と迷亭君はほっと一と息ついたちうわけや。

「これからが聞きどころや。本日この時までは単に序幕や」

「まだあるのかいちうわけや。こいつは容易な事やないちうわけや。たいていのものは君に逢っちゃ根気負けをするね」

「根気はとにかく、ここでやめちゃ仏作って魂入れずと一般やろから、もうちびっと話しまんねん」

「話すのは無論随意さ。聞く事は聞くよ」

「どうや苦沙弥先生も御聞きになっては。もうヴァイオリンは買ってしもたんやよ。ええ先生」

「こん度はヴァイオリンを売るトコかいちうわけや。売るトコなんか聞かなくってもええ」

「まだ売るどこやおまへん」

「そないならなお聞かなくてもええ」

「どうも困るな、東風君、君だけだね、熱心に聞いてくれるのは。ちびっと張合が抜けるがまあ仕方がない、ざっと話してしまおうわ」

「ざっとでなくてもええからゆっくり話したまえ。エライおもろい」

「ヴァイオリンはようやっとの思で手に入れたが、まず第一に困ったのは置き所やね。僕の所へは大分だいぶ人が遊びにくるから滅多めったな所へぶらさげたり、立て懸けたりするとすぐ露見してしまうわ。穴を掘って埋めちゃ掘り出すのが難儀やろうわ」

「そうさ、天井裏へでも隠したかいちうわけや」と東風君は気楽な事を云うわ。

「天井はないさ。百姓家ひゃくしょうやだもの」

「そりゃ困ったろうわ。どこへ入れたいちうわけや」

「どこへ入れたと思うわ」

「わかりまへんね。戸袋のなかか」

「えええ」

「夜具にくるんで戸棚へしもたか」

「えええ」

東風君と寒月君はヴァイオリンのかくについてかくのごとく問答をしとるうちに、主人と迷亭君も何ぞしきりに話しとる。

「こりゃ何と読むのだいちうわけや」と主人が聞く。

「どれ」

「この二行さ」

「何だって? Quid aliud est mulier nisi amicitiae inimica……こりゃ君羅甸語ラテンごやないか」

「羅甸語は分ってるが、何と読むのだいちうわけや」

「だって君は平生羅甸語が読めると云ってるやないか」と迷亭君も危険だと見て取って、ちーとばかし逃げたちうわけや。

「無論読めるさ。読める事は読めるが、こりゃ何だいちうわけや」

「読める事は読めるが、こりゃ何だは手ひどいね」

「何でもええからちーとばかし毛唐のセリフに訳して見ろ」

「見ろは烈しいね。まるで従卒のようやね」

「従卒でもええから何や」

「まあ羅甸語やらなんやらはあとにして、ちーとばかし寒月君のご高話を拝聴つかまつろうやないか。今エライトコだよ。いよいよ露見するか、せんか危機一髪と云う安宅あたかせきへかかってるんや。⸺ねえ寒月君ほんでどうしたいちうわけや」と急に乗気になって、またヴァイオリンの仲間入りをするちうわけや。主人はなさけなくも取り残されたちうわけや。寒月君はこれに勢を得て隠し所を説明するちうわけや。

「とうとう古つづらの中へ隠したんや。このつづらは国を出る時御祖母おばあはんが餞別にくれたものやが、何でも御祖母はんが嫁にくる時持って攻めて来よったものだそうや」

「そいつは古物こぶつやね。ヴァイオリンとはちびっと調和せんようや。ねえ東風君」

「ええ、ちと調和せんや」

「天井裏だって調和せんやないか」と寒月君は東風先生をやり込めたちうわけや。

「調和はせんが、句にはなるよ、安心し給え。秋淋あきさびしつづらにかくすヴァイオリンはどやい、両君」

「先生今日は大分だいぶ俳句が出来まんねんね」

「今日に限った事やないちうわけや。いつでも腹の中で出来てるのさ。僕の俳句における造詣ぞうけいと云ったら、故子規子こしきしも舌をいて驚ろいたくらいのものさ」

「先生、子規はんとは御つき合やったか」と正直な東風君は真率しんそつな質問をかけるちうわけや。

「なにつき合わなくっても始終無線電信で肝胆相照らしとったもんや」と無茶苦茶を云うので、東風先生あきれて黙ってしもた。寒月君は笑いながらまた進行するちうわけや。

「それで置き所だけは出攻めて来よった訳やけど、今度は出すのに困ったちうわけや。ただ出すだけなら人目をかすめてながめるくらいはやれん事はないが、眺めたばかりや何にもならへん。かなければ役に立たないちうわけや。弾けば音が出るちうわけや。出ればすぐ露見するちうわけや。ちょうど木槿垣むくげがきを一重隔てて南隣りは沈澱組ちんでんぐみの頭領が下宿しとるんやから剣呑けんのんだあね」

「困るね」と東風君が気の毒そうに調子を合わせるちうわけや。

「なるほど、こりゃ困るちうわけや。論より証拠音が出るんやから、小督こごうつぼねもまるっきしこれでしくじったんやからね。これがぬすみ食をするとか、贋札にせさつを造るとか云うなら、まだ始末がええが、音曲おんぎょくは人に隠しちゃ出来ないものやからね」

「音さえ出なければどうでも出来るんやけどアンタ……

「ちーとばかし待ったちうわけや。音さえ出なけりゃと云うが、音が出なくてもかくおおせへんのがあるよ。むかし僕等が小石川の御寺で自炊をしとる時分に鈴木のとうはんと云う人がいてね、この藤はんがエライ味淋みりんがすきで、ビールの徳利とっくりへ味淋を買って来ては一人で楽しみに飲んでいたのさ。ある日とうはんが散歩に出たあとで、よせばええのに苦沙弥君がちーとばかし盗んで飲んだトコロが……

「おれが鈴木の味淋やらなんやらをのむものか、飲んだのは君だぜ」と主人は突然大きな声を出したちうわけや。

「おや本を読んでるから大丈夫かと思ったら、やはり聞いてるね。油断の出来ない男や。耳も八丁、目も八丁とは君の事や。なるほど云われて見ると僕も飲んや。僕も飲んだには相違ないが、発覚したのは君の方だよ。⸺両君まあ聞きたまえ。苦沙弥先生元来酒は飲めへんのだよ。トコを人の味淋だと思って一生懸命に飲んだものやから、さあエライ、顔中真赤まっかにはれ上ってね。いやもう二目ふためとは見られへんありさまさ……

「黙っていろ。羅甸語ラテンごも読めへん癖に」

「ハハハハ、それでとうはんが帰って来てビールの徳利をふって見ると、半分以上足りまへん。何でもどなたはんか飲んだに相違ないと云うので見廻して見ると、大将隅の方に朱泥しゅでいを練りかためた人形のようにかたくなっていらあね……

三人は思わず哄然こうぜんと笑い出したちうわけや。主人も本をよみながら、くすくすと笑ったちうわけや。ひとり独仙君に至っては機外きがいろうし過ぎて、少々疲労したと見えて、碁盤の上へのしかかって、いつのにやら、ぐうぐう寝とる。

「まだ音がせんもので露見した事があるちうわけや。僕が昔し姥子うばこの温泉に行って、一人のじじいと相宿になりよった事があるちうわけや。何でも東京の呉服屋の隠居か何ぞやったがね。まあ相宿やから呉服屋やろうが、古着屋やろうが構う事はないが、ただ困った事が一つ出来てしもた。と云うのは僕は姥子うばこへ着いてから三日目に煙草モクを切らしてしもたのさ。諸君も知ってるやろうが、あの姥子と云うのは山の中の一軒屋でただ温泉に這入はいって飯を食うよりほかにどうもこうも仕様のない不便の所さ。ほんで煙草を切らしたのやから御難やね。物はないとなるとなお欲しくなるもので、煙草がないなと思うやいなや、毎日毎晩壱年中そないなでないのが急に呑みたくなり出してね。意地のわるい事に、そのじじいが風呂敷に一杯煙草を用意して登山しとるのさ。それをちびっとずつ出しては、人の前で胡坐あぐらをかいて呑みたいやろうと云いまへんばかりに、すぱすぱふかすのやね。ただふかすだけなら勘弁のしようもあるが、しまいには煙を輪に吹いて見たり、たてに吹いたり、横に吹いたり、乃至ないし邯鄲かんたんゆめまくらぎゃくに吹いたり、または鼻から獅子の洞入ほらいり、洞返ほらがえりに吹いたり。ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は呑みびらかすんだね……

「何や、呑みびらかすと云うのは」

衣装道具いしょうどうぐなら見せびらかすのやけど、煙草やから呑みびらかすのさ」

「へえ、そないな苦しい思いをなさるより貰ったらええでっしゃろ」

「トコロが貰いまへんね。僕も男子や」

「へえ、貰っちゃいけへんんやろか」

「いけるかも知れへんが、貰いまへんね」

「それでどうしたんや」

「貰いまへんでぬすんや」

「おやおや」

「奴はん手拭てぬぐいをぶらさげて湯に出掛けたから、呑むならここだと思って一心不乱立てつづけに呑んで、ああ愉快だと思うもなく、障子しょうじがからりとあいたから、おやと振り返ると煙草の持ち主さ」

「湯には這入らなかったちうワケやか」

「這入ろうと思ったら巾着きんちゃくを忘れたのに気がついて、廊下から引き返したんや。人が巾着でもとりゃしまいし第一ほんでが失敬さ」

「何とも云えまへんね。煙草の御手際おてぎわや」

「ハハハハじじいもなかなか眼識があるよ。巾着はとにかくやけど、じいはんが障子をあけると二日間の溜め呑みをやった煙草の煙りがむっとするほどへやのなかにこもってるやないか、悪事千里とはよく云ったものやね。たちまち露見してしもた」

「じいはん何とかええたんやか」

「さすが年の功だね、何にも言わんと巻煙草まきモクを五六十本半紙にくるんで、失礼やけどアンタ、こないな粗葉そはでよろしければどうぞお呑みくれへんかのましと云って、また湯壺ゆつぼへ下りて行ったよ」

「そないなのが江戸趣味と云うのでっしゃろか」

「江戸趣味だか、呉服屋趣味だか知りまへんが、ほんで僕は爺はんとおおい肝胆相照かんたんあいてらして、二週間の間面白く逗留とうりゅうして帰って攻めて来よったよ」

「煙草は二週間中爺はんの御馳走になりよったんやろか」

「まあそないなトコやね」

「もうヴァイオリンは片ついたかいちうわけや」と主人はようやっと本を伏せて、起き上りながらついに降参を申し込んや。

「まだや。これからがおもろいトコや、ちょうどええ時やろから聞いてくれへんかの。ついでにあの碁盤の上で昼寝をしとる先生⸺何とか云おったんやね、え、独仙先生、⸺独仙先生にも聞いていただきたいな。どうやあないなに寝ちゃ、からだに毒やぜ。もう起してもええでっしゃろ」

「おい、独仙君、起きた起きたちうわけや。おもろい話があるちうわけや。起きるんだよ。そう寝ちゃ毒だとさ。奥はんが心配だとさ」

「え」と云いながら顔を上げた独仙君の山羊髯やぎひげを伝わって垂涎よだれが一筋長々と流れて、蝸牛かたつむりの這ったあとのように歴然と光っとる。

「ああ、眠かったちうわけや。山上の白雲わがものうきに似たりか。ああ、ええ心持ちにたよ」

「寝たのはみんなが認めとるのやけどね。ちっと起きちゃどやいちうわけや」

「もう、起きてもええね。何ぞおもろい話があるかいちうわけや」

「これからいよいよヴァイオリンを⸺どうするんやったかな、苦沙弥君」

「どうするのかな、とんと見当けんとうがつかないちうわけや」

「これからいよいよ弾くトコや」

「これからいよいよヴァイオリンを弾くトコだよ。こっちへ出て来て、聞きたまえ」

「まだヴァイオリンかいちうわけや。困ったな」

「君は無絃むげん素琴そきんを弾ずる連中やから困りまへん方なんやけど、寒月君のは、きいきいぴいぴい近所合壁きんじょがっぺきへ聞えるのやからおおいに困ってるトコや」

「そうかいちうわけや。寒月君近所へ聞えへんようにヴァイオリンを弾くほうを知らんやろか」

「知りまへんね、あるなら伺いたいもので」

「伺わなくても露地ろじ白牛びゃくぎゅうを見ればすぐ分るはずやけど」と、何だか通じない事を云うわ。寒月君はねぼけてあないな珍語をろうするのやろうと鑑定したから、わざと相手にならへんで話頭を進めたちうわけや。

「ようやっとの事で一策を案出したんや。あくる日は天長節やから、朝からうちにいて、つづらのふたをとって見たり、かぶせて見たり一日いちんちそわそわして暮らしてしもたんやがいよいよ日が暮れて、つづらの底でこおろぎが鳴き出した時思い切って例のヴァイオリンと弓を取り出したんや」

「いよいよ出たね」と東風君が云うと「滅多めったに弾くとあぶないよ」と迷亭君が用心したちうわけや。

「まず弓を取って、切先きっさきから鍔元つばもとまでしらべて見る……

「下手な刀屋やあるまいし」と迷亭君が冷評ひやかしたちうわけや。

「実際これがオノレの魂だと思うと、さむらいぎ澄した名刀を、長夜ちょうや灯影ほかげ鞘払さやばらいをする時のような心持ちがするものやよ。わいは弓を持ったまんまぶるぶるとふるえたんや」

「まるっきし天才や」と云う東風君について「まるっきし癲癇てんかんや」と迷亭君がつけたちうわけや。主人は「早く弾いたらよかろうわ」と云うわ。独仙君は困ったものだと云う顔付をするちうわけや。

「ありがたい事に弓は無難や。今度はヴァイオリンを同じくランプのそばへ引き付けて、裏表共よくしらべて見るちうわけや。このあいだ約五分間、つづらの底では始終こおろぎが鳴いとると思ってくれへんかの。……

「何とでも思ってやるから安心して弾くがええ」

「まだ弾きゃしまへん。⸺幸いヴァイオリンもきずがないちうわけや。これなら大丈夫とぬっくと立ち上がる……

「どっかへ行くのかいちうわけや」

「まあちびっと黙って聞いてくれへんかの。そう一句毎に邪魔をされちゃ話が出来ないちうわけや。……

「おい諸君、だまるんだとさ。シーシー」

「しゃべるのは君だけだぜ」

「うん、そうか、これは失敬、謹聴謹聴」

「ヴァイオリンを小脇にい込んで、草履ぞうりつっかけたまんま二三歩草の戸を出たが、まてしばし……

「そらおいでなすったちうわけや。何でも、どっかで停電するに違ないと思ったちうわけや」

「もう帰ったって甘干しの柿はないぜ」

「そう諸先生が御まぜ返しになってははなはだ遺憾いかんの至りやけど、東風君一人を相手にするより致し方がないちうわけや。⸺ええかね東風君、二三歩出たがまた引き返して、国を出るとき三円二十銭で買った赤毛布あかげっとを頭からかぶってね、ふっとランプを消すと君真暗闇まっくらやみになって今度は草履ぞうり所在地ありかが判然しなくなりよった」

「一体どこへ行くんだいちうわけや」

「まあ聞いてたまいちうわけや。ようやっとの事草履を見つけて、表へ出ると星月夜に柿落葉、赤毛布にヴァイオリン。右翼へ右翼へと爪先上つまさきあがりに庚申山こうしんやまへ差しかかってくると、東嶺寺とうれいじの鐘がボーンと毛布けっとを通して、耳を通して、頭の中へ響き渡ったちうわけや。何時なんじだと思う、君」

「知りまへんね」

「九時だよ。これから秋の夜長をたった一人、山道八丁を大平おおだいらと云う所まで登るのやけど、平生なら臆病な僕の事やから、恐しくってたまりまへんトコだけれども、一心不乱となると不思議なもので、こわいにも怖くないにも、毛頭そないな念はてんで心の中に起りまへんよ。ただヴァイオリンが弾きたいばかりで胸が一杯になってるんやから妙なものさ。この大平と云う所は庚申山の南側で天気のええ日に登って見ると赤松の間から城下が一目に見下みおろせる眺望佳絶の平地で⸺そうさ広さはまあ百坪もあろうかね、真中に八畳敷ほどな一枚岩があって、北側はぬまと云う池つづきで、池のまわりは三抱えもあろうと云うくすのきばかりや。山のなかやから、人の住んでる所は樟脳しょうのうる小屋が一軒あるばかり、池の近辺は昼でもあまり心持ちのええ場所やないちうわけや。幸い工兵が演習のため道を切り開いてくれたから、登るのに骨は折れへん。ようやっと一枚岩の上へ来て、毛布けっとを敷いて、ともかくもその上へ坐ったちうわけや。こないな寒い晩に登ったのは始めてなんやから、岩の上へ坐ってちびっと落ち着くと、あたりのさみしさが次第次第に腹の底へみ渡るちうわけや。こう云う場合に人の心を乱すものはただこわいと云う感じばかりやから、この感じさえ引き抜くと、余るトコは皎々冽々こうこうれつれつたる空霊の気だけになるちうわけや。二十分ほど茫然ぼうぜんとしとるうちに何だか水晶で造った御殿のなかに、たった一人住んでるような気になりよった。しかもその一人住んでる僕のからやけど⸺いやからだばかりやない、心も魂もことごとく寒天か何ぞで製造されたごとく、不思議にとおってしまって、オノレが水晶の御殿の中にいるのだか、オノレの腹の中に水晶の御殿があるのだか、わからなくなって攻めて来よった……

「飛んだ事になって攻めて来よったね」と迷亭君が真面目にからかうあとに付いて、独仙君が「おもろい境界きょうがいや」とちびっとく感心したようすに見えたちうわけや。

「もしこの状態が長くつづいたら、わいはあすの朝まで、せっかくのヴァイオリンも弾かんと、ぼんやり一枚岩の上に坐ってたかも知れへんや……

「狐でもいる所かいちうわけや」と東風君がきいたちうわけや。

「こう云う具合で、自他の区別もなくなって、生きとるか死んでおるか方角のつかない時に、突然うしろの古沼の奥でギャーと云う声がしたちうわけや。……

「いよいよ出たね」

「その声が遠く反響を起して満山の秋のこずえを、野分のわきと共に渡ったと思ったら、はっと我に帰った……

「やっと安心したちうわけや」と迷亭君が胸をでおろす真似をするちうわけや。

大死一番たいしいちばん乾坤新けんこんあらたなり」と独仙君は目くばせをするちうわけや。寒月君にはちっとも通じないちうわけや。

「ほんで、我に帰ってあたりを見廻わすと、庚申山こうしんやま一面はしんとして、雨垂れほどの音もせん。はてな今の音は何やろうと考えたちうわけや。人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大き過ぎるし、猿の声にしては⸺この辺によもや猿はおるまいちうわけや。何やろう? 何やろうと云う問題が頭のなかに起ると、これを解釈しようと云うので本日この時まで静まり返っとったやからが、紛然ふんぜん雑然ざつぜん糅然じゅうぜんとしてあたかもコンノート殿下歓迎の当時における都人士狂乱の態度をもって脳裏をかけ廻るちうわけや。そのうちに総身そうしんの毛穴が急にあいて、焼酎しょうちゅうを吹きかけた毛脛けずねのように、勇気、胆力、分別、沈着やらなんやらと号するお客様がすうすうと蒸発して行く。心臓が肋骨の下でステテコを踊り出す。両足が紙鳶たこのうなりのように震動をはじめるちうわけや。これはたまらん。いきなり、毛布けっとを頭からかぶって、ヴァイオリンを小脇にい込んでひょろひょろと一枚岩を飛び下りて、一目散に山道八丁をふもとの方へかけ下りて、宿へ帰って布団ふとんへくるまって寝てしもた。今考えてもあないな気味のわるかった事はないよ、東風君」

「ほんで」

「それでおしまいさ」

「ヴァイオリンは弾かないのかいちうわけや」

「弾きたくっても、弾かれへんやないか。ギャーだもの。君だってきっと弾かれへんよ」

「何だか君の話は物足りまへんような気がするちうわけや」

「気がしても事実だよ。どうや先生」と寒月君は一座を見廻わして大得意のようすであるちうわけや。

「ハハハハこれは上出来。そこまで持って行くにはだいぶ苦心惨憺たるものがあったのやろうわ。僕は男子のサンドラ・ベロニが東方君子のくにに出現するトコかと思って、今が本日この時まで真面目に拝聴しとったんだよ」と云った迷亭君はどなたはんかサンドラ・ベロニの講釈でも聞くかと思のほか、何にも質問が出ないので「サンドラ・ベロニが月下に竪琴たてごとを弾いて、以太利亜風イタリアふうの歌を森の中でうたってるトコは、君の庚申山こうしんやまへヴァイオリンをかかえてのぼるトコと同曲にして異巧なるものやね。惜しい事に向うは月中げっちゅう嫦娥じょうがを驚ろかし、君は古沼ふるぬま怪狸かいりにおどろかされたさかい、きわどいトコで滑稽こっけいと崇高の大差を攻めて来よったしたちうわけや。さぞ遺憾いかんやろうわ」と一人で説明すると、

「そないなに遺憾ではおまへん」と寒月君は存外平気であるちうわけや。

「全体山の上でヴァイオリンを弾こうなんて、ハイカラをやるから、おどかされるんや」と今度は主人が酷評を加えると、

好漢こうかんこの鬼窟裏きくつりに向って生計を営む。惜しい事や」と独仙君は嘆息したちうわけや。ずぅぇえええぇぇええんぶ独仙君の云う事は決して寒月君にわかったためしがないちうわけや。寒月君ばかりではおまへん、ワイが思うにはどなたはんにでもわかりまへんやろうわ。

「そりゃ、そうと寒月君、近頃でも矢張り学校へ行ってたまばかり磨いてるのかね」と迷亭先生はちーとの間して話頭を転じたちうわけや。

「いえ、こないだうちから国へ帰省しとったもんやろから、暫時ざんじヤメの姿や。珠ももうあきたんやから、実はよそうかと思ってるんや」

「だって珠が磨けへんと博士にはなれんぜ」と主人はちびっとく眉をひそめたが、本人は存外気楽で、

「博士やろか、エヘヘヘヘ。博士ならもうならなくってもええんや」

「でも結婚が延びて、双方困るやろうわ」

「結婚ってどなたはんの結婚や」

「君のさ」

「わいがどなたはんと結婚するんや」

「金田の令嬢さ」

「へええ」

「へえって、あれほど約束があるやないか」

「約束なんかありゃしまへん、そないな事を言いらすなあ、向うの勝手や」

「こいつはちびっと乱暴や。ねえ迷亭、君もあの一件は知ってるやろうわ」

「あの一件た、鼻事件かいちうわけや。あの事件なら、君と僕が知ってるばかりやない、公然の秘密として天下一般に知れ渡ってるちうわけや。現に万朝まんちょうなぞでは花聟花嫁と云う表題で両君の写真を紙上に掲ぐるの栄はいつやろう、いつやろうって、うるさく僕のトコへ聞きにくるくらいや。東風君なぞはすでに鴛鴦歌えんおうかと云う一大長篇を作って、三箇月ぜんから待ってるんやけど、寒月君が博士にならへんばかりで、せっかくの傑作も宝の持ち腐れになりそうで心配でたまりまへんそうや。ねえ、東風君そうやろうわ」

「まだ心配するほど持ちあつかってはいまへんが、とにかく満腹の同情をこめた作を公けにするつもりや」

「それ見たまえ、君が博士になるかならへんかで、四方八方へ飛んだ影響が及んでくるよ。ちびっとしっかりして、珠を磨いてくれたまえ」

「へへへへいろいろ御心配をかけて済みまへんが、もう博士にはならへんでもええのや」

「なんでやねん」

「なんでやねんって、わいにはもう歴然れっきとした女房があるんや」

「いや、こりゃえらいちうわけや。いつのに秘密結婚をやったのかね。油断のならへん世の中や。苦沙弥はんただ今御聞き及びの通り寒月君はすでに妻子があるんだとさ」

「ボウズはまだや。そう結婚して一と月もたたないうちにボウズが生れちゃ事でさあ」

「元来いつどこで結婚したんや」と主人は予審判事見たような質問をかけるちうわけや。

「いつって、国へ帰ったら、ちゃんと、うちで待ってたちうワケや。今日先生の所へ持って攻めて来よった、この鰹節かつぶしは結婚祝に親類から貰ったんや」

「たった三本祝うのはけちだな」

「なに沢山のうちを三本だけ持って攻めて来よったのや」

「や御国の女だね、やっぱり色が黒いんやね」

「ええ、真黒や。ちょうどわいには相当や」

「それで金田の方はどうする気だいちうわけや」

「どうする気でもおまへん」

「そりゃちびっと義理がわるかろうわ。ねえ迷亭」

「わるくもないさ。ほかへやりゃ同じ事や。どうせ夫婦なんてものは闇の中で鉢合せをするようなものや。要するに鉢合せをせんでもすむトコをわざわざ鉢合せるんやから余計な事さ。すでに余計な事ならどなたはんとどなたはんの鉢が合ったって構いっこないよ。ただ気の毒なのは鴛鴦歌えんおうかを作った東風君くらいなものさ」

「なに鴛鴦歌は都合によって、ウチへ向けえてもよろしゅうおます。金田家の結婚式にはまた別に作るさかいに」

「さすが詩人だけあって自由自在なものやね」

「金田の方へ断わったかいちうわけや」と主人はまだ金田を気にしとる。

「えええ。断わる訳がおまへん。わいの方でくれとも、貰いたいとも、先方へ申し込んだ事はおまへんから、黙っていれば沢山や。⸺なあに黙ってても沢山や。今時分は探偵が十人も二十人もかかって一部始終残らず知れていますわよ」

探偵と云う言語ことばを聞いた、主人は、急ににがい顔をして

「ふん、そないなら黙っていろ」と申し渡したが、それでもき足らなかったと見えて、なお探偵についてしものような事をさも大議論のように述べられたちうわけや。

「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵や。知らぬに雨戸をはずして人の所有品をぬすむのが泥棒で、知らぬ間に口をすべらして人の心を読むのが探偵や。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志をうるのが探偵や。やから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族でとうてい人の風上かざかみに置けるものではおまへん。そないな奴の云う事を聞くと癖になるちうわけや。決して負けるな」

「なに大丈夫や、探偵の千人や二千人、風上に隊伍を整えて襲撃したってこわくはおまへん。珠磨たまんねんりの名人理学士水島寒月でさあ」

「ひやひや見上げたものや。さすが新婚学士ほどあって元気旺盛おうせいなものやね。せやけどダンさん苦沙弥はん。探偵がスリ、泥棒、強盗の同類なら、その探偵を使う金田君のごときものは何の同類やろうわ」

熊坂長範くまさかちょうはんくらいなものやろうわ」

「熊坂はよかったね。一つと見えたる長範が二つになってぞせにけりと云うが、あないな烏金からすがね身代しんだいをつくった向横丁むこうよこちょうの長範なんかはごうつく張りの、慾張り屋やから、いくつになっても失せる気遣きづかいはないぜ。あないな奴につかまったら因果だよ。生涯しょうがいたたるよ、寒月君用心したまえ」

「なあに、ええや。ああら物々し盗人ぬすびとよ。手並はさきにも知りつらん。それにもりず打ち入るかって、ひどい目に合せてやりまさあ」と寒月君は自若として宝生流ほうしょうりゅう気燄きえんいて見せるちうわけや。

「探偵と云えば二十世紀の人間はたいてい探偵のようになる傾向があるが、どう云う訳やろうわ」と独仙君は独仙君だけに時局問題には関係のない超然たる質問を呈出したちうわけや。

「物価が高いせいでっしゃろ」と寒月君が答えるちうわけや。

「芸術趣味を解せんからでっしゃろ」と東風君が答えるちうわけや。

「人間に文明のつのが生えて、金米糖こんぺいとうのようにいらいらするからさ」と迷亭君が答えるちうわけや。

今度は主人の番であるちうわけや。主人はもったいった口調で、こないな議論を始めたちうわけや。

「それは僕が大分だいぶ考えた事や。僕の解釈によると当世人の探偵的傾向はまるっきし個人の自覚心の強過ぎるのが原因になっとる。僕の自覚心と名づけるのは独仙君の方で云う、見性成仏けんしょうじょうぶつとか、自己は天地と同一体だとか云う悟道のたぐいではおまへん。……

「おや大分だいぶむずかしくなって攻めて来よったようや。苦沙弥君、君にしてそないな大議論を舌頭ぜっとうろうする以上は、かく申す迷亭もはばかりながら御あとで現代の文明に対する不平を堂々と云うよ」

「勝手に云うがええ、云う事もない癖に」

「トコロがあるちうわけや。おおいにあるちうわけや。君なぞはせんだっては刑事巡査を神のごとくうやまい、また今日は探偵をスリ泥棒に比し、まるで矛盾の変怪へんげやけど、僕やらなんやらは終始一貫父母未生ふもみしょうよりどエライ昔いぜんからただ今に至るまで、かつて自説を変じた事のない男や」

「刑事は刑事や。探偵は探偵や。せんだってはせんだってで今日は今日や。自説が変りまへんのは発達せん証拠や。下愚かぐは移らずと云うのは君の事や。……

「これはきびしいちうわけや。探偵もそうまともにくると可愛いトコロがあるちうわけや」

「おれが探偵」

「探偵でないから、正直でええと云うのだよ。喧嘩はおやめおやめ。さあ。その大議論のあとを拝聴しようわ」

「今の人の自覚心と云うのは自己と他人の間に截然せつぜんたる利害の鴻溝こうこうがあると云う事を知り過ぎとると云う事や。そうしてこの自覚心なるものは文明が進むにしたがって一日一日と鋭敏になって行くから、しまいには一挙手一投足も自然天然とは出来ないようになるちうわけや。ヘンレーと云う人がスチーヴンソンを評して彼は鏡のかかった部屋にはいって、鏡の前を通るごとに自己の影を写して見なければ気が済まぬほど瞬時も自己を忘るる事の出来ない人だと評したのは、よく今日こんにち趨勢すうせいを言いあらわしとる。寝てもおれ、めてもおれ、このおれが至るトコにつけまつわっとるから、人間の行為言動が人工的にコセつくばかり、オノレで窮屈になるばかり、世の中が苦しくなるばかり、ちょうど見合をする若い男女の心持ちで朝から晩までくらさなければならへん。悠々ゆうゆうとか従容しょうようとか云う字はかくがあって意味のない言葉になってしまうわ。この点において今代きんだいの人は探偵的であるちうわけや。泥棒的であるちうわけや。探偵は人の目をかすめてオノレだけうまい事をしようと云うショーバイやから、いきおい自覚心が強くならなくては出来ん。泥棒もつかまるか、見つかるかと云う心配が念頭を離れる事がないから、勢自覚心が強くならざるを得ないちうわけや。今の人はどうしたらおのれの利になるか、損になるかと寝てもめても考えつづけやから、勢探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるを得ないちうわけや。二六時中キョトキョト、コソコソして墓にるまで一刻の安心も得ないのは今の人の心や。文明の咒詛じゅそや。馬鹿馬鹿しいちうわけや」

「なるほどおもろい解釈や」と独仙君が云い出したちうわけや。こないな問題になると独仙君はなかなか引込ひっこんでおらへん男であるちうわけや。「苦沙弥君の説明はよく我意わがいを得とる。むかしの人は己れを忘れろと教えたものや。今の人は己れを忘れるなと教えるからまるでちゃう。二六時中己れと云う意識をもって充満しとる。それやから二六時中太平の時はないちうわけや。いつでも焦熱地獄や。天下に何が薬だと云って己れを忘れるより薬な事はないちうわけや。三更月下はんこうげっか入無我むがにいるとはこの至境をえいじたものさ。今の人は親切をしても自然をかいとる。英吉利イギリスのナイスやらなんやらと自慢する行為も存外自覚心が張り切れそうになっとる。英国の天子が印度インドへ遊びに行って、印度の王族と食卓を共にした時に、その王族が天子の前とも心づかんと、つい自国の我流を出して馬鈴薯やがいも手攫てづかみで皿へとって、あとから真赤まっかになってじ入ったら、天子は知らん顔をしてやはり二本指で馬鈴薯を皿へとったそうだ……

「それが英吉利趣味やろか」これは寒月君の質問やった。

「僕はこないな話を聞いたちうわけや」と主人があとをつけるちうわけや。「やはり英国のある兵営で聯隊の士官が大勢して一人の下士官を御馳走した事があるちうわけや。御馳走が済んで手を洗う水を硝子鉢ガラスばちへ入れて出したら、この下士官は宴会になれんと見えて、硝子鉢を口へあてて中の水をぐうと飲んでしもた。すると聯隊長が突然下士官の健康を祝すと云いながら、やはりフㇶンガー・ボールの水を一息に飲み干したそうや。ほんでみいる士官も我劣らじと水盃みずさかずきを挙げて下士官の健康を祝したと云うぜ」

「こないなはなしもあるよ」とだまってる事のきらいな迷亭君が云ったちうわけや。「カーライルが始めて女皇じょこうに謁した時、宮廷の礼にならわぬ変物へんぶつの事やから、先生突然どうやと云いながら、どさりと椅子へ腰をおろしたちうわけや。トコロが女皇のうしろに立っとった大勢の侍従や官女がみんなくすくす笑い出した⸺出したさかいはない、出そうとしたのさ、すると女皇が後ろを向いて、ちーとばかし何ぞ相図をしたら、多勢おおぜいの侍従官女がいつのにかみんな椅子へ腰をかけて、カーライルは面目を失わなかったと云うんやけど随分御念の入った親切もあったもんや」

「カーライルの事なら、みんなが立ってても平気やったかも知れまへんよ」と寒月君が短評を試みたちうわけや。

「親切の方の自覚心はまあええがね」と独仙君は進行するちうわけや。「自覚心があるだけ親切をするにも骨が折れる訳になるちうわけや。気の毒な事さ。文明が進むに従って殺伐の気がなくなる、個人と個人の交際がおだやかになるやらなんやらと普通云うが大間違いさ。こないなに自覚心が強くって、どうしておだやかになれるものか。なるほどちーとばかし見るとごくしずかで無事なようやけど、御互の間はどエライ苦しいのさ。ちょうど相撲が土俵の真中でつに組んで動かないようなものやろうわ。はたから見ると平穏至極やけど当人の腹は波を打っとるやないか」

喧嘩けんかむかしの喧嘩は暴力で圧迫するのやからかえって罪はなかったが、近頃やなかなか巧妙になってるからなおなお自覚心が増してくるんやね」と番が迷亭先生の頭の上に廻って来るちうわけや。「ベーコンの言葉に自然の力に従って始めて自然に勝つとあるが、今の喧嘩は正にベーコンの格言通りに出来上ってるから不思議や。ちょうど柔術のようなものさ。敵の力を利用して敵をたおす事を考える……

「または水力電気のようなものやね。水の力に逆らいまへんでかえってこれを電力に変身して立派に役に立たせる……」と寒月君が言いかけると、独仙君がすぐそのあとを引き取ったちうわけや。「やから貧時ひんじにはひんばくせられ、富時ふじにはに縛せられ、憂時ゆうじにはゆうに縛せられ、喜時きじにはに縛せられるのさ。才人は才にたおれ、智者は智に敗れ、苦沙弥君のような癇癪持かんしゃくもちは癇癪を利用さえすればすぐに飛び出して敵のぺてんにかか……

「ひやひや」と迷亭君が手をたたくと、苦沙弥君はにやにや笑いながら「これでなかなかそううまくは行かないのだよ」と答えたら、みんないっぺんに笑い出したちうわけや。

「時に金田のようなのは何で斃れるやろうわ」

「女房は鼻で斃れ、主人は因業いんごうで斃れ、子分は探偵で斃れか」

「娘は?」

「娘は⸺娘は見た事がないから何とも云えへんが⸺まず着倒れか、食い倒れ、もしくは呑んだくれのたぐいやろうわ。よもや恋い倒れにはなるまいちうわけや。ことによると卒塔婆小町そとばこまちのように行き倒れになるかも知れへん」

「それはちびっとひどいちうわけや」と新体詩を捧げただけに東風君が異議を申し立てたちうわけや。

「やから応無所住おうむしょじゅう生其心しょうごしんと云うのは大事な言葉だ、そう云う境界きょうがいに至らんと人間は苦しくてならん」と独仙君しきりにひとり悟ったような事を云うわ。

「そう威張るもんやないよ。君やらなんやらはことによると電光影裏でんこうえいりにさか倒れをやるかも知れへんぜ」

「とにかくこの勢で文明が進んで行った日にや僕は生きてるのはいやや」と主人がええ出したちうわけや。

「遠慮はいりまへんから死ぬさ」と迷亭が言下ごんか道破どうはするちうわけや。

「死ぬのはなおいやや」と主人がわからん強情を張るちうわけや。

「生れる時にはどなたはんも熟考して生れるものは有りまへんが、死ぬ時にはどなたはんも苦にすると見えまんねんね」と寒月君がよそよそしい格言をのべるちうわけや。

「金を借りるときには何の気なしに借りるが、返す時にはみんな心配するのと同じ事さ」とこないな時にすぐ返事の出来るのは迷亭君であるちうわけや。

「借りた金を返す事を考えへんものは幸福であるごとく、死ぬ事を苦にせんものは幸福さ」と独仙君は超然として出世間的しゅっせけんてきであるちうわけや。

「君のように云うとゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は図太ずぶといのが悟ったのやね」

「そうさ、禅語に鉄牛面てつぎゅうめん鉄牛心てつぎゅうしん、牛鉄面の牛鉄心と云うのがあるちうわけや」

「そうして君はその標本と云う訳かね」

「そうでもないちうわけや。せやけどダンさん死ぬのを苦にするようになりよったのは神経衰弱と云う病気が発明されてから以後の事だよ」

「なるほど君やらなんやらはどこぞら見ても神経衰弱よりどエライ昔の民だよ」

迷亭と独仙が妙な掛合かけあいをのべつにやっとると、主人は寒月東風二君を相手にしてしきりに文明の不平を述べとる。

「どうして借りた金を返さんと済まっしゃろかが問題であるちうわけや」

「そないな問題はおまへんよ。借りたものは返さなくちゃなりまへんよ」

「まあさ。議論やから、だまって聞くがええ。どうして借りた金を返さんと済まっしゃろかが問題であるごとく、どうしたら死なんと済むかが問題であるちうわけや。いな問題やった。錬金術れんきんじゅつはこれであるちうわけや。ずぅぇえええぇぇええんぶの錬金術はシッパイしたちうわけや。人間はどうしても死ななければならん事が分明ぶんみょうになりよった」

「錬金術よりどエライ昔から分明や」

「まあさ、議論やから、だまって聞いていろ。ええかいちうわけや。どうしても死ななければならん事が分明になりよった時に第二の問題が起るちうわけや」

「へえ」

「どうせ死ぬなら、どうして死んだらよかろうわ。これが第二の問題であるちうわけや。自殺クラブはこの第二の問題と共に起るべき運命を有しとる」

「なるほど」

「死ぬ事は苦しい、せやけどダンさん死ぬ事が出来なければなお苦しいちうわけや。神経衰弱の国民には生きとる事が死よりもはなはだしき苦痛であるちうわけや。したがって死を苦にするちうわけや。死ぬのがいややから苦にするのではおまへん、どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのであるちうわけや。ただたいていのものは智慧ちえが足りまへんから自然のまんまに放擲ほうてきしておくうちに、世間がいじめ殺してくれるちうわけや。せやけどダンさん一と癖あるものは世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではおまへん。かならずや死に方に付いて種々考究の結果、嶄新ざんしんな名案を呈出するに違ないちうわけや。やからして世界向後こうご趨勢すうせいは自殺者が増加して、その自殺者が皆独創的な方法をもってこの世を去るに違ないちうわけや」

大分だいぶ物騒ぶっそうな事になるんやね」

「なるよ。たしかになるよ。アーサー・ジョーンスと云う人のかいた脚本のなかにしきりに自殺を主張する哲学者があって……

「自殺するんやろか」

「トコロが惜しい事にせんのやけどね。せやけどダンさん今から千年も立てばみんな実行するに相違ないよ。万年ののちには死と云えば自殺よりほかに存在せんもののように考えられるようになるちうわけや」

「エライ事になるんやね」

「なるよきっとなるちうわけや。そうなると自殺も大分研究が積んで立派な科学になって、落雲館のような中学校で倫理の代りに自殺学を正科として授けるようになるちうわけや」

「妙やな、傍聴に出たなんぼいのものやね。迷亭先生御聞きになったんやか。苦沙弥先生の御名論を」

「聞いたよ。その時分になると落雲館の倫理の先生はこう云うね。諸君公徳やらなんやらと云う野蛮の遺風を墨守ぼくしゅしてはなりまへん。世界の青年として諸君が第一に用心すべき義務は自殺であるちうわけや。せやけどダンさんておのれの好むトコはこれを人にほどこして可なる訳やから、自殺を一歩展開して他殺にしてもよろしいちうわけや。ことに表の窮措大きゅうそだい珍野苦沙弥氏のごときものは生きてござるのが大分苦痛のように見受けらるるから、一刻も早く殺して進ぜるのが諸君の義務であるちうわけや。もっとも昔と違って今日は開明の時節であるからやり薙刀なぎなたもしくは飛道具のたぐいを用いるような卑怯ひきょうな振舞をしてはなりまへん。ただあてこすりの高尚なる技術によって、からかい殺すのが本人のため功徳くどくにもなり、また諸君の名誉にもなるのであるんや。……

「なるほどおもろい講義をしまんねんね」

「まだおもろい事があるよ。現代では警察が人民の生命財産を保護するのを第一の目的としとる。トコロがその時分になると巡査が犬殺しのような棍棒こんぼうをもって天下の公民を撲殺ぼくさつしてあるく。……

「なんでやねんや」

「なんでやねんって今の人間は生命いのちが大事やから警察で保護するんやけど、その時分の国民は生きてるのが苦痛やから、巡査が慈悲のためにち殺してくれるのさ。もっともちびっと気のいたものは大概自殺してしまうから、巡査に打殺ぶちころされるような奴はよくよく意気地なしか、自殺の能力のない白痴もしくは不具者に限るのさ。それで殺されたい人間は門口かどぐちへ張札をしておくのやね。なにただ、殺されたい男ありとか女ありとか、はりつけておけば巡査が都合のええ時にまわってきて、すぐ志望通り取計ってくれるのさ。死骸かね。死骸はやっぱり巡査が車を引いて拾ってあるくのさ。まだおもろい事が出来てくるちうわけや。……

「どうも先生の冗談じょうだんは際限がおまへんね」と東風君はおおいに感心しとる。すると独仙君は例の通り山羊髯やぎひげを気にしながら、のそのそ弁じ出したちうわけや。

「冗談と云えば冗談やけど、予言と云えば予言かも知れへん。真理に徹底せんものは、とかく眼前の現象世界に束縛せられて泡沫ほうまつ夢幻むげんを永久の事実と認定したがるものやから、ちびっと飛び離れた事を云うと、すぐ冗談にしてしまうわ」

燕雀えんやくいずくんぞ大鵬たいほうこころざしを知らんややね」と寒月君が恐れ入ると、独仙君はそうさと云わぬばかりの顔付で話を進めるちうわけや。

むかしスペインにコルドヴァと云う所があった……

「今でもありゃせんか」

「あるかも知れへん。今昔の問題はとにかく、そこの風習として日暮れの鐘がお寺で鳴ると、家々の女がことごとく出て来て河へ這入はいって水泳をやる……

「冬もやるんやろか」

「その辺はたしかに知らんが、とにかく貴賤老若きせんろうにゃくの別なく河へ飛び込む。ただし男子は一人も交りまへん。ただ遠くから見とる。遠くから見とると暮色蒼然ぼしょくそうぜんたる波の上に、白いはだえ模糊もことして動いとる……

「詩的やね。新体詩になるんやね。なんと云う所やろか」と東風君は裸体らたいが出さえすれば前へ乗り出してくるちうわけや。

「コルドヴァさ。ほんで地方の若いものが、女といっしょに泳ぐ事も出来ず、さればと云って遠くから判然その姿を見る事も許されへんのを残念に思って、ちーとばかしいたずらをした……

「へえ、どないな趣向だいちうわけや」といたずらと聞いた迷亭君はおおいに嬉しがるちうわけや。

「お寺の鐘つき番に賄賂わいろを使って、日没を合図にく鐘を一時間前に鳴らしたちうわけや。すると女やらなんやらは浅墓あさはかなものやから、そら鐘が鳴ったと云うので、めいめい河岸かしへあつまって半襦袢はんじゅばん半股引はんももひきの服装でざぶりざぶりと水の中へ飛び込んや。飛び込みはしたものの、毎日毎晩壱年中と違って日が暮れへん」

はげしい秋の日がかんかんしやせんか」

「橋の上を見ると男が大勢立ってながめとる。恥ずかしいがどうする事も出来ないちうわけや。大に赤面したそうや」

「それで」

「それでさ、人間はただ眼前の習慣に迷わされて、根本の原理を忘れるものやから気をつけへんと駄目だと云う事さ」

「なるほどありがたい御説教や。眼前の習慣に迷わされの御話しを僕も一つやろうか。この間ある雑誌をよんだら、こう云う詐欺師さぎしの小説があったちうわけや。僕がまあここで書画骨董店こっとうてんを開くとするちうわけや。で店頭に大家のふくや、名人の道具類を並べておく。無論贋物にせものやない、正直正銘しょうじきしょうめい、うそいつわりのない上等品ばかり並べておく。上等品やからみんな高価にきまってるちうわけや。そこへ物数奇ものずきな御客はんが来て、この元信もとのぶの幅はなんぼだねと聞く。六百円なら六百円と僕が云うと、その客が欲しい事はほしいが、六百円では手元に持ち合せがないから、残念やけどまあ見合せようわ」

「そう云うときまってるかいちうわけや」と主人は相変らず芝居気しばいぎのない事を云うわ。迷亭君はぬからぬ顔で、

「まあさ、小説だよ。云うとしておくんや。ほんで僕がなにだいは構いまへんから、お気に入ったら持っていらっしゃいと云うわ。客はそうも行かないからと躊躇ちゅうちょするちうわけや。それや月賦げっぷでいただきまひょ、月賦も細く、長く、どうせこれから御贔屓ごひいきになるんやろから⸺いえ、ちっとも御遠慮には及びまへん。どうや月に十円くらいや。何なら月に五円でも構いまへんと僕がごくきさくに云うんや。ほんで僕と客の間に二三の問答があって、とど僕が狩野法眼かのうほうげん元信の幅を六百円せやけど月賦十円払込の事で売渡す」

「タイムスの百科全書見たようやね」

「タイムスはたしかやけど、僕のはすこぶる不慥ふたしかだよ。これからがいよいよ巧妙なる詐偽に取りかかるのだぜ。よく聞きたまえ月十円ずつで六百円なら何年で皆済かいさいになると思う、寒月君」

「無論五年でっしゃろ」

「無論五年。で五年の歳月は長いと思うか短かいと思うか、独仙君」

一念万年いちねんばんねん万年一念ばんねんいちねん。短かくもあり、短かくもなしや」

「何だそりゃ道歌どうかか、常識のない道歌やね。ほんで五年の間毎月十円ずつ払うのやから、ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は先方では六十回払えばええのや。せやけどダンさんそこが習慣の恐ろしいトコで、六十回も同じ事を毎月繰り返しとると、六十一回にもやはり十円払う気になるちうわけや。六十二回にも十円払う気になるちうわけや。六十二回六十三回、回を重ねるにしたがってどうしても期日がくれば十円払わなくては気が済まないようになるちうわけや。人間は利口のようやけど、習慣に迷って、根本を忘れると云う大弱点があるちうわけや。その弱点に乗じて僕が何度でも十円ずつ毎月得をするのさ」

「ハハハハまさか、それほど忘れっぽくもならへんでっしゃろ」と寒月君が笑うと、主人はいささか真面目で、

「いやそう云う事はまるっきしあるよ。僕は大学の貸費たいひを毎月毎月勘定せんと返して、しまいにむこうから断わられた事があるちうわけや」とオノレの恥を人間一般の恥のように公言したちうわけや。

「そら、そう云う人が現にここにおるからたしかなものや。やから僕の先刻さっき述べた文明の未来記を聞いて冗談だやらなんやらと笑うものは、六十回でええ月賦を生涯しょうがい払って正当だと考える連中や。ことに寒月君や、東風君のような経験のとぼしい青年諸君は、よく僕らの云う事を聞いてだまされへんようにしなくっちゃいけへん」

「かしこまったんや。月賦は必ず六十回限りの事に致しまんねん」

「いや冗談のようやけど、実際参考になる話や、寒月君」と独仙君は寒月君に向いだしたちうわけや。「例あげたろか、たとえばやなあやね。今苦沙弥君か迷亭君が、君が無断で結婚したのが穏当おんとうでないから、金田とか云う人に謝罪しろと忠告したら君どうや。謝罪する了見やろか」

「謝罪は御容赦にあずかりたいやね。向うがあやまるなら特別、わいの方ではそないな慾はおまへん」

「警察が君にあやまれと命じたらどうや」

「なおなお御免蒙ごめんこうむるんや」

「大臣とか華族ならどうや」

「いよいよもって御免蒙るんや」

「それ見たまえ。昔と今とは人間がそれだけ変ってるちうわけや。昔は御上おかみの御威光なら何でも出攻めて来よった時代や。その次には御上の御威光でも出来ないものが出来てくる時代や。今の世はいかに殿下でも閣下でも、ある程度以上に個人の人格の上にのしかかる事が出来ない世の中や。はげしく云えば先方に権力があればあるほど、のしかかられるものの方では不愉快を感じて反抗する世の中や。やから今の世はむかしと違って、御上の御威光やから出来ないのだと云う新現象のあらわれる時代や、昔しのものから考えると、ほとんど考えられへんくらいな事柄が道理で通る世の中や。世態人情の変遷と云うものは実に不思議なもので、迷亭君の未来記も冗談だと云えば冗談に過ぎないのやけど、その辺の消息を説明したものとするやろ、ほしたら、なかなかあじわいがあるやないやろか」

「そう云う知己ちきが出てくると是非未来記の続きが述べたくなるね。独仙君の御説のごとく今の世に御上の御威光をかさにきたり、竹槍の二三百本をたのみにして無理を押し通そうとするのは、ちょうどカゴへ乗って何でもでも汽車と競争しようとあせる、時代後れの頑物がんぶつ⸺まあわからずやの張本ちょうほん烏金からすがね長範先生ちょうはんせんせいくらいのものやから、黙って御手際おてぎわを拝見していればええが⸺僕の未来記はそないな当座間に合せの小問題やないちうわけや。人間全体の運命に関する社会的現象やからね。つらつら目下文明の傾向を達観して、遠き将来の趨勢すうせいぼくすると結婚が不可能の事になるちうわけや。驚ろくなかれ、結婚の不可能。訳はこうさ。ぜん申す通り今の世は個性中心の世であるちうわけや。一家を主人が代表し、一郡を代官が代表し、一国を領主が代表した時分には、代表者以外の人間には人格はまるでなかったちうわけや。あっても認められなかったちうわけや。それががらりと変ると、あらゆる生存者がことごとく個性を主張し出して、だれを見ても君は君、僕は僕だよと云わぬばかりの風をするようになるちうわけや。ふたりの人が途中で逢えばうぬが人間なら、おれも人間だぞと心のうち喧嘩けんかを買いながら行きちゃう。それだけ個人が強くなりよった。個人が平等に強くなりよったから、個人が平等に弱くなりよった訳になるちうわけや。人がおのれを害する事が出来にくくなりよった点において、たしかにオノレは強くなりよったのやけど、滅多めったに人の身の上に手出しがならなくなりよった点においては、明かに昔より弱くなりよったんやろうわ。強くなるのは嬉しいが、弱くなるのはどなたはんもありがたくないから、人から一毫いちごうおかされまいと、強い点をあくまで固守するといっぺんに、せめて半毛はんもうでも人をおかしてやろうと、弱いトコは無理にもひろげたくなるちうわけや。こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きてるのが窮屈になるちうわけや。出来るだけオノレを張りつめて、はち切れるばかりにふくれ返って苦しがって生存しとる。苦しいから色々の方法で個人と個人との間に余裕を求めるちうわけや。かくのごとく人間が自業自得で苦しんで、その苦しまぎれに案出した第一の方案は親子別居の制さ。大日本帝国でも山の中へ這入って見給え。一家一門いっけいちもんことごとく一軒のうちにごろごろしとる。主張すべき個性もなく、あっても主張せんから、あれで済むのやけど文明の民はたとい親子の間でもお互に我儘ワガママを張れるだけ張らなければ損になるからいきおい両者の安全を保持するためには別居せなならへん。欧洲は文明が進んでおるから大日本帝国より早くこの制度が行われとる。たまたま親子同居するものがあっても、息子むすこがおやじから利息のつく金を借りたり、他人のように下宿料を払ったりするちうわけや。親が息子の個性を認めてこれに尊敬を払えばこそ、こないな美風が成立するのや。この風は早晩大日本帝国へも是非輸入せなならん。親類はとくに離れ、親子は今日こんにちに離れて、やっと我慢しとるようなものの個性の発展と、発展につれてこれに対する尊敬の念は無制限にのびて行くから、まだ離れなくては楽が出来ないちうわけや。せやけどダンさん親子兄弟の離れたる今日、もう離れるものはない訳やから、ケツの方案として夫婦が分れる事になるちうわけや。今の人の考ではいっしょにおるから夫婦だと思ってるちうわけや。それが大きな了見違いさ。いっしょにいるためにはいっしょにいるに充分なるだけ個性が合わなければならへんやろうわ。昔しなら文句はないさ、異体同心とか云って、目には夫婦二人に見えるが、内実は一人前いちにんまえなんやからね。それやから偕老同穴かいろうどうけつとか号して、死んでも一つ穴の狸に化けるちうわけや。野蛮なものさ。今はそうは行かないやね。夫はあくまでも夫で妻はどうしたって妻やからね。その妻が女学校で行灯袴あんどんばかま穿いて牢乎ろうこたる個性をきたえ上げて、束髪姿で乗り込んでくるんやから、どエライ夫の思う通りになる訳がないちうわけや。また夫の思い通りになるような妻なら妻やない人形やからね。賢夫人になればなるほど個性はすごいほど発達するちうわけや。発達すればするほど夫と合わなくなるちうわけや。合わなければ自然のいきおい夫と衝突するちうわけや。やから賢妻と名がつく以上は朝から晩まで夫と衝突しとる。まことに結構な事やけど、賢妻を迎えれば迎えるほど双方共苦しみの程度が増してくるちうわけや。水と油のように夫婦の間には截然せつぜんたるしきりがあって、それも落ちついて、しきりが水平線を保っていればまだしもやけど、水と油が双方から働らきかけるのやから家のなかは大地震のように上がったり下がったりするちうわけや。ここにおいて夫婦雑居はお互の損だと云う事が次第に人間に分ってくるちうわけや。……

「それで夫婦がわかれるんやろか。心配だな」と寒月君が云ったちうわけや。

「わかれるちうわけや。きっとわかれるちうわけや。天下の夫婦はみんな分れるちうわけや。本日この時まではいっしょにいたのが夫婦やったが、これからは同棲どうせいしとるものは夫婦の資格がないように世間からもくされてくるちうわけや」

「するとわいなぞは資格のない組へ編入される訳やね」と寒月君はきわどいトコでのろけを云ったちうわけや。

「明治の御代みよに生れて幸さ。僕やらなんやらは未来記を作るだけあって、頭脳が時勢より一二歩ずつ前へ出とるからちゃんと今から独身でいるんだよ。人は失恋の結果だやらなんやらと騒ぐが、近眼者のるトコは実に憐れなほど浅薄なものや。それはとにかく、未来記の続きを話すとこうさ。その時一人の哲学者が天降あまくだって破天荒はてんこうの真理を唱道するちうわけや。その説にいわくさ。人間は個性の動物であるちうわけや。個性を滅すれば人間を滅すると同結果におちいるちうわけや。いやしくも人間の意義をまったからしめんためには、いかなるあたいを払うとも構いまへんからこの個性を保持するといっぺんに発達せしめなければならん。かの陋習ろうしゅうに縛せられて、いやいやながら結婚を執行するのは人間自然の傾向に反した蛮風であって、個性の発達せざる蒙昧もうまいの時代はいざ知らず、文明の今日こんにちなおこの弊竇へいとうおちいっててんとしてかえりみないのははなはだしき謬見びゅうけんであるちうわけや。開化の高潮度に達せる今代きんだいにおいて二個の個性が普通以上に親密の程度をもって連結され得べき理由のあるべきはずがないちうわけや。この覩易みやすき理由はあるにも関らず無教育の青年男女が一時の劣情に駆られて、みだり合卺ごうきんの式を挙ぐるは悖徳没倫はいとくぼつりんのはなはだしき所為であるちうわけや。吾人は人道のため、文明のため、彼等青年男女の個性保護のため、全力を挙げこの蛮風に抵抗せざるべからず……

「先生わいはその説にはさらさら反対や」と東風君はこの時思い切った調子でぴたりと平手ひらて膝頭ひざがしらを叩いたちうわけや。「わいの考では世の中に何がたっといと云って愛と美ほど尊いものはないと思うで。吾々を慰藉いしゃし、吾々を完全にし、吾々を幸福にするのはまるっきし両者の御蔭であるんや。吾人の情操を優美にし、品性を高潔にし、同情を洗錬するのはまるっきし両者の御蔭であるんや。やから吾人はいつの世いずくに生れてもこの二つのものを忘れることが出来ないや。この二つの者が現実世界にあらわれると、愛は夫婦と云う関係になるんや。美は詩歌しいか、音楽の形式に分れまんねん。それやからいやしくも人類の地球の表面に存在する限りは夫婦と芸術は決して滅する事はなかろうと思うで」

「なければ結構やけど、今哲学者が云った通りちゃんと滅してしまうから仕方がないと、あきらめるさ。なに芸術だ? 芸術だって夫婦と同じ運命に帰着するのさ。個性の発展ちうのは個性の自由と云う意味やろうわ。個性の自由と云う意味はおれはおれ、人は人と云う意味やろうわ。その芸術なんか存在出来る訳がないやないか。芸術が繁昌するのは芸術家と享受者きょうじゅしゃの間に個性の一致があるからやろうわ。君がなんぼ新体詩家だって踏張ふんばっても、君の詩を読んでおもろいと云うものが一人もなくっちゃ、君の新体詩も御気の毒やけど君よりほかに読み手はなくなる訳やろうわ。鴛鴦歌えんおうかをいく篇作ったって始まりまへんやね。幸いに明治の今日こんにちに生れたから、天下がこぞって愛読するのやろうが……

「いえそれほどでもおまへん」

「今でさえそれほどでなければ、人文じんぶんの発達した未来すなわち例の一大哲学者が出て非結婚論を主張する時分にはどなたはんもよみ手はなくなるぜ。いや君のやから読まないのやないちうわけや。人々個々にんにんここおのおの特別の個性をもってるから、人の作った詩文やらなんやらは一向いっこう面白くないのさ。現に今でも英国やらなんやらではこの傾向がちゃんとあらわれとる。現今英国の小説家中でもっとも個性のいちじるしい作品にあらわれた、メレジスを見給え、ジェームスを見給え。読み手はきわめて少ないやないか。少ないわけさ。あないな作品はあないな個性のある人でなければ読んで面白くないんやから仕方がないちうわけや。この傾向がだんだん発達して婚姻が不道徳になる時分には芸術もまったく滅亡さ。そうやろう君のかいたものは僕にわからなくなる、僕のかいたものは君にわからなくなりよった日にゃ、君と僕の間には芸術も糞もないやないか」

「そりゃそうやけれどもわいはどうも直覚的にそう思われへんんや」

「君が直覚的にそう思われなければ、僕は曲覚的きょっかくてきにそう思うまでさ」

「曲覚的かも知れへんが」と今度は独仙君が口を出す。「とにかく人間に個性の自由を許せば許すほど御互の間が窮屈になるに相違ないよ。ニーチェが超人なんかかつぎ出すのもまるっきしこの窮屈のやりどころがなくなって仕方なしにあないな哲学に変形したものやね。ちーとばかし見るとあれがあの男の理想のように見えるが、ありゃ理想やない、不平さ。個性の発展した十九世紀にすくんで、隣りの人には心置なく滅多めったに寝返りも打てへんから、大将ちびっとやけになってあないな乱暴をかき散らしたのやね。あれを読むと壮快と云うよりむしろ気の毒になるちうわけや。あの声は勇猛精進ゆうもうしょうじんの声やない、どうしても怨恨痛憤えんこんつうふんおんや。それもそのはずさ昔は一人えらい人があれば天下翕然きゅうぜんとしてその旗下にあつまるのやから、愉快なものさ。こないな愉快が事実に出てくればなあんもニーチェ見たように筆と紙の力でこれを書物の上にあらわす必要がないちうわけや。やからホーマーでもチェヴィ・チェーズでも同じく超人的な性格を写しても感じがまるでちゃうからね。陽気ださ。愉快にかいてあるちうわけや。愉快な事実があって、この愉快な事実を紙に写しかえたのやから、苦味にがみはないはずや。ニーチェの時代はそうは行かないよ。英雄なんか一人も出やせん。出たってどなたはんも英雄と立てやせん。昔は孔子こうしがたった一人やったから、孔子も幅をかしたのやけど、今は孔子が幾人もいるちうわけや。ことによると天下がことごとく孔子かも知れへん。やからおれは孔子だよと威張ってもおしが利かないちうわけや。利かないから不平や。不平やから超人やらなんやらを書物の上だけで振り廻すのさ。吾人は自由を欲して自由を得たちうわけや。自由を得た結果不自由を感じて困っとる。それやから西洋の文明やらなんやらはちーとばかしええようでもゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は駄目なものさ。これに反して東洋や昔しから心の修行をしたちうわけや。その方が正しいのさ。見給え個性発展の結果みんな神経衰弱を起して、始末がつかなくなりよった時、王者おうしゃたみ蕩々とうとうたりと云う句の価値を始めて発見するから。無為むいにしてすと云う語の馬鹿に出来ない事を悟るから。せやけどダンさん悟ったってその時はもうしようがないちうわけや。アルコール中毒にかかって、ああ酒を飲まなければよかったと考えるようなものさ」

「先生方は大分だいぶ厭世的な御説のようやけど、わいは妙やね。いろいろ伺っても何とも感じまへん。どう云うものでっしゃろ」と寒月君が云うわ。

「そりゃ妻君を持ち立てやからさ」と迷亭君がすぐ解釈したちうわけや。すると主人が突然こないな事を云い出したちうわけや。

さいを持って、女はええものだやらなんやらと思うと飛んだ間違になるちうわけや。参考のためやから、おれがおもろい物を読んで聞かせるちうわけや。よく聴くがええ」と最前さいぜん書斎から持って攻めて来よった古くさい本を取り上げて「この本は古くさい本やけど、この時代から女のわるい事は歴然と分ってるちうわけや」と云うと、寒月君が

「ちびっと驚きたんやな。元来いつ頃の本やろか」と聞く。「タマス・ナッシと云って十六世紀の著書や」

「いよいよ驚ろいたちうわけや。その時分すでにわいのさいの悪口を云ったものがあるんやろか」

「いろいろ女の悪口があるが、その内には是非君のさいも這入る訳やから聞くがええ」

「ええ聞きまんねんよ。ありがたい事になったんやね」

「まず古来の賢哲が女性観を紹介すべしと書いてあるちうわけや。ええかね。聞いてるかね」

「みんな聞いてるよ。独身の僕まで聞いてるよ」

「アリストートルいわく女はどうせろくでなしなれば、嫁をとるなら、大きな嫁より小さな嫁をとるべし。大きな碌でなしより、小さな碌でなしの方がわざわい少なし……

「寒月君の妻君は大きいかい、小さいかいちうわけや」

「大きな碌でなしの部や」

「ハハハハ、こりゃおもろい本や。さああとを読んや」

「或る人問う、いかなるかこれ最大奇蹟さいだいきせき。賢者答えて曰く、貞婦……

「賢者ってだれやろか」

「名前は書いてへん」

「どうせ振られた賢者に相違ないね」

「次にはダイオジニスが出とる。或る人問う、妻をめとるいずれの時においてすべきか。ダイオジニス答えて曰く青年はいまだし、老年はすでに遅し。とあるちうわけや」

「先生たるの中で考えたね」

「ピサゴラスいわく天下に三の恐るべきものあり曰く火、曰く水、曰く女」

希臘ギリシャの哲学者やらなんやらは存外迂濶うかつな事を云うものやね。僕に云わせると天下に恐るべきものなし。火にって焼けず、水に入って溺れず……」だけで独仙君ちーとばかし行き詰るちうわけや。

「女に逢ってとろけずやろうわ」と迷亭先生が援兵に出るちうわけや。主人はさっさとあとを読む。

「ソクラチスは婦女子をぎょするは人間の最大難事と云えり。デモスセニス曰く人もしその敵を苦しめんとせば、わが女を敵に与うるより策の得たるはあらず。家庭の風波に日となくとなく彼を困憊こんぱい起つあたわざるに至らしむるを得ればなりと。セネカは婦女と無学をもって世界における二大厄とし、マーカス・オーレリアスは女子は制御し難き点において船舶に似たりと云い、プロータスは女子が綺羅きらを飾るの性癖をもってその天稟てんぴんの醜をおおうの陋策ろうさくにもとづくものとせり。ヴァレリアスかつて書をその友某におくって告げて曰く天下に何事も女子の忍んでなし得ざるものあらず。願わくは皇天あわれみを垂れて、君をして彼等の術中におちいらしむるなかれと。彼また曰く女子とは何ぞ。友愛の敵にあらずや。避くべからざる苦しみにあらずや、必然の害にあらずや、自然の誘惑にあらずや、みつに似たる毒にあらずや。もし女子を棄つるが不徳ならば、彼等を棄てざるは一層の呵責かしゃくと云わざるべからず。……

「もう沢山や、先生。そのくらい愚妻のわる口を拝聴すれば申し分はおまへん」

「まだ四五ページあるから、ついでに聞いたらどや」

「もうたいていにするがええ。もう奥方の御帰りの刻限やろうわ」と迷亭先生がからかい掛けると、茶の間の方で

「清や、清や」と細君が下女を呼ぶ声がするちうわけや。

「こいつはエライや。奥方はちゃんといるぜ、君」

「ウフフフフ」と主人は笑いながら「構うものか」と云ったちうわけや。

「奥はん、奥はん。いつのに御帰りやろか」

茶の間ではしんとして答がないちうわけや。

「奥はん、今のを聞いたんやろか。え?」

答はまだないちうわけや。

「今のはね、御主人の御考ではおまへんや。十六世紀のナッシ君の説やろから御安心なさいちうわけや」

「存じまへん」と妻君は遠くで簡単な返事をしたちうわけや。寒月君はくすくすと笑ったちうわけや。

「わいも存じまへんで失礼したんやアハハハハ」と迷亭君は遠慮なく笑ってると、門口かどぐちをあらあらしくあけて、頼むとも、御免とも云わず、大きな足音がしたと思ったら、座敷の唐紙が乱暴にあいて、多々良三平たたらはんぺい君の顔がその間からあらわれたちうわけや。

三平君今日はいつに似ず、真白なシャツに卸立おろしたてのフロックを着て、すでに幾分か相場そうばを狂わせてる上へ、右翼の手へ重そうに下げた四本の麦酒ビールを縄ぐるみ、鰹節かつぶしそばへ置くといっぺんに挨拶もせず、どっかと腰を下ろして、かつ膝を崩したのは目覚めざましい武者振むしゃぶりであるちうわけや。

「先生胃病は近来ええやろか。こうやって、うちにばかりいなさるから、いかんたいちうわけや」

「まだ悪いとも何ともいやせん」

「いわんばってんが、顔色はよかなかごたるちうわけや。先生顔色がきいやばいちうわけや。近頃は釣がええや。品川から舟を一艘雇うて⸺わいはこの前の日曜に行きたんや」

「何ぞ釣れたかいちうわけや」

「なあんも釣れまへん」

「釣れなくってもおもろいのかいちうわけや」

浩然こうぜんの気を養うたい、あんさん。どうやあんさんがたちうわけや。釣に行った事があるんやか。おもろいや釣は。大きな海の上を小舟で乗り廻わしてあるくのやからね」とどなたはん彼の容赦なく話しかけるちうわけや。

「僕は小さな海の上を大船で乗り廻してあるきたいんや」と迷亭君が相手になるちうわけや。

「どうせ釣るなら、くじらか人魚でも釣らなくっちゃ、詰りまへんや」と寒月君が答えたちうわけや。

「そないなものが釣れまっしゃろか。文学者は常識がないやね。……

「僕は文学者やおまへん」

「そうやろか、何やろかあんさんは。わいのようなビジネス・マンになると常識が一番大切やろからね。先生わいは近来よっぽど常識に富んで来たんや。どうしてもあないな所にいると、はたが傍やから、おのずから、そうなってしまうや」

「どうなってしまうのや」

煙草モクでもやね、朝日や、敷島しきしまをふかしていては幅がかんや」と云いながら、吸口に金箔きんぱくのついた埃及エジプト煙草を出して、すぱすぱ吸い出した、

「そないな贅沢ぜいたくをする金があるのかいちうわけや」

「金はなかばってんが、今にどうかなるたいちうわけや。この煙草を吸ってると、エライ信用が違いますわ」

「寒月君が珠を磨くよりも楽な信用でええ、手数てすうがかかりまへん。軽便信用やね」と迷亭が寒月にいうと、寒月が何とも答えへん間に、三平君は

「あんさんが寒月はんやろか。博士にゃ、とうとうならんやろか。あんさんが博士にならんものやから、わいが貰う事にしたんや」

「博士をやろか」

「えええ、金田家の令嬢をや。実は御気の毒と思うたやたいちうわけや。せやけどダンさん先方で是非貰うてくれ貰うてくれと云うから、とうとう貰う事にめたんや、先生。せやけどダンさん寒月はんに義理がわるいと思って心配していますわ」

「どうか御遠慮なく」と寒月君が云うと、主人は

「貰いたければ貰ったら、ええやろうわ」と曖昧あいまいな返事をするちうわけや。

「そいつはおめでたい話や。やからどないな娘を持っても心配するがものはないんだよ。だれか貰うと、さっき僕が云った通り、ちゃんとこないな立派な紳士の御むこはんが出攻めて来よったやないか。東風君新体詩の種が出攻めて来よった。早速とりかかりたまえ」と迷亭君が例のごとく調子づくと三平君は

「あんさんが東風君やろか、結婚の時に何ぞ作ってくれまへんか。すぐ活版にして方々へくばるんや。太陽へも出してもらいますわ」

「ええ何ぞ作りまひょ、いつごろ入用にゅうようやろか」

「いつでもええや。本日この時まで作ったうちでもええや。その代りや。披露ひろうのとき呼んで御馳走ごちそうするや。シャンパンを飲ませるや。君シャンパンを飲んだ事があるんやか。シャンパンはうまいや。⸺先生披露会のときに楽隊を呼ぶつもりやけどアンタ、東風君の作を譜にして奏したらどうでっしゃろ」

「勝手にするがええ」

「先生、譜にして下さらんか」

「馬鹿云え」

「だれか、このうちに音楽の出来るものはおらんやろか」

「落第の候補者寒月君はヴァイオリンの妙手だよ。しっかり頼んで見たまえ。せやけどダンさんシャンパンくらいや承知しそうもない男や」

「シャンパンもやね。一瓶ひとびん四円や五円のやよくないや。わいの御馳走するのはそないな安いのやないやけどアンタ、君一つ譜を作ってくれまへんか」

「ええ作るんやとも、一瓶二十銭のシャンパンでも作るんや。なんならただでも作るんや」

「ただは頼みまへん、御礼はするや。シャンパンがいやなら、こう云う御礼はどうや」と云いながら上着の隠袋かくしのなかから七八枚の写真を出してばらばらと畳の上へ落す。半身があるちうわけや。全身があるちうわけや。立ってるのがあるちうわけや。坐ってるのがあるちうわけや。はかま穿いてるがあるちうわけや。振袖ふりそでがあるちうわけや。高島田があるちうわけや。ことごとく妙齢の女子ばかりであるちうわけや。

「先生候補者がこれだけあるや。寒月君と東風君にこのうちどれか御礼に周旋してもええや。こりゃどうや」と一枚寒月君につき付けるちうわけや。

「ええやね。是非周旋を願いまひょ」

「これでもええやろか」とまた一枚つきつけるちうわけや。

「それもええやね。是非周旋してくれへんかの」

「どれをや」

「どれでもええや」

「君なかなか多情やね。先生、これは博士のめいや」

「そうか」

「この方は性質がごくええや。年も若いや。これで十七や。⸺これなら持参金が千円あるんや。⸺こっちのは知事の娘や」と一人で弁じ立てるちうわけや。

「それをみんな貰う訳にゃいかないでっしゃろか」

「みんなやろか、それはあまり慾張りたいちうわけや。君一夫多妻主義いっぷたさいしゅぎやろか」

「多妻主義やないやけどアンタ、肉食論者にくしょくろんしゃや」

「何でもええから、そないなものは早くしもたら、よかろうわ」と主人は叱りつけるように言い放ったさかい、三平君は

「それや、どれも貰わんやね」と念を押しながら、写真を一枚一枚にポッケットへ収めたちうわけや。

「何だいそのビールは」

「お見やげでござるんや。前祝まえいわいかどの酒屋で買うて来たんや。一つ飲んでくれへんかの」

主人は手をって下女を呼んでせんを抜かせるちうわけや。主人、迷亭、独仙、寒月、東風の五君はうやうやしくコップを捧げて、三平君の艶福えんぷくを祝したちうわけや。三平君はおおいに愉快な様子で

「ここにいる諸君を披露会に招待しまっけど、みんな出てくれまっしゃろか、出てくれるでっしゃろね」と云うわ。

「おれはいやや」と主人はすぐ答えるちうわけや。

「なんでやねんやろか。わいの一生にいっぺんの大礼たいれいやばいちうわけや。出てくんなさらんか。ちびっと不人情のごたるな」

「不人情やないが、おれは出ないよ」

「着物がないやろか。羽織とはかまくらいどうでもしまんねんたいちうわけや。ちと人中ひとなかへも出るがよかたい先生。有名な人に紹介して上げまんねん」

真平まっぴらめんや」

「胃病がなおるんやばいちうわけや」

「癒らんでも差支さしつかえへん」

「そげん頑固張がんこばりなさるならやむを得まへん。あんさんはどうや来てくれまっしゃろか」

「僕かね、是非行くよ。出来るなら媒酌人ばいしゃくにんたるの栄を得たなんぼいのものや。シャンパンの三々九度や春の宵。⸺なに仲人なこうどは鈴木のとうはんだって? なるほどそこいらやろうと思ったちうわけや。これは残念やけど仕方がないちうわけや。仲人が二人出来ても多過ぎるやろう、ただの人間としてまさに出席するよ」

「あんさんはどうや」

「僕やろか、一竿風月いっかんのふうげつ閑生計かんせいけい人釣ひとはつりす白蘋紅蓼間はくひんこうりょうのかん

「何やろかそれは、唐詩選やろか」

「何だかわからんや」

「わからんやろか、困るんやな。寒月君は出てくれるでっしゃろね。本日この時までの関係もあるから」

「きっと出る事にしまんねん、僕の作った曲を楽隊が奏するのを、きき落すのは残念やろからね」

「そうやとも。君はどうや東風君」

「そうやね。出て御両人ごりょうにんの前で新体詩を朗読したいや」

「そりゃ愉快や。先生わいは生れてから、こないな愉快な事はないや。やからもう一杯ビールを飲みまんねん」とオノレで買って攻めて来よったビールを一人でぐいぐい飲んで真赤まっかになりよった。

短かい秋の日はようやっと暮れて、巻煙草の死骸しがいが算を乱す火鉢のなかを見れば火はとくの昔に消えとる。さすが呑気のんきの連中もちびっとく興が尽きたと見えて、「大分だいぶ遅くなりよった。もう帰ろうか」とまず独仙君が立ち上がるちうわけや。つづいて「僕も帰るちうわけや」と口々に玄関に出るちうわけや。寄席よせがはねたあとのように座敷は淋しくなりよった。

主人は夕飯ゆうはんをすまして書斎に入るちうわけや。妻君は肌寒はださむ襦袢じゅばんえりをかき合せて、あらざらしの不断着を縫うわ。小供は枕を並べて寝るちうわけや。下女は湯に行ったちうわけや。

呑気のんきと見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこぞ悲しい音がするちうわけや。悟ったようでも独仙君の足はやはり地面のほかは踏まぬ。気楽かも知れへんが迷亭君の世の中は絵にかいた世の中ではおまへん。寒月君は珠磨たまんねんりをやめてとうとうお国から奥はんを連れて攻めて来よった。これが順当や。せやけどダンさん順当が永く続くと定めし退屈やろうわ。東風君も今十年したら、無暗に新体詩を捧げる事の非を悟るやろうわ。三平君に至っては水に住む人か、山に住む人かちと鑑定がややこしい。生涯しょうがい三鞭酒シャンパンを御馳走して得意と思う事が出来れば結構や。鈴木のとうはんはどこまでもころがって行く。転がれば泥がつく。泥がついても転がれぬものよりも幅がく。猫と生れて人の世に住む事もはや二年越しになるちうわけや。オノレではこれほどの見識家はまたとあるまいと思うとったが、先達せんだってカーテル・ムルと云う見ず知らずの同族が突然大気燄だいきえんげたさかい、ちーとばかし吃驚びっくりしたちうわけや。よくよく聞いて見たら、実は百年ぜんに死んだのやけど、ふとした好奇心からわざと幽霊になって吾輩を驚かせるために、遠い冥土めいどから出張したのだそうや。この猫は母と対面をするっちうとき、挨拶のしるしとして、一匹のさかなくわえて出掛けたトコ、途中でとうとう我慢がし切れなくなって、オノレで食ってしもたと云うほどの不孝ものだけあって、才気もなかなか人間に負けぬほどで、ある時やらなんやらは詩を作って主人を驚かした事もあるそうや。こないな豪傑がすでに一世紀も前に出現しとるなら、吾輩のようなろくでなしはとうに御暇おいとまを頂戴して無何有郷むかうのきょう帰臥きがしてもええはずやった。

主人は早晩胃病で死ぬ。金田のじいはんは慾でもう死んでいるちうわけや。秋のの葉は大概落ち尽したちうわけや。死ぬのが万物の定業じょうごうで、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢こいかも知れへん。諸先生の説に従えば人間の運命は自殺に帰するそうや。油断をすると猫もそないな窮屈な世に生れなくてはならなくなるちうわけや。恐るべき事や。何だか気がくさくさして攻めて来よった。三平君のビールでも飲んでちと景気をつけてやろうわ。

勝手へ廻るちうわけや。秋風にがたつく戸が細目にあいてる間から吹き込んだと見えてランプはいつのにか消えとるが、月夜と思われて窓から影がさす。コップが盆の上に三つ並んで、その二つに茶色の水が半分ほどたまっとる。硝子ガラスの中のものは湯でも冷たい気がするちうわけや。まして夜寒の月影に照らされて、静かに火消壺ひけしつぼとならんでいるこの液体の事やから、唇をつけぬ先からすでに寒くて飲みたくもないちうわけや。せやけどダンさんものは試しや。三平やらなんやらはあれを飲んでから、真赤まっかになって、熱苦あつくるしい息遣いきづかいをしたちうわけや。猫だって飲めば陽気にならん事もあるまいちうわけや。どうせいつ死ぬか知れぬ命や。何でも命のあるうちにしておく事や。死んでからああ残念だと墓場の影からやんでもおっつかないちうわけや。思い切って飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いたちうわけや。何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとしたちうわけや。人間は何の酔興すいきょうでこないな腐ったものを飲むのかわかりまへんが、猫にはどエライ飲み切れへん。どうしても猫とビールはしょうが合いまへん。これはエライだといっぺんは出した舌を引込ひっこめて見たが、また考え直したちうわけや。人間は口癖のように良薬口ににがしと言って風邪かぜやらなんやらをひくと、顔をしかめて変なものを飲む。飲むからなおるのか、癒るのに飲むのか、本日この時まで疑問やったがちょうどええさいわいや。この問題をビールで解決してやろうわ。飲んで腹の中までにがくなりよったらそれまでの事、もし三平のように前後を忘れるほど愉快になれば空前のもうもので、近所の猫へ教えてやってもええ。まあどうなるか、運を天に任せて、やっつけると決心してもっかい舌を出したちうわけや。眼をあいとると飲みにくいから、しっかり眠って、またぴちゃぴちゃ始めたちうわけや。

吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやっと一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起ったちうわけや。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやっとらくになって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなりよった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけたちうわけや。ついでに盆の上にこぼれたのもぬぐうがごとく腹内ふくないに収めたちうわけや。

ほんでちーとの間の間はオノレでオノレの動静を伺うため、じっとすくんでいたちうわけや。次第にからやけど暖かになるちうわけや。眼のふちがぽうっとするちうわけや。耳がほてるちうわけや。歌がうたいたくなるちうわけや。猫や猫やが踊りたくなるちうわけや。主人も迷亭も独仙も糞をくらえと云う気になるちうわけや。金田のじいはんを引掻ひっかいてやりたくなるちうわけや。妻君の鼻を食い欠きたくなるちうわけや。いろいろになるちうわけや。ケツにふらふらと立ちたくなるちうわけや。ったらよたよたあるきたくなるちうわけや。こいつはおもろいとそとへ出たくなるちうわけや。出ると御月様今晩はと挨拶したくなるちうわけや。どうも愉快や。

陶然とはこないな事を云うのやろうと思いながら、あてもなく、そこかしこと散歩するような、せんような心持でしまりのない足をええ加減に運ばせてゆくと、何だかしきりに眠いちうわけや。寝とるのだか、あるいてるのだか判然せん。眼はあけるつもりやけど重い事おびただしいちうわけや。こうなればそれまでや。海やろうが、山やろうが驚ろかないんだと、前足をぐにゃりと前へ出したと思う途端ぼちゃんと音がして、はっと云ううち、⸺やられたちうわけや。どうやられたのか考えるがないちうわけや。ただやられたなと気がつくか、つかないのにあとは滅茶苦茶になってしもた。

我に帰ったときは水の上に浮いとる。苦しいから爪でもって矢鱈やたらいたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまうわ。仕方がないから後足あとあしで飛び上っておいて、前足で掻いたら、がりりと音がしてわずかに手応てごたえがあったちうわけや。ようやっと頭だけ浮くからどこやろうと見廻わすと、吾輩は大きなかめの中に落ちとる。このかめは夏まで水葵みずあおいと称する水草みずくさが茂っとったがその後烏の勘公が来て葵を食い尽した上に行水ぎょうずいを使うわ。行水を使えば水が減るちうわけや。減れば来なくなるちうわけや。近来は大分だいぶ減って烏が見えへんなと先刻さっき思ったが、吾輩自身が烏の代りにこないな所で行水を使おうやらなんやらとは思いも寄らなかったちうわけや。

水からふちまでは四寸もあるちうわけや。足をのばしても届かないちうわけや。飛び上っても出られへん。呑気のんきにしていれば沈むばかりや。もがけばがりがりと甕に爪があたるのみで、あたった時は、ちびっと浮く気味やけど、すべればたちまちぐっともぐるちうわけや。もぐれば苦しいから、すぐがりがりをやるちうわけや。そのうちからやけど疲れてくるちうわけや。気はあせるが、足はさほどかなくなるちうわけや。ついにはもぐるために甕を掻くのか、掻くためにもぐるのか、オノレでも分りにくくなりよった。

その時苦しいながら、こう考えたちうわけや。こないな呵責かしゃくに逢うのはゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は甕から上へあがりたいばかりの願であるちうわけや。あがりたいのは山々であるが上がれへんのは知れ切っとる。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水のおもてにからやけど浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがないちうわけや。甕のふちに爪のかかりようがなければなんぼもいても、あせっても、百年の間身をにしても出られっこないちうわけや。出られへんと分り切っとるものを出ようとするのは無理や。無理を通そうとするから苦しいのや。しょーもない。みずから求めて苦しんで、自ら好んで拷問ごうもんかかっとるのは馬鹿気とる。

「もうよそうわ。勝手にするがええ。がりがりはこれぎりご免蒙めんこうむるよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗せん事にしたちうわけや。

次第に楽になってくるちうわけや。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかないちうわけや。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然せん。どこにどうしていても差支さしつかえはないちうわけや。ただ楽であるちうわけや。いな楽そのものすらも感じ得ないちうわけや。日月じつげつを切り落し、天地を粉韲ふんせいして不可思議の太平に入るちうわけや。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得るちうわけや。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏。ありがたいありがたいちうわけや。



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